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はてなキーワード: 社会の公器とは

2025-08-30

anond:20250830122651

LUUPに関しては相対的に真っ当に事業やってるけど、

メルカリに関しては若干社会の公器としてEvilなところがあるので……

あと電通に関しても「電通の果たす役割」は求められても、その機能電通一社で独占しているという状態は好ましくないわけです

2025-08-27

三菱商事洋上風力撤退について当時からの流れを整理したい

追記

あらぬ誤解が発生しつつあるので明記しておきますが、私は京大レノバを含めた洋上力業界とは一切関係のない一般人増田です……

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2021年に端を発するためか、そもそも何が起こったのかを知らぬままSNSで騒がれている様子が散見されたので、読みづらくならない範囲でまとめたいと思う。

三菱商事社長会ライブを見ていて、彼らの責任の重さが伝わってこなかったので、書くことを決めた)

 

1. 再エネ海域用法に基づく洋上風力発電事業者公募

洋上風力発電事業は、基本的に「海域占有して発電を行う権利」を国が事業者に与える仕組みで進められている。

海は公共財であり、漁業者航路利用者との調整が不可欠なため、公募占用制度と呼ばれる仕組みが導入され、国が事業者を選定する。

 

流れを単純化すると次のようになる。

  1. 国が「この海域洋上風力に使ってよい」と指定
  2. 事業者が「発電規模」、「価格いくら電気を売るか)、」「地域との共生策」などを提案
  3. 価格実現性地域調整力などを総合評価し、最も優れた事業者に30〜40年という長期の占有権を付与

まりこの公募は、一度勝てば1兆円規模の事業権を数十年にわたって独占できる巨大なビジネスチャンスであり、それ以上に今後の洋上風力発電業界を「誰に任せるか」にも影響するという、日本エネルギー戦略を左右する重大な制度設計である

 

その最初の本格的な実施が、2021年12月に行われた「ラウンド1」であった。

このラウンド1は特に注目を集めた。なぜなら、由利本荘(819MW)、能代・三種・男鹿(478MW)、銚子(390MW)という3つの大規模案件を一度に公募という、極めて異例のやり方を取ったからだ。

 

国の狙いは明快だった。

まりラウンド1は、単なる民間企業の入札競争ではなく、国家的な産業政策の号砲といえた。

 

2. レノバという存在

このラウンド1における主人公に"株式会社レノバ"がいるのだが、そもそもその存在を知らない人も多いだろう。

 

レノバ従業員300人程度の再エネ専業ベンチャーにすぎない。

だが今回の舞台となった地域の1つ、秋田県由利本荘市沖への洋上風力発電事業参入を早期から表明し、2015年から風況観測地盤調査を始め、2017年以降は環境アセス漁業者説明会を重ね、さら2020年にはCOOを常駐させた地元事務所を設置した。

特に2020年コロナ禍で説明会対話すら難しい時期も、彼らは現地に足を運び続け、「地元で汗をかいた」という実績がレノバ存在を支える最大の資産となっていた。

漁場などに大きな影響を与えうる洋上風力発電では、通常の公共事業以上に地元との協力体制実現性を左右するからである

 

これら積み重ねに加え、当時の再エネブームやESG投資(Environment, Social, Governance)の追い風を受けて金融からも支持を受け、コスモエコパワーや東北電力JR東日本エネルギー開発との連携につながり、ベンチャーながら由利本荘における“本命候補”と目される素地になった。

 

3. ラウンド1の衝撃

しかし、2021年12月に公開された結果は社会に衝撃を与えた。

なんと、三菱商事率いる連合由利本荘を始めとする3地域すべてを総取りしたのだ。

 

 

当時すでに鋼材や資材価格の高騰は誰の目にも明らかで、業界では「12円を切る水準は採算が合わない」という声が多かった。

公募直後の2022年2月からウクライナ進攻が始まったのは運が悪いともいえるが、とはいえ、元々が数十年スパンを見据えた公募である。そのような長期リスクも踏まえて算出された価格であるというのは大前提である

また、レノバのように事前調査地元への根回しを十分に行う事もなく、まさに青天霹靂といったダークホース具合だった。

 

結果として、三菱商事が総取りした事実は、たとえあのまま事業が実現したとしたとしても、制度本来目的――国内複数事業者が“並走して”サプライチェーン人材基盤を育てる――は事実上無に帰した。

特に“実績の少ない市場”の立ち上げ期は、複数施工保守プレイヤー経験曲線を描ける余地が不可欠である競争果実を1者に集中させる設計は、調達単価の見かけの最小化と、産業基盤脆弱リスクとのトレードオフ過小評価やすい。

 

とはいえ、ラウンド1総取りはそのようなリスクも分かったうえで、"あの"三菱商事が総取りを仕掛けたわけで、さすがに何らかの根拠戦略により、三菱グループという責任を背負って完遂してくれるだろうという淡い期待もあった。

 

また当然の帰結として、最大6000円超まで伸長していたレノバ株価は、1500円以下まで急落し、3日間で時価総額が1800億円溶けたという報道も流れた。

 

4. 三菱商事撤退と“裏切り

そしてその3年半後となる2025年8月現在

知っての通り、三菱商事由利本荘を含む総計1,742MWの3案件能代・三種・男鹿478MW、銚子390MW)から撤退正式表明となった。

こうして大規模洋上浮力発電の2030年運転開始どころか、大幅な遅延が必至となり、三菱商事による根拠不明焦土作戦の末、国家エネルギー戦略時間は失われた。

 

  • 金利上昇・資材高騰で採算は完全に崩壊
  • 長期的な損失見込みは数千億〜1兆円規模

 

経営判断としてたった数百億で済む現時点での撤退合理的ではあるが、松下幸之助が説いた「企業社会の公器である」という理念に照らせば、三菱商事責任は極めて重大である

国家戦略の根幹をなす案件を総取りし、他社の芽を摘んだうえで、採算悪化理由に放り出す。その結果、失われたのは単なる帳簿上の赤字ではない。系統接続枠や港湾整備計画といった公共資源、そして地域住民漁業者との信頼関係といった“社会資本”が無為に浪費されたのである

 

三菱なら最後までやり遂げる」という社会的信頼があったからこそ国も地域も委ねた。だがその信頼を踏みにじり、制度全体の信憑性を瓦解させた責任は、一企業経営判断矮小化できない。

いま問われるべきは、"三菱"という組織社会責任を真に果たす覚悟を持ち得るのか否かという点である

 

5. ラウンド2以降のルール変更

時を戻して、2023年12月に結果が発表されたラウンド2以前に目を向けよう。

 

ラウンド1の結果を受け、国は制度見直しに動いた。

 

 

要は、ラウンド1で生じた「安値総取り」と「地域調整軽視」の反省を踏まえた調整だった。

だが同時に、それは元々の制度設計いか脆弱で、現実を見通せていなかったか証左でもある。

 

併せて、ラウンド2の見直しめぐり、「負けたレノバロビイング活動ルールねじ曲げられた」との論調も当時出た。(まあ、こちらはこちらでかなりの無茶したようだが……)

しかし実際の改定は採点枠組み(120/120)を維持しつつ、総取り防止の落札制限実現性評価補正情報公開スケジュール見直し等、市場の立ち上げリスクを減じる方向が中心だ。特定企業の“救済”というより、極端な安値一極集中副作用に対する制度側のバックストップ強化と整理して良いと思われる。

 

再エネ議連が毎週、圧力をかけた成果で、5月に入札ルールが変更され、6月に行われる予定だった第2回の入札は来年3月に延期され、審査方法も変更された。野球でいえば、1回の表で負けたチームが審判文句をつけ、1回の裏から自分が勝てるようにゲームルールを変えたようなものだ。

http://agora-web.jp/archives/220630094751.html

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/agora-web.jp/archives/220630094751.html

エネルギー素人池田信夫氏による批判記事と、それに同意するブクマの数々を一例として示すが、三菱商事が自陣の提示した価格の安さで撤退した今となっては笑うしかない。

ここについては2025年視点から結果論でもあるので、これ以上のコメント差し控えよう。

 

6. 焼け野原ドミノ倒し懸念

ラウンド1の失敗が避けられなくなった結果、この先の洋上風力発電市場、ひいては国家の再エネ政策全体に深刻な影響を残した。

反原発層はここにこそ大声上げるべきだと思うんだけどな。

 

ドミノ撤退リスク

三菱商事撤退検討に至ったことで、「三菱ですら無理なら誰がやるのか」という冷笑が広がり、外資国内他社も日本市場消極的になった。ラウンド2以降も撤退連鎖が起きる懸念現実味を帯びている。

市場育成の失敗

本来は「長期的に産業人材を育てる場」として設計された公募が、逆に「信頼を失わせる負の前例」となってしまった。

安値入札が勝者となったラウンド1に引きずられ、ラウンド2以降も価格面で無理をする形での参入がベースに。市場育成の健全な芽を摘んだ。

 

7. 終わりに

ここまで三菱商事への糾弾を重ねてきたわけだが、真に責任を負うべきは、まともな制度設計をできなかったMETI(経済産業省)である

 

洋上風力は国家戦略の柱であるはずが、その最初の大規模公募制度不信を広げ、時間という取り戻せないコストが支払われる結果となった。

後付けの修正で糊塗しても、信頼は回復しない。

必要なのは第三者機関を交えたラウンド1の反省と、現実直視した制度設計を国が改めて示すことであると考える。

 

8. おまけ

https://www.econ.kyoto-u.ac.jp/renewable_energy/stage2/contents/column0284.html

ラウンド1当時の批判については、京都大学大学院経済学研究科の講座コラムとして詳細に論じてあるため、興味がある方は是非目を通していただきたい。

2025-08-08

社会の公器」なのに、暴行が疑われる参加者に興味を持たない人たち

自分たち主催イベントの参加チームが、大規模な暴力事件を起こしているのに、通り一遍のことしか言わない日和ったマスコミがあるんだって

SDGsやらジェンダーやら、毒にも薬にもならない事には熱心になるのに、いざお金儲けの本丸となると、どんな人権侵害尊厳破壊が行われても特に関心のない報道機関があるんだって

もし身内なら正義は後回し、という人たちがいるなら、報道機関として他社を評価したり批判したりする資格は無いと思うんだけど、どこなんだろうね

主催者なら解決のために一番力をふるえると思うんだけど、なんで主催してるんだろう?ジャーナリズムなんてキャッチフレーズしかないのかもしれない

分かんないや

2025-05-08

兵庫県知事に向けてのネガティブキャンペーンが再開したことに対しての雑感

はてな匿名ダイアリーで、前回の兵庫県知事選挙(令和6年度兵庫県知事選挙)について記録を残したものとして、雑感を残しておきたいと思う。

まりネガティブだと感じて一度は投稿せずに消したが、根強くキャンペーンが続くので、多少なりとも意味があるだろうと再度書き直した。

まず最初スタンスを示しておくが、自分新聞をはじめとするマスメディアは、社会の公器として、社会をより良くするために責任を持って欲しいと思っている。

明確に、社会の鏡ではなく、社会の鑑であるべきであると思っている。読者が快哉を叫ぶような記事を書くべきではなく、煙たがられても正論を説き、批判されても実利をとってほしい。

そのため、「アンケートで、辞任すべきであるという声が多い」として、辞任を迫るのは明確に誤りであると、きちんと解説記事を書くことこそが必要なのではないか

責任の取り方というのは辞めることではなく、起こってならないことは再発しないように整えることだ。

最初に、兵庫県民や斉藤支持者をカルト陰謀論者とするコメントについて

安易あいまい定義単語を使うべきではない。それはレッテル貼り印象操作しかならず、思い込みを強化するだけだ。

(おそらく善意もしくは悪意なく行なっているだろうことから個別具体例は挙げないが)そういったカルト呼ばわりするポストの延長線上に立花孝志がいることは忘れないで欲しい。

あれだけの騒ぎになって行われた兵庫県知事選挙投票率55.65%が示すものは、「大半の有権者は無関心だった」であり、本質的には「日本人選挙に関心が無い」ということくらいしか言えない。

不支持割合が多いことと、投票行動に変化がないことについて

まず少しだけ選挙について解説必要になる。結論だけ言えば「選挙は概ね始まった時には終わっており、風が吹くのは例外である」となる。

選挙は、組織票地盤重要であり、浮動票トッピングしかない

日本選挙においては、組織票支持団体業界団体など)と、地盤後援会地域でのネットワーク)とが、必要条件であり、これ無しにはスタートラインにすらつけない。

選挙について漠然高校文化祭の出し物を決めるような、その場で手を挙げて多数決で最多得票数を得たものが選ばれるというイメージが語られることがあるが、正しくない。

イメージとしては、出し物を決める投票を行う遥か前から文化部派と運動部派と委員長派に分かれており、よほどのことがない限り、最も大きい派閥提案が通る。

提案のものはさほど重要ではなく、組織化されているか地盤があるかが重要であって、最後にその提案の魅力で浮動票が動く。この浮動票の動向を選挙用語で、「風」と呼ぶ。

兵庫県知事選挙の振り返りについて

さて、その意味で前回の知事選挙は、概ね順当な結果に落ち着いたと言える。

まり、離反者が出るほどの情報は出揃っていない段階での選挙なので、斉藤陣営組織票地盤も手堅く持っており、あとは浮動票だけであった。

翻って対抗とされていた稲村陣営は、野党系の支持を受けてはいたが、一本化されておらず、どこまで浮動票を取り込めるか、という点であった。

最終的な開票結果が斉藤陣営111万票に対して、稲村陣営98万票というのは、言っては悪いが、善戦した方ではないかと思う。

不支持割合が高いのに、投票したことを後悔しない人が多い理由について

アンケート調査方法問題があり恣意的から、と書くと身もふたもないので少し解説をする。

例えば、該当アンケートあなたが「パワハラ容認できますか?」と聞かれれば「容認できない、不支持だ」とするだろう。

同様に「パワハラ認定された斉藤知事は辞職すべきですか?」と聞かれれば「辞職した方が良い」と回答する人も多いと思う。

では、先ほどの組織票地盤の話を思い出して欲しい。

いわば、属している組織後援会を裏切る(離反する)決断を取れるかどうか、というのが投票行動の変化である

そして、一番最初の「大半の日本国民にとって選挙には関心がない」というのも思い出して欲しい。

無作為アンケートをとると、その概ね半分以上(通常の知事選挙は40%程度の投票率しかない)は、選挙に行かない。無関心である

これらが組み合わさると、「投票には行かないが憤る人」や「アンケートでは憤るが実際には支持(投票)する人」が生まれる。

アンケート恣意的と書いたのは、「では斉藤知事責任をとって、給与返上をすべきですか?」と聞いていないからだ。

問題を起こした人物がいる、その人物責任取るべきである、辞任 or 継続 という形式だと、人は辞任を選ぶ。

例外的な場合について

組織票割れ場合地盤が弱い場合、突発的に浮動票の得票率が高くなった場合に、風が吹いて盤面がひっくり返ることがある。

ただ、そうした場合でも概ね10%程度の変動であり、強固な地盤がある場合にこれを覆すのは容易なことではない。

ネガティブキャンペーンについて

私が最初に「マスメディア社会の鑑であって欲しい」と書いたのはこのためで、兵庫県内の状況を冷静に見ると、もはや辞任を迫るフェーズは終わってしまった。

そのため、このマスメディアによるネガティブキャンペーンは、社会の鏡として、読者のニーズに応えているにすぎない。端的に言えばニュースバリューがあるだけである

今後、パワーハラスメントを再発させないためにどのようなことが行われると表明されており、それがどう実行されているのか、どう確認できるかを監視するのが重要であり、

また、公益通報保護制度はどのように運用されるのか、その信頼が失われたとして、如何にして信頼を取り戻していくのかを監視して報道するのが社会の公器としてのあり方ではないか

まさに前回報道合戦を繰り広げたために起きた、拙速と言うしかない不信任決議がどのような結果を招いたのか、思い出して欲しい。

(前回の選挙後の雑感にも書いたが、内部告発文書の裏どりと解説を行い、議会結論を待つ様に諌める姿勢を取るべきではなかったのか思う)

そうした地味な報道ニュースバリューとしては読者のニーズに乏しいのかもしれないが、スキャンダラス報道をするのは週刊誌だけで良い。

まとめに代えて、なぜ雑感を書いたのか

長々と書いてお前は斉藤支持者なのだろうと言われるかもしれないが、前回の投票先は記載しない。

全ての選挙における秘密はこれを侵してはならないと憲法にも記載されている。防衛的な文章を書くためだけに使用して良いような軽いものではない。

私は、兵庫県知事公約達成率を公表しているのは支持するが、達成度合いが曖昧なのは問題だと感じている。

若者支援を打ち出しているのは支持できるが、では井戸県政と比べてどうかと言われれば、まだ進捗は芳しくないと思う。

詰まるところ、支持不支持や辞任続投というのは大雑把にすぎるのだ。給与返上たから禊が済んだとも思わないし、複雑な物事を単純に解決しようとしすぎるのは良くない。

マスメディアは、もっと真剣に、握りつぶされない内部通報告発者をどうすれば守れるのかを徹底的に調査報道して欲しい。

そして一番重要なのだが、もしここまで読んでくれたのだとしたら、あなたの住んでいる街はどうだろうか?

都内に住んでいるのだとするなら、都知事が今月何をしたか知っているだろうか?市に住んでいるとして、今月の市議会は何を話していただろうか?

斉藤支持者はカルトだという投稿いいねをつける前に、兵庫県民は変わらないと書く前に、あなたの住む街について無関心ではないだろうか?

「XX県の人間は、YYという問題認識できない愚か者だ」と急に指摘された時、知らなかったでは政治に無関心すぎる。

兵庫県政を憂いてくれるのはありがたいが、スナック感覚スキャンダルをつまむだけなら止めた方が良い。

スキャンダラス民意で誰かが動くと、同じ理屈で先鋭化した集団がどこかに向かうのを止められなくなる。

どの陣営にとっても必要なのは再発防止であって、魔女狩りではないはずだ。

蛇足

繰り返しになるが、選挙は概ね始まった時には終わっているのだ。報道次第でどうにでもなる風だと思われているのには、理由がある。

投票したい候補がいないのかもしれないが、ここは理想楽園ではなく、現実日本で、出されたカードから選ぶことしかできない。

棄権しても良いが、白紙委任状を提出していることは忘れないで欲しい。

自分カードとして打って出る権利存在するが、地盤看板鞄が無ければ実質的には意味を持たない。

同じように白票投票所に入れにいく権利はあるが、現実選挙戦では、システム理解していない表明にしかならない。

今日から自分の住む地域推し政党を決めろとは言わないから、せめて自分の暮らす地方自治体が何をしているか、何を課題と感じているかは、知っておいて欲しい。

他山の石として欲しい。

2024-09-03

はてサ会社社会の公器」「牛角私企業から差別してもいい」

はてサは女が絡むとアホになるの?

2023-10-02

望月衣塑子氏と共にジャニーズ会見で質問外しをされた怒りの投稿

ジャニーズ事務所の会見。最前列の真ん中に座って、ずっと手を挙げ続けた私と望月さんを絶対に当てないことを事前に決めていたとしか思えない会見で、失望し、憤りを覚えました。井ノ原氏は「ルールを守って」と私に言い、隣の芸能レポーターたちは拍手していました。しかし、厳しい質問をするであろう私と望月さんを絶対に当てない、という八百長のような不正ルール容認するわけにはいきません。

最初は当然質問が当たるだろうと思って、黙って手を挙げていました。が、ジャニーズ事務所司会者側の最前列私たちを当てないという意思が、会見が進むにつれて明白になりました。途中から、会場で声を上げざるを得ませんでした。

米国など主要国の普通記者会見最前列の人たちから順々に当たっていくのが常です。それは、私が出てきたトランプ大統領会見や、オバマ大統領会見でもそうですし、安倍元首相日本の会見もそうでした。芸能リポーターたちの芸能人の囲みの会見でも一番前にいる人たちがまず質問します。今回の会見は、芸能リポータータレントを二重か三重で囲んでいる会見で、その輪から遠く離れた部屋の向こう側にいる人をわざわざ探して当てているような、不自然まりないものでした。

ジャニーズ事務所今日行った会見https://youtube.com/live/jfMqNazPRuMは、こうした世界日本の会見のルールとは全く違い、私たちArc Timesをとにかく当てない「八百長会見」でした。井ノ原氏は、「大人ルールを守って」という趣旨のことを言いました、しかし、そもそも八百長といっていい「ルール」を敷いていたジャニーズ事務所こそが、日本世界の会見のルールを守っていないと思います。私はオバマ大統領会見やスペースXイーロン・マスクCEOの会見など世界各地で信頼を得て質問してきましたし、「ルールを守れ」などと言われたことはありません。むしろ海外では、質問させるべきだ、と他の記者が加勢してくれるのが常です。

最前列にいる記者質問するためにかなり早い時間に来て待っています私たち今日、受付の1時間上前から並んで待って最前列に座りました。最前列は、記者の意欲の表れです。だからトランプ大統領でも、イーロン・マスク氏でも、安倍元首相でも、近くにいる記者から質問を当てていました。その世界日本普通の会見と比べて、今日の会見は異常でした。あそこまで、私たちから質問から逃げるジャニーズ事務所は、一体何を怖がっているのでしょうか。性加害問題で、説明責任を逃げずに果たすつもりはないのでしょうか。

驚いたのは、真面目に質問しようとする私たちに対する、テレビ新聞大手メディアのスチールカメラマンビデオカメラマンたち、芸能リポーターたちからのヤジでした。不正な「ルール」であってもジャニーズ事務所意向に従え、と言う彼ら彼女らの忖度共犯性が、ジャニー喜多川氏の性加害を50年にわたって続けさせてきた原動力であり、その共犯関係がいまも根強く続いていることを思い知りました。

カメラマンが私をヤジりながら、レンズを私に向けたので、私も彼らを動画におさめました。

多くのメディアが、私や望月さんを批判する記事を書くでしょう。私は彼らに問いたいと思いますあなたは、八百長強要するルールを守れと言うのか。そして、あなたたちはジャニー喜多川氏の数十年に及ぶ性加害のなかで、何をしてきたのか。メディア人としての悔恨や怒り、責任感は全くないのか、と。

今日あったのは、1950年代から、少なくて数百人、2週間前に開いた補償窓口にすでに400人超が問い合わせていることを考えれば、おそらく数千人の子供たちへの性加害を容認してきた企業記者会見です。これは、米国ジェフリー・エプスタイン事件ハービーワインスタイル事件よりおぞましい、戦後史に残る、世界でも最悪といっていい性加害事件です。

その場で、新社長や新副社長説明責任を求める私たち質問からジャニーズ事務所は徹底して逃げようとしました。東山氏は私の質問に少しだけ答えましたが、マイクを持った質問はさせてもらえませんでした。

そしてその状況を、社会の公器である記者カメラマンたちが、性加害問題を解明しようとは全くせずに、逃げるジャニーズ事務所同調して私たち匿名でヤジを浴びせ、ジャニーズ側に同調して拍手までしている。

今日の会見で性加害問題を数十年隠蔽してきたジャニーズ事務所の体質が全く変わっていないことが露呈しました。そして共犯であるテレビ新聞が、追及しようとする記者たちに怒号を浴びせる、おぞましい姿を目の当たりにしました。

この問題は全く終わっておらず、むしろ解明が始まったばかりであり、ジャニーズ事務所やそれを取り巻くメディア必死隠蔽を続けようとしているのだ、ということを体感しました。それは多くの方に伝わったと思います



https://x.com/ToshihikoOgata/status/1708775014458372199/

より。

広島サミットの「逃げるんですか」でも話題になったアークタイムズの尾形聡彦氏による投稿

不正ルールのある会見だったと訴え、芸能界マスメディアの体質についても問題提起している。

内容の真偽は現時点ではなんともいえない。

望月衣塑子氏の独善的姿勢には度々問題を感じるが、オリコンが名指しの記事を即座に上げてネット批判が盛り上がっている現状には疑問もある。

あなたはどう考えるだろうか?

2023-08-25

漁師みんな泣いている

これが今日東京新聞朝刊1面で一番大きい見出し

東京新聞は処理水放出(反対派は汚染水という言葉を使う人も多いが東京新聞は処理水)にかなり紙面を割いている。

その中では科学的な解説廃炉のために容認するしかないという漁師の声も紹介してかろうじて「社会の公器」の体を成しているが、1面トップではこうして情緒に訴え煽る。

こういう週刊誌みたいなやり方をするところが本当に駄目。

2023-06-14

anond:20230614151933

相手芸能人ならロールモデルであり社会の公器としてあつかうべきだよな

そーゆー炎上芸でうってる芸能人ならともかく

2023-06-13

anond:20230613073309

TV局アナウンサーの容姿重視採用はいずれ燃やされると思う。TV局は一応は公共性のある社会の公器から。建前を言えばニュース原稿を読むのに容姿端麗である必要はないわけで。

テレビ局視聴率を高め(てCMを見せて広告料を得)ることが企業としての目的なわけで

美人キャスター不細工キャスターで前者の方が視聴率が良くなるってデータがあれば容姿端麗OKですか?

2023-06-01

anond:20230601190522

まんま左派政党と同じ末路を辿ってるね

本当にまともな左派がいたら、それこそ行政委託事業を受けた業者を立ててこんなにも偏った形で報道するのは許さないだろう

曖昧会計妨害問題は切り分けられ、真相を的確に報じてたろうね

過剰な妨害はどんな問題でも起こってるネット社会における新たな社会問題なんだよな

ヨッピーもこの記事で書いてるように

https://news.yahoo.co.jp/byline/yoppy/20230524-00350545

そして本件についてはいまだSNS上であれこれ言われ続けており、犯罪予告はもとより、一部にはデマしか言いようがないような内容で他者攻撃するような人まで現れており、SNSの怖さみたいなものを浮き彫りにした事案でもあるな、と思っております

この後でヨッピーが書いてる老婆心ながらの心得も全てColabo問題においても言える事。

主語を大きくしない

今回の事例で言うと「田舎はこうなんですか?」など田舎全体を貶めるような書き方をするのは良くありません。

かにも「女ってこうだよね」とか「男ってこうだよね」とか、一部の事例を性別全体にあてはめて書いてしまった結果反感を買って炎上してしまうケースはたくさんあります

例えば自分の夫がまったく家事育児をしないからと言って、「男ってほんと家事育児しないよねー!」という愚痴を呟いたとして、それが僕のタイムラインに流れてきたら割と家事育児を頑張ってるつもりの僕は「男が全部そうじゃないわ!」って腹が立ちますし。

からそういう場合は「ウチの旦那家事育児しなくて~」くらいに主語を縮めて呟くのが良いと思います

移住者vs地元コミュニティみたいな構図は今回以外にもよくニュースというか話題になりますが、全部が全部対立してるわけじゃなく、移住者地元コミュニティがうまく協力して盛り上がりつつある町だってたくさんありますしね。徳島神山町とか。

Colaboやその信奉者、及び報道社はのっけから会計疑惑込みでこの問題ミソジニー妨害で片付けようとしてる。

都すらもミソジニー妨害者の味方呼ばわりしてな。

そもそも告発の中心者、暇空氏ですら最初から現地妨害はするなと言ってるにも関わらず、まとめて暇アノンと呼んで暇空氏と結びつけた蔑称主語大きくしてるのはColabo側なんだよな。

そしてその言い分に全乗っかりな朝日毎日左派紙によるColabo報道も、公平性を欠くただの偏向報道になってる。

・とにかく証拠

告発する時にモノを言うのが、誰が見てもそれとわかる証拠です。

パワハラセクハラに関わらず、相手の非を糾弾するならとにかく証拠を残しておきましょう。録音・録画などなんでも良いですが、客観的証拠を抑えてない限り、告発しても不利になるケースはたくさんあります

会計疑惑整合性が取れてない証拠が揃ってたか住民監査請求が通ったし、監査請求人を退けた最大の根拠後出しの表3は住民訴訟裁判にかけられて根拠に乏しいと否定されたね。

https://twitter.com/i/web/status/1656503599898443777

その他にも、貸借対照表や定款にも及ぶ黒塗りと、その黒塗りをColabo代表名義で申請していた事、黒塗りについて被保護者個人情報の非開示は当たり前と言いつつ過剰な黒塗りには言及しない報道共産党意向や、議員会館を使ったスラップ記者会見も名乗りでない議員も、普段不正を許さないとしてきた左派が是としていて報道されていないのだから大きな問題点。

ジャニーズ問題での報道反省してまーすポーズしかないなと判断できるのはこの辺り。

事実憶測感想は分けて書く

今回の事例で言えば漫画の中にある「市役所NPOに恩があるので文句が言えない」「土佐市はそのNPO法人に頭が上がらなくなりました」なんかは憶測であって事実であると断定できるものではありません。それなのに事実であるかのように「頭が上がらなくなりました」などと断定的に書いてしまうと告発全体の信ぴょう性まで薄れてしまます

このへんも気を付けたいところです。

これも、何もかもミソジニーのせいにして、そこから女性への攻撃だの女性支援してるから叩いてるだの、酷いものだね。

そんな奴もいるだろうけどどんだけだよ。

じゃあColabo側はミサンドリスト集団だっつってただの差別者同士の諍いなんてくだらないオチにしても文句ないよな。

まあ暇空氏自身もこの無駄憶測の断言傾向があるのは否定しないけども。

ただColabo報道においては、この双方ある問題をColabo側に全乗っかりで報じてる朝日毎日はやっぱり大問題だわ。

切り分けるべきよな。

・周囲の人に相談

そして今回のように関係者が多数居て、どこまで話が広がるか見えないような場合告発する前に、告発内容を事前に見せるなりしてとにかく周囲の人に相談する事です。出来れば弁護士などにも一度相談して、仮に裁判沙汰になった時に不利になってしまうような事は書かないでおくのがベターです。

相談ではなく双方トップ独裁的でただの徒党となってるのがキツいところ。

弁護士も含め双方問題点もあったしグダグダなので、その辺はもう当事者同士納得いくよう頑張ってくれ。

ただ公金事業不正会計問題不正会計問題住民監査請求が通ってしまう時点でそれだけ証拠揃ってるんだから社会の公器としてはそれを的確に報じないといけないよな。

暇空氏のパーソナリティ問題をColabo側はよく持ち出すけども、どこまで行っても暇空氏はただの一個人だし、不正会計疑惑を追う人々は彼の清濁込みで支持してるわけではないし、寧ろもう彼とは切り分けて追ってる人も多いだろう。対してColaboは公金事業者としての会計に不整合が生じてたから追求されて当然なんだよな。そしてこれまでそれをやってきた左派共産党が、本件だけ真逆立場で全力擁護に走るからこの問題は拗れ続けてるし、左派の株は地に落ちてる。

左派紙、安倍が死んでから偏向ライフ満喫しすぎじゃない?

Colabo問題関連報道とか最もたる偏向報道代表格だけど

もっと言えばジャニーズ問題すら、BBC報道に押されてと言うよりか、そっち繋がりのPENLIGHTが動いてからチッ反省してまーすみたいな事言い始めてるんだよな

その裏に何が潜んでるんだよ朝日毎日

因みに反省素振りを見せながらColabo関係変わらずアレだから何も信用がないわw

社会の公器どころかポジショントークしかできないどっかの機関紙レベル

2023-05-18

ジャニーズ事務所よりメディアの方が罪が重い

「責めるべきはジャニーズ事務所であって、今メディアを責めるのはズレている」

みたいな意見をちょくちょく見るんだけども。

かに

ジャニー喜多川およびジャニーズ事務所による性加害事件

・その事件メディア黙殺していた問題

は別の問題で、それぞれ別として追求されるべきだとは思うんだけど、

あえてどちらが重いかといえば個人的には後者問題の方が重いと俺は思う。

 

レイプ魔がいました(もう死にました)

・そのレイプ魔は警察庁OBの息子だったので、再三の犯行にも関わらず証拠被害届も握りつぶされて見逃されていました。

 

例えばこんな感じだったら、よりわかりやすいかな。

レイプ自体も重大な犯罪だけど、それ以上に社会の公器ともいうべき組織が腐敗しているという事実の方がはるかに重いし社会的影響力も大きい。

それにジャニーは死んでるからこれ以上被害者は増えないけど、報道が腐っていると今後も同じことが繰り返されかねない。

徹底的にメディアを弾劾して浄化しなければならない。

最低でも、今回の報道を止める判断を下していた上層部の退任は譲れない。

ここで責任逃れを許すと、今後もテレビ局に都合が悪い事件報道されないという環境は変わらないだろう。

2023-05-15

結局「外圧しか動かない」って日本マスコミも同じことだったな

彼らに任せていたら今回の件にしてもナアナアで終わらせていたことだろう

社会の公器が聞いて呆れる

2022-10-20

ぼっち・ざ・ろっく!」が成功してもしなくてもきららは危ない

 「ぼっち・ざ・ろっく!」、通称墓石」が、アニメ作品としてヒットすれば、まんがタイムきららは危ない。ヒットしなくても危ない。

そもそも陰キャ」という言葉悪口ではないのか

 当たり前のように使われてるが、どう考えても良い言葉ではない。胸を張って「私は陰キャだ」と言える人なんて居ない。ネット上(に限らないが)で「陰キャ」という言葉が出たとき、その言葉を言われた対象賞賛の的になっていることは皆無と言っていい。明らかに陽キャ」こそ上位の存在だと見做している。「陰キャであることを短所と見做すしかなくなっている。「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公を見て、名誉ある人物だと思う人はいない。そういう風にこの主人公は作られている。

上昇意識から下降意識

 昔は「リア充」「非リア充」という言葉がよく使われていた。ネットである「俺」や「お前ら」は、まず「非リア充」の方に位置していた。しかし昔のネット民は「リア充爆発しろ」だのと攻撃的な姿勢でいた。それは冗談でもあり虚勢でもあったが、俺達こそ素晴らしいのだという感覚を得ることができた。「非リア充であることに誇りをもっていたと言ってよい。またリアルでの充実というのは、恋人の有無に限らないことであって、趣味に熱中することができるならそれもリアルでの充実と言えた。「陽/陰キャ」という言葉場合現実楽しいかという次元の話ではない。ただ人間性について判断しているのであって、いくらネット面白いことができても、趣味に熱中したところで、「陰キャ」と言われれば「陽キャ」には勝てない。現に「リア充爆発しろ」に相当する言葉をまとに見たことがない。

  「陰キャ」という言葉は、かつてインターネッツではほとんど使われていなかった。しか2015年前後から急速に当たり前の語彙となった。この言葉インターネッツ発祥言葉ではないだろう。しかし今、こうして当たり前の言葉となった原因はネット民に、ネット掲示板にある。それはなんでも実況Jが2ちゃんねるの都となってからのことだ。その時期といえば、とある炎上に関わった弁護士が大いに叩かれていた。かつてのネット民の意識であれば、「俺達は弁護士よりも上」だと言っていただろう。しかしいつしか、「弁護士は俺達よりも下」になっていた。

陰キャ」は言葉として意味を成していない

 「陰キャ」という言葉は、誰でも共感できるようになっている。

 そもそも人間性質を二つに分けることは乱暴なことだ。世の中に、完全に「陰キャ」でしかない人はほぼ存在しない。完全に「陽キャ」でしかない人もいない。人間には必ず陰と陽とがある。5対5のように、両方のバランスによって成り立っている。そのバランスは時と場合によって3対7や1対9のように変化していく。誰を相手にしているか、どの場所いるかによっても変わる。本人の気分によっても変わる。学校では無口でも家では饒舌なら、それだって本人の「陽」の側面が強まっていることになる。ネットでは強気になれるなら、それも「陽」と言っていい。ただし、そんな時にも「陰」の面はある。また、自分では「陽キャ」だと思っていても、他人からは「陰キャ」だと思われていることもある。自他の認識によって、人間性質は変わる。

 我々は、「陰キャ」という言葉を見たとき、「陰キャ」と呼ばれる人を見たとき絶対自分の中にある「陰キャ」の側面を実感している。全員が共感できるから、「陰キャ」という言葉はここまで当たり前の言葉になっている。「陰キャ」という言葉が捉える範囲があまりに拡がりすぎている。使う人のさじ加減によっても変わってくる。

 人が自分他人判断する材料が、「陰キャ」か「陽キャ」かしかないとは、短絡的なものだ。我々の人を見る目は蒙昧で貧弱なものになってしまう。

まんがタイムきららは「陰キャ」をコントロールできない

 現在まんがタイムきららでは、「陰キャ」という言葉を全面に押し出している作品が三つある(正確にはその一つの連載は終了している)。「ぼっち・ざ・ろっく!」と「ななどなどなど」と「むすんで、つないで。」のことだ。いずれも主人公が「陰キャ」と言われたり自称したりしている。しかしこの主人公三人は、同じ「陰キャであるにもかかわらず、共通点がない。「陰キャである状態が異なっている。

 「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公はまともに人と話すことができない。言葉を発すると緊張の度が過ぎて、たどたどしい滑稽な姿になる。

 「ななどなどなど」の主人公は、問題なく人と会話が出来る。ただ、自尊心が強く、気高く、高圧的に人と接してしまうため、人との不和を起こす。そういう人間性から、この彼女は「陰キャ」と呼ばれた。

 「むすんで、つないで。」の主人公は、自分のことを「陰キャ」だと思っているが、周囲からは憧れの的となっている。容姿端麗で、成績優秀だとして賞賛されている。間違っても「陰キャ」とは言われていない。このように、自己へ下す認識と、他人から与えられる認識差異がある

 「会話が困難な人」「会話は出来るが人格問題がある」「会話もできるし人格も整っているが、その人自身不安を消せないでいる」。これらは完全に別物であり、違った性格を持った人物の集まりだ。それなのにこの三人は、「陰キャ」だと一つにまとめられている。こうした乱暴な処理がなされた結果、「陰キャ」の意味は広く曖昧ものになった。

 「まんがタイムきらら」の枠に留まらず、今や日本では、人間は「陰キャ」と「陽キャ」のどちらか二つに分類されるようになった。しか人間はそこまで簡単に分類できるほど、単純に造られていない。漫画登場人物ですら、多種多様性格をもっている。繊細な性格によって表れ出ている人間の姿を、真っ二つに分けることなど、とうてい出来ない。出来るとすれば、相当に乱暴作業と言うほかない。

 ひどく曖昧意味をもっている言葉を平然と使う。普通の人が日常会話でつい使ってしまうのならまだしも、漫画家という表現者が使うのはいかがなものか。使うのであれば、考えた上でやらなければならない。考えた上で使うことが出来ている作品は、「むすんで、つないで。」しかない。

創作への妥協、怠慢

 こういう考えもあるかもしれない。「陰キャ」がもう当たり前の言葉となった以上は仕方がない。その言葉をあえて使うことで、読者の共感を得ることが容易になる。確かにぼっち・ざ・ろっく!」は、「陰キャ」という言葉によって、現代の我々の思考を写し取った作品になっている。しかし、それがまんがタイムきららにとって、いかに異質で危険なことか。それを考えなくてはならない。

 一時期のまんがタイムきららは、多くの嘲弄を受けてきた。きららからアニメ化される作品は「日常系」と呼ばれ、「中身がない」だの「美少女動物園」だの散々言われていた。

 そういった意見に間違いがないわけではないだろう。一つの正解であるとも言える。

しか面白い作品のあり方はさまざまであってよい。劇的な物語がなければ、作品として成立しないなんてことはない。キャラクター死ぬのを見れば、それは悲しいシーンとなる。涙を流すこともあるだろう。しかしその涙は、純粋な感動のためではなく、感動という暴力を受けて涙を流しているだけかもしれない。

 何気ないことに心を動かされることがある。そのことを追求したのが、過去まんがタイムきららだった。何気ない瞬間の美しさを、美少女キャラクターに託していたのだ。そのためには、細心の注意を払ってキャラクターをつくらなければならない。例外もあるとはいえ、人の死があるわけでもない、激越なバトルがあるわけでもない、何か大会で勝ち上がっていく過程もない。ただそこにはキャラクターがいる。読者の感性に訴えかけるキャラクターを描かなければならなかった。それがかつてのまんがタイムきらら様式だった。そうしてきららは、いくつもの作品を世に送り出してきて、少なから成功を収めた。

 そんなきららが、今では「陰キャ」「陽キャ」という、曖昧かつ極端な言葉にとらわれてキャラクターを作ろうとしている。これは創作妥協であり、怠慢だ。きららが今まで築いてきたもの否定している。いわゆる「なろう系」や異世界転生もののように、圧倒的な成功を得られるならまだ良い。しかし「ぼっち・ざ・ろっく!」に圧倒的な成功勝利名誉の獲得はない。

まんがタイムきらら自尊心

 きらら編集部は、人々の口に上ることの多い「陰キャ」という語を、訳もわから商機と見做して漫画に取り入れたつもりなのだろう。しかし、この「陰キャ」という言葉は、近年の「インターネッツ」の売り物の一つなのだ。「陰キャ」の隣には「ショウガイジ」があり、「すき家チーズ牛丼を注文する男性」も陳列されている。周囲を見渡せば大量の炎上コンテンツがある。「ゲイ向けのビデオ」があり、「大物YouTuber」もあり、「ネットに強い弁護士」もある。

 きらら編集部がもし「ショウガイジ」を選択していたら、問題視されただろう。しかしさすがに、きらら編集部は「ショウガイジ」がまずい意味をもっていることを知っている。だから陰キャ」を選んだというのか。特定人種差別しているわけではないと判断したためにか。「陰キャ」という語が、「ガイジ」と紙一重意味合いと動機で使われていることをきらら編集部は知らないのか。知っていてやっているなら邪悪しかない。知らないからといって、何でも認められるわけではない。「陰キャ」を使っていいのは、人の気も知らず、自分のことも顧みず、悪口でも何でも好き勝手使うネット民だけでよい。

 まんがタイムきらら編集長は、「雑誌とは社会の公器であることを認識しなければならない」という教えを守っているのだという。「常に新しいことにチャレンジする」ために、「意識的に尖った作品を多く掲載するようにしている」側面があるのだという。その「尖った作品」の第一として挙げたのが、「ぼっち・ざ・ろっく!」だった。まんがタイムきららは、尖った作品を作るために、社会の公器であるために、ネット民の小競り合い、煽り合いを利用したということだ。

 きららアニメは、今までニコニコ動画で散々「ゲイ向けビデオ」のコンテンツと共演させられてきた。きらら作品キャラクターが「ガイジ」扱いされることも多かった。きららアニメ大元であるきらら編集部は、ついに自ら「インターネッツ」の汚れた部分に浸かることを決めた。しかも「社会の公器であるから、「ガイジ」のような過激ものは使えず、なるべく穏当な「陰キャ」を手に取って、「インターネッツ」の人々と仲良くすることを選んだ。

 編集長インタビュー記事 https://www.mashiro-writer.com/interview-houbunsha70th

まんがタイムきらら明暗

 もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功すれば、今後も「陰キャ」「陽キャ」という観点キャラクターが作られるだろう。人間性質を無理にでも二極化して行くだろう。過去伝統を振り捨てて。

 もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功しなければ、新たに売れそうな漫画を作り出さなくてはならない。約五年前のように、一年に三つも四つもきらら出身アニメ放送される時代は終わっている。過去に人気を博した作品も続々と完結している。現状のまんがタイムきららに見込みがありそうな漫画は数少ないと言ってよい。アニメ化が決定した「星屑テレパス」を含めれば、あと四つほどだろうか。「ぼっち・ざ・ろっく!」はきららの最終兵器とよく呼ばれている。最終兵器とはまるで後がないかのような言い回しだ。

2022-10-06

1.採用不可の女子

(1)ブス、絶対に避けること。

(2)チビ身長百四十センチ以下は全く不可。

(3)カッペ田舎っぺ。

(4)メガネ

(5)バカ

(6)弁が立つ。新聞部に属していたものはよく観察すべし。

(7)法律に興味をもつ。前職・専攻課目・関心事に注意。

(8)慢性の既往症。再発の怖れだけでなく、疲労し易いので不満を抱き易い。

2.要注意の女子

(1)革新政党支持。その理由質問し、その答え方の口調に注意。

(2)政治宗教団体関係。頭のきりかえのきかないのが多い。

(3)本籍日本国籍でないもの特に家が飲食店場合は不可。

(4)職を二つ以上変っているもの。流れ者であり即戦力になるように思えても長つゞきしない。

(5)四年制大学中退者。

(6)家庭事情の複雑なもの

(7)父が大学教授

(8)尊敬する人物情熱芸術家場合。(例)ゴッホ林芙美子石川啄木

(9)尊敬する人物学校先生場合、どういう点を尊敬するか質問すること。

ただ、新聞テレビ報道国会質問にまで発展したにもかかわらず、出版社系の媒体ではほとんど報道されなかった。紀伊國屋書店が自社出版物販売を取りやめることを恐れ自粛したのだろう。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2016/04/post_14724_3.html

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文化インフラ恐怖政治ならやむないね

社会の公器としての自覚がない書店は生き残れない

2022-08-01

1年前になぜやらなかったんだろうね?

例えば1年前に、今の半分の熱量ででも統一教会叩きをマスコミの皆さんが頑張っていたら、もっと状況は変わってたんでしょうねぇ。

だって自民党統一教会とのつながりは「公然の秘密」だったわけですよね。皆んな知ってたんだよね?知ってて放っておいたんだよね?知らんふりしてたんだよね?

皆んな、石を投げても大丈夫そうだってわかるまで石を投げようとも思わなかったんだよね?火中の栗を拾いに行かなかったんだよね?

あれ?自分たちのことを社会の公器だって言ってたよね?

2022-07-17

anond:20220717152532

そういうことですよね。

メディア自称社会の公器」「社会の木鐸」なのですから片手落ちになってはいかんのですよ。

2022-04-27

anond:20220426233859

SYNODOSの、日経たわわ広告アンケート記事感想にいくつか補足。

はてな記法は少しだけ使えるようになった。改行が足りなかったんだな。

 一

ネット調査であることによる標本の偏りを指摘したトラバを見かけた気がしたけど、なくなってる?

かにインターネットでのアンケートに回答する人は、普段ネットを使わない人より広告肯定的だろうと直感的には思う。田中氏の調査では10代以下の子供や60代以上の老齢者も対象じゃないから、日経新聞を購読してる層全体を見れば、実際はもう少し批判的になるのかもしれないね

 二

https://anond.hatelabo.jp/20220427084110

で、自分が気になったのは、9)性別役割分業志向10男性優先社会認識だけどね。

本来ならこれは同じ方向をむく、というか合わせて「フェミニズム志向」と呼ぶべきものだろう。

でも実際は、10男性優先社会認識は明確に反対傾向があるけど、9)性別役割分業志向有意じゃないけどどちらかといえば逆方向

ごめんこれ、何言ってるか分からない。9)性別役割分業意識は、「男性仕事に専念してお金を稼ぎ、デート食事お金負担すべきだ。女性感情的で、女性らしい感性を持つ。仕事より育児に傾注するべきだ」に賛同するか否かの、保守的な男女観を持つかの傾向をみる質問だよね。

フェミニズムとは全くの反対だと思うが……。

この数字有意ではないので、田中氏にはあっさり流されてるけど、どちらかといえば逆、つまり保守的な男女観を持つ方がたわわ広告肯定的かもしれないのは興味深い。

 三

SYNODOSの記事でたわわ広告問題視しない人が着目されていない理由について、前の増田で「たぶん無関心」と書いたけど、違う理由も考えられる。可燃性がすごいんだ。

広告問題視する人が多いのは、既婚者、クリエイター痴漢厳罰を求める人、フェミニズム賛同である

に並べて、

広告問題視しない人が多いのは、未婚者、自分では絵やイラスト漫画を描かない非クリエイター痴漢厳罰求めない人、フェミニズム賛同しない人である。また、主に男性である

と書けるか?自分なら恐ろしくてよう書かんわ。書いたけど。

記事で触れなかったのは何故か、何らかの配慮かもしれないが、本当のところは田中氏でないと分からない。ただ読者は、書かれてないことに気づき、その理由考察できるはずだけど、増田の見た限りあまり言及している人はいなかった。

明示されない限り、何が伏せられてるのか気づく人が少ないのも、結構エグい、と思う。

透明性、無徴性の話にもつながるんだけどね。

 四

前の増田では、「萌え絵」にカギカッコをつけて表記した。前提なしに使うにはふわっとしすぎてるんだよな。

田中氏は、

漫画アニメ調の絵が電車街角ポスターなどに大々的に出始めたのはおそらく2000年ごろ以降である現在20代の若年層にとって萌え絵は生まれときから周りにある日常風景であり、抵抗が少ない。これに対し40代以上の人にとっては萌え絵日常世界への大量進出大人になってから体験した出来事であり、違和感がぬぐえないのではないかと考えられる。 

と書いてるけど、漫画アニメ調の絵=萌え絵 ってこと?それって自明かな?

40代・50代の男性20代男性と傾向が全然違うなら分かる。慣れないか違和感があるんだなと解釈できる。けど、9%と12%~14%の差だよ。20代女性(18%)より50代男性(14%)のほうが「萌え絵」に抵抗が少ない要因を、電車街角日常風景時代性だけで解釈するのは無理がないだろうか。

今の40代・50代も小さい頃から漫画アニメに触れている。

うる星やつらラムちゃん宇宙戦艦ヤマトの森雪は70年代ヒロインだし、少し前もはてぶは90年代アニメで盛り上がっていた。

はいからさんが通る、ガラスの仮面ときめきトゥナイト、ふしぎ遊戯天使なんかじゃないフルーツバスケットなど、女性たちに支持されてきた往年の少女漫画はないことになっているんだろうか?

同じ時代を生きてきた40~50代の男女でこれほど意見が違うならば、たわわ広告のような「萌え絵」とは、「漫画アニメ調の絵」全般ではなく、「男性目線のいやらしさを含んだ漫画アニメ調の絵」を言うんじゃないか

田中氏の示した調査結果だけでは、年齢が意見に与える影響が「漫画アニメ調の絵への慣れ」によるものとは言えないように思う。

男性全般抵抗感の低さは、「萌え絵」(男のエロ目線を含んだ漫画アニメ調の絵)への慣れに影響されているのかもしれない、とも思う。

 五

男性には違いが分かりづらいらしい、一般漫画アニメ調の絵、例えば少女漫画の絵と「萌え絵」を、女性はどこで見分けているのか。

2000年代以降の漫画、たとえばハチミツとクローバーカードキャプターさくらやとんがり帽子アトリエはなぜ「萌え絵」扱いをされず、女性に受け入れられているのか。男性評論家か何かに萌え絵扱いされてるのは前に見たけどね。

これは増田の仮説に過ぎないが、肉体の生々しさの強調ではないかと思う。

顔や髪の毛の表現は似通っていても、衣服の布が体のラインをなぞり、皺や陰影で凹凸を強調する描写への念の入れ方が違う。

たとえばアツギ企画のメイン絵師なら、黒タイツから透ける脚や足の肉感描写に並々ならぬこだわりがあった。

極端にいうと、リカちゃん人形の顔にリアルセックスドール身体がくっついているような感覚を、女性の45.6%と男性の22.5%は受けているのだと思う。

この仮説は田中氏の調査では検証できない。検証には、対象者にいろいろなタッチイラストを見せて判定してもらうという方法などが考えられるけど、残念ながら増田には調査設計から実施検証までやる余裕もスキルもない。興味のある誰か偉いひと頼んだ。

では、女性の43.9%、男性の68.2%はなぜ「萌え絵」に男のエロ目線を感じないのか?男の性欲が自分に与える効果クリティカルさが大きいと思うし、クリエイターの反応が考察の参考にはなるけど、ひとまずおいておく。

 六

なぜ女性は年齢が上がると、子供がいなくてもたわわ広告批判的になり、男性は年齢が意見にそれほど影響しないのか?

これも増田の仮説に過ぎないのだけど、

女子高生表象が、男性にとっては「性的アイコン」であり、女性にとっては、子供だった頃の「かつての自分」だからではないかな。

田中氏の記事では統計的有意ではない数字とされていたけど、中高生の娘がいると、全体で2.0%、女性のみでは-1.3%批判的に傾くことから男性中高生の娘がいる場合広告にかなり批判的になるように見える。

おそらく女性は、自分子供がいなくても、かつては自らも女子高生であったため、女子高生10代の若い人間子供に見えている。歳を取り、年齢が離れるほどますます女子高生が幼く見える。

男性は、自分に年頃の娘がいて初めて、女子高生が「性的アイコン」ではなく、人間子供に見え出す人が多いのかもしれない。

たわわ広告へのネットの反応を見ていたら、子供未成年)に性的視線を向けることを社会として許容しないでほしいという声が多く上がっていた。

増田も、新入社員や新入生がこの広告を見て、女子高生に向けられる性的視線、男のエロ目線を感じ取り、いやな思いをしてほしくない、不安や怯えを味わってほしくない、と思ったのを、この増田を書いていて再認識した。

当の新入社員や新入生自身は、特に気にしていないのかもしれないけどね。

 七

ただそれは田中氏の記事では分からないんだ。図2・図3には年齢別の詳細がないので、「広告として不適切とまでは言わないが、不快だ、いやらしいと思う」と感じる20代女性がどれだけいたかは、生データを見ないとなんとも言えない。

ちなみに増田自身は、7つの意見

1.男性目線のいやらしさを感じる

2.新聞広告としては不適切

3.女子高生性的に扱っており問題

4.はっきり言って不快

5.性的な要素はあるとしても問題ない範囲

6.女の子が可愛くて素敵

7.全体として表現の自由の範囲

については、1.思う、2.思う(日経新聞等、一般紙の広告として)、3.思う、4.思わない、5.思わない、6.思う(絵柄は好みの方)、7.「表現の自由」が出てくる意味がわからないので、どちらとも言えない。

たわわがヤンマガに連載されるのも、広告日刊ゲンダイ週刊現代に載るのも、一般書店高校生が買えるのも、問題ないと考える。

 八

月曜日のたわわというマンガストーリーへの感想はともかく、性加害描写がないと評価する言説があった。いや、あるだろ。そこ否定してどうする。女から男への痴漢、同性間のセクハラと、かなり暴力的だと思った。

 九

SYNODOS掲載の、田中辰雄氏による日経たわわ広告に対する調査記事は、女性の反応しか見ず、男性の反応を無視してデータ解釈したことで、少し的を外した結論になっていると思う。

増田としては、

男性は(女子高生表象性的アイコンと捉えており、)「萌え絵」、つまり男のエロ目線を含んだ漫画アニメ調の絵に慣れているため、違和感が少なく、「萌え絵広告容認である

女性は(女子高生表象を「かつての自分」と捉えており、)男性ほど「萌え絵」に触れる機会が少ないため、違和感が強く、男性より批判的になる傾向がある。また、年齢が上がり、女子高生と年齢差が大きくなるほど批判的になる。

時間の経過とともに容認する人が増えるかはなんとも言えない。男性目線のいやらしさを含む「萌え絵」がより一般的になる(日常風景に溢れ、女性向けの作品にも肉体の強調表現が増える)場合は、男女とも慣れるので、現在よりは容認的になる。ただし、現在の若年層女性が将来、未成年を描く「萌え絵」に批判的になる可能性はある。と読むかな。

もちろん、追加の調査等で、田中氏の仮説と予想「若年層は漫画アニメ調の絵に慣れているため萌え絵広告容認である時間の経過とともに容認する人がしだいに増えていく」が正しかったと分かるかもしれない。田中氏は調査生データを持っているので、記事には表れていない情報をもとにこう分析している可能性はある。

とにかく、これだけ面白い調査内容を無料で公開してくれたことを田中氏に感謝したい。萌え絵広告とその反応を考える上でとても貴重な記事だと思う。

 十

日経謝罪すべきか?というと、個人的には全く思わない。出してもどうせご不快メソッドだろ。

たわわと絡めず、「日経新聞社は未成年性的に扱うことを認めない」というメッセージを何らかの形で出してもいいとは思う。社会の公器だかオピニオンリーダーを気取るなら、それくらいはね。

2022-04-17

後退し続けるたわわの論点

たわわ批判派の論点が動き続けてて訳が分からない。ので整理した。

フェーズ1: ナタリー炎上

発端は日経の当該広告ではなく、ナタリーが伝えた編集部コメントという認識

【炎上】日本経済新聞の広告がジェンダークレーマー被害に遭ってしまう - Togetter

今回の新聞広告について、ヤングマガジン編集部は「4月4日今年の新入社員最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうために全面広告を出しました」と語っている。

批判の理路は各人で異なるものの、概ね「元気になってもらうため」を「現実女子高生を見て元気になって」と解釈したフェミニスト(※)が広告掲載した日経批判しているものが多かったように見える。

性的消費とか性的搾取とかの用語を使いながら、この広告掲載することは即ち日経新聞による「現実女子高生を見て元気になって」というメッセージ是認であるという主張に収斂していく様子が(主観的には)観測された。

※ 「善良なネットユーザ」でも「ジェンダークレーマー」でも好きなように適当に読み替えてください



フェーズ2: 治部れんげ准教授の3つの問題点

そんなななか、ハフポスト専門家"治部れんげ"准教授を引き連れ以下のように問題点を整理してくれた。

「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは? | ハフポスト NEWS

1つ目は、あらゆる属性の人が読む最大手経済新聞掲載されたことで、「見たくない人」にも情報が届いたことだ。

第一に「『見たくない表現に触れない権利』をメディアが守れなかったこと」が問題だと主張したが、法学クラスタからの猛反発を受けて治部れんげ准教授は「私の主張のメインは法律ではありません。コメント引用で見たくないものに触れない「権利」と書いてあるので、法律論だと思った方もいるようですが。」と実質的に取り下げた。

法学出身の治部れんげ准教授第一問題点として挙げたが、法律よりむしろマナーとかそういうものに近い話だったらしい。

”見たくない表現に触れない権利”は存在しない。すでに司法で否定されていた。平裕介弁護士の解説。 - Togetter


2つ目の問題は、広告掲載によって「異性愛者の男性未成年少女性的対象として搾取する」という「ステレオタイプ」(世間的固定概念)を肯定し、新聞社が「社会的お墨付きを与えた」と見られること

2個目の問題点が当時の批判派の主流に最も近いように思える。

広告のもの問題なのか、本編の内容や編集部コメントも併せて初めて問題になるのか、など不明点はあるものの、「新聞である日経広告掲載したこと問題という主張だ。


3つ目の問題点は、これまで「メディア広告によってジェンダー平等を推進し有害ステレオタイプ撤廃するための世界的な取り組み」を国際機関とともに展開してきた日経新聞が、自ら「ジェンダーステレオタイプを強化する」という矛盾に陥ってしまたこ

この記事では記載されていないが、治部れんげ准教授UN Women 日本事務所が推進する「アンステレオタイプアライアンス」のアドバイザーである

そのアドバイザーが「「3つのP」という[...]基準に照らすと、[...]女子高生の『人格主体性』は考慮されていません」と指摘」している。

「3つのP」という基準を守れていないことが問題だと明確に主張している。



フェーズ3: 国連女性機関からの抗議

治部れんげ准教授がやや燃えたあと、同じくハフポストUN Women本部日経に抗議したことを報じた。

国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 | ハフポスト NEWS

UN Women 日本事務所石川雅恵所長にインタビューを行い、UN Womenの問題点認識を聞いている。

UN Women 日本事務所石川雅恵所長は、今回の全面広告が、「アンステレオタイプアライアンス」の加盟規約などに反すると指摘する。

「今回の広告は、男性にとっての『女子高生にこうしてほしい』という見方しか反映しておらず、女子高生には『性的な魅力で男性応援する』という人格しか与えられていません。私たちが重視してきた『3つのP』の原則は守られていないのです」

日経新聞違反しているとされる「加盟規約など」の具体的事項は明らかにされていないが、ここでも「『3つのP』の原則は守られていない」ことが問題とされているように読める。

その上で日経新聞に「「3つのP」に反する広告掲載したこと問題視し、同社の新聞広告掲載基準見直しを」要求したという。



フェーズ4:それ以降の議論
「3つのP」はポジティブチェックの基準でありネガティブチェックは不適(不可能)では?

『月曜日のたわわ広告は「アンステレオタイプ3つのP」に反したのか』2022-04-16|ヒトシンカ ( 『シンカ論マガジン』『センサイクロペディア』 )|note

社会常識としての日経「たわわ」問題(追記済 - tikani_nemuru_M’s blog

tikani_nemuru_Mさんへの返信 - hepta-lambda’s blog

違反しているか問題だと指摘されているが、違反していないかチェックするための基準ではないのでは?という議論

基準の内容からしても、過去インタビューからしても「3つのP」は達成できると望ましい、達成に向けて努力しましょうという位置づけという解釈自然と考えられる。

もしネガティブチェックとしたら他の広告とたわわとの比較となり、たわわに恣意的適用がされていないかという別の問題があるだろう。

日経個別UN Womenと結んだ約束違反したのが問題

UN Womenが抗議した報道を受けて、複数政治家を始め表現の自由の侵害懸念する声が上がった。

国連女性機関による「月曜日のたわわ」全面広告への抗議表明について|赤松健|note

これに対し、日経がアンステレオタイプアライアンス設立メンバであり、設立メンバとして個別に交わしていた覚書に違反したことUN Womenが問題にしているのだから政治家が抗議するのは筋が違うという反論がある。

フェーズ1では社会の公器たる新聞社が広告掲載したこと問題になっていたが、ここに至ってはアンステレオタイプアライアンスに加盟していない新聞社であれば問題は無いことになる。



まとめ

「3つのP」とか「ステレオタイプ」とか言われるけど、そもそも、あの絵のどこがダメなのか誰も具体的に指摘しているところを見たことがない。

著名な社会学者小宮友根 教授がまとめた「性的客体化の表現技法」のどれにも合致していないように見える。

炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか(小宮 友根,ふくろ) | 現代ビジネス | 講談社(1/9)

UN Womenは「「3つのP」に反する広告掲載したこと問題視し、同社の新聞広告掲載基準見直し」を要求しているが、今回のたわわ広告を弾ける現実的な基準が全く想像できない。

anond:20220417183908

そりゃそうだけど、日本大新聞は日々「社会の公器」を自称してるからな。

まあ、論点にはなるよ。

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