はてなキーワード: リテラシーとは
せめて先行して教育を受けた人達は目を光らせて欲しいけど、モラルが伴わないと機能しない。
おい、現実から逃げるための美談ファンタジーを業界の標準みたいに自己放尿するんじゃねぇよ。
まず 「小学生で高校数学終えた」「中学生で黒字ビジネス」みたいな事例は、単なる例外値だ。平均でも中央値でもなく、ただのノイズ。
ノイズを母集団の仕様だと思い込む時点で、統計リテラシーが幼稚園児未満。
IT業界ってのはな、優秀なやつもいるが、大半は普通の学力・普通の生活・普通の能力だ。
むしろ業界を支えてるのは、そういう普通の人たちがひたすらコード書いて実装を積み上げてるからだ。
天才同士が戦ってる魔境みたいなイメージは、ただの自己放尿的な幻想だよ。
要するに「俺は凡人だから無理」って言い訳を、勝手な神話で薄めて飲みやすくしてるだけ。
お前が競う相手は天才の伝説じゃなくて、仕様書・工数・納期・バグの四天王だ。
IT業界はな、天才のサーカスじゃない。結果を出すか出さないかだけの、ただの労働市場だ。
天才伝説にビビってる時点で、まだリングにすら上がってねぇよ。
怖いなら怖いでいいが、せめて現実と幻想の区別くらいはつけて、自己放尿をやめるんだな。
以上だ。
模範的増田として表現するならお腹痛い日のうんちみたいな映画だった。
最初は今日は普通のうんちかなと思ってたらだんだん緩くなって最後にビチビチうんちになるそんな映画。32点。
傑作韓国映画「テロ・ライブ」のリメイクなんだけどいったんそれは置いておいて。
序盤はめっちゃいい。
テレビの報道風番組が「政治家と電力会社の汚職」について討論している裏で、阿部寛のラジオ番組では「犬派?猫派?」で討論しているギャップから入り、犯人からの電話を小馬鹿にした対応をとる阿部寛の傲慢な性格を描写し、そして実際にテロが起きてしまう。
警察に通報しようとするスタッフを止め元々自分がメインキャスターを務めていた報道風番組のディレクターに掛け合い、独占スクープにして返り咲きを試みる阿部。緩いラジオの空気が一気に張り詰め。ラジオ局では無精ひげでオフィスカジュアルだった阿部がどんどんキャスター然としたルックスに変身していくのは楽しいし、報道規模が上がっていくのもエスカレーション感があり気持ちも高まってくる。
スタジオではマイクが爆発し、キャスターの席に着いた阿部のイヤホンにも爆弾が仕掛けられていることが発覚。緊張がピークに達し、そこから急降下していく。
ここから急に全部が雑になっていく。
犯人は当初「父親が発電所の建築に関わっていたが事故で死亡。しかし会社はそれを隠ぺいした。社長をテレビに呼び出して謝らせろ!」と要求する。しかしその後、「ギャラ1億出せ」と言い出し、「やっぱ総理大臣呼び出して謝罪させろ」と言い、最終的に「阿部寛、お前の罪を告白しろ」と言い出す。
ハァ?
犯人は父親の事故死を取材してたのにそれを発表せず握り潰しに国民的ニュース番組で「真実を明らかにする!」とか言ってる阿部寛のことを一番恨んでいたのだった!ということがわかるんだけど、そのために発電所爆破するか?という話。そもそも握り潰すかどうか阿部寛に決定権ないだろ。さすがにこれは説得力ない。
また犯人の祖父が犯人の幼少期の教師だったとしてスタジオに乗り込んできて、突然発狂しだしてピンマイクを爆破され殺害されると見せかける展開があるんだけど、普通は生死確認するだろ。そもそも普通はスタジオに入れないだろというのはもう報道ズハイになってるんだと強引に解釈しても、さすがにゲストとして出した人物の胸が爆発して倒れたら駆け寄るし、生死確認はするだろ。放置するのはあり得ない。
しかもその後数分間は妙に死体(死んでるとは言ってない)越しのショットが多くてはいはい死んでない死んでないってある程度リテラシーのある視聴者にはわかる作りになってるのも逆にうるせぇ。
他にも竜星涼が演じる阿部の後任キャスターが犯人から送られてきた不正告発メールを元に阿部の不正疑惑を突然糾弾しだすんだけどめちゃくちゃ演技がかってて「我、正義の探究者ぞ!!!!」みたいな感じでドン引き。テロリストに爆弾まみれにされたスタジオで犯人に空気入れられてよくその態度になれるな。こいつが犯人なのでは?と思うほどだけど別にそんなことはなく、単に突然スイッチが入ったカッコつけ正義マンだった。なにこれ。
見せ場のために見せ場を配置しすぎなんだよね。シーン単位でしか考えられてないから、物語の流れで見るとそこがどう見えるかが考えられてないんだと思う。
最悪なのは最終盤の展開。
阿部寛が犯人の父親の事件を公開しなかったのは実は電力会社、総理、テレビ局の談合の結果で隠蔽する褒美として阿部寛は報道風番組のメインキャスターに抜擢されていたことが発覚。なるほど、だから犯人は「電力会社」「総理」「阿部」に謝罪を求めたのかと感じるんだが、でもこの事実は犯人知らないんだよ。
阿部が「すいません、俺が隠蔽しました。真実はこうでした」って自分から持ち出してくる証拠だから。
なのでやっぱり犯人の要求が二転三転したのは何だったの?ってなっちゃう。
そして阿部は犯人のお前の罪を告白しろという要求にこたえ、突入した公安に犯人は逮捕される。
すると阿部は突然発狂し「この2時間マジで興奮した!!!これがやりたくてテレビ入ってきたんだよな!!!」と言い出し、頭おかしすぎて草ァ!と思ってたらその勢いで「じゃあ視聴者の皆さん、俺が死ぬべきか生きるべきか視聴者投票しましょう」と提案。なぜかスタッフがそれに乗って画面にアンケートを出すのも本当に意味不明。出すわけないだろ。
その投票結果は作中には登場しないんだけど、結果を見た阿部は犯人が持っていた爆弾の起爆装置を手に取りスイッチを押す。
その後、事件を政府ぐるみで隠蔽したのはどうだこうだ話すコメンテーターや、今回の事件を塗り替えるようにロンドンでテロが起きてどうのこうの、そんなこととは関係なくヒット曲を流す音楽番組みたいな「はいはい事件があっても何も変わりませんよわかったわかった」という映像が差し込まれて、パフュームのキレッキレのダンス映像がエンディングで流れて終了。
この展開、特に阿部寛が発狂して視聴者が「死ね」に投票するのおもろいと思ったん?阿部もアンケート出すスタッフも頭おかしすぎてハァ?としか思えんわ。
もろちん途中で阿部がとった「総理は謝罪すると思いますかアンケート」の結果、圧倒的に「しない」が優勢で「おい総理、お前こう思われてるぞ。考えたほうがええんちゃうか?」と糾弾した展開のミラーとして「俺はちゃんとするぞ」という姿勢に捉えられなくもない。でもそれって、総理が「俺が謝罪した方がいい?」と聞いて「謝罪しろ」の結果に対してブッチしたのに対してなら成立するけど、勝手にアンケート取っといて無視したことに対するミラーリングとして成立してないだろ。
もうこの最後の展開がビチビチうんちすぎて本当に憂鬱になった。
原作では主人公の設定自体は同じで爆破箇所が発電所ではなく巨大な橋に。犯人の要求は大統領の謝罪一本。橋にはリポーターとして主人公の前妻が向かっていて第二爆発で危険な状況に。刻一刻と状況が悪化する中、大統領は一向に謝罪する気配はなく、橋は崩落し前妻は行方不明に。大統領秘書とテレビ局長が組んで主人公の過去の癒着を全国的に公表しさらには今回のテロの犯人一味だと発表。犯人は射殺され、主人公を逮捕しようと警察が迫る中、主人公は犯人が遺したテレビ局に仕掛けられた爆弾の爆破スイッチを押す。
まずリメイク版では「誰もいない旧発電所」を爆破していたのに対して、原作ではバリバリ稼働中の橋を爆破する。そして最終的に主人公の前妻が巻き込まれた際に犯人は声を震わせ「こうでもしないと大統領は謝罪しないと思った」と述べる。覚悟が違うよね。
前妻がテロ現場に残された結果、主人公にも大統領に本気で謝罪を求めるべき正当な理由ができ、あ最初は功名心だけだったのがだんだん"正義"に目覚めていく。あるかないかわからんスタジオの爆弾じゃなくて、目に見えて危機に瀕している人を配置する(しかも橋はどんどん崩落していく時間制限まである)のは展開としてやっぱ強度が違う。
しかしその結果として最後には主人公が自分のすべてを国と組織に剥ぎ取られた結果、犯人と同化しテロリストとなり自害する展開は、誰もがテロリストになりえるというテーマ性や、こうでもしないとこうまでしても何も変わらないという強い諦観、そして現状に対する強いメッセージ性があった。
なに、最後の阿部寛が発狂してこれがメディアだ!視聴者だ!ジサツ!っていう露悪展開。アホなん?
規模感もメッセージ性も全部後退してる。リメイクする意味is何?インド版リメイクはめちゃくちゃ頑張ってたぞ。
地域性を鑑みた改変はいいよ。リアリティを高めるために必要なこともあるよ。
サツヨコとかしてる異常者を警察が起用するな!って騒いでるけどすこし落ち着いてほしい
三橋貴明は実際にAI動画で違法な詐欺広告に使われてるから「私はそんなことしません」という注意喚起に使われているだけ
参政党支持者やネトウヨがそういう詐欺の対象になる程度のリテラシーしかない証左でもあるのだからあまり怒らないであげてほしい
使ってもらうためではなく、見てもらうためである。
絵や漫画やデザインは、作品そのものが商品であり、表現であり、人によっては自分の一部だったり、子どものような存在として扱われることもある。
いうてイラストレーターもネットで落ちてる画像参考にするし、他人の絵から学んだりするし(模写は良い例)、機械がやってるか脳がやってるかの違いしかないんじゃないか?
問題をさらに複雑にしているのは、AIそのものよりも悪意のある人間の存在だ。
AI学習をしないでほしいと言うクリエイターの絵をAIに学習させ、公序良俗に反する画像を生成し、それを晒して嘲笑するという行為があったらしい。
XのTLを見ていると、AI絵師と呼ばれる人たちとクリエイターたちがよく争っている。
イラストやデザインに関わる仕事や創作をしていて、食卓ではロボットやプログラミングや機構の話をしている。
どちらの文化にも触れており、この問題に価値観の違いがあることを強く感じている。
⸻
技術者の文化は、技術は人類の叡智として共有されるべきという発想を土台にしているらしい。
そしてネットに公開された技術は誰が使っても良いものとして扱われるそうだ。
私の家族も、大事に作り上げたプログラムが役目を果たした後、GitHubに上げて「自分の技術は人類の叡智になる」と言った。
GitHubとは、プログラムを公開したり、他の人のプログラムを見て学べる場所、という感じだ。
ここにアップしたプログラムは使って良い情報として扱われ、それが別の誰かによって改良されることで技術は前に進む。
重要な点として、技術者は共有したくないものはネットに上げない。
共有する部分と共有しない部分を明確に分けていて、他人に使われて困るものや、自分だけが持っていたいノウハウは絶対に公開しない。
「使われたくないのならネットに上げるな」という言葉は、おそらくこの文化の延長線上にあるのだろうと思っている。
使ってもらうためではなく、見てもらうためである。
絵や漫画やデザインは、作品そのものが商品であり、表現であり、人によっては自分の一部だったり、子どものような存在として扱われることもある。
しかしイラストについては特に、データとして流用しやすく加工も容易だという弱さがある。
ここに技術者とクリエイターの文化の差がはっきり表れると感じる。
技術者は、公開された情報を使うのは自然なことであると感じているし、共有によって技術が発展してきたと確信している。
クリエイターは、作品を公開するのは見てもらうためであって、他者に勝手に使っていいという意味ではないと思っている。
どちらも自分の文化に基づいた反応なので、議論そのものが噛み合わない。
そこに生成AIが両者の真ん中に出現したために、ギャップが一気に表面化したのだと感じている。
問題をさらに複雑にしているのは、AIそのものよりも悪意のある人間の存在だ。
AI学習をしないでほしいと言うクリエイターの絵をAIに学習させ、公序良俗に反する画像を生成し、それを晒して嘲笑するという行為があったらしい。
また、特定のイラストレーターの画像を学習させて多くのイラストを出力し、それを無許可でグッズ化して販売する話もよくある。
これは生成AIの問題というより悪意や倫理や権利侵害の問題だが、クリエイターからすれば「生成AIに奪われた・壊された」という印象が強烈に残る。
技術者からすれば、AIのせいではなく人間の問題なのが、これも文化差ゆえに理解し合うのが難しいのだろう。
技術者とクリエイターの文化のどちらかが悪いわけではなく、どちらにも正しさがあり必要な世界だと思う。
技術者である家族と、クリエイターである自分の間にある価値観を行ったり来たりしているのだが、この2つの文化や技術は本来敵対するものではなく、どちらも素晴らしく豊かな世界と感じているので、両方の世界に関わる立場として、お互いの文化が穏やかにすり合っていく未来を願っている。
お前の読解力が氷点下なだけだ。論理はすべて文中に書いてある。
これを叫んでるだけとしか認識できないなら、経済以前に算数のリテラシーを疑う。
論理がないと言う前に、最低限の前提条件を読む脳を持て。
MMTの前提は自国通貨建て国債なら破綻しないだが、それは信用が持続する限りというただし書き付きだ。
信用が揺らげば通貨が売られ、為替が崩れ、物価が暴騰する。それを破綻と呼ばずに何と呼ぶ?論理とはこの因果連鎖のことを言う。
お前が論理的思考を放棄した耳で、現実の悲鳴をノイズとしてしか聞けていないだけだ。
そして最後に言っておく。論理がないと言う奴の9割は、自分が理解できない現実を前にして思考停止している。
お前のコメントは、理解不能を正当化するための自己放尿に過ぎない。
温もりがあるうちは気持ちいいだろうが、すぐに冷えて臭う。
自分は自分で考えたけど、今の若い子はリテラシー教育とかされてるんだろうか?
知り合いがそれをやってたら「ああこの人程度が低いんだな」と思われてしまう
最低限の裏取りはできたらしておきたい
前提を調べるのが難しい場合、他の人の反応を一旦見たほうが良い
これは相対的な話で、9割の人が騙されてる人に乗っかっても、一応その人はそこまで傷つかない
逆にほとんどの人が突っ込んでるのに自分だけ釣られた場合は、寄って集っておもちゃにされる
「もしこれが正しいとしたら〜だ」という前提をつける
はてなーがよくやってるやつ
俺はこれ嫌いなんだけどね、調べろやそんくらいって思っちゃう
もう少しいい方法としては「〜かもしれない」「〜と思う」「個人的に」という保険のかけかた
「Aは最低だ、今すぐ辞めろ」ではなく「◯◯は許されない」と言ったほうがより支持されやすい
これは仕事でも使える
「Aの◯◯の行為が炎上」という記事があったが、本当にそれをしたのかなど前提が調べても分からなかったとき
たとえば「◯◯ではないけど、俺も△△とかよくされるんだけどしんどい」のように、似てるけどちょっとずれたコメントをする手もある
「Bさんも◯◯をしたが、がっかりした」のように、もう情報が確定している話題をするのもいい
これは普通の会話でも使える
要は話を逸らしてるんだけどね
「やめろ」「しろ」「変えろ」のように、何か行動を伴わせるような命令発言は非常に強い言葉になる
問題というのは
の順に明らかになるんだけど、いきなり処遇の話すると「人格攻撃」「話聞かない人」「クレーマー」のような印象を他者に与える
結果的に「何か怒ってる人いる怖い」のように見えるのでマイナスしか無い、バカに思われる
今の話題のフェーズの捉え方を間違うと、なんだコイツ?短絡的な人間だな、と思われる
主語をデカくすると、当然反例が発生し、それで反発されることが多々ある
狙って炎上させるとき以外は主語を小さくするのが良い、最も小さいのは「自分」とか「誰か」だ
そのため油断すると全部が「それは違う」という意見だらけになる(特に日本人がそうらしい)
90点の対象に対して理想を言えば称賛が並んでいてほしいと思うだろう、しかし実際適当にコメントさせると残りの10点の話ばかりになる
アホが撮った映画、もしくは俺とは違う世界線の人間が撮った映画。
4点(100点満点中)
とりあえずこの映画が俺宛てに作られてないことは明らかなのでこの点数がフェアでないことは明言しておく。
紫式部が林修の「いつやるの、今でしょ」をパロるとか、北条政子が徹子の部屋ならぬ「まさこの部屋」をやるとか、ひろゆきのパチモンが出てきて「それってあなたの感想ですよね」とか言ってみたり、この辺のクソみたいなパロディが出てくるたびにDANDAN点数引かれてく(唐突なクソパロディ)。
でもたぶん、この映画はこういうクソパロで「林修wwww」「ひろゆきwwww」みたいな層をターゲットに作られているんだろう。だから俺がこれを見たこと自体が間違いだったのだと思う。
それはそれとして、この映画を作った奴と俺が同じ時代を生きたとは到底思えない。
話の大筋としてはコロナ禍の日本で内閣でパンデミックが発生、総理が死亡。日本は大混乱に陥った。それを解決するためにAI技術とホログラフィック技術を融合して過去の偉人を復活させ、偉人内閣が発足されたのであった。しかし、その偉人プログラムにはある陰謀があって……という感じ。
とにかくコロナ描写がもうめちゃくちゃで冒頭で総理がコロナで死ぬわけ。
なのに記者会見は常にミッチミチに人が詰まってるし、新垣結衣はじめ記者連中はマスクしてたりしてなかったりしてる。財務官僚たちも粗末な部屋でこれまたマスクしたりしなかったりしながらミッチミチにつまって口泡飛ばしながら仕事してる。
え?コロナで総理死んだばっかだよ?そんなリテラシーなことありえる?
豊臣秀吉が「全国民に給付金50万を10日以内に給付する!」って言い出して「方法は知らんけど、やると言ったらやる、やらせる!」という"強い"リーダーシップを発揮するんだけど、ソフトバンクだったらそれでいいんだろうけど国がそれじゃマズいだろ。確かに決断がおせぇよボケと思うことはあるけど、それでも国が動くってことは税金が動くってことであって、とりあえずやってみようじゃマズいんだよ。
そして最終的に秀吉が言うのは「全員呼んでとりあえず手渡しすればええやん。不正する奴?平穏が戻ってから打ち首にすればええやん」ってことなんだけど、これの後半部分は企業給付金で実際にあったことを下敷きにしてるとして、今、コロナ禍なのね。しかも直前に家康がロックダウンを指示してる。全国民、家から出るなと。家から出られないと収入とかが困るから給付金を配るって話なのね。
なんで手渡しで渡すねんボケカスゥ!誰が渡すねんボケカスゥ!パンデミックどうすねんボケカスゥ!そもそもロックダウンどこ行ってんボケカス、◯ねぇええええ!!!!
この脚本書いたやつ、もしかして鶏かなんかなの?3歩しか記憶持たないの?メメントなの?
緒方洪庵を復活させてワクチン研究をさせた結果、一瞬で国産ワクチンが開発されてそれを海外に売るみたいな展開が出てきて、これは日本がワクチンでマゴマゴしてるうちに海外からワクチンを売りつけられたことに対するカウンターだと思うんだけどさ。
確かに緒方洪庵はすごいよ。あの時代に天然痘ワクチンを発明しそれを維持展開する構想力、実行力はまさに偉人だと思うよ。だからって現代のコロナワクチンをそんな一瞬で開発できるわけねーだろ。ワクチンを、医療技術者を舐めてんのかカスゥ!日本でだってみんなコロナに怯えながらも有数の天才たちが集まってワクチン開発しとったわい。緒方洪庵がいたらなぁじゃねんだワ。
あとロックダウンした結果、失職した人いっぱいいるじゃん。困ったじゃん。せや!国営農場作ってそこで雇えばええやん!農場やったら感染率も低いやろうし、自給率も爆上がりして最強や!みたいな話になってワイドショーのコメンテーターも「さすがや!!!」ってなるんだけど、ソフホーズとかなかった世界の話なん?職業選択の自由のない世界の話なん?
ほんまにそう言うこと一切頭になかったん?
このコロナ描写だけ見ても「こいつらってもしかしてコロナがガチの単なる風邪だった世界線から転移してきた人間」だったのか?って感じがしちゃう。もしくは「コロナは元々今くらい全然感染力も威力も低かったけど世界政府の陰謀で死者が水増しされてただけなんだよ!」という思想の持主か。
後はなんかもう国民がバカに描かれすぎてる衆愚政治の極みではとかも気になったけど、今の参政党支持の広まりとか見ると逆にここを批判する気にあんまなれないというか。絶対にそんなつもりはなかっただろうけど時代を先回りした批判的作品になっちゃってるのはちょっと草。草じゃないが。
雑コスプレ感によるチープな絵作りももういいわ。最初に書いたクソパロやりたかったんだったらこれくらいのクオリティで十分なのは実際そうだし。あと偉人の解像度の低さね。小学校の教科書に書いてるレベルのことしか取り上げない。上っ面だけ。なのももういいわ。その辺真面目にやる気なかったんだろうし。
最終的に秀吉VS家康の関ヶ原の戦いになるんだけど、そこで秀吉が10分以上ペラペラペラペラ現代の政治、民衆批判を行うのね。「批判ばっかりの野党」「寝てばっかの政治家」「何の声も上げない民衆」「投票率も低い」「自分の意思もない」「ダラダラ話し合いしないと何も決められん政治家」「列強に好き放題されてる」うんぬんかんぬん。だからワシがこいつらを支配して導いてやるのじゃ!みたいなことを言うわけ。
俺はそもそもテーマを登場人物に喋らせる映画が死ぬほど嫌いっていうのは一旦置いといて。
で、ここの演説が刺さった!感動した!みたいな奴らがいっぱいいるんだけど、俺はこう思ったわけ。
「言ってることが増田なんよ」
もう完全にこれなんよ。言ってることが増田なんよ。増田で1000回は聞いたわこれ系の話。豊臣秀吉現代に復活したら模範的な増田民なのかよ。もうしわけないけど、発言が雑魚すぎるんよ。
それに対して家康は「確かにそうなんだけど、ワイが見てきた限りではみんな頑張ってるしそこまで愚かじゃないと思うから信じようよ」みたいなこと言って国民大感動号泣の中家康コールが巻き起こって秀吉は敗北するのであった。
この作品が世間的に「メッセージ性が強い」から高評価とされてるんだったら、増田で政治論語ってる連中はどんどん映画撮るべきだと思うわ、マジで。
そしてその場で家康は偉人内閣解散を宣言し、偉人内閣は消え失せるのであった。
え!?パンデミックで内閣が機能不能、総理大臣が急死して国内が混乱に陥ったから偉人内閣を発足したのに、当日急に解散宣言して宣言したその場で内閣の閣僚含めて主要メンバー全部消滅するの!?ヤバない?現実の政治でも内閣解散しても結果出るまではみんな大臣としてちゃんと仕事するよ?みんなガチで消えちゃってだいじょぶそ?
その後、普通に投票が執り行われ投票率は70%を越え、国民はみんな国政に関心を持ったのでしためでたしめでたし。
製作者全員が俺が生きてる世界とは別のなんかファンタジーな世界に住んでてその世界にある日本を撮ったとかじゃない限り何一つ納得性のない映画だった。少なくともコロナ絡めたのだけは俺は許せないかな。
コロナ禍において偉人が強烈なリーダーシップを発揮するっていうのがコアなんだとしても、そのコロナ描写がゴミカスだったら全部の説得力終わってるし、コロナ禍でガチで苦労してたり大事な人を亡くした人たちに対してどのツラさげてこの映画をお出しするんだろうって感じ。
持ち家はいいとしても、ギチギチの土地にプラモデルみたいな3階建てのやつ建てるのってなんか嫌だよな。
健康ならいいんだけど、なんか年取ったらたいていの衛兵は膝に矢を受けて階段上り下りできなくなるらしいぞ。2階建てでさえ寝室に行くのが苦行になるらしい。
老後も考えたら平屋がいいと思うんだけどそんな贅沢に土地使えないというジレンマがあるよな。
子育て期間は部屋数も必要だし賃貸で対応して、老後は部屋が少ない平屋を建てるとかのほうがいいのでは?
(追記)
やっぱ平屋いいよな。土地があればだけど。あとは目立ったリスクは洪水のとき床上浸水で全滅くらいか?
中庭がある平屋が理想なんだよな。誰にもみられずに開放的に全裸カンフーしたい。
なんていうかこう持ち家vs.賃貸の話って持ち家がメリットある的な結論になりまくるからもう持ち家が神話性おびてきてるよな。
まあその評価軸が資産性とかキャッシュフローとかの面が第一になってるからなんだと思うけど、家ってそれだけじゃないよな。
人による面が大きいというか。
持ち家の神話がデカくなりすぎて本来持ち家を買うべきでない人とか、その人が買うべきでない物件を買う人みたいなミスマッチが多発してそうなんだよなあ。
持ち家がいくら正しくても、カレーのジャガイモのように、ライフスタイルを考えれば持ち家を買わないほうがいいような人がそこに紛れたりすることは避けられなそう(ジャガイモ派への挑発)
ライフスタイルでまずマンションと一軒家を分けて、その後に建売か注文かを分けてで決めれば良いと思う。別に弱点とかでなく選択肢の違いなだけ
家を買うとなればこういう意見にはまあハンドレッパーアグリーではあるんだがこういう選択肢を冷静に選べる人ばかりじゃなくない?
ライフスタイルの変化で住みかえればってのはあるけど、うまく住み替えれるかどうかがわからない不透明性とかもあるし、なんかこうデカ金額を負債としてハンドリングし続けるのが結構ストレスというか。
ローンももちろんストレスだけどたとえ資産でも毀損するリスクとかおもいもよらぬ外部要因とか考えたら、なんかこう地味に生殺与奪の権他人に握られ感あるよな。
最寄りの交差点が完全に陥没とか、ありえなかったこともこれからよく起こりそう。それらをあんま考えんでいいという隠れた?メリットが賃貸にはあるよな。
あと都会でちゃんとした物件を買える経済力ある人は住み替えなんかも簡単だろうけど持ち家神話に流されてギリギリの生活でギッチギチの物件買う人がそれをスムーズにできるかといえば怪しいきがする。
注文もカスタマイズしまくると売りにくくなるというジレンマもあるらしいしな。
持ち家と賃貸は市場の見えざる手がバランスを取るので不毛な争いだと思ってるけど、持ち家派の最大の弱点は近所におかしい人が住んでいる可能性かなあ。
これは結構簡単に解決すると思うんだけど、要は隣人ガチャがどんだけ外れようと自分の方がより狂えば相手は正常になるからな。これは簡単。
(追記)
ずっと我慢したけどサァ・・・さすがにもう1日くらい経ったから言わせてもらいますわ・・・・
『逆逆ゥ!膝に矢を受けたから衛兵になったんやろがい!』
大卒なら数万する専門書だって卒業生特権でどこの大学のも取り寄せて読める。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251105183414# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQsaFwAKCRBwMdsubs4+ SPY9AP9YDICkJ+w28Ifvz3BzXc+c54PYnMRUNYLXUtpbzzbVQgEAxmEb2VVZKsLQ Jt90p6pbJRuqb64maUL59wuxNm9whQg= =sBZl -----END PGP SIGNATURE-----
映画館でスマホ使うなって叩いてる連中、時代遅れにもほどがある。
今の映画館では、聴覚や視覚にハンディがある人がスマホで字幕や音声ガイドを受けて映画を楽しんでる。
スマホ=マナー違反って硬直した考えで排除しようとするやつは、その事実を知らないか知ってて目をそらしてるだけだ。
暗闇で光るから迷惑だって言うやついるけど、本当に迷惑なのは他人の事情を想像もせずに決めつけて叩く態度だ。
自分の快適さを守るために誰かを締め出すのが正義だと思ってるなら、それはただの無知であり差別だよ。
映画館にスマホ席作ればいいだけの話を、何も考えずにマナー論で潰すやつは、結果的に障害者の観賞権を奪ってる。
静かに見る権利も大事だけど、スマホ利用を一律に敵視してるやつの正義感ほど危険なものはない。
要はリテラシーの問題だ。技術で誰でも映画を見られる時代に、排除で安心を得ようとするのはもう通用しない。
実家暮らしで学費もなにもかも親にだしてもらってて好き勝手朝帰りしてバイト代を全部好きなように使えて,その状況で5000円積み立てていることを明るみにして,えらーいって言われて,これくらいのマネーリテラシーあって当然ですけど,ないお宅らが低俗なだけでは?って得意げになっている様,やーだな。って,思ったときのことを思いだした。
最近のTwitter,貧乏人 VS 親が金持ち。その前は,美容命 VS すっぴん。
なーんかさ,わかりあえないからって嫌味を言い合うからよくないんじゃん,と思う。経済状況が悪かろうが生まれ持った容姿が女優級じゃなかろうが,生きてていいしバカにされる筋合いはない。それでいて,なおかつそのような性質の人だからといって,経済的に豊かなひとや見た目に自信があるひとを不用意に傷つけていいわけではない。逆もしかり。
私も自分で生活費等々をなんとかしてるからさ,暮らし向きの明るし実家住みのひとのあれやこれやを聞くとはあ?って思うことはある。思うことまではしょうがない。けど,それをその人の前で出したらあかん,ただそれだけやないんかな。経済状況も容姿のこともしゃーないやんか。配られたカードで勝負しなくちゃいけない局面だってある。羨んでも仕方ないとわかりつつ,恨めしく思うときもある。けどそれが常になっちゃだめだし,ましてや自分と違う環境にいるひとを攻撃するのはお門違いだよ。
不幸になりたいならそうするほうがいいのかもしれないけど,とふと思う。
文化、制度、環境が異なるのだからあらゆる国際比較のほとんどは意味がないんだよね。
記者はキャッチャーなタイトルで釣りたがる、センセーショナルな内容で耳目を引きたい
比較にはなんらか客観的なベンチマークが必要だから仕方がないとはいえ
それを承知で記事を読めるリテラシーがあればいいけど、大半の人は斜め読みで知った気になる
これが怖い
例えば性犯罪、日本と諸外国では統計上の定義が大きく異なる(どこまでを性犯罪と括るか)
アメリカは警察への被害届が無ければ保険が使えない、公的な救済が得られないので積極的に被害届が出される
日本はそうではない、そもそも文化的に泣き寝入りが多い(暗数95%程度と推定されている)、
さらに警察は事件化、立件の見込みが無ければ被害届を受理せずに「相談」で追い返す。統計上の発生件数は小さめに振れる。
強姦はパートナー間が多いのだけど、日本ではまず受理されない。公判維持がほぼ期待できない。アメリカはガンガン受理する。
マスコミはやるのよねw
そしてそれが当事者には1なのか100なのか判断できないことと、当事者からすれば100までではなく5が達成できれば十分であることが多いこと。レモン市場ってやつ?
本来的には内容証明郵便でネットに転がってる退職届をぶん投げれば、おそらく半分くらいの会社はそれで連絡をしてくることはないんだよな。内容証明ってだけで相応の法的リテラシーのある会社は無理をしないから。会社の備品を返してないとかの非がありゃ知らんが。
一方で稀によくあるヤバい会社は自宅に駆け込んでくるわ鬼電するわ、会社内の「見せしめ」などの目的で利益度外視でトンデモをやってくることは確かにあるんだけど、本来そのレベルに至るような会社であれば「退職を単に代行する」だけで済むわけが絶対にないんだよ。交渉なくして逃げられるわけがない。ただ単に伝えることしかできないはずの『代行』屋さんが遵法精神そっちのけのナメられたら終わり理論で押し込んでくる会社を止められるわけがないし、止める権限も持ってない。本来なら弁護士が間に入ってやるべきことになるはずなのに、それができない。
だから弁護士を紹介することによる利益があるんですね……って、それなら最初から非弁行為せずに弁護士がやりゃいいんだが、弁護士の仕事として金銭的にちっともペイしないからこういう歪んだ結末に至るんであって、じゃあ制度通りただ『代行』してるだけでも解決なんざしないし、弁護士もバケモンとぶつかる可能性が高い仕事を受けるなら相応に金を貰わないとやってらんないだろうし。
でも当事者は本当に「辞められればいい」「関わり合いになりたくない」がゴールラインだから、弁護士からすれば裁判でも戦いようがあると思ってもエスカレーションしないから余計に実入りが悪い。でも『代行』にとってはそういうのを弁護士に投げてしまえさえすれば、本当は1で済むのに依頼してくれる依頼人からの依頼ばかりをコスパよく請け負える。
本当に時代の徒花、って感じがしてならない。
このトピックは、日本の金融資産構成とインフレへの対応に関する非常に示唆に富む洞察を含んでいますね。いくつか重要な点を整理し、補足的な考察を加えてみます。
ご指摘の通り、日米の家計の金融資産構成には大きな違いがあります。
この差の背景として、「インフレへの慣れ」は非常に説得力のある要因です。
「インフレになったら、常識人は『インフレに強い資産を持とう』と考える」 「ところが日本人は、『物価高で生活が苦しいから、もっと将来にそなえて預金しなきゃ』と考える」
この行動の差は、まさに金融リテラシーというよりも、「過去の経験に基づく行動様式」の違いです。
インフレ下で現金貯蓄を増やす行為は、インフレによる価値の目減りを無視すれば、物価上昇による生活費の増加や将来への不安に対して「手持ちの現金を増やす」という一時的な安心感をもたらします。
しかし、長期的に見れば、これは実質的な資産の減少を意味します。資産を寝かせている間に購買力が失われていく、という指摘は的を射ています。
「今後、日本人がインフレに慣れてくれば...もっと投資をする人が増えてくる」 「その時に、円をオルカンへ振り分けることで円安は加速して物価高は悪化し、貧乏人はさらに生活が苦しくなるだろう」
この見解は、今後の日本経済が直面する可能性のある「資産インフレ(良いインフレ)とコストインフレ(悪いインフレ)の格差拡大」を鋭く指摘しています。
日本人がインフレ回避のために円資産から外貨建て資産(オルカンなど)へシフトする動きが加速すると、円を売って外貨を買う取引が増えるため、さらに円安が加速する可能性はあります。
円安が進行すると、輸入物価が上昇し(悪い物価高)、生活必需品やエネルギー価格などが高騰します。
この状況で、投資で資産を増やせる層と、現金貯蓄しか持たず、物価高に苦しむ層(貧乏人)との間の経済格差は、一層拡大していく懸念があります。
インフレは資産を保有している人と、現金を貯めている人との間で、静かに富の再分配を引き起こす側面があると言えます。日本がデフレ時代からインフレ時代へと移行する中で、この「インフレ格差」が社会的な課題となってくる可能性は高いでしょう。
この差が生まれる一つの理由は、アメリカはインフレに慣れているからだ
そもそも、インフレになったら、常識人は「インフレに強い資産を持とう」と考える
ところが日本人は、「物価高で生活が苦しいから、もっと将来にそなえて預金しなきゃ」と考えるらしい
「インフレが加速する時代に、預金を選ぶのは自○行為」ということがわかないのは、価値の目減りという概念を血肉として理解していないからだろう
別に、アメリカ人の金融リテラシーが高いわけではない。インフレの時にお金を守る簡単な方法が投資であるというだけだ
しかし今後、日本人がインフレに慣れてくれば「あれ、俺の貯金、物価高で価値が減ってねぇか?」ということをちゃんと理解する人が増えるだろう
その時に、もっと投資をする人が増えてくる。円をオルカンへ振り分けることで円安は加速して物価高は悪化し、貧乏人はさらに生活が苦しくなるだろう