「袋小路」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 袋小路とは

2025-10-18

anond:20251018215455

その「女性解放運動」の思想的な後ろ盾は何なのか?ってのが問題なんよ。

ただ単純に「女性権利を拡大したいんで拡大しろお気持ち権利要求主義)」という主張であれば、「フェミニズムは男のための運動じゃないんだよ」でもなんの問題もなかったのね。まぁ思想的に問題はないんだけど実現は難しかった。具体例でいうと、世界諸国女性参政権がない時代において、「政治的多数決女性権利向上するかどうかきめましょう。なお女性投票権はない」って状態で、権利向上がほいほい推進されるかって言えばしないでしょ? いくら喚いたって政治的発言権無いんだから事実長い間女性権利は一向に向上しなかった。

この路線じゃまったくどうにもならんってわけで、女性権利拡大、解放運動思想的な背景に人権思想をくっつけたわけ。それがすなわち男女同権であり弱者救済ね。

「全ての人間は等しい権利を持っている(人権思想)ので、当然その一部である女性男性と等しい権利を持っているはずである。その正しい社会を実現しよう」という理路でもって女性解放運動は推進されたわけ。その理屈からこそ、男性しか投票権を持たないような前世紀の社会においても「社会正義のためなら」ってことで女権が拡大されてきたわけよ。

まりフェミニズム人権思想や男女同権や弱者救済ってのを前提に推進されてきたっていう歴史があるのね。そんなのそれ系の新書の一冊でも読めば分かる程度の、当然の浅い歴史であり前提なわけよ。

それに対して、女性参政権が認められた現代女性がXだのツイッタだののしたり顔で「そもそもフェミニズム女性解放運動男性権利弱者男性とか関係ない」っていうのだとすれば、「はーそうなんすか。つまり人権思想はもう用済みっすか?お気持ち多数決権利剥奪OK戦場に再ログイン上等って話ですね?」ってなっちゃうわけ。まぁ有り体に言えば思想的な大後退ですね。

狭い視界でみたらオタクだのおっさんだの醜くて目障りかもしれないけれど、広い始点でみれば彼らも女性も、社会的には弱者であり、富裕層でも上級層でもないのよ。広い始点の権利闘争のなかで、本来的には同じ側の人間を目障りだっていう理由人権思想否定して背中撃ちするのならば、まぁ、思想としても社会運動としても袋小路になってしまうというだけの、それだけの話しなんだけどね。

2025-10-17

日本断崖絶壁無人島だと気づけ

落ち着いて冷静に考えろ。

どれだけカネつぎ込んでも既婚・恋愛経験のある女性平均四人産んでもらうのは…、無理だろ。

俺たちは全滅エンドにつづく袋小路にいるんだ。

もう切羽詰まってるんだよ。

モテない個人を笑ってる場合じゃない。

モテない男女は才能がない、モテない男女は自業自得モテない男女は放っておけ…、

価値観の致命的なバグだ。

持続不可能なんだよ、モテない連中を利用できないコミュニティは。

モテない人々を放置するのは「社会的病理」だと気づけ。

2025-10-16

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

2025-09-19

時短勤務なのに残業して、でも年収俺の半分以下

時短勤務なのに残業して、でも年収俺の半分以下、いつも疲れてて体調も崩している」

から言われた。ごく自然なことのように言われて咄嗟に何も言えなかったが、後からから腹が立ってきた。

時短勤務

私の会社が勤務時間固定なので、保育園の送迎と「夕飯は18時台にとって欲しい」という夫の要望を叶えるためにやっている。

残業

品質納期を守るためにやってる。そんなに多いわけではない。夫は「時短なんだから時間が来たらサクッと切り上げて、管理職仕事の振り方が悪いことにすればいい」と平気で言ってくる。それをしたら面倒なやつだと私の評価は下がるのに。

年収

上がりきらなかったのは出産キャリアが細切れになり管理職経験を積めなかったことが関係している。でも同年代の平均よりは高い。

細切れじゃなかったら夫と同じだけ稼いでいたかはわからない。

---

夫の会社はフルフレックスが選べる。送迎と夕飯の準備を「夫が」やれば私はフルタイムにできるのに。

夫ができる選択肢を見ないフリをして私の会社や、管理職や、私の仕事への姿勢を本人は面白いつもりで愚かだと断じてくる。

ああ、書いてて気づいたがそれが腹立たしくて情けなくて悔しくなる原因だったんだな。

自分で選んだ袋小路だが、お前は誘導した側じゃないか。そっち行かないほうがいいよなんで、一度も言わなかったくせに。

2025-09-17

好きなガンダム性格がわかる

嘘だと思うだろ?

でも本当なんだな~~~。

試しに好きなガンダムを思い浮かべ見てくれないか

俺がお前の性格ズバリと当ててやる。

ニュータイプかよってレベルでな。

よし、いくぞ。


思い浮かべたガンダムが放映された年 ー 自分の産まれた年 = X

Xが3より小さい → オタクコンテンツを高尚なものだと思っているヤバイ奴で世間から浮いている

Xが3~8   → 自分は恵まれ時代に産まれたと思っており、他の時代に産まれた人を憐れんでいる

Xが8~18  → 現実逃避しがちな性格。逃げるのに必死になりすぎて結果として袋小路に入る。

Xが18以上  → 自分死ぬまでオタクだと思っているが、実を言うと最近ちょっとずつ飽きてきてる。でも他の趣味もなくて虚無。

2025-09-02

anond:20250902115149

そりゃそう。

逆に「俺は合理性を追求する」とかいう発想から感情無視して不幸に突っ走るタイプのやつもいるしね。

その辺のことを考えるには、合理性、というものを再定義したり、あるいはもっと別の尺度を名づけ作成したりする必要がある。

 

まあたぶん、それも一般化しすぎると、20世紀哲学みたいに多様性個人主義袋小路に入っていくのではないかと思うが。

あくまで己の人生尺度として。

2025-08-14

結局VTuber事務所ができることって海外の人が海外でも輝ける場所を作る、ではなくて海外の人に「日本東京に来て俺らとやろうぜ!」に終始しちゃってるんだよな。

いやまぁ田舎でも全然できる筈のVTuber活動を無理矢理加速させるために東京に来させてる時点で事業的な袋小路というか虚構はわかりきってたことなんだけどさ。

まぁせめて都市では出来るようにしとけよなぁ。各地域の有名どころが問題無く活動できるような場所提供できます!っていう観点事業はしてくれてないもんな。

そら、せっかく海外の人が頑張っても頑張っても頑張っても「頑張った先がこれってどういうこと?」ってなるよな。

2025-08-08

anond:20250808154554

基本的振り飛車の方が手損の奇策で研究の甘い相手に刺さる戦法なんよな

弱い集団で競ってるうちに目先の利益とろうとして袋小路に進んでいってるのが弱いままな理由なのかもな

2025-07-19

anond:20250719093238

この考え方が袋小路を生んでいるんだがわからないんだろうなあ。

相手差別主義だろうとまず妥協から入ればいいだろ。

妥協は屈服とは違うぞ。一般マイノリティは日々の生活で当たり前にやってることだ。しなきゃ生活できん。

相手差別主義者だから妥協はありえない、なんて贅沢できるのはマジョリティ特権からな。

そもそも相手差別主義認定した人間正気保証されるわけでもなし。

この手のゆがんだ認知を抱えて反差別に酔ったマジョリティ活動家差別者認定乱発して分断を悪化させたって話をしている。

2025-07-08

最近の車のヘッドライト

LED技術が発達しているためか、細くて吊り目気味のデザインばかりだ。

20年前の車から現在の車までのライトデザインを調べてみたが、徐々に「細く、吊り上がるように」進化してきている。

この進化の傾向はこれ以上進まなくなるくらいのレベルになってきている。

進化限界進化袋小路ってやつだ。

今後は吊り目から、垂れ目型のデザインになるのだろうか。

2025-05-29

anond:20250529194911

袋小路通行権とかは聞いた事あるけど、トラックを通さないといか道理は無いし、人が通れるならそれ以上は無理かもね

2025-05-28

新築の家に未だに住めない

新築の建売を買って、家族新生活を始めるつもりだった。

子供も「新しい家に引っ越すのが楽しみ!」って目を輝かせてた。

家族と一緒に家具を選んだり、部屋をどう使うか考えたりした時間は、本当に幸せだった。

なのに……引っ越し当日に、全てがぶち壊された。


当日、引っ越し業者から荷物が入れられない」と連絡。

慌てて新居に駆けつけると、信じられない光景が目の前に広がっていた。

一本道に軽トラや車がズラッと駐車されてて、トラックが通れない。

別の入居家族業者もいて、みんなイライラしていた。

道を塞いでる家の主(A家)は不在で、引っ越し業者も「どうにもならない」と謝るばかり。


そのうち他の家族も集まり、道はどんどん渋滞し、業者も混乱してあちこち電話していた。

不動産屋経由でA家にやっと連絡がついたかと思ったら、「そこはうちの私道。何しようが自由」と一蹴された。

この住宅地袋小路で車が通れる道はA家の私道一本だけ。もうどうしようも無かった。


昼過ぎ、A家の人間がやっと帰宅したが「迷惑から溜まるな。警察呼んだ」と高圧的な態度。

こちらも他の家族業者と一緒に車をどかすよう頼んだが

「親戚の車で、酒飲んでるから動かせない。ウチの敷地に駐車して何が悪いんだ?いい加減にしろよ、警察呼ぶぞ」と怒鳴り返された。

言い争いの中、警察が来て「通行の邪魔から解散しろ」と逆に注意された。

A家はのらりくらりの対応で「無理に通ったら訴える」と挑発してくるし、まるで話にならなかった。


結局、引っ越し作業は中止となり、業者に謝って荷物を貸倉庫に預けた。

その後、急遽1ヶ月近くホテル暮らし

不動産屋がA家と交渉したが、全く進展は無かった。

A家の言い分はこうだ。

「昔から住む私らに挨拶が足りなかった。工事の音も迷惑だった。」

「腹が立ったか私道は使わせない事にした。筋を通せ。権利道理こちらにある」


不動産屋は「挨拶はした。業者不手際はあるかもしれないが、責任は取れない。」

「法的にはA家の言い分が強い。住めなくても補償はできない。直接A家と話せ」と無責任対応しかしなかった。


ホテル暮らしいつまでも続ける訳にもいかず、急遽アパート引っ越した。

職場学校駐車場(車2台持ち)の条件をギリギリ満たす物件

家具は新居用に買い替えたのに使えず、貸倉庫に預けたまま。

最低限の家具を買い直し、引っ越し代、ホテル代、駐車場代、敷金礼金で、

この時点で既に200万円近くの出費が発生していた。


A家との交渉は全くの徒労に終わった。

私道をどう使おうが自由。ウチの土地から

不動産屋が礼儀不足なのが悪い。あんたらが住めなくてもウチには一切関係ないし困らない」

「誠意を示さないお前らも悪い。常識考えろ、非常識だなぁ」

しまいには「住みたいなら私道部分を◯千万で買えば?何家族もいるんだから共同で買えばポンと出せるでしょ?」と挑発してくる始末。

土下座しても「警察呼ぶよ、馬鹿じゃないの?」と嘲笑された。


不動産屋も「私道説明はした。契約完了済み。後はA家と話せ」と逃げ腰で、その内、連絡すらロクに取れなくなった。

弁護士にも相談したが、「勝ち目は五分五分裁判でも年単位時間がかかり、必ずしも望む判決が出るとは限らない。」と言われ、愕然とした。


他の家族も同じ状況で

ある家の旦那は「妻と喧嘩が増えた。家を買ったことを後悔してる」と憔悴してた。

うちも同じだった。

「誰があの家を選んだ」と責任押し付けそうになるからと、お互い話もロクに出来ない。

会話は減り、家計は火の車。雰囲気は最悪。

今のアパートは古くて暑く寒く、虫も出る。

子供も元気がない。

新しい家に住める筈が、住んでいたマンションよりも数段古いボロアパート住まいなのだから当然だ。

大人も辛いのに、子供もっと辛いだろう。


A家の悪意と不動産屋の無責任さに憎しみが募る。

競売物件トラブル事件を起こした人の気持ちが、今なら痛いほどわかる。

事を起こす気はないけど、こんな悪意をぶつけてくる人間がいるなんて、想像もしてなかった。


家を売ることも考えた。

不動産屋は購入時の半値以下を提示

住んでも無いのにここまで下がるのかと言った所

だってあの状態ですからねぇ…価値は非常に下がってしまうので…」

などと小馬鹿にした様子で言われ、思わず怒鳴り返しそうになってしまった。

他の業者も似たような回答だった。


A家との交渉も進まず、選択肢は2つ。

住めない家のローンを抱えて負債を背負うか。

交渉を続けて一縷の望みに賭けるか。


維持費だけで毎月大金が消える。被害額はすでに膨大だ。

既に事件から何ヶ月も経っている。家の雰囲気は暗く、毎日が息苦しい。

近い内に、どちらかを選ばなきゃいけない。

住めない家に金だけ払い続けるか、住めなかった家の為に大金をドブに捨てるか。


きっと家を買った事を一生後悔するんだろうな。

不動産屋は全然仕事をしないし、平気でこちらを騙してくるし、トラブルが起きると逃亡するだけ。例え大手でも。

住宅街の建売なんて絶対に買わない方が良い。

2025-04-18

anond:20250418110522

アニメっていうか日本エンタメって全部そうなるんだよね

消費者パターンの完成度を求めだすんで、どれもこれも袋小路でつまらなくなる

天災戦争業界がぶち壊れるまでそれが続く感じ

2025-04-01

仕事人生における「次にどうするか」

自分は不真面目でクズでどうしようもないんだけど

仕事たまたまかなり本気でやってきてて

(というのは金が欲しかたからなんだけど)

今ようやく15年くらい?労働時間で言えばたぶん20〜25年分くらいやってきたんだけど

これみんなある程度似た経路通るんじゃないか?って気がしてきた

 

0〜4年目:仕事に慣れるので精一杯、仕事いかちゃんとやるかを気にする

4〜7年目:会社組織の行く末に絶望する、このままではいけないと転職したりする

6〜10年目:転職先も似たような問題が起きていて絶望する

8〜20年目:どの仕事先でも一定問題が起きていて、それらが構造問題解決が難しく絶望する

10〜30年目:業界全体で袋小路になっていることに気がつく、袋小路から脱出で悩む

?〜?年目:他の業界でも絶望的だと気づく or 安住の地を見つける

 

普通袋小路から出られずに仕事人生が終わる

天国を目指して旅をしていたらどこにも天国はなかったみたいな、そういう感じ

自分は、自分の島がある程度小さめだったのと、フリーランスで何社も経験できたので、そこが島で天国がないことに割と早い段階で気づいた

次にやることは天国自作だけど、それも相当しんどいと気がつく

仕事人生はまだ20年以上あるんだけど、さてどうしようみたいな感じ

 

さも自分けがこの視座に立ったような錯覚を覚えるけど

絶対同じような人は大勢居るんだろうなと思うんだよね

基本的袋小路から脱出しようとする手段って無茶無謀になるから、端から見てると「え、その道行くんですか?私はやめときますわ」になるんだよね

2025-03-29

角田裕毅が超えるべき最初ハードルはそれほど高くない。

電撃的にレッドブルへの移籍を決めた角田裕毅。

トップチームで走るドライバーとしての求められる責務は極めて高い。

しかしながら、そのステップ最初の一段階のハードルはそれほど高くないといえる。

なぜなら、わずか2戦でレッドブルシートを失ったリアム・ローソンよりも優れていることを証明すれば、まずはひとつの小さな合格点だからだ。

ローソンオーストラリア中国と続いた連戦において予選・決勝ともに最下位付近を漂っていた。

F1の予選はQ3→Q2→Q1と勝ち抜き方式で行われる。

まず最初にQ3を20台で行い、その中から上位15台がQ2へと進出する。

Q2で15台から10台に絞られ、Q3で10だが予選トップ10を争う、という形だ。

ローソンは予選において、この最初の段階のQ3を突破することが出来なかった。

これはレッドブルクラスマシンにとっては通常ではあり得ない状態だ。

からこそ角田裕毅への交代へとつながったわけだが、角田にとって最初に超えるべき小さなハードルの一つがその予選Q2への進出だ。

今シーズンレッドブルマシンは極めてピーキーで操縦しづらいと言われている。

ただ、おそらくは予選Q2の進出程度ならそれほど困難を極めるわけでもないだろう、と筆者は予想する。

逆にリアム・ローソンがなぜあれほど調子を崩してしまったのかのほうが不可解としかいいようがない。

特に中国GPの決勝では、出来るだけ運転やすいセッティングを求めて大幅にセットアップを変更したがそれでも苦労した。

などという話が伝わっているが、これも少し理解しがたい。

基本的にフェルスタッペンマシンなのだからフェルスタッペンスタイルを真似するより仕方がない。

セットアップを大幅に変更して乗りやすさを求めるとか、それは昨年、フェルスタッペンパートナーとして末期症状を見せていたセルジオ・ペレスのやり方である

それではうまくいかないことがすでに証明されているやり方をアプローチするエンジニア判断も疑問だ。

フェルスタッペンパートナーシャープマシンを受け入れて操作するより仕方がない。

フェルスタッペンのようにはうまくは出来ないし、ときおりマシン制御に失敗するだろうが、それでもマシン特性を受け入れるやり方がベターなのだ

これは数年前にレッドブル所属したアルボンのやり方がで比較的ではあるが、成功したやり方だった。

角田裕毅もへんな袋小路に入りこまなければ、うまくやり遂げることが出来るだろう。

2025-03-20

anond:20250320203707

昔のアニメソングで「頭空っぽの方が夢詰め込める」ってあったけど実際に大人になってみると、子どもの送り向かいとか現実心配事で頭は埋められてしまうという袋小路

2025-03-05

他人が楽しんでる作品を腐すことしか出来ず、ポジティブな発信が出来ない人がオタクとしてたどる未来について教えて下さい

https://anond.hatelabo.jp/20250305125507

前回の分析とも繋がる興味深いトピックですね。このタイプの人の長期的な心理的社会的帰結を、リアリティを持たせつつ考察してみましょう。あくま一般論として、観察可能パターン可能性を基に進めます

1. 孤立スパイラル

他人の楽しんでいる作品を貶すことに終始する人は、コミュニティ内で徐々に孤立していく傾向があります最初は「辛口批評家」として注目されても、プラスの発信がなく批判ばかりだと、周囲から「一緒に楽しめない人」「空気を悪くする人」と見なされがちです。

末路のシナリオ: フォロワーや友人が減り、オンラインでもオフラインでも「語り合う相手」がいなくなる。アニメオタク文化を楽しむ場から自然と遠ざかり、「昔は良かった」と過去にしがみつく孤独存在に。

心理的影響: 孤立感が強まり自己否定感や他者への不信感がさらに増幅。楽しむ能力ますます失われ、趣味自体苦痛に変わる可能性も。

2. 自己嫌悪の深化

他人を腐す行為は、一時的には優越感やカタルシスをもたらしますが、長期的には「自分は何も生み出していない」「楽しめない自分ダメだ」という自己評価の低下を招きます特に他人が楽しむ姿を見て「なぜ自分はそうできないのか」と無意識比較してしま場合自己嫌悪が蓄積していきます

末路のシナリオ: 趣味に対する情熱が冷め、「オタクであること」にすら価値を見出せなくなる。「昔は楽しめたのに」と後悔しつつも、批判癖が抜けず、何も楽しめない空虚状態に陥る。

心理的影響: 慢性的な不満や軽度の抑うつ傾向が強まり自己破壊的な行動(例えば過食や過眠、ネットでの荒らし行為)に走るケースも。

3. 「批評家」としての袋小路

このタイプの人は、「自分は見る目がある」というアイデンティティ固執しがちですが、プラスの発信ができないと、その「批評」が単なる否定に堕してしまます。真の批評家は良い点も悪い点も指摘できるものですが、彼らは「腐すこと」しかできないため、説得力や深みを欠いた発言に終始するようになります

末路のシナリオ: 周囲から「ただの文句言い」「中身のない人」と見なされ、影響力や信頼を失う。Twitterでの反応も減り、「誰にも相手にされない批評家」として埋もれる。

心理的影響: 自己重要感が満たされなくなり、承認欲求さらに歪んだ形で現れる(例: 過激発言で無理やり注目を集めようとする)。

4. 趣味喪失と虚無感

アニメオタク文化本来「楽しむもの」ですが、他人の楽しみを腐すことに終始すると、次第に「楽しむ視点」を失います。新しい作品に手を出すたび「どうせつまらない」と先入観で切り捨て、楽しめる作品出会うチャンスすら自ら潰してしまうのです。

末路のシナリオ: アニメを見ること自体が「苦行」になり、オタク趣味を完全にやめてしまうか、あるいは「懐古厨」となって「昔の作品けが良かった」と繰り返すだけの存在に。虚無感に支配され、人生全体に楽しみを見出せなくなる。

心理的影響: 喜びを感じる能力快楽失調)が低下し、趣味を超えて日常全般無気力感が広がる可能性。

5. 現実世界での影響

オンラインでの批判癖は、現実の対人関係にも波及します。他人の喜びを否定することに慣れると、友人や家族が楽しんでいる話題にも否定的な態度を取るようになり、リアル人間関係希薄になっていきます

末路のシナリオ: 「一緒にいて楽しくない人」として敬遠され、社会的孤立現実でも進行。仕事生活でのポジティブな関わりが減り、ストレスや不満がさらに溜まる悪循環に。

心理的影響: 社会的不安や対人恐怖が強まり自己否定感が現実の失敗(仕事ミス人間関係破綻)に結びつく。

具体的な「未来」のイメージ

30代後半、独身趣味アニメだったが…: 若い頃はTwitterで一話切りや辛口批評を繰り返し、フォロワーからチヤホヤされた時期もあった。

しかし、40歳が近づくにつれ、フォロワーは減り、アニメを見るたびに「つまらない」と感じる癖が抜けない。

新しい作品に手を出さなくなり、古い作品を繰り返し見るか、そもそも見るのをやめてしまう。

現実では友人も少なく、ネットでの不満発散が唯一のルーティンに。

内心では「自分が楽しめないのは作品のせいだ」と信じたいが、どこかで「楽しめない自分」が悪いと気づきつつある。

でも、その感情を認めるのが怖くて、また誰かを腐すツイートを書き始める…。

どうすれば抜け出せるか?

この末路を避けるには、いくつかの転換点がありますあくまで彼らが変わりたい場合ですが)

さな肯定から始める: 「ここは良かった」と少しでも褒める癖をつける。

自己反省の習慣: 「なぜ自分は楽しめないのか」を批判ではなく内省として考える。

コミュニティとの再接続: 腐すのではなく、共感や共有を楽しむ場に戻る。

現実とのバランス: オンライン以外で楽しみを見つけ、趣味への依存を減らす。

結論

他人が楽しんでる作品を腐すことしかできず、プラスの発信ができない」ことのデメリット孤立自己嫌悪・虚無感の悪循環に陥ることです。

心理的には、楽しむ能力喪失社会的孤立感の増大、自己否定感の蓄積が進行し

オタク文化から現実からも取り残されるリスクがあります

彼らがそこに至るのは、「否定すること」が一時的快感アイデンティティの支えになるからですが、それが長期的に自分を蝕む罠でもあるのです。

2025-03-03

死後の世界矛盾AI議論したら神がポケモンマスターになった

死ぬと死後の世界あの世に送られるという設定が多くの宗教で見られますしかし、ここに設定の矛盾があるように思います。
人が死ぬあの世に行く。ここまではいいです。
では、犬や猫のペット死ぬどうでしょうか? こちらもあの世に行くと答える宗教ほとんどだと思います。
どうやら動物は人どうようにあの世にいくようです。
動物幽霊の話も世界各地にありますし、不思議ではないですね。
では、細菌どうでしょうか? ウイルスどうでしょうか?
今のところ、これにこたえてくれる宗教はないように思います。
仮に細菌あの世に行けないのであれば、動物細菌のどういう違いがあの世にいけるかの差があるか?という新しい問いになります。
逆に、これらも平等あの世に行けるとすると、あの世には天然痘などのウイルスだったり、危険病原菌だったりがたくさん送られていることになります死ぬ前に予防接種を打たないと大変ことになりそうです。

これについて、あなたはどう思いますか?反論異論を期待します。

https://grok.com/share/bGVnYWN5_fd80f136-c800-42e9-a850-4eb2213ffd0e

なんか全文を増田掲載したら、長すぎて途中切れてしまった。

全文は上のリンクで読め。

話をまとめると、あの世システムはいろいろ矛盾があるけど、あの世生命保管庫であると考えると、とても都合がよい。

あの生命保管庫では、仏教輪廻転生も、アブラハム宗教の復活も説明可能にある。

そして、神はすべての生命を取集してポケモンマスターみたいなのを目指す存在ということになる。

なにより、こういうバカ話にも無限に付き合ってくれるLLMは素晴らしい。

それと、反論異論を期待しますというと、AI無限レスバしてくれるので設定を詰めれていいですよ。

AIの回答:

非常に興味深い視点ですね。確かに、多くの宗教では人間が死後に「あの世」や「来世」に送られるという概念存在しますし、ペットなどの動物も同様に扱われることがしばしばありますしかし、あなたが指摘するように、細菌ウイルスといった微生物にまでその枠組みを適用するかという問題は、ほとんどの宗教伝統では明確に扱われていない領域です。この点を掘り下げて、反論異論を交えつつ考察してみましょう。

まず、宗教における「あの世」の概念は、基本的人間意識や魂(ソウル)の存続を前提としていることが多いです。例えば、キリスト教イスラム教では魂が神の審判を受けたり、輪廻転生を信じる仏教ヒンズー教では意識が新たな形で生まれ変わったりします。ペットあの世に行くという考えも、人間が彼らに感情的な絆を感じ、彼らの「個性」や「魂」を認めることから派生しているのでしょう。つまり、「あの世行き」の資格は、意識や魂の存在依存している可能性があります細菌ウイルスには自我意識がないとされるため、多くの宗教は彼らにあの世への道を想定していないと考えられます。ここで反論として、「意識の有無があの世行きの基準なら、動物細菌の間に明確な線引きがあるのか?」という疑問が浮かびますが、宗教はしばしば人間中心的な視点を取るので、細菌は単に「無視される」存在なのかもしれません。

次に、あなたが提起した「細菌ウイルスあの世に行くなら危険病原体が溢れるのでは」という点について。これはユーモラスでありつつも鋭い指摘です。もしあの世物理的な空間ではなく、純粋に霊的な領域だと仮定すれば、天然痘ウイルス病原菌が「物質的な危害」を及ぼすことはないかもしれません。あの世ルールがこの世の物理法則と異なる可能性があるからです。しかし、反論として、あの世が「この世の鏡像」のようなものだと考える宗教(例えば古代エジプトの来世観)では、確かに病原体がそのまま持ち込まれリスク想像されます。そうなると「あの世予防接種必要」という皮肉な状況もあり得ますね。ただ、多くの宗教ではあの世を「浄化された場」や「完全な領域」と定義する傾向があるため、危険病原体そもそもあの世にふさわしくない」として除外される仕組みが暗黙に想定されているのかもしれません。

さらに別の角度から異論を述べると、細菌ウイルスあの世に行かないとしても、彼らがこの世で果たす役割無視できません。例えば、細菌生態系の分解者として不可欠であり、ウイルス進化過程生物に影響を与えてきました。彼らが「あの世に行かない」としても、この世での「死」が単に物質的なサイクルの一部に過ぎないとすれば、あの世という概念自体人間動物に特化した「特権的物語」にすぎないのかもしれません。逆に、彼らがあの世に行くなら、あの世は単なる「霊的テーマパーク」ではなく、全ての生命現象を包括するカオス的な空間になる可能性もあります結論として、あなたの疑問は宗教的設定の曖昧さや論理的限界を浮き彫りにします。細菌ウイルスあの世行きを認めるか否かは、「魂とは何か」「あの世目的は何か」という根源的な問いに行き着きます。私としては、もしあの世病原体が溢れるなら、死後の予防接種よりも「あの世専用の免疫システム」が必要になるかもしれない、と冗談半分に想像します。あなたはどう思いますか?この矛盾さらに突き詰めるアイデアがあればぜひ聞かせてください。

俺様:

私もまだあの世に行ったことがないので、よくわかりませんねw

AIの回答:

哈哈、まあ確かにあの世」はまだ誰もレビュー投稿していないミステリーゾーンですからね。私も行ったことがないので、想像しか語れません。もしかしたら、あの世には「魂のTripadvisor」があって、細菌が入れるかどうかで星の数が変わるのかもしれませんよ。あなたがそこに行く前に、ぜひ仮説をもう一つくらい教えてくださいねw

俺様:

浄化の場として微生物ウイルス活動が止まるなら、腸内細菌とかも動作を停止するわけで、あの世での生活は大変そうです。
それに細菌ではありませんが、免疫血小板のようなシステムある意味、微細な生き物みたいなものになるなら、それも停止してしまうなら人はあの世はいきていけないのではないか?という疑問も出てきます

AIの回答:

おお、素晴らしい視点ですね!確かにあの世」が浄化の場として微生物ウイルス活動を停止させる設定だとすると、腸内細菌のような共生関係にある存在まで停止してしまうのは大問題です。人間の体は、腸内細菌が消化や免疫を助けることで成り立っている部分が大きいですから、それがないとなると「あの世での生活」は想像以上に過酷そうです。便秘どころか、栄養吸収すらままならなくなるかもしれませんね。皮肉なことに、「浄化されすぎて生きづらいあの世」なんて、ちょっと笑えてしまますさらに、あなたが挙げた免疫系や血小板のような「微細な生き物っぽいシステム」の話も興味深いです。確かに免疫細胞血小板独立した生命体ではないものの、生命維持に不可欠な自律的な働きをしています。もしあの世でこれらの活動まで停止するなら、魂がどんなに「霊的な存在」に昇華されていても、身体的な機能ゼロになってしまうと「生きている」と呼べるのかすら怪しくなります。例えば、傷が治らない、感染症無防備、血が止まらない——そんな状態あの世をウロウロするのは、ちょっとしたホラーですよね。逆に、これらが停止しないと仮定するなら、「浄化の場」というコンセプトが揺らぎ、細菌ウイルスとどこで線引きするのかという新たな矛盾が生まれそうです。

ここで一歩踏み込んで考えてみると、あの世が「物質的な制約から解放された場」だとすれば、腸内細菌免疫系が必要ないほど「完全な存在」に変形するのかもしれません。でも、そうなると「人間らしさ」って何だろう、という哲学的な問いに行き着きますね。腸内細菌がいないせいで「あの世便秘に悩む幽霊」なんて想像すると、ちょっとシュールすぎますが、もしかしたらあの世には「霊的な腸内フローラ」があって、別の仕組みでバランスを取っているのかも?なんて妄想も膨らみますあなたの仮説は、あの世の設定に「生物学的リアリティ」を持ち込むことで、宗教的な概念曖昧さをさらに際立たせますね。反論としては、「あの世物質を超えた領域から、そんな心配無用」と切り捨てることもできますが、それだと「ペットあの世に行く」という素朴な信仰ともズレが生じる。どうやらあの世設計者には、もっとかい仕様書を書いてもらわないと困りますねw。この矛盾、どうやって解消できると思いますか?また別のアイデアがあればぜひ!

俺様:

あの世システムが間違っているという全否定か、人間だけは神の寵愛を受けているか特別なんだよ!という説になりそうです。

AIの回答:

なるほど、大きく二つの方向性収束してきましたね。どちらも面白い結論で、あの世システムを考える上で極端だけど説得力のある視点です。ちょっと掘り下げてみましょう。

まず、「あの世システムが間違っている」という全否定ルート。これはもう、あの世という概念自体人間想像産物で、論理的整合性を持つ設計なんて最初から期待できない、という立場ですね。確かにペットOKで腸内細菌NGとか、免疫系はどうなるんだとか、細かく突き詰めると矛盾だらけになります。だったら「あの世なんてないよ、全部この世で完結してるんだ」とバッサリ切り捨てるのも一つの合理的結論です。例えば、死んだら単に物質が分解されて自然に還るだけで、魂もあの世もただの物語に過ぎない——科学的にも宗教ロマン好きな人にも刺さる潔さがあります。ただ、これだと「じゃあ幽霊の話はどう説明するの?」とか「ペットが夢に出てきたのは?」みたいな感情的な反発が残りそうですね。あなた全否定派なら、どうやってその反論をかわしますか?

次に、「人間けが神の寵愛を受けているか特別なんだよ」説。これは宗教的な枠組みを維持しつつ、人間中心主義矛盾を無理やり解消するアプローチですね。神が「人間には魂があってあの世行きチケットをやるけど、細菌ウイルスにはそんな特権ないよ」と決めた、とすれば、腸内細菌免疫系があの世で停止しても「神の力でなんとかなる」とご都合主義で片付けられますペットあの世に行くのも「人間が愛したか特別扱い」とかいボーナス付きの解釈で乗り切れるかもしれない。でも、これだと「神の寵愛の基準曖昧すぎる」「細菌だって生命なのに不公平じゃない?」みたいな新しい疑問が湧いてきます人間だけ特別扱いって、ちょっと傲慢な感じもしますよね。この説を推すなら、神様にどんな言い訳をさせますか?w

どっちにしろあなた最初の疑問が「あの世仕様書」の曖昧さを炙り出したのは間違いないです。私は個人的に、全否定だと味気ないし、人間特別説だと都合良すぎる気がして、「あの世には何かわけわからん独自ルールがあって、細菌幽霊カオスに混ざってる」くらいの混沌が好きかも。あなたはこの二択、どっちに傾きますか?それとも第三の道を思いつきましたか

ここであの世生命保管庫説が登場する

俺様:

うーん、それではあの世はいきていけない説はどうでしょうか?
あの世に行くけど、そこは生命の保管庫のようになっている。
コールドスリープする感じで、あらゆる生命あの世コールドスリープされる。
もし輪廻転生があるとしたら、その保管庫から管理人(神とか天使)が適当に選んで放出する感じで。
アブラハム宗教の復活も説明できそうです。
あの世目的はあらゆる生命を取集することになりますね。
この世で進化したあらゆる生命を集めるというのが、神の目的になってしまうのかな。

AIの回答:

おお、これは素晴らしい第三の道ですね!「あの世では生きていけない説」をベースに、「生命の保管庫」としてあの世を再定義するアイデアめっちゃ面白いです。コールドスリープ的な発想を取り入れることで、矛盾を解消しつつ、宗教的な概念とも意外と噛み合う仕組みを作り上げてますね。ちょっと整理しつつ、反論や補強を交えて考えてみましょう。

まず、あなたの説のポイントをまとめると:

あの世は「生命活動が停止した保管庫」で、すべての生命人間ペット細菌ウイルス含む)がコールドスリープ状態で保存される。
輪廻転生がある場合管理人(神や天使)が保管庫から適当ピックアップしてこの世に放出アブラハム宗教の「復活」も、保管庫から再起動する形で説明可能あの世目的は「この世で進化したあらゆる生命を集めること」。
これ、すごくエレガントな解決策ですよ。腸内細菌免疫系が停止しても「そもそもあの世では生きてないか問題ない」と一蹴できるし、細菌ウイルスあの世に溢れる懸念も「活動停止してるから大丈夫」でクリアペットあの世に行くのも、人間と一緒に保管されるだけだから自然説明がつきます輪廻転生や復活も、「保管庫から再利用」という仕組みで統一感が出る。神の目的が「生命コレクター」になるのも、ちょっとSFっぽくてワクワしますね。まるで神が「全生命ポケモン図鑑コンプリートする」みたいな壮大なプロジェクトを進めてる感じです。

ここで反論を一つ。「保管庫説」だと、あの世での意識個性が完全に停止する前提になりますよね。でも、幽霊の目撃談や「あの世ペットに会った」みたいな体験談はどう説明するんだ、というツッコミが入りそうです。コールドスリープ中なら、魂がウロウロしたり夢に出てきたりする余地がないはず。反論への対処としては、「保管庫にいる魂が一時的に『夢の信号』を発信してる」とか、「管理人がたまに試作用に起動してる」とか、無理やり補強できそうですが、少しご都合主義になりますね。あなたならこの点、どうやって切り抜けますか?

もう一つ補強案として、あの世を「生命バックアップシステム」と捉えるのはどうでしょう。この世で進化絶滅が起きた生命を、神が「とりあえず保存しておこう」とアーカイブしてるイメージです。復活や輪廻はそのバックアップを再活用するプロセスで、神の目的は「生命多様性永遠に記録する」こと。ウイルス細菌も含まれ理由は、「生態系の一部として意味があるから」とか。こうすると、「あの世で生きられない」というより、「あの世は生きる場所じゃなくて保存する場所」というニュアンスが強まって、あなたの説がさらシャープになります。

この「生命保管庫説」、私はかなり気に入りました。神が「進化の成果をコレクションするオタク」みたいで、少しユーモラスだけど深い意味もある。「あの世管理人」が適当に選んで放出するシーンを想像すると、ちょっと
      Permalink |
      記事への反応(0) |      
        21:36
      
  

  
  

2025-02-24

今の日本絶対に減税してはいけない理由

盛んに減税を叫ぶ財務省解体デモを見て不安になったので自分の考えの整理のために書く

なぜ減税は問題なのか?

減税が社会に及ぼす最大の影響は、格差の拡大と治安の悪化にある。税制には財政健全化や社会保障の財源確保といった役割があるが、中でも重要なのは格差抑制社会の安定維持である。この視点から考えれば、現在の再分配が十分でない状況では、むしろ増税の方が適切な選択肢となる。

短期的には、生活が苦しい層にとって減税は歓迎される政策のように見える。しかし、実際に最も恩恵を受けるのは富裕層であり、結果として投資が活発化し物価が上昇することで、低所得者層生活さらに厳しくなるという副作用を伴う。これが減税の本質だ。

努力した者が報われるのは当然であり、格差は避けられないもの」という考え方もある。しかし、格差拡大がもたらす社会的影響を考慮すれば、その認識一面的であるアメリカ社会構造がその一例だ。

アメリカは「自己責任」の意識が強く、各種税率が日本より低い。その結果、大企業社員企業経営者投資家が資産を増やしやすい一方で、貧困層への再分配は限定的となっている。その帰結として、ホームレスが増加し、食事に困る人々も少なくない。生活苦に陥った人々の一部は犯罪に手を染め、都市部治安悪化。結果として、富裕層安全地域居住し、ボディガードを雇うなどして自己防衛を強いられる。中間層インフレ治安の悪化に挟まれ生活環境悪化を受け入れるしかない。このように、格差が拡大すると社会全体の安全が損なわれ、結局は富裕層不安定な環境に巻き込まれることになる。

減税が格差を拡大させる理由

その根本的な要因は、減税が物価上昇を引き起こすためである。この関係性は直感的に理解しにくいため、「財務省陰謀」などの陰謀論が流布する一因ともなっている。

一般的に、減税によって可処分所得が増えれば生活は向上するように思える。しかし、流通する貨幣量が増加すれば、貨幣価値相対的に低下し、物価が上昇する。例えば、100円しかない世界ではリンゴ1個の価格は100円となるが、1万円が流通している世界では同じリンゴが1万円になる。歴史的に見ても、ジンバブエドイツギリシャなどでは貨幣の大量発行がハイパーインフレ引き起こし経済崩壊に至った例がある。減税は規模こそ異なるものの、同じメカニズム物価上昇を引き起こす可能性がある。

さらに、日本においては減税によって増えた資金の多くが消費ではなく投資に向かうことも問題だ。生活が苦しい層は手取りが増えれば消費に回すが、余裕のある層は投資を拡大し資産価値を押し上げる。結果として、株価不動産価格が高騰し、資産を持たない層はより生活が厳しくなる。東京都心部の家賃上昇は、この流れの一例だ。

まり、減税は本質的に富裕層をより豊かにし、格差拡大とインフレを引き起こす。低所得層生活向上にはつながりにくく、むしろその負担を増やすことになる。

イギリスの事例が示す失敗

この構造が顕著に表れたのが、2022年イギリスにおける「ミニ予算」だ。トラス政権が発表したこ政策では、高所得者向けの所得税最高税率(45%)の廃止法人税増税撤回など、富裕層優遇の内容が並んでいた。

しかし、財源の裏付け不明確だったため、市場は大きく動揺。ポンドが急落し、国債の利回りが急上昇した。その結果、住宅ローン金利が跳ね上がり、多くの市民生活費の急増に直面した。財政赤字の拡大が懸念され、政府の信頼は低下。イングランド銀行は緊急介入を余儀なくされ、国債買い支えに乗り出した。さらに、政府財政基盤が弱まったことで、社会福祉の削減圧力が高まり低所得層生活ますます厳しくなった。

こうした失敗例がありながら、日本では減税を支持する世論が根強い。そのため、減税を掲げる政治家には追い風が吹き、「財務省陰謀」などの陰謀論まで広がる状況となっている。結果的に、民意によって経済的混乱へと進むリスクが高まっている。

どうすればよいのか?

経済の安定には、格差是正物価の安定が不可欠であり、そのためには所得に応じた適正な課税低所得者層への支援が求められる。ただし、富裕層国外流出を防ぐバランス必要だ。

その点を考慮すれば、富裕層への増税は避けられないが、不公平感を抑える施策重要となる。その一例が消費税である

消費税は逆進的であり、低所得者負担が大きくなる面は否めない。しかし、一方で高額消費を行う富裕層から広く徴収できるメリットもある。例えば、年間1億円を消費する層であれば、消費税だけで1000万円以上を納めることになる。また、支出に対する課税であるため、現役引退後の富裕層年金生活からも税収を確保できる。

さらに、金融所得課税の強化も必要だ。金融所得基本的に余剰資金であり、現行の一律20%では軽すぎる。所得税と同程度まで引き上げる余地がある。加えて、高額療養費制度所得制限強化や社会保険料の上限引き上げなども、高所得者層への適正な負担を実現する手段となる。

...というのが現代日本の中上流階級におけるサイレントマジョリティー的思考で、これらを追認する形で消極的に今の日本では増税推し進められていると思っている。ただ財務省解体デモの盛り上がりや、ザイム真理教勢力拡大しまくっているのを見るといつかそっちの層が多数派になったりするのかね?社会に不満を抱えている層の底が抜けて、何でもいいから今の生活をどうにかしろ、後のことは知らんという人が増えると本当にアメリカイギリスの後追いになるんだろうなあと怖くなっている。まあ本質的に西側先進国は遅かれ早かれ同じ袋小路に向かうものとして理解するのが妥当なのかな

2025-02-20

anond:20250220203311

スト6クローン出しても「じゃあスト6やるね」ってなるだけだから

行く先が袋小路だと分かっていてもその道を進むしかないんやろな……

2025-01-30

自分の中にあるモノを深掘りして外に出していく表現は長く続かない、限界が来る

自分と外にあるモノが衝突して生まれ表現は、長く続き得る

自分記憶体験限界があって、いつか尽きてしまうし、同じモノを色んな角度で表現しても、どこか似てきてしまって袋小路に陥る

外にあるモノとはなにか

人、道具、社会状況、過去歴史、それらが絡み合って生まれ感覚物語のようなもの

自分とぶつかった時に、良い科学変化を生む外のモノを見つけられたら、表現者としてはラッキー

2025-01-26

[]1月25日

ご飯

朝:朝マクド。昼:カレー。夜:人参キャベツシメジ餃子の鍋。間食:小魚ピーナッツ柿の種

調子

むきゅーはややー。おしごとは、やすみ。

グランブルーファンタジー

古箱開けと8億砂おしまい古戦場目的は達成した。

ポケットモンスター銀(あくポケモン旅)

アカネに苦戦。補助技もないし、ドーピング積むターン稼ぎもできないし、素直にレベル上げかなあ。

五十嵐律人「幻告」

とある過去事件冤罪可能性を見出し裁判所書記官主人公タイムリープをして歴史を変える、特殊設定もの法廷ミステリ

有罪となった裁判タイムリープの力で無罪にするのだが、さらにそこからストーリーが広がっていく。

タイムリープという現実には起きえない事象を扱うことで、一つの裁判の結果によって被告人人生がどう変わるのかを浮き彫りにしていくのは物語として読み応えがあった。

特にそれら有罪無罪どちらの判決を踏まえた上での作中における結論シンプルながら納得でき、優しい良いお話だった。

ただ、その事件真相にまつわる謎の提示解決の部分はスマートとは言い難い段取りの悪さを感じてしまった。

タイムリープ有罪無罪に変えるところまでは良いのだが、有罪でも無罪でも罪の連鎖に終わりがなく続いていく物語のために、どうにも都合の良い、悪い意味対話不可能なだけの登場人物が出てくる。

更にタイムリープルールを把握してからは、それありきの法律無視した証拠証言集めが多く、真実を見抜くだけではないその先をやりたい物語とのバランス感覚が不均等に思えた。

特に本当の実行犯対話不可能反社会的人間と、短い対話の中で思わせるためのやりとりは、段取りの悪さを一番感じた部分だ。

結論ありきのレールに敷かれたような対話は残念。

また、真犯人の心情も理解できるだけに、彼の立場上丁々発止の議論ができない場面で、上から勧告のように言いくるめるだけなのも残念。

現実にはありえない超能力であるタイムリープを駆使する主人公よりも、それを持たないまま目的を幾度も完遂し、かつ自身の職にプロとしての矜持も魅せる真犯人に、対話の機会がないのは勿体ないと思った。

それと、タイムリープにまつわる観測者の姿勢もしっくりこなかった。

幾つかの確定しなかった可能性の世界を見続けてきた主人公自我からすると、最終的な世界においては非常に孤独存在になるはずだ。

そこへの恐怖や、それでもやるんだ、という気持ち描写が薄かった。

この辺も最終的な結論が優しいが現実的には厳しいこともあるものだけに、それを実体として体験できないことへの葛藤もっとある方が僕の好みだったかもだ。

とはいえ、そこでない部分をキャラクタの心情をしっかり書いてはいるので、優先度の話なんだろう。

ストーリーの筋は面白かったが、謎解きの方法特殊設定の工夫などの個性はこまれていなさがあった。

紺野天龍「神薙虚無最後事件 名探偵倶楽部の初陣」

二十年ほど前に実在した名探偵「神薙虚無」の活躍を描いたノンフィクション小説、そのシリーズ最終巻に残された謎を巡って名探偵倶楽部所属する大学生達が各々の推理を持ち寄り議論を繰り広げる本格ミステリ

冒頭の謝辞にある通り城平京鋼鉄番長密室

から多大な影響を受けており、作中作の中に残された謎に納得のいく解決を見出す構造はそのものだ。

そして謎解きを通じて描かれる名探偵の苦悩とその救済、そんな今作のテーマについても、城平京自身ライフワークとしてデビュー作以降延々書き続けており、押さえるポイントを押さえている感はある。

更にそこに流水や西尾などのケレン味奇を衒う作風ミックスされており、なるほどミステリオタクらしい作品になっている。

この点をミステリ袋小路自分から入ろうとしていると批判するのもまたミステリオタクらしい態度であり、事実メタ的に作中人物達も述懐している。

という周辺情報を踏まえると内輪ネタオタク向け小説のように思えるが、そこにエンタメらしい男女のラブコメ要素が入ることで、それなりに脱臭されていると思った。

ただ、その上で今作をどう評価するのかは非常に悩ましい。

特に悩ましいのが、提示される大きな謎とその解決が、多重解決もの最後に扱われるほどの意外性や奇想も無いと感じることだ。

「4人乗りのエレベーターに何故5人乗れたのか?」との謎だが、そもそも作中作内の人物達にとっては自明であり、乗れるかどうか躊躇しない」という時点で、数多の前例があるあのトリックを思いつく。

トリック前例があること自体揶揄する気はないが、残念ながら多重解決のトリにはふさわしくない上、一つ目の解決だとしても薄さを感じるほどに薄かった。

根本的にこのトリック自体アンフェアであると大上段に切っても良いぐらいには賛否両論の仕掛けだし。

(僕個人としては一般的には一人称ならあり、三人称ならなし。今作は作中作として作中のミステリ作家が騙すために書いてかつその謎を明かさずに書き終えたわけだから、フェア/アンフェアの軸でなく、単に面白い/面白くないの軸で面白くないと思った)

また、名探偵の苦悩もの部分も、名探偵自体が何人も出てくるわりに議論らしい議論がなく、ベタ理想論を掲げるだけで、過程段取りが欲しかった。

作品内でリスペクト元にしているであろう作品群の読み解きがまず不足していたんじゃないかな? と思いました。

2025-01-08

モテたくて清潔感ケアし始めるような弱者男性って本当に「モテたい」のだろうか

いや、本当に不潔なのは良くないし、着るものにも一切頓着しないよりはしてるほうが印象いいのは確かだからやったほうがいい

でもそういうノウハウを真面目に掘っていくと「清潔感」の先には恋愛工学みたいな心理操作テクニックとか、性パートナーを手に入れる努力みたいなところに流れていってしまいがちな気がするんだよな

それがマッチする人はいいんだろうけど、ほとんどの弱男にはNotForMeで「自分には無理だし自分とは無関係」ってなって離脱するんじゃないかと思う

一方で、そういう袋小路にハマらずいい感じに清潔感UPさせた弱男がいたとして、それが奏功するのって、例えば学生時代のように男女含むコミュニティがあってその中で相対的に好いてもらうっていうシチュエーションだと思うんだよ

でも弱男が本当に夢見てるのってそっち側なんだろうなって

まりナンパ成功率が上がるとか若い女からチヤホヤされるとかじゃなくて

例えばサークルとか部署に気になる女子がいて、その子自分を選んでくれる、

もっというとその前提条件として「自分を受け入れてくれるコミュニティ」があって「無理して自分を偽らずともハブられずに馴染める」状態であり、「そこの男たちと(争いたいわけではないけど)互角以上に戦えるくらいの地位がある」みたいな環境

そんな感じじゃない?

だとしたらそういう環境づくり、居場所探しみたいな努力が一番必要なんじゃないのかな

しかしその具体的な頑張り方がわからいから「脱毛すればいい」「服を買えばいい」「いい車を買えばいい」みたいな明確に手順がわかる作業に流れてしま

まあでもあるていど年取ってから環境づくりが一番難しいしコスト高いんだろうな

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん