はてなキーワード: シルバニアとは
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性的嗜好として、私は嗜虐癖(というのだろうか)をもっている
SMの女王様とかではなく、私から見て同性の女性が、セックス抜きで尊厳を奪われている状態に一番興奮する ここに書けるレベルだと機械姦とか晒し刑とか
嗜好が女性に定まったのはもう少し遅かったが、嗜虐癖については物心ついた時からそうだった
小学校に上がる前にはすでにリョナの絵を描いて興奮し(今はリョナは無理)、小学校低学年の時には親に隠れてリカちゃん人形やシルバニアの服を脱がせて遊んでいた
親は当然そんなコンテンツに私を触れさせたことは一度もなく、前世で何かあったとしか思えない
とはいえ私は、自分の手で自分の性的欲求のために他者に害を加えたことも、目の前にいる知人に欲望をもったことも、一度としてない それは断言できる
羞恥系AVとかは見るから、生身の他者が加害される様子に興奮しないわけではないのだが
なぜそうなのかはわからないが、私は妄想だけで十分だった ほんとうにこのレベルで済んでよかった
ただ、神戸の尾行殺人のニュースを見ると本当に怖い反面、私とあの殺人者のほうとの違いはなんなんだろうと思ってしまう
私が目の前の他者への加害欲を持たないのは、多分イデアとしての理想的な加害でしか満たされないからだと考えている 加害される他者は、そのためだけに作られたキャラクターであってほしい、そこにその人の人生の重みとかがあるとやっぱり萎える
つまり私には、目の前の他者の人生の重みをなんとなく感じ取る能力、より簡単に言い換えれば、他者の痛みを己の痛みとして共感する回路がギリギリどこかに残っているのだろう
共感する回路、目の前の実在の他者の痛みを己の痛みに移し替える回路を失ったら、私は殺人者どもと同じ化け物に成り果てるだろう
でも幸いにしてそうならなかったのは、私の欲望の対象が女で、私も女だから、というだけかもしれない
恋愛対象自体は男性で、恋人もいたことがあるが、セックスしたいという欲はほぼなくて、なんだがそれが寂しかった(加害欲もほぼなかった)
今も好きな男はいるけど、普通の恋愛関係で「心と体」が同時に満たされることはないんだな、という、うっすらとした絶望はずっともっている
その絶望が犯罪に人を走らせる感覚は、髪の毛一筋ほどはわからなくもないのだ
我々は生身を持って生きているのに、イデアの中でしか性的欲求を満たせないのだから
好きな男は「誰であれ、人が人権を蹂躙される様子だけは自分は決して許せない」と言っていた、それを本心から言い切れる彼を心から尊敬していると同時に、そんな私は本当の意味では、彼の隣にいる資格がないんだ、と、一人の夜にたまに思い出す
どれくらいブスかというと子どもの頃から散々な目に遭った日は数知れず…
幼稚園や小学校の頃虐げられまくっていたのは言うまでもなく(小さい子どもって残酷ですね)、周りもまあまあ成熟してきているはずの中学生になっても「こんなにブスなやつ見たことない」と言われたり、後ろの席の男子に椅子を蹴られまくり、椅子と机との間に挟まって苦しくて悔しくてその場で涙がこぼれたこともありました。
心機一転、高校は女子高だったから天国だった…とはならず、卒業式の日にクラスのイケてる子数名から「美優(仮名)はほんまに面白かった!ブスやけど笑」としっかりトドメを刺される始末。
ただ、吹奏楽部だったこともあり、穏やかで優しい友達にも恵まれ、テスト明けにいつも数名のグループでお買い物やカラオケに行って楽しかった思い出もたくさんあります。
(吹奏楽部は気が強い子もいるけど、純粋に楽器や音楽が好きな子も多いので)
問題はそのグループの中に、めっちゃくちゃ上品でいい子なんだけど「この人私のことバカにしてない…?」と思うことがある子が一人いて、ここでは愛理ちゃんと仮に呼ばせてもらいます。
愛理ちゃんは才女で、他の生徒からも先生からもおぼえがめでたいような子でした。話したら大人しいのに会話に機転を感じてすごく面白くて、実際同性だけでなく異性からもひそかに人気だったことは知っています。
ただ、私に対する態度が「ん…?」となった最初の出来事は、高校時代、周囲が恋バナで盛り上がってたとき空気と化していた私に、「美優は外国人からモテそうかも~」と言ってきたことでした。
正直全く恋愛しそう(できそう)にない私がその場で半透明になっていたのを見かねて振ってくれたのかもしれないけど、暗に普通のその辺の日本人からは相手にされないってことか?と、勘ぐって地味に傷ついたのがこの卑屈ブスでした(周りの「あ~…」って反応が紙やすりのようにブスのハートを包み込んだのもある)。
そして時は流れ十年、結婚したのをひっそりLINEのプロフィール画像で公開していた私に、愛理ちゃんから「おめでとう!」のメッセージが。
(アイコンの後ろに設定できる画像を、ウエディングドレス姿のシルバニアのペルシャ猫ちゃんと婚約指輪の写真に変えていた)
同窓会が近づいて見返してたら見つけたらしいんだけど、会話の流れで「びっくりした!」とのこと。
まあ確かに近況報告なしで突然誰かが結婚してたら驚かないことはないかもしれないけど、愛理ちゃんが結婚したと聞いて「びっくり!」なんて言うやついないんだろうな……と思ったのがトリガーで、学生時代の思い出が無駄に鮮明に蘇った。
高校時代、書店で女性ファッション誌を見て「メイクはもとがカワイイ人がやるから意味を成すんだよねえ…見た目磨くことなんかより勉強して長所つくらなきゃね」と言ったこととか。
自分の中で、書店の発言は赤本買いに行った日だったから単に勉強しなきゃという意味なのではと思おうとしたり、いやブスいじりされまくってる私の前でわざわざ言わないでよと感じてしまったり。
蹴り事件のときも、愛理ちゃんが男子を止める義理はないし愛理ちゃんだって怖かっただろうし、でも尊敬されてて発言力ある友達に間に入ってもらえたらどんなに助かったことだろうか…とタラレバを妄想したり。
矛盾した気持ちをぐるぐる回ってしまいつつ、卑屈になってはいかん!と、一応自分に都合のいい解釈の方を信じるようにしてるけど。
あ~やっぱブスってつらいねー。
https://youtube.com/@oreto.aitsuto.nichijoto?si=NPKugQ0Yw149dTx1
隙あらば自語りだけどお花好きな男居ねえなって頑張って探してるよ
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
「子どもつくらないの?」といったような、わかりやすいデリカシーを欠いた発言はない。
しかし話題のすべて、本当にすべてが、子どもで占められている。
ドアを開けて、荷物を降ろして、席に着いた瞬間、子どものアルバムショーがはじまる。
やっと見終わったと思ったら、PC持ってきてスライドショーがはじまる。
やっと見終わったと思ったら、本人(子ども)が叫びながら登場してくる。
祖母がお茶を淹れ、テーブルを囲むと、子どもに関するエピソードトークが始まる。
そのあいだ子どもは、積み木を組みたてたり、ぶちまけたり、シルバニアの禿た部分を見せつけてきたり、意味もなく笑い転げたりしている。
みんな愛おしそうに子どもを見つめ、一挙一動に笑い、赤ちゃん言葉で話しかける。
子無しに参加できる話題はないから、私も仕方なく曖昧に笑いかける。
「おばあちゃん体調はどう?」
苦しまぎれな私の振りはすべて「ああ、まあぼちぼち……」と受け取られるもなく溶けていく。
おかしいだろ。
何か大事なことを隠している?
てか、私が不妊で悩んでいるかも、といった可能性は想像しないん?
子育てトークを聴くたびに、あり得たかもしれない子どもと私の姿が見えた。
子どもが、私の手元に積み木を置いて、首をかしげて見上げてきたとき。私は泣き出してしまった。
「ごめん、ちょっといまきつくって」と笑いながらぼろぼろ泣く私から、戸惑うように目を逸らしながら、それでも子どもの話は続いた。
そこに異論はない。
だから、これは、血縁の集まりにおいて、極めて正しい現象のかもしれないけど。
でも仕事上のコミュニケーションだったら、まずあり得ない状況で。
やっぱ想像力を働かせて、その場のメンバーがなるべく参加しやすい話題を選び、傷つく人がいないかセンサーを働かせるわけで。
妙齢の子無しが、珍しく挨拶にきた場で、100%子どもの話て。
やっぱかなりバカなんじゃないの。少なくとも想像力の欠如ヤバない?
こんなこと、だれにも言えないからここに。
都会に出ていってしまった息子の部屋を片付けるべく母親の私が整理している。
私に似て玩具好きに育った息子は沢山の置き土産を残していった。押入いっぱいのおもちゃだ。
値のはる物は本人がある程度売っぱらったので「残りは捨てても売ってもいいよ」と託された。
現在は絶賛無職の専業主婦、そしてヤフオク歴20年の“粗利は100円でもあればいい女”の私は売るほかなかった。最近はメルカリのほうもよく売れる。
息子はとにかく玩具を“見つける・選ぶ・買う”ことが好きで、開封して一度作ったり弄れればもう放置する人間だったので押入はバラバラになったプラモやフィギュアやらが袋や箱に入れられて佃煮のようだ。
まず箱を用意してそれぞれにトランスフォーマー 、特撮系、ボトルマン、ガンダム系、ベイブレード、ナーフ…と張り紙をしてそこにぶっ込んでいく。特撮系は嵩張るので3箱になった。
わかりやすい物は分類しやすいが分解しやすいプラモとちまっこいフィギュアには手こずっている。
しかしどんな小さなパーツでも息子は絶対に捨てないで保管していたのでバラバラの佃煮の一部をGoogleレンズでイメ検し出てきた全体像をつかみながら目を凝らして根気よく探すとほぼ必ずそのものが完成する。
さっきは『マルチアビス V-リンク・メカ ストライカー』の中に搭乗する人物の1cmもない右腕を見つけることができて興奮した。凄いな私。さすがレゴで育てた目だ。レゴも積んでる。
そうして完成させては出品して売っているともう1万円になった。
このまま頑張れば部屋は片付き売り上げは懐に入り最後は私の趣味部屋へと変えられるだろう。
ここ数年で集めたシルバニアファミリーのダン箱が7つあるのでやっとこれを広げることができる。
これは建物はノーカンで書いてる。建物は箱に入れるとさらにかさばるからだ。建物は積んで(積める)常に眺めてる。シルバニア者は自室のことを土地と呼ぶ。
Twitterで話題になってる、ファミマでくじ発売開始した瞬間に引き始めたら目当ての景品が不正に抜かれていて結果的に買い占めになってしまった件だけど、なぜか被害者の人を叩いてるやつ奴が多い。
景品が入っていないことを知ってくじを引かせてた時点で店側の犯罪行為だし、景品が抜かれてなければ全部のくじを引く必要がなかったわけで、これで被害者が叩かれてるのかわいそうすぎる。
そもそも購入制限がないくじを全部買ったら買い占めと言われるのも、くじという形式で商売してる販売元にクレームつけるならわかるけど、ルール守ってる消費者に対してそれを言うのかという想い。
子供が買えなくて悲しむとか、仕事してたら10時きっかりには行けないとか、単なる自分の都合じゃん…
あげくの果てに、金さえ出せば何でも買えるということを子供に見せるのは教育に悪いとか言ってる奴もいて、いや犯罪行為と並列に語ることじゃねーだろ論点が完全におかしいだろっていう。
ヨドバシは価格が高いって書いている人がいるけれど、おもちゃ類はすごく安いよ
例えば「ラジコン」とかで検索してみて。ずらっと値下げしましたマークが並ぶでしょ
https://www.yodobashi.com/product/100000001005864281/
空とぶドラえもん
¥5,478 → ¥3,820
これとか人気商品じゃないの?
https://www.yodobashi.com/product/100000001003584173/
¥8,778 → ¥5,910
これなんてど定番商品だと思うのだけれどどうしてこんな値段になるのだろう
個人的には安全で簡単に買い物できて、段ボールがコンパクトというだけで満足なので
ここまで安くしてくれなくてもいいんだけれど
自ジャンルにプレゼン資料を作る女がいるせいで、pixivで自ジャンルのusers入りタグを検索するとそいつの作ったPowerPointのスライドがヒットする。
よく見る感じの手描きイラスト入りの推し紹介じゃない。数十枚に及ぶプレゼン資料だ。
初めて見つけたときは、枚数もブクマ数も多くてツイログでもない、どんな長編漫画かとワクワクして開いたのに、背景に始まり参考文献で締められるただのパワポで死ぬほどがっかりした。
自分で描いた絵なんか1枚も無い。
しばらくすると、Twitterでも彼女を見かけるようになった。
手間はかかってるんだろうが、誰でも思いつくようなことを、わざわざスライドにまとめて公開しただけ、という感じ。
文章で済む話をわざわざスライドにまとめる意味が分からなかった。
だが彼女はプレゼン資料を作るのが趣味なのか、その後も色々なパワポを上げ続けた。
流れてきても別に面白くないので詳しくは読まなかった。たまにRTで見かけるパワポの人、その程度の認識だ。
正直学生が作ったような、いかにもダサいパワポがなぜ伸びているのかよく分からなかったが、まあ交流が上手い人なのかもしれない。
とりあえず、無駄に装飾の多いデフォルトテンプレート使うのやめたほうがいいよ。見づらいから。
試しにいくつか読んでみたが読めたものではなかった。
まず文章が読みづらい。テンポが悪く、一文が冗長で、とどめに日本語が間違っている。どれか一つなら読めなくもないが、フルコンボで来られると非常に辛い。
話の内容も意味不明だった。特殊設定にこだわる割に全くそれを活かしきれていないし、説明が下手すぎて特殊設定の解説で無駄に千文字ぐらい使っている。しかも千文字使って説明されても結局その設定がなんなのか理解できなかった。
そこで初めて、なぜ彼女がプレゼン資料を作っているのか分かった。
プレゼン資料なら実力なくても何百何千ってブクマ貰えるもんね。
そりゃ絵や小説が上手くなる努力するより学校の授業の延長で作ったようなだっさいパワポでちやほやされる方がコスパいいよね。
ちやほやされて絵描きと対等ですって顔してるけど、それ実力じゃないから勘違いしないでね。
そう思うとなぜ彼女が別に面白くもないであろうパワポをせっせと作っているのか、全て納得が行った。
そもそも、pixivにプレゼン資料を上げること自体規約違反だろ。
コミュニケーションの機能が死んでるのはともかくとして、基本は絵や漫画や小説を公開し交流を楽しむものだ。
規約にも自分で描いた作品を上げる場なので写真の公開は禁止とある。
じゃあプレゼン資料は写真じゃないから許されるのかと言うと、それは「駐車場がございませんのでお車でのご来場はご遠慮ください」と言われたイベントに馬で行くようなものではないのか。
いや駐車場がないのに馬置いとく場所があるわけないだろ馬鹿か。どこの世界にいちいち馬での来場を禁じるやつがいるんだよ。
それを、サービスの主旨も無視して自分の承認欲求を満たす出しにしている。
そんなものが(別にプレゼン資料としても全く立派ではない上に)規約を守って真面目に創作活動をしている人の作品よりも評価されている。
コスプレイヤーだってpixivでコスプレ写真を公開して良ければ彼女以上にブクマを貰える人はたくさんいるだろう。
推しの人形やシルバニア衣装を作って写真を撮るのが趣味の人もいる。その人達はちゃんと規約を守っているからpixivに写真を上げたりしない。
まあ、注意したところでやめないだろうから本人には何も言わないが、「この人何者?」「すごすぎて仰天した」みたいなオタク特有の空々しい賛辞に対し、彼女が「そんなことないですよ💦すごいのは私にここまでさせちゃう推しくんです!」とか薄ら寒いコメントを返してるの、本当に気持ち悪い。
いやお前絶対そんなこと思ってないだろ。
ドールが好きだ。人間型も動物型も。SD系のリアル顔もDD系アニメ顔も。
シルバニアも好きだ。かわいい。でも赤ちゃんばかり持ちあげられるのはあまり納得していない。みんなまるごと愛してあげてほしい。
ぬいぐるみも好きだ。テディベアやうさぎや猫のぬいぐるみは昔から好きだった。
所持している人に対して引くとかはそこまでない(流石にbl的な絡みとかぬい同士の添い寝とかはちょっと……となる。)が、自分で所持しようとは全く思わないし、かわいい~とはならない。同じようにいわゆる「もち」も好きではない。
ちゅんやキャラの衣装を着ているクマは人間ぬいほどではないがまぁちょっと苦手ではある。
こんな感じ。
ポケモンやDQのスライムやミッキーみたいなぬいぐるみは好きだしそれらに関してはなんとも思わない。
別に苦手のままでもいいのだが、眠れない深夜になんでだろうととりあえず考えたのでここにメモしておく。
先に書いておくけど結論は出なかった。
最初、人間キャラのぬいが苦手な理由はそのキャラの人格や設定が既にあるため、私たちと同じ次元で身近に小さなぬいとして存在しているということに自分が解釈違いを起こしているからではないか、と考えた。
キャラクターにはそれぞれ暮らしている世界があるし人生がある。だから解釈違いになっている、という感じだ。
ポケモンはそれぞれ個体が違うのでトレーナーも性格も千差万別だし、スライムも同じように「スライム」というほぼ同じ見た目の種族なので千差万別。
ついでに人間型の中でもボカロは大丈夫なのだが、これもポケモンと同じ理由になると思う。「○○さんちのボカロ」という文化が昔からあったからだろう。
だからぬいぐるみになって大勢が所持していても違和感を持たない。
そこの違いが苦手がそうじゃないかの違いだと思った。
でもちょっと違った。
このブログの一番最初にドールが好き、と書いたが、実は所謂キャラクタードールはかなり好きなのだ。(DDとかすごい。ボカロを筆頭にたくさんある。SD系でカスタムしている方たちも尊敬している。)
ドールという形でなら同次元に存在してても問題なしになってしまう。
じゃあなんでだろう。
デフォルメされてるからかな。ボカロやスライムみたいに大量にいてもおかしくない、と思えないからかな。
Twitterとかではぬいぐるみ自体が苦手な人はよく見るけど私みたいに人間のキャラぬいだけが苦手な人は見かけないので(そもそもそんな発言できる空気でもないだろう。ぬいをもってるオタクはたくさんいる。)眠れない夜に書いてみた。
おやすみ。
オタク、よく「○○(任意のコンテンツ)に救われた」みたいなこと言う。
私は別にそんな事ない。好きなものは沢山あるけど、ひとつのものに人生を変えられたなんてことは無い。多分。
例えば米津玄師に救われない。いい曲だな、好きだなって思うけど、なにかひとつの曲に対してそこまで深い思いがあるわけではない。「私のことを歌ってる」とか思わない。
そう思う人がいるのはいい事だと思う。
苦しんだことがないと言われればそうかもしれない。
どん底なんて知らないよ。
うすい希死念慮だけはずっとある。橋の上から、全部の荷物を投げ捨てたらどうなるのかなって思う。やらないけど。環境とか汚染しそうだし。
「助けられた」と「救われた」の違いってなんだろう。
感情の重さかな。「助けられた」だと一時的なピンチを乗り越えた感じがするし、「救われた」だともっと恒久的で、人生に突き刺さるものな気がする。あくまで私の個人的な主観と感性によるものなので用語の意味が間違っていたとしてもいい。
提出一週間前にリサイクル資源にもならないような文字数をとりあえず稼いだボロボロの可燃ごみ(卒論)を書いてる時、ずっとパソコンの傍にシルバニアを置いていた。Wordで文字数が表示される画面左下あたりを見てるような感じにしたりして、同時にシルバニアを視界に入れることによってズタボロの可燃ごみ(卒論)を完成させ、とりあえず提出した。スペシャルサンクス欄があるなら、同じゼミで延々通話しながら一緒に卒論を書いた女とシルバニアファミリーを併記したかった。余計なものを付け足すことによってなんらかの弊害がでたら嫌だったので心の内に潜めておいたけど。
卒論の口述試問もオンラインだったので、シルバニアを握りしめて正気を保ったり、体調がズタボロになったときもシルバニアファミリーを握りしめてた。
頭痛にはEVEとシルバニアファミリーと温い布団。これで決まりだね!
他に頭痛によく効くものがあったら教えてください。気圧からくるタイプのやつと眼精疲労系のやつと偏頭痛系のやつお願いします。これからの人生に役立てていきたいと思います。
お気に入りのアンパンマンの靴をはき、母に髪をツインテールに結ってもらい、今はもう歩けない祖母も一緒に、この家の前で家族写真を撮った。
みんな笑顔で、わたしも笑顔で、弟はなにもわからないような顔をしてベビーカーに乗っている写真。
17年をここで過ごしてきた。
リビングのソファーで弟と飛び跳ねながら遊んだ。古い携帯電話で家の写真をたくさん撮った。
冬には和室にコタツを出して、父が作った親子丼をみんなで食べた。
きらきら光るちいさなクリスマスツリー。みんなで飾り付けをして、わたしがわがままを言って、夜ご飯はクリスマスツリーの明かりだけを灯して食べた。
何度も何度もピアノのレッスンを休んで、母を泣かせてしまった玄関。
仕事に行く父を母と一緒に見送って、いってきますのキスをした。恥ずかしかったけど、うれしかった。
家族全員で、同じ部屋で並んで眠っていた。枕元にはおもちゃがたくさん並んでいて、弟はいつも夜になるとレゴブロックで遊んでいた。
少し開いたカーテンが怖くて、寝る前には必ずしっかりと閉まっていることを確認した。
片頭痛持ちのわたしが、夜中じゅう唸っているとき、父と母は部屋を暗くして、廊下の明かりだけを灯してわたしの看病をしてくれた。
わたしの部屋は、もともと、弟と二人の部屋だった。わたしの机の反対側に弟の机があった。
よく一緒に、シルバニアをしたり、絵をかいたりして遊んだ。とても楽しかった。
弟が小学生になってしばらくして、部屋が分かれた。
弟の部屋は、家族全員で寝ていたあの部屋になった。
それからは、リビングでみんなで寝ていたけれど、いつの間にか一緒には寝なくなった。
ずっと変わらないと思っていた。
この家も、この部屋も、わたしや、父や母や弟も。
だけど、17年たった。
リビングにソファーはもうないし、コタツも壊れて出さなくなった。クリスマスツリーの飾りつけもしなくなった。
ピアノのレッスンは辞めた。父と母も、もういってきますのキスをしていない。
わたしと弟はもう遊ぶことはなくなって、食事の時間に顔を合わせるくらいだ。
そして、みんなばらばらの時間に、ばらばらの場所で眠っている。
エアコンのある17年を、わたしはこの部屋で過ごすんだろうか。
あと何回の夏を、この家で過ごすんだろうか。
その間にどれだけのことが変わってしまうんだろうか。
変わっていくことが、今はとても怖い。
シルバニアが趣味で、3階建てのお家を持ってるんだけど、どうしても3階建ての1階の部分って、日当たりっていうか、暗くなっちゃわない?
飾る場所のスペース問題で、壁際に置いてるから余計なんだけどさあ…。
なんか採光悪いと、労働環境基準満たせないし、大好きなシルバニアちゃん達の人(形)権を損ねちゃってかわいそうじゃん…。
エポックさんは親切にもおうちに着けられるライトを出してくれて、ありがたく購入させて頂いたんだけど、やっぱり子供の目に優しいレベルだから、ちょっと明るさが物足りないのよ…(泣)(泣)
なんだろう小ちゃいけど明るいライトでいいやつないかな〜!自撮り用のライトとか、転用できないかなって考えてるんだけど…。うーん。