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はてなキーワード: 封書とは

2025-11-05

だってイッたふりをする

妻が子供を欲しがるが、色々あって私はこの人と子育ては難しいと思っている。

飼い猫に夜中に起こされたことに憤慨して狭いクローゼットに閉じ込めた人が、3時間おきの授乳発狂して虐待死させる蓋然性は高いと思う。

他の場面でも睡眠妨害されると怒りが発火して手に負えないので、乳幼児を育てるのに不向きなんだと思う。

自分元カレと連絡取り合って食事に行くのに、私は"男"友達と出かけることさえ許さないのはめちゃくちゃ過ぎると思った。

元カレ食事に行く人が托卵する蓋然性はそれなりにあると思うし、私は信頼できないのでそんな相手子供を設けたくない。

私の私物勝手に捨てるのも酷いなと思った。本、契約書、アルバム銀行から封書…なんで人の物を確認も取らずに捨てるのか理解に苦しむ。

大人からしたらガラクタでも子供にとっては大切なものとかもバンバン捨てそうで、そうなったら子供がかわいそうだと思う。

弁当を作ってあげたら「ベーコンとかは保存料とかが入ってるから私は使わないんだよね」

夕食にカレーを作れば「市販カレールーとか使わない」

なんで作ってもらってそんなことが言えるのか、この人は人の心とかわからないのかな、この人が作れる子育て環境っていいものになるかな、とか考えちゃう

こういったことへ反発すれば「そんなふうに人を糾弾するのは悪」とか「言い方に傷付いた」とか「お前だって云々」とかそういうふうに論点ずらして話にならない。

どこまでも他責自分の非を認めない。

多分、自己愛性人格障害か何かなんだと思う。

抱かなきゃキレ散らかして面倒だから抱くけど、やれゴムをつけるな中に出せとしつこい。

から適当にイッたふりをする。

幸い気付かない…のか、托卵のアリバイえこさえればいいから気にしてないのか。

別れるにも疲弊して精神的体力が足りない。

正直、しんどい

2025-09-07

80代の叔母の孤独死について、顛末と後始末

身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアから公開なのですね)。

昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ地域医療もつながっておらずで死後1か月未満で発見

~発覚から葬儀まで~

・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車ベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住警察から親族経由で自分警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車請求はきてません

・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定

・「検死に回すので9万円必要になります葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる

・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り

・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう

特殊清掃会社担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに

自分とのやりとりで「匿名しますので会社宣伝作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので

・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。

・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た

・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服お別れの会20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった

火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)

火葬日当日、我が家斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず

・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父形見(竹尺)を骨壺に入れる。

・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし

親族はここで解散我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了

~後始末~

・室内のもの衣服家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書財産関連書類 ・アルバム手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分

都市銀行地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった

・通帳があるものHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった

とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続きである自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書コピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。

・母も80歳オーバー自力で解約手続きができず、「お電話相続人ご本人様から承ります」という企業ほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家回線はなく、リモート云々は無理筋だった

銀行生命保険書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこ自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバー管理簡単になるとよいと思う

郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった

相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった

郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物たまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった

・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…

・長年通っていたカルチャーセンター挨拶に行き、同窓会差し入れお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホ個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)

~本人について~

・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてから発見」にはならなかったのでは

・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った

半年ほど前からスマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホ認識できなくなっていたのだ

・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書作成していた(兄弟遺留分請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続き我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)

自分フィードバック

銀行年金生命保険etc.書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入

銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行保険書類は捨てた

・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカー共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた

独身自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。

2025-08-07

日常生活に影響する“暫定なのに続いている”税・制度一覧(自動車以外)

消費税複数税率軽減税率

 2019年消費税10%への引き上げ時の「負担軽減策」 経過措置的に導入 恒久化の気配。制度が複雑なまま残り、事業者消費者負担

復興特別所得税所得税に2.1%上乗せ)

 2013年東日本大震災から復興財源 2037年まで(25年間)非常に長期のため、暫定とは名ばかりで実質恒久化。毎年の所得税自動加算される

たばこ税増税措置

 随時:健康目的や財源確保 本来段階的に調整予定 実質的に毎回延長+増税価格上昇が続き、生活必需品レベル負担

酒税の特例税率

 1990年代財政再建目的臨時増税 暫定措置だったが恒久化 ビールチューハイ等の価格に影響(2026年までの再編中)

電気料金に上乗せされる「再エネ賦課金

 2012年再生可能エネルギー普及促進 見直し予定だったが延長継続 毎月の電気代に自動加算。家計を圧迫しているとの声も多い

地方法人特別税・譲与税

 2008年地方財政の補填 一時的制度設計 地方交付税制度に組み込まれた形で恒久化。結果として価格転嫁される可能性あり

森林環境税準備中

 2024年開始予定(住民税1000円加算) 財源目的で恒久化が前提 一部で「実質的増税」との批判。全住民に影響予定

郵便料金(ハガキ封書の値上げ)

 一時的対処のはず 値上げが断続的に行われ、定常化。物価感覚への影響大

 原因:人件費人手不足対策

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なぜこうなるのか?

「時限」と言えば通しやすい→財務省政治家がよく使う手口

「◯年まで」の条項があると、延長は審議だけで済む → 新税より導入が簡単

 財政難理由に延長を繰り返し、国民の“慣れ”を利用して恒久化

参考までに:アメリカでは、法案ごとに“期限付き”が明確にされるため、自動延長できない

 延命するには、議会手続き必須形式的延長は通用しにくい)

2025-06-30

anond:20250628201433

これ実際そうだと思う

自分の知人がメール電話のみで、こちらも逆に楽

お互いずるずると返信続けて切り時を逃すタイプなので

メールどころか封書くらいが、友人付き合い程度にはちょうどいい

2025-02-02

旧姓銀行口座を使う手続きをしたら、すごい疲れた

ネットバンクの口座名義を旧姓で利用したくて、手続きをすることにした。

すると、チャットでは受け付けられないというので電話で窓口に問い合わせを行い、手続き説明とともに理由などを確認され、封書が送られてきて、19ほどのサービス名が連ねられた書類に「これは旧姓口座では利用できません」「収納機関によりご利用いただけない場合があります」「旧姓口座利用を行っていても利用はできるが新姓での利用となります」などと書かれていた。

そして念書が添えてあって

旧姓ではサービスのうち一部を利用できないものがあることを理解し、これに何ら意義を述べません。

旧姓使用により私に不都合不利益その他紛議が生じた場合であっても、貴行に対して一切責任を追求いたしません。

などの文言同意して、新姓での署名を求められた。

また同時に印鑑証明書の提出を求められた。これは無かったので新たに作った。

旧姓利用を受け付けてくれていることはめちゃくちゃありがたい。

一方で、私は私の名前銀行口座を使いたいだけなのにどうしてこんな思いを……?という気持ちになる。

マネロン防止とか、そんなことは重々承知している。しかし、今までずっと使ってきた私の名前なんですけど……?

姓を変えた皆さんは骨身までご存知であろうが、2025年現在になっても旧姓銀行口座を持つことのハードルは高いと言わざるを得ない。

最新情報を調べ直した結果、令和4年の調査で①旧姓による新規口座開設、②既存口座の旧姓維持の双方に対応している銀行が7割との金融庁調査があったが

顧客にそれを周知している銀行は14%にとどまっている。

https://www.fsa.go.jp/news/r4/ginkou/20220906/01.pdf

もともと自分が口座を持っている銀行旧姓での口座利用継続可能かどうか問い合わせるまでわからない事自体意味がわからないと思っている。

銀行口座旧姓で維持できないと携帯契約クレカ契約も全部芋づる式に新姓に切り替えることになる。

から市民目線での旧姓利用推進の一番のハードル銀行だと思っている。

「問い合わせが来たら面倒」みたいな理由で「よくあるご質問から存在を消されがち、対人窓口で押し問答が前提になっているのはまぁまぁ削られる。

議員名として旧姓利用していつつ夫婦別姓を推進したくない女性議員なんかが一番やるべきところだと思うんだが。夫婦別姓推進派に餌を与えたくないなら。

自民党を支持していないがこの一派の筆頭である高市議員要望を送ったことがある。特になにも起きなかった。

シンプルにつれぇ〜なんとかしてくれ〜〜

2025-01-19

[]

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2497912

よくわからない。

もうちょっとコメントが「無駄ルールだ」に寄ると思っていた。

2024-12-13

税金を払うメリットがない

どれだけ払っても払わなくても同じ扱いなの

面白いなと今日思った

税金 払って当たり前で

滞納したらとにかく借金してでも払えと取り立てる癖に

払ってもらってる、人のお金

頂いているという意識が国から一切感じない

せいぜい

中抜きしまくりのふるさと納税かいうのぐらいだ

せめて納税ありがとうございますと毎月封書

送るぐらいは出来ないのだろうかと不思議

そして使い道もゴミな事が少し、ネットをやればもう

誰にでもバレてしま

そこで、税金納税額により人間ランク付けをしたらどうだろうと思った

年に税金を️数万収めている人間、数十万、数百万

千万………消費税だけでもいい

それぞれでメリットデメリットがあったら面白いなと

思った。

納税すればするほど、株主優待みたいに

なんでも貰えたり飛行機の席のように良い扱いを受ける

そうしたら納税無駄と思えず

気持ちよく支払えるんじゃないだろうか

上級国民は意外にこんなかんじで存在してるのかな

2024-11-09

これは自分ライフハック的なもので、特に公言するものでもないと思ってたんだけど、もしかしたら人の役に立つかもと思ったので書きます

 

タスク関係あるものを目に付くところか、自分が気にかけるだろうところに前もって置いておく

 

これです

 

例えば、ゴミ出しを明日しないといけないなら玄関に出しておくし、ポストに入れてこないといけない封書は靴の上に置いておく

これだけ書くと何当たり前のこと言ってんのと思うかもしれないけど、自分場合洗濯物は廊下に置いておくとか、洗剤をトイレの前に置いておくとかになっていく

読みたい本や確認しないといけない郵便物は机の上に置いておかないと存在を忘れるからまれていく

片付けないといけない箱とか、わざと自分邪魔になるところに置いておく

数日後にやらないといけない予定に関わるものやそれを連想させるものも、目に付くところに置いておく

自分場合、多いのはやっぱり廊下玄関トイレの前

邪魔になるところに置くのがポイントかな

机の上は意外と山になっていても平気になってしま

 

というわけで全然片付かないんだけど、むしろ片付けちゃいけないって感じなんだよね

でもこれのおかげで忘れることを防げている

まさにライフハック

みんなも忘れっぽかったらやってみてね

2024-11-04

anond:20241104000832

男だろうが女だろうが封書開けるのは信書開封罪だろ。まあ最大20万の罪なので夫側が休業したことによる損失(多分給与が4割くらい減る)よりはるかに小さいけど

2024-11-01

音信不通父親孤独死したら…

音信不通の親が孤独死した時、どのようなことが起こるのかについて記録する。

昨年、父が死んだ。

遺体も見ていないので、父の死は書類確認した。

父とは30年近く会っていない。母は離婚後も父と連絡を取っていたようだが、父に私の連絡先を決して伝えないようにとお願いしていた。

5月頃、母のところに、父の知り合いから父が死んだようだとの連絡があった。

西成のどや街でで孤独死したらしいとのこと。

その人も遺体は見ておらず、父の住まいを尋ねたら大家さんから死んだと伝えられたとのこと。

私はそれを聞き、一番最初に思ったのは、相続放棄手続きを一刻も早く終えたいとのことだった。

市の無料法律相談に行き、相続放棄手続きの仕方や困ったことが生じるおそれがないか等を確認した。相続放棄手続きは、家庭裁判所によって若干違うので、事前に確認してから行く方がよいとアドバイスを受けた。

6月頃、警察から母に連絡。

孤独死した人間特定をしなければならないので、DNA検査をするとのこと。

子どもの唾液を最寄りの警察署に届けてほしいとのこと。

これは兄が対応してくれた。

父の死はまだ確定していない。

8月頃、警察から再度母に電話

DNA検査をする費用が出ないため、兄の顔を見て特定することにしたと連絡。

父が孤独死した場所と母の家は新幹線で1時間ほど離れているため、出張のついでに寄るので少し先になるとのこと。

兄が取った唾液はなんだったんだ。そんなことを市民にお願いする前に、予算があるかどうかの確認はできるだろうに。警察っていい加減なところなんだなあ、という印象を持つ。

8月末、警察が兄の顔を確認して帰る。

9~10月 戸籍抄本を取り寄せたが、父の死亡が確認できず。

11月 兄から戸籍抄本にて父の死亡が確認できたと連絡をもらう。父はおそらく5月に亡くなっているのに、書類上の死亡は11月になっている。

12月 有給を使って家庭裁判所に行き、相続放棄手続きをする。郵送でも手続きできるが、不備があると嫌だったので、窓口で手続きした。窓口の人は手慣れた様子で、相続放棄したい理由の書き方等を教えてくれた。

12月末 手続き完了封書が届いた。この半年間の気持ちの重りが取れて、ほっとした。

まとめ

事件性が薄い孤独死に対して、警察費用を割かない。そのため、最寄りがない人間孤独死すると、死が確定するまでに時間がかかる。

相続放棄手続き簡単

この文章を書こうと思ったきっかけは、下記の文章を読んだからである

https://inukawatama.com/father/

読んでまず、うらやましいと思った。

はてなブックマークにも共感の声があふれている。

私は父が死んだことに対しては、特に何の感慨もない。

馬鹿生き方しかできなくてかわいそう、まともに生きていれば子どもや孫の成長を見ることもできたのに、という一般的なことを思うだけである

父との思い出は記憶のどこかにあるのだろうが、思い出したくないことばかりであり、考えるのを停止するようにしている。

相続放棄手続きを一刻も早く終わらせて、父と無関係になりたいという思いは、母を呆れさせ、くだらない喧嘩に発展した。

大人になって、母に感情的に声を荒げたのは初めてで、お互いにダメージを受けた。

母に対してはいろいろと思うことがある。

父に対する思いの欠如は、私の人間としての欠如なんだろうと思う。

私は、父と自分を切り離さないと、「普通」の枠の中で生きていくことができなかった。

ネットでは「毒親」に対する誹りがあふれている。

毎回、どうしてこの人たちは、「毒親」と縁を切らないのだろう?と思う。

結局のところ、この人たちは「毒親」と詰りながらも、親のことを愛しているんだろう。

切断するのは楽なことだけれど、切断することで自分人間らしさを失われるのも嫌なんだろう。

この文章が、音信不通の親がいる人のお役に立てれば幸いである。

2024-10-31

速達はめちゃくちゃ速く届いて助かる増田朱眞ルかスタ程度特やはゃ値くゃちめ初田区楚(回文

おはようございます

急に寒くなってきたって夜よ夜!

お布団が寒いわ。

さすがに毛布だけじゃしのげないので、

また冬のお布団干して出さなくっちゃってそう思っている矢先のころ。

もうここから年末まで一気に急降下よ!

早いと思うわー。

あっと言う間よ。

年賀状問題結構周りでは

年賀状じまい宣言している人が多くって、

挨拶ご遠慮しまーすって言う人多いのよね。

私は積極的にお年賀出すって方じゃないので

もらったら返信するタイプ

まあ何通かはくるかも知れないし

年賀だけでのやり取りって人も1年に1回のやり取りしてるぐらいなのよね。

そんでこっちから先手で出すと話題が行き交って返信にならないので、

一旦もらったものの内容に近況を書いてある人はそのお返事内容するってところかしら。

から受けて立つタイプっていってもいいと思うわ。

でもさ

うーん

さすがに年賀状切手代がかさむので

出すにもさすがに躊躇するわよね。

もうお餅個食べた?とかお餅食べ過ぎ注意!なんてくだらないことを書くのに100円とか使うわけ?

貴重な100円だって100円なのよ。

100円と言ってるのは

具体的に今じゃあ葉書の代金いくらなの?

封書で送る代金切手いくらなの?ってよく分かってないので

そういうアバウトな感じでいう100円って記号的な意味で言っているわ。

だいたいそんなもんでしょ?

ももうすっかり手紙ハガキ個人的に書くことも年に1回も無くなっちゃったわ。

以前は近所でのど自慢の観覧募集の往復葉書をせっせと近所で開催するときは送っていたけれど、

あれ超絶競争率高いのよ!

しってた?

なんか10回ぐらいいや256回ぐらい送ってるけど

ぜんぜん当日の観覧当たんないの!

全日の予選は誰でも入場観覧好きなときに入退場できるスタイルではやっているものの、

やっぱり本番みたいじゃない!

あの生バンドが聴きたいのよ!私のメインの目標は!

でもあれ全部カラオケに変わっちゃったので、

うそれ以降のど自慢の観覧希望へ応募する往復葉書すら買って送ることは無くなったわ。

そんな思い出ぐらいかしら?

郵便局の窓口に小為替買いに行くぐらいしかないわ。

でも今はもうPayPalとか個人でもカード決済できるツールがあるので

特にPayPal海外金も楽勝!少額でわりと手数料も多くないし、

気軽に海外送金なんか支払いもオーケーなのよ。

から為替を買う事もなくなって郵便局に行く用事すら無くなってきたわ。

あ!

思い出したけれど、

ゆうパックで届いた荷物を近所の郵便局で受け取れるようにして受け取りに行くだけだわ。

そのぐらいのもう用事しかないし、

なぜか

PUDOで受け取れる設定もゆうパックしたのに

ときおり受け取れない荷物もあったりなんかして、

海外荷物とかは無理みたいで、

郵便局に取りに行くのが億劫なので近所の事務所の近所の郵便局転送してもらってるのよ。

うそれだけの郵便局

いま郵便局マックス活用してる人って誰なのかしら?って思ってしまうわ。

切手すらももう買いに行く必要も無い、

簡単封書で送れる郵便のやつはプリンターシール印刷して貼ってポスト投函したらオーケーだし、

ますます切手を買いに行く用事がなくなるのよね。

まるで、

いか郵便局はお客さんが郵便局に来ないようにするようなことしか考えてないみたいよ。

郵便局の数ってたくさんあって中の職員もたくさんいるので成り立ってるのかしら?ってそこも心配になるけれどそんなよそのお城の心配をしても仕方が無いことこの上ない山脈に向かってヤッホー!って叫ぶしかないわよね。

ラーメン店は激減!ってニュース聞くけど

郵便局の数が激減!ってニュースは聞かないものね。

とはいえ

たまに郵便局のパワーを感じる時があって

遠方に速達は意地でも翌日に到着するってその課金しておくる速達はマジ速達!って感じで速達なのよ。

これには驚くわ。

北海道の先の何もないでお馴染みの襟裳岬に送った速達がもう翌日には届いていたのよ!

何もないと言っておきながら襟裳岬には郵便局があったってことが分かったので、

何もないことはない襟裳岬に改称した方がいいのかしら?って

そこも心配になるけれど、

それを心配したところでしかないので

そっと私の辞書襟裳岬の項目は

何もないところですっていう記述に変更がないことにしておくことにしたわ。

ただ

襟裳岬には何もないかも知れないけれど

上がっていく郵便代にはなんとかしてほしいものだわってのもあるし、

なぜ速達は速く届くのか!って謎も解き明かして欲しいわ。

秘密は何もないはずの襟裳岬にありそうね。

うふふ。


今日朝ご飯

めちゃ早起きしてニケと思ったけど

メンテ中だったので

時間が余った分

ポタージュスープをお湯を沸かして最近ハマっている豆乳でわるのが美味しくて、

それをゴクゴク飲んできたわ。

デトックスウォーター

起きてお湯を沸かしている間にニケ!って思ったらそのメンテ中だったので

お湯だけ沸かして白湯

つまるホッツ白湯ストレートウォーラーを作って飲んだってわけ。

朝は飲むのに忙しいわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-10-02

九  与次郎が勧めるので、三四郎はとうとう精養軒の会へ出た。その時三四郎は黒い紬の羽織を着た。この羽織は、三輪田のお光さんのおっかさんが織ってくれたのを、紋付に染めて、お光さんが縫い上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。小包みが届いた時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚へ入れておいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う。三四郎が着なければ、自分が持っていって着そうな勢いであたから、つい着る気になった。着てみると悪くはないようだ。  三四郎はこのいでたちで、与次郎と二人で精養軒の玄関に立っていた。与次郎の説によると、お客はこうして迎えべきものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった。第一自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい受け付けの気がする。制服を着てくればよかったと思った。そのうち会員がだんだん来る。与次郎は来る人をつらまえてきっとなんとか話をする。ことごとく旧知のようにあしらっている。お客が帽子外套給仕に渡して、広い梯子段の横を、暗い廊下の方へ折れると、三四郎に向かって、今のは誰某だと教えてくれる。三四郎はおかげで知名な人の顔をだいぶ覚えた。  そのうちお客はほぼ集まった。約三十人足らずである広田先生もいる。野々宮さんもいる。――これは理学者だけれども、絵や文学が好きだからというので、原口さんが、むりに引っ張り出したのだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て、世話を焼いたり、愛嬌を振りまいたり、フランス式の髯をつまんでみたり、万事忙しそうである。  やがて着席となった。めいめいかってな所へすわる。譲る者もなければ、争う者もない。そのうちでも広田先生のろいにも似合わずいちばんに腰をおろししまった。ただ与次郎三四郎けがいっしょになって、入口に近く座を占めた。その他はことごとく偶然の向かい合わせ、隣同志であった。  野々宮さんと広田先生あいだに縞の羽織を着た批評家がすわった。向こうには庄司という博士が座に着いた。これは与次郎のいわゆる文科で有力な教授であるフロックを着た品格のある男であった。髪を普通の倍以上長くしている。それが電燈の光で、黒く渦をまいて見える。広田先生坊主頭と比べるとだいぶ相違がある。原口さんはだいぶ離れて席を取った。あちらの角だから、遠く三四郎と真向かいになる。折襟に、幅の広い黒襦子を結んださきがぱっと開いて胸いっぱいになっている。与次郎が、フランスの画工は、みんなああいう襟飾りを着けるものだと教えてくれた。三四郎肉汁を吸いながら、まるで兵児帯の結び目のようだと考えた。そのうち談話だんだん始まった。与次郎ビールを飲む。いつものように口をきかない。さすがの男もきょうは少々謹んでいるとみえる。三四郎が、小さな声で、 「ちと、ダーターファブラをやらないか」と言うと、「きょうはいけない」と答えたが、すぐ横を向いて、隣の男と話を始めた。あなたの、あの論文を拝見して、大いに利益を得ましたとかなんとか礼を述べている。ところがその論文は、彼が自分の前で、さかんに罵倒したものから三四郎にはすこぶる不思議の思いがある。与次郎はまたこっちを向いた。 「その羽織はなかなかりっぱだ。よく似合う」と白い紋をことさら注意してながめている。その時向こうの端から原口さんが、野々宮に話しかけた。元来が大きな声の人だから、遠くで応対するにはつごうがいい。今まで向かい合わせに言葉をかわしていた広田先生庄司という教授は、二人の応答を途中でさえぎることを恐れて、談話をやめた。その他の人もみんな黙った。会の中心点がはじめてできあがった。 「野々宮さん光線の圧力試験はもう済みましたか」 「いや、まだなかなかだ」 「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」 「絵はインスピレーションですぐかけるからいいが、物理実験はそううまくはいかない」 「インスピレーションには辟易する。この夏ある所を通ったらばあさんが二人で問答をしていた。聞いてみると梅雨はもう明けたんだろうか、どうだろうかという研究なんだが、一人のばあさんが、昔は雷さえ鳴れば梅雨は明けるにきまっていたが、近ごろじゃそうはいかないとこぼしている。すると一人がどうしてどうして、雷ぐらいで明けることじゃありゃしないと憤慨していた。――絵もそのとおり、今の絵はインスピレーションぐらいでかけることじゃありゃしない。ねえ田村さん、小説だって、そうだろう」  隣に田村という小説家がすわっていた。この男は自分インスピレーション原稿の催促以外になんにもないと答えたので、大笑いになった。田村は、それから改まって、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞きだした。野々宮さんの答はおもしろかった。――  雲母か何かで、十六武蔵ぐらいの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣るして、真空のうちに置いて、この円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動く。と言うのである。  一座は耳を傾けて聞いていた。なかに三四郎は腹のなかで、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだろうと、上京のさい、望遠鏡で驚かされた昔を思い出した。 「君、水晶の糸があるのか」と小さい声で与次郎に聞いてみた。与次郎は頭を振っている。 「野々宮さん、水晶の糸がありますか」 「ええ、水晶の粉をね。酸水素吹管の炎で溶かしておいて、両方の手で、左右へ引っ張ると細い糸ができるのです」  三四郎は「そうですか」と言ったぎり、引っ込んだ。今度は野々宮さんの隣にいる縞の羽織批評家が口を出した。 「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」 「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」  批評家はだいぶ感心したらしい。 「思いつきもおもしろいが、第一大きくていいですね」と言った。 「大きいばかりじゃない、罪がなくって愉快だ」と広田先生が言った。 「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」と原口さんが笑っている。 「いや、どうもあたっているらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片からできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ」  野々宮は、ついまじめになった。すると原口が例の調子で、 「罪がない代りに、たいへん計算がめんどうになってきた。やっぱり一利一害だ」と言った。この一言で、人々はもとのとおりビールの気分に復した。広田先生が、こんな事を言う。 「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」  物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 「それはどういう意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生説明しなければならなくなった。 「だって、光線の圧力試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然献立のうちに、光線の圧力という事実印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」 「しか浪漫派でもないだろう」と原口さんがまぜ返した。 「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」 「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだからそれからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。 「すると、物理学者は浪漫自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士比較を持ち出した。 「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然法則に従っているか疑わしい」これは縞の羽織批評家言葉であった。 「そうかもしれないが、こういうことは人間研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。 「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。広田先生は、すぐ、 「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。「じっさい人間たる我々は、人間しからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」  小説家はそれで黙った。今度は博士がまた口をきいた。 「物理学者でも、ガリレオ寺院釣りランプの一振動時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートン林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」 「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。 「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。v※(アキュートアクセント付きE小文字)rit※(アキュートアクセント付きE小文字) vraie. なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」 「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。  食後には卓上演説も何もなかった。ただ原口さんが、しきりに九段の上の銅像悪口を言っていた。あん銅像をむやみに立てられては、東京市民が迷惑する。それより、美しい芸者銅像でもこしらえるほうが気が利いているという説であった。与次郎三四郎九段銅像原口さんと仲の悪い人が作ったんだと教えた。  会が済んで、外へ出るといい月であった。今夜の広田先生庄司博士によい印象を与えたろうかと与次郎が聞いた。三四郎は与えたろうと答えた。与次郎は共同水道栓のそばに立って、この夏、夜散歩に来て、あまり暑いからここで水を浴びていたら、巡査に見つかって、擂鉢山へ駆け上がったと話した。二人は擂鉢山の上で月を見て帰った。  帰り道に与次郎三四郎に向かって、突然借金言い訳をしだした。月のさえた比較寒いである三四郎ほとんど金の事などは考えていなかった。言い訳を聞くのでさえ本気ではない。どうせ返すことはあるまいと思っている。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情をいろいろに話す。その話し方のほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分の知ってるさる男が、失恋の結果、世の中がいやになって、とうとう自殺をしようと決心したが、海もいや川もいや、噴火口はなおいや、首をくくるのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃を買ってきた。買ってきて、まだ目的遂行しないうちに、友だちが金を借りにきた。金はないと断ったが、ぜひどうかしてくれと訴えるので、しかたなしに、大事の短銃を貸してやった。友だちはそれを質に入れて一時をしのいだ。つごうがついて、質を受け出して返しにきた時は、肝心の短銃の主はもう死ぬ気がなくなっていた。だからこの男の命は金を借りにこられたために助かったと同じ事である。 「そういう事もあるからなあ」と与次郎が言った。三四郎にはただおかしいだけである。そのほかにはなんらの意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である与次郎は、 「笑っちゃいかん」と注意した。三四郎はなおおかしくなった。 「笑わないで、よく考えてみろ。おれが金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることができたんだろう」  三四郎は笑うのをやめた。 「それで?」 「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女を愛しているんだろう」  与次郎はよく知っている。三四郎はふんと言って、また高い月を見た。月のそばに白い雲が出た。 「君、あの女には、もう返したのか」 「いいや」 「いつまでも借りておいてやれ」  のん気な事を言う。三四郎はなんとも答えなかった。しかいつまでも借りておく気はむろんなかった。じつは必要な二十円を下宿へ払って、残りの十円をそのあくる日すぐ里見の家へ届けようと思ったが、今返してはかえって、好意にそむいて、よくないと考え直して、せっかく門内に、はいられる機会を犠牲にしてまでも引き返した。その時何かの拍子で、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜の会費もそのうちから出ている。自分ばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円残っている。三四郎はそれで冬シャツを買おうと思った。  じつは与次郎がとうてい返しそうもないから、三四郎は思いきって、このあいだ国元へ三十円の不足を請求した。十分な学資を月々もらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘をついたことのない男だから請求理由にいたって困却した。しかたがないからただ友だちが金をなくして弱っていたから、つい気の毒になって貸してやった。その結果として、今度はこっちが弱るようになった。どうか送ってくれと書いた。  すぐ返事を出してくれれば、もう届く時分であるのにまだ来ない。今夜あたりはことによると来ているかもしれぬくらいに考えて、下宿へ帰ってみると、はたして、母の手蹟で書いた封筒ちゃんと机の上に乗っている。不思議なことに、いつも必ず書留で来るのが、きょうは三銭切手一枚で済ましてある。開いてみると、中はいつになく短かい。母としては不親切なくらい、用事だけで申し納めてしまった。依頼の金は野々宮さんの方へ送ったから、野々宮さんから受け取れというさしずにすぎない。三四郎は床を取ってねた。  翌日もその翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかった。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間ほどたった。しまいに野々宮さんから下宿下女を使いに手紙をよこした。おっかさんからまれものがあるからちょっと来てくれろとある三四郎講義の隙をみて、また理科大学の穴倉へ降りていった。そこで立談のあいだに事を済ませようと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏は野々宮さんだけで専領していた部屋に髭のはえた人が二、三人いる。制服を着た学生も二、三人いる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日のあたる世界をよそにして、研究をやっている。そのうちで野々宮さんはもっと多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎ちょっと見て、無言のまま近寄ってきた。 「国から、金が届いたから、取りに来てくれたまえ。今ここに持っていないから。それからまだほかに話す事もある」  三四郎ははあと答えた。今夜でもいいかと尋ねた。野々宮はすこしく考えていたが、しまいに思いきってよろしいと言った。三四郎はそれで穴倉を出た。出ながら、さすがに理学者は根気のいいものだと感心した。この夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然としてもとのとおりの位置に備えつけてあった。  次の講義時間与次郎に会ってこれこれだと話すと、与次郎はばかだと言わないばかりに三四郎をながめて、 「だからいつまでも借りておいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄りには心配をかける。宗八さんにはお談義をされる。これくらい愚な事はない」とまるで自分から事が起こったとは認めていない申し分である三四郎もこの問題に関しては、もう与次郎責任を忘れてしまった。したがって与次郎の頭にかかってこない返事をした。 「いつまでも借りておくのは、いやだから、家へそう言ってやったんだ」 「君はいやでも、向こうでは喜ぶよ」 「なぜ」  このなぜが三四郎自身はいくぶんか虚偽の響らしく聞こえた。しか相手にはなんらの影響も与えなかったらしい。 「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって、同じことだ。ぼくに金が余っているとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸しておくほうがいい心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」  三四郎は返事をしないで、講義を筆記しはじめた。二、三行書きだすと、与次郎がまた、耳のそばへ口を持ってきた。 「おれだって、金のある時はたびたび人に貸したことがある。しかしだれもけっして返したものがない。それだからおれはこのとおり愉快だ」  三四郎まさか、そうかとも言えなかった。薄笑いをしただけで、またペンを走らしはじめた。与次郎それからはおちついて、時間の終るまで口をきかなかった。  ベルが鳴って、二人肩を並べて教場を出る時、与次郎が、突然聞いた。

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「あの女は君にほれているのか」

 二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手玄関から図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。

「よくわからない」

 与次郎はしばらく三四郎を見ていた。

「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」

 三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実のものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である三四郎は首を傾けた。

「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。

「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」

 三四郎の顔は彫りつけたようにまじめであった。与次郎一口

「知らん」と言った。三四郎は黙っている。

「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。

「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。

 三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、

「せんだってありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。

 手紙文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものであるしか感謝以外には、なんにも書いてない。それだから自然の勢い、感謝感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙ポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままであるそれから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。

 二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。

 表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。

 三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。

「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」

「そう、お遊びに?」

「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」

「いいえ、私も御用なの」

 両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである

バイオリンを買いましたか

「どうして御存じ」

 三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。

いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」

 三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎非難した。

 二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。

 三四郎下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。

 きょうは夜だから屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。

「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリン和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。

 三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。

「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝があってよ」

「そうか」

「うれしいでしょう。うれしくなくって?」

 野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。

ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。

「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」

 三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。

「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会演芸会に連れて行ってちょうだいって」

里見さんといっしょに行ったらよかろう」

「御用があるんですって」

「お前も行くのか」

「むろんだわ」

 野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめ必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、

「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、

「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。

「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別とあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」

 野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。

「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。

「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。

「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活ありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。

「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。

「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしか佐々木に貸したんですね」

 三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないか一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。

佐々木馬券を買って、自分の金をなくしたんだってね」

「ええ」

 よし子はまた大きな声を出して笑った。

「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」

 三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。

「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。

「よくってよ」と妹が拒絶した。

「よくはないよ」

「よくってよ。知らないわ」

 兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。

だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」

 三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。

 人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。

 下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしか与次郎以上の風である

 三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。

2024-10-01

手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に蕎麦屋がある。三四郎は今度は思い切って暖簾をくぐった。少し酒を飲むためである。  高等学校の生徒が三人いる。近ごろ学校先生が昼の弁当蕎麦を食う者が多くなったと話している。蕎麦屋の担夫が午砲が鳴ると、蒸籠や種ものを山のように肩へ載せて、急いで校門をはいってくる。ここの蕎麦屋はあれでだいぶもうかるだろうと話している。なんとかい先生は夏でも釜揚饂飩を食うが、どういうものだろうと言っている。おおかた胃が悪いんだろうと言っている。そのほかいろいろの事を言っている。教師の名はたいてい呼び棄てにする。なかに一人広田さんと言った者がある。それからなぜ広田さんは独身いるかという議論を始めた。広田さんの所へ行くと女の裸体画がかけてあるから、女がきらいなんじゃなかろうという説であるもっともその裸体画は西洋人からあてにならない。日本の女はきらいかもしれないという説である。いや失恋の結果に違いないという説も出た。失恋してあん変人になったのかと質問した者もあった。しか若い美人が出入するという噂があるが本当かと聞きただした者もあった。  だんだん聞いているうちに、要するに広田先生は偉い人だということになった。なぜ偉いか三四郎にもよくわからないが、とにかくこの三人は三人ながら与次郎の書いた「偉大なる暗闇」を読んでいる。現にあれを読んでから、急に広田さんが好きになったと言っている。時々は「偉大なる暗闇」のなかにある警句などを引用してくる。そうしてさかんに与次郎文章をほめている。零余子とはだれだろうと不思議がっている。なにしろよほどよく広田さんを知っている男に相違ないということには三人とも同意した。  三四郎そばにいて、なるほどと感心した。与次郎が「偉大なる暗闇」を書くはずである文芸時評の売れ高の少ないのは当人自白したとおりであるのに、麗々しく彼のいわゆる大論文を掲げて得意がるのは、虚栄心の満足以外になんのためになるだろうと疑っていたが、これでみると活版の勢力はやはりたいしたものである与次郎の主張するとおり、一言でも半句でも言わないほうが損になる。人の評判はこんなところからあがり、またこんなところから落ちると思うと、筆を執るもの責任が恐ろしくなって、三四郎蕎麦屋を出た。  下宿へ帰ると、酒はもうさめてしまった。なんだかつまらなくっていけない。机の前にすわって、ぼんやりしていると、下女が下から湯沸に熱い湯を入れて持ってきたついでに、封書を一通置いていった。また母の手紙である三四郎はすぐ封を切った。きょうは母の手跡を見るのがはなはだうれしい。  手紙はかなり長いものであったが、べつだんの事も書いてない。ことに三輪田のお光さんについては一口も述べてないので大いにありがたかった。けれどもなかに妙な助言がある。  お前は子供の時から度胸がなくっていけない。度胸の悪いのはたいへんな損で、試験の時なぞにはどのくらい困るかしれない。興津の高さんは、あんなに学問ができて、中学校先生をしているが、検定試験を受けるたびに、からだがふるえて、うまく答案ができないんで、気の毒なことにいまだに月給が上がらずにいる。友だちの医学士とかに頼んでふるえのとまる丸薬をこしらえてもらって、試験前に飲んで出たがやっぱりふるえたそうである。お前のはぶるぶるふるえるほどでもないようだから、平生から持薬に度胸のすわる薬を東京医者にこしらえてもらって飲んでみろ。直らないこともなかろうというのである。  三四郎はばかばかしいと思った。けれどもばかばかしいうちに大いなる感謝見出した。母は本当に親切なものであると、つくづく感心した。その晩一時ごろまでかかって長い返事を母にやった。そのなかに東京はあまりおしろい所ではないという一句があった。

https://anond.hatelabo.jp/20241001221236

 三四郎与次郎に金を貸したてんまつは、こうである

 このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨ぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。

「じつは金をなくしてね。困っちまった」

 そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。

 与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないかである先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。

「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然としている。これをいつもの活発溌地と比べると与次郎なるものが二人いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。

「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。

先生はまだ知らないのか」と聞くと、

「まだ知らない」

「野々宮さんは」

「むろん、まだ知らない」

「金はいつ受け取ったのか」

「金はこの月始まりから、きょうでちょうど二週間ほどになる」

馬券を買ったのは」

「受け取ったあくる日だ」

それからきょうまでそのままにしておいたのか」

「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月末までこのままにしておこう」

「今月末になればできる見込みでもあるのか」

文芸時評から、どうかなるだろう」

 三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、

「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、

「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。

 二人は十時すぎ雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋はいった。三四郎蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である

 それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日近くなった。もう一日二日しか余っていない。間違ったら下宿勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。

 三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から与次郎を見下して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶上下一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引っ込める。与次郎梯子段をとんとん上がってきた。

「待っていやしないか。君のことだから下宿勘定心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」

文芸時評から原稿料をくれたか

原稿料って、原稿料はみんな取ってしまった」

だってこのあいだは月末に取るように言っていたじゃないか

「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」

おかしいな。だって君はたしかにそう言ったぜ」

「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからんわずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった

「じゃ金はできないのか」

「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」

「そうか。それは気の毒だ」

「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」

「どこへ」

「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」

「野々宮さんの妹がいやしないか

「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」

「そうか」

「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立てしますと言うんだがね」

「あの女は自分の金があるのかい

「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい

「取りにいかなければ、国へ電報でもかけるんだな」

電報はよそう。ばかげている。いくらだって借りにいけるだろう」

「いける」

 これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。

 運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめい自分存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。それでなければ、自分存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生名前をあまりさないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。

 与次郎はこの方法運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりであるもっと会合だけはほんの形式から略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……

 聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なから与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。

「あの晩、原口さんが、先生文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男広田先生接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である先生変人から、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。……

「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」

 与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。

「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」

「そうか」

「そうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから

「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」

「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士かいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」

「どこであるのか」

「たぶん上野の精養軒になるだろう」

「ぼくはあんな所へ、はいたことがない。高い会費を取るんだろう」

「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから

 三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議おかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座のどことかへ天麩羅を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野へ寄って、与次郎は栗饅頭をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。

 三四郎はその晩与次郎性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗けたり除ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十通りにも二十通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。

 ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから一刀両断解決などは思いもよらぬこである。もし三四郎安心のために解決必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後判決自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。

2024-09-08

兄が開示請求を受けた

昼食の席で母が「郵便が来てるよ」と兄に封書を渡した。

そのときの兄の顔は、今でもはっきりと覚えている。

中身を確認した兄の顔は真っ青というのか、目が泳ぎ、完全に挙動不審だった。

そのあと兄は急に部屋に引きこもった。

私たち心配になって「何だったの?」と兄に聞いたけど、完全に無視

兄は「別に、何でもないよ」って顔を逸らして答えた。でも何か隠してるのは丸わかりだった。

母と私はその雰囲気に呑まれて、不安はどんどん大きくなった。

夕食のとき、母が「本当に何でもないの?」と尋ねたら、兄がついに折れた。

もう隠し通すのは無理だって悟ったのか、ボソボソと語り始めた。

兄は、ネットインフルエンサー女性に対して卑猥DM誹謗中傷を何度も送っていたらしい。

そこで初めて開示請求だったことを知った。

母と私は、そんなこと信じられなくて、どうしてそんなことしたの!?って兄を問い詰めた。

涙目になって、心の底から悲しくなったよ。

だってネット誹謗中傷とか、そんな卑劣なことをまさか兄がしてたなんて。

信じられなかった。

でも、兄は悪びれるどころか、うすら笑いを浮かべながら

「俺がイケメン非モテじゃなかったら、善人でいられたよ」

なんて、さらっと言い放った。

その瞬間、私は胸が張り裂けそうだった。それが言い訳なのか?って。

イケメンじゃないから、モテいから、卑猥DMを送っても許されるってこと?

そんなのおかしいでしょって泣きながら兄を責めたけど、全然聞く耳持たない。母も泣いてた。こんなに情けないことってある?

兄が30を超えてこんな言い訳をするとは思わなかった。

私も母も、何をどう言えばいいのか分からなかった。

ただ、もうモテないことがそこまで人を狂わせるのかと思って怖くなった。

見た目が全てだと信じ込んでる兄が、どれだけ無意味なことをしてるのか、分からないのかと何度も問いただしたけど、最後まで「俺がイケメンだったら良かったんだよ」って。

最終的には、もうどうしようもないのかもしれないって諦めの気持ちが湧いてきて、母と二人で泣きながら兄のことをただ見つめた。

情けないって言葉じゃ足りないくらい、心が痛んだ。

兄にとって、モテないことがそんなに大罪なんだろうか。

私はただ、見た目だけじゃなくて、もっと大切なものがあるって分かって欲しかった。

でも、それを伝える方法が分からないまま、話は終わってしまった。

私はどうすればよかったのだろうか。

今でも分からない。

ただ兄には、しっかりと罪を償ってほしい。

そして、自分の過ちを認めて、ちゃんと更生してほしいと心の底から願っている。

2024-08-14

anond:20240814115232

親に隠して婚活する人のために、結婚相談所から封書って結婚相談所だとはわかりにくいようになってるんだよな、これが

2024-08-06

anond:20230214151154

アクサ ペット保険やめるってよ

昨年、保障内容をコロコロ変えるアクサダイレクトのペット保険に毒付いてた者だ。

先日、アクサからなーんかちゃんとした封書が届いた。嫌な予感しかないのよ、このペット保険


開けてみたらよう、アクサペット保険やめます だって

希望者は「どうぶつ健保ふぁみりぃ」に切り替えしてね。ちゃん手続きしてくれれば、だいじょびだいじょび~位の薄っぺらい内容であった。


はぁあ?


わんちゃんねこちゃん高齢化が進んで、保険の支払いがリスクになっていまして…」ってオペレーターさんが率直におっしゃってたしな。


てか、「どうぶつ健保ふぁみりぃ」ってどこの何なのよーー

(どこ団体とか、掛け金とか、連絡先もなにも記載がないってどういうことよーーー)

2024-07-06

anond:20240706074422

老人ホームに入居した親にハガキを送るために切手買ってたわ。封書だと本人開けられないかハガキ用の53円。季節ごとに限定切手がいろいろあって、買うの楽しかった。最近親死んだから、もう買うことないけど。

2024-06-18

離婚を考えた理由備忘録

思いつくまま。

家事の分担を守らない、というか好きな家事を好きな時にしかしない。

・そのために支出しなければならない、こちらが建て替えたお金(例、夕食用の買い物代など)を精算しない

保険の受取相手子供だけ(こちらは同様の保険ちゃんと受取相手にしている)。

子ども学校保護者欄にこちらの名前・連絡先などを書かない。

子供関係だけでなく重要書類なのに見せないで提出しようとする/した。

・周囲の人に自分が同情を買うような話を作る。

相談せずに仕事を辞める/転職先を決める。

家計決済用の口座の残高を確認せず、連絡もせずに予算オーバーな支払いをする(ギリギリ気づいて事なきを得る)。

自分収入支出の詳細は非開示、こちらの支出クレジットカード履歴まで封書をあけて確認(これを受けてWebのみにしたら切れる)。

理由説明せずに唐突に不機嫌になり、プチ家出を繰り返す・離婚だと言う。

・そういう時はたいてい一人で酒を飲んだ後(翌日空いた酒瓶や缶を発見する)。

・長期出張中の定時連絡をしてもでない。返事がない。

2024-05-17

足掻いても足掻いても人生が上手くいかない

先日兄が逮捕された。

いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。

ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイはいれつつ身の上話を聞いてほしい。

私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。

ただ、我が家貧乏だった。

理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。

現実は他の子家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。

それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。

そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。

余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである

話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。

そんな状態起業するものから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。

そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。

よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。

この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。

高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかたからだ。

この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。

そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。

兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。

この頃の私は我が家普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種男性普通生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。

高校生が思う浅はかな思考回路で思いつく安定した職業とは。

公務員である

公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。

だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。

だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死携帯参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。

そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこから調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったか人生終わったと思った。

そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。

頭が良くなかったので大学私大

学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。

それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ち奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。

とにかく大学バイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。

父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。

就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。

さて同僚の方達はい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。

まず親の職業公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。

それはそう。

それはそうなんだが。

貴方は払いたくても払えない立場になったことがあるのか。

我が家は車がなかった。

厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。

から4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。

せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古アウディを買った。

わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったかである

ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。

父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤治療が始まり、家でのサポート必要になったため母は派遣をやめた。

いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。

そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社お金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。

毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだからお金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。

SNS結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休彼氏家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。

私はどこで道を間違えたのだろうか。

高校卒業して働くべきだった?

車は買わずお金を貯めるべきだった?

それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?

私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。

それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。

2024-04-25

anond:20240425112151

物理カード管理(部屋のどこに置くか/持ち歩くならどこに入れておくか/紛失していないか)

・引き落とし口座残高の管理

カード会社からの通知の処理/管理(物理的な封書/メールなど)

不正利用されていないか確認

他にもなんかあるかな

上記をもろもろ行う負荷ね

要するに持ってなきゃやらなくていいこと全部

2024-04-18

イオンカードID登録が難しすぎて泣きそうになった

近所にウェルシアとかイオンスーパーがどんどん開店するから観念してイオンカードを作って届いたんだが、封書にあるようにスマホ登録しようにもイオン系支払いアプリ複数あって戸惑って、とりあえずめぼしいのダウンロードして、ウォレットアプリを開いたらスクエアIDログインしろって出てきて、こんなんカード作る時に登録たかな?って小一時間メールチェックで探して、新規ID作らなあかんの?って気付いて新規スクエアID作ってログインして入会ポイントもらったまではいいんだけど、次に先に登録していたウェルシアアプリWAONポイントポイント合算できるようにしたくて、アプリ経由でWAON POINTサイトに行ったんだけど、スクエアIDログインしようとすると「スクエアIDはもうすぐ終了するのでiAEONのIDログインしろ」ってページ遷移させられて、iAEONのIDなんて作った覚えがないか新規で作ろうとしたら「この電話番号登録済みだ」と断られて、登録した覚えないのにって不審に思いながらパスワード再発行手続きして、iAEONのIDをゲットしてWAONサイトログインするとiAEONの個人情報登録がされてないか登録してから出直してこいって門前払いされて、iAEONまで戻って個人情報登録して、WAONにやっとログインできると思ってログインしたら、ここでも再び個人情報登録させられることから始まって、それを入力してやっとWAONポイント統合手続きに進むことができて、めんどくさい手続きを終えられた。

2024-04-09

趣味友ができたけど切れた話

ずっと一人でやってたきた

趣味関係のつながりはインスタくらい

それもたまに見るくらいで積極的にはやってない

相互フォロワーは数人

毎年行ってる東京ビッグサイトイベントであるグループに声をかけられた

その中にインスタでつながってる人がいた

かば強引にグループに参加させられた

話すことなくて前職が旅行会社勤務ってうっかり口を滑らせちゃった

グループ内で東京住みはわたしだけ

から東京イベントがあるたびにホテルとか飲食店の予約を頼まれるようになった

なんならリーダーなんて趣味関係なく自分家族旅行TDLの予約とか平気で頼んでくる

ネット簡単にできるよって言っても東京のことよくわからいからと言われる

わたしだって千葉ことなんてよく知らない

慣れてるからどうってことないけど何だか

それにお願いだから趣味の集まり子供連れてこないでよ

わたし保育士じゃないし

そもそも趣味友でリーダーって何だ

変な上下関係存在するのがモヤッとする

そういうのが嫌でずっと一人でやってきたはずなのに


それがあることがきっかけでグループから抜けることになった

いや正確にいうとグループから永久追放された

毎日来る通知が来なくなって平和だなと思ってた

でもそれが一週間も続いたから気になって確認したらLINEグループからハブられてた

LINEもインスタもグループ全員からブロックされてた

意味わかんない

わたし何か粗相しましたっけ

いくら考えても思いつかないんだけど

ふと思い出した

通知が来なくなった前日の集まり

話すこと無くてHPVワクチン接種したって言ったら変な空気になった

分かれる時にまたねって言ったらリーダーからいつもの笑顔で次あるといいねって言われた

意味わかんなかったけどそうだねって答えて分かれた

あれしか思いつかない

でもそんなことあるかな

わたし以外全員看護師だよ

結果良しなんだけど何かモヤる


趣味友の実名とかインスタのアカウント名でTwitter(当時)を検索してみた

反ワク看護師名乗ってるリーダと似た名前アカウントがあった

フォロワー10万超え

イベントのあった日の夜のツイートに「ワクチン脳と縁を切った」とあった

いいねが2000以上も付いてた

その後もわたし個人情報匂わせたり誹謗中傷ツイート繰り返してた

キモいからすぐインスタとLINEアカウント削除してグループ連絡用スマホSIMも解約した

全部終わった後に翌々週のイベントホテルレストラン予約したことを思い出した

でも予約名はリーダーだし連絡を絶ったのはあっちが先だからまっいいかって思い直した


1ヶ月後事務所として使ってる賃貸マンション封書が届いた

ホテルレストランキャンセル料の請求書コピー手紙が入ってた

請求書の方はほとんど黒塗りでキャンセル料の金額けが見える状態

手紙にはあなた嫌がらせ勝手に予約したんだからキャンセル料支払え

仲間が怒ってて何するかわからないよって書かれてた

そくせ差出人名も住所も振込先も書かれてない

どうしろって言うんですか

これは脅迫状ということでいいですか

でもちょっと待ってどうやって住所知ったの

まあネットに詳しい人がいればちょっと調べればわかるか

だけどここって知る人ぞ知る警備厳重高級賃貸マンションだし

公開情報わたしのこと調べたのによくこんなの送ってきたな

経験上だめだってわかってたんだけど仕事忙しいし面倒だから放置してた

そしたらやっぱりしつこく手紙が何通も来た

内容がどんどん過激になってく

最後のに放火って書いてあったから仕方なくコンシェルジェに連絡した

問答無用警察通報するよね

ほんと面倒くさい


警察から事情聴取があって被害届け出した

リーダーらしきTwitterアカウント誹謗中傷ツイート削除して謝罪文載せた

しばらくしてアカウントが削除された

他の人のアカウントは把握していないからよく知らない

やっぱり趣味グループ加害者だった

リーダー弁護人から連絡来て本人から謝罪させたいと言ってきたけど断った

あと民事で争う気はないけど刑事は取り下げませんって答えた

弁護士はそれだけ聞いたら引き下がった

わたし全然悪くないのにマンション追い出されるんだから刑事くらい当然だよね

リーダーって公的機関勤めだったみたいで懲戒解雇になったらしい

その後も警察から何度も事情聴取があってグループ全員が送致された

検察から事情聴取あってリーダーだけ訴追されて他の人たちは猶予処分

裁判証人出廷したりほんとに面倒だった

結局犯行は悪質だけど初犯で社会的制裁も受けてるからって執行猶予付いた

リーダーは心を入れ替えて更生してください

他のみんなはリーダーと縁切れたらいいのにね

知らんけど(使い方間違ってるかも)


前々職と現職の関係警察検察に嫌味言われたりしたけど学びもあった

趣味友なんて作るもんじゃない

無敵の人からの面倒ごとは放置しない

ワクチン早めに使えば細菌ウイルスだけじゃなく無敵の人たちからの魔除けにもなる

2024-04-08

anond:20240408232347

働いてた時は、仕事の帰りによって食い物を買ってたけど、ニートになったらコンビニは本当に行かなくなったな。

このまえ切手を買って、コンビニ前のポスト封書投函してきたが。

ちょっと遠くのイオンまで行くようになった。

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