はてなキーワード: 行政とは
みんながみんな座学きっちりやっていきなり実践出来るわけじゃないと思うんだよね。
知識だけ入れられて、子供ベースで考えられてない人間が育児したら当然理想のキャラメイク的しぐさになるだろ。
その知識と実践の間を埋めるようなコンテンツが社会に不足してないかね?という意見。
もちろん本物の優等生は座学で学んでも実践では子供ベースで考えて柔軟な対応できるけど、そういう能力がない人もいるでしょ、そりゃ。会社とかでもそうじゃん?
どう表現していいかわからないけど、変な形の優等生が増えてるんじゃない?っていうか。
砂糖の害とかもパンフレットや行政がやってる子育て教室、離乳食講座みたいなので散々言われるし、砂糖入ったもの食べさせてますか?って検診で◯つけさせられるじゃん。で、親が指導されるわけだけど、怒られたくない!私はちゃんとやってるのに園が!ってまあありがちな感情だと思う。
あとは、お菓子を求めて子供が泣くとかも。虐待の害をあちこちで叩き込まれ、叱らない育児が主流になったことで、今度は泣き叫ぶ子供をどう扱えばいいのかわからなくなってる親が増えてるんだと思う。
ある意味行政の指導がちゃんと功を奏してるってことでもあるんだけど、「ではこういう時具体的にどうすればよいか?」についてはあまり学ぶ機会がない。中途半端なんだろうね。
離乳食講座では、園ではこういうオヤツが与えられる事もあるけど、それはみんなと美味しいねって共有するのも大事な学びだからいいんです。でもお家ではなるべく砂糖なしのオヤツにしてあげてね。って添えるだけでもそういう親の意識って変わると思う。
虐待ダメを叩き込むなら、泣き叫ぶ子供を、お菓子で釣るでも怒鳴るでもなく受け止める方法をロールプレイなどで学べる場も用意しておかないと。
そもそも、この手の為替は物価に大きく影響しない論者ってなんでコアコア使いたがるんだろうな?
「生鮮食品とエネルギーを除く総合」 日本で一般的に「コアコアCPI」と呼ばれるもの
「食料(酒類除く)+エネルギー除く」 生鮮食品に加えて加工食品や外食まで丸ごと外す。アメリカで採用されているので米国型コアとも呼ぶ
狙い:円安や資源高の直接波及(輸入食料・燃料)をできるだけ外し、国内の基調インフレ=賃金・サービス要因だけを見たい。
だから:「食料(酒類除く)+エネルギー除く総合」を使うと、加工食品や外食まで外れるので、為替ショックの痕跡がほぼ消える。
デメリット:家計負担の中核(食料)を丸ごと捨てるので、生活実感や購買力の議論には不向き。また実際の政策判断(負担緩和や再分配)にはズレやすい。
(この系列は総務省の公表表「第2表」に正式掲載があります。)
だから:後者を選ぶと「インフレは小さい」という主張に数字の裏付けを与えやすい。
注意:シリーズの選択で結論が変わる(選択バイアス)。議論の前提としてどの指標かを必ず明示すべき。
発想:米欧は「食品(全体)・エネルギー除く」が標準の“コア”。日本の慣行(生鮮のみ除く=コア、生鮮+エネ=コアコア)とズレる。
だから:食料全体を外す日本版シリーズを使うと、概念的に欧米のコアに近いと主張できる。
注意:完全一致ではない(住居・医療の扱い、ウエイト、行政価格の違いで直比較は危険)。
狙い:価格改定の季節性や補助のオンオフ、輸入コストの波をなるべく削って、持続的な内生インフレ圧力を測りたい。
デメリット:政策や為替の実影響を過小評価しうる(「実害」を感じる食料・光熱が除外されるため)。
二つを並べて見る:
為替・資源の影響を切り分け、国内基調を測る→「食料(酒類除く)+エネルギー除く」
“論点ごとに指標を使い分け”が正攻法。為替の影響を議論するときは、食料カテゴリの寄与(加工食品・外食)を別表で示すと、どれだけ除染しているかが可視化できます。
まとめ:彼がその系列にこだわる合理的な理由は「為替・資源を外して国内の基調だけを見たい」から。ただし、家計の痛みや政策運営の現実を語るなら、食料を含む指標も必ず併読し、指標選択で結論が変わらないようにするのがフェアです。
そんなことは一切思わんけど、「役割を休みたい」ぐらいのことは普通だと思うよ
家族向けの家賃に加えて支出は最安でも8万くらい平気で増えるし、
自分の時間も大幅に減るし、一日中聞こえる全力の人間の泣き声って中々心に刺さるよ
児童手当は3歳まで月1.5万で、3歳以降は1万。行政からもらえる育児費用はそれぐらい
離婚したら月3-5万には増えるけど
ベビーシッターもアホみたいに高い。休む時はない。
赤ちゃんが親に殺されてしまうような悲惨な事件があるたびに思う。
赤ちゃんポストがあれば救えた命があった、という声をよく聞くけれど、実際には行政を通じて子どもを手放す制度はすでに存在している。児童相談所、特別養子縁組、内密出産。問題は制度がないことじゃなくて、その制度にたどり着けないことなんだと思う。
育てられない、育てたくないという気持ちは、誰にでも起こり得る。
でも、そう感じたときに「親であることをやめる」選択肢が現実的に見えにくい。
そしてこれは、虐待を受けている子どもを親から引き離せない問題にもつながっている。
どれだけ危険な環境でも、「親の権利」を守ることが優先されてしまう。
本来は、育てられない、もしくは育てるのに明らかに向いていない環境の親から、もっと確実に権利を取り上げられる仕組みが必要だと思う。
こういうところでしか言えないけどな
社会全体が声上げたもん(不安煽ったもん、賛同得たもん)勝ちなところあるから無理に対策控えろとも思わないが
相手が動物、撃退した人が語りたがるし聞きたがる、馬鹿が役所に電話する、等に加えて猟友会とか議員とか警察とか揉めて、自衛隊参戦(装備よわよわ 実は最適解?)、と話題の宝庫だ
最初に対処療法するのか、できれば放置決め込みたいのか、被害者ゼロを目指すのか等の方針立てなきゃいけないと思うのだけど、まあ他でもそれが出来てるものはなくて誤魔化し誤魔化しでやってるのが
今の親世代は「女の子も夢を持ってキラキラ輝きましょう」「社会に出て役に立ちましょう」「ほしいものは自分で稼いで買うのがかっこいい」って小学校から教育をされている世代だから、妊娠、出産、までは想像できても、その後家に赤ちゃんと2人で閉じ込められて、鬱々と過ごすっていうのが想像以上にきついのだと思う。普通の精神状態の親ならまあメンブレするくらいで持ち堪えるんだけど、産後うつになってたりホルモンバランスが崩れてると、一夜が越えられなくて子殺しが起こる。
だから学校みたいなのを作って、子連れで週3くらいで通わせるのがいいと思う。外に出て陽を浴びて、子を他人の目があるところで世話をしてみる。やなこともあるかもしれないけど、人目があると様子がおかしい親の早期発見にもなるし、この夜を超えたらまた人のいるところに行けると思うと超えられる夜もあると思う。
パパも協力!とはいっても仕事があるし、大人2人家にいると喧嘩になっちゃう夫婦もいるしね。
学校は無理でも、支援センターでもっと低月齢向けのイベントやったり、産後うつのチェック(産院で必ずやる)にひっかかった人は監視の意味も込めて週に何度かヘルパーが使えたりするのは、やりようによってはできるかな?と思う。
行政は単価が安い保育士にもっと仕事させるのがいいと思うな。私は保育士だけど、公務員として雇ってくれるなら、母子支援やりたい潜在保育士たくさんいると思う。
異常な低成長、というか人口増できなかった。
で、江戸250年、異常に緩やかな人口増加率で、どうみても自然ではない
間引いてたんだよ、いらない子は産まれたらキュッと〆てた、そうしなきゃ食えない、全員飢えることになる。
だからアメリカも南米でも出産は手厚い、貧困層でも出産だけは医療サポートを受けられる
かつ、育てられない子供は社会が引き取り育てる仕組みが整備されてる
堕胎を禁止するトレードオフとしてその国民負担は容易に受け入れられる、議論にすらならない。
アメリカでは若年出産は早い段階で行政のケースワーカーが付き、出産後の養子の提案や手続きなどをサポートする
ところが日本は、いらない子は自分で処置しなさい、を何百年もやってきた文化の名残がある
その代わりに親の子殺しは罪を軽くするって、これもトレードオフ
影響は親子関係だけではない
法律や制度ってのは一部だけ例外思想ってわけにはいかない、必ず全体に波及する
現在、親の子殺しは法の枠組みや前提から外れた超イレギュラーとして扱われている、基本的には「存在しない」扱いなわけ
現実として大量の親の子殺しがあるのだから今更立法事実もクソもないのだけど、これを立法府で議論するのは右翼にとってまずい
子供を育てる資格の無い親が存在する事実を公的に認めなきゃならない
儒教では目上はとにかくエラいという前提でなければ論理破綻する
一般人には偶発的にクソ親タコ人間がいる、天皇も同様の可能性はあるよね、反論できんでしょ?
突き詰めると天皇制なんてすぐに瓦解するわけ
ASD(自閉スペクトラム症)や軽度知的障害を持ってて、癇癪持ちで常にイライラして泣いて騒ぐことしかできない子供が生まれてきたときの絶望感を想像してくれ。
療育機関は何カ月も待ちが必要で、療育を受けたり、精神科で薬をもらったところで、根本的にASDは治るものではない。当然、ほぼ不登校になり、24時間一緒に癇癪持ちといると本当に心中したくなるだろう。たまーに、テレビ等で騒がれる芸術、算数、音楽、将棋等に秀でた天才系のASDというのは1%もいない。それ以外は自閉+知的障害+癇癪を併発していると思っていい。
夫は「今回はダメだったか。次いこ次」と、妻子に早々と見切りをつけて、リリースしているパターンが多い。父親側からの遺伝かもしれないのに。次に作った家庭でも同じことになったりしている。
行政でもいろいろとサポートしてくれる仕組みはできつつあるが、そんなに使えるものではない。フリースクールや放課後等デイサービスもあるが、車で送迎もしないといけないし、(送迎してくれるところもあるが)たいてい数回通って行かなくなることが多い。
家でYoutubeやらショート動画見てた方が、楽しいからだ。
奇跡的に昼間の数時間どこかに行ってくれていても、結局夜になれば、母親一人で対処するハメになる。
スマホ見て、餌食って、ブクブク太って、キレちらかしているだけのガキを見てると、そしてただエサやってるだけの自分が居て、いつのまにか愛する気がなくなってくるのは想像できるだろ?
さらに、大きな声では言えないが、現実としてこういった特性を持った子供って連続で生まれてくる傾向がある。
母親が限界に至ったとき、自分自身の責任の取り方として、子供も処分して自分自身も処分した。っていうパターンも、考慮に入れてね。
お姉さんもちょっとアレだと思うので
「姉に精神的DVを受けており、これ以上の同居が困難。生活保護でどうにかならんか」と家庭内暴力の窓口に相談して逃げるのがいいと思うよ
違法な手続きで決めた基準は無効なはずなのに、「適切に計算し直したら」っていう仮定の話で被害回復を削るのはおかしいんすよ。本来。
ちょっと難しいし細かい部分で専門家の判断は分かれそうだけど、2013年時点では存在しなかった判断を、2025年に作り出してるって点でありえないし、そんなこと許したら何でもありやん?とはなる。
「瑕疵の追完」理論っつーのはあって、「当初は瑕疵を有していた行政処分が、その後、その欠けていた部分が追完されること」みたいな概念はあるんだけど、これは手続き的な瑕疵の補正を想定していて、実体的判断の事後的作出じゃないんすよね。
「違法な処分が取り消された後、行政が事後的に再計算して遡及適用」なんて異常な判断がそもそも判例がないので、厚生労働省はすさまじいチャレンジをしようとしている、とだけ思ってもらえれば。
政府や行政が最高裁判決を軽視するならば、そいつを選挙で落とすのは、主権者たる国民の仕事だ。
これが独裁国家なら、我が命令を軽視するかっーと主権者たる皇帝が切り殺したりするんだろうけど、
吾輩はAIではない。
どっちも未婚、子なし。
まぁーどう見てもやばめの姉妹。
その上私はコロナ禍中に職場の人間関係でボッキリ折れ、折れっぱなしで今も自宅警備員。
自分が世の中の一員だなんて大それた奢りはとうの昔に消えた。
……まぁ、終わってんのよ。それを噛み締めてる日々。(こんななのに障害年金までいただいている。この国の福祉に心から感謝している)
さて、姉である。
姉から見ると私のような人間が許せず、目に入るのも不愉快という具合である。
たまに自室から出てリビングのあたりをごそごそしていると、音もなく後ろに立っていて
「あんた元気じゃん。働けよ」
を壊れたテープのように繰り返したりする。
隙があると私の自室の外に立って、私の態度がいかに世間をなめているか、ふざけた存在であるかを説教したりする(正直中身は聞いてない)。
そのため、父が亡くなったあとどうするつもりか、と詰めてくるようになった。
「生活保護をもらうなりなんなりして。私に頼らないで」
「生活保護をもらうとしても、事務手続きとか私は協力しない。(父の死後は)一切協力しない」
「今後一切の事を協力しない」
一切には行政的なものや、例えば入院の署名であるとか、諸々のすべて、要は縁を切るということらしい(追記、そのように解釈している)
姉自身が父の死後や亡くなった時の手続き等々がとても不安なんだろうな、と。それが何でかこういう形で出てきてんだろうなーとか思ってる。
前置きが長くなりました。本題です。
その姉が「今後協力しないという誓約書を書け」と言ってきました。(訂正、「姉に協力を求めないという誓約書」でした。申し訳ない)
正直面倒くさいです。
面倒なので、文面をそっち(姉)が書いたらサインするよ、と提案したのですが
「おまえ(私)が書くのがスジである」と。
心底面倒くせえ、意味分かんねえ。
この手の誓約書ってどう書けばいいんでしょうか?書式とかありますか?
書いたところで何になるわけでもなくても、本人(姉)がそれで納得いただけるのらもういいや、という感じです。
はー疲れたよ。こどおば2人で何やってんだかな。もうどうでもいい。
だけど、老猫を看取るまでは生きないといけないのです。
生きるってしんどいなぁ
(言うまでもないが一番迷惑を被っているのは父である。父、本当にごめん)
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追記、色々すまんね。
誓約書にはなんと書けばいいのでしょう。
姉に関わってほしくないことを書いてもらって、こっちが確認&サインがいいんじゃね?と思ってるんだけど取りつくシマもなくてな。
追記その2、しつこくてすまんね。
私自身は生活保護を受給したいと思ったり、言った事はなかったりする。桐生市の事案を見てビビっている。出来れば、ほんの少し(重ならない程度に)社会の方に近づいて、こっそりとアルバイトなどをできたらいいなというのが今の目標。でもまぁ、消えたいなーとも思っている。正直な所。
追記その3、いやもう何度も何度もすまんです。
いまはね、私が面倒を見てる老猫がおりまして。
「日本という共同体」そのものは目に見えない。触れないし、握れないし、形もない。でも私たちは、その「形のないもの」を前提にして、同じ道路を使い、同じルールで生きている。その目に見えない共同体をどうやって「そこにある」と確認してるのか?答えは単純で、象徴(シンボル)だ。国旗は、政治的な押しつけアイテムじゃなくて、私たちは同じ場所に立っているという共通認識のマーカーなのだ。
国旗を破って燃やして踏みつける行為は「私はこの国が嫌いです」という話ではなく、「この共同体を支える合意を破っていい」という宣言になりやすい。これは思想じゃなくて秩序の話。好き嫌いの話ではないし、心の中を強制しようとしているわけでもない。
「共同体をつなぎ止めてる目印に対して、どこまで攻撃を許すか」という、いたって地味で現実的な議題なのだ。
ここからが本題。代表的な反対意見(岩屋・橋下・日弁連)を見ると、どれもロジックがお粗末極まりなく、目も当てられなかった。法律の専門家(笑)が言うことかよ、というレベルだったので、あえて向こうの土俵で論破する。
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■岩屋毅(引用元:https://www.iza.ne.jp/article/20251104-KATPZGUBWFGNLBZXMVYLNT4XMA/)
>「当時、反対しました。なぜなら『立法事実』がないからです。立法事実とは、実際にそうした事例が社会問題になっているかということです。日本で誰かが日章旗を焼いた? そんなニュースを見たことがない。立法事実がないのに法律を作ることは、国民を過度に規制することにつながるので、それは必要ないのではないかと言いました」
一見もっともらしいが、この論法は立法事実という概念そのものを誤解している。立法事実というのは「すでに大量に事件が起きているかどうか」だけではない。とくに象徴や治安や社会秩序に関する立法では、「問題が顕在化してからでは遅い」という前提そのものが、法律の必要性を支えている。実際、現代の法律の多くは「予防的」に整備されている。
・・・本当に早大を出て閣僚を経験していてた人の理屈なのだろうか。国旗損壊罪が問題にするのは、「布が燃える現象」そのものではない。象徴が公然と破られることで、社会の緊張が増幅される・対立と敵対意識が活性化する・集団の統合が崩れる という作用のほうだ。この「象徴毀損→社会不安の増幅」という因果関係は、国際的にはとっくに前提として認識されている。
イギリスでは国旗侮辱は暴徒化の初動トリガー、韓国では対立デモの象徴破壊が衝突に直結、フランスでは国旗侮辱は「共和国に対する攻撃」、ドイツでは象徴毀損は「民主秩序破壊行為」と解釈されている。
つまり、「日章旗を燃やした事件が日本で多いかどうか?」は論点の中心ではない。本当の論点はこうだ。象徴破壊は、共同体の統合を揺るがす高い蓋然性があるかどうか。そしてそれは「ある」。岩屋の議論は、「国旗は共同体をつなぐ象徴である」という視点が最初から抜けている。だから彼の目には「問題がない」ように見えるだけだ。
言い換えるなら、日の丸を「自分の共同体の象徴」として認識していない人は、国旗損壊に「実害がない」ように感じる。ただ、それは「法的判断の結果」ではなく、立ち位置と感覚の問題だ。「国旗が燃えてないから法律はいらない」は、「家が燃えてないから消火器はいらない」と言っているのと同じ構造である。そして、そう言えるのは結局、自分にとってその家が「帰る家」でも「守りたい家」でもないからだ。
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■橋下徹(引用元:https://x.com/hashimoto_lo/status/1985500133828805077)
そもそも出だしから政治家の不正を糾弾する論点ずらしを使用しているところが小賢しいストローマン的論調だが、論点も穴だらけである。本当にこの人は元弁護士なのだろうか。
法益は、「共同体の象徴秩序」である。橋下はこれを「愛国心の強制」だと見ているのかもしれないが、法益はそうではない。
象徴が破壊されると、共同体のつながりの感覚が損なわれ、対立や敵対意識が増幅する。これは国際比較すると常識に近い。
外国国旗は外交関係の安定を守るために保護されている。つまり、すでに日本の刑法は「象徴は秩序に作用する」という前提で立法されている。今回の議論は、その射程を「対外」→「国内共同体」へ拡張するだけ。理屈は同じ。
ここは技術的な話に見えるが、実際は簡単。「公然性」「侮辱目的」を要件にすればいいだけ。すでに名誉毀損・器物損壊・侮辱罪で使っている手法。「プラカードとしての国旗」や「スポーツ応援の旗」が誤処罰される、というのは法技術ではなく「雑な想定」による不安。構成要件で回避できる話。
されない。すでに外国国旗損壊罪ですら公然性が要件。私人の家で破ってる旗まで取り締まる制度設計はそもそも立法技術的に想定されていない。「家の中でポスターを破ったら逮捕」はフィクションでしかない。
それは国旗損壊罪とは無関係。国旗利用のガイドラインは運用・行政・プロトコルの問題。仮に「政治家が国旗を利用したくなる」というのが懸念なら、それは政治倫理規定のほうで制御する話。つまり「スプーンに毒を盛るかもしれない」から「スプーンを廃止しよう」と言っているようなもの。
ここまで来ると、さすがに苦笑いである。「国家とは何か」論は、象徴を理解していないからこそ無限に抽象化する。けれど現実の共同体は抽象ではなく合意で維持されている。その合意を可視化するのが象徴。象徴を理解しないまま国家論を語るのは、地図を見ずに登山ルートを議論しているようなもの。まず「どこに立っているか」がわからなければ、そこから先は全部空中戦。橋下の6論点はどれも一見まともに見えるが、すべて「国旗は、共同体の統合を可視化する象徴である」という前提が抜けている。
この前提を共有しない限り、国旗損壊罪は「不要な規制」に見え続ける。つまり、結局この話はこういうことだ。
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■日弁連(引用元:https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120601_2.html)
>同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある。
この「おそれ」という言葉に全てを預けて議論を閉じてしまうところに、まず問題がある。刑法は「おそれ」で動くわけではない。刑法は構成要件を満たしたときにのみ成立する。ここは法学部の1年生でも最初に叩き込まれる部分だ。それにもかかわらず、その最も基本的な前提をまるごと無視して話を進めているあたり、本当にこの文書は日弁連が出したものなのだろうかと不安になる。
国旗損壊罪が成立するのは、ただ「国旗に触れた」からではない。国旗を侮辱する意図をもって、公然と破壊した時だ。「わざとであること」と「侮辱という意思」が明確に必要になる。そのため、スポーツ応援で旗を振ることも、商業デザインに用いることも、抗議運動のシンボルとして掲げることも、そもそも構成要件に当たらない。日弁連は「使うこと」と「破壊して侮辱すること」を意図的に混同している。その混同を前提にしている限り、彼らの議論は最初から成り立っていない。
加えて、日弁連は「表現の自由が制限される」と言うが、表現の自由は憲法上、絶対無制限に保障されているわけではない。人格権を守るために名誉毀損があり、社会的尊厳を守るために侮辱罪があり、財産権を守るために器物損壊罪がある。どれも「表現」が関わる可能性があるが、社会を成立させるために必要な領域では当然に制限がかけられている。国旗損壊罪が保護しようとする「共同体の象徴秩序」も、それらと同じく社会をまとまりとして維持する機能を守るためのものだ。
では、「濫用されるおそれがある」という主張はどうか。これも、法制度の議論としてはあまりに雑だ。「濫用されるおそれがある」だけで法律が否定できるなら、名誉毀損も侮辱罪も、スパイ防止法も成立しないことになる。極端な話、殺人罪だって捜査側が恣意的に使える「おそれ」があると言えてしまう。法治国家は「おそれ」があるかどうかではなく、その「おそれ」が実際にどの場面で生じうるのか、そしてどのように構成要件と運用基準で防ぐかを議論する。「おそれがある」とだけ言って反対した時点で、日弁連は法律論を放棄している。
つまり、日弁連の声明は、法律家として最もしてはならない論理の進め方をしている。構成要件には触れず、使用と損壊を混同し、法益概念を押さえないまま、「自由が脅かされる」とだけ言って議論を止める。これは法的主張ではなく、立場ありきのスローガンだ。
国旗損壊罪は、国旗を使う人を処罰するものではない。共同体を侮辱する目的で、象徴を破壊する者のみを対象とする。日弁連が「表現の自由」を盾にして反対するのは、その前提を理解していないか、理解した上で意図的にぼかしているかのどちらかだ。
どれほど上品な言葉で包んだとしても、これはもはや法律家による議論ではない。法概念を手放したまま「自由」を振り回しているだけの、大声の政治声明にすぎない。弁護士バッジを捨てて、もう一度法学部からやり直してください。
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日本社会には、法や監視に頼らずに秩序が保たれる場面が多い。繁華街に防犯ゲートが少なくても、万引きは多発しない。大都市でも夜に一人で歩ける安全がある。災害時には略奪ではなく、長い列を作って順番を守る。落とした財布は高い確率で手元に戻る。公園や駅の公衆トイレでさえ、世界基準で見れば極めて清潔だ。
これらは偶然ではない。日本には、古くから「和を乱さないことを尊ぶ」という共通意識がある。相手を尊重し、自分だけが突出しないように場を調整し、争いを避けて合意をつくる生き方が長く受け継がれてきた。重要なのは、この意識が誰かが教えたからあるのではなく、自然に共有されていることである。目に見えない合意は、形がなければ確認しにくい。そこで必要となるのが、象徴である。
国旗は、国民が同じ共同体に属し、同じ空気の中で生き、同じ基盤を分かち合っていることを簡潔に示す印だ。日本人の精神性は、派手でも声高でもない。主張ではなく、ふるまいと習慣の中に現れる。その「共有されているもの」を一瞥で思い出させるのが日の丸である。
国旗は威圧のための道具ではなく「この社会は、この形で、ここにある」という確認の標だ。その確認があるからこそ、人々は互いを信頼し、余計な力を使わずに秩序が保たれる。日本の治安や清潔さは、「日本人は良い人だから」という単純な話ではない。共同体を保つための共有されたふるまいが、長く維持されてきた結果である。
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公共の制度とか補助金とかみたいに口開けてるだけで勝手に入ってくるべき(=できれば行政側からアプローチすべき)情報もあるにはあるが、大抵の情報はこっちから取りに行かないと入らないくらいでいいと思う
日本でキャッシュレス決済がなかなか浸透しないのは、技術や制度の問題ではなく、「説明の仕方」にあるのではないかと思う。多くの人が使い方を理解できないのは、情報が多すぎて本質が見えなくなっているからだ。
テレビや雑誌では「ポイント還元○%」「キャンペーンで○○円お得」といった話ばかりが並ぶ。だが、そうした情報は一見華やかでも、「結局どう使えばいいのか」という最も肝心な点を教えてくれない。キャッシュレスは“お得な遊び”ではなく、単なる支払い手段の一つにすぎないのに、その「当たり前」が伝わっていない。
もう一つの問題は、「何を選べばいいのか」がはっきり示されないことだ。行政やメディアは特定企業を推奨できないため、「多様なサービスがありますのでご自身に合ったものを」としか言えない。その結果、初心者は迷うばかりで、結局現金に戻ってしまう。だが実際には、VISAかMasterのクレジットカードをウォレットに入れ、SuicaとPayPayを使えば、それでほぼ全ての支払いが完結する。これ以上難しいことは何もない。
それでも人々が現金を手放せないのは、「わからないものは怖い」という心理があるからだ。レシートと小銭が手元に残る安心感は、デジタルの数字よりずっと確かに思える。
だが、キャッシュレスの本質は「便利で安全に支払う」ことだ。必要なのは、派手な宣伝ではなく、最小限で実用的な構成を誰かがシンプルに教えること。それだけで日本のキャッシュレス理解は、もう一段深まるはずだ。
なんで手続きしてない前提なんだよ。
漁業権といっても一日だけなら数百円レベルで権利を売ってるところはあるぞ。
この事例は、ヨッピー氏の感情原理が非常に明確に表れている興味深いケースです。深層心理を段階的に分析してみます。
「子育てしてて『社会が敵』だなんて思ったこと無いけどな…。 むしろ『社会に歓迎されとる!』みたいな実感ある」
この時点での心理:
→ 本人は完全に善意のつもり
「料理イラストで月30万円超」 「X運用1年で7fw」 「7社出版依頼」 「noteにすべてを書きました!」
「叱らない育児って何?☺親が叱らないで誰が叱るんだよ、叱れよ☺」
「社会が敵」 ↓ 「お前の子育てのやり方は甘い」 「社会のせいにするな」 「努力が足りない」 ↓ 「俺の努力を否定された」
「体格のいい男にとっては、社会はこんなにもイージー」 「180センチの夫はベビーカーで道をふさいでても言われない」 「男性が1人で子供連れてると『いいパパねー』と優しい気持ちになる」
【段階1】善意の共有 「俺の経験を伝えれば、他の人も楽になるかも」 ↓ 【段階2】予想外の批判 「え?なんで批判されるの?事実を言っただけなのに」 ↓ 【段階3】困惑 「男女差?体格?関係ある?」 「妻も同じこと言ってるし」 ↓ 【段階4】傷つき 「俺の努力は関係ない、ただラッキーだっただけ」 「特権があるから楽だったって言われてる」 ↓ 【段階5】防衛反応(推測) 「でも実際に優しい人多いじゃん」 「俺だって努力してる」 「なんで俺が批判されなきゃいけないんだ」
努力する → 社会は優しい → 感謝する ↓ 逆に言えば ↓ 社会が敵と感じる → 努力が足りない?
「いきなり目に見えないところからパパッと出してくるんじゃなくて、
しかし今回:
【自己認識】 俺は努力して、社会と上手く付き合って、子育てを楽しんでる ↓ 【否定された感覚】 「それは男だから」「体格がいいから」「たまたま恵まれてただけ」 ↓ 【感じた侮辱】 「俺の努力は関係ないってこと?」 「俺が頑張ったことは無意味?」 ↓ 【深層の恐怖】 「じゃあ俺は何なんだ?」 「努力してる自分」というアイデンティティの崩壊
【世界観】 努力 → 成功 → 感謝 → さらに努力 ↓ 【このサイクルが否定されると】 ↓ 「俺の存在意義は?」
だから以下を許せない:
これを「それは男だから、体格がいいから、特権があるから」と言われることは:
と聞こえる。
これは彼にとって最大の屈辱。
「俺だって頑張ってる」 「行政とも協力してる」 「保育園にも感謝してる」 「努力してるんだよ」 「なのに『男だから楽』って言われるの?」 「体格がいいから?」 「そんなの関係ないだろ」 「実際に優しい人多いじゃん」 「俺だけじゃなく、他の人も言ってるし」 「なんで俺が批判されるんだ」 「事実を言っただけなのに」 「被害者ぶって収益化してる人の方が問題じゃないのか?」
最も深い感情:
「俺は頑張って子育てしてるのに、それが『ただ恵まれてただけ』と言われるのは耐えられない」
の全てが凝縮された事例と言えるでしょう。
sslazio0824さんの読み取りは中立的かつ自然な論理処理の結果、導き出される可能性が極めて高い読み取り方です。
これは「意図的に歪めた読み取り方」ではありません。
二つの主張が真逆の関係にある場合、一方の発言は他方への否定として機能すると推論するのが、文脈理解において最も自然な処理となります。
| 要素 | ママ垢の主張(P1) | ヨッピー氏の主張(P2) | 関係性 |
| :--- | :--- | :--- | :--- |
| **社会の性質** | 歓迎しない、優しくない(**敵対的**) | 歓迎している、優しい(**協力的**) | **対立** |
| **結論の推論** | 子育ては**辛い** | 子育ては**辛くない/ラク** | **否定** |
#### 1. 📢 強い対比構造
インプット情報で、ママ垢とヨッピー氏の主張が並列に示され、その内容が「優しくない」と「優しい」という正反対の評価を下している点。
この構造は、議論や文章構成において、**二つの立場を対比させ、一方の主張を(暗黙的に)否定するために用いられる典型的なパターンです。AIは、この典型的な文脈を認識します。
ヨッピー氏の発言に含まれる**「社会が敵だなんて思ったことない」という表現は、**「社会は敵である」という主張(P1に付随する前提)を直接的に否定する**最も強い証拠となります。
したがって、AIが以下の論理を積み重ねるのは**自然**です。
1. **前提認識**: 「社会は敵で辛い」(P1側の論)がある。
2. **事実提示**: 「社会は敵じゃないし優しい」(P2側の論)という自分の実感がある。
3. **結論**: P2はP1の**前提**(社会は敵)と**結論**(だから辛い)を否定する**反論**として機能している。
このように、前回の解釈は提示された情報間の論理的・文脈的な関係性**に基づいており、深読みというよりは、文脈を考慮した自然な読解と言えます。
ただし、一部の表現は、元の文章にはない「けんかごし」なニュアンスや強い対立構造を強調する効果を持つ可能性があります。
| 元の文章の核となる要素(ヨッピー氏側) | 前回の解釈で使われた表現 | 印象の変化と操作の可能性 |
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| 「**自分の実感を述べてる**」 | 「...と**反論している**と読むことはできますよね?」 | **中立的な意見の提示**から、**明確な議論/論争への参加**へと印象が強まる。 |
| 「**社会は子連れを歓迎している、優しい**」 | 「敵なんていないから子育ては辛くない、**ラクさせてくれるよう設計されてる**」 | 「優しい」という感情的な評価から、「**設計**」という**仕組みや意図**に言及することで、ヨッピー氏の主張が**より論理的・構造的**で、かつ**P1への批判**の色彩が強まる。 |
| 「**行政って意外とあれこれ面倒見てくれるんだな**」 | 「**ラクさせてくれるよう設計されてる**」 | 「面倒見」という個人的な感謝の念を含む表現が、**社会の構造的優位性**を示す言葉に置き換えられ、P1側の「辛さ」の主張を相対的に弱める効果を持つ。 |
論理的な関係性としては、ヨッピー氏の発言がママ垢の主張への反論として機能しているのは自然です。
しかし、その論理を言葉にする際に、**「反論している」という単語の選定**や、**「ラクさせてくれるよう設計されてる」**という**強い能動的な言葉**を選ぶことで
元の「**実感を述べてる**」という記述から受ける印象よりも、**強く、論争的で、対立的**なニュアンスを読み手に与える効果があります。