はてなキーワード: 支持団体とは
いやー、マジで最高の展開になってきたな。この状況、飯が美味すぎるんだが。
まず状況を整理しよう。首相は、前の総裁選で負けたはずの石破茂。んで、この前の総裁選で勝って、次期首相の椅子を予約したのが、我らが「日本の誇り(笑)」こと高市早苗。まだ臨時国会が開かれてないから、首相指名選挙ができず、総理の椅子には石破が居座ってるっていう、珍妙極まりない「ねじれ」状態だ。
この状況で、石破首相が置き土産とばかりに「戦後80年メッセージ」を出す気マンマンなのが、全ての始まり。まあ、内容は想像つくよな。「深い反省」とか「不戦の誓い」とか、国際社会向けの常識的なやつだ。
当然、黙っちゃいないのが高市新総裁とその一派。「石破総理、貴方ご自身が先の総裁選で国民(※党員)の信任を失ったことをお忘れか!」「党の総意に反するメッセージなど断じて認めん!」って息巻いてるに決まってる。自分たちが散々やらかした裏金問題や旧統一教会との関係は棚に上げて、どの口が「党の総意」とか言うんだか。あいつらにとっての総意ってのは、自分たちの支持団体と歪んだ歴史観だけだろ。
高市さんサイドは、さっさと臨時国会を開いて、自分が首相になって、この話をチャラにしたい。石破ざまぁ、これからは私の時代よ、と。完全に勝利した気でいるわけだ。
だがしかし、だ。高市新総裁が忘れてる、たった一つのことがある。
まだ首相の座にいる石破茂には、憲法69条に定められた「衆議院解散権」という最強のカードが残されてるってことをな。
もう総理の座から降りることが確定してる石破さんには、失うものがない。党内のしがらみもクソもない。だったら、最後にいっちょ、この腐りきった自民党にデカい爆弾を落としてやろう、とか考えないか?
つまり、こういうことだ。
高市新総裁が「早く国会を開け!」と圧力をかける中、石破首相が官邸で緊急会見を開く。「我が党は先の総裁選で高市氏を新たなリーダーとしましたが、その政治姿勢、特に歴史認識や政治とカネの問題に対する姿勢は、国民の感覚から大きく乖離しています。このまま高市氏に政権を委ねて良いのか、国民の信を問いたいと思います」
総選挙の構図は最高に分かりやすい。総理の座を追われた石破に同情票が集まる、なんて甘い話じゃない。争点は「裏金とカルトにまみれた高市自民党に、日本の未来を任せられるのか?」の一点だ。
国民はもうごまかされない。あの総裁選で、自浄作用ゼロどころか、さらに右傾化して開き直った自民党の姿をハッキリと見たんだから。結果、高市自民党は歴史的な大惨敗。高市さんは、一度も首相になれなかった史上最も短い自民党総裁として、歴史に名を刻むことになる。
まあ、全部俺の妄想だけどさ。
でも、このねじれ状態、石破さんが最後に男を見せるチャンスでもあるんだよな。自分のためじゃなく、この国の政治をまともにするために、最後のカードを切る。そんな展開になったら、間違いなく歴史に残る最高のエンタメだわ。全力で期待してる。
捲土重来を目指す公明党前衆院議員の伊佐をはじめとして、創価学会活動家がSNSで見当違いなことを言い出してもりあがっている。衰退する創価学会ではもはや公明党を支えきれないので、プロモーションに力をいれて創価学会信者でない支持者を増やし、公明党が自律的に政治活動を続けていくべきだ、という。
彼らは、「創価学会信者でない支持者」について、どういうイメージを持っているのだろうか? 創価学会信者のように、信濃町の決定に唯々諾々としたがい、兵士のように働いてくれる活動党員なのか、それとも、芸能人のファンのようにSNSや口コミでキャーキャーほめそやして宣伝してくれるようなミーハー応援団なのか。あるいは、基本的に党運営に無関心だが、選挙となれば公明党に入れてくれるライトな有権者なのか。
いずれにしても、そんな創価公明にとって都合のいい支持者など現れない。ふつうは、支持団体、支持者というものは支援と引き換えに政党の意思決定に介入する権利を持つし、そうでないなら離れていく。支持者によって党が存立しているのだから当然のことだ。カネと票は出すが、口は出さないなどという奴隷のような有権者は普通いない。
https://twitter.com/Morii_Ri_Kaeru/status/1946558887693582775
↑ 「大衆受け」を狙った衣装でYouTubeに登場し、創価学会外部の支持獲得にいそしむ公明党 伊佐 中央幹事と、岡本 政調会長
そうなると、様々な問題が発生する。実務的問題として例えば、事実上の創価学会の会合となっている党員集会に、学会員でない党員をゲストでなく主体者として迎えることができるのか。学会員支持者が党運営の主導権を失った場合に、それでも公明党を支援し続けるモチベーションを創価学会信者が維持できるか。非常に難しいと思う。身内でのシャンシャン会合に慣れきってしまった創価学会信者に、両者を結合して組織を運営するようなリーダーシップ、ファシリテーション能力は期待できない。
さらに根本的には、創価学会外の支持者の流入は、公明党の基本価値観の変革を迫るだろう。
創価学会の活動経験者諸賢は、わが身をよく振り返ってみてほしいのだが、公明党の正体は大衆政党でもなんでもなく、政界における創価学会の防衛団体である。だから、公明党の政策は創価学会の利益を毀損しないように選択される。かつては、平和・人権の党として革新的な攻めの姿勢が創価学会の宣伝拡大に役立ったのであり、いまではイラク戦争や安保法に賛成してでも自民党の機嫌を損ねないことが創価学会の利益の保全にもっともかなう。公明党のプリンシプルは、ぶれているのではない。創価学会の利益の最大化という点で一貫しているのである。
創価学会員でない支持者を増やすには、「創価学会の守護者」をやめ、政党としての基本理念、価値観を定める必要がある。「大衆政党」などという意味不明のぬらりひょんのようなスローガンは、特に階層意識が希薄になった現在では「すべての人にとっていいことをします」と同じで「何も決めていない」に等しく、だれもついてこない。そして定めた基本理念に人や団体がついてきたならば、その人、団体たちの期待を裏切らないようにある程度一貫した政治行動をし続けなくてはならない。たとえ創価学会の利益に反しても、である。
創価学会信者の主観では、公明党は創価学会一団体の利益を守るものではなく、日本と世界に人権と平和の社会を建設するための政党だと信じているし、そのために自分のリソースを投じているつもりだろう。しかし彼らの実際の行動ロジックは、「絶対善の団体である創価学会の存続、発展(=利益)を守ることこそ、社会善の増進に貢献する」ということでしかない。
そして、八紘一宇を夢見た軍国少年のように、広宣流布をする創価学会の存続こそ信者たちの最大の利益である。つまり、客観的には創価学会の利益だけが信者による公明党支援のモチベーションであって、だからこそ信者たちは公明党がどれだけ公約をたがえても、どれだけスキャンダルを起こしても支援し続ける。
そんな、創価学会の利益最大化パーティーである公明党に他者が参画するメリットは何か。逆に、創価学会の衰退を前提として他者に支援される公明党を目指した場合、変質を余儀なくされる公明党を支援し続ける創価学会(員)にとってのメリットは何か。どちらも見出すことは難しい。
今日に至るまで、公明党が創価学会から独立できなかったのは、公明党にやる気がなかったからではない。創価学会が許さなかったからであるし、またそのことにによって創価学会以外の他者に、公明党を支持するメリットがなかったからだ。
伊佐は、そりゃあ政治家としての生き残りがかかっているのだから、創価学会信者だろうと犬猫野菜だろうと、票とカネをくれるものがいればなんでもよい。彼の月刊Hanadaや排外主義へのすり寄りを見れば明らかだ。創価学会が国政からの撤退を決めてそのまま消されるくらいなら、公明党として独立したいところだろう。
しかし、党の自律により創価学会員でない支持者を組織することを、信仰の一環として選挙運動をする創価学会活動家が期待するのは、もう政治運動につかれてしまってやめたい、という消極性によるものでない限り意味不明である。
彼らは、おそらく外部から集まってきた支持者たちが、創価学会、公明党、池田大作のすばらしさに心打たれ、オートノミーに称賛し続けてくれることを期待している。そんな人間は「支持者」ではなく、すなわち「信者」以外にいないということを本気で理解できない。そして、伊佐はそのことを黙っている。
ともあれ、創価学会信者でない支持者を増やしていくと、どこかの段階で創価学会信者のいまのような熱烈な支援活動は消滅するだろう。減少する創価学会信者から、増加する一般支持者へのグラデーションを全国500万票規模の固定票を維持しながらうまくコントロールすることができるか。私は現場組織の運営的にも、ほぼ不可能だと思う。ソフトランディングはあり得ない。
繰り返すが、伊佐からすればある日急に創価学会が国政から手を引いて支持者が事実上ゼロになる前に、党の自律運営を既成事実化したいのは当然のことだろう。しかし現実には、創価学会からのコントロールを維持し続ければ一般支持者は増えず、一般支持者を増やせば創価学会からの支援は減少するだろう。つまり、つんでいる。
このような苦しさを、伊佐や公明党の広報部隊が全く理解していないとは考えづらく、だからこそ、スパンコールジャケットと蝶ネクタイを着てふざけた表情でダブルピースをしながら伊佐が排外主義を叫ぶ、苦し紛れの〝SNS広報戦略〟が出現したのだろう。要は、創価学会や公明党に大して興味がなく、口を出す気もないが、ノリで投票してくれる支持者の創出を狙っているのだと思われる。
また、メディア戦略で支持を広げることに成功した政党は、維新の会の橋下や、再生の道の石丸、NHK党の立花、国民民主党の玉木、参政党の神谷など、魅力的で強力なリーダーシップを大衆にアピールすることで有権者の心をつかんできた。しかし、創価学会にとって公明党に大衆的リーダーが現れることは悪夢である。国民の支持を背景に、創価学会のコントロールが効かなくなる危険性が高いからだ。
そもそも、公明党の議員は創価学会の推薦がなければ議員候補にすらなれないし、「まじめ」で「無難」な官僚的人材を選び、創価学会に対して従順になるよう育成されてきたので、急にそんなキャラクターを立てられない。また、「キャラ立て」を通じて創価学会に謀反を疑われてもおもしろくない。それで、落選議員であり脅威が少ない伊佐が、SNSでピエロを演じることになったのだろうと思う。
しかし、伊佐はビジュアルが優れているわけでもないし、幼稚園のお遊戯じゃないのだから、そんなやりかたで政治家としての信頼感を持つ有権者などいない。創価学会信者と公明党議員、関係業者によるファンダム演出工作も、アイドル不在の不気味なファンクラブのようなもので、信者エコーチェンバーを強化するに留まり、創価学会外部の票を引っ張る力などみじんもなかったのは厳粛なる投票結果が示すとおりだ。
創価学会票があてにならなくなったということは、かえって公明党の負い目が減少したということでもあるので、伊佐も創価学会からの独立を主張するようになったのだろう。ピエロをやらされるのが嫌になったのかもしれない。
あるいはひょっとしたら、もう手を引きたいのでソフトランディングの計画をたてろと創価学会から指示を受けているのかもしれない。
なんにしても、創価学会衰退後に公明党を維持することは、ここまで述べてきたように極めて困難である。また、Hanadaや日本会議などの限界右翼や、イケダハヤト、ホリエモン、箕輪、ひろゆき、東浩紀などのソーシャルハック系インフルエンサーに接近する公明党・創価学会の言論活動を見る限り、広範で継続的な国民の信頼を得られる政党になることはまずない。
それでも生活と老後のために、信者たちのご機嫌を損ねないように気をつけつつ、ワンチャン一般支持者獲得のために詭弁ピエロを演じ続けなくてはならない伊佐には同情することしきりである。
・公明党 自公政権とひとまとめにされがちだが、自民党からの自立路線を歩まないのか?
参政党に勝たせない為の戦略的投票先にするという意見も見るが、参政党と組むことはないか?
支持母体の創価学会の世代交代が失敗しているのが、党勢を削いでいるという意見があるがどうか?
・日本共産党 2010年代の躍進から後退にあると思うがなぜと自己分析しているか?かつての支持者が反転アンチになってX上で活発にポストしているがどう思うか?
フェミニズムに過剰に肩入れしすぎて中高年男性、おじさん票が離れていると思うがどうか?
・自由民主党 今回の選挙で大敗すると石破総理退陣の可能性もあるか?その場合、次の代表、総裁は高市か?小泉進次郎か?
選挙の結果にかかわらず2万円配るか?なぜ投票日前に配らなかったのか?石破さんは2万だけじゃない配布も語っていたが財源はあるか?
参政党と会派を組んでいる、参政党は隠れ自民党という意見もあるが本当か?
・立憲民主党 2024年の選挙で勝ったら政権交代をスローガンにしていたが、結局政権交代しなかったことにがっかりしているが、今も政権交代を望んでいるか
労働組合を支持団体にしているのが背骨だが、今回の選挙結果次第では連合の芳野会長が立憲民主党から離れるという記事もあるが、連合、労働組合を支持母体であり続けたいという意思はあるか?
東京の立憲をたばねている手塚への批判があるが、彼はXをやらずFBに引きこもっているが、手塚の責任は問われないのか
参院選の政策として、社会保険費引き下げを掲げているが、維新政治が10年以上続いている大阪府市の社会保険費が全国でトップクラスで高い、それを下げてから言えという批判があるが、どう思うか
夢洲カジノの税収を福祉に還元するというが、夢洲カジノを中止して、国内の人たちがカジノでする金、労働力を福祉に還元した方がいいのでは。夢洲カジノを中止する考えはないか?
・参政党
神谷党首は自信のXで過去の主張について、それは昔の話、いまは違うと言ってばかり、参院選のスローガン、日本人ファーストも参院選だけの話というが、公党の党首としてあまりに無責任ではないか?一貫して曲げない政策はないのか?
参政党が支持急伸して自民党が危機感、というニュースについたコメントです
IthacaChasma 安倍が石破がというより、自民党の大きな支持団体である経団連が移民の受け入れ大賛成というスタンスなので、そもそも自民党は移民推進の立場しか取れない。
kohakuirono 排外主義においてはインバウンドによる観光公害や奴隷制みたいな実習生制度による歪みやら全部与党の自公による政策の結果なんだよね。そして日本社会は少子化もあって彼らなしでは回らない社会になってしまった。
これ見て思ったのですが、
①経団連の提言は、日本経済のため、企業のため、というより現在の経営陣の手柄のために有利かが大きく影響しているように思えます。
全部今の経営陣の都合と整合的(それぞれ理由はついていますが)
②未来の労働者の切り捨てを労使与野党ともに行っていた
労働運動が「反自民」に動員される構造が労働運動の副次目的化につながり、また既存の労働運動が現在の労働者のみを見ている構造を誰も変えようとしなかった(変えるインセンティブがなかった)。
こう考えると、失われた30年に必要だったのは「反自民でない、反経団連」政党だったのではと思いました。ほんのり辛口で感想を聞かせてください
問題の構造を「与党 vs 野党」ではなく、「経営者層 vs 労働・社会全体の長期的利益」という軸で見ている点に本質的な問いが含まれていると感じます。
おっしゃる通り、近年の経団連の提言は「経済の長期的成長」より「短期の業績評価や株主利益、経営者の任期内成果」を優先した自己都合的なものが目立ちます。
要するに、構造改革と言いながらリスクを社会に押しつけ、自分たちは短期利益を享受する設計です。これは企業統治の本来のあり方──とくに「社会的責任」と大きく乖離しています。
これも核心を突いています。 本来の労働運動は「労使関係の改善・労働環境の是正」が主目的のはずですが、「反自民」という政治的旗印に動員されすぎた結果、次のような副作用がありました:
その結果、「労働者の代表」の顔をしたまま、 未来の労働者を見殺しにしてしまった構造 があったのでは、という見方には確かに説得力があります。
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これは非常に示唆的です。
参政党のような右派ポピュリズムが伸びる背景には、「既成政党は全部グル」感への不信と、制度疲労に対する苛立ちがあります。これは単なる感情ではなく、現実の構造的裏切りが引き起こしたものです。
ご指摘の視点は鋭いですが、あえて言えば「あまりに構造を見すぎて、今の有効な打開策が見えづらい」という限界もあります。
つまり、構造的に正しいが、政治的にはまだ「翻訳」されていない指摘とも言えます。
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今後必要なのは、「敵を見誤らない批判」と「持続可能な支持基盤の構築」を同時にできる政治運動でしょう。その意味で、あなたの視点は批評としてだけでなく、「次の一歩」を構想する出発点になり得ると思います。
はてな匿名ダイアリーで、前回の兵庫県知事選挙(令和6年度兵庫県知事選挙)について記録を残したものとして、雑感を残しておきたいと思う。
あまりにネガティブだと感じて一度は投稿せずに消したが、根強くキャンペーンが続くので、多少なりとも意味があるだろうと再度書き直した。
まず最初にスタンスを示しておくが、自分は新聞をはじめとするマスメディアは、社会の公器として、社会をより良くするために責任を持って欲しいと思っている。
明確に、社会の鏡ではなく、社会の鑑であるべきであると思っている。読者が快哉を叫ぶような記事を書くべきではなく、煙たがられても正論を説き、批判されても実利をとってほしい。
そのため、「アンケートで、辞任すべきであるという声が多い」として、辞任を迫るのは明確に誤りであると、きちんと解説記事を書くことこそが必要なのではないか。
責任の取り方というのは辞めることではなく、起こってならないことは再発しないように整えることだ。
安易にあいまいな定義の単語を使うべきではない。それはレッテル貼りや印象操作にしかならず、思い込みを強化するだけだ。
(おそらく善意もしくは悪意なく行なっているだろうことから個別具体例は挙げないが)そういったカルト呼ばわりするポストの延長線上に立花孝志がいることは忘れないで欲しい。
あれだけの騒ぎになって行われた兵庫県知事選挙の投票率55.65%が示すものは、「大半の有権者は無関心だった」であり、本質的には「日本人は選挙に関心が無い」ということくらいしか言えない。
まず少しだけ選挙について解説が必要になる。結論だけ言えば「選挙は概ね始まった時には終わっており、風が吹くのは例外である」となる。
日本の選挙においては、組織票(支持団体や業界団体など)と、地盤(後援会や地域でのネットワーク)とが、必要条件であり、これ無しにはスタートラインにすらつけない。
選挙について漠然と高校の文化祭の出し物を決めるような、その場で手を挙げて多数決で最多得票数を得たものが選ばれるというイメージが語られることがあるが、正しくない。
イメージとしては、出し物を決める投票を行う遥か前から、文化部派と運動部派と委員長派に分かれており、よほどのことがない限り、最も大きい派閥の提案が通る。
提案そのものはさほど重要ではなく、組織化されているか、地盤があるかが重要であって、最後にその提案の魅力で浮動票が動く。この浮動票の動向を選挙用語で、「風」と呼ぶ。
さて、その意味で前回の知事選挙は、概ね順当な結果に落ち着いたと言える。
つまり、離反者が出るほどの情報は出揃っていない段階での選挙なので、斉藤陣営は組織票も地盤も手堅く持っており、あとは浮動票だけであった。
翻って対抗とされていた稲村陣営は、野党系の支持を受けてはいたが、一本化されておらず、どこまで浮動票を取り込めるか、という点であった。
最終的な開票結果が斉藤陣営111万票に対して、稲村陣営98万票というのは、言っては悪いが、善戦した方ではないかと思う。
アンケート調査方法に問題があり恣意的だから、と書くと身もふたもないので少し解説をする。
例えば、該当アンケートであなたが「パワハラは容認できますか?」と聞かれれば「容認できない、不支持だ」とするだろう。
同様に「パワハラを認定された斉藤知事は辞職すべきですか?」と聞かれれば「辞職した方が良い」と回答する人も多いと思う。
いわば、属している組織や後援会を裏切る(離反する)決断を取れるかどうか、というのが投票行動の変化である。
そして、一番最初の「大半の日本国民にとって選挙には関心がない」というのも思い出して欲しい。
無作為なアンケートをとると、その概ね半分以上(通常の知事選挙は40%程度の投票率しかない)は、選挙に行かない。無関心である。
これらが組み合わさると、「投票には行かないが憤る人」や「アンケートでは憤るが実際には支持(投票)する人」が生まれる。
アンケートが恣意的と書いたのは、「では斉藤知事は責任をとって、給与返上をすべきですか?」と聞いていないからだ。
問題を起こした人物がいる、その人物は責任取るべきである、辞任 or 継続 という形式だと、人は辞任を選ぶ。
組織票が割れた場合、地盤が弱い場合、突発的に浮動票の得票率が高くなった場合に、風が吹いて盤面がひっくり返ることがある。
ただ、そうした場合でも概ね10%程度の変動であり、強固な地盤がある場合にこれを覆すのは容易なことではない。
私が最初に「マスメディアは社会の鑑であって欲しい」と書いたのはこのためで、兵庫県内の状況を冷静に見ると、もはや辞任を迫るフェーズは終わってしまった。
そのため、このマスメディアによるネガティブキャンペーンは、社会の鏡として、読者のニーズに応えているにすぎない。端的に言えばニュースバリューがあるだけである。
今後、パワーハラスメントを再発させないためにどのようなことが行われると表明されており、それがどう実行されているのか、どう確認できるかを監視するのが重要であり、
また、公益者通報保護制度はどのように運用されるのか、その信頼が失われたとして、如何にして信頼を取り戻していくのかを監視して報道するのが社会の公器としてのあり方ではないか。
まさに前回報道合戦を繰り広げたために起きた、拙速と言うしかない不信任決議がどのような結果を招いたのか、思い出して欲しい。
(前回の選挙後の雑感にも書いたが、内部告発文書の裏どりと解説を行い、議会に結論を待つ様に諌める姿勢を取るべきではなかったのか思う)
そうした地味な報道はニュースバリューとしては読者のニーズに乏しいのかもしれないが、スキャンダラスな報道をするのは週刊誌だけで良い。
長々と書いてお前は斉藤支持者なのだろうと言われるかもしれないが、前回の投票先は記載しない。
全ての選挙における秘密はこれを侵してはならないと憲法にも記載されている。防衛的な文章を書くためだけに使用して良いような軽いものではない。
私は、兵庫県知事が公約達成率を公表しているのは支持するが、達成度合いが曖昧なのは問題だと感じている。
若者の支援を打ち出しているのは支持できるが、では井戸県政と比べてどうかと言われれば、まだ進捗は芳しくないと思う。
詰まるところ、支持不支持や辞任続投というのは大雑把にすぎるのだ。給与を返上したから禊が済んだとも思わないし、複雑な物事を単純に解決しようとしすぎるのは良くない。
マスメディアは、もっと真剣に、握りつぶされない内部通報や告発者をどうすれば守れるのかを徹底的に調査報道して欲しい。
そして一番重要なのだが、もしここまで読んでくれたのだとしたら、あなたの住んでいる街はどうだろうか?
都内に住んでいるのだとするなら、都知事が今月何をしたか知っているだろうか?市に住んでいるとして、今月の市議会は何を話していただろうか?
斉藤支持者はカルトだという投稿にいいねをつける前に、兵庫県民は変わらないと書く前に、あなたの住む街について無関心ではないだろうか?
「XX県の人間は、YYという問題を認識できない愚か者だ」と急に指摘された時、知らなかったでは政治に無関心すぎる。
兵庫県政を憂いてくれるのはありがたいが、スナック感覚でスキャンダルをつまむだけなら止めた方が良い。
スキャンダラスな民意で誰かが動くと、同じ理屈で先鋭化した集団がどこかに向かうのを止められなくなる。
どの陣営にとっても必要なのは再発防止であって、魔女狩りではないはずだ。
繰り返しになるが、選挙は概ね始まった時には終わっているのだ。報道次第でどうにでもなる風だと思われているのには、理由がある。
投票したい候補がいないのかもしれないが、ここは理想の楽園ではなく、現実の日本で、出されたカードから選ぶことしかできない。
棄権しても良いが、白紙委任状を提出していることは忘れないで欲しい。
自分がカードとして打って出る権利は存在するが、地盤看板鞄が無ければ実質的には意味を持たない。
同じように白票を投票所に入れにいく権利はあるが、現実の選挙戦では、システムを理解していない表明にしかならない。
今日から自分の住む地域の推し政党を決めろとは言わないから、せめて自分の暮らす地方自治体が何をしているか、何を課題と感じているかは、知っておいて欲しい。
他山の石として欲しい。
今回の都知事選の結果を受けて、立憲民主党や共産党支持者をはじめとしたリベラル・左派の人達が、「蓮舫が落選したのは愚民が悪い」という趣旨の発言を繰り返している(典型的な例として[B! 蓮舫] 「都知事選の蓮舫敗北は都民が差別主義者に投票したせい」 蓮舫支持団体の総括は、リベラルが選挙で負け続ける理由を如実に示した)。
こんなの悪手に決まってるのに何故こんな発言を繰り返してしまっているのか、外野からみたら不思議に思うだろ?
中学の公民とか人権の授業で社会契約説(論)ってやったろ?ホッブズ、ロック、ルソーってやつだ。
この中で、ロックの考えは主にイギリスに、ルソーの考えは主にフランスと、革命を経て左翼思想に影響を与えてきた。そこでルソーの社会契約説を確認しておこう。
多くの個々人には欲望があるよな、金儲けしたいとか異性にモテたいとか。こういった個々人の利己的な欲求を「部分意志」、部分意志の総和を「全体意志」と呼んで、下劣なものとしたんだ。この時点で、個人の欲求(=自由な経済活動)こそが社会全体の利益に適うとする資本主義とは折り合いが悪い。
更に、公益に適うものとして「一般意志」という概念を作り出した。一般意志ってのは、正しく思考した個々人は必ずこの考えにたどり着くし、人々は個々人の自由や権利を一般意志に移譲し、これに服従すべきと考えられている。
つまり、
パリオリンピックの開会式のおかげでフランス革命に注目が集まった。そして、その革命の中で大量虐殺が起こっていたことも話題となった。何故虐殺が起こったのか。
フランス革命を主導した人達は、革命こそが一般意志だと考え、それに服従しない人は人ではないと考えていたってのが簡単な説明になる。
フランス革命の中では、この一般意志ってのが「理性」という言葉に言い換えられることが多かった。
そして、「理性(=一般意志)」という神を祀るお祭りを行っていた(理性の祭典 - Wikipedia。
どうみても奇異なお祭りだが、参加者にとってみれば大真面目で、全ての人はこの考え方(一般意志)に至るべきだし、そうならない人は人ではないと考えていた。
(イギリス流の保守主義が「理性」という言葉を激烈に嫌うのもここに理由がある。)
そして、この考え方はヘーゲルを経てマルクスに至り、共産主義に結びついている。
従来候補は自分の支持団体から意見を吸い上げたり、陳情や請願を集約することで他の候補と違う意見をまとめ上げて差別化してるわけだけど、プルリクやIssueで意見をまんべんなく吸い上げたら一貫性のない主張になるし、かといって一つの方向性に偏って選別するならそもそも公開リポジトリでやる意味なくない?
公示してから試行錯誤でシステムを作り上げてたけど、そもそも小池百合子や蓮舫なんかはそんな最新のシステムがなくても迅速にポスターを貼り終えてたじゃん
圧倒的に人手の差があるとはいえ小池百合子や蓮舫の事務所でもなんらかの仕組みで管理しているはずだよね?
というかそもそも公示前に出来上がっていてしかるべきシステムだよね?
これも有力候補の事務所ならすでにノウハウを持ってるし、新規参入するとしても選挙プランナーとか選挙コンサルとかに頼めばよくない?
就職氷河期に労組は自分らの正規雇用を守るために新卒採用やめて派遣を容認したし、都会の電源のために過疎地に原発作ったし、都会の水源のために山奥の村をダムの底に沈めたし、成田空港のために農地を取り上げたし、本土の安全保障のために沖縄に米軍を押し付けた。
みんな「犠牲者が出る」と分かった上で、自分らの生活のために平気で容認してきた。
今さらカルトの犠牲者が出たところで、なーんにも心を痛めずに自民党を支持し続けるよ。自民党の支持団体にカルトやらマルチやらがいることはみんな前から知ってたし、知った上で支持してる人がたくさんいるよ。
ついでに言えば、今まで2回ばかり政権変わった(細川政権・民主党政権)けど少数に犠牲を強いる体制は何一つ変わってない。変わる兆しはあったかもしれんが変わる前に内ゲバみたいなので政権潰れた。
あの伝説記者会見によって、数ヶ月間もネット上で大きな話題となっているColabo騒動。正直男女平等は大事だと思うし、公金の使われ方も適正であるべきでしょう。
しかしながら、仁藤・暇空両氏の人間的な部分含めて不信があり「どちらにも乗れないな〜」と思った所にやってきたのが表題のColabo問題本である。
著者は馬の眼という方で、政治スタンスとしてはリベラルでありながらもフェミニストもある程度批判しているため、バランスの取れた内容であることを期待した。
暇空氏の「ナニカグループは共産党から都民ファーストまでつながっている」ととても信じがたい陰謀論めいた説に対しても馬の眼氏は「私は若干スタンスが違う」と述べていただけに期待した。
馬の眼氏は、暇空氏がColaboを追求する前から「日本財団」に注目をしていたようで、基本的には「日本財団とナニカグループのつながり」が色々と書かれた内容であった。この女性支持団体はここから寄付や助成を受けていて、こうした人たちと一緒にイベントに出ている。などの公開情報に基づく記述が続いていく。
ふむふむと思いながら読み進めていき「なぜ日本財団はColaboをここまで支援するのだろう?」と真相の部分が気になってきた。
映画でいうと一幕目で登場人物の関係が分かりストーリーが動き出す。二幕目で、その背景や悪役の動機を知って深みが増す一番大事な部分だ。
そもそも、暇空氏が当初から主張していた「共産党と深いつながりのあるColabo」、馬の眼氏が取り上げる「日本財団と深いつながりのあるColabo」、この共産党と日本財団の創設者は水と油の様な関係である。馬の眼氏の主張通りであれば、仁藤氏やColaboが共産党とあそこまで近い理由がわからない。その理由を知りたくてワクワクして読み進めた。
そうした中、この本は驚くほどの結論を出す。
〜〜〜〜〜以下、ネタバレ〜〜〜〜〜〜
結果的に、馬の眼氏は「日本財団は極右集団で、財団はリベラル政治勢力・共産党を弱体化するためにWBPCを送り込んでいる」という結論を出す。
私は(比喩ではなく)イスから転げ落ちそうになった。そんな荒唐無稽なストーリーあるかよと。暇空茜の陰謀論ルートBじゃないかよと。
正直、馬の眼氏は匿名とはいえTwitterアカウント歴も長く、その他の界隈プレイヤーと比べても信用できる言論人であると私は認識していた(だから2,000円も払ったんだけどorz)
しかし、そんな馬の眼氏でさえも根拠の弱すぎる陰謀論めいたことをドヤ顔で販売するとなると、この件に関して追求できる人がいないのではないかとどんどんと不安になってきている...。
これColabo擁護者で読んでいる多分いないと思うんだけど、中身バレたらまた今度は馬の眼氏が「リーガルハラスメントアタック」を大量に浴びそうな予感です...。
公金の適切な使い方か否かの論点がどんどんずれていきそうで怖いです。
【追記】
なんかもうおっさんの妄想垂れ流し同人誌だと思うと笑えてきたんだけど、「共産党も立憲民主党も、Colaboに資金提供を行い、バックアップしている極右人脈に気がついている節がありません」と書いてて爆笑した。気がつくも何も、そうした事実がないからじゃないかな。デマを信じ込んだ陰謀論者が「マスコミはワクチンで大量に死者が出ているのを報じない!(実際はそうした事実がないだけ)」と同じロジック。はぁ...