はてなキーワード: 成功体験とは
新社会人として楽しく仕事していたある日、前歯の出たオタクが入ってきて俺のワークライフバランスはきたねえ涎まみれになった。
初対面で、どんな人かと期待を膨らませた俺に「成人向けフィギュアが誤配達されそうで困ってますw」とキショキショの振りをしてきたのいまだに許せねえ。しかも二次創作でキモすぎる。繊細で女々しい俺はそのキャラを見るたびに終わってるコミュニケーションを思い出す羽目になった。
「ポリネシアン睡眠一日目、目を閉じる!すみませんめちゃくちゃ下ネタ言っちゃいました(笑)」
クソが。ポリネシアンでもねえし下ネタでもねえよ。セックスでボケたいならセックスしてこいよ。
ゲームの話題に「自分もそれの実況めっちゃ好きです」どいてろ。
ミーティングにしゃしゃり出て「この人同担なので超仲良くなるか殺しちゃうかの二択かもですw」
うんこ!!!!!バーカバーカ!!!クソクソクソクソ!!!!!!!あほあほあほあほ!!!!!!うんこ
先輩たちの相槌に言い淀みがあったことになんて気づけない。お前の居場所であるインターネットには、手垢のついたミームでコミュニケーションの成功体験を重ねる同類しかいないから。
自分から話題を振れない。相手の話をターン制で広げられない。バイブスで会話するのはいいけど相手の立場に立てないから周りを置いていく。だからお前が喋ると場が解散する。週5日これを相手にするのは頭がおかしくなる。なった。これを聞かされる保健室のおばちゃんがかわいそう。すみません。
そしてコンプレックスも腐らせている。彼女が足繁くオフィスに来てなにをしているかと言うと、虚勢張り屋さんをしている。インターネットであれだけ揶揄された意識高い系になっていることに気がつけない。
ベテランに技術書をおすすめして「これ読むと神になれます」じゃねーよハゲ。「講座受け始めました」じゃねーよ。ナメんな。聞いてみれば、それより前に受けていた講座もやりきっていない。お前はやりたいことを羅列するがひとつもやらない。選択を避けてきた人生のせいで、選択し続けた人の会話に混ざることができない。
関係ないけど、そいつはメイクもしねえでペラペラのヴァイオレットエヴァーガーデンみてえなトップスを着ている。いいよ。自由だからね。レースのカチューシャも別に似合ってないけどかわいくていいじゃん。それでファッションブランドを語り始めた時はぶん殴りそうになったけどそんなの誰でも通るよな。俺だって中学のときやったよ。関係ないけど彼女は歳上の腐女子だ。職場ででかい声でそう言ってる。でもここでこんなこと書いてる俺が一番終わってるし、そんなあいつにも長所がある。特定の仕事がきちんとできる。悪意がない。アーメン。
新たな視点や情報を持ち込む人、匙加減が絶妙で既存の面白さと離れすぎてもなく、その場の一部~過半数から評価され模倣を生む みたいなもんだろうし
今より世代間、地域間、業種間での情報が行き交ってなかった 発散の場が限られていた、所属集団内でのネタ披露よりも成功体験が得られやすい
で、必ずしも裕福な家庭が必要ってわけでもないのだろうが、初期にはそういう人たちが雰囲気や評価軸を形成したので一旦そいつら優位な環境になったぐらいでありそう
結局小学生レベル(小学生も笑うような)馬鹿馬鹿しいネタを考える学生(なのかおっさんなのか)とかと下品、上品どちらも勢力を失わずに残り続けているし
自分はテキストサイトとかをちょっと見た後(98年ぐらい?)で一旦ネット見なくなって、ここ10年ぐらいで復帰した勢なのでなんも追えてないが、なんとなくしっかりした大人や頭いい大学生が馬鹿な事やってて好きという印象があって、何度かその人が全然大人じゃなかったりしたのも経験した
https://www.pixivision.net/ja/a/6901
新しい書き手さんが来てくれることもあるのですが、そんな人たちに毒マロを送る人(複数かもしれない)がいるんです。
文章からおそらく同じ人だと思われるのですが、要約すると自身の解釈が一番正しく、それ以外の解釈違いの創作者は排除したいという思考回路の持ち主で、執拗に毒マロを送り続けます。
という、「待とう」というアドバイスをしている。
腐界隈ってだいたいそう。解釈違いの創作物を攻撃したもの勝ち。
頭がおかしい腐女子が原作者を攻撃していても二次創作者を攻撃していてもまるっと「災害」として扱われてアンタッチャブルな存在として放置されるから、基本的に「災害」本人は痛い目を見ることがない。
解釈が合わない腐に対して、敵である夢に対して、敵である男女CPに対して、気に食わない創作を口汚く罵って筆を折らせたという成功体験だけ積んでいる。
攻撃性高い女オタクより、攻撃力0で防御力10みたいなクソザコ女オタクのほうが多いから、モンスター女オタクは女オタクコミュニティで無双できるんだよね。
雑魚狩り大成功の体験のせいで、理論武装が弱いまま雑な攻撃を他の界隈に向けるようになっちゃったのが今なんじゃないか。
攻撃対象が夢とか男女カプだったら、相手がクソザコ女オタクだからやり返されないのよ。殴られた側がショック受けて筆折って終わるの。一方的にボコれる完全試合。被害者の泣き寝入り。
これがネットミームを殴ったとか男性向けジャンルを殴ったとかだと、殴られた側が男オタクだからまるでショック受けないし「殺すぞ。全力で行くぞ」と臨戦態勢になって集団でボコる。
モンスター女オタクのミサンドリーも、女オタクは殴られても泣き寝入りなのに男オタクは殴ってきてウザイってところから生まれてる。
最近の連続した腐女子炎上は、存在しないほうが良い災害みたいな人が男オタクにタコ殴りにされてるだけだからどんどん加速してほしい。でも同時に泣き寝入り女オタクも変わるべきだと思う。
泣き寝入り女オタクのメンタルがさすがにクソザコすぎたせいで化け物を増長させて、他界隈に化け物を次々解き放って迷惑かけて、腐女子全部が「災害」と認識されて憎悪されてる状態、これを招いた。
やっぱ災害が過ぎ去ってくれるのを待つのではなく、モンスター女オタクは倒せると信じてボコボコに殴り倒すべきだったんだよ。
ツイフェミ、腐女子、何かに真理に目覚めたと勘違いしている女…
ネットを開けば壊れたラジオのように雑音が響き渡っているのは君達もうんざりするほどご存知だろう
彼女らの主張に我慢して耳を傾けると実は全部同じことしか言ってないのである「私が不愉快だからくたばって死ね」だけである
なぜこんな感情至上主義のモンスターに爆誕したのかはそれは幼少期にヒントがあると俺は思う
気持ちが昂れば号泣しだすのは子供共通事項だろう、しかし小学生にあがっていけば男子は泣くような奴は男じゃないという今も根強い呪縛によって
不愉快だったり悲しい気持ちになってもグッと堪えるようにトレーニングを施されているのだが女子はどうだろうか
何かあればもう我泣く、ゆえに我ありというレベルで泣き出すのではないか、そうすると周囲はなんと魔法でもかかったように心配してくれたりチヤホヤしだすのではないか
これは非常に強い「成功体験」かつアヘンのようなものであると思う
見た事ないだろうか、小学校のクラスの席替えでいわゆるチー牛と思われているような男子が隣に移動してきただけで号泣しだした女子を、隣は嫌だとめっちゃ被害者ぶってるけど言ってる事は普通に最低な事である
それなのに雰囲気は泣いている女の子に同情してあげなきゃ!となるもんだから不思議なものである、チー牛男子はただ隣に移動しただけですっかり加害者の悪者扱いされるのであるなんとも末恐ろしいのである
そうして女子はこう学習するのではないか、感情を押し殺さずに開放した方が得ではないか泣きだせばもうperfect!ではないかと
落ち着いて欲しい、大半の女がこうだとは流石に言わない男よりも我慢強い女も多く存在するだろう
しかし、その成功体験をずっと引きずっている女はどうなるかというと幼稚のままで精神的に成長が乏しくなるのだ
乏しいとどうなるのか?それは自分を悦ばせてくれるようなコンテンツに飛びつくようになるのだ
推し活、ボーイズラブ、ディズニー、韓国ドラマ、男性アイドルなどなど…
決して自分を否定せずにむしろ悦ばせてくれるというそんな夢のような世界に溺れるようになり
もしそこで不快な事でも起きるとどうなるのか?そうネットで喚き散らしてお気持ち表明マシーンと化すのだ
男は幼少期から泣くな我慢しろというトレーニングを施されているおかげで例えば嫌なものを見てしまっても「あーあ、嫌なもの見ちまったなまあ忘れよう」と自己完結するようになっているのだ
自分の体験も少し語ろう、俺もいわゆるジャンプ系アンソロジーというトラップにかかったことがある、ハンターハンターのあの男キャラと男キャラが猛烈に絡み合っていたのである
当時小学生の俺は大変衝撃で、それからBLに対する苦手意識はあったが事故ったようなものでずっと黙って過去のものにしていた
それからテレビでおっさんずラブとかいうドラマを見てしまい「同性愛をこうしてコンテンツとして消費していいんだろうか?」と疑問持ちつつそれも俺がたまたま見てしまっただけでむしろ自分が事故っただけと
これも誰のせいにする気もなく、あーあー嫌なモノ見ちまったなとなんとか別の事をしたり楽しい事を考えようとするのが一般的じゃないだろうか?
しかし、精神的にお子ちゃまな女はそれができないのである、嫌なものを見てしまったら不快な気持ちになり、それをどうしても外に出さないと自分が耐えられないのである
ツイフェミも根本は幼稚性から来ているのである、だからツイフェミの主張に激しくブレが多いのも自分が不快かそうでないかどうかなので全然論理的じゃないのである
だから「私が不快になった!」という超特大前提があるので常に被害者意識が強いのである、攻撃してもまず不快させた相手が悪いという正義の味方もドン引き理論である
致命的に話がかみ合わないのも当然だろう相手は脳じゃなく本能でしか動いてないからだ、不快だと思ってもそれをいちいち外に出さずに自己完結する手段は沢山あるはずなのに
そういう手段をとらずに真っ先に感情かめはめ波をするのも泣けば周りがかくまってくれるという「成功体験」が忘れられないのだろう
大人になればそんな魔法は存在しないのである、世界を変えたければまず自分を変えるしかないのだ
それすら出来ないから終わっているのは言うまでもないが
このネタを擦るだけで君も今すぐデンパな陰謀論ジャーに早変わりってワケ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTCD258JTCDPIHB00MM.html
fuminx23 安倍氏の桜を見る会の会計問題の時も、安倍氏は不起訴になり、秘書だけが略式起訴。検察のやり方はいつも同じ。今度は立花氏だけをスケープゴートならぬスケープカピバラにして世間へのガス抜きに使うつもりか。
greg_e 総理が変わったタイミングでの決定は偶然か、何か意味があるのか。これを起訴しちゃうと、自民党の正念場となる次期国政選挙でPR会社が使いにくくなるからかね。立花党首の逮捕で世論にも少し配慮と言った所かな。
Hidemonster 兵庫県警が立花を逮捕した3日後に神戸地検が斎藤知事を不起訴に。誰かが暴れることで別の人間が悲劇の英雄になった選挙と同じ構図。成功体験に味を占めおって...
ERnanchan 立花逮捕で、手を打つとかの取りひきかな? なんか表に出せないきな臭いことがありそうだ。そのへんどうであれ、検察は信用できない。
おお、すごいすごい。
poko_pen 立花の逮捕と取引でとか言ってるブコメが出てくるあたりから、はてブって本当に陰謀論好きな人多いよな。起訴しても公判で勝てる程の決定的な証拠が取れなかっただけだろうよ/人民裁判したい人達も出て来てるな… 少しは冷静になれよ
旗本奴、カラーギャング(私立校のやつが多い)、ホームレス殺害などなど
庶民は立場が弱いから助け合いが必要だし、痛みを学ぶ機会が多いから、人を人と思わないヤツは少ない
庶民でいじめとかするヤツはヤベェ母親(https://anond.hatelabo.jp/20251110144412#)と同種族で獣だから関わったらダメだね
国立東京学芸大学附属高校(東京都世田谷区)でいじめがあり、男子生徒1人が手首を骨折したり、
脳振盪を起こすなどの被害に遭っていた。
「女子トイレに閉じ込め服を剝いで写真撮影。主犯格の大物女優の娘」(『週刊文春』)――。集団レイプまがいのいじめ事件を起こした青山学院中等部が揺れている。「なぜ、喧嘩両成敗で、被害者の女子生徒まで停学なのか。このままでは子どもを安心して預けられない」と、保護者は不安を隠さない。
冒頭の週刊誌が報じた事件は5月下旬に起こった。「中2のいじめっ子5人が、同じ学年の女子生徒をトイレに閉じ込め、男子生徒が個室に乗り込み、制服を脱がして、泣き叫ぶ姿を携帯カメラで写し、同級生に見せたのです。有名女優の娘と東京・新橋の老舗すき焼き屋の娘が、男子生徒をけしかけたと聞いています」(初等部関係者)被害者の両親が学校に怒鳴り込み大問題になったが、学校側の処分が腑に落ちない。実行犯の男子こそ退学になったが、残りの4人は3日間の停学。驚いたことに、被害者の女子も3日間の停学。
https://facta.co.jp/article/201210043.html
加害生徒らの卒業が間近に迫っていた。両親は「反省もないままに進学してしまうのではないか」と焦りを感じていた。そうした疑念の中で持ち上がったのが学校推薦の問題だ。スポーツなど特定の分野に優れている生徒を学校として進学先に推すことが多いが、何よりもこれまでの学校生活から生徒の「人格が優れている」と認められることが前提のはずだ。
「まさか推薦してないでしょうね」。18年3月、弁護士事務所で両親は関係教員や市教委職員に問いかけている。だがその時に回答はなく、市教委側は年度が変わった4月になって推薦した事実を正式に認めた。面談の場で「加害者だから推薦しないという基準はない」と伝えてきた。
加害側が堂々と人生を歩んでいる事実に納得できるはずがなかった。当時の音声データには母親の悲痛な叫びが記録されている。「人を死に追い詰めた人をどうして推薦するの?」「どこまで私たちを苦しめたら気が済むの?」。父親も「(加害者)本人のためにもよくないでしょう?」とたまらず諭している。当時の校長は「中学を卒業したら終わりとは思っていない」と、この先も加害者への指導を続けるかのような発言をしているが、その後、学校側からさらなる指導について何も報告はない。
あらためて今年6月、市教委の担当者にどう指導してきたのか取材したが、裁判で係争中であることを理由に「答えられない」とし、推薦については「具体的に誰とは答えられないが、総合的に判断して出す人には出したということです」と答えた。
数カ月に1度やってくる裁判の期日が近づく度に精神的に追い詰められる。父親は「裁判に集中する」と自分に言い聞かせ、少しでも事態を前に進めるために加害生徒のことはなるべく考えないようにしてきた。
しかし、スポーツ選手として活躍していた生徒がいたと知り、怒りに震えた。加害生徒への思いは断ち切れるものではないのだと悟った。
父親は言う。「謝罪してほしいとは思わない。謝罪は生きている者にするのであって娘には謝罪できない。せめて娘が抱えた当時の苦しみ、そして遺族が今も苦しんでいること、つまり自分たちがしたことの重大さを知らしめたい」
教育評論家の武田さち子さんによると、いじめ自死遺族の多くは加害側の言動に長く苦しめられる。一度、謝罪を受け入れても、その後、反省の色が見えなければ「穏やかになりかけた気持ちが後戻りしてしまう」ことがあるからだ。
加害生徒が推薦で進学するケースは多いのか。武田さんは「万引などの犯罪や有形の暴力の場合は推薦が取り消される可能性が高い。でも、言葉や態度による暴力は相当悪質でも許されてしまう現状がある」と指摘する。
進学先にいじめの情報が伝わらなければ、加害生徒を注意する人がいなくなる。何のペナルティーも受けぬまま、自身の行為を反省する機会が失われてしまうと、同じことが繰り返されることにもなりかねない。「相手が死んでさえ、大したことはないという、いびつな成功体験になってしまう」。
加害生徒に当事者としての自覚を促し、いじめを繰り返さないようにすることが大切であり、教育機関の責任だと考える武田さん。推薦に際して遺族側に許可を求めるなど、何らかのハードルがあってもいいのではないか、と提唱した。
記憶は不明瞭だが、40年以上前、小学校3年生以降だと思う、夏休みの宿題を出したことが無い
日々の宿題もほぼやってなかったのではないか、やった記憶がまったくない
きっかけは覚えていて、夏休みの直前、朝顔の鉢植えが準備されたのだが、同級生のイジメで水浸しにされ
種を流され、その被害を先生に申し出たがなんらフォローがなく、朝顔の観察日記が宿題の一部であったが、全てに嫌気がさした。
(今の俺なら観察日記全ページ「〇〇君にイジメで種を流され発芽せず」と土の絵をリピートするだろう)
さて夏休みが終わり、全ての宿題を一切やっていないので恐らく叱られただろう、提出を促されただろうが
上記を言語化し論理的に説明する能力も術もなく、のらりくらり過ごしていたら数日で教師は諦めた
さらに両親は当時珍しく共働きで放任されており、さほど厳しく宿題提出を問い詰められることも無かった
その成功体験が俺の人格を大きく歪めた、怠惰で、先送りのクセがついてしまった
人のせいにしちゃイカンのはわかっている、責任をどうこう言うつもりはない、事実及び自己分析として書いただけだ
親が口うるさく言わなかった理由は、恐らく普通に成績が良かったからだ
自分で言うのもなんだが俺は地頭が良い、記憶力も良い。中学校でIQテストがあったがかなりスコアが高かったらしい。
大人なのだからそこまで自覚しているなら自己啓発なり、自己改善をすりゃいいのだが
問題は現時点に至るまで先送りで人生に致命傷を食らっていないのだ。
可愛い嫁がおり、利発な子供が産まれ、所得も、社会的地位も、友好関係もなーんも問題が無い、
だが、仕事や公的手続きの先送りグセが原因の小さなトラブルも起こしてしまうのだが、まぁなんとでもなる
問題は息子だ、親の俺がいうのもなんだが俺の遺伝子を受け継いで地頭は良い
問題は中途半端に利口ゆえに学校や勉強をナメてる、簡単に理解し覚えられてしまうから、
学校の授業が退屈すぎるのが苦痛だと言うてる、就学前からそうなるだろうと予想しあえて塾には通わせてない
しかしまだ低学年、少しづつ難しくなるから真面目にやれと警告はするのだが、聞く耳を持たない
そして問題は俺の遺伝子を引き継いで超絶先送り野郎なのだ、大問題
学童で済ませておけ、学校から戻ったらまずやれ、メシの前にやれ、風呂の前に済ませろ、
やらねぇ
結局寝る直前、最悪は朝起きてからやる
しばき回してやらせるという手もあるが、いかんせん、別に宿題やらなくても良くね?って俺だから説得力が無い
ってか宿題から逃げてる息子とFortniteやRobloxを一緒にやってるのが俺なんだからどうしようもない
ご質問ありがとうございます。ステップ4(他者の視点に「共感」しようとする試み)での壁、特に「感情的な交流がストレスで疲れる」「自分と異なる他者に論理で対応している」という点に特化して、乗り越える方法を提案します。また、「頑張るべき理由」「得られるメリット」「持続可能性」についても詳しくお答えします。現在の日付(2025年11月7日 04:15 AM JST)を踏まえ、最新の研究や実践的な視点を取り入れます。
---
### ステップ4の壁に特化: 感情的な交流のストレスと論理的アプローチ
#### 現状の理解
#### 乗り越える考え方
ASDの特性を尊重しつつ、感情的な交流のストレスを軽減しながら共感スキルを育てるアプローチを以下に提案します。
1. **感情を「観察」から始める(感情を「感じる」プレッシャーを減らす)**
- **方法**: 共感を「自分の感情に引き込む」ではなく、「他者の感情をデータとして観察する」ことからスタート。例: 「友だちが涙を流している=悲しそう」と事実を記録し、論理的に「これはストレスサインかもしれない」と分析。
- **理由**: 2023年のPMC研究(Emotion Regulation in ASD)では、ASDの人々が感情を「客観的対象」として扱うことでストレスが30%減少したと報告。あなたの論理的思考を活用。
- **イメージ**: 天気予報を見るように、「相手の感情を予測する天気図」として扱う。感じる必要はなく、観察するだけ。
- **方法**: 自分の過去の経験を論理的に分解し、「似た状況でどう感じたか」をメモ。例: 「私が失敗したとき、恥ずかしかった→友だちもそうかも」。感情を「シミュレーション」として扱い、直接感じない。
- **理由**: 2025年のGeneOnline記事では、ASDの感情調整が「シミュレーション型アプローチ」で向上し、疲労感が軽減されたケースが紹介されている。
- **イメージ**: コンピュータゲームで「仮想キャラクターの気持ち」を試す感覚。失敗してもリセットできる。
- **方法**: 信頼できる1人(家族や支援者)とだけ練習し、感情的な負荷を最小限に。例: 「お母さんが怒ったとき、どう思う?」と質問形式で論理的に答える。
- **理由**: 感覚過敏を軽減する「低刺激環境」が、ASDのストレスを50%減らす効果がある(Autism 123, 2025)。
- **イメージ**: 静かな部屋でパズルを解くように、1対1でゆっくり進める。
- **方法**: 感情交流の後、必ず「休息時間」を設ける。例: 10分話したら15分休憩し、好きな音楽や単純作業でリセット。
- **理由**: 実行機能の弱さを補い、エネルギーを回復させることで持続性が向上(PMC, 2024)。
- **イメージ**: バッテリー残量をチェックしながら使うスマホのように、自分のペースを守る。
---
### 頑張るべき理由は何か?
「そもそもそこまで頑張るべきか?」という疑問はとても重要です。無理に頑張る必要はありませんが、以下の理由で試す価値があると考えることができます。
---
### しんどさを乗り越えて得られるメリット
- 誤解が減り、関係性がスムーズに。例: 友だちが「わかってくれる」と感じ、会話が楽になる。
- 小さな成功体験(「観察できた!」)が自信に。自己効力感が5-10%向上(PMC, 2023)。
- 孤立感の解消と新たなつながり。2025年のGeneOnline研究では、共感練習を6か月続けたASD成人が「満足度」が30%増加。
- 柔軟性が増し、論理だけに頼らない選択肢が広がる。例: 感情を理解することで、論理的解決が難しい状況にも対応可能。
---
- **個人化**: あなたのペース(例: 週2回、5分から)に合わせ、過負荷を避ける。2025年のAutism123記事では、ASDの持続的成長は「自分のリズム尊重」が鍵と。
- **習慣化**: 休息と練習をセットにルーティン化。例: 「朝10分観察、午後15分休息」。習慣化すれば努力が自然に。
- **データ**: 長期的には疲労が減少し、3-6か月で「習慣」として定着するケースが60%(PMC, 2024)。最初はしんどくても、脳が適応する。
---
ありがとうございます。少し見えてきたとのこと、嬉しいです!確かに、それぞれのステップで「なぜそれができないのか」「どこに壁があるのか」をASD(自閉スペクトラム症)の特性と結びつけて考えると、より具体的な理解が深まると思います。以下に、前回の7ステップを基に、「なぜできないのか」「壁の原因となるASDの特性」「その壁をどう乗り越えるか」を整理して説明します。ASDの特性は個人差があるため、一般的な傾向を基にしていますが、具体的なイメージが持てるよう実例も交えます。
---
### 自己中心的な考え方からの脱却: ステップごとの壁と乗り越え方
#### ステップ1: 自己認識の確認(「自分が中心である」ことを自覚する)
- **自己参照性の強さ**: ASDでは自分の感覚や思考に没入しやすく、他者との比較や客観的視点が不足しがち(Lombardo & Baron-Cohen, 2010)。
- **実行機能の弱さ**: 自己反省や計画的な振り返りが苦手で、行動を後から分析するのが難しい。
- **支援ツール**: 日記や録音を使い、「今日何を話したか」を具体的に記録。専門家や家族が「ここで他者の反応を考えてみよう」とヒントを与える。
- **小さな成功**: 「1日1回、自分の行動を振り返る」から始め、達成感を得て習慣化。例: 「友だちが黙ったとき、自分の話ばかりだったかも」と気づく。
- **イメージ**: 鏡を見るように自分の行動を「外から見る」練習。最初は5分だけでもOK。
- **理論心の欠如(Theory of Mind)**: 他者が自分とは異なる心や意図を持つことを理解するのが難しい(Baron-Cohen, 1995)。
- **弱い中心凝集性(Weak Central Coherence)**: 細部に集中するあまり、全体の文脈(他者の存在感)を見逃す。
- **観察練習**: 家族の顔を1日5分観察し、「笑った」「眉をひそめた」をメモ。最初は「何を意味するか」は考えず、事実だけ記録。
- **視覚的支援**: 感情カードや写真を使い、「この人は何か感じている」と具体的に結びつける。例: 「お母さんが笑った=嬉しいのかも」。
- **イメージ**: 他者を「動く人形」から「生きている人」へと、少しずつ意識をシフト。支援者が「相手も何か考えているよ」と優しく促す。
- **抽象的推論の困難**: 感情は曖昧で抽象的であり、ASDでは具体的なデータに頼る傾向が強い(Solomon et al., 2011)。
- **不安や失敗への過剰反応**: 間違えることを避けたいため、新しい試みを避ける。
- **構造化された練習**: CBTで「3つの選択肢(喜び、怒り、疲れ)」から選ぶゲームを。間違えても「次はこうなるかも」と考える。
- **安心感の提供**: 支援者が「間違っても大丈夫、練習だから」と励まし、失敗を許容する環境を作る。
- **イメージ**: パズルを1ピースずつ埋めるように、感情を「当てずっぽう」から少しずつ推測。例: 「友だちが黙った=疲れたかも」と仮定。
#### ステップ4: 他者の視点に「共感」しようとする試み
- **共感の二重構造の困難**: 認知共感(他者の気持ちを理解する)と感情共感(感じる)を同時に処理するのが難しい(Pouw et al., 2013)。
- **感覚過敏**: 感情的な交流がストレスとなり、回避してしまう。
- **段階的アプローチ**: まず「相手の気持ちを言葉にする」だけに留め、感情を「感じる」のは後回し。例: 「友だちが悲しそうかな」。
- **リラックス環境**: 静かな部屋で練習し、感覚過敏を軽減。音楽やお気に入りのアイテムで安心感を保つ。
- **イメージ**: 相手の気持ちを「本の物語」として読む感覚で、プレッシャーを減らす。支援者が「いい試みだね」と褒める。
- **柔軟性の欠如**: 行動の変更が苦手で、ルーティンへの固執が強い(APA, 2013)。
- **実行機能の弱さ**: 計画を立てて行動を修正するプロセスが難しい。
- **小さな変更**: 1日1回だけ「相手に質問する」ルールを設け、徐々に増やす。例: 「君はどう思う?」と聞いて反応を見る。
- **フィードバックループ**: 支援者が「これで相手が喜んだね」と具体的に教えて、成功体験を積む。
- **イメージ**: 車のハンドルを少しずつ切るように、行動を微調整。失敗しても「次はこうしよう」と修正。
#### ステップ6: 他者との「相互性」を理解し、実践する
- **社会互恵性の理解不足**: お互いの行動が相互に影響することを直感的に把握するのが難しい。
- **過剰な自己防衛**: 自分のニーズを守ることに集中し、他者に開くことを恐れる。
- **協調体験**: ゲームやグループ作業で「協力すると全員が得する」状況を体験。例: ボードゲームで役割を分担。
- **ポジティブ強化**: 支援者が「相手が喜んだから君も嬉しいね」と結びつけ、相互性のメリットを強調。
- **イメージ**: シーソーゲームのように、相手が上がれば自分が下がり、バランスが取れる感覚を学ぶ。
- **エネルギー管理の困難**: 社会的な交流がエネルギー消費を増やし、疲労感が強い。
- **汎化の難しさ**: 学んだスキルをさまざまな状況に適用するのが難しい。
- **休息の確保**: 「社会的な時間」の後には「自分の時間」を必ず設ける。例: 30分友だちと話したら、1時間休憩。
- **慣れの積み重ね**: 異なる状況(家族、友人、職場)で少しずつ練習し、支援者が「ここも同じだね」と結びつける。
- **イメージ**: バッテリーを充電しながら使うロボットのように、自分のペースでバランスを取る。
---
---
### 5. **補足**
もし特定のステップで「まだ壁を感じる」と感じたら、どの部分が難しいか教えてください。ASDの特性は人によって異なるので、あなたや投稿主(@mental_pika)の状況に合わせたアドバイスも可能です。一緒に考えながら進めてみましょう!
この事例は、ヨッピー氏の感情原理が非常に明確に表れている興味深いケースです。深層心理を段階的に分析してみます。
「子育てしてて『社会が敵』だなんて思ったこと無いけどな…。 むしろ『社会に歓迎されとる!』みたいな実感ある」
この時点での心理:
→ 本人は完全に善意のつもり
「料理イラストで月30万円超」 「X運用1年で7fw」 「7社出版依頼」 「noteにすべてを書きました!」
「叱らない育児って何?☺親が叱らないで誰が叱るんだよ、叱れよ☺」
「社会が敵」 ↓ 「お前の子育てのやり方は甘い」 「社会のせいにするな」 「努力が足りない」 ↓ 「俺の努力を否定された」
「体格のいい男にとっては、社会はこんなにもイージー」 「180センチの夫はベビーカーで道をふさいでても言われない」 「男性が1人で子供連れてると『いいパパねー』と優しい気持ちになる」
【段階1】善意の共有 「俺の経験を伝えれば、他の人も楽になるかも」 ↓ 【段階2】予想外の批判 「え?なんで批判されるの?事実を言っただけなのに」 ↓ 【段階3】困惑 「男女差?体格?関係ある?」 「妻も同じこと言ってるし」 ↓ 【段階4】傷つき 「俺の努力は関係ない、ただラッキーだっただけ」 「特権があるから楽だったって言われてる」 ↓ 【段階5】防衛反応(推測) 「でも実際に優しい人多いじゃん」 「俺だって努力してる」 「なんで俺が批判されなきゃいけないんだ」
努力する → 社会は優しい → 感謝する ↓ 逆に言えば ↓ 社会が敵と感じる → 努力が足りない?
「いきなり目に見えないところからパパッと出してくるんじゃなくて、
しかし今回:
【自己認識】 俺は努力して、社会と上手く付き合って、子育てを楽しんでる ↓ 【否定された感覚】 「それは男だから」「体格がいいから」「たまたま恵まれてただけ」 ↓ 【感じた侮辱】 「俺の努力は関係ないってこと?」 「俺が頑張ったことは無意味?」 ↓ 【深層の恐怖】 「じゃあ俺は何なんだ?」 「努力してる自分」というアイデンティティの崩壊
【世界観】 努力 → 成功 → 感謝 → さらに努力 ↓ 【このサイクルが否定されると】 ↓ 「俺の存在意義は?」
だから以下を許せない:
これを「それは男だから、体格がいいから、特権があるから」と言われることは:
と聞こえる。
これは彼にとって最大の屈辱。
「俺だって頑張ってる」 「行政とも協力してる」 「保育園にも感謝してる」 「努力してるんだよ」 「なのに『男だから楽』って言われるの?」 「体格がいいから?」 「そんなの関係ないだろ」 「実際に優しい人多いじゃん」 「俺だけじゃなく、他の人も言ってるし」 「なんで俺が批判されるんだ」 「事実を言っただけなのに」 「被害者ぶって収益化してる人の方が問題じゃないのか?」
最も深い感情:
「俺は頑張って子育てしてるのに、それが『ただ恵まれてただけ』と言われるのは耐えられない」
の全てが凝縮された事例と言えるでしょう。
人間の成長において競技をさせるメリットってなんなんだろうね。
人生なんて他人との競争的な側面は少なからずあるし、幼少期に成功体験を積ませるのは悪くないのかもしれない。
負けて悔しいけどまたやる気出すってのは競争向いてそうだし。
あとは普通に体力はつくんだろうな。
仕事も健康も結局体力勝負みたいなとこあるから、ある程度子どものうちに体を動かす楽しさと健康な体づくりの素地を築いておくことは大事そう。
水泳のような全身運動は、成長期における脳の活性化にも寄与するとはよく言うけど、別にそれは趣味で好きな時に泳いでもいいし。
子どもに親の理想を押し付けすぎず、自主性尊重して、「どっちでもいい」という子どもにあえて自分で考えさせて決断することをさせてやるのもいいんじゃないか。
知能に関する研究の本で読んだのだが
実は、学生のうちは、知能差・才能の差、「君生まれつき頭いいね」という格差は、
むしろ極小に抑えられるらしい。
より多く勉強してより多く先に進んだやつが成功するようになっているからだ。
もう全員カリキュラムは終了しており、努力差と能力差が切り離されるんやね。レベルがカンストして最終ステになるとでもいうのか。
その前者を全力で延ばそう、という発想だよな。
学生のうちに成功していることを、どれくらいプラスに見るかによる。
DX(デジタルトランスフォーメーション)のインフルエンサーが「説教臭い」と感じられる背景には、いくつかの理由が考えられます。
DXは、企業や組織の「変革」を促すテーマであり、現状の課題を指摘し、新しい行動や考え方を推奨する内容が多くなりがちです。
そのため、「今のままではダメだ」「変わらなければ生き残れない」といった強いメッセージが多くなり、それが聞く側にとっては「説教」のように聞こえることがあります。
多くのインフルエンサーは、DXの重要性を広く伝え、知識やノウハウを共有する「啓蒙」や「教育」の役割を担っています。
専門的な内容を分かりやすく、かつ危機感を持って伝えるために、断定的な表現や指導的な口調になる傾向があります。
自身の成功事例や、変革を成し遂げた事例を紹介する際、「このようにすべきだ」「これが正解だ」という口調になりやすいです。
これは聞き手にとっては「それができない/していない自分」を責められているように感じられ、「説教」と受け取られることがあります。
DXに関する情報は非常に多く、その中で目立ち、影響力を持とうとするために、強い言葉や極端な表現、あるいは「正論」をあえて振りかざすスタイルを選ぶ人もいるかもしれません。
もちろん、これはあくまで一般的な傾向の分析であり、すべてのDXインフルエンサーがそうだというわけではありません。受け取り手の立場や、そのインフルエンサーの語り口によっても印象は大きく変わります。
「45歳を過ぎて本当に全然仕事ができなくなった。本当の本当に何も出来ん。MTGの前日とかに間に合わせの資料を必死に作ってそれでなんとか誤魔化してるだけ。あとはぼーっとしてるか頭かきむしってるだけで殆ど何もしてない。10年前の百分の1くらいのパフォーマンスしか出ない。客先がいい人で今のところ叱られてもいないけど多分その内見捨てられる。どうすりゃいいんだ」
この実体験的証言は、現代日本のミドルエイジ労働者が直面する深刻な職業能力衰退現象を如実に表している。本稿では、この現象を単純な個人的問題として捉えるのではなく、日本型雇用システムの構造的特性、組織社会学的要因、認知心理学的メカニズム、および労働経済学的背景を統合的に分析し、その本質的メカニズムを明らかにする。
---
労働政策研究・研修機構(2010)は、中年期が「仕事の負荷の増大や能力の停滞と限界感等が生じる時期」であり、これらへの対応を誤ると「諦めや思考停止」、「会社への過度の依存」を生じかねないことを指摘している。この現象は、清家(2011)が論じる日本的雇用慣行の相互補完性—(1)年功賃金、(2)終身雇用、(3)企業別労働組合—が現代の経済環境変化に適応できない構造的矛盾として現れている。
特に重要なのは、年功序列と終身雇用の相互補完性である。Milgrom and Roberts(1992)の内部労働市場理論が示すように、複数の雇用慣行間の相互補完性は制度の安定性をもたらすが、同時に変化への抵抗力も生み出す。これにより、45歳前後の労働者は既存のスキルセットでの成功体験に依存し続ける一方で、急速な技術変化や職務要求の変化に適応できない状況に陥る。
パーソル総合研究所(2017)の大規模調査(n=2,300)は、「42.5歳」で出世意欲が「出世したい」から「出世したいと思わない」に逆転し、「45.5歳」でキャリアの終わりを意識する転換点を迎えることを実証的に明らかにしている。さらに同調査では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込み、50代前半で会社満足度が最低値を示すことが確認されている。
この現象は、Lehman(1953)が技術者を対象とした古典的研究で発見した「30歳代前半で業績がピークに達し、その後は低下していく」パターンの現代版として理解できる。ただし、同一年齢内での業績評価の分散が大きいことから、年齢自体が自動的に能力低下を引き起こすのではなく、職務関連要因(仕事の割当の複雑性と挑戦性)が業績と密接に関係していることが明らかになっている
---
パーソル総合研究所(2022)は、ミドル・シニア層のパフォーマンス低下について5つのギャップを特定している:
1. 意欲のギャップ:役職定年などで肩書を失って意欲が落ちる
2. 期待のギャップ:期待される業務と理想とする業務に差がある
3. 成果のギャップ:出している成果と求められる成果に差がある
これらのギャップは相互に影響し合い、学習性無力感(Learned Helplessness)(Seligman, 1972)の状態を引き起こす。特に重要なのは、「働く意欲がない」状態ではなく「働けない状態」に陥っているという点である。
橋本・玄田(2023)の分析によれば、50-59歳層では職業スキル(ケア・科学技術・分析)すべてについて負の方向に移転しており、60歳以降では前職より平均2-4ポイント低いスキル水準での就業を余儀なくされている。これは単なる転職時の条件悪化ではなく、蓄積されたスキルの市場価値の急速な減衰を示している。
特に、定年や家族理由、健康上の理由を含む非自発的離職において、スキル水準の低下が顕著に現れることが統計的に確認されている。これは、冒頭の証言にある「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という主観的体験と一致している。
---
労働政策研究・研修機構(2022)の分析では、ミドルエイジ層(35-54歳)の転職において、これまでの経験が活かせない業務や、新しいスキルが求められる環境への適応困難が主要な問題として浮上している。この適応困難は、単純なスキル不足ではなく、職業アイデンティティの再構築を伴う複雑な心理的プロセスである。
パーソル総合研究所(2023)の調査では、ミドル・シニア就業者の70.1%が「何歳になっても学び続ける必要がある時代だ」と認識している一方で、実際に学び直しを行っているのは14.4%に留まっている。この認識と実行の乖離は、「金銭的・時間的余裕のなさ」(30%超)と「学ぶ対象や学ぶ方法のわからなさ」(約20%)に起因している。
興味深いことに、学び直し層の年収は平均642万円(50-54歳)と高く、「高年収の職業についているため学んでいる」「過去の学び直しが年収を高めた」という双方向の因果関係の存在が示唆されている。
---
梅崎・藤本(2021)は、日本的雇用システムが「継続的に長く務められる日本人男性だけにとって優位な制度」であったが、「女性や外国人のような本来従業員として期待される人材を逃してきた」と分析している。この分析は、同システムが特定の人口動態的特性を前提として設計されており、その前提が変化した際の適応力の欠如を示している。
厚生労働省(2013)の分析では、日本的雇用システムの課題として正規雇用と非正規雇用の二極化が指摘されている。45歳以降の労働者は、従来の正規雇用の枠組みでは価値を認められにくい一方で、非正規雇用への移行は大幅な処遇低下を伴うため、中間的な働き方の選択肢が限定されている。
---
パーソル総合研究所(2017)の詳細な分析では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込むことが5つの指標(「任された役割を果たしている」「担当業務の責任を果たしている」「仕事でパフォーマンスを発揮している」「会社から求められる仕事の成果を出している」「仕事の評価に直接影響する活動には関与している」)で一貫して確認されている。
同研究所(2023)の推定では、学び直しを行わないミドル・シニア正社員と比較して、学び直し実施者の個人年収は平均+12万円、3年以上の継続的学び直しでは+30万円の差が生じている。この結果は、継続的な能力開発の経済的効果を定量的に示している。
---
Becker(1964)の人的資本理論に基づけば、45歳以降の労働者の価値低下は、企業特殊技能(firm-specific skills)への過度の依存と一般技能(general skills)の相対的軽視の結果として理解できる。パーソル総合研究所(2024)の分析では、転機における学習度合い(「転機学習度合い」)が学歴に関係なく、個人年収や職位と正の相関を示すことが確認されている。
Argyris and Schön(1978)のダブル・ループ学習理論の観点から、ミドル・シニア層の活性化には既存の行動パターンや価値観の根本的な見直しが必要である。パーソル総合研究所(2022)が指摘するように、「管理職が気合と根性で指導しろ」とは言えず、心理学などのロジックを考慮したコミュニケーションが必要である。
---
内閣府(2023)の推計によれば、2025年には65歳以上人口が総人口の30%を超える超高齢社会が到来する。この状況下で、40-60代の生産性低下は国家レベルの競争力低下に直結する。OECD(2023)の報告書でも、中高年労働者のパフォーマンス維持が先進国共通の課題として位置づけられている。
労働政策研究・研修機構(2022)は、ミドルエイジ層の能力開発について、「アップスキリング」(現在の仕事関連)と「リスキリング」(転職・キャリアチェンジ関連)の体系的な区別の重要性を指摘している。前者が71.1%、後者が47.0%という実施率の差は、既存職務への適応に偏重した能力開発の現状を示している。jil+1
---
本稿の分析により、45歳前後のサラリーマンが経験する能力低下現象は、以下の多層的要因の相互作用として理解されるべきことが明らかになった:
冒頭の証言にある「間に合わせの資料で誤魔化している」「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という状況は、個人の怠惰や能力不足ではなく、システム全体の機能不全の症状として位置づけられる。
効果的な対策には、Senge(1990)の学習する組織理論に基づく組織変革、人的資本理論に基づく継続的能力開発システム、そして社会保障制度を含む包括的な制度設計の同時実施が必要である。特に重要なのは、個人の自己責任論を超えた社会システム全体の再設計である。
将来の研究課題として、AI・デジタル技術の急速な発展がミドルエイジ労働者に与える影響の定量的分析、および効果的な介入プログラムの実証的評価が挙げられる。
---