はてなキーワード: レイザーとは
鬼殺隊が、極めてNPOらしいNPOである理由。NPO業界の長老のこの儂が解説しちゃおうかの。
https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/story-kimetsu-no-yaiba-komasaki_jp_5f962692c5b673c60824edd9/
【鬼殺隊の財務】
そんな鬼殺隊に対し、あなたは「お前らボランティアでやれよ。刀とか金かかるのは贅沢だ。ヒノキの棒でいけよ」
と言うでしょうか。
いくら霞柱でも、霞食って生きていけないわけです。
ちゃんと隊員の制服、刀、給与などを出さないといけないわけです。住み込みの隊員もいるから、食費もバカになりません。
どうすれば活動が続けられるのか。
作中には描かれていませんが、おそらく鬼被害から救われた人々が「寄付会員」になって、鬼殺隊の財政を支えているのだと思います。(作中では「藤の花の家紋の家」)
鬼殺隊に救われた家庭には、鬼殺隊事務局から「良かったら寄付会員になって、鬼と戦いませんか?ねずみコースは◎円、虎コースは▲円」みたいなダイレクトメールが送られるはずです。
鬼殺隊事務局には、こうした作業を行う「ファンドレイザー」がいて、日々寄付会員を増やすことに全集中しているでしょう。
ファンドレイザーは寄付を集めるだけでなく、今年は何人の鬼を倒したか。何人の命を救ったか。命を救われた人の声などを「アニュアル・レポート」にまとめて、事業報告会で報告もしていると思います。
日本を代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的な事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験と専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験の新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学と制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度の根本課題に対する処方箋を提示することを目的とする。
この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックスが存在する。
この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業の経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。
持続的なリストラのサイクルは、経営の非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深い経済的ロジックの症状である。中高年社員の早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。
問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員の賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。
この報酬と貢献の危険な乖離は、労働経済学の「レイザーの法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金は社員のキャリアを二つのフェーズに分断する。
この報酬と貢献のデカップリングこそが、早期退職を促す構造の核心である。壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務的ロジックがここに成立する。
1. 退職金のコスト: 早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である。
2. 雇用継続のコスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。
3. 結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的にわずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストでしかない。この計算に基づけば、50歳で社員を退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務的インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富な人材の維持という長期的な視点を犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。
しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本の給与構造そのものにメスを入れる必要がある。
日本の賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有の問題ではなく、日本の中堅・大企業に共通する構造的課題であることを論証する。
世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。
これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイムで働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴(高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒の正社員に限定すれば、さらに100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本の賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的な年功序列型であることを明確に示している。
では、この構造的問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。
この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業に限定されたものではなく、日本の企業アーキテクチャに組み込まれたシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題の解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである。
日本型雇用システムの構造的課題を克服するためには、国内の常識に囚われず、海外の先進的な雇用モデルを比較分析することが極めて重要である。フランスやアメリカの事例は、日本の年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革の方向性を明確に示唆している。
フランスの賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。
アメリカの賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値に位置する労働者の場合、賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与が青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。
フランスとアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者の賃金カーブは若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通の原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。
これまでの分析で明らかになった構造的課題を解決するためには、小手先の対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列型賃金から、成果と役割に応じたフラットな賃金体系への移行」である。本レポートが提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。
この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業の競争力と従業員のエンゲージメントを同時に向上させる、多面的なメリットをもたらす。
この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能なタレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。
本レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題の根本原因は、個々の社員の能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代の環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムそのものにある。
この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用・賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題が解決することはない。
真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力と経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代の日本企業に課せられた最も重要な戦略的責務である。
スーパーロボット大戦Vをクリアした。
プレイ時間は100時間ぐらい。難易度はスタンダード。1周だけ。
久々にスパロボやったけど、とても良かった。
Tも買ってあるから、その内やる予定。Yはどうしよう。買うか迷ってる。
元々、小学生の時に朝学校に行く前にΖとかΖΖの再放送をやっていた→SDガンダムブーム
ガチャガチャ(ガン消し、カードダス)、カプセル戦記(ファミコンゲーム)辞書みたいな分厚さのボードゲームの収集、プラモなどで盛り上がる。
中高で熱は冷めるも、ノベライズ等は読む。OVAも見る。(元々見つけて読んでた、ガンダム、Ζ、ΖΖ、ちょい遅れぐらいでOVAと前後して、80,83,08等)
しばらくアニメから遠ざかり、本屋で見たタイミングで、∀、SEED、Vなどは読む。(映像化してないのだと、ガイアギア、閃ハサとかぐらいか、後にイグルーとか)
びっくりするぐらい忙しくなり(仕事、子育て)、第2子ぐらい育て中に、逆にアニメリアタイに復帰。多分OO(今高校生だから17年前ぐらいか?)
1~ΖΖは、ビデオ借りた記憶もあるし、全部見てない可能性もある。
1stは、鑑賞会をしたので全部見た。Ζも今1/3ぐらいまではきた。ΖΖは微妙。
他は、途中で挫折して、気合入れなおして見直したりしてるので、TVシリーズは見たのは自信ある(∀以外)
映画は、1st、Ζ、CCA、F91、OOは見た、1部作は何回も観た。ハサは配信だけど、SEEDとジクアクは劇場行った。
なんか隙間を縫って(無料違法動画サイトがあったのこともあり、録画機器が優秀だったこともあり)
WやAGE、鉄血などは見た。Wは完全に違法サイトで見た記憶。ごめんなさい(まだ小説買ってないしどっかで課金します)
でコロナ渦で、なんどか挫折してた(作品の好嫌というか、時期的なものも大きい)XやG見た。サンボるとかも
UCは作者がそもそも好きだったので、ほぼ公開時期に見たし読んだ。映画のふぇねのもNT見た。
去年Gガン見て(∀の記憶の無さはともかく)、ようやくTVシリーズ完走となった。多分ΖΖは全部は見れてないが。
オリジンとかの時期からは、SNSでなんらかの情報が届くようになったので、基本的にはこぼすことはなくなった。
コロナの時から漫画を買いまくってて、聖衣ボーン系やら色々買ってる。
買えば買うほど知らないガンダムが出てくる。
小学生の時は、ΖぐらいまでのMSの形式番号とかほとんど覚えてたんだけど。
今は一回見ただけじゃほとんど何も覚えられない。
SEEDの強化人間トリオとかも、ステラぐらいしか名前覚えてないし、乗ってた機体も、ガイア、フォビトゥン、あとなんだっけ? みたいなレイザーは居たな。
びっくりすることに、キラの乗り換えは(スポットとかは除いて、ルージュとあとなにかわからんけど)流石に覚えてるが、アスランが何乗ったかとかがもう怪しい。
蟻編の対ユピー戦においてナックルとシュートの役割を入れ替えなかったのはなぜ?
普通に考えてシュートがユピーと1対1で闘っている間、ナックルがボッ立ちしているのはおかしいのでは?
最初の時点でユピーにハコワレを打ったあと、どこかの段階でシュートと入れ替わっておけば、逃げ足の速い(伝説級の速さ)ナックルが逃げ回ってる間、メレオロンの能力で姿を消したシュートがユピーの背後から攻撃すればよかったのでは?
シュートの能力を使うと相手の身体の一部を消すことができるのなら、ハコワレのカウントと同時にやればナックルを倒さない限りこの能力(ナックルとシュートの能力のセット)が消せないとユピーにブラフをかませておけばよかったのでは?
連載当時からこのあたりに何か演出がおかしいと思っていたんだけど、なにか別の理由でもあるの?なんでずっと突っ立ってたんだろうと。
それらを覚えるだけでいい感じに戦えるので覚えよう
当然ながらテキサスホールデム。周りの人間がどんなやつか分かるならそれは素晴らしいので、お前が全部正しい。
強い動き
コンテニュエーションベット
プリフロップでのオリジナルレイザーがフロップでもレイズで入る。100%CB打つマンでも戦えるくらい強い。相手がパッシブでもアグレッシブでも問い合わせとして有効。そして何でもCBマンに対する対処は結構むずかしい。ベットサイズは上級者問題なので割愛。ムーブとして最強クラスという話。
勝ってるハンドを持ってるときに、相手が明らかに弱いハンドを持ってたとしても付いてきちゃいそうな小さいベット。Aが落ちたときにセットとかストレートがあるならこの概念があるないで取れる額が全然違う。バリューとブラフの概念を覚えたら是非覚えてほしい。
弱い動き
やりがちで弱い。相手がナッツ級でもない限り降りるスーパーロックでも意味ない。ドンク打つべき時にドンク打たなくても95点と90点くらいの差しかない。打つな。
プリフロップオリジナルのときのレイズ額をハンドの強さで変える
マジ弱い。最悪級。わかってる人にバレたらプレミアムハンド以外全部持って行かれると思え。
半端な強さでのベットは、自分より強いハンドには付いてこられて弱いハンドには降りられる最も損をする行動。
上級者は「あいつはフィッシュ(カモ)だ」って一瞬で気づくくらい分かりやすいのに、ミスプレイって気づきにくい。
今週のハンタで再確認された事実(前から分かってはいたけど公式で改めて整理されたもの)
①具現化系で分身作成+放出系でワープは特質系でもない限り無理
③補助具無しでのワープだと特定の場所を事前にターゲットにする地雷式が妥当
④敵を強制的にワープさせる行為は味方に了解を得てのワープより難しい
これ全部ゴレイヌさんに当てはまってないんですよね
①ゴリラを分身させて自分や他人をワープさせられる→特質系でもないなら幻影旅団をして想像を超えた存在
②何もない空間から発生させたゴリラを使用→補助具一切未使用で実現
③敵地だろうと発動可能でありゴリラも自由に動き回る→地雷系の条件からも外れる
④戦闘モードのレイザーと場所を入れ替える→強制力としては「ほぼ無条件」と言ってもいい領域
特質系だとしてもぶっ壊れてるとしか言いようがない性能してる。
対象が1回に1人までという条件はあれど、ゴリラと対象の距離が10m以内(下手すればもっと)であればどこでも誰でも出し入れ可能って……。
異次元マンションの圧倒的利便性の前でワープ系2番手に落ちた感じはあるけど、「強制力」という点で考えるとやはりおかしい。
なにより単純にゴリラの性能が割と高い。
ソロプレイをしつつパーティーの優位性を得つつ不意打ちと緊急離脱を可能にする無駄のない能力。
強いて問題を上げるとすれば脳みそや意識が一つしか無いことだが、これは逆に無能な味方に足を引っ張られないという優位性になる。
そもそも「えげつねぇな……」に代表されるようにゴレイヌ自体は普通に賢く森の賢者の名に相応しい人物である。
本当なんだったんだこのゴリラは……。
下手すると幻影旅団よりも強いのでは?
いまだに自分の運転もままならないので車の免許も持っていない。
サッカーではボールを蹴りながら走るということができず、いつもすぐに誰かにパスを出していた。
バスケではボールを地面に跳ねさせながら走るということができず、いつもすぐに誰かにパスを出していた。
操縦がヘタクソなのでボールを持ちたくなくて、誰かに呪いを押し付けようと必死だった。
だから敵にパスを出してしまうことがよくあり、それが原因で味方から全くパスが来なくなってしまった。
球技の授業のたびに、自分の存在が少しずつ皆から抹消されていくという体験は忘れがたいものだった。
でもコートの端にただ突っ立って時間いっぱい皆を眺めるだけの作業は本当に楽だった。
そして、なんでみんなの中の人は操縦がそんなにうまいんだと思っていた。
ただし先生だけは私が見えていたので、結局「ヘイパス!ヘイパス!」とか言って参加してるフリをしないと怒鳴られた。
万が一にもパスが来てしまうと困るのでアピールを控えめにしていると、結局また同じように怒声が飛んできた。
なぜ体育会系は誰もが運動できて当たり前の世界を生きているのだろうとそのたびに思った。
特にゴレイヌみたいな教師にはいつもボロカスに野次られていたので、私はずっとゴレイヌが嫌いだった。
ネットでのネタにされ方と評価の高さが本当に意味不明で腹立たしかった。
だから念獣とゴレイヌ本体を徹底的に痛めつけてくれるレイザーの方をいつも応援していた。
久しぶりにアニメHUNTER×HUNTER(日テレ版)のG.I編を見たらやっぱり面白かったのと、自分なりに発見があったから聞いてほしい。原作はもう20年も前にやったところだから、とっくに誰かが同じ趣旨のこと書いてると思う。細かく説明するの面倒だから、ストーリーやルールががわかってる前提で進める。
作中のビスケの言葉「順序よくゲームを進めていけば確実に強くなるようプログラムされている」を念頭に置いて見ていくと、製作者はプレイヤーがある程度強くなるまでは島外に出す気がないのが分かる。
生きたまま島の外に出る方法は3つ。
①の「離脱」はレアなカードで、入手するにはマサドラのカードショップでスペルカードガチャをする必要がある。つまり金が要る。②も書いたまんま、金が要る。
この世界で金を稼ぐのに最も手っ取り早い手段がモンスターを倒して得たカードを売ることだと考えられる。
プレイヤーが強くなればよりレアリティが高く高値で売れるモンスターを狩れるようになるだろう。頭を使いながら真面目に取り組めば金策を続けるうちにプレイヤーの戦闘力が上がっていくことが期待される。そうこうしている内に戦闘力が上がり金も溜まり、①や②で島を出られる。③も出来るかもしれない。
モンスターを狩る以外にも金策の方法はあるだろうが、このゲームの趣旨を考えるとやはり戦闘力アップか思考力アップにつながるような労働やクエストでも用意されているのではないかと思う。
とにかく、①②③のどの方法でも島を出られる頃にはそこそこ強くなっているはず。上で書いた「ある程度」の強さの最低ラインがおそらくここ。キルアは瞬殺していたが、通行チケットの入手難易度はBなのであの所長は多分ビノールト(ビスケ曰くランクD相当)より強い。そりゃ何年かけても島から出られないプレイヤーが多数いても不思議ではない。それにGIをプレイするのは生身の人間で経験値と共にレベルアップするものでもないから、己を鍛える気もなく何も考えずに諦めの気持ちでただ過ごしているプレイヤーが最低ラインまで強くなれるかは、火を見るより明らかである。
ちなみに交換で「離脱」を入手するという方法があるが、個人的には交換するに至ったコネ作りや交渉力もハンターとしての実力のひとつとして捉えてもいいと考えている。ゴン達一行と「離脱」交換できた人達は単なるラッキーかもしれないが。
島から出る方法ひとつ取ってもこんな調子なので、ゲームマスターの1人が直々に登場するイベントにはより大きな意味があるはず。
一坪の海岸線入手のためにクリアしなければならない「レイザーと14人の悪魔」では何が得られるのか?
このイベントの発生条件を見るに、このイベントは作中でゴン達が置かれたような状況を予見して設定されたのではないかと思った。
例えば弱いプレイヤーがいたとする。
弱いなりにこのゲームを真面目にプレイするなら、スペルについて学び、G.I編序盤に出てきたスペルカードを集めるハメ技組のように仲間を集めて徒党を組むだろうし、他のプレイヤーのクリア阻止のためにまだ誰も入手していないカードの情報を集め独占を目論むだろう。
そうしてカード化限度枚数が少なく独占しやすそうな「一坪の海岸線」がソウフラビにあることを調べてアカンパニーで移動してイベント発生……ここまでは作中の流れと大体一緒。
問題は作中でアスタが言っていたように、下手にカードを入手したら凶悪なプレイヤーに狙われる可能性が出てくることだ。圧倒的な実力者が相手だったら、たとえ15人で団結しても秒でカードを奪われるかもしれない。そこでレイザーの存在が鍵になる。
このイベントがクリアできるか否かはレイザーの匙加減一つで決まる。ではその匙加減の基準は何か?
私は、カードを奪いにきた凶悪なプレイヤーに襲われても凌げる程度の実力の有無ではないかと考えている。
もし実力がない者にカードを渡してしまえば、それはそのまま凶悪なプレイヤーに奪われることになり、わざわざイベントをこなす意味がなくなってしまう。弱いが故に徒党を組んでいたプレイヤーの場合、レイザーがこれなら大丈夫だろうと判断するまでクリア出来ないのではないだろうか。
スポーツ(=課題)は種類豊富、多少対策は立てられるし、メンバーを入れ替えさえすれば何回でも挑めるし、イベントとしても修行としても親切設計なので、鍛錬に適していると言える。挑戦者の1人がゴンでさえなければ。
戦闘力が上がり晴れてイベントをクリアしてもまだ問題があるのが「一坪の海岸線」の厄介なところ。15人縛りの割に3枚と少な過ぎるカード化限度枚数、ゴレイヌも「えげつねえな」とこぼすアレである。
最初はこのカード化限度枚数の意味が分からなかったが、これもハンターを育てるための課題と考えたら腑に落ちた。
おそらく、仲間割れの火種を抱えているこの状態を収めて仲間と協力できる交渉術・人身掌握術なんかのコミュ力を伸ばす訓練になるのではないか。
特に例にあげた弱さ故に徒党を組むことにしたプレイヤーほど、これらが重要になってくる。弱いなら弱いなりの生存戦略があるが、カード1種で仲間割れするようじゃ先が思いやられる。
戦闘力に劣る弱いプレイヤーを中心に話を進めたが、強い熟練プレイヤーでも求められることは同じだろう。ハンターやってたら仲間と協力しなければならない場面・報酬の山分けが難しい場面はいくらでも出てくるだろうし。実際、ゴン達もここでツェズゲラやゴレイヌと共闘したことがゲームクリアに繋がった。
ゴチャゴチャ書いたけど、簡単にまとめると
・武力に限らずハンターとして必要な能力を伸ばす課題が揃っている
・「レイザーと14人の悪魔」も例外ではなく、一定の戦闘力・仲間との協力が不可欠な課題になっている
今原作手元になくてしばらく読み返してないからほぼアニメの情報とWikipediaのカードリストから考察したけど、やっぱH×Hおもしろい。
結果が必ずしも輝かしい者じゃないとしても、それすら望む人がいるなら「その結果を見たいがために」金を出す人がいるんだよ。がなりさんもそうだったわけだろ。
確かに一理ある。「投資したいと思える魅力がどれだけあるのか」マネーの虎でも、失敗した挑戦者は多かったけど、虎たちはプレゼンで「投資したい」と思ったから、出資したわけだし。
がなりは「成功するとは最初から思っていない。失敗から自分の本当の実力を知ってほしい。だから、失敗させるために金を出す」と明言してたからね。それが、がなり本人の生き様でもあるのだけれど。
ワープアのプロモーターがファンドレイザーになって、ワープアに「普通に生きていける」仕事と収入を獲得させる…というビジネスか。