はてなキーワード: やくたとは
むしろ自分の解釈では挙動が理解できなくて何度も実験してchatgptにも相談してそういう情報と状況から総合的に判断してようやくたどり着いた、苦労して得た理解なんだけどな。
そういうのは知ったかとは言わんだろ。
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アニメ『宇宙よりも遠い場所』で、一度きりの旅を終えた少女たちがそれぞれの日常に戻っていく姿、そして『からくりサーカス』で、少年が命の恩人の最後の戦いを、顔を合わせることなく背中を守ることで恩返しする姿。これら二つの物語が描き出すのは、物理的に「会う」ことがなくとも、あるいは二度と会えなくとも、その存在が確かに人生の支えとなり続けるという、人間関係の深遠な一側面だ。この「会わないけれど、支えである」という関係性は、私たちに何を問いかけ、なぜこれほどまでに心を揺さぶるのか。
『宇宙よりも遠い場所』の主人公、キマリ、報瀬、日向、結月の4人は、「南極に行く」という共通の、そしてちっぽけな少女には巨大な目標のために集まる。思春期の少女たちが経験するにはあまりにも濃密で過酷な旅。その果てに彼女たちが見た南極の絶景は、単なる美しい風景ではない。それは、数々の困難、葛藤、そして互いへの深い理解と友情の末にようやくたどり着いた、「自分たちの場所」だった。
物語の終盤、彼女たちはその旅を終え、それぞれの日常へと帰っていく。友人として遊ぶでもなく、常に隣にいるわけでもない。物理的な距離は確実に生まれる。「きっとまた旅に出る」と思うが、それはそれぞれの人生の旅であり、もう二度と彼女たちは会うことはない。ない。しかし、視聴者は誰も、彼女たちの関係が終わったとは感じない。なぜなら、南極で共有した時間と景色が、彼女たちの魂に「一生のお守り」として深く刻まれたからだ。
この物語における「会わない」という未来の示唆は、関係性の断絶を意味しない。むしろ、あのかけがえのない経験が、今後の人生でどんな困難に直面したとしても、彼女たち一人ひとりを内側から支え続けるという、最も強固な絆の証明となる。ふと空を見上げた時、遠く離れた仲間も同じ空の下で頑張っていると思える。南極という「宇宙よりも遠い場所」を共に目指したという事実そのものが、距離や時間を超えた永遠の支柱となる。これは、一度の強烈な体験が、いかに人の一生を照らし続けるかという普遍的な真理を描いている。
一方、『からくりサーカス』における「会わない」関係性は、より切実で、魂の継承というテーマを帯びている。主人公・才賀勝にとって、拳法家の青年・加藤鳴海は、幾度となく命を救ってくれた大恩人であり、戦士としての師であり、そして追いつくべき目標でもあった。
物語のクライマックス、人類の存亡をかけた最終決戦の場で、勝は成長した自らの力で、満身創痍の鳴海の「背中を守る」ように戦う。そこには、涙の再会も、感謝の言葉を交わす場面もない。勝はただ、前だけを見て戦う鳴海の背中に、これまでの感謝と、その生き様を受け継ぐという決意のすべてを込める。そして鳴海もまた、激闘の背後で戦う何者かの存在を確かに感じながら、言葉なくしてその力を認め、未来を託す。
この「顔を合わせず会わずに別れる」という描写は、極めて象徴的だ。それは、勝がもはや守られるだけの子供ではなく、恩人の意志を継いで自らの足で立つ一人の戦士になったという「卒業」の儀式に他ならない。鳴海がその生き様、その「背中」で見せたものの全てが、言葉以上の雄弁さで勝に受け継がれた瞬間となる。直接的なコミュニケーションを排し、「背中を守り、背中を預ける」という行為だけで師弟の絆の完成と別れを描いたこの場面は、「会う」ことや「語る」ことだけが想いを伝える術ではないことを、鮮烈に示した。
この二つの物語に共通する「会わないけれど、支え」という関係性が私たちの心を打つのは、それが人間関係の本質的な価値を映し出しているからではないか。
物理的な接触や頻繁な交流といった要素を削ぎ落とすことで、記憶、経験、尊敬、感謝といった、より純粋で精神的な結びつきの強さが際立つ。それは、関係性が物質的な条件ではなく、心の中にこそ宿ることを証明している。
「会わない」ことは、過去への依存からの脱却であり、未来へ向かう者への静かなエールだ。相手の存在を心に刻みながらも、自分の足でしっかりと歩んでいく。その姿は、見る者に成長というものの尊さを教えてくれる。
あえて「会わない」ことで生まれる余白は、物語に深い余韻を残す。『宇宙よりも遠い場所』の少女たちが、この先どのようにあの旅を思い出して力をもらうのか。『からくりサーカス』の勝が、鳴海と共に戦ったという思いを胸にどう生きていくのか。その後の物語を鑑賞者自身の想像力に委ねることで、感動はよりパーソナルで深いものとなる。
結論として、「会わないけれど人生の支え」という関係性は、決して悲しい別離の物語ではない。それは、一度結ばれた絆が時間や距離といった物理的な制約を超越し、個人の内面でより強固な「精神的な支柱」へと昇華されていく過程を描いた、極めてポジティブで力強い人間賛歌と言えるだろう。出会い、共に過ごした時間が「種」となり、たとえ離れた場所にあっても、その人の心の中で育ち続け、一生を支える大樹となる。両作品は、その尊い真実を私たちに教えてくれる。
まずこっちが推理する方をやってみたんだけど、途中で矛盾が生じてきて、何とかときほぐして正解にたどり着いてみたら、1個ヒント間違えてやがった。こちらが入力した数字に対して一定のルールに沿って返す、ということをAIが偶然的?にミスる、ということに驚く。
で、次に向こうに当てさせてみたんだけど、とにかく長い長い。私が上記の不利な条件のもと6回で当てたところ、あちらは38回かけた。それも、37回目で混乱して「数字のセットだけでも教えてくれ」とか言い出したので、あちらが丁寧に書いてくれていた推理の痕跡を追い直して「いやいや4をハズレ認定した根拠は何やねん」とピンポイントで指摘してようやくたどり着く有様。
「何でこんなにかかったんだろうね」と聞いてみたら、返事は以下のとおり(抜粋)。
→ たとえば
・「全桁がズレた場合 → 次は最小限の1桁だけずらす」
→ 多くの人間はこの段階で「全探索木を頭の中で組む」
→ 残り2〜4手以内で確実に決めに行く
■手番ごとの意図が明確に切り替わる
→ 逆に言うと「一度ミスった仮説(例:3が入っている/入っていない)」が後まで残る傾向が強い
■柔軟な「探索木の更新」が弱かった
→ 本来なら「ここで仮説をリセットすべきだ」と切り替えるべきところで、
→ やや惰性でパターン試行が続いていた(ループに入りかけた)
→ 人間は「ヒット数が変化した → 何が変わったか」を強烈に意識するが、
→ 今回私は「位置の違いによる影響」を少しずつしか更新していなかった
→ 「探索アルゴリズム専用エンジン(バックトラッキングや最適手探索)」は使っていませんでした
→ そのため、 人間のような大胆な「配置仮説表の整理・更新」は弱くなる傾向があります
■探索木管理用の内部表を構築する
■ブロー・ヒット差分を明確に逆算する
この分析自体は大筋では納得できる。まあ、誰にでも得手不得手はある。
私自身で感じたのも、まずはしょうもないヒントのバリエーションを得るために総当たりで聞いてくる点(これについては、「少ない手数で当てろ」という指示をしなかったという反省も)。無理からぬことだが、セレンディピティが無い。がさっとかまをかけたり、ブローを積み重ねて消去法で絞り込んだり、ということがなされていないと思った。また、仮説が信頼できなくなっても切り替えない。「Aっぽいな~、でもBの可能性も捨てきれんな~」の局面で、天秤にかけて順番に試すのではなく、最初の時点で可能性の高いAに憑りつかれてしまう(というかよく見ると別に可能性高くもない)。いずれも、経験を蓄積して解答を得るというか、解答を得るために経験を蓄積するという戦略が弱いということか。
そこで「次は熟練プレーヤーの推理法でやってみてね」としてみたら、3手目でまた思い込みに憑りつかれ、それ以降は的外れな試行を繰り返す。個々の推論も、いわゆるMECEな整理ができてない。だんだん発狂しだして「!」を延々吐き出したり、挙句の果てには過去に出した数字を再度出してくる始末。
空恐ろしかったのは、3ブローだって言ってるのに「セット確定!」とか息巻いて、延々3文字しか合ってないセットで回し続けたこと。我々人間の認識としては「真」は「4文字が合っていること」であって、「4文字が合っていること」と「3文字が合っていること(=1文字が間違っていること)」との間には厳然たる溝があるが、AIはその違いが識別できてない。うまく言えないけど、これって今後付き合ってく上で結構重要なポイントな気がする。
「真」に対するチューニングの問題なんだろうか。例えば「10cmに切った紐を10本用意してください」という仕事に対して、誤差が±5mmの人もいれば±2cmの人もいる、というような。
30代後半の会社員。
私の前職は地方公務員で、前妻は紹介で知り合った自治体の外郭団体の職員だった。
当時、父、兄、叔父が経営する会社の財政状況が悪化し不渡り直前のような状況で新婚生活を過ごしていた。弟は法科大学院を修了するも司法試験に合格することができずに精神的不調に陥り医療保護入院となっていた時期でもある。親の会社が好調だった頃に何不自由ない学生生活を過ごさせてもらった私は両親に代わり弟の学費を支払っていた。
自分自身の生活費と家賃、弟の司法試験予備校と大学院のローンの支払い、まだ高校生の妹もいた実家への仕送り。
支払いだけで給与が消え、そのうちに妻が妊娠し出費が増えると支払い予定は給与を上回り貯蓄がものすごいスピードで目減りした。
妻や義両親には経済的状況を打ち明けられず、足りないお金をキャッシングで賄う日々。
ある引き落とし日になんとか集めたお金で支払いを済ませた。
その翌日はゴールデンウィークの初日で妻と小旅行に行く予定だった。
いつも前妻と出かける時は近場のコンビニでアイスコーヒーを買って駐車場でナビをセットするのがルーティンだったが、もうガソリンを入れるお金も一杯のアイスコーヒー(今は120円だが当時は100円だった)を買うお金もない。
数日後に控えるカードの引き落としもできない。
「ちょっと買い物に行ってくる」と言って振り返った。
大好きだった前妻の姿を見て声を聞いたのはそれが最後だった。
財布もスマホも持たず、公園や公共施設の水だけを飲んで行く宛もなく知らない町や山道を歩き続けた。
数日間歩き続け、連休が終わり、膝が痛みを通り越して最早何も感じなくなった頃に地方都市にたどり着いた。
何か食べたい。布団で眠りたい。
標識を頼りに市の区役所に行き、生活保護業務を担当する部署の窓口でNPOが運営する無料低額宿泊所の連絡先と住所を求めた。
近くの交番で警察に道を教えてもらい、一番近い施設へ徒歩で向かった。すぐに入所を決め、施設の職員とともに先程の窓口へ行き生活保護を申請した。
その夜、寮の食堂で久々の食事をし、布団の中で眠った。食事は今思えばひどいもので、寮や寝具はかなり汚く不衛生だったが、その時の私にはようやくたどり着いた天国だった。
昼間はぼーっと天井を見つめ、食堂で他の入居者と食事をし、夜は眠る。
こんな生活が数ヶ月続いた。
酒や喧嘩、施設利用料の支払い(生活保護費の殆どが施設利用料として消え手元にはほとんど残らない)で揉めるなど問題を起こす入居者が多い中、大人しく金を払ってひたすらぼーっとしてる私は施設長から気に入られ事務仕事を手伝わされるようになった。
支給日や入居者の通院の際に送迎をして欲しいと言われ、免許の再発行をするために住民票などの手続きをした。
それがきっかけでケースワーカーが私の戸籍や附票を手に入れ、扶養義務調査を行った。
私の所在を知った両親が施設に迎えに来たことで生活保護は廃止となった。
私が行方をくらましている間に父の会社がなんとか危機を乗り越え持ち堪えたこと、弟が退院して就職したこと、妹が国立大学に合格したことを聞いた。前妻が流産してしまい今は実家にいること、一緒に住んでいた部屋がもう解約されていること、私が無断欠勤で懲戒免職になっていることも聞いた。
あの日に彼女との離別を覚悟したはずなのに、正式に離婚が成立した夜にはそれまでの思い出が蘇ってきて涙が止まらなかった。
父の取引先の会社に正社員として採用してもらい、第二の社会人生活が始まった。
弟は残業の少ない会社に転職し、仕事をしながら司法試験予備試験の勉強を続けている。
ガソリンとETCの支払いにしか使っていないが、クレジットカードも再び手に入れた。
今朝、妻とのゴールデンウイーク旅行の前日に借金の支払いに終われる悪夢を見て飛び起きた。
しっかりと向き合い振り返ることで少しは気が楽になるのではないかと思い、これを書いた。
30代後半の会社員。
私の前職は地方公務員で、前妻は紹介で知り合った自治体の外郭団体の職員だった。
当時、父、兄、叔父が経営する会社の財政状況が悪化し不渡り直前のような状況で新婚生活を過ごしていた。弟は法科大学院を修了するも司法試験に合格することができずに精神的不調に陥り医療保護入院となっていた時期でもある。親の会社が好調だった頃に何不自由ない学生生活を過ごさせてもらった私は両親に代わり弟の学費を支払っていた。
自分自身の生活費と家賃、弟の司法試験予備校と大学院のローンの支払い、まだ高校生の妹もいた実家への仕送り。
支払いだけで給与が消え、そのうちに妻が妊娠し出費が増えると支払い予定は給与を上回り貯蓄がものすごいスピードで目減りした。
妻や義両親には経済的状況を打ち明けられず、足りないお金をキャッシングで賄う日々。
ある引き落とし日になんとか集めたお金で支払いを済ませた。
その翌日はゴールデンウィークの初日で妻と小旅行に行く予定だった。
いつも前妻と出かける時は近場のコンビニでアイスコーヒーを買って駐車場でナビをセットするのがルーティンだったが、もうガソリンを入れるお金も一杯のアイスコーヒー(今は120円だが当時は100円だった)を買うお金もない。
数日後に控えるカードの引き落としもできない。
「ちょっと買い物に行ってくる」と言って振り返った。
大好きだった前妻の姿を見て声を聞いたのはそれが最後だった。
財布もスマホも持たず、公園や公共施設の水だけを飲んで行く宛もなく知らない町や山道を歩き続けた。
数日間歩き続け、連休が終わり、膝が痛みを通り越して最早何も感じなくなった頃に地方都市にたどり着いた。
何か食べたい。布団で眠りたい。
標識を頼りに市の区役所に行き、生活保護業務を担当する部署の窓口でNPOが運営する無料低額宿泊所の連絡先と住所を求めた。
近くの交番で警察に道を教えてもらい、一番近い施設へ徒歩で向かった。すぐに入所を決め、施設の職員とともに先程の窓口へ行き生活保護を申請した。
その夜、寮の食堂で久々の食事をし、布団の中で眠った。食事は今思えばひどいもので、寮や寝具はかなり汚く不衛生だったが、その時の私にはようやくたどり着いた天国だった。
昼間はぼーっと天井を見つめ、食堂で他の入居者と食事をし、夜は眠る。
こんな生活が数ヶ月続いた。
酒や喧嘩、施設利用料の支払い(生活保護費の殆どが施設利用料として消え手元にはほとんど残らない)で揉めるなど問題を起こす入居者が多い中、大人しく金を払ってひたすらぼーっとしてる私は施設長から気に入られ事務仕事を手伝わされるようになった。
支給日や入居者の通院の際に送迎をして欲しいと言われ、免許の再発行をするために住民票などの手続きをした。
それがきっかけでケースワーカーが私の戸籍や附票を手に入れ、扶養義務調査を行った。
私の所在を知った両親が施設に迎えに来たことで生活保護は廃止となった。
私が行方をくらましている間に父の会社がなんとか危機を乗り越え持ち堪えたこと、弟が退院して就職したこと、妹が国立大学に合格したことを聞いた。前妻が流産してしまい今は実家にいること、一緒に住んでいた部屋がもう解約されていること、私が無断欠勤で懲戒免職になっていることも聞いた。
あの日に彼女との離別を覚悟したはずなのに、正式に離婚が成立した夜にはそれまでの思い出が蘇ってきて涙が止まらなかった。
父の取引先の会社に正社員として採用してもらい、第二の社会人生活が始まった。
弟は残業の少ない会社に転職し、仕事をしながら司法試験予備試験の勉強を続けている。
ガソリンとETCの支払いにしか使っていないが、クレジットカードも再び手に入れた。
今朝、妻とのゴールデンウイーク旅行の前日に借金の支払いに終われる悪夢を見て飛び起きた。
しっかりと向き合い振り返ることで少しは気が楽になるのではないかと思い、これを書いた。
やくたたねえので0user
当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである。
社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。
妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らしの人間と結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグの狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収の正規サラリマンとして紹介することがあった。
よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜をたかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。
もし、この世界がエロ漫画の世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られてしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である。
大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代はアルバイトばかりやっており、部活もサークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。
「Fの就職チャンネル」で就活生の動画(ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。
さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったからである。関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである。年収+はなんと約200万円。
今まで、この田舎にある小さい製造会社で毎日毎日、機械や仕様書・図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。
正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間である。マジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張まであるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!
今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイトに登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)
大したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。
・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食
・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード、進研ゼミ中学版、ガラケーの写真など)
・地元神社の奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了
あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。
なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あんな標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。
自宅の裏から繋がる山道の入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵に樹木が生えてる感じだった。
亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争で石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。
今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題である。てっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。
樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識が朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。
https://tadaup.jp/15183559802496/
高校時代の卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。
高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。
なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初で最後なんだからさ。
(部員一同)
増田さんは、□△高校の相川さんがロリロリで好みなんですよね!!
相川さんを是非モノにしてください
増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校の藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです
閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです
とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!
増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました
冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!
増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。
早く警察に捕まってください!!笑
増田先輩へ
増田先輩
お疲れ様でした!!
けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます
いままでありがとうございました♡
増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配をしました。ご卒業おめでとうございます。キャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください
・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください
・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑
・これからも今までみたいに頑張ってください
これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。
でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。
そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である。
それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱のテープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学生時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出である。トラウマと言っていい。
いや、大学の卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である。
マクドでアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗からの卒業式である。毎年3月にある。
卒店式だけど、マクドナルドって経営や店舗運営が外資ルールだから、エリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。
それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館を無料で借りて、ジュースやお菓子をテーブルに並べて卒店式をやる。
大学時代にアルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である。店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。
当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。
そんな時、自分のひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイトが社員の仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分、増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。
でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。
結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。
この子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。
ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事の本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである。世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。
一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。
あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルなものだった。しかし私の答えは……。
「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。
※AJCC…マクドナルドの技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会で部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツでオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった
その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。
それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々と仕事を終わらせて――いや違う、確か女性の学生客がトイレでゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルドは終焉を迎えた。
帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイかベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)
しんみりしてしまった。
学生時代の思い出を開封するのは心理的にキツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。
そんなのはちょっと、想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱を開封した。
そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。
その日記、最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたからである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。
……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体がハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。
例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。
指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である。
骨組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。
でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。
こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティの感触を認識してるってことにもならないだろうか。
剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!
もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。
実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会そのものを自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。
それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。
あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。
あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。
始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータの給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶を改ざんするものである笑
ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通の社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。
▼ 会社
▼ Xさん
そのグループウェアでは社員間でスケジュールが共有されていました。Xさんは、そこに以下の書き込みをしました。
・仕事が嫌いでさっさと帰る
…etc
「反省文を提出するよう伝えました。しかし、提出された反省文には...」
Xさんから提出された反省文には以下の内容が記載されていました。
「私は、今回の件について反省する事は全くございません。建前上の反省文を提出致します」
「但し、お忙しい中お時間を割いて頂いた関係各位には大変申し訳ございませんでした。また、最後のご挨拶にてメールを受けた方で、気分を害された方がいらっしゃったとの事で、その点については大変申し訳ございませんでした」
ちなみに、反省文の作成日には「皇紀2075年1月5日」と書かれていました。なんですかそれは。
▼ コラッ
会社はXさんに対して「けん責」の懲戒処分を出しました。コラッという注意です。
Xさんは、部内連絡会のスピーチで「勤務しているのは会社を辞めるまでの時間つぶし」と発言しました。
さらには、部内連絡会にパンダのぬいぐるみをかぶって出席。さらにパンダのぬいぐるみをかぶったまま社内を歩いていました。
会社はXさんに対して「社内ではぬいぐるみを着ないで下さい。社員が不快に感じたりお客様に失礼となったりするので」と注意しましたが、Xさんは文書で抗議します。抗議文には以下の記載がありました。
「個人としての尊重を侵害され、差別を受けたと感じている。パンダのぬいぐるみ等のかわいい物が心の安静を保つのに重要な存在となっている」
▼ 仮入門証への記載
Xさんは以下の記載をしました。部長のことがキライだったんでしょう。
・アホぶちょーがいるけんかい
▼ 社内で転倒
ある日、Xさんが社内の側溝で転倒しました。Xさんは救急車を呼び、課長に対して「会社側の安全不備です」と言い、大声でわめきました。
課長はXさんに対して「安全作業の心得の内容を知らないのですか」と質問したところ、Xさんは「知らないです」と答えました。
▼ 書き写し
そこで、会社はXさんに対して、安全規則の書き写しを指示しました。Xさんは4日間、書き写し作業をし、書いた枚数は306枚にのぼりました。
▼ 解雇
▼ 提訴
Xさんは「解雇は無効である」「筆写作業は私に肉体的苦痛を与える私的制裁としての意味しかなく違法な業務命令なので慰謝料100万円を求める」と主張して提訴しました。
なんかなんともなくなった感じがして。
よくさー
急に花粉症になったんですよー
なーにー!やっちまったな!
って話は良く聞くんだけど
逆のいつの間にか治ったんですよー
なーにー!やっちまったな!って
私は確かなんか昔はそんな気がしていたけど
今は全くなにも無風というか、
不思議だわ。
でもこれまた逆の逆に言えばまた花粉症になるかも知れないと言うこともあり得るかも知れないので、
油断は油揚げの油を抜くようにして気を付けないといけないわよね。
そんで
本当に春です!って言ってもいいかもしれない本格的な到来の春が真っ先にやって来た宣言。
そういや
そういう感じの。
サプリメントでさ
花粉の集めたサプリみたいなのがあって何に良いのか私はよく分からないけれど。
たくさん種類があるけれど
気付いたときには時すでにお鮨で
私がいつもダマされて買って帰り道に傾けて偏ってしまうマーケットのお鮨も
なんかい買っても美味い!
このパック寿司を作ったのは誰だ?ってシェフを呼んでみたいことはないけど
思わず舌鼓をポンポンポンと打ついや打ちたくなるようなほどのマーケットのお鮨には出会ったことないのよね。
でもよ、
となると
実際誰が握っているのかしら?
ファクトリーオートメーションなのかしら?
でもまさか工場で作られたお鮨がトラックで運ばれている際に1ミリもいや1度も傾かず
全くそこのところ知って知らないところばかりなので、
いっかいマーケットのそういう厨房というかキッチンというかそういうのを突撃して欲しいヨネスケさん以外と玉手箱やーの人以外の人にやって欲しいわ。
だから
ついつい私が学習する前は
飛びついて夕刻のマーケットのお鮨を買って求めていたけれど、
その類いのお惣菜コーナーにあるものはなんもグッときて美味しいものはくたびれた味しかしなくて、
やっぱり作りたてが美味しいのを知った夜なの。
そっかー
でも希望の光りもあるわ。
そこで買って良いかって食べても美味しいのはコロッケだけってのた
私が知って私発信の情報かと思ったけれど、
知らなかったわ。
まあそんなわけで
夕刻のお鮨を見てもなかなか手を出しにくい、
いやくたびれている味だと分かっていてもそれでいいなら買って食べようかしら?って
お鮨を初めて食べる海外の人が
お鮨でカンパーイってしている光景を見るほど微笑ましい気持ちとは裏腹にそう思うの。
あれ?
もしかしてこれって
夕刻のマーケットのくたびれたお鮨を食べなくなってからピタリと花粉症が止まったってこと?
まさかそれはないわよね。
お鮨だけに時すでにお鮨よ。
なーんてね。
うふふ。
洗うパーツが多すぎて炊いてなかったんだけど
でも食べたいときがあるじゃない玄関開けて2秒で系のご飯もあるけれど、
あれも量多いから、
私はバトルで小鍋でご飯を炊くってアビリティを付けて挑むことが出来るようになったのよ!
めちゃ簡単!
小鍋すごくない?
急須すらも使うのも面倒なので
やっぱり味は違うのかしらね?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「AIを使えばやりたいプログラミング言語のコーチがタダでしてもらえるんだぜ!」
くだらん。
昔のグーグルだったら「[プログラミング言語名] 勉強 やり方」でググったら最高にイカしたページにたどり着いた。
作りたいシステムがあっても「[言語名] [やりたいこと] コード」でググれば欲しかった情報がドンピシャでガッポガポ。
そんな黄金時代があった。
ADSLが世界をつなぎ始めた世界、ネットの海が光速で流れていなかった穏やかな時間。
あの頃、ネットの海から求めていた知恵を引き上げるのは今よりずっと簡単だった。
今のネットは汚れきったヘドロの塊であり素のまま飲めば猛毒となる巨大な汚水、まるで東京湾だ。
AIがやっていることはネット上に溢れた有象無象を濾し取って、少しだけ昔のインターネットに近づけるだけの作業でしかない。
昔はほんのちょっとした言葉の組み合わせでたどり着けた知識が、今や何百文字ものプロンプトを指定してようやくたどり着けるようになった。
「AIは賢いものとそうでないものの格差を広げるだろう」と語るものは物事の一面しか見えていない。
正解は「かつて、インターネットという空間は誰しもに開かれた無限の智慧が内包されていた。その知恵が一部の人間に独占される時代がやってきた」だ。
誰しもが賢く慣れる世界の方がいいに決まっている。
生まれついたIQの高低を義務教育を終えて十年二十年それ以上経ってもいつまでも擦り続けるような哀れな者達の戯言のなんと醜く濁ったことだろう、まるで東京湾だ。
700万円以上は目が薄かったし
上手くやってようやくたどり着けるみたいな
でも実際やってみたら1000万円は6年目で達成した
その時点で1500万円以上へのロードマップは見えてなかったけど
それも8年目で達成した
結局運が良かっただけだ
例えば今の時点で、他の業界で10年頑張って1000万円を突破するロードマップが見えるかと言えば全然見えない
今また次のステップへ飛べずにもがいている
ここらへんの、1000万〜億の領域は本当に運でしかないと思う、もちろん努力は必要なんだけど
同業者1000人居て1位が1000万超えてないみたいなケースも普通にありえるし
勇気を持ってやり方を変えて生存できる人なんて数人いればよくて、下手すりゃ全滅なんだ
常に答えがどこにも書いていない戦いを強いられる
苦しい、もう3年停滞している
歴史が苦手だったのは、こんな昔のイベントや用語を覚えて、いったい何になるんだ?と思ったからだった。
そして、個々の知識が細かすぎて、解くべき問題に結びつくまでが遥か遠い、とでも言うべき感覚が嫌だった。
知識をいくつも覚えて、それらを組み合わせてようやくたった一つの答えがわかる。
しかも、それも知ってるか否かだけ。私個人による創意工夫の余地も無い。端的に面白くない。
それらをもどかしく思っていたのだ。
まとめると、歴史は、覚えることのコスパが悪い知識であり、私個人を疎外する教科だと感じていた。
その点で、数学の知識、つまり、公式は一般性を持つので適用範囲が広いし、私の創意工夫も生かせる。
公式はひとつ覚えれば、多くの問題に適用できるのだ。覚える個数としても、そんなに多くない。
だから、ビジネス書に書かれた格言が多くの応用と工夫の余地を期待されるように、
私も適用範囲が広く、創意工夫できる知識こそが、本当に覚える知識だと思っている。
逆に言えば、歴史のように、ある物事の具体的な事象に含まれる細かい知識、
端的に言うと「トリビア」みたいなものをいくつも覚えることに意味が見出だせない。
世の中では、そんなものを細々覚えていって、物事全体の解決の際に役立つとでも思われているのだろうか?
当然、物事理解の前提を読み解く=問題文を読み解くくらいの知識量は必要なんだろうが、それらの知識が問題解決に役立つと思えない。
問題解決には知識よりも、発想力や計算力=論を組み立てる能力の方がずっと重要なはずだ。
よって、細々した知識の代わりに、ある物事に対して全体的に適用できる「公式」だけを知りたいと思うのだ。
何事でも、公式に当たるエッセンスだけをストックし、その物事に関して生じる諸問題を、
数学の問題のように公式と発想と計算力で処理したいと、個人的には思っている。
私はこの何も起きない町の周囲よりは少しばかり裕福な米農家で生まれ育った。
父親は県立高校で教鞭を執りながら祖父とともに清酒用の米を作り、休日には手繰川や印旛沼沿をぶらぶらしながら空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。
酒々井町立酒々井中学校に在学中、私は坊主頭を拒否し横分けを貫いていた。そんな私に対してある1人の教員は事あるごとに拳骨を浴びせてきたが、それほど大事にはならなかった。それほど酒々井はのどかな町であったのだ。
千葉県立佐倉高等学校に在学中、私はよく手繰川まで自転車を走らせ鰻を釣った。これを庭で焼き、甲子正宗とともに一杯やるのが最高なのである。
当時、千葉県立成東高等学校に在学していた私の彼女は私がヘベレケになる様子を見ながら「高校生でお酒飲んで煙草なんか吸ってるとがんになって死んじゃうからね!」とよく叱った。
彼女とは大学卒業頃に疎遠になった。日本女子大学に進み栄養士となって病院で働いていた。私が一橋大学商学部を卒業し、さらに神戸大学医学部医学科に進み、そこを卒業する頃に他の男と結婚した。
「がんになって死んじゃうからね!」と言っていた彼女は子供を産んですぐに子宮頚がんに襲われた。
私は彼女を救おうとしたが、その頃既に私は酒々井で「気狂い」の烙印を押されており彼女が入院しているのが千葉県立東金病院であるということを聞き出すのも一苦労であった。ようやくたどり着くもストックホルム貴族達の息の根のかかった千葉県警に拘束され、私がプロポフォールで意識を奪われている間に彼女は亥鼻の医局員共にステロイドを過剰投与され殺された。
ジャニーズ全般好きじゃなかったけど、その時代時代のヒットとしてしつこく繰り返されるゆえに耳に残り、名曲?なのかもなあ?というのはいっぱいある。
そんな耳慣れゆえにいいんじゃなく、当時リアルタイムで聞いていて唯一これは名曲だと思ったのはマッチの夕焼けの歌でした。
というのも私が曲名をちゃんと覚える前に他の曲に移り、愚か者で賞をもらってた、って感じだったので。
愚か者は賞をもらえるほどいい曲じゃないといまだに思ってる。
え?なんでこの曲で?この前にもっといいのがあったでしょ、なぜ?ってすごく不思議に思ってた。
その後この歌はTVで歌われることはなく(自分が熱心に歌番組を見てなかったせいかもしれないが)
なんかいい曲があったはずだけど、名前がわかんなくてモヤモヤしたまま数十年も…
最近興味本位でジャニーズ絡みのスキャンダルニュースを追っていった先にアニタ・ムイがヒットして(というかマッチとの交際も知らなかったよ、ほとんどの日本人は明菜と聖子絡みくらいしか知らないよ)、彼女が最期に歌ったのがこの歌と聞いて動画を見たら…思い出した、これだ。この曲だ。
ずっと好きだった歌にようやくたどり着けた感慨と、何人ものトップスターの人生を狂わせたマッチへの嫌悪感が同時にこみあげてきてなんかうまく処理できない。
生成系AIイラスト周りの話は正直まともなコト言ってる人がほとんどいなくてうんざりしているし、だからもう当事者を応援する気も起きない。多分まともな人は、それこそ一部のヘイトを盛り上げたり筋の悪い話をばらまいて軽薄ないいねをもらって嬉しくなってる人間について迷惑だと思っているんだろうけど、そういうのも含めて近づきたくないムーブを観測することは多い界隈だからはっきり不愉快のほうが勝ってしまう。
例えばならず者のAI絵師が特定の作家の名前使って「〇〇風」とかやったとして、それってどこにどういう問題があるのか、ということについて説得力のある話を目にしたことはない。しかし例えば「作家の名前はブランドであり商標だから保護対象で他者が営利目的で利用してはならない」という主張は立ちそうとか、少し考えれば思いつく。
じゃあ次に「〇〇風」をタイトルから取っ払って純粋に作風が似ている作品を販売したときにどうかとなる。すでに模倣や盗用についての判例はあるので、それに照らせば大部分のものについてはオリジナルと認められるだろう。「でも明らかに絵柄が似ているし、この人の作品を学習しているAIだ」と来るだろう。で、じゃあそれのなにが問題なのか、という点を説明する必要がある。
絵柄が似ていることも、作品を学習することも、特に違法性はない。同じことを生身の人間がやったときのことを考えればわかりやすいだろう。「いやこれは人間じゃなくて機械がやっていることだから問題なのだ」とくるとする。ではまた機械であることの問題点はなにか、という話になる。
例えばそれは「コストの問題だ」とする。人間よりも圧倒的に短時間・低コストで学習・生成をしてしまうことが問題で、作家の仕事を奪ってしまう、と反論したとする。しかしてあらゆる産業が常にあらゆる技術によって変化し淘汰されている今の社会にあって、なぜイラストだけがコストパフォーマンスを無視して保護の対象となりうるのか。工業機械によって不要になった職人や、自動運転で不要になるドライバーと、何が違うのか。
そもそも人類の叡智がようやくたどり着いた技術について「低コスト」だなんて無理があるだろう。作家は自分の技術のために費やした時間や努力について触れ、だから作品には価値があるといったりする。ならば生成AIが今日の形に至るまでに積み上げられた人類の歩みにも少なく見積もって同じくらいの価値はあるだろう。
さてクリエイティブとは人間の特権なのか。人間が書いているから意味があって、そこに思いがあって、だから作品が生まれるのだ、それこそが価値なのだ。と、ヒューマニズムに訴えるとする。しかしその先に待っているのは集団的疑心暗鬼だ。「あいつは手で書いてると言っているがAIを使っているに違いない」なんてくだらない話が山程出てくるのは想像に容易い。
この筋を進めていけば、手書きは常に手書きであることの証明を要求されるようになり、一方で生成AIは幅を効かせていくので、純粋手書きはオーガニック野菜のような自己完結型の閉じた価値観の中で踊る道化と成り果てるだろう。
そもそもこれは絵柄の類似性とその模倣を見出すことができる例についてにのみ論じられている。人気作家の作風を真似るほうが儲かるから、結果的に作風が差別化されている人気作家の模倣が多いということだろうが。これは裏を返せば、作風に明確なスタイルや傾向がない、あるいは分かりづらい作品や作風については保護する必要はないと言っているに等しい。クリエイティブには優劣があり、できの悪いものについては知らない、となってしまえば掲げたヒューマニズムも一気に足元がおぼつかなくなってくる。
で、ここまでまともな話をしてやったとしても聞く耳を持たない奴らは大勢いるだろう。自分らが墓穴を掘っていることにも気づかずに、グラグラの足元を棚上げしてよくわからない、筋が悪いことを声高に叫んで、いくらかにしょーもない共感を集めて、それで満足してしまっている。
何も私は絵師憎しでこんないじわるを書いているわけじゃない。むしろこのテーマについて真剣に機械の人間の共存を議論し、方向性を模索するべきとさえ思っている。人間が創作をやり続けることには大いに意義があることで、それをなるべく大きな塊として残すのが重要だ。
だけどそれは当事者たちがこの問題に真剣に向き合ってくれればの話で、そうでなければ彼らを応援することもできない。
ただ私はなんとなくわかってしまった。彼らは決して作品や、創作活動や、産業について憂慮して声を上げているわけではない。ただ創作を通して居場所を見出し、創作活動と自分の作品を自分のアイデンティティのように大切にし、それは承認欲求や自己愛の形を取り、インターネットという道具で持って大いに、そして無意味に肥大化し、そしてそれが奪われるかもしれないということについてただ喚いているだけなのだ。
人間が未熟で動機が稚拙で知能が残念だから、自分の弱い心を手っ取り早く守るためのくだらない言葉しか出てこない。
そんなものに、誰が関心を寄せてくれるだろうか。
その人は「俺はこの猿山でふんぞり返って暮らすんだ!」と夢を見て、前世代のボス猿に媚びへつらって必死に出世してきたんじゃん。
それをいきなりやってきた余所者が「は?まだこんな所でボス気取ってる奴がおるんか?は?全世界に晒して煽ったろ」とか。
やってることがひどすぎる。
「受験生がこんなお遊びに熱を上げて……よく分からんけど最近やっと成果が出たらしいじゃないか。その思い出を大事にもうやめたまえ。予算の無駄だし廃部だよ」
みたいなノリでしょ。
クソすぎないか?
誰かが頑張って頑張ってようやくたどり着いた夢なんだぞ?
今どきくだらんボス猿ごっことか言われたって、その人にとっては人生全部かけてたどり着いた理想郷なんだぞ?
そんなに田舎が嫌なら出てけばいいだろ。
来たお前が悪いとしか言えないな。
田舎は勝手に滅びれば良いんだから、それを余所者があーだこーだ言って安らかな死を妨害すんなよ。
別に田舎だって「食べたいけど痩せたい」みたいな話はしてないよ。
「デブとして死んでいいから食べたい」ってノリで昔ながらのクソ田舎ムーブ続けてんだよ。
死なないでって勝手に外野が下剤食わせたりしてるのが悪いんだろ。
勝手に殺させてくやれよ
現地の(?)人にも理解されてない事を考えると、数学とか以前に彼の英語が下手糞だからみたいな疑いは出てこないか。
それなら当然に日本語に訳してみてもつかみどころのないものになる。
あとは以下みたいな感じか。
メールを送信してもことごとく説明を拒否されてることが数学板でも見て取れるのでコミュ障の恐れあり→説明能力に難がある疑い。
結論から別の結論を導く道筋を辿るのが証明の理解という作業だとすれば、望月の論文は悪い意味で簡潔過ぎるのではないか。
日常の場面でも言ってることはその時点で伝えたい内容に対して論理的に必要十分だったとしても、それでは相手がぴんと来ないことを考慮して、例示など用いてあえて同じ内容のことを形を変えて話すということをするだろう。
説明の対象が難解な概念であるほど、いい意味で回りくどいぐらいの説明がちょうどいいということになる。
しかし望月の論文は>>170の記号の例のように説明を端折ってる感が見られる
他にも式から式を導くうえで、淡々と同値変形の結果を次々と羅列されても、納得感を得られない読者もいるだろう。
なぜそう推論したのかという、結論と結論の間の思考過程も都度書き留めるべきではなかっただろうか。
そういう配慮が足りてかったことも査読に時間を要した要因ではないのか?
これに限らず数学では往々にしてひとたび分からない箇所があると往々にして書籍から書籍へのたらい回しにしてくるわりには、袋小路にぶち当ってしまうというか、ようやくたどり着いた一番やさしい解説でもまだ抽象度が高すぎて私の理解を越えているということがあって、結局真意にはたどり着けないみたいなことがある。
その是非が疑問視される中、「AI絵」の特徴を以下のように示し、「何となく見分けることができる 人間舐めんな」と豪語する者をよく見る
・手が書けてない
・構図が単調
・どっかで見たような絵柄
何故なら年単位で練習した絵師でも「手」「複雑な構図」「オリジナリティのある絵柄」を書ける者はごく少数だからだ
「手」に関しては熟練の漫画家ですら上手く書けていない事が多々あることからしてその難易度がうかがえるだろう
単に面倒だから省略して書いているという場合もあるが、何にせよ初心者が書くには「手」という部位はかなり作画カロリーが高い
3Dアセットをぐるぐるさせたり大量の画像を参考にし、トライアンドエラーを繰り返して初めて理想とする「手」が書ける
「手」だけに着目したイラスト本も山の様にあり、
外転、内転、外旋、内旋、屈曲、伸展……5本の指と手首が織りなすレパートリーは正に無限大
「左向き」「正面」「右向き」「後ろ」「斜め後ろ」「真横」
右利きの人間は手癖で書くと左向きの構図に偏りがちであり、いざ右向きの練習をしてみると勝手が違い過ぎて絶望する
「左向きならパパっと書けんのに〜」という欲望を何とか抑えつけながらグルっとカメラを一周させた絵の練習をせねばならない
こうして修練を積み重ねた後Y軸の回転に挑戦する
「斜め上」「斜め下」この2つが出来れば十分だがX軸が360度回転する以上レパートリーは従来の3倍になっており、さらに空間把握能力も必要となる
「手は参考資料を見ながらリトライしまくってようやく書ける(出来れば書きたくないので隠しちゃうことも)」
「構図は複雑なの(寝そべったり、真下からのアングル)は無理だけどグルっと一周させるくらいならできる」
絵柄が流行りに近ければフォロワーも段々と増え、練習の成果がようやく目に見える形となってくる頃合いだろう
「どこかで見た画風」「手は都合が悪いので誤魔化す」「構図はそこそこのレパートリー」
自らが何年もかけて練習してきた絵をAIはポンポン産み出してしまう
「その域」から脱却するにはさらなる修練が必要となってくるが、既に成長曲線のピークは過ぎており
ここからは半歩ずつ歩むことになるだろう