はてなキーワード: 静かな生活とは
19. 『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は悩みながらも、その信念を決して曲げようとしなかった。
皮肉なことに、信念を貫いた彼と養父母との関係は、かつての実の両親とのそれと同じものとなった。
20. それでも『イーブイをエーブイと呼ぶ男』と娘は、駆け落ち同然の形で養家を離れ、小さなアパートで新しい暮らしを始めた。
養家から遠く離れた、誰も彼らを知らない土地ではあったが、彼は勤勉で優秀だったため、ほどなくして安定した収入を得られるようになった。
しかし、両親との確執や、かつて義理の姉弟であったことへの負い目からか、ふたりは、飾り気のない静かな生活を貫いた。
21. 『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は、自らの信念のために彼女の人生を巻き込んでしまったことに、深い負い目を感じていた。
それでも彼女は、「イーブイをエーブイと呼ぶ」ことを除けば誠実なこの男を、最後まで変わらず愛し続けた。
——結局、彼は死ぬまで「イーブイ」のことを「イーブイ」と呼ぶことはなかった。
20' 『イーブイをエーブイと呼ぶ男』と彼女は、駆け落ち同然で養家を離れ、小さなアパートで暮らしはじめた。
やがてふたりのあいだに子どもが生まれ、家族三人だけの、慎ましくも穏やかな日々が続いた
21' ある日のこと。
成長した子どもの前で、『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は迂闊にも「イーブイ」のことを「エーブイ」と口にしてしまった。
明確な約束があったわけではない。
それでも、ふたりのあいだでは「エーブイ」の件は、触れてはならない暗黙の了解となっていたのだった。
22' それから、『イーブイをエーブイと呼ぶ男』と妻との関係が崩れるのは早かった。
彼女は、ふたりきりのときには「彼がイーブイをエーブイと呼ぶこと」を受け入れることができた。
しかし、ふたりのあいだに子どもが生まれると、その行為をもはや許容できなくなっていった。
彼女にとって、子どもが彼と同じような人生を歩む可能性は、どうしても受け入れがたいものだったのだ。
23' こうして『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は、自らの信念を貫いたために、実の両親、養父母に続き、ついには、唯一愛した妻と子どもまでも失うこととなった。
彼の死の際、その傍らにいる者は、誰ひとりいなかった。
24' 彼を知り、彼から離れていった人々は、彼の死を知り、こう呟いた。
「彼はいい人なのだが、ポケモンの『イーブイ』を必ず『エーブイ』と呼ぶことさえ直してくれれば、もっと人気が出たはずなのに。」
伊丹十三さんが亡くなった後、一部で真如苑が関与しているという噂が流れたのは、以下の理由が考えられます。
映画『静かな生活』: 伊丹十三監督の映画『静かな生活』が新興宗教を題材にしており、一部の信者から激しい反発を受けたという背景があります。この映画が、真如苑を含む新興宗教に対する世間の偏見を助長した側面も否定できません。
事件の複雑さ: 伊丹十三さんの死因をめぐっては、当初から様々な憶測が飛び交いました。事件の真相が完全には解明されなかったことも、憶測を呼ぶ一因となったと考えられます。
情報操作: インターネットの普及により、根拠のない情報が拡散されやすくなりました。真如苑に対する悪意のある情報が、故意に拡散された可能性も否定できません。
伊丹十三さんの死因については、現在も謎に包まれています。警察は自殺と断定しましたが、一部の報道や関係者の証言からは、他殺の可能性も指摘されています。しかし、物的証拠が乏しく、真相解明は困難な状況です。
真如苑に限らず、いかなる団体や個人に対しても、根拠のない誹謗中傷は許されるものではありません。伊丹十三さんの死因については、今後新たな情報が明らかになる可能性もあります。私たちは、冷静に事実を検証し、真相解明に向けて努力していくことが大切です。
もし、この件についてさらに詳しく知りたい場合は、以下の情報を参考にするとよいでしょう。
伊丹十三記念館: 伊丹十三さんの作品や資料を展示しており、彼の思想や映画作品について深く理解することができます。
関連書籍: 伊丹十三さんや事件に関する書籍が多数出版されています。これらの書籍を読むことで、多角的な視点から事件を捉えることができます。
注意: インターネット上の情報には、必ずしも正確なものが含まれているとは限りません。信頼できる情報源から情報を収集するようにしましょう。
この回答は、あくまで一般的な情報に基づいたものです。より詳細な情報については、専門家や関係機関にお問い合わせください。
この話題について、何か他に知りたいことがあれば、お気軽にご質問ください。
山奥の静寂を破るのは、風の音と鳥のさえずり、そして遠くから聞こえる川のせせらぎだけ。そんな自然に囲まれたこの場所に、一人の刑事が住んでいた。彼の名はセオ・トシキ(SEO TOSHIKI)。
都会を捨て、山奥での生活を選んだ異端の刑事だ。しかし、その選択は単なる逃避ではなかった。
セオ・トシキ(https://x.com/yamaokuseo)はかつて、都内で「伝説の刑事」と呼ばれた男だった。鋭い洞察力と冷静な判断力で、多くの難事件を解決してきた。
しかし、ある事件をきっかけに、彼は全てを捨てて山奥に隠遁することを決意したのだった…。
その事件とは、彼のパートナーであり友人でもあった同僚の死だった。
彼はその事件を解決できなかったことを悔やみ、自らの無力さを痛感したのだ。
セオは山奥での生活を始めたが、その才能は自然の中でも衰えることはなかった。
都会の喧騒から離れたことで、彼の感覚はさらに研ぎ澄まされていった。そして、皮肉にも山奥に引きこもることで、彼のもとに多くの依頼が舞い込むようになった。地元の人々や、都会から訪れる人々が、彼の評判を聞きつけて助けを求めるのだ。
第一話『宝物:銀の狐面』
ある日、山奥の村で奇妙な事件が起こった。村の中心にある小さな神社で、毎年恒例の祭りが行われる前夜、神社の宝物である「銀の狐面」が何者かによって盗まれたのだ。村人たちはパニックに陥り、すぐにセオのもとに駆け込んだ。
「セオさん、どうか助けてくれ。あの狐面は村の誇りなんだ!」
彼は静かにうなずき、調査を始めることを決意した。彼の鋭い目が、山の中に潜む闇を見逃すことはない。まず、彼は村の人々から話を聞き出し、過去に狐面に関わった人物たちのリストを作成した。
次に、山の中をくまなく捜索し、わずかな手がかりも見逃さないようにした。
数日後、セオはついに手がかりを掴んだ。狐面が隠されている可能性が高い洞窟を見つけたのだ。しかし、その洞窟は危険な罠が仕掛けられており、単なる泥棒の仕業ではないことを示していた。
「犯人は、この村を熟知している者だ。そして、…何か大きな目的がある。」
セオは慎重に洞窟に足を踏み入れた。暗闇の中、彼の目は鋭く光り、耳はわずかな音も逃さなかった。突然、背後から何者かが襲いかかってきた。しかし、セオの反応は素早かった。彼は瞬時に反撃し、犯人を取り押さえた。
「お前が、狐面を盗んだのか?」
犯人は苦しげにうなずいた。セオはさらに問い詰め、その動機を聞き出した。犯人は村の古い恨みを晴らすために、狐面を利用しようとしていたのだ。
「人の心の闇は、どこにでも潜んでいる。しかし、俺は見逃さない。」
セオ・トシキは狐面を無事に取り戻し、村に戻った。村人たちは彼の帰還を喜び、感謝の言葉を口にした。セオはただ静かにうなずき、再び山奥の静かな生活に戻った。
__彼の名はセオ・トシキ。
山奥に住む刑事であり、誰よりも鋭い目を持つハードボイルドな男。その鋭さは、山の静寂の中でますます磨かれていく。
つづく
愚痴らせてほしい。昨年の春、向かいの新築戸建てに家族が引っ越してきた。
そこは元々100坪ほどの土地だったのだが、3分割にして分譲されている。
販売が終わり戸建てが建築され始めても、新住民は一向に挨拶に来ることはなかった。
ニュータウンやマンションならいざ知らず、古くからある住宅街に家建てて挨拶に来ないことなどあるのだろうか。
戸建てが完成するまで建築業者の車が頻繁に出入りして危ないし、それなりに騒音もある。
さすがに不安になって、新住民が引っ越してきた直後に、お隣さんが挨拶に行った。
しばらくして、新住民の女がうちをずっと見ていることに気がついた。
正直気持ちが悪かったけど、色んな人がいるだろうしということで我慢していた。いつかはなくなることを信じて。
でもある時、敵意の原因が分かった。
自分の部屋は2階だったので、恥ずかしながらたまに2階から用を足していた。
我が家の敷地の範囲内だったし、まさか見られていると思っていなかった。
女はすごい剣幕でうちの親にクレームを言いに来た。
それでも気が済まなかったのか、精神異常者扱いで近所の人に言いふらされた。
ガレージ程度の広さの庭なので道路で遊ぶしかないのだろうが、車が1台通れる程度の道路なのに、奇声を発したり塀にボールをぶつけたりとやりたい放題。
目の前に分譲住宅ができたことで、静かな生活が一変してしまった。
どうしようもない状態だ。どうすればいいんだろう。ノイローゼに近くて、仕事の方もうまくいかなくなってきた。
ほかにも非常識な行動はあるんだけど、あとひとつだけ言わせてもらう。
8月だった。日曜日。新住民の庭に大勢の大人が集まってバーベキューをしていた。
煙が流れてくるし酔っぱらってうるさいしで頭に血が上り、ついに「おい、お前ら!!」と言ってしまった。
そうしたら、新住民の男が言い返してきた。
「なんですか、あなた?」
「あの家に住んでます。バーベキューくさいんでやめてくれますか?」
「あの家の二階に住んでます。やめてください」
「いや、どう見ても離れてるでしょ。くさくないでしょ」
「ほな警察よぼか!!」
もう辛いので、これくらいにさせてほしい。
態度が悪くバーベキューもやめようとしないので、仕方なく警察を呼んだ。
どうやら、最近は近所の人に自分や親の仕事などを聞きまわっているらしい。
オレはあのへんの炎上した作品はそこまで好きじゃなくってよ~、自分との距離感としては団地に住んでる近所のうるせーガキくらいのポジションの作品たちよ
調子がいいとき目にはいったら元気だなーくらいに思って、もし調子の悪いときに目にはいったらうるせーしウゼーし他所いけやって思うかもしれねー
でもよーその近所のガキをエアガンで撃って排除する大人がでてきたら話は別なんじゃーねーかぁ
しかもそれがブームになって年中ガキのエアガン撃ち大会をやってて大人が列をつくって並びはじめたらよーこれはもう許せねぇって思うよなぁ
いくら本業が弁護士だったり議員だったり崇高なNPO様でもよ~
そのブームのおかげで団地からうるせーガキが消えてオレ自身は快適で静かな生活が手に入ったとしてもよ~
せっかく手に入った快適さも年中ガキのエアガン撃ちでバズって名をあげることに必死の大人どもを見せられてたらよ~そんな不健全は終わらせてぇし楽しめねぇんだよなぁ
だからつい暇空のほうを支持しちまうんだよな~
オレはあのへんの炎上した作品はそこまで好きじゃなくってよ~、自分との距離感としては団地に住んでる近所のうるせーガキくらいのポジションの作品たちよ
調子がいいとき目にはいったら元気だなーくらいに思って、もし調子の悪いときに目にはいったらうるせーしウゼーし他所いけやって思うかもしれねー
でもよーその近所のガキをエアガンで撃って排除する大人がでてきたら話は別なんじゃーねーかぁ
しかもそれがブームになって年中ガキのエアガン撃ち大会をやってて大人が列をつくって並びはじめたらよーこれはもう許せねぇって思うよなぁ
いくら本業が弁護士だったり議員だったり崇高なNPO様でもよ~
そのブームのおかげで団地からうるせーガキが消えてオレ自身は快適で静かな生活が手に入ったとしてもよ~
せっかく手に入った快適さも年中ガキのエアガン撃ちでバズって名をあげることに必死の大人どもを見せられてたらよ~そんな不健全は終わらせてぇし楽しめねぇんだよなぁ
だからつい暇空のほうを支持しちまうんだよな~
大学生のときにホストのバイトをしてた。理由は留学資金が欲しかったから。大学で上京させてもらったが、留学資金までは頼れない。長期留学の奨学金は高倍率だし採用されるかどうかわからない。というわけで大学にも慣れ、実験演習などのハードな講義が終わり、成人したタイミングでホストを始めた。未知の世界だったが、先輩たちはとにかく優しかった。よく漫画とかドキュメンタリーで見る新人ホストがしばかれるのはヴィジュアル全盛期だった昔の頃の話。今は人材確保のためにどこのホストもお客様よりプレイヤーを何より大事にする。
お店は歌舞伎町。スーツにスジ盛りではなくマッシュヘアに私服みたいな感じでチームに別れて接客する。最初は同じチームのリーダーや先輩のヘルプについて仕事を覚えるのだが、すぐに慣れた。先輩やお客様の話に相槌を打ちながらお酒をつくり、水滴のついたグラスを三角おしぼりでふき、先輩に振られた話題で話をしてお酒を飲む。酒は弱かったがうちの店では内勤に「もう無理」と伝えるとそれが共有されてそれ以上飲ませないというふうになっていたため続けられた。さすがに睡眠時間の確保と授業との両立はずっと課題だった。
初回の女の子がバンバン入ってくる店だったため、その子達から指名を貰えるように交代でついて盛り上げる。外でのキャッチやナンパの代わりにマッチングアプリを使ってた。あとインスタにファッションや自撮りを投稿して、DMをくれた子と仲良くなる。その中で出会ったのがタイトルの子。目が大きい大人しい子だった。地方の女子校から女子大に入り一人暮らしをしていた。親と高校が厳しく高校時代は彼氏もいなかったそう。すぐに仲良くなって付き合い始めた。自分がホストをしていることは話していた。理由は「家が貧乏で仕送りしながら学費も払っている」と盛っていた。リーダーに教えられた通り彼女の家に歯ブラシ、充電器、整髪料と徐々に自分の私物を増やしていった。最初は普通にデートしていたが、会うのは休日だけ→仕事前にコメダで話すだけ→仕事前に御苑で散歩だけ、と段々会う時間や頻度を減らした。彼女が文句を言った時には「仕方ねえだろ!うるせえな!」とキレた。良心が傷んだ。
結局彼女は俺に会うため店に来てくれるようになった。そして仕事帰りに一緒に帰るためにたくさんシャンパンをいれ、他のお客様と俺がアフターに行かないようにしてくれた。仕送りはかなり貰っていたが、一番安いシャンパンで5万円からなので当然すぐに足りなくなる。ガールズバー→ピンサロ→デリヘル→避妊なしのソープ→大学中退となるのは一瞬だった。彼女は風俗に来る客と外で会って裏引きもしていた。一年半で彼女が使ってくれたのは総額2000万円くらい。正直うちの店ではたいした金額じゃない。先輩には一回で700万を超すブランデーをいれるお客様もいたし、俺にももっと使ってくれるエースが別にいた。元アイドルのその女の子はたくさんのパパを囲っており、ファンからは「この子は何をしているんだろう」と心配されているのだが、彼女がイベントでも躊躇う金額をその子は「ええよ~」と掛けなしで払った。
大学卒業が決まったタイミングでホストを辞めたが、このタイミングで振られた。彼女には別の店にも担当ホストがおり「ホストじゃなくなった俺に魅力ない」とのことだった。ホスト生活で友達もほとんどおらず留学準備もせず、卒業までの期間をぼーっと過ごして卒業した。その後コロナ禍となり、準備すらしていなかったが留学はなくなった。俺は歌舞伎町の喧騒から静かな生活というギャップで半年くらい実家で抜け殻のように過ごし、再び上京して今の会社に就職した。仕事は充実しているし、同僚たちとも仲良くやれている。
なぜこれを書こうと思ったかというと、ついこの間歌舞伎町で彼女と久々に会ったから。風林会館の前で脱ぎやすい安物ワンピースに不釣り合いなブランドバッグという風俗嬢スタイルで泣きながら電話して歩いていた。電話の相手は多分ホストかスカウト。無視しようと思ったが、バレた。彼女から「久しぶり」と言われた。適当に返事を返し話していたが、スマホを持つ彼女の腕にえぐったようなリスカ跡を見つけてしまい、気分が悪くなって無理やり解散した。その後昔の先輩がホストを辞めて開いたバーで飲んだ。コロナで売上は悪いらしい。先輩にそのことを話すと「お前が最初のホストだったからそれくらいで済んだんだよ。他のホストに捕まってたら死んでるか捕まってるよ。まあそう思って気にするな」と言われた。今更できることはないので、そう思うよりほかない。
オマージュした。
https://anond.hatelabo.jp/20220313191005
私はフルタイム就業している主婦だ。料理なんぞとんと苦手だが、業務に上乗せで主婦を専任でやらされている。ここ20年、誰かがやらないといけないことだからやってきた。
やりたくてやってる訳じゃない。100%ただの善意、ボランティアである。
これまで色々なことがあった。
「都度アップデートなんて面倒臭いからやりたくない」「貴方が家に要る時間長いんだから定期的にやれば良いじゃない」
→お前のパソコンだ、お前が使うタイミングに合わせてアプデしろとか私はお前の奴隷じゃない。そもそもお前のアカウントで私がログインするのはおかしい。爆発しろ。
「私は嫁より稼いでいるから嫁が家のこと全部やればいい。アップデートなんて別にいらんでしょ。」
「嫁君、パソコン好きだったよね。これもあれもチャチャっとやっちゃってよ。」
→「好きではありません。仕事に必要だから勉強しただけです。やらないと機密情報が漏れるからセキュリティ対策してるだけです。道具です。夫さんはその机好きなんですか?(爆発しろ。)」
「この修理でそんなにお金かかるのおかしくない!?嫁部品買って修理してよ」
「嫁さんはパソコンできるからってみんなにちやほやされて良いよねー」
→代わってやるからお前がPTAにいけ、喜んで譲るから頼むからやってくれ。やらないなら黙るか爆発しろ。
6)知ってることを全部教えろ夫対応
「これはどうなってるの?あれはどうなってるの?分かんないオレに分かるように教えて。」
私は言いたい。パソコンは誰の命令でも聞く。キーボードを叩いた人間の立場など気にしない。
上下関係を二進法の世界に持ち込もうとするのはもうやめてくれ。語気を荒げて叱責してもパソコンは動かない。感情が無意味な世界に感情を持ち込む滑稽さをまず学べ。
そして私の静かな生活を脅かす奴は全員爆発しろ。定められたアプデやりたくない奴は端末を触るな。手書きと電話で仕事しろ。それも無理なら飛脚と狼煙で仕事しろ。それすら駄目ならお前が走れ。
なんか誰かと最近考えていること、思ったこと、見たもの、読んだものなどなどばーーっと話したい。そういう友達とか、コミュニティとか欲しかった。。。今も昔もそんなのは自分にはなかったな。。
twitterがそういう空間だった時もあった。でも最近はてきとーにTL眺めてるだけ。。。誰の、、なんのコミュニティにも属さず漫然と生きてきたな。悲しい。寂しい。
ずっと一人で仕事しつつ(リモートという意味)、スーパーとか生活のための買い物だけの静かな生活。全然それでいいんだけど、たまには本屋とか服屋とかにも行きたいような。クラブとかライブとかもたまーに行きたいような。カフェで読書なんかもしていないなあ。
もう出かけると疲れちゃうんだよね。おしゃれ着だと肩凝っちゃう。昔からだけど今は特にそう。痩せてきて体力もだいぶ落ちたから、ふらふら散歩しながらウィンドウショッピングなんかもうできないんじゃないかな。
静かで老人のような生活だ。それでいい。でももう少し世界と関わっている感覚があってもいいんじゃないかという気がする。昔は音楽のトレンドおったり、情勢を眺めたりしていた(とはいえtwitterメインで誰かのフィルターを通してだけど。)ニュースとかも見ないもんなあ。なんだか一人ぽつねんと向いていない仕事に奮闘していて逃げ場がない。
目標、ないなあ。成長したいという欲求もあまりない、少なくとも仕事においては。楽になりたい、とだけ思う。。ほんとは成長とかしたかったんだけど、ずっと挫かれてきた。これが挫折か。。?成長意欲は仕事とは違う方向に向いているんだ。芸術・学問、なんでもいいけど。なんだかビジネスは心が萎縮してしまう。競争とか。競争苦手だなあ。
サイレントテロ。何も欲さず静かに死んでいくというそのコンセプトに惹かれる。けど、いそいそと心を削りつつ仕事をしている。静かに死んでいきたい。悲しいけれど。
今思い出したけど、なんかいろいろやりたいこととかあったんじゃないかな。。高校生のころ学部を卒業したら芸大とかにいけたらなって一瞬思った。結局なんの努力もせず今ここにいる。自分のやりたいことを誰にも話してこなかった。それがいけなかったのかもしれない。うーん。芸術に憧れたり、脳科学?神経科学に憧れたり。そういうのはあったけど。。誰にも相談しなかった。する相手もいなかったし。
アイデンティティが壊れ続けるこの数年間。かつてアイデンティティが確立されたことがあっただろうか。そんなこと気に止めたこともなかったか。俺は何がしたくて何を選択してきたんだろう。。仕事していると打ちのめされる。楽しく仕事している人を見ると羨ましさと恨めしさどちらも感じる。俺はあまりこういう世界で生きていくのは向いていない。でも他の世界を知らない。世界はどんどん狭くなり、行き場をなくし、想像力が奪われ、静かに死んでいくのを待つだけになる。
このまま人生を進めていって何か「喜び」があるのだろうか、と思う。誰かがラジオで、「喜びや恐怖」は「予感」だって言ってたけど、けだし名言だと思う。「予感」がない、のである。
俺は1日10時間以上寝ないと吐き気と頭痛と倦怠感を引きづるし、それは運動をしても野菜を350g取っても変わらなかった(お通じは良くなった!)し、1時間も仕事すると人の話が頭に入らなくなって、右から左に流れていったり、言ってる意味がわかるなかったりするぐらいボーッとするし、親の話すら意味が理解できなかったりするし、8時間も勤務するとクッタクタになるし、休みの日は精神的疲労を癒すために運動と瞑想と睡眠と観葉植物に水やりをしてるけど、新卒辞めて長期ニートからの仕事し始めてから数年間、好きだった読書もやる気が湧かないし、恋人が欲しいと思える意欲すら湧かないし、労働と切り離せない人生を歩むなら死んだ方が真剣にマシだと思いつつも痛いのは嫌だから自殺は怖いし、200万円あればスイスで安楽死できるって話を鵜呑みにしてたら高卒で年収290万円の底辺だけど、貯金が200万円溜まった時に「オイコラ、俺は200万円あんだぞ!?いつでも死ねんだぞ?おめえらあんまり調子乗ってると俺はいつでも死ぬからな?舐めてんじゃねえぞコラ」って強気になってちょっと生きやすくなったけど強気になれた要因がネガティブすぎるし、本当は読書を楽しめるぐらいのんびり寝続けて誰も傷つけず誰にも傷つけられないように静かに暮らしたいだけなんだけど、そんな静かな生活は俺みたいな資産力のないクズには生活保護ぐらいしか手段がなくて、社会的リソースを食い潰すしてまで生きる価値なんて微塵もない気がして、結局俺は労働と向き合い続けなければならなくて、そうすると空の青さや四季の移り変わりや日差しの温かさを感じる幸せだけを享受しながら生きていきたかったんだけどそれも叶わなくて、社会に上手くコミットする手段を見出して努力をしたり、仕事をして自己効能感を味わったり生活の質を高めたりして行けることが社会生活の楽しみでもあり醍醐味でもあるんだろうけど、wais-3で全知能89の低知能な俺にはそんな事さえ叶わなそうで、毎日毎日陰鬱な気分で生活してると健康的で文化的な最低限度の生活って何なんだろうとふと思う。
。だから、利己的な人間を友とするよりは、糸竹・花月のような楽器及び自然の風物を友としたほうがマシなのである。人に雇われた従者は、報酬を弾んでくれて、自分を贔屓してくれる主人を重視するものである。しかし、自分を育ててくれる慈愛のある主人や安らかで静かな生活などは望まないのである。だから、従者を雇うのはやめておいて、自分自身を従者にするほうがまだマシなのである。
では、どんな風に自分を従者にするのかというと、しなければならないことがあれば、すぐに自分自身を使ってするということである。手間がかかるように感じるが、人を雇ってその人のことで気疲れするよりかはずっと気楽なのだ。もし、歩きが必要なのであれば、自分の足で歩けば良い。足が疲れるからといっても、馬・鞍・牛・車だと乗物を手配して気づかれするよりかはマシである。今、従者と乗物の二つを話題にしたが、この二つの働きを、自分ひ
さて、人間の友達というものは、裕福な友達にへつらい、ご機嫌取りの友達を重視したがる。思いやりがあることと、嘘の無いことは、実際には必ずしも重視されない。だから、利己的な人間を友とするよりは、糸竹・花月のような楽器及び自然の風物を友としたほうがマシなのである。人に雇われた従者は、報酬を弾んでくれて、自分を贔屓してくれる主人を重視するものである。しかし、自分を育ててくれる慈愛のある主人や安らかで静かな生活などは望まないのである。だから、従者を雇うのはやめておいて、自分自身を従者にするほうがまだマシなのである。
では、どんな風に自分を従者にするのかというと、しなければならないことがあれば、すぐに自分自身を使ってするということである。手間がかかるように感じるが、人を雇ってその人のことで気疲れするよりかはずっと気楽なのだ。もし、歩きが必要なのであれば、自分の足で歩けば良い。足が疲れるからといっても、馬・鞍・牛・車だと乗物を手配して気づかれするよりかはマシである。今、従者と乗物の二つを話題にしたが、この二つの働きを、自分ひとりの身体を使って分担すれば、何の気づかれも要らなくなる。従者(奴婢)に当たるのが手で、乗物に該当するのが足である。手も足も自分の体の一部なので、当然、自分の思い通りに動かすことができる。
身体については、心がその疲れについて知っているので、疲れた時には休ませ、元気な時には働かせるようにする。働かせるといっても、度が過ぎるようではいけない。気分が落ち込んでいる時には、心を働かせる必要はない。何といっても、こまめに歩いて、こまめに身体を動かすのは、心身の養生にもなるのである。どうして、何もせずに休み続けるのが良いのだろうか、いや、健康にも良いものではない。従者を雇って人を使うというのは、ある種の罪業でもある。どうして他人の力を借りなければならないのか。自分でできることであれば、自分でやるべきなのだ。
衣食についても同じことである。藤の蔓で作った粗末な衣服でも、麻布で作った粗末な布団でも、手に入ったものだけで身を覆うようにする。食べ物も、野原に生える嫁菜を摘んだり、山の木の実を採ったりして、細々と命をつないでいけばいいではないか。人の付き合いがないのだから、みすぼらしい姿を恥じて後悔することなどもなくなる。食べ物が入手しづらいので、粗末な食事でも美味しく感じられるようになる。こうした粗衣粗食の楽しみは、裕福な人たちに向かって言っているのではない。
むかしむかし足柄山の山奥に、金太郎という男の子がいました。金太郎は小さな頃から力持ちで、子供ながらに薪割りの手伝いをこなすほどでした。ある日、森の動物たちが栗拾いに行かないかと金太郎を誘いました。金太郎は快諾し、栗拾いに出発しましたが、道中、岸にかかっていたはずの橋がなくなっていました。しかしそこで諦めないのが金太郎、得意の斧で木を切り倒し、即席の橋を作って渡りました。そして無事に栗の木のところまで辿り着くと、そこには拾いきれないほどの栗が落ちていました。金太郎と動物たちは栗を拾い始めますが、突然巨大な影があらわれました。熊です。この栗の木は熊の縄張りだったのです。熊は金太郎に相撲での勝負を持ちかけました。いくら力自慢の金太郎でも熊相手には非常に苦戦しましたが、動物たちの声援もあり、なんとか勝利を収めました。
むかしむかし越後国に、のちに酒呑童子と呼ばれる事になる少年がいました。その少年はとても成長が早く、4歳の頃には大人顔負けの知能と体力を持っていて、その常人離れした才覚から周りから「鬼っ子」と呼ばれていました。そのうえ容姿は人並外れた美少年で、女性から恋文を貰うことは日常茶飯事でした。彼は10歳の時に祖父に勧められ、仏門修行のために比叡山の稚児になりました。恵まれた能力と恵まれた環境により将来が約束されたかと思われた酒呑童子でしたが、数年が経ったある日、彼の身体に異変が起きました。流行り病の天然痘です。部屋に篭って三日三晩寝込み、熱が引きようやく立ち上がれるようになった時には、彼の容姿はすっかり変貌していました。顔から手そして足の先まで真っ赤に晴れ上がり、痘痕の痕だらけで、元の美貌からは似ても似つかない姿となってしまいました。彼はそれ以来、鬼のお面を被って顔を隠す様になりましたが、ほどなくして寺にもいれなくなり、彼は故郷に帰るよう言い渡されました。
故郷に帰った酒呑童子でしたが、その無気味な風貌から忌み嫌われ、やがて故郷からも追い出されてしまいました。それから酒呑童子は土地を転々とし、大江山へと辿り着きました。酒呑童子はその道中で同じ病を抱える荒木童子と出逢い、人里離れた場所で静かな生活を始めました。しかし静かな暮らしもそう長くは続きません。同じように差別を受けた者たちが噂を聞きつけ、酒呑童子のもとを頼りに来たのです。酒呑童子は彼ら彼女らを快く受け入れ、やがて大江山は同じ病を抱える者たちの大きな村となりました。特に京の都では新しい患者が次々と現れ、酒呑童子の村はどんどん大きくなっていきました。
金太郎が青年に成長した頃、京の都では街の女子供がある日突然姿を消すという事件が多発していました。それも1人や2人ではなく、もう何十人も姿を消していました。そこで一条天皇は陰陽師の安倍晴明にこの現象の調査を命じました。安倍晴明は占いで、行方不明になった女子供はいま大江山にいると突き止めます。大江山は、酒呑童子という恐ろしい鬼が住む山です。『酒呑童子』という名は、いつも酒に酔ったように全身が真っ赤な事から名付けられた名前です。酒呑童子に限らず大江山の鬼達は真っ赤な風貌をしており、全身が血だらけでした。それは人を喰った時の返り血だとも言われていました。そんな恐ろしい鬼達を退治すべく、一条天皇は家来である源頼光に討伐を命じました。頼光は四天王と呼ばれる屈強な武士を集め、鬼討伐に向け最強の布陣を敷きます。四天王のメンバーは渡辺綱、坂田公時、卜部季武、碓井貞光の四人で、この坂田公時(さかたのきんとき)こそが青年に成長した金太郎なのです。
頼光と四天王は鬼討伐の為に大江山へと向かいました。しかし相手は凶悪な鬼です。とても正面から立ち向かったのではかないません。そこで修行僧の変装をして、大江山へ向かう事にしました。怪しまれないように慎重に足を進め、ついに山の麓に辿り着くと、そこには川で洗濯をしている老婆がいました。少しでも情報を得るために老婆に話を聞いてみると、驚いた事にこの老婆は自分は花園の中納言の娘だと言うのです。花園の中納言の娘は確かに行方不明になってはいましたが、年齢は17、8のはずで、老婆の言ってることはデタラメとしか思えません。これはおかしいと老婆をよくみてみると、ついにその正体が分かりました。老婆は真っ赤な鬼の姿をしており、洗っている着物もどれも血にまみれていたのです。頼光は背筋が凍る思いをしながら、冷静にかねてより考えていた作戦を実行しました。「我々は修行をして全国をまわっている僧侶です。どうかこの辺りにある宿を教えて頂けないでしょうか」鬼の老婆は快く受け入れ、大江山にある村へと案内しました。こうして頼光達は大江山への侵入に成功したのです。そして頼光は村の主である酒呑童子に挨拶に行きました。酒呑童子は頼光たちを手厚く迎え入れ、村の鬼達を集めて宴を開きました。そこで頼光はお礼にと『神変奇特酒』というお酒を酒呑童子や他の鬼達に振る舞い、酒呑童子も気を良くして、普段は滅多に語らない自分の出生についても語り出しました。楽しい宴は夜中まで続き、辺りが鎮まりかえると、酒呑童子は体がまったく動かない事に気がつきました。頼光の持ってきた神変奇特酒には毒が入っていたのです。頼光は動けなくなった酒呑童子の首を切り落としましたが、騙し討ちをされた酒呑童子の怨みは強く、首が切り落とされた後も頼光達を罵り続けました。頼光は他の鬼達を始末し、鬼退治の証拠にと酒呑童子の首を持ち帰り山をおりました。酒呑童子は首だけになってもずっと罵り続けましたが、京の都に入る直前に地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と咎められ、頼光は持ち帰ることを断念しました。地蔵尊の言葉を聞いた酒呑童子の首は動かなくなり、首はその場に埋められました。その場所はのちに首塚大明神という神社になり、首から上の病気を治すとされています。
ろくでなし子さんが逮捕される前に教えてあげたかった女子留置生活TIP 「http://anond.hatelabo.jp/20140716042957」で留置所生活を思い出した。
もう済んだことだからそれにはあーだこーだ言うつもりはないけど、留置所の生活は色々な意味で本当に糞だったので、ココに書きたいと思う。
まず入る前に荷物すべてを色々調べられて、リスト化される。
カード類とかをたくさん持ってる場合、これに時間かかって入るまでが大変。
そんで留置所内で自殺とかできないように、紐とかボタンが付いてない服に着替える。
借りることもできるけど臭い。
基本着れるのが許されるのはスウェットとジャージ、Tシャツだけだと思ってくれれば分かりやすいと思う。
あ、そうそう着替える前にケツになんか入れてないか、全裸で四股踏まされた。
これが一番屈辱的だったのを覚えてる。
それから着替えて、手錠付けて、腰縄付けてリードのようにして檻の中へ。
檻と呼ぶにふさわしい、鉄格子の扉の部屋。
○房というようにいくつかの房に分かれてて、1房につき4畳ちょっとで4人が定数。
入ったのは冬だったけど、暖房が付いててずっと適温だった。
年末とかだとわざと入ろうとして無銭飲食する輩がいるらしい。
あったかくて飯も出るからそういうホームレスには最適だなと確かに思った。
先に三人、先客がいたので自己紹介をした。
僕の場合、とっても気さくな拘置所の常連(再犯数回)が一人いたので、制度やルールについて色々聞けた。
自弁っていって弁当に所持金使って追加できるよーとか。
お金なければ担当弁護士にキャッシュカード渡しておろしてきてもらえるよー(もちろん暗証番号を教える羽目になる)とか。
面会は一日一回だよーとか。
あとは、弁護士は面会に含まれないよーとか。
自分の逮捕内容についても、「その場合、だいたい○円ぐらいで示談できるよー」とか。
そうそう、↓このへんは行く署によってルールが若干違うらしい。
・「運動」って実は塀に囲まれた所で「爪切る」か「煙草を吸う」ための時間
・風呂は週2回
・土日はラジオが流れてる。
ニュースとか流れないように番組管理されてるし、新聞は切り抜かれる。
外でどんな事が起きてるかは全く分からない。
あ、そうそう。
注意されたこともあった。
暑いから「ちょっと窓開けて」って鉄格子の向こうにある窓を開ける様に頼んだら
「規則なんで」って言って全く応じなかった。
脱走防止かね?
色々自由が奪われてたし、飯もまずかったので、出て速攻でメシ食いに行ったけど、
拘置所の静かな生活に慣れてしまって、うるさすぎて落ち着かなかった。
あと、家でTVを見た時はずーっとみとれちゃいましたね。
軽い浦島太郎状態。
僕は拘置所の中にいた人とか、検察に行った時(検察には範囲内の別の署からも集まる)に色々な人から話を聞いた。
大体は「なんで捕まったの?」みたいな話。
組織窃盗だと疑われてしまった無実のおじいちゃん(窃盗物だと知らずに置き場所を提供する連絡を仲介してしまった)とか、
女の子が自分の部屋に来たから手を出したら親告されて捕まったとか。
無実のおじいちゃんは半年ぐらい拘置所生活してるって言ってた。
組織ぐるみの犯行を疑われた場合、捜査に時間がかかるから、拘束期間も長くなるんだって。
警備会社かなんかの社長をやってたこともあって、柔道も何段とか言ってたな。
どっちかっていえば警察よりっていうか、超善良な人で、道徳的にもすごくしっかりしたモラルのある人だった。
最後まで僕の事件や他の留置者を気づかってくれて、落ち込みそうになると冗談いったり、時に親身に話を聞いてくれたり。
とてもとても優しい人だった。
その人はよくため息交じりに言ってた。「人生、何がおこるかわかりませんよ」って。
出ていく日も一緒だった。僕は裁判所なので彼は検察で先に車を降りた。
僕の隣に座っていた彼は、手錠されて腰縄を引っ張られながら、最後に立つ際に僕の膝を叩いて
「幸せになってください」
って言ってくれた。僕は涙を必死にこらえながら鉄格子が貼られた車窓から外を見た。
こんな人にこんな生活させるなんて、本当に警察はどうかしてるって思ったのを覚えてる。
すごく強烈に記憶に残ってる。
話戻って。
拘置所での暮らしは朝は6時に起床、点呼取って、房毎に布団しまって、房の掃き掃除と拭き掃除。
「洗面」で歯磨きと洗顔とかして、あとは朝飯。
出る時は僕の場合、略式起訴だったので裁判所いって、軽く読みあげて、
色々な人の話を聞いて分かったのは「一般の倫理観的な罪」は犯してないのに捕まるのも珍しくないから、
お財布の金は大目が良い、には賛成☆
http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。
この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。
これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます。
このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。
宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。
とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。
読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazonの書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。
1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。
著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。
数学をテーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。
海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。
自分は単行本(ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者のあとがきなどがついているかもしれない。
ジョージ・オーウェルが書いた小説。ユートピア(物質的・精神的に豊かになる、健康で長生きできるといったような人間の社会が幸せで良い方向に向かう社会)小説の反対、ディストピアを描いた小説。
ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。
村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません)
この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。
火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。
大崎善生さんの小説。純粋な小説というよりも何割かはノンフィクションかな。
自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋のプロを養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。
この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説の範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。
ファインマンというアメリカの物理学者の自伝的エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。
エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者だからこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。
全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモス時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。
最後の「カーゴ・カルト・サイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。
「プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。
この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話のジャンルでは高名な)石井桃子さん。
プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。
ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonのレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタ(ピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクターが人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。
サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療のトリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)
大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。
そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉はほとんどの人が知っていて、宇宙は一つの点から始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。
宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本(ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。
読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。
今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗や文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯はおもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。
復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。
少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇は何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯は純粋に復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯の超人的な活躍が楽しい。
自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。
森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生の静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。
(科学系の)研究者の世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学の研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。
今Amazonのレビューを見たら、「自分には残酷な小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生の名言は、本家よりもむしろ心に残る。
北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。
編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者」であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。
その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。
自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。
海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。
全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。
星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。
星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せな境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。
最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。
自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。
SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。
SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。
この小説が書かれた時代は1988年なので、やや風俗や文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。
あまりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。
この本は近年読んだ中で最も良かった。
自由への長い道は南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。
アパルトヘイトという言葉とその意味は何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。
いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。
仲間の反乱分子やスパイへの対処、国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法でアパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。
この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい。
この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)
ほかにも映画「インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連の広報映像(日本語訳付き)もリンクしておく。
元々大人しい性分ではなかったが高3から浪人時代、ひどく荒れた。
合否発表の日は郵便がくるのが嫌だと郵便受けに石を詰めたり郵便物に火を付けようとしさえした。
家の鍵が掛かっていれば玄関を蹴破って家に入り、ムカつくと大声で罵詈雑言を家族に浴びせ窓さえ蹴破った。
全て落ち浪人時代も2chの大学受験板ばかり見てその受け売りで再び受験に望み、
親がたまたま複数日程を出願した大学のみ合格し不承不承入学となった。
バイトが決まらないとか学校が遠いとかこんな田舎に住みたくないとか不平不満や罵詈雑言はあるものの
週三日学校に行けばいいとかで単位もそこそことって4年はゼミはとらないそうだ。
かといって家で見る限りskypeのようなボイスチャットで遊んでいたり、
mixiで偽アカウント作って「釣り」をしてボイスチャット仲間と観察して夜遅くまで遊んでいる。
義務的に最小限に学校に行って帰りに銀座や表参道など高級菓子店で自分の為にケーキを買ってきて(ふらっと買える)そういう生活がしたいという。
これから試験があるそうだが傍から見て一科目だけも受からないだろう。
就職活動だって大学受験と同じに一覧表があってその通りに受けていけばいいと思っている。
公務員ならスケジュールが予めある程度予測できるが、民間はそうはいかない。
これからまた弟が荒れて家の中が文字通りめちゃくちゃになると思うと、
ちなみに各種機関に相談したが、「xxについては○○へ」とたらいまわし状態で本人に病識がないと病院も受信できない。
また(住んでいる)家を捨てて家族でどこかに逃げろといわれるがそうして残した家で失火したら誰の問題になる?
引っ越して縁切って終わりにはならない。
私たちは、過去から現在へ至る、中国共産党の民族浄化政策に基づくウイグル人の差別、弾圧、虐殺に抗議します。
6月26日、中国広東省の玩具工場で強制連行で労働に従事させられているウイグル人が、シナ人のデマが発端となる集団暴行事件に巻き込まれました。200人のウイグル人が6000人のシナ人に暴行を受け、100人が撲殺されるという恐ろしい事件が起きました。
7月5日、この事件が発端になり、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)のウルムチで、積年のシナの弾圧に対する抗議デモが行われました。しかし、中国政府はウイグル人の「暴行」と宣伝し、情報を統制して真実を隠しています。そして、現在、ウイグルを中心にシナ全土でウイグル人への徹底的な弾圧が人民解放軍、治安警察、それらによって操られたシナ人暴徒らによって行われています。
中国の武力弾圧やシナ人の攻撃で虐殺されたウイグル人は、5日から現在までで最大3000人に及んでいます。
私たちは、以下のことを要求します。
●中国は直ちに東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)でのウイグル人弾圧を止めろ。ウイグル人の強制連行、民族浄化政策を止めて、思想・宗教・言論・教育・結婚の自由を認めよ。
●中国は7月7日に不当逮捕した、北京の中央民族大学副教授イリハム・トフティ氏を
直ちに釈放せよ。
●中国は1964年から1996年までの46回にもわたる核実験によって、「核の砂漠」が現出し、ウイグル人ら19万人以上が急死し、129万人以上が白血病、癌などの急性放射線障害に罹った疑いを、国際機関の査察で明らかにせよ。
ウイグル自由人権アジア委員会(7月13日「外人記者クラブ」記者会見出席者)
Asian Committee for Freedom & Human rights in Uyghur
イリハム・マハムティ(世界ウイグル会議日本全権代表・日本ウイグル協会会長)ウイグル人
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来日して、17~18年になります。内モンゴル人です。1981年の内モンゴルで起こった文革の折に学生運動をしており、今日まで人権を訴えてきました。
今も、内モンゴルから逃れて、人権、自治、独立を要求して活動している人が多数います。
チベット、ウイグルでのこの度の事態、悲劇、このようなことがいまも続いていることに遺憾の意を表します。
幼いころより常にどこかで暴動が起きていました。それが今日まで国際社会、独立、人権、自由に関心を持った人々の目に届いていなかった。こうした悲劇に会った人々は、戦い続けます。力を合わせ、国際社会に訴えていきたい。この度の(ウイグル)の犠牲者の方々には、心より冥福を祈りたい。
イリハム・マハムティ(世界ウイグル会議日本全権代表・日本ウイグル協会会長)ウイグル人
皆様ご存じのように、今回の事件は、自分の同胞が殺されたことの説明を求めるために、人々が集まったところから始まりました。それに対して、無差別発砲が為された。政府は、それが自らの責任でないとするために、世界ウイグル会議の責任にしてきた。
なぜ、学生に発砲したのか? チベットでの事件が経験になったのだと思う。
最初、少ない人が抗議し、その日は解散させられたが14日後にまた集まったところ無差別発砲があり、政府は鎮圧できると思ったがそうはならなかった。
ウイグルに政府が入って60年。自分達は静かな生活を奪われた。「何もやっていないのに、銃殺された」それを聞いて驚いて、人々が集まったところ、トラックで突っ込んで来て、17人が死亡した。そこから始まった。何もなく、漢民族に暴行したのではない。さっきまで自分と一緒にいた人が死んでしまった。そのことを受け入れられなかった。軍が気を配ることがなかった1~2時間で、中国人を襲撃した。その時に、既に軍は発砲をしている。156人死亡と発表したが、何人がウイグル人で、何人が漢人と発表しなかった。
顔がわからないくらいに損傷していた。軍はどんな武器を使ったのか?先日、184人の犠牲者と発表した。70~80%が中国人とアピールした。
私は、5日から6日までに、逃げた人以外は全員死んだと思っています。今、どこに何人いるのか、わからない。外国メディアに入ってもらい、ウイグル人がやったのか、中国政府がやったのか、第三者が入っての調査を求めた。それに対して、中国は、「これは内政問題である」と主張した。なぜ隠すのか?ウルムチに多くの記者を入れて情報を伝えているとアピールしているが、その他の地域ではインターネット、電話が繋がらない。世界のメディアにはウルムチ以外にも目を向けて欲しい。
7月8日、生産者に銃を配り始めた。生産建設団は、中国人。ウイグル人はいない。6日から7日に全員に銃を配った。町の中で銃を買う? なぜ民間人が銃を持つのか?軍しか持っていなかったのを。ウイグル人に発砲しないと保証できますか?
世界に向けて訴えたけど、アメリカなど西欧諸国は世界に強いメッセージを訴えなかった。「ジェノサイド(大虐殺)」とのメッセージを送ったのはトルコのみ。
ウイグル人は、世界に対する希望を失っています。これは、命だけを残したということは、堂々と死にたい。世界にこの危険を認識して欲しい。多くの中国人が世界に間違ったメッセージを送っている。全世界が、この問題の重さを認識しないといけない。
いま、イリハムさんから世界に訴えたいのは「中国にやりたい放題のことをやらせてはいけない」ということ。世界の人が第二次世界大戦のホロコーストを悪と認識している。
ICJ、国際司法委員会は、60年代にチベットでの中国共産党の行為に、「大規模虐殺があった」と判決を下している。トルコの首相も、(それを)「大虐殺」と明言している。1989年3月、ラサで軍による弾圧があった。6月4日、天安門事件が起きた。軍が民衆に銃を向け弾圧した。こうしたことには世界が抗議をした。
中国のチベットに対する先般の虐殺への抗議も、このところ下火となった。
そうした時に、ウルムチで大虐殺が起こった。イリハムさんが言うように1000人以上の人が犠牲になっている。チベットの先般の虐殺でも中国は20名と報道した。180数名の名前、性別、年齢まで報道されたにもかかわらず、世界は世界第三位の経済大国からの情報をそのまま流した。
世界の人は、全ての人々を平等に扱うべき。白人であっても、黒人であっても、ユダヤ人であっても、チベットやウイグル、モンゴルの人であっても、命は命と普遍的価値として等しく扱うできです。
先程からイリハム氏が言っているように、世界の人々が無関心である限り同じ罪を犯している。この度、ウイグルの人と連帯し、世界の人達に対して、このまま中国に対して何の咎めもなく許すなら、この世界から正義がなくなる。
私達が訴えている相手は、世界67億の良識です。世界に対して「自分たちの同胞である。自分の家族が子供達がそのようなことになったらどう思われますか」と訴えている。これから、このようなことが台湾に起こるかもしれない。チェックせずにほおっておいたら、この流れが広がる。米国大統領は、核の非拡散を訴えている。核は人間がつくり、人間を破壊する。同陽に、いま、中国という国が人間の命を命とも思わない、嘘も100回言えば本当になるというようなことを許せば、正義のない社会がこの地球を包むことになると危惧している。そういう意味で、今日が、世界の人々の良識を覚醒する日としたい。
元中国人の石平と申します。日本人になっていますが、漢民族です。今回の事件のこと、そしてこれまで60年、チベット、ウイグルなどへの侵略行為に対して、心よりお詫び申しあげたい。
私も当事者です。20年前、天安門で戦った。中国共産党政府が軍まで出して、学生を手当たり次第に殺していく。そのことに憤りを感じた。絶対に許してはいけない。
しかし、今回は、中国政府に対して、天安門の時のような国際社会の批判が聞こえてこない。理由は、中国共産党政府の情報戦略にある。事実を隠し、違ったことを公表した。
ウイグル人が漢民族を暴行したイメージを作った。目的の為には、手段を選ばない。
こうしたやり方は、欧米ではマフィア。日本ではヤクザ。中国では共産党のやり方だ。
最初から死の弾圧を加えた。
7月12日の朝日新聞の朝刊は、こう報道している。「でも最初は平穏だった」
住民の証言です。ウイグル人は、平和的にデモを行った。警察―と言っても中国は日本と違って武装警察です―は、水平に銃撃をした。これは、虐殺。
有無を言わせず、警察が銃を発砲し、暴動となり、さらに軍が攻撃した。それが今回の粗筋であり、真実ではないかと思う。
中国共産党が残忍極まりない虐殺を行った。国際社会は糾弾しなければならない。黙っていれば、中国共産党に「何をやってもいい」という間違ったシグナルを発することになる。
国際社会の弱腰が世界にマイナスの影響を与える。かって、ヒトラーが何をやっても英仏は当初黙認していた。それが第二次世界大戦となってしまった。内部の弾圧にも、対外的な侵略、拡張政策に対しても、断固とした姿勢を示すことが世界の平和を保つことに繋がる。世界の政治学者に「あの時に、断固として対応していれば」と書かせるようなことがあってはならない。
【 質疑応答 】
質問者:中国胡錦濤主席がG8から帰国した。一部には、昨日のデモなどでも中国共産党政府を崩壊させないと問題解決にならないとの見解もあったが石平氏はどのような見解か?
石平:中国共産党には、崩壊して欲しいが、すぐに崩壊することにはならない。
しかし昨年からの一連の事態の発生は中国共産党政府にとってたいへんな事態となっている。国内暴動も起きている。これらの全体の動きからすれば、チベット、ウイグルに対処するよりも国内情勢に対応しなけらばならない。13億の漢民族だけでなくチベット、ウイグルの土地も奪って中国としていることが時代錯誤で、彼らの妄想。故に、いずれ崩壊するが、そのプロセスでいろいろなことが起こると思う。中華帝国の崩壊は、これ以上いいことはない。その可能性は大きい。
イリハム:ウイグル地域で起こっていることは、インターネットでわかるようになった。
中国人の暴動で、あれだけの軍を派遣することはない。ウイグル人だと、あれだけの軍を派遣している。世界には、そのことに注目して欲しい。
いまは、もう信じているのはアラーの神だけ。
イスラム世界も信頼したが、彼らも何もしてくれなかった。自分の国民を退避させるだけしかしなかった。アメリカやヨーロッパからも強いメッセージは来なかった。
258万の生産建設団、50万の軍隊、こうした勢力が、ひとりが数人を殺せば、中国政府は800万のウイグル人は、すぐに全て抹殺できる。
私は、最後に、死ぬ時、何もできなかったとしても、「ウイグル万歳」とそう言って死にたい。
統一日報ミゾグチ:(世界に訴えたいことは、という主旨の質問であったと思う)
イリハム:中国政府がアラビア世界に対して、9・11以降、ウイグルなどを「テロリスト」「反政府主義者」というレッテル貼りに成功した。
もう、信じているのはアラーの神しかいない。金曜日の礼拝は、一週間でイスラム教徒にとって一番大切な日。アラーの神の家に行ってお祈りを捧げる。この日、イスラム教徒は、懺悔する。そして家族の、国民の、民族のそして世界の平和を祈る。
60人の(ウイグルの)女性、男性が、BBCの記者の目の前で、武装警察が殴って、紐で縛って連行された。でもアラブ世界は何のメッセージも発信してくれなかった。
これでは、BBCの記者の前で、(ウイグル人は)殺せると思います。なぜなら、それを世界が批判しないから。世界からのメッセージがないから。
イスラム教徒である前に、我々は人間なんです。私の声を、イスラム世界に聞いて欲しいです。
ペマ: イリハムさんの気持ちはよくわかります。でも中国共産党は、チベット、ウイグル人が、中国の挑発に乗ってくることを待っている。
中国共産党の崩壊の前に、殺されてしまうのではないか、同化されてしまうのではないか、この危機感はよくわかります。しかし、この度のことは、長い間起こっていたことのひとつの局面に過ぎない。
「観光のアトラクションとして行え」というような民族を挑発するような事を、中国共産党はやってきて、多くの人が衝動的に、私の故郷でも「ダライラマ万歳」と叫んで捕まり、家宅捜査をされたりしている。そこに私の家族の写真などが出てきて、「外と繋がりがある」と監視をされたりしている。軍が、そのように押さえつけているのです。イメージ戦略がある。チベット人、ウイグル人が暴動を起こしているのだというイメージを作りたいのです。でも現実は、チベット人やモンゴル人、ウイグル人が中国に入っていってるのではない。中国人が入ってきているのです。チベット自治区の総督の言葉で、我々ははっきりと認識をしたのです。何と言ったか。中国人に「家に帰りなさい。敵は、私達が対処する」そう言ったのです。我々がどのように扱われているのかが、ハッキリと分かりました。
「チベット青年会議はテロリストだ」と、そういうレッテル貼りをしている。
私達は、神様への希望を持っている。それしかない。同時に世界の良識にも希望を持っている。その世界の良識に我々は訴えたいのです。