はてなキーワード: 短距離走とは
試験で点を取る能力と研究する能力について前者は当然学力というぴったりな言葉があるとして後者を仮に科学力(知性というと批判を買いそう)とでも呼んでおくときこれらはある程度の段階までは重なっていると思う。
でも理3を目指すとかになってくると同じ問題を一分一秒でも早く解く技術を磨くような努力になってくる。
ようするにそんなことをいくら実現させても実用上は問題にならない。問題が解けるのだとしてもそれがあまりにも時間がかかるのなら社会的にも賢いとはみなされないし実用上でも問題になってくるかもしれないが、
そんな二時間ちょっとの試験に収まるようにひたすら同じようなレベルの問題を安定して十分とかで解けるようになる(こういう人たちにとっては二、三十分かかっただけで安定しないということになる)ということが達成できたからといってそんなものは知性と言えるのか?あ、言っちゃった。
ノーベル賞の自然科学部門を取った人でも理3に受かるとは限らない。でも逆も当然。
学力とよばれるものはある程度鍛える分には科学的なアプローチへの理解力を高めたりして知性の向上と直接結びついていると言えると思うけど、最難関レベルに受かるような学力というのはもはや学力自体のために学力しているような、その試験に受かるためという目的に完結したものになっているように思える。これは綺麗に特定のルールに縛られた競技で好成績をひたすら目指していくということに置き換えられるように思う。
公立学校が学力をあげようなんてことを軽々しくスローガンにしているのには考え物だというふうに感じる。学力を極限まであげようとした先に何があるのかということをそこまで深く考えているようには必ずしも思えない。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250815185840# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaJ8E0wAKCRBwMdsubs4+ SHIAAP4lIsrW1CtMRXJ1zs+VoiC8oZkEEhRlTUuD4qMpc2dsdQD+LQ6sMvDwRXc0 8TM7nNsZ1wL/X7lb9kbDzoI/JiCeMgs= =7vyL -----END PGP SIGNATURE-----
集団系のスポーツを見るのがつらい、というお気持ち、とてもよく分かります。特に、社会の縮図のように感じてしまうと、競争や序列、時にはいじめのような側面が見えてきて、純粋に楽しむのが難しくなりますよね。
集団スポーツには、チームワークや役割分担、そして勝利を目指す過程で個人の能力が評価されるといった側面があります。これは、企業や組織など、私たちが日々生活する社会の構造と非常に似ています。
各ポジションに役割があり、それぞれが責任を果たすことでチームが機能します。
メンバー間の競争があり、パフォーマンスによって評価され、出場機会やレギュラーの座が決まります。
指導者と選手、先輩と後輩といった関係性の中で、指示や指導が行われます。
こうした要素が、時に「ダメな奴は補欠行き」といった形で現れ、それが社会における「使えない人間は排除される」といった側面と重なって、しんどいと感じるのかもしれません。
一方で、水泳の平泳ぎや短距離走のような個人競技がマシだと感じるのは、まさにその「個」に焦点が当たるからでしょう。
他者との直接的な比較ではなく、昨日の自分、前回の記録など、常に自己ベストを更新することに意識が向かいます。
タイムや距離など、客観的な数値で結果が出ます。そこに余計な人間関係や複雑な評価軸が入り込む余地が少ないです。
スポーツの楽しみ方は人それぞれです。集団スポーツが苦手なのであれば、無理にそれを見続ける必要はありません。個人競技に目を向けるのも良いですし、あるいはスポーツ以外に興味を持てるものを見つけるのも一つの手です。
もし、集団スポーツの別の側面、例えば「チームが一つになって困難を乗り越える」といった部分に光を当てて見てみると、また違った感情が生まれるかもしれません。ただ、それもあなたが心地よいと感じる範囲で構いません。
社会の厳しい側面をスポーツに見出してしまう感覚は、決してあなただけのものではありません。自分の心に正直に、楽しめるもの、心地よいものを選んでいくのが一番です。
大谷翔平は「投打二刀流」という唯一無二の偉業で世界的な注目を集めていますが、全スポーツ史の中で「比類する」とされるアスリートはごくわずかです。ここでは、競技の枠を超えて歴史的なインパクトや多才さ、記録、影響力の観点から、大谷と並び称される5人の伝説的アスリートを紹介します。
去年ある大会に出たのですが、その大会を撮影されYouTubeにUPされた。
動画には「JCのやらしい体」みたいなタイトルが付いていて、娘含む部員たちが動画に気づいたときはすでにかなりの再生数で
速攻で保護者たちが削除依頼を出したが、削除されるまでに一週間くらいかかった。
娘たちはそのコメントを見てしまい、かなり傷ついたようで「長袖長ズボンでないともう出場したくない」という声が頻出した。
さらに夫がその件を親戚に愚痴り(愚痴ったとき娘はいなかった)、
その親戚が、娘が同席したときに「大変だったんだってねー、でも陸上のユニフォームって確かにやらしいよねグフフ」などと言い放ち
娘が部屋に逃げ帰って閉じこもるという一件まで起きた。
中学生なんてまだ子供だよ?こないだまでランドセル背負ってた子供をそういう目で見る神経も、動画を上げて小遣い稼ぎする神経も
https://anond.hatelabo.jp/20250401132754
この増田を見てまさかはてな界隈にロードレースを見てる人がいるとは思わなかったから(いや普通に考えりゃいるんだが)、これを機にサイクルロードレースの普及をしたい。
増田やブクマカたちにロードレースがおすすめのポイントを紹介していくぞ。
そろそろ40歳のアラフォーど真ん中だが、10代20代でロードレースなんか見てたら退屈で即見るのを止めていたと思う。
とにかくレースが長い。レース自体は5時間前後、日本語中継をしている時間でも3時間くらいある。
しかもそのうちのほとんどはレースとしての大きな動きはなく、ぼんやりときれいな欧州の景色を眺める時間だ。
刺激やタイパを求める若者とは最も縁遠いスポーツと言ってもいい。
だが!酒を飲みながらダラダラ見るスポーツとしては本当に最高なのよ!
大体土曜の夜か日曜の夜だから、週末の晩酌をロードレースとともに過ごすのとってもいいよ。
「世界の車窓から」を見ながら酒を飲む的な風情とスポーツとしての興奮も味わえる。
主にタデイ・ポガチャル、マチュー・ファン・デル・プールという2人の怪物(界隈では宇宙人と言われる)のせいで、レースの常識が変わった。
例えばゴール着前で短距離走が得意なスプリンターと言われるタイプの選手が争うことになるレースがあるのだが、
極論言うとこの手のレースはゴール前の短距離走で勝負が決まるのでそこまでの展開に乏しく、
5時間くらい走ってても最後の10km、精々20分程度だけ見れば事足りるようなレースだった。
だが!タデイ・ポガチャルやマチュー・ファン・デル・プールという化け物がレースの常識を変えて、
残り50kmとか80kmとか100kmでスプリンターを置き去りにして独走するというわけわからない勝ち方をし始めた。
スプリンターは短い距離を爆発的なスピードで走るのは得意だが、長距離を高い巡航速度で走るのは苦手なのだ。
なので今までみたいに「ゴール前以外は退屈」「勝負どころはもっと先」という常識が打ち破られ、
いつ何が起こるかわからないという目が離せないスリリングなレース展開が繰り広げられるようになっているのだ。
先ほども名前が上がったがタデイ・ポガチャルはロードレース史上最強の選手になれる可能性を持っている。
というか半分を手をかけている。
ロードレースは1日で争うワンデーレース(通称クラシックと言われるもの)と1週間or3週間で争われるステージレースに大きく分かれる。
・勝負を決める爆発力
・展開を読む戦術眼
・平地、丘、山、個人のタイムトライアルなど多様なステージへの対応力、総合力
・特にツール・ド・フランスなどのグランツールと言われる3週間レースを戦い抜く耐久力、回復力
同じロードレースだからどっちも似たようなものと思われがちなのだが、
ワンデーレースで表彰台獲得する選手とステージレースで表彰台獲得するのはほとんどが違う選手になるほど適性が異なる。
しかし、タデイ・ポガチャルというスロベニア星生まれの宇宙人が両方のレースでロードレース界を蹂躙しているのだ。
ワンデーレースの中でも特に重要なものをモニュメント、ステージレースの中でも特に重要なものをグランツールというのだが、
このポガチャルはその両方で勝ちまくっている。
特に昨年は凄まじくロードレース史上最高の年間成績と言われる成果を残し、
ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスのグランツール総合優勝2回(さらにステージ12勝というこれまた異常な成績)に、
ワンデーレースでもモニュメントのリエージュ・バストーニュ・リエージュ、イル・ロンバルディアに加え、
世界選手権というロードレースの世界チャンピオンを決める大会まで制しまさにロードレース界を支配したと言っていい。
このレベルでワンデーレースとステージレースの強さを両立したのは過去に1人、エディ・メルクスという神話の世界の人物がいる。
この選手は現在のポガチャルと同等かそれ以上に勝ちまくり、あまりに勝ちまくるメルクスに観客がブチギレてレース中に殴って妨害するというエピソードがある選手だ。
日本人に馴染みの深い例えをすると黎明期のそのスポーツの神であるベーブ・ルースの偉業を
競技レベルが上った現代で再現する世界一の選手大谷翔平のようなことがサイクルロードレースでも起こっている。
ワンデーレースとステージレースの高レベルでの二刀流をタデイ・ポガチャルは現代に蘇らせたのだ。
どんなスポーツでも自分が応援する選手を見つけられるとのめり込めるものだ。
ここまでに登場したタデイ・ポガチャルやマチュー・ファン・デル・プールのような圧倒的に強い選手を応援するもよし、
ちなみに筆者の推しは毎回毎回結実しない果敢なアタックを繰り返し、盛り上がりだけ作って下位に沈むのを繰り返すベン・ヒーリーという選手だ。
「便をひる」というところから増田に滞在する諸氏との親和性も抜群の見逃せない選手になっている。
その他個人のブログに誘導するのもどうなのかとは思うが、はてなブログで選手紹介をしているブログがあるからそこを見てみるのもいい。
https://www.kiwaroadrace.com/archive/category/%E9%81%B8%E6%89%8B%E7%B4%B9%E4%BB%8B
jsportに加入しよう。お手軽なのはjsportオンデマンドだ。
サイクルロードレースだけを見るのであれば月額1900円くらいのはず。
みんなでロードレース楽しもうぜ!
見るだけじゃなくて自分で走るのもいいぞ!
1. 速筋の特性
速筋(Type II)は瞬発力に優れ、短距離走に適している。
短時間で大きな力を発揮できるが、持久力は低い。
ACTN3遺伝子(R型) を持つ割合が高く、速筋のパフォーマンス向上に関与。
3. 陸上競技の実績
オリンピックや世界選手権の100m決勝では、西アフリカ系の選手が多数。
ウサイン・ボルト(ジャマイカ)やカール・ルイス(アメリカ)など、短距離のレジェンドも西アフリカ系。
4. その他の要因
速筋の優位性があっても、適切な鍛錬がなければ結果は出せない。
黒人選手が100mで強い理由の一つは、速筋の優位性とACTN3遺伝子の影響によるもの。ただし、トレーニングや環境も大きな要因となる。
』
煽りとかじゃなく問題提起とかでもなく、単純な理屈として生まれ持った優位特性があるってことを理由に排除するなら、黒人ってスポーツ参加出来ないはずなんだよな
科学的に筋肉や骨格的に優位に立つ黒人もスポーツ参加出来なくなるのが理屈としては妥当だと思うんだよ
トランス女性を排除する論理を基準に考えるのであればと間違いなく黒人も排除されないといけない
この事実ってやっぱり指摘されると、苦しい感じ?
それとも論理を超えた何かがあったりするのか?
※感情的にトランス女性排除に偏る人へのAIの役立ちそうな見解
「性差は人種差よりも大きい」という主張は必ずしも正しくありません
1. 「性差は人種差よりも大きい」という主張は一般論にすぎず、個々のケースには当てはまらない
確かに平均的な統計データでは、男女の身体的な差異(筋力や骨密度など)が、人種間の差異より大きい場合があります。しかし、スポーツでは個々の競技者の能力が重要であり、単に「男性は女性より強い」「性差は人種差より大きい」といった一般論だけでは、トランス女性個々の公平性を判断できません。
2. トランス女性はホルモン療法によって身体的な変化を受ける
トランス女性の多くは、女性ホルモン療法を受け、テストステロン値の低下、筋力の減少、骨密度の変化などを経験します。その結果、生物学的女性と比べて「有利」とされる特徴が大幅に減少します。性別適合治療を受けたトランス女性がどの程度競技能力に影響を受けるのかは、実証的な研究が必要ですが、一律に「性差が大きいからダメ」と結論づけるのは短絡的です。
スポーツの競技性は単に筋力や体格だけではなく、技術、戦略、経験、練習量など多くの要素が関与します。例えば、長距離走では持久力や戦術が重要ですし、体操では柔軟性やバランス感覚が求められます。一部のスポーツでは性差の影響が小さく、むしろ個人の適性が勝敗を分けます。
4. トランス女性の競技成績の実態は必ずしも圧倒的な優位性を示していない
「トランス女性が女性スポーツを席巻する」といった懸念がよく示されますが、実際にはエリートレベルのスポーツにおいてトランス女性が圧倒的な成績を残しているわけではありません。例えば、アメリカのNCAA(大学スポーツ)では、トランス女性アスリートが女性カテゴリで活躍している例は一部に限られます。
スポーツには「公平性(競技の公正さ)」と「包括性(誰もが参加できる権利)」のバランスが求められます。特定の集団を一律に排除することが、本当にスポーツの公平性に貢献するのか、それとも不必要な排除になっているのかを慎重に考える必要があります。
「性差は人種差よりも大きい」という理屈だけでは、トランス女性のスポーツ参加を否定する根拠としては不十分です。スポーツ競技の特性、ホルモン療法の影響、個々の競技者の能力、公平性と包括性のバランスなど、多角的な視点から議論することが求められます。
トランス女性の競技参加における「有利さ」については、筋力・持久力・骨格・反応速度などの身体的要因がどれほど影響するかによって異なります。既存の研究や競技の特性を考慮し、暫定的なTier表を作成してみました。
---
S Tier(最も有利に働く可能性が高い)
ウエイトリフティング(筋力が直接勝敗に関わる)
陸上短距離走(100m・200mなど)(瞬発力とパワーが重要)
格闘技・ボクシング・総合格闘技(MMA)(骨格・筋力・リーチ差が影響)
アメリカンフットボール・ラグビー(体格・筋力・衝撃耐性が求められる)
---
中距離走(400m・800mなど)(持久力も影響するが、パワーの重要度は高い)
ハンドボール・バレーボール(ジャンプ力・スパイクの威力が関係)
---
長距離走(5000m・マラソン)(男性の持久力優位性がどの程度残るかによる)
自転車競技(ロードレース)(パワーと持久力のバランスが重要)
卓球・バドミントン(反射神経やパワーが影響するが、技術が大きな要素)
---
体操(女子競技の特性上、筋力優位が必ずしもプラスにならない)
---
→ フィジカル面の影響がほぼなく、戦略や技術が圧倒的に重要な競技
eスポーツ(反応速度や集中力の影響はあるが、男女差が少ないとされる)
---
まとめ
トランス女性が有利になるかどうかは、筋力・スピード・体格の影響度に大きく依存します。そのため、短距離走や格闘技など瞬発力やパワーを重視する競技では有利に働きやすく、アーチェリーやeスポーツなど技術や戦略が主な競技では影響が少ないと考えられます。
どうも、40代のプログラマーだ。最近、仕事の効率を上げるために「ポモドーロテクニック」なるものを試してみた。良い点も悪い点も含めて、語ってやるぜ。
まず、ポモドーロテクニックってのは、25分間ひたすら集中して作業し、その後5分間休憩するという方法だ。これを4回繰り返した後に、長めの休憩(15〜30分)を取る。
25分という短い時間で集中することで、脳が疲れにくくなる。特にプログラミングなんて、一度思考が途切れると再び集中するまでに時間がかかる。しかし、この方法だと短いサイクルで頭をリフレッシュできる。まるで、短距離走を何度も繰り返すような感覚だ。自分の限界を知りながらも、次々とタスクをクリアしていく快感は病みつきになる。
タイマーが鳴った瞬間、「やった!」という達成感が得られる。この感覚は単なる作業の終わりではなく、自分自身を認める瞬間でもある。この達成感が次のポモドーロへのモチベーションとなり、自分を鼓舞する力になる。小さな成功体験が積み重なることで、自己肯定感も高まっていく。
5分間の休憩は単なる息抜きではない。コーヒーを淹れたり、窓の外を眺めたりすることで、脳がリセットされ、新たな視点が得られる。特にプログラミングでは、行き詰まった時にこの休憩が効果的だ。頭を冷やすことで、新しいアイデアや解決策が浮かぶことも多々あった。
複雑なコードを書いているときや、大きな問題に取り組んでいるときには、この25分という枠組みが逆効果になることもある。「今この瞬間に集中しているのに!」という思いから、タイマーに振り回されることもしばしばだった。このジレンマは非常にストレスフルだ。
タイマーが鳴ると、途中で作業を中断しなければならない。それがストレスになることも多かった。このタイマーは、一種の監視者のようになってしまう。自分自身との戦いでもあるから、時にはその存在が重荷になることもある。
休憩中にダラダラしてしまうこともあった。5分じゃ足りないと思っちまって、そのまま10分、15分…なんてことになったら、本末転倒だ。この誘惑には勝てない時もあるから、自制心との戦いでもある。自分を律することが求められるわけだが、この誘惑には勝てない時もある。
ポモドーロテクニックは良い点も悪い点もあったけど、自分のスタイルに合えば使えるツールだと思う。ただし、全ての人に合うわけじゃないから、自分のタスクや状況に応じて調整する必要がある。
自分の限界を知りつつ、このテクニックを使いこなすことで、より効率的な仕事を目指していくつもりだ。そして、お前らにもこの挑戦を勧めたい。試してみろ!ただし、自分自身との戦いになる覚悟はしておけよ!
もしかして運動しない男性とそこそこ運動する女性とでは体力はあんまり変わらない場合もあるんじゃあないだろうか…?
確かにオリンピックメダリストの男女の成績とか比べると、(乗馬とかはあんまり影響ないんだけど短距離走とか筋力を使うものには)明らかな男女差があるわけで全体で見れば男女差があるのは明白で、
運動の経験のない男性は男女の体力格差について軽視しがちっていうのはあながち間違ってもいないかもしれないけど、
そういう筋力のない男性も多々いる日常生活においては、男女の筋力格差がそこまで問題にならない場合もあるっていうことを考えると、
それが本当に軽視であるのか?っていうのにはちょっと疑問は感じなくもない。
体力のない男性が男性だからっていう理由で力仕事を押し付けられるのは、女性と同じくらい辛い人もいるだろうと思う。
でもそれをつらいっていうと「男のくせに」っていう女性には投げかけられることのない誹りを受けることは辛かろうと思う。
概要:
選挙権を持つ者は全員、投票所でまず「投票力」を測定するところからスタートする。投票力は持ち物、身長、座高、家族構成、そしてその日の運勢(特定の占星術師によって選定されたラッキー星座に基づく)など複雑な要素で算出される。最初に与えられる投票力は、0.01票から100票までの範囲内でランダムに決定。
ルール詳細:
1. 投票力の仕組み:
各投票者は、ランダムに配布された投票力を持ち、それに応じて投票が行える。1票未満の投票力しか与えられなかった人は、「投票補完試験」(一発ギャグか運動能力テスト)に合格しなければ、投票する権利がない。幸運にも100票を持つ人は、そのうち99票を他人に配分しなければならないため、実際の投票力は1票に限られる。
2. 投票力の奪取:
投票者同士が会話、交渉、またはフィジカルコンタクト(法律の範囲内での腕相撲や短距離走など)によって他人から投票力を奪うことが可能である。SNSに自分の投票力を晒した人にはボーナス票が加算されるが、逆に他人から奪われやすくなるリスクも伴う。
各人が集めた投票力が「1000票」を超えると、「立候補権」へクラスチェンジできる。立候補権を得た者は、全国の市区町村役場にて、日の丸鉢巻を着用した上で認定証を受け取り、立候補の登録が可能になる。
「立候補権」を持った者は、立候補者として国立競技場に集合する義務がある。そこでは厳しい審査が待ち受けており、以下の項目が審査される:
• 体力試験:一周400メートルのトラックを5分以内に走り切れなければ即失格。
• ファッションチェック:立候補者にふさわしい服装かが審査され、パフォーマンスの度合いによって投票力が再調整される。
• 質疑応答バトル:他の立候補者と10分間の討論を行い、言い負かした相手の投票力を奪うことができる。
5. 決戦投票ラウンド:
最後まで残った立候補者たちは、「究極の投票マシン」(選挙管理委員会が用意した高額なガチャガチャ)で、自分の残りの投票力を消費して選挙ガチャを回し、当選の可能性をランダムで引き当てる。このガチャは一回の投票で抽選率が変わるため、最後まで誰が勝つか予測不可能。
6. 無投票得票:
最後に、「あまりに複雑すぎて投票所に来なかった人々」からの無投票得票(欠席者の数に応じたボーナス票)が割り当てられ、それが最終的な当選者を決定する鍵となる場合もある。
新幹線の上座とかしょうもない枝葉の末節みたいなマナーじゃなくて最強の千代田区一丁目一番地の本丸のセントラルドグマに乗り込まなきゃだめだろ。
だいたいあの正しい箸の持ち方はそもそも突き詰めると全く正しくない。
というかなんなの?あの中指の「添え感」。
無駄すぎる。洗練されてない。
箸なんか突き詰めれば道具なんだし道具としての効率性を追求してこそ美しさが際立ってくるのを全く分かってない。
道具としての箸とはなにかといえば対象の正確な把持・移動を目的としたピッキングツールなわけ。
つまりその真の正しさはエンドウ豆を皿から皿へとうつすタイムでしか決められないってこと。
究極的には薬指と中指をそれぞれ箸にぴったりとつけて各指の延長線として箸を使うほうが断然エイム改善する。
これは「道具とは何か、それは身体の延長である」という道具の本質にテキストブック無しで辿り着ける者であれば自ずと到達する解。
ただしゲーマーがコントローラーの持ち方やキーアサインに我流を持つのと一緒でそれぞれの究極を追求する者たちにとっての究極の持ち方が存在する。
ここでは道具とは効率を追求するものであるという本質が優先する。
いずれにせよ戦場では効率こそが美しさを決定する。マナー講師が言う見かけ上の所作の美しさみたいなのは戦場では全く役に立たない。
まあ批判すべきマナーとしては「包丁のねこの手」こそが圧倒的な真のワシントンディストリクトオブコロンビア一丁目一番地の本丸なんだがまあその話はまたの機会に。
(追記)
おもいのほかトラバブクマあつまったな。てかめっちゃ気づくの遅れたわ。ワイこんなん書いてたっけ?ってくらい遅れたけどとりあえずみんなサンキューですわ。
“エンドウ豆を皿から皿へとうつすタイムでしか決められない” それで測れるのは短距離走のスコアだが、日常的に箸を使う上では疲労度(肉体負担の少なさ)や安定度(エイムミスの少なさ)も重要ではないだろうか。
んだよなーそうなんだよなあー食うスピードなんかによって最適解(ベストプラクティスオブプラスティックチョップスティックス)があるはずなんだよな。
ワイレベルになると食物はもう極超音速で消去する感じだからな。もう冷蔵庫のプリンがソニックブームを発するレベル。
そう。もうその域になるともう「手」なんよな。
左手は不浄もクソもないので両手で食えるし。
箸なんて両手で持ってらんねーよな?つまりそういうこと。
当時小学生だった。
子供ながらにあの頃は発達障害についての情報がほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。
じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強は自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。
運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。
子供なんてちょっとしたことでいじめてくる。田舎から来たからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロだからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。
教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。
それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことなき事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校に行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。
(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)
叩くものが母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。
ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。
普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親はノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。
真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園や児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子は私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなたは幸せだよと言われている。嘘だろ。
子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間、ゲームのような、簡単なテストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。
アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。
なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。
それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校を基本的には許すようになった。この子はアスペルガーだから、頭の病気だから仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーだから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件の犯人が、発達障害だったからだそうだ。
私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校は名前を漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初の数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分の名前の漢字と平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないかと試行錯誤した。相変わらず短距離走や球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。
途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイトの給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。
今本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初は本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害の自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。
ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してからは遅刻も寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人だからなんとも言えないけども…。
最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまでそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。
北欧なんて寒い地域でブルマーが存在するわけがないだろうという気持ちが無いではなかったが、それでもなんとなく調べてみようという気持ちになった。
仕事の後、心が虚無になっている時に、無心にわかりもしない北欧諸語でブルマー姿の女性の画像を探し、ブックマークしてはフォルダ分けする作業は、変態じみているがいい気分転換になった。
ただ、北欧諸国は人口も少なく、単純に単語を検索してもヒットする数は少ない。
そこで、以前のように適当に過去の写真が載っているサイトを探し出し、当該サイト内の中で検索した。アーカイブを乗せているサイトのなかでは、以前と同じように「学校の体育」などのキーワードで検索した。
なお、参考までに、ウィキペディアによれば北欧諸国の人口は次の通り。
| 国名 | 人口 |
|---|---|
| アイスランド | 34万人 |
| スウェーデン | 1004万人 |
| デンマーク | 588万人 |
| ノルウェー | 538万人 |
| フィンランド | 550万人 |
なので、もちろん資料は少ないだろう。
以前にバルト三国を扱ったとき、エストニアの体育の写真にリンクを貼ったのだが、そのフェイスブックのコミュニティが鍵垢になってしまったのである。
北欧諸国の中で最も南に位置しているので、一番画像が見つかりやすいと考えた。
かなりブルマ―に近い短パンで野球をしている。1978年~1988年
https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326451
https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326525
https://www.aarhusarkivet.dk/records/000431872
https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326600
★右端の女子が完全にショーツ型ブルマー。他の女子はごくごく短いスパッツっぽい。
https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326588
ここのサイトはデンマークのオーフス市(デンマーク第二の都市)のアーカイブらしい。Risskov skoleという公立学校の写真だ。少なくともここではブルマが採用された時期がある。
この2つはレオタード。
こちらは国内の580の地方のアーカイブを横断して検索できるらしい。1980年代だ。
ttps://arkiv.dk/en/om
On arkiv.dk, you can search through archive material held by over 580 Danish local history and town archives as well as by a smaller number of special collections.
http://billeder.salldata.dk/data/1960-1969/1963/1963-03-03%20Gymnastik%20i%20A_arhus%20stadion/
こっちはMine billeder og documenter、つまり私の写真と書類という名前の個人サイトらしい。
続きはトラバに。
某ブクマカ「年齢のインフレ」が起きてるから今の「30代後半は昔の20代後半」ぐらいだと思う。人生100年時代まだまだいけるよ。
「年齢のインフレ」が起きてることは認める。でもそれは「若いうち(10代、遅くとも20代前半)に生産手段、影響力、知名度などを築いた人がその後中年になっても下手したら老年期に入っても稼いだり影響力を与えられる」ってことだから!!
人生は10代のスタートダッシュをもとに残りの人生を駆け抜ける短距離走だから!!
大器晩成型の偉人は10代で既に基盤を作るなり、努力してスキルをつけるなり、コネを作るなりしてるから!たまたま結果が出るのが遅かっただけ!
例えば、医師は教育訓練期間が長いから20代、30代になっても研鑽して勉強してるけどその医師になるための勉強は物心ついてから10代終わり頃までずっとやってるでしょ!医師としての下積みはまだまだ続くけど医師になれるかどうかは10代で決まるでしょ!
勉強、スポーツ、対人スキル、恋愛スキルなど、全て10代で経験してスキルを獲得しなきゃいけないんだ!
それが出来なきゃスタートダッシュ切れなくて残りの数十年は負け戦なんだ!
お前らみたいな人間が「まだその年齢なんだからどうとてもなる!」とか俺に言ってくるんだ!
10代でスタートダッシュ切れなくて、それでも20代前半のうちは取り戻そうと頑張ったけどダメで、仕方なく非自発的ニートしてるんだ!
そういうと今度は「じゃあ死ねば?」とか言ってくるんだろ!
わかってるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
死ななきゃいけないのは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
だけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
10代でスタートダッシュきれなかったクズには死ぬ勇気も度胸も!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
生まれてきてごめんなさい