はてなキーワード: 霞が関とは
予算委員会で高市に質問が入ってるから事前レクがあるわけだけど、予算委員会ってのは原則として全ての大臣が出席なんだ。
で、質問者は答弁者を指名できる(この問いは総理に、この問いは財務大臣に、この問いは役人(官僚)でいい、など。別の人が無理矢理答弁台に立とうとしたら質問者が激怒して国会が止まる。)。なお、答弁者の指定は委員長の権限で、質問者があまりに酷いと答弁者を切り替えることを認めることもあるが、現在の委員長は立憲民主党の枝野だからそれも難しいだろう。
通常なら各大臣などに質問がバラけるから、朝9時開始のときは、各大臣は7時〜7時半くらいから答弁レクすることが多い(もちろん質問が集中している大臣は朝5時くらいから始まることもある。)。
んで、国会中継見てもらえばわかるが、今回立憲民主党からの質問が各大臣ではなくすべて高市に集中している。これに対応するために高市が朝3時からやらざるを得なくなっただけ。(答弁内容を聞いてみても「他の大臣で答えるべきでは?」みたいな質問も高市が答えていた。)
ちなみに、前々日までに質問通告がなされている質問なら、通常、前日までに答弁レクを終わらせている。
立憲民主党は前日ギリギリになっての通告ばかりだからそれができないわけだけど。
批判すべきは質問通告の時間を守らず、また高市に質問を集中させた側、またそれを是としている国会側だよね。政府はそれに対応せざるを得ないだけで。
https://work-life-b.co.jp/20210422_11719.html
のとおり、質問通告の期限を守らないのは圧倒的に立憲民主党と共産党っていう左派系野党なことがわかる。
https://i.imgur.com/bHEemHd.jpeg
総理に質問を集中させて過負荷に追い込むのは立憲民主党の基本戦術なので、何を今さらの話ではある(これは10年くらい前だったと思う。まだ民主党時代の話。)。
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調べてみたら2016年の話だった。
その昔、お前ら立憲の長◯昭が金曜夜21時に役人呼び出して
「月曜朝イチで資料作って持って来い。土日あるから作業できるだろ」
って言ってたな。
俺は覚えてるぞ。その場にいたからな
元霞が関の住人から言わせると、とにかく野党の締切が遅い。菅直人、長妻さんには本当に悩まされた。特に前者は午前零時を越して追加質問。関係省庁と答弁のすり合わせをして終わるのが朝4時。大臣レクは朝7時半。ルールは守ってほしいと心から思っていましたが。今は改善されたのかしら。
犠牲者の証言。こんなのが霞が関界隈では当たり前にまかり通ってるから。
ちなみに長妻昭は昨日、高市に対して「長時間労働から労働者を守るべき」って質問をしていた。役人は労働者じゃないらしいね。
https://x.com/yuandundun/status/1986819515435581584 現役副大臣が野党ガーのデマを撒いてるのが悪質
通告内容のあいまいさは与野党ともにあるけど、伝説的なのは立憲民主党の元首相経験者による「内政全般について」「外交全般について」だね。
どんな質問がされるか全く予想がつかないせいで、金曜夜から全省庁に待機がかかって、実際に質問レクが行われたのが日曜日夜っていうのも含めて中々ひどい事件だった。
東京・霞が関。報道陣を前に、往年の鋭い眼光を見せたダグラス・マッカーサー元帥は、静かに口を開いた。
「私は再びこの国に戻ってきた。しかし、ここで目にしたものは、かつて私が知っていた日本ではない。『新作ポケモン』とやらを見て、私は深い失望を覚えた。」
かつて戦後復興を導いた“日本の父”が、国民的ゲームをここまで激しく批判する理由とは何か。
「この作品には“理想”がない。かつての日本人が持っていた創造への情熱、挑戦への勇気、それらが消え失せている。ポケモンがかつて教えていたのは“絆”や“友情”ではなかったか? 今はただ、見栄えと売上に取り憑かれているように見える。」
マッカーサーはテーブルに置かれたSwitchを手に取り、淡々と続けた。
「私はこの国を“精神的に12歳”と評したが、どうやらその精神年齢は逆行しているようだ。新作ポケモンは、成長を拒んだ日本そのものだ。新しい時代を切り拓く代わりに、過去の栄光を何度も焼き直している。」
最後に元帥は、かつての名演説を思わせる口調で言葉を締めくくった。
「日本よ、かつての勇気を取り戻せ。進化を拒む者に、未来はない。ポケモンの真の敵は“敵ポケモン”ではなく、“惰性”という名の怪物だ。」
まぁ今更になって最近じゃあ、お前らみたいなのの中から、ネットで我慢できずに政治に口挟んでデモだの世界を賭けた遅れてきた学生運動や昭和の右翼ごっこみたいなことリアルで始めて、順調にテロリスト化まであと一歩みたいに「育ってきてる」オッサンや豚丼たちもたまーに霞が関とか国会議事堂前とか、あと何故か秋葉原とかでアジ演説してんの見かけるんだけどさ
どいつもこいつもおたくらみたいに、ハゲ散らかして上半身だけでっぷり超えて下半身は不摂生と運動不足でよわよわなカエルさん体型のオッサンかオバハンか、生まれてこの方心臓が16ビート以上刻んだ運動したことないんだろうなって骨格レベルで歪んでるのがわかるチビガリみたいなオッサン、エロ同人の汚いオッサン枠みたいな小太りのヤカラとオタクの雑種みたいなオッサンが愛国テロリストになって、ネットでここ数年散々喚いてた「ボキタンやアテクシにレムちゃんやエミリアたん、ウマ娘たん、ライカン様みたいなイケメンや美少女を政府は宛がえ!」とか主張して挙兵して、そういう美少女やイケメンが惚れてくれていつか本当の自分を愛して人生逆転できるんだウフフみたいな妄想抱えてリアルであーいうアクション起こしてるの見てると、日本も来るところまで来たなと憂慮しちゃいますよ、ワタクシ。つーか馬鹿なことやってねぇで働けよとしか言いようがないんだけどな
Feat 司馬遼太郎
世に人間ほどおもしろき存在はない。己の身の程をわきまえ、時代の潮流を悟り、黙して一歩を進める者もあれば、そうではなく、鏡に映る己を直視できず、あらゆる不遇を他人に押しつけ、虚空へ憎悪を投げつけて日を送る者もいる。
近年、ネットの闇に巣くう連中の姿を見るたび、私は戦国の末に現れた浪人どもを思い出す。主を失い、刀を失い、なお「天下の大事」を論じる口だけは達者であった。だがその実、手足は衰え、肥え太った胴を揺らしては、地べたで管を巻くだけであった。
霞が関や秋葉原の街角に立ち、かすれ声でアジ演説を繰り広げる中年の姿は、その浪人どもに二重写しに見える。鍛え損ねた身体は蛙のように下半身が弱り、骨格は歪み、風采は冴えぬ。いかにも、かつての自分を持ち得ぬ人間の成れの果てである。
海外の報せでは、諜報機関の甘言に酔い「選ばれし者」と思い込んだ若者らが、火を放ち、落書きをし、果ては粗末なナイフ一本で暗殺まがいの真似事をして捕まる事件が相次いだという。いずれも使い捨てであり、歴史に名を残すことすら叶わぬ。だが、まだ彼らは「戦いの片隅にいた」と自らを語ることができる分だけ、なお救いがあった。
ネットにのみ身を沈め、何一つ行動せぬ者どもは、ただ空虚を叫ぶだけで、物語さえ残らぬ。
アニメの幻影に恋を託し、「いつか美少女が自分を愛してくれる」と妄信するその姿は、戦国の村々にあった狐憑きのようである。己の窮乏を時代や社会に押しつけ、幻影にすがりつく。歴史を振り返れば、かような人々はいつの世にも現れ、己を焼き尽くして消えていった。
人生の責任は、どれほど言葉を飾り、他責を繰り返そうとも、最後には己が背にのしかかる。
同じ時代に生まれながら、社会に居場所をつくり、家庭を営み、子を育てる者たちがいる一方で、ネットの暗渠に潜り、罵声と妄想を積み重ねるだけの者もいる。
――おまえたちよ。
その道の果てに待つものは、レムもエミリアも、幻像の彼方さえ掴めぬ絶望である。
働け。現実を見よ。
さもなくば、ただ寒風が吹き抜ける荒野に独り取り残されるであろう。
昭和五十八年、俺は二十五だった。
大学を一年留年し、卒業後に就職したのは都内の貿易商。大学の知人から、いわゆる伝で紹介してもらった職場だった。
英語が得意というほどでもなく、貿易の知識も薄い。「景気がいいうちに滑り込め」と言われるまま、場違いなスーツに身を包んで、霞が関の雑踏を毎朝くぐったのをよく覚えている。
入社後は雑用が主な仕事で右も左も分からぬまま伝票を運ぶ日々。そんなある昼休み、温厚で知られた課長がコーヒーを啜りながら、ふと口にした。
「給料が出たら、町で一番安い娼婦と一番高い娼婦を抱いて比べてみろ。ものの良し悪しが分かる。それは大きな経験になるぞ」
冗談かと思ったが、妙に胸に残った。
価値は本や噂で知るものじゃない、自分の感覚で確かめろ。そんな含意が隠れている気がしたからだ。
給料日。初任給が振り込まれたその足で、俺は思い切って試してみた。
駅前にある寂れたソー○。
色褪せた扉。受付この先は年季の入った女将。一方では常連らしい作業着の男たちが黙々と爪を切っていた。
来た女性は衣がやや厚く、ところどころ揚げ染みのようなものがあり飴色に濁っている。
抱くと肉汁が溢れ、舌の上にじんわりと広がる。
行為は何事もなく速やかに始まり、速やかに終わった。顔を上げるとガラス越しに見える高架を電車が轟音とともに走り抜ける。
白木のカウンターが照明を柔らかく反射し、落ち着いた客が低く囁くように話している。
指名を開くまでもなく、女将が「おすすめでよろしいですか」と微笑んできたその顔は非常に印象的であった。
通されたお座敷には澄んだ香りだけが漂っており、上品な竹のような匂いがした。
女性は既に待機していた。正座のまま頭を下げており、顔を上げると上品に微笑んで見せた。
行為は慎みをもってして始められた。
○を入れると○がほろりと崩れ、淡い肉の香りが立った。ひと口目。○は驚くほど薄く、口の中で一瞬で消える。胸は驚くほど柔らかく、舌の上でほどけ、甘さがじんわりと広がる。
甘噛みすれば噛むというより、口の温度に合わせて自然にほぐれていく。後味はあっさりと清らかで、重さはどこにも残らない。身体は白く清らかで、瑞々しい甘みを保っていた。
そこで行われたのは神事のような、指先までが緊張するほどの静謐な行為だった。
値段の差は歴然としていた。しかし高い方だけが“正解”ではない。昼の娼婦には、あの独特の匂いや空気感、そしてがっしりとした肉らしい応えがあった。そこには、そこにしかない力があった。
高級店の透明な上品さとはまったく別の、生活そのものを温めるような力。それもまた確かな価値だった。
二つを味わい比べたとき、初めて自分の中に一本のものさしができた。
いまはむかし。振り返ると、当時のこの一日こそが何よりの学びだった。最近の若い世代は…などと言えば年寄りくさいが、「失敗したくない」「無駄を避けたい」と口にして経験そのものを恐れる姿に、どうしてももどかしさを覚える。
だが、恐れて経験しないことこそが本当の失敗だ。
欲は知らないことから生じる。
足るを知るためには、まず足りた状態を自分で知る必要がある。そのためには、経験することが必須であり、試してみる他にないのだから。
複数の政党が多数者におもねってわかりやすい少数者を攻撃対象とする戦略をとっていないか - しいたげられた🍉しいたけ
https://www.watto.nagoya/entry/2025/07/09/230000
[B! 参政党] 複数の政党が多数者におもねってわかりやすい少数者を攻撃対象とする戦略をとっていないか - しいたげられた🍉しいたけ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.watto.nagoya/entry/2025/07/09/230000
「予算」。以上。
要するに外国人勢力を攻撃している人たちは「アイツラに金を使うな」しか言ってないのだ。「予算」の枠が決まってるんだから「その枠を俺(たち)に使え」と言ってるだけ。
それをその通り実行するかどうかは政府が決める。これは公約含めて「裏切られても文句言うなよ(笑)」である。実際何度も裏切られてるでしょ。
霞が関埋蔵金(笑)が無かった時の手形(笑)、信者共今でも持ってるの?(笑) 俺は空手形だったよ。
自公も空手形が多い。大体は「予算にそんな枠はない」と財務省に言われて、調整している。ザイム真理教(笑)はこの「予算がない調整」が正体だ。
(ちなみにもう1個は「法律がない/整備されていない/想定していない/そうした運用を認めていない」である。常にキャンセルカルチャーが財務省のアイデンティティだ)
皆、想像する――「俺(ら)にアイツラ(外国人、女性、性的マイノリティ、子育て世代、年金受給者、生活保護者、そして正社員)にあてがっている金を配ってくれれば俺の生活は髪の毛1本分ぐらいは軽くなるはず」ってな。
まぁ、大体は裏切られてそうはならないか、そうなっだとしても重り一貫ぐらいの重税が追加される。でもこの重税は、上記の「アイツラ」にも適用される。みんなで不幸になるならそれでいい。
でも残念ながら「空手形」なんだよ。大体はな。
分かりましたか、はてブのバカな人たち。「金の取り合い」なだけですよ。マイノリティや弱者攻撃も「金の取り合い」なら「当たり前」のことなのですよ。
オマエラだって「責任ある仕事」をしたことあるでしょ?「責任ある仕事」というのは「自力で予算を獲得してくる仕事」のことですよ。そういう経験がジャップランド社会の価値観の礎を築いているのです。
オマエラが切隊(やまもといちろう)の言葉を1つも理解できないのは「責任ある仕事=金を自力でもぎ取ってくる仕事」をしたことがねぇからだよ雑魚雇われ。
他人の金を大事に使い、自分の価値観を最大化する。そういうのが「責任ある仕事に就いている」って奴だからな。
財務省も、担当省庁も、それを全力でやっている。政治家はそれを差配するために「現状打破、あるいは現状維持」をスローガンとしてやっているだけ。その1つが「外国人排斥」になってるだけだよバカタレ共。
※普通に体験談を書いて、Geminiに小説にしてもらいました
※書くのは非常識だとは思いますが、それくらい罪悪感が強いです
収容人数40人程度の教室の中で、教壇上にある蛍光灯の白い光が、『スーパー過去問ゼミ』のテキストの文字を無機質に照らし出す。俺は増田、三十代半ばである。都内にある某公務員試験予備校で、もう八年以上も予備校講師をしている。担当は主に面接対策と論文指導だ。
今もこうして夕方以降の時間帯に、19~23才程度の若者向けに、公務員試験に合格するための要諦を指導する日々である。
採用から数年間は以前は筆記試験だけの指導をしてたが、幸いにも早めに昇進することができた。筆記以外の面接とか論文なんかも指導するようになった。正直、新卒で予備校に入社した人よりもスピード出世である。
「増田先生。この間の模擬面接のフィードバックの文ほしいんですが!」
休憩時間になると、熱心な受講生たちが俺の元へ寄ってくる。彼らの目は真剣そのもの。
公務員という安定した職を、社会に貢献できる仕事を求めて必死に努力している。その情熱は本物だし、俺も全力で応えたいと思っている。表向きは。
公務員になりたい、という彼らの動機は様々だ。「親が安心するから」「福利厚生がしっかりしているから」「クビにならないから」。もちろん、「住民のために働きたい」という崇高な志を持つ者もいる。残念ながら少数派だ。
問題は、明らかに公務員という仕事に向いていない、と感じる人間が少なからずいること。先ほど熱心な~と書いたが、熱心な子というのは、10人中で2人もいれば多い方だ。
例えば、先日の模擬面接でのこと。鈴木君(仮名)は、典型的な指示待ち人間だ。質問に対して自分の言葉で考えを述べることができず、用意してきた模範解答を棒読みするだけ。
「もし、あなたの判断で対応しなければならない緊急事態が起きたらどうしますか?」
って意地悪な質問をすると、彼は完全にフリーズした。こんな人間が、災害時や突発的なトラブルの最前線に立てるだろうか。市民の安全を守れるだろうか。
あるいは、佐藤さん(仮名)。彼女はコミュニケーション能力に著しい欠陥がある。人と目を合わせるのが苦手で、声も異常に小さい。グループディスカッションでは一言も発せず、ただ俯いているだけ。
こんなんじゃ、窓口業務で市民と円滑なやり取りができるとは到底思えない。クレーム対応など想像するだけで恐ろしい。
他にも、社会情勢への関心が驚くほど希薄な者、責任感が欠如しているように見える者、平気で嘘をつく者。挙げればきりがない。
予備校の事務窓口でもそうだ。たまに、はてな匿名ダイアリーでもさ。「クンニ」とか「テクウヨ」とか「下方婚」とか「売国先生」とか意味わかんねえコメントしてる人がいるじゃん。
たまに彼らの長文コメがあっても、何を言ってるのかわからない。話の内容が伝わってこない。そういうレベルの受講生が普通にいるのだ。
おいおい、なんだ?面接試験では「私の長所はクンニです('ω')」とか「少子化を防ぐためには下方婚を増やす必要があります」とか答えるのか??
こういう人は、公務員になってはいけない!と断言できる。いや、仕事だからやるけどさ……合格すれば俺の実績にもなる。
というわけで、彼らがもし、この予備校で叩き込まれたテクニックだけを頼りに、運良く筆記試験を突破し、面接を乗り切ってしまったら?そして、どこかの国の地方支局とか、市役所や県庁の職員になったとしたら?
想像するだけで背筋が寒くなる。迷惑を被るのは、まぎれもない住民さんである。煩雑な手続き、待たされる時間、要領を得ない説明、そして、いざという時に頼りにならない行政サービス。
彼らのような「不適格者」が公務員になることで、社会全体の不利益につながるのではないか。果たして、俺は社会のためになる仕事をしているのか。
これって、数年前にはてなブログの書評(基本読書の人など)で話題に上がったブルシット・ジョブではないのか?いや、ブルシットはまだ畑の肥やしになるからいいが、俺の場合は、もはや反社会性すら帯びている。
だが、俺の仕事は彼らを「合格させる」こと。それが予備校講師としての使命であり、存在意義なのだ。
彼らがどんな人間であろうと、筆記試験で点を取る方法を教え、面接で好印象を与えるテクニックを叩き込む。弱点を隠し、長所を最大限にアピールする方法を指導する。
「鈴木君、緊急事態の質問には、まず『冷静に状況を把握し、上司に報告・相談します』と答えるのが定石だよ。自分の判断を求められていてすら、まずは組織として対応することを強調するんだ。それが公務員試験ではポイントが高い。いいかい、あなたの言葉は、組織の言葉なんだからね」
「佐藤さん、声が小さいのは不利だ。面接官に聞き返されるだけでマイナス評価になる。呼吸を意識して、大きな声を出す練習をしよう。アイコンタクトも大事。難しいなら、相手の鼻のあたりを見るといい」
まるでペテン師のようだ、と自分でも思う。騙している先は霞が関にある官公庁や、うちの予備校のほどなくにある東京都庁、そのほか地方自治体。ものすごく女衒的で、ありえないほど罪深い。そんな仕事だ。
俺は、本当は適性がない人間に、あたかも適性があるかのように見せかける技術を教えている。彼らの合格は、俺の指導力の証明であり、予備校の評判に繋がる。給料だって、それによって支払われている。
俺が面接指導した子は、この八年間で、新人時代を含めると……少なくとも300人を超えている。延べ人数でカウントしていいなら、千人を超えている。ナンパ自慢の人数かよ。
このうち、予備校側から「増田君の寄与があった」と見做されたのは100人程度。その中に、筆記の模試がぼろくそだった人が含まれるのはいい。本人の努力の結果だからだ。教師名利に尽きる。だが、その中には、前半あたりで述べた「不適格」な人間を相当数含んでいる。それが今でも後悔になってる。
正直、公務員試験の面接なんて、一部の難関(国家総合職・裁判官・都庁・労基や財務など国家専門職)を除けば、パターン暗記で対処できる。
うちの予備校が、毎年人事院や都庁や特別区に情報公開請求(※)して、個人情報を黒塗りにしたうえで採用試験実施要領の資料提供をいただいているのだが、試験の要領的に……「面接官は完全な機械的採点をしている」ことがわかっている。民間企業に比べると、○○だったら何点とする、みたいな基準がはっきりしている。
なんでそうなるかというと、「公平性」を保つためだ。公平・中立・平等を基礎基本とする彼らにとって、それはとても大事なことなのだ。
彼ら面接官というのは、管理職クラスではあるものの、これまでの人事経験はほぼゼロである。そんな人達をたかだか数時間の研修で「面接官」にするには、面接試験を(初心者向けに)完全構造化するのである。結果として、相当無難な採点基準での面接試験につながるというわけだ。
※…試験実施要領を公開してくれる官公庁もあります。地方自治体だとあまり公開してくれない。よって、若手の予備校講師が国家・地方を問わず公務員試験(作文・面接含む)を受験してデータを得ることもあります。私が若手の頃ですが、都庁や特別区の採用試験に合格したことがあります
先ほどの「ブルシット・ジョブ」という言葉だが、つい先日知った。クソどうでもいい仕事、とでも訳すのだろうか。社会にとって何の役にも立たない、むしろ有害でさえあるのに、なぜか存在し、給料が支払われている仕事。まさに、俺の仕事のことではないか。
社会に貢献したい――という純粋な気持ちで公務員を目指す若者を応援したい。その気持ちは嘘じゃない。しかし同時に、明らかに不適格な人間をテクニックだけで公務員にしてしまう手助けをしている。
やっぱりこれは、反社会的な行為と言っても過言ではないのではないか。
良心が痛む。毎晩、寝る前に罪悪感に苛まれる。俺が合格させたあの学生は、今頃どこかの役所で、市民に迷惑をかけているのではないか。俺の指導が、誰かの不幸を生み出しているのではないか。
辞めたい。心の底から思う。こんな矛盾と罪悪感を抱えながら、これ以上仕事を続けるのはちょっときついかもしれない。
でも……辞めたところで何ができる?俺には、この予備校講師という仕事以外に、特別なスキルがあるわけではない。転職先がすぐに見つかる保証もない。家族がいる。生活を考えると簡単に決断できない。
先週もまた、俺は教壇に立ったのだ。第二次試験で採点対象になる論作文試験の全体講習である。
目の前には、期待と不安の入り混じった表情で俺を見つめる受講生たちがいた。彼らの未来を、そして、彼らが関わるであろう住民の未来を思って、俺は重い溜息をついた。
「ハイ!じゃあ今日の論文対策、始めま~す! みんな今日、気合入ってんねぇ~(^^)」
笑顔が張り付けて取れない。
答えは見つからないでいる。
昭和の終わりが近づいていた。
そう嘯く局長がマスコミに出るたび、日経平均はまた数百円上がる。
「投資が花なら、開発は実だ」
彼らはそう信じていた。
彼らの下には、全国の都市銀行が控えていた。
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以降、都銀は地方に支店を送り込み、次々と融資の指令を出した。
目的地は、海辺の荒地、山間部の棚田、温泉もない無名の山間地――
にもかかわらず、そこに「リゾート開発」や「企業の研修所」が次々と企画された。
補助金がついた。
銀行は後押しした。
「これは国策だ」と耳打ちされた。
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祐介の勤める準大手ゼネコンにも、年間数千億の開発プロジェクトが舞い込んできた。
確かにそうだった。
帳簿には都市銀行からの巨大融資が並び、そこに“大蔵省了承済”というメモがついていた。
受注は順調。見かけ上の売上は増大し、社員も5千人を超えた。
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そして、まるで何事もなかったかのように、大蔵省が正反対の方針を打ち出す。
「過剰な投資に歯止めをかけろ」
テレビではエコノミストたちが、「ゼネコンの無駄」「地方開発の失敗」を声高に非難していた。
夜のワイドショーでは、構成作家の書いた台詞をもとに、出演者が一斉にゼネコンを叩いた。
だが、祐介にはわかっていた。
用地を買えと言われた。
建てろと言われた。
工事代金の支払いも、半分以下で打ち切られた。
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「これは大蔵省の失敗では?」
そんな疑問を投げた週刊誌は、翌号には消えていた。
だが、それでも祐介たちに支払われるはずだった金は戻らなかった。
「これは自己責任です」
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以前、自分が描いたリゾートホテルの設計図が、雑草の中で風化していた。
近くには、地方自治体が建てた「文化交流館」が、無人のまま佇んでいた。
「国が作らせて、国が壊した」
そして、その“後始末”を金に変えたのが、弁護士だった。
そこにいたのは、100億円の報酬を受け取る者と、仕事を求めて彷徨う新人弁護士たち。
法の名を掲げ、企業を切り捨て、土地を安く買い叩いた者が、真の勝者となった。
そして祐介たちのような建設労働者、技術者、設計者は、歴史の片隅に置き去りにされた。
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今、祐介は建設業界の人手不足のニュースをテレビで見るたびに、
「それは30年前のツケだ」と呟く。
人を棄て、技術を棄て、命を棄てた国が、
いまさら成長戦略などと唱えるたびに、祐介の胸には鈍い痛みが走る。
あのバブルは、俺たちが起こしたんじゃない。
起こさせられて、捨てられたんだ。