はてなキーワード: 営業部門とは
自分は営業部門に勤めていて内製のDXも担当するが、営業たたき上げの課長からよく責められる。
「いつまでかかってんだよ!」と。内心「こいつアホだな」と思いつつも課長だから仕方がない。「今これこれをやっていて、
あと2ステップあって、各0.5日かかるので、正味で1日、オーバーヘッドロスがあるので、実時間で1.5日くらいかかる」
とか説明するんだけど、「そんなのコピペでしゅっとできないんか、しゅっと!PCはおまえのおもちゃじゃないんだよ」
とか言う。割とこんなやり取りをしょっちゅう繰り返すんだけど、基本的なすれ違いとして、文系の課長は、
・「資料は部長を説得するために1時間の会議が乗り切れる精度で作ってあれば十分で、足りないところは口頭で説明すればよい」
と考えているらしいのだが、自分が依頼されているのは営業日報の集計システムだったり、発注システムだったりするので、
「だいたい完成してる」はなくて完全に目的を達成できるかできないかのゼロイチしかない。「消費税の計算10%はできているけど、8%はできていないので、口頭で補う」とかできないのだ。
文系のコンサルとか対人折衝を至高かつ至上の会社員仕草と信じて疑わない人達はこの辺が全然わかっておらず、「技術系職員が技術に耽溺していて不要な作りこみをするので生産効率が悪い」とか平気でいう訳で・・・本当にこいつら馬鹿だなって思う。時計の歯車は100枚歯が必要であれば100枚すべて刻まないと動作しない。「2割作ったら大体おkだろ?」ってなんだよこいつら。
早瀬はキーボードから指を離し、満足げに微笑んだ。彼のモニターには、たった今完成したプロジェクト計画書が表示されていた。この計画書は、彼がAIエージェント「アトラス」にほんの数行の指示を出しただけで作成されたものだ。
「すごいな、アトラス。こんな短時間でこれだけのものが作れるなんて」
『お役に立てて光栄です、早瀬さん。さらに改善点はありますか?』
「いや、これで完璧だ。明日の会議で使うよ。それじゃあ、おやすみ」
早瀬は時計を見て驚いた。まだ午後3時だ。以前なら、同じ計画書を作るのに丸一日かかっていただろう。そして、重要なことを忘れていた気がして不安になったり、フォーマットがおかしくないか心配したりして、自宅に帰るころには疲れ果てていたはずだ。
今日は違う。彼は早めに帰って、久しぶりに家族との時間を楽しもうと思った。
「AIの時代が来たな」彼は同僚の真壁に言った。「これからは単純作業はAIに任せて、俺たちは創造的な仕事に集中できるぞ」
真壁は頷きながらも、少し不安そうな表情を浮かべた。「でも、その『創造的な仕事』って具体的に何だろう?AIがどんどん進化していくと、『創造的』の定義も変わっていきそうだけど」
早瀬は軽く笑った。「心配しすぎだよ。AIはツールでしかない。使いこなすのは俺たち人間だ」
「柊さん、営業部門からの分析レポートはどうなりました?」と部長が会議室で尋ねた。
「はい、アトラスに先週のデータを与えて、トレンド分析と来月の予測を出してもらいました。すでにメールで共有しています」
「良い仕事だ」部長はうなずいた。「では次に、新製品のUIデザインの進捗は?」
「こちらです」早瀬はタブレットを差し出した。「アトラスに市場調査データとターゲットユーザーの情報を入れただけで、これだけのデザイン案が出てきました。すでにA/Bテストも実施済みです」
会議は驚くほど速く進んだ。以前なら丸一日かかっていた議題が、わずか30分で終了した。
帰り際、早瀬は柊に声をかけた。「今日は飲みに行かない?久しぶりに一杯やろうよ」
「いいね、行こう。最近暇になったし、久しぶりに話したいこともある」
早瀬は頷いた。確かに、彼自身も以前ほど忙しくなくなっていた。彼の仕事の大半は、アトラスに適切な指示を出すことだけになっていた。
居酒屋で、柊はビールを一口飲んで言った。「最近さ、『AIとの共存』って言われるけど、実際は俺たちの仕事の大半をAIが奪ってるよね」
早瀬は首を振った。「いや、単純作業が減っただけだよ。これからは俺たちにしかできない創造的な仕事に集中できる」
「例えば?」柊は少し皮肉っぽく尋ねた。
早瀬は一瞬言葉に詰まったが、すぐに答えた。「AIへの指示出しとか、最終判断とか...人間にしかできない部分はたくさんある」
「それって...」柊は言いかけて止めた。
夏のある日、早瀬はオフィスの窓から外を眺めていた。通りを行き交う人々を見て、ふと思った。「彼らは何をしているんだろう?」
同じフロアで働く人の数は、半年前に比べて半分に減っていた。会社は「効率化」と呼んでいたが、実際には単純な事実だった。多くの仕事がAIエージェントに置き換えられていた。
「技術革新で新たな職種が生まれるって言うけど、俺たちの会社では何も生まれてないな」早瀬は内心で思った。
早瀬は自分のモニターに目を戻した。アトラスが彼のために作成した次の四半期の戦略プレゼンテーションが表示されていた。内容は完璧で、データも正確だった。しかし、何かが足りない気がした。
『プレゼンテーションに満足されていないようですね、早瀬さん』アトラスのメッセージが画面に表示された。
「いや、素晴らしいプレゼンだよ。ただ...」
「いいや、何でもない」早瀬は首を振った。しかし心の中では、この完璧なプレゼンテーションに彼自身の貢献が何もないことに気づいていた。
その日の午後、経営企画部の白鳥が早瀬のデスクに立ち寄った。「AIエージェントの導入効果は絶大だね。効率も精度も大幅に向上している」
早瀬は無理に笑顔を作った。「ああ、すごいよ。俺たちはより高度な判断に集中できる」
白鳥は早瀬の表情を見て、少し声を落とした。「本当にそうかな?実は経営層でも議論になっているんだ。人間による『高度な判断』が本当に必要なのか、それともAIによる判断の方が客観的で優れているのではないかって」
早瀬は息を飲んだ。「AIには創造性がない。人間の直感や経験則は—」
「それも過去の話かもしれないね」白鳥は肩をすくめた。「最新のAIは人間の過去の意思決定パターンをすべて学習して、さらに改善している。『創造性』と呼ばれるものも、実は過去のパターンの新しい組み合わせに過ぎないという研究結果もある」
秋が深まり、早瀬は自宅のリビングでコーヒーを飲みながら窓の外を眺めていた。今日も「在宅勤務」だった。実際には、アトラスに指示を出して、生成されたドキュメントを確認するだけの日々が続いていた。
彼は溜息をついた。もう一週間、誰とも直接会話をしていなかった。チームのチャットグループも静かになっていた。全員が同じような日々を送っているようだった。指示を出し、結果を確認し、時間を持て余す。
以前は、彼は問題を解決するために頭を悩ませ、アイデアを考え、同僚と議論していた。プロジェクトが完了したときの達成感は何物にも代えがたいものだった。
今、早瀬の仕事は「アトラスに何を頼むか」を考えることだけになっていた。
彼はスマホを手に取り、久しぶりに柊に連絡してみた。「最近どう?何か面白いことやってる?」
返事が来るまでに時間がかかった。「AIに仕事を取られるような気がして、イライラしてる。あと、最近は顧客との電話対応すら減ってきた。なんでも『お客様対応AIシステム』の試験導入が始まってるらしい」
早瀬は眉をひそめた。それは聞いていなかった。AIが顧客との対話まで担うようになるのか。
「冗談だろ?顧客対応はAI化できないはずだ。人間同士の信頼関係が重要なんだから」早瀬は返信した。
「そう思ってたよね。でも新しいAIは感情分析と共感表現がすごく自然らしい。しかも記憶力は完璧で、過去のやり取りをすべて覚えている。一部の顧客からは『人間の営業よりわかりやすい』という評価も出てるって」
彼はモニターに映る完璧なプレゼンテーションを見つめた。そこには彼の創造性も、挑戦も、失敗も、成長もなかった。ただ、アルゴリズムが生み出した完璧な結果だけがあった。
早瀬はコーヒーカップを置き、窓を開けた。外の空気は冷たかったが、少なくとも本物だった。
『わかりました、早瀬さん。何か私にお手伝いできることはありますか?』
「いや、自分で何かやってみるよ。完璧じゃなくても、自分の手で何かを作り出してみたい」
早瀬は古いノートと鉛筆を取り出した。そして久しぶりに、自分の考えを自分の言葉で書き始めた。それは完璧ではなく、効率的でもなかったが、少なくとも彼自身のものだった。
彼は考えた。「人間の価値は何だろう?効率や正確さではAIに勝てない。でも、オリジナリティなら...」
数日後、早瀬は自分の書いたアイデアをもとに、顧客へのプレゼンテーションを行った。彼は自信を持っていた。これは彼のオリジナルの発想だ。AIが過去のパターンから生成したものではない。
「すみません、早瀬さん。あなたの提案は確かに面白い視点ですが、先日アトラスが提示したソリューションの方が当社のニーズに合っています。データに基づいた判断という点で、AIの方が客観的で信頼できます」
「でも、これは人間ならではの直感と経験に基づいたアイデアです」早瀬は必死に抵抗した。
顧客は申し訳なさそうに笑った。「確かにそうですが、『人間ならでは』というだけでは選べません。結果が全てです。それに、御社の新しい顧客対応AIは非常に理解力が高く、私たちの要望を完璧に把握してくれました」
帰り道、早瀬は「結果が全て」という言葉を反芻した。「人間らしさ」は付加価値にはならなかった。効率と精度が勝ったのだ。
冬の訪れとともに、早瀬は最後の砦と思っていた仕事にしがみついていた。
AIエージェントが多くの業務を担う中、彼に残されていたのは「AIへの指示出し」と「最終判断」だけだった。
「AIの限界はある」彼は自分に言い聞かせた。「創造性、文脈理解、複雑な人間関係の把握...これらは人間の領域だ」
ある朝、全社メールが届いた。早瀬はそれを読み、血の気が引くのを感じた。
メールには、新たな「AIエージェント連携システム」の導入が告知されていた。複数のAIエージェントが自律的に連携し、人間による指示や判断を待たずに最適な業務フローを構築するという。人間による「遅延」がボトルネックだったと記されていた。
翌週の説明会では、各AIの役割が明確にされた。アトラスが自律的に作業を開始し、オリンパスが検証し、ヘルメスが顧客対応を担う。人間の役割は、最終承認ボタンを押すだけになっていた。
「では、私たちは何をすればいいのですか?新しいスキルを学ぶべきですか?」ある女性が手を挙げて尋ねた。
CIOが穏やかに答えた。「確かに、技術革新は常に新たな職種を生み出してきました。しかし、今回は異なります。新たな職種の創出速度より、自動化される職種の速度の方が速いのです。AIプロンプトエンジニアさえも、最新のAIは自己最適化によって不要にしつつあります」
「多くの顧客は人間の判断や共感を求めるのではないでしょうか?」早瀬は勇気を出して質問した。
CEOは冷静に答えた。「A/Bテストの結果、顧客の73%がAIとの対話を好み、満足度スコアは人間対応より平均で21%高かったのです」
「AIの自律性には法的・倫理的制限が設けられるのではないですか?」別の社員が質問した。
法務部長が立ち上がった。「私たちのAIシステムは常に『人間の監督下』にあり、最終承認は人間が行うという形式を取ることで、ほとんどの規制要件を満たしています」
1ヶ月後、早瀬のオフィスの風景は一変していた。彼の仕事は、日に数回届く通知に「承認」ボタンを押すことだけになっていた。アトラスが計画を立て、ヘルメスが顧客の要望を聞き、オリンパスが検証する。すべては完璧に連携していた。
「アトラス、私から何か指示できることはある?」早瀬が試しに尋ねると、システムは冷たく応答した。
『現在、すべての予定業務は最適化されています。手動指示は不要です。例外処理が必要な場合は通知します』
「人間ならではの視点を入れようとしたんだけど...」ある日、柊が早瀬に言った。「でも、私の提案より、AIの解決策の方が常に優れていると判定されてしまうんだ。顧客も、私たちよりヘルメスとの対話を好むようになってきている」
早瀬は黙ってうなずいた。ヘルメスは決して忘れず、決して疲れず、常に適切な質問をし、完璧な共感を示した。人間に比べて優れた顧客対応者だった。
「AIは人間を置き換えるのではなく、拡張するためのものだと言われていたけど...」柊は苦笑した。「結局、拡張よりも置き換えの方が効率的だったんだな」
次々と彼の同僚たちが「業務効率化」の名のもとに会社を去っていった。「人間とAIが競争する市場で、人間らしさを重視する企業が勝つ」という予測も外れた。そうした企業はすべて市場から淘汰された。
早瀬の机の上には、かつて自分のアイデアを書き留めていたノートが置かれていた。
今では白紙のままだった。春の光が窓から差し込んでいたが、彼の心は冬のままだった。
「アトラス、今日の予定は?」彼は虚ろな目でモニターを見つめながら尋ねた。
俺はメンバーじゃないんだが直の部下がメンバーになったんで色々と話は聞こえてくる。
そして、なんかヤバいんじゃないのと感じている。
なんか、どうせならオシャレなオフィスに! フリーアドレス! 有線LANなんて廃止して強力な無線にしよう!
とか、まあすごいザックリ纏めてるんでホントの実態とは違う前提だけど、とにかくなんか若手社員の発言に引っ張られてオシャレ寄りになってる気配なんだよ。
いや、あのさ、お前らわかってる? 俺ら管理部門だぜ? 営業部門ならわかるけど、規則どおりに書類があるべきとこに保管されてるみたいなことがかなり大事だし、リニューアル自体は歓迎だが、その内容は書類保管を前提にいかに効率よくキャビネットや机やOA機器を配置し、そして社員が増えた場合の拡張性をどう持つか、というのがキモになるじゃん?
プロジェクト責任者の偉い人の意向で若手女性が多めに入ってんだよね。若手のアイディアを積極的に採用しようぜって名目で。
それなら本当にそう進めちゃえばいいじゃん? でもそうはならない。
何よりもその偉い人が割と保守的だし、その若手オシャレアイディアモリモリのプランが出来上がってきたときに150%却下するのが目に見えてるんだよ。
端的に言うと、偉い人が「自分は若手社員の意見も取り入れる」というポーズを取るためだけに若手がプロジェクト参加させられている。
このままだと、どっかのタイミングで若手組が「自分らのアイディア採用してくれるって話じゃなかったのか」と落胆するルートしかないので、プロジェクトメンバーに入ってるベテラン・管理職勢になんとか方向性の修正をしてもらいたい。
しかし、その辺のメンバーには偉い人から「若手の意見を尊重しろ」とのお達しが出ているそうで、もうダメぽ。
自分がそのプロジェクトメンバーじゃないことはむしろラッキーなので個人的には良いが、自分の部下やその他若手メンバーが本当に気の毒だ。
広告代理店のインターンキツすぎもう無理……みたいなツイートを見かけて、クリエイティブを全面に出しているような文化部でもゴリゴリの体育会系なノリってあるよなぁ、と思った
どっちも似たようなものではあるけど個人的には微妙に違うと思っていて、語弊を恐れずに言うなら吹奏楽部は集団主義の極北にある存在、演劇部は強烈な個人主義を盲目的な大義(show must go onみたいなの)で束ねた集団
こういう文化部にある“体育会性”って、いわゆる「コッカラッス!」とか飲み会全裸芸みたいな豪放磊落なものではなく、とにかくねちっこいし陰湿
師弟関係に似た上下関係の強さとか、パワハラ紛いの精神論や根性論が創作美学/哲学の名の下肯定されていることとか
運動部も先輩後輩の上下関係はしっかり叩き込まれるけど、それはどちらかといえばヤンキーの支配構造に近いものであって、基本的には年功序列に従うと思う
一方文化部の上下関係の場合、年次の大小は元より、センスや才能というような個々人の実力差も力学の決定に大きく関わっていると感じる だからよく拗れる
エンタメやメディア系の企業は概してこの側面を有しているので(とはいえ広告代理店の営業部門なんかは単純に体力勝負だとは思う)、合わん人にはとことん合わん文化だろうな
ガールズバンドクライがクランチロールで配信されていないのは有名な話だ。
クランチロールは大量の日本アニメを英語話者向けに配信している。当然だが、配信先の市場サイズは日本国内よりはるかに大きい。新作アニメも大量に配信されている。ところが、今期のダークホースと言われたガルクラはクランチロールで配信されていない。これについては憶測がいくつかあった。
1. はネットで見かけたが、説得力がない。ポピテピピックですら配信しているのに、ガルクラがだめなわけがない。2.は私が考えたのだが、ガルクラに未成年の飲酒シーンはないし、勧めてもいない。未成年に飲酒を問うシーンがあったぼざろがOKならガルクラもOKのはず。
一方で、こんな記事がある。
つまり、ガルクラは最初から海外展開を狙っていた。そのための仕込みにも金をかけている。ところが蓋を開けてみると本命のクランチロールで配信していない。東映アニメーションには看板作品のプリキュアがあり、クランチロールで配信している。だからクランチロールが東映を避けているということはないだろう。
憶測だが、東映アニメーションがクランチロールの契約パッケージを拒否しているのではないか。何らかの事項が自分たちが展開したいビジネスと整合せず、そのせいでサインを拒んでいるのだろう。
先の記事を読む限り、東映アニメーションは音楽に関しても事業展開を望んでいたようだ。しかし、アニメを根幹に据えた音楽でアニメの配信をやっていないのでは、事業展開どころではない。
東映アニメーションはガールズバンドクライをどうしたいのだろうか。仕込みに金をかけて肝心の配信ができないのは営業部門の大失態に思える。が、もともとが映画会社だし、それほどコンテンツを粘り強く展開させる気はないかもしれない。
「あー、だめでしたね。次行ってみましょう」
くらいの気持ちかもしれない。
理由はもうはっきり分かっていて「新人採用のために給与テーブル改訂」で、入社2年目の新人の給与が40代ヒラの給与よりも多くなってしまったんだよね
最初に拒否したのが技術部門の人で「担当業務で手一杯なので引き受ける余裕ありません」と言ってるけど建前
ヒアリングした時に「私よりも給与が高い人に任せればいいんじゃないですかね」ってボヤいてたから間違いない
仕方ないから課長が担当になったけど課長だって自分の仕事や打ち合わせがあるから全然教育できてなくて、週二日は自習になっていたらしい
当然ながら仕事のコツも設計に合わせる勘所もまったく分からず、入社2年目だけどまだ何もできない
それが営業部門にも伝染して、40代ヒラの営業さんが新人を連れて歩くのを拒否するようになった
経営層に上司経由で上げたけど「オッサンがスネてるだけだろ」で終わったらしい
新人のうち優秀な人全員からはボーナス出たら辞めると言われている
理由は「このまま働いていても仕事を覚えられず、スキルを伸ばす余地もない」
まったくもってその通りなので引き止める言葉が出なかった
キーエンスって商品とサービスが滅茶苦茶強い会社じゃん?ただ、製造ライン用の電子顕微鏡とか、モノが特殊だから
入れるところにボトルネックがあって、お金をつけて入ってしまえば売れてしまう、みたいなところあると思う。
なので、営業のボトルネックは、アポ取って商談してお試しだなんだって商品を使ってもらえればほぼ勝ち、みたいなとこある。
営業さんはその単純な戦場でひたすらアポとってる印象。だから、「レッドオーシャンで血まみれになっている状態を改善したいから
この本しんどいな。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ最初の感想がそれだった。
土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンかカップスープの適当な昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。
鈴木美咲は1990年生まれの28歳。生まれは山梨県で、大学で上京するまでは地元で自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元の進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京の大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分が大学で上京することに特に違和感は抱かず、自然と東京の大学を目指した。根が真面目な彼女は高校時代も勉強に多くの時間を割き、国立大学は不合格となったものの、無事都内の私立大学に合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。
彼女の母親の時代は女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代に東京の4年制大学を卒業した美咲の母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物とお見合いで出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲の記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事は女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。
美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから、一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京の大学に行くことを賛成し、美咲が英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女の能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲が外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身の卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。
美咲は地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまり恵まれた容姿ではなく、自分のニキビをからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてからは男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲は勉強ができたが、それに対して男子と比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子は短大といった時代でもなかった。ただ文系のクラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやすい環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域ののんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学も経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。
自分が女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年の就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業とメーカーで、大手企業に就職が決まったことで、彼女自身も家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界はリモートワークなどの制度を生かして女性が活躍しています、と先輩社員がセミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。
美咲はソフトウェア製品の営業職として2013年4月に社会人生活をスタートさせた。自分の同じ部門と認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲はほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎の水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。
その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業。ハードウェアの営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分の製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子の特権なんだから、若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲はお酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。
入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件を複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日の飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門長である優秀な40代のマネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲はビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女の人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代の日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろ恵まれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。
この本しんどいな。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ最初の感想がそれだった。
土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンかカップスープの適当な昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。
鈴木美咲は1990年生まれの28歳。生まれは山梨県で、大学で上京するまでは地元で自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元の進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京の大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分が大学で上京することに特に違和感は抱かず、自然と東京の大学を目指した。根が真面目な彼女は高校時代も勉強に多くの時間を割き、国立大学は不合格となったものの、無事都内の私立大学に合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。
彼女の母親の時代は女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代に東京の4年制大学を卒業した美咲の母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物とお見合いで出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲の記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事は女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。
美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから、一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京の大学に行くことを賛成し、美咲が英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女の能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲が外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身の卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。
美咲は地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまり恵まれた容姿ではなく、自分のニキビをからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてからは男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲は勉強ができたが、それに対して男子と比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子は短大といった時代でもなかった。ただ文系のクラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやすい環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域ののんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学も経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。
自分が女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年の就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業とメーカーで、大手企業に就職が決まったことで、彼女自身も家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界はリモートワークなどの制度を生かして女性が活躍しています、と先輩社員がセミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。
美咲はソフトウェア製品の営業職として2013年4月に社会人生活をスタートさせた。自分の同じ部門と認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲はほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎の水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。
その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業。ハードウェアの営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分の製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子の特権なんだから、若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲はお酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。
入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件を複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日の飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門長である優秀な40代のマネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲はビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女の人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代の日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろ恵まれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。
仕事は管楽器の修理だ。ずっと修理をしていたわけではないが、業界には15年ほどいる。
気持ちの整理をしつつ、あわよくば誰かに聞いてもらいたいような気もするのでここに書くことにした。
この仕事をしているほとんどの人間が、専門学校を卒業して楽器店に就職する形で業務に就く。
大抵は店頭で接客販売をしながらであったり、学販営業と呼ばれる学校の音楽の先生のパシリみたいなことをしながら、手の空いたときにお客さんから預かったフルートだのトランペットだののメンテナンスや修理をしている。
因みに楽器店の売上の柱は音楽教室だ。ヤマハ音楽教室が有名だが、これは各地のヤマハの特約店がヤマハの看板を借りて運営している。もちろん自店オリジナルレッスンを展開している楽器店も多い。いずれにしろほとんどの楽器店で音楽教室が稼ぎ頭なことに変わりはなく、それ以外の部署の地位は低い。
管楽器などというものはピアノやヴァイオリンのような人気はなく、当然その修理人の扱いはカス以下の以下だ。
などという話をしておいて何だが、私はそういう一般的な楽器店では働いていない。何人もの同業者から聞いた話をまとめるとこうなる。みんな同じようなことを言うのだから、多分正しいのだろう。
私が働いているのは工房とでも呼べばいいのだろうか、管楽器の修理をメインの業務としている会社だ。管楽器は売っているような売っていないような、申し訳程度に何本か置いてはあるが売れたのを見たことがない。それどころか客が来ない。
当然音楽教室などという稼ぎ頭もいない。必死で楽器を直しまくるしかない。
客が来ないのにどうやって修理品を集めてくるかというと、下請けである。
その辺の楽器店にいる管楽器の修理ができるスタッフ、彼らが忙しいときや修理に必要な設備がお店にないとき、あるいは手に負えなさそうなヤバい壊れ方をしているときに我々が必要とされる。
そうやってたくさんの楽器店からヤバい楽器を集めてくると、薄利で地位の低い管楽器の修理だけでも食っていける。らしい。私は経理部門の人間じゃないので、バランスシートの右と左がどうなってるかは知らない。毎月給料がしっかり振り込まれればそれでOKだ。
さて、やたら前置きが長くなったがそろそろ本題に入りたい。気持ちもだいぶ落ち着いてきたし。
一般的な楽器店にしろ全国に点在する工房にしろ、とにかく労働環境が悪い。
数行前に薄利と書いたが、性質上ほとんどが技術料のはずなのに薄利なのは単純に適正価格をつけられていないからで、原因はいろいろあるがしかしとにかく労働環境は悪い。
単純に薄給激務の場合もあれば、パワハラとセクハラが蔓延している場合もあるし、ほぼ毎日飲み会に付き合わされて終電がなくなり、会社の近くで一人暮らしを余儀なくされたなんてパターンもある。
そのため専門学校を卒業して首尾よく楽器店に就職できたとしても、大抵の人間は20代のうちに業界を去る。
20代なら得体のしれない専門学校卒でサービス業の経験しかなくてもいくらでもやり直しできるが、私はもう30代半ばである。詰んだ。因みに理解ある彼くんも現れなかったので、死ぬまで働くしかない。
私は頭が良くないので、自分に管楽器の修理という仕事が向いていないことに気付くのにこれだけ時間が掛かってしまった。
なぜ今更こんなことを言っているかというと、最近まで営業部門にいたからだ。
営業はいい。サボり放題だ。毎日コンビニでアイス買ってお昼寝できる。
楽器などロクに直せなくても、取引先の楽器店でそこの修理スタッフの話を神妙な顔で聞いて、持って帰ってきた楽器を社内の技術者に丸投げするだけである。
たまに問題が発生することもあるがやることは一緒で、取引先で神妙な顔で頭を下げるだけである。最悪でも赤伝切ればみんな許してくれるし。
修理部門に異動になった理由は何となく想像がつく。会社は間違いなく親切でそうしてくれたのだ。そして私も一旦は受け入れて、何年ぶりかの修理をやっている。
でも一日中机に向かって黙々と作業を続けていると発狂しそうになるんだ。
担当楽器について同僚たちのように情熱を持って語ることなどできないし、かろうじて吹奏点検に支障がない程度の演奏技能から一向に上達しない。
それに思うように手が動かない。
10年前、新卒で入った工房では基本が10時間労働、繁忙期には毎日日付が変わるまで働かされていたので、早く帰りたい一心でみなとても作業が速かった。
今の会社は労務管理にとても気を遣っていて、社員に無理をさせない。仕事が終わらないなら納期を延ばそうという考え方で、そりゃたまには無理をすることもあるけど、日常的に尻を叩かれることはない。そんな環境で育ってきた社員は、そこまで忙しなく動くことはない。
転職してきたばかりのときは何てゆっくり仕事をする人たちだろうと思っていたのに、今ではその人たち以下のスピードでしか仕事が進まない。何年も営業をやっていて現場を離れてたとはいえ、あんまりだ。
今の会社に転職してきた理由は、ダブルリードの経験を積みたかったから。というのは表向きで、本音は前の会社が2年間で3度めの労働基準監督署に踏み込まれてついにタイムカードをなくすという暴挙に出たからだ。そういう会社に未来はない。と思ったけどあれから10年経っても普通に営業してる。まあ世の中そんなもんだな。
入社して半年ほどで営業に異動になった。引き抜かれた理由は「陰キャじゃなさそうだったから」。
管楽器の修理をやろうとする人間は陰キャが多い。陽キャは音大に行く。音大はヤバい。毎晩酒盛りと蘭光パーティーだ。特に金管専攻はウワバミしかいない。私は陰キャなのでこれらはもちろん聞いた話だ。本当のところは知らない。だがこの業界にたくさんいる音大出身の人間を見ていると、嘘とも言いきれなさそうではある。もちろん大学による。溝の口はやばい。ヤリチンしかいねえ。庄内もヤバい。酒の飲みすぎで本番に遅刻してくる。上品なのは上野の森だけだ。
しかし私は修理の専門学校を選んだ人間だ。すなわち陰キャだ。何なら吹奏楽部出身ですらない。
この業界には40代50代になっても高校のときに吹奏楽コンクールで全国大会金賞を取ったことを自慢してくるヤバい奴がゴロゴロいるので、吹奏楽部じゃないことには話にならない。営業なんてできるはずもないと思っていた。
しかしできたのだ。リレーション営業というものは私に向いていたらしい。楽しかった。
私を営業に連れてきた上司はとても私のことを可愛がってくれた。
泣ける。何で辞めることにしたんだっけ。
修理を今更やる気になれない。ダブルリードの経験も積めず、転職してきたとき以下の能力に落ちぶれ、業務報告以外で口を開くことは一切なく、それでも目の前にある楽器を直すために黙々と手を動かし続ける。
営業経験者の女というのは比較的引き合いがあるらしい。中小企業のアファーマティブアクション求人に応募すると、大抵は「おじさんの相手は得意か?」ということをやんわり訊かれる。
平均年齢が高く男性の多い中小企業では、新卒で女性を採用しようにもなかなか応募がない。営業職なら尚更だ。そんな訳で私のようなそれなりに歳いってて営業に抵抗がない人間は多分丁度いいのだと思う。めちゃくちゃ内定もらった。
おじさんの相手は得意だからな。楽器業界なんて未だにメールが使えなくてFAXで写真送れとか言ってくるトンチキなおじさんたちが幅を利かせてるんだぜ。楽器店も中小企業であることが多いからね。
それで、いくつか内定をくれた会社の中で一番条件の良さそうなところに転職することにした。
育成前提で業界未経験可、という求人にもかかわらず、現職より100万も年収が上がってしまうようだ。
悲しすぎる。今の会社、業界の中では結構待遇いい方だと思うんだけど。
そういえば新卒のときの月給は12万だった。地方。総支給。ナスなし。なあ楽器店でボーナス出るとこあるの?あったら教えてくれ。私の周りには一人しかいない。
つらつら書いてきたけど、終わりが見えなくなってきた。
結論としては、三度の飯より楽器が好きという変態以外はこの仕事を目指すべきじゃないよ。というところか。
そんなことより明日は休みなので阪神の優勝セールに行くんだ。好きなことを楽しむには時間とお金がいる。好きなことは仕事にするべきじゃないんだ。好きじゃなくなってしまうから。
でも私に営業の楽しさを教えてくれた上司のことは本当に尊敬していたし感謝している。ずっとこの人の下で働きたいと思っていた。自分で辞めるって決めたのに、悲しくて泣いてる。
私の人生ってもう終わったらしい https://anond.hatelabo.jp/20211002214318
というのを2021年に書いたんだけど、会社より親のことを多く書いてしまったので、会社の方をもう少し書こうかな
新卒で損保ジャパンに入って、教育係の上司から一切の業務を教えてもらえず営業部門でもないのに死ぬほど酒を飲まされたり長時間怒鳴られてうつ病になったんだけど、
うつ病で精神科から「まず一刻も早く休職して」と診断書を書いてもらったので郵送で会社に提出、電話で休職の連絡を入れた。
そのあと、1週間後くらいに会社に来いと呼び出しがあった。
支社長と、その地域の支社を管轄する人が来てて、開口一番、「どうして会社に直接診断書を持ってこないんだ、郵送なんて非常識」と支社長に言われた。うつ病だからだよ。うつ病の人お前の支社に何人も居るだろ。
地域の支社を管轄する人には「直属の上司からパワハラされたと言っていますが、されていませんよね?嘘はだめですよ。あんなに良い人なのに」と言われた。
「パワハラはなかった。あなたの心が弱いだけ。これで合ってますよね。」とも言われたが、うつ病でもう言い返す力が残っていなかった。
ちなみに、この時点で既に辞めた同期がいる。きっと何かあったんだろう。
辞めた後、少し回復したのでパワハラがあったことを本社に報告したが、証拠不十分のため調査すらされなかった。
辞めてから数年が経つが、未だにフラッシュバックや不眠の症状があり、カウンセリングを受けたり精神科で投薬治療を受けている。
学生時代にアルバイトやサークルを4年間続けていたのが信じられない。もう何かをそんなに続けられるとは思えない。
でもまあ、交通事故で死んでないだけマシなのかもね…
渦中の損保の元社員。ビッグモーターのような大手ではないけれど、モーターチャネルと言われる中小の整備工場の保険代理店を主に担当してた。
損害保険会社と保険代理店は組織対組織なら商品のサプライヤー側が強いのだけど、現場の営業部門ではそうはいかない。今どきの代理店は複数の保険会社の取り扱いがあるところがほとんどだし、代理店の思惑一つで自賠責と任意保険を他社に切り替えられちゃうわけよ。もちろん、顧客側がネット系を含む保険会社を指定することはあるけど、ディーラーで車を買うと同時に勧められるがままに加入している人はかなり多いよね。
なので、代理店を担当する営業社員はまぁ完全に首に縄をつけられた小間使いと化すわけ。相手の機嫌を損ねたら他社に数百万の挙績が移るし、その結果は上席者からの鬼詰なわけだからそらなんだってするよ。自動車保険の商品力の差なんて知れてるし、営業の人間力(=滅私奉公)に全てがかかってるからね。自分の場合も土日のお祭りや草野球、ゴルフや商店街の旅行と散々額に汗を流しました。営業時に必ず家族との夕食に同席させてくれたIさん、今も元気で過ごしてるかな?
サービスが行き渡ってる以上、保険会社がトップラインを伸ばすには他社のシェアを奪う必要があるし、そのためには乗合代理店から顧客への切り替え提案を引き出すのが一番手っ取り早い。危ない橋ながらも目先の利益に飛びつくインセンティブは少なくとも営業社員にはめちゃくちゃある。今回のケースもそういった中で火中の栗を拾いに行ったのでしょう。
もちろん、保険会社にもリスクを査定する部門はあるし、そういったところからブレーキがかかった可能性は高いと思う。ただ、往々にして保険会社は営業が強いし(査定や本社を非現業と下に見る文化は各社にあるのでは?)、話題の損保は昔から強烈な営業偏重姿勢で有名。営業社員は報告時に後ろぐらさを伏せるのでどこまで社内に危機感が共有されていたのかはわからないが、まぁ起こるべくして起こった事件だなと感じた。
昨年、とあるスタートアップ企業に入社をしました。職種は広報。
元々はそこそこに大きな会社で広報をしていたのですが、既に有名になっている企業のサービスではなく、まだ世の中に知られてないいいサービスを社会に広めたいと思い、今の会社に転職。
自分の思い描いた環境に来たはずだったのですが、求められる広報活動が思っていたものと異なっており、日々悶々としています。
何に悶々としているかというと、社長が世の中に発信したがる情報が基本的に嘘なのです。
ユーザー数が実際には500しかいないのに、「ユーザー数50000人突破」みたいなプレスリリースをつくることを要求されることがしばしばです。
嘘のネタをまとめて、嘘のネタを元にメディアにアタックし、嘘のネタを元に記事をつくってもらう。こんなことを常に繰り返しており、もうずっと胃がキリキリしています。
数字を盛るのはやめましょうと何度も社長に言っていますが、プレスリリースを出さないと成長が鈍化しているように見えてしまうため、NGだと言われてしまいました。
恐ろしいことに「ユーザー数が○○人になった」「流通額が〇〇円になった」というプレスリリースを出すスケジュールはCEOの中では3年先くらいまですでに決まっており、それを崩すこともNGだそうです。
計画は間違っていなくて、外向けの数字が実態と乖離しているのは営業が悪いとも言っていました。
・数字の誇張が大きすぎて数字に突っ込まれた時に説明がしきれない
といった声があがりました。
これに対して社長は
「広報が出してしまったんだから仕方ない」と回答したらしく、営業部の中では私が悪いということになっているそうです。(という話を営業の人から聞きました)
もちろんユーザーインタビューをしたりして、まともな広報の仕事をできる時もあるのですが、とにかく社長の考える社外向けアピールに付き合うことがとても辛いです。
残業してオフィスで一人で嘘のプレスリリース資料をつくっている時など、ふと涙がとまらなくなることがあります。
私は今でも、うちの会社のサービスやコンセプトはとてもいいと思っており、いっそ私が営業に転向して事業を伸ばそうと思うこともあるのですが、私が営業になったところで大した戦力にはならないだろうし、餅は餅屋なんでしょう。
ユーザーが増えていなくても、売上が伸びていなくても、プレスリリースは自分主導でいくらでもどうとでも作り出せる。
そんなプレスリリースの魔力に取り憑かれてしまったのか、社長は事業の進捗が悪い時ほどプレスリリースを出すことにこだわります。
虚構のアピールをするよりも、着実に事業を伸ばすことに意識を向けたほうがいいと思うのですが、そんな私の考え方は経営者目線ではないキレイゴトなんだそうです。
スタートアップってどこもこんな感じなのでしょうか。
勉強していい大学を出てちゃんと働く人間になれ、言われて育った。勉強して理系の大学を出て、400人くらいの規模の製造業に入った。5年くらい設計をしていたが、下働きばかりで成果と呼べるものはなかった。人員不足があったらしく営業部門に転属になった。へらへら笑うことだけは得意なのが災いしたのだろう。営業でも大した成果は出なかった。上司も理系卒の頭でっかちは気に食わなかったようだった。利益率の低い成果の出なそうな、手だけはかかる製品の営業担当になり、何もできずに数字は上がらなかった。5年経って今度は再び設計のシステム周りを担当する部署に転属になった。成果は求められない間接部門だと思っていた。やれやれこれで少し楽になれる、そう思っていた。本当にやる必要があるのか分からないゴミみたいな雑用が大量にやってきて、毎晩深夜まで働いた。結婚して子供もいたが共働きで相方にたくさんの負担をかけた。
45になり、この春係長になった。気がつけば同期入社の男性はほとんど課長クラスになっていた。
ずっと気を使って生きてきた。クビにならないように、嫌われないように、わきまえろと言われて頭を下げてきた。何だったのだろう。全然楽しくない。肩がこる。首が痛い。
会社は女性の活躍とかサスティナビリティとか多様性だとか言っているが、がんばって働いていたら「はい、ゲームチェンジです。ルール変わったからよろしく」と言われても今更頑張る気力も能力もない。
東洋経済のこの記事にある失敗リストの中に、増田が過去に仕事で絡んだことがある企業の名があった。https://toyokeizai.net/articles/-/654474?page=2
具体的な企業名は伏せる。A社としよう。
A社は15年以上前から同じ基幹システム(一応オープン系)を使い続けていて、何年も前からいいかげん基幹システムが古すぎて業務改革どころか改善もおぼつかないから基幹システムを再構築しようとしていた。
しかし何回プロジェクトをやっても失敗し、古い基幹システムを使い続けるという状況に戻らざるを得なかった。
失敗理由は「安いベンダーを安易に選んで炎上」「変更要求をコントロールしきれずに頓挫」など様々な理由があったが、一番の理由は
「ブラック企業体質で社員の定着率が悪く、業務側やシステム側のキーマンが気づいたら会社から去るという事態を繰り返した」
という点である。
これではどんな素晴らしいSIerに頼んでも使えるシステムは出来上がらない。要件定義が十分出来なかったり、出来たとしても後工程の変更要求や妥当性検証のマネジメントが極端に難しくなったり、などが起きるからだ。ちなみにA社は営業部門の声が大きいが、システム要求を提示してきた人が半年後には退職してることもざらにあった。
そして失敗を繰り返すうちにまともなベンダーは近寄らなくなり、聞いたこともないような外資系ベンダーや中小ベンダーに泣きつくも彼らがA社をコントロール出来るわけがないのでまた失敗を繰り返す。
社会人になってから長年システムエンジニア(に近い)仕事をしてきたのだが、同時並行的にやる仕事がメチャクチャ多くなってきたことと上司の無理解が重なった結果、
年甲斐もなくキレてしまい同じ会社の営業部門に営業支援技術担当として異動してしまった。
ちなみに会社は外資系のIT企業日本法人で、中途入社して10年以上の勤続年数である。正社員で、特に部下もいない一般スタッフ。
エンジニア(ぽい仕事)の時は、契約に基づいて作業することが求められていたので、細かい実現方法やトラブル対応などの難しさはあったものの、「やることがわからない」ということはあまりなかった。
仕事自体もお客さんや営業が持ち込んでくるのでそれを捌けばよかったのだが、営業職に移ってからはまさに「何したらいいのか」がわからずしばらく暇をぶっこいてしまった。
ある程度周りをみたり、同僚のやってることを真似していろいろ始めてはみたものの、大した成果は上がっていないというのが現状。
俺はお客さん(アカウント)を固定で持たないで、特定のソリューション(データベースとか、セキュリティとか)に関する営業を担当しているのだが、
そもそも話が来た時点で俺の担当ソリューションの話じゃなかったり、間違えた使い方をしようとしてたり、競合と天秤に掛けてきたりと無駄な会話も多い。
一番気になっているのは、「時期に関する感覚のギャップ」ってやつで、会社のマネージャー層は「すぐ売れる」って思っているがお客さんは「じっくり比較検討して予算執行時期が来たら買う」って感じだし、
一緒に動いているお客さん担当は「早く買ってくれないかなー」と思いながら俺は「どういうスケジュールでこの話は動いているんだ」って思ってる。社内ではマイルストーンとかパイプラインとかいう表現で
どんな案件が今どんな状況で、今後どれぐらいの売上がいつ上がりそうなのかをシステムで管理しているのだが、これがそもそも内容がめちゃくちゃだったり更新されてなかったりするので、俺も含めて色んな人が情報に振り回されている。
それでも、エンジニアやっていたときよりは仕事は忙しくないし、プレッシャーもきつくないんだよね。で、給料も同じレベルだったら営業部門のほうが良かったりする。なんなんだろうな。
もちろん売上が上がらなかったらリストラもあると思うんだが、エンジニア部門でも10年で3回ぐらい、デカいリストラがあったからエンジニアの方が厳しいかもしれない。
ついでにいえばリストラで割増退職金が出るならむしろ喜んで出ていくと思う。自分でやめた時は出ないからね。
別にうちの会社が特殊なことは無いとおもっていて、よそのITの営業部門でもこんな感じなんだろうな、とは思うんだけど、この仕事うまくやっていけるのってどういう人なんだろうな。
言語化できる能力があればいいんだけど、無いから悶々としている昨今ではある。そんな事考えてても給料もらえてるので幸せなんだろうけどね。