はてなキーワード: 性的な意味でとは
見た目が完全に平均的な女そのものだと警戒されにくい
見た目で男でも背が小っちゃいとかよぼよぼの老人だとやはり警戒されにくくなる
たとえばいかつい、若く筋肉量がみるからに多い、動作が早い、声が大きい、他人に配慮しているそぶりを見せない、刺青が入っている・巻き舌でしゃべるなどチンピラ的、などなど
日本だと身長160ぐらいで少しぽっちゃり地味目だが清潔感のある格好でゆったり動くおばさん~おばあさん(人が好さそう)が一番警戒されない
ちなみに上の警戒される男の要素、
なお犬の中に「JKだけ好き」とかいう犬がいるが、オス犬だから性的な意味で若い女を好んでいるのではなく、
・JK可愛がられると飼い主(男)がことのほか喜ぶことを学習した
のどちらかあるいは両方
猫は嫌いな要素に大きな声、早い動き、体格で優れるほうがあるので、
ずっとつきまとわれて虐められてた(性的な意味で)
CMってターゲットがいて、そこにどういう行動をさせたいか目的のあるものだと思う
今絶賛炎上中の赤いきつねについてだけど、あれは多分若い世代に赤いきつねとか緑のたぬきを買ってほしいんだと思う
そこでSNSで有名なクリエーターさんに声をかけて何人かでCM動画を作ってる
キャラデザの山下RIRI さんが叩かれてるけど「スタッフの皆様お疲れ様でした」って言ってるしもちろん彼女1人で作ったCMではなく
企画した人がいて、発注した人がいて、それに合わせて山下さんが作っただけ
広告代理店が10代から20代くらいのSNS世代の女性に「カップラーメンを食べるのもありだよ!」って思わせるCMを企画した。
若いSNS世代はカロリー気にしてるからカップラーメンなんて食べなくなってるよね。分かる分かる。
「ドラマ見ながら夜中にかわいくカップラーメン食べることだってあるよね?」ってイメージを伝える
そんなことないけど、これは理想的なイメージであってそこはリアルとかけ離れていてもいい
バカでかい都心のマンションに住む新卒くらい若い女性が出てくるのがCMであって夢を売るのがCMだし
何がマズかったって思った通りのイメージで伝わってないってことじゃん?あれを見て若い女子が「うどん食べたい」って思うんじゃなくて30代40代50代の女性差別に敏感な女性が「気持ち悪い」って反応することの方が目立ってる
少なくともXでは
それはもう意図してなかった反応であってCMとしては失敗じゃん?広告代理店の失敗。
有名な永谷園のワシワシお茶漬け食べる青年のCMがあるけど、あれを見て「お茶漬けをこれくらい豪快に食べるのってかっこいいな。食べたいな」と思う。男性も女性も。
久しぶりにお茶漬け食べてみたいな、とかね。
夜中に涙を流しながらドラマを見てうどんを食べる女性、しかもルックスはいかにもかわいこブリっ子な感じのか弱い女性
これを真似したいと思う???
これみてこの女性の世代の女子(10代か20代くらい)が夜中にうどん食べるのアリだなって思う???って話
いやお前は10代20代の女性じゃないだろ?って思うじゃん?たしかに
でも今の主流ってAKBみたいな普通っぽい女の子じゃなくて、韓国のアイドルみたいなかっこいい女性が若い子にも支持されてる
そうじゃなくてもか弱いかわいこちゃんに憧れてる女性なんて少ないのよ
強く見える女性が本当は弱いことはあるけど、弱くありたい女性なんている???
だったらアニメだったとしても米倉涼子みたいな強そうな女性が化粧落としたあとにバラエティーみながらガハガハ笑ってカップラーメン食べてる。でも次の日はカッコよく家を出るとか
あのちゃんみたいな不思議っ子が朝からうどん食べてるとかの方が真似したくなるじゃん
ああ、こういう感じもアリだよね!ってなる
「いやいやこれは男性向けのCMだから」って言い出したら、じゃあそれは性的な意味であのアニメ作りましたよね??男はこういう女がいいってことですよね??みたいになるからそれは可能性として考えないでおく
何が言いたいかってきつねのCMはキャラデザとかアニメ作った人がいけないのではなくて、そもそも10代から20代女性ターゲットに向けたCMを作る時にあの感じ(かわいい女子目をうるうるさせながらうどん食べる)を企画して通ってる時点で広告代理店の危機っていうだけ
かなり時代を分かってない
っていう話
(※※※リーク話を含むので注意※※※)
リーカーによって明らかにされた実装予定キャラのビジュアルが本作としてはかなり攻めていると俺の中で話題。
今まで名前だけが登場していた原神のヴァレサという女性キャラの話だが。
少女体型モデルでありながら相当ムチムチでボンキュッボンな、例えるならグラブルの♀ドラフっぽいビジュアルになっている。
レスラーっぽい設定なので恵体なのは理解できるとはいえ、ヒッププレスやおっとっと系のモーションから見るに、性的な意味で過去一あざとい作りだ。
ただしセクシーというよりはかわいいファンシー系寄りな見せ方で原神らしさを保っているとも取れる。
ちなみに一部ネット民の間では原神はもうHoYoverseタイトルの中でも下火かのように言われることもあるが、収益の面ではいまだトップだというデータがある。
2024年のグローバル売上の推計は、原神が275.1439億人民元(約5781億円)で同社タイトルの49.52%を占めている。
次に崩壊:スターレイルが194.0051億人民元(約4076億円)で34.91%
続いてゼンレスゾーンゼロが74.4521億人民元(約1564億円)で13.40% (※サービス開始が7月4日なため5ヶ月分しか集計されていないことに注意)
崩壊学園が0.8162人民元で0.15% となっているそうだ。ソースはbilibili.com/video/BV1yQFDegEge
開発規模の面でも、上位4タイトルをプレイしている実感からの印象では、やはり原神がもっとも大規模だと感じる。
個人的に、こういった思い切ったキャラデザインをするようになったのは、ゼンレスゾーンゼロの成功の影響があると思う。
miHoYoはもともと崩壊3rdまでのタイトルでは露骨な乳揺れなどセクシー表現を隠していなかったが、原神以後は露骨さを控えてフェチズムを感じさせる範囲にとどめてきた。
そこに去年、アート畑の人間にやりたいようにやらせたゼンゼロを投入し、セクシー路線強めでも今のオタクたちは相変わらず受け入れてくれることを認識したのだろう。
しかも男性ユーザー主体の3rdまでと違い、ゼンゼロは比較的女性ユーザーもいるが受容される範囲だということを理解したのかもしれない。
むろん、ゼンゼロと原神ではユーザー嗜好も異なるとは思うが、主観ではどちらも遊んでいる人がかなりの割合いるように思う。
そこは運営が一番よく分かっているところなので詮無いことはこれ以上語らないが、このキャラがどれくらいヒットするかに注目していきたい。
ずっと何が楽しくて、お金を払って、女性に話を聞いてもらうんだろうと思っていた。
性的なことをしてすっきりしたいという気持ちはわかるので、まだ風俗の方が理解できた
今から20年ほど前、増田が大学に通っていた頃、研究室にある陽キャの助教授(すでに准教授の呼称に変わっていたかも)がいた
学会などの出張のたびに、教授がやめろと言ってるのに学生を連れ回して飲み歩き、
最後には学生をキャバクラに連れて行っていた。自分もそれで一度連れて行ってもらったが、全く楽しみ方がわからず、
椅子に座って岩のようになっていた。
一応、大学の先生の名誉のために行っておくと、当時ですら上記のような先生は少数派であり、
おそらく現在の大学で、学生をキャバクラに連れて歩くような先生は絶滅危惧種だと思う
仕事は楽しかったし、コードを書くのは好きだったし、バグが発生して炎上しているプロジェクトであっても、ゴールが見えているのでそれなりに楽しく過ごしていた。
一概にIT企業といっても、企業ごとに社風は大きく異なるだろうし、部署によっても大きく異なるだろう。少なくとも自分の部署では上司やプロジェクトチームで飲みにいくことはあったが、キャバクラに繰り出すものは一人もおらず、大騒ぎする時でさえ、飲み屋の後にカラオケに行く程度だった。
増田は社内でそれなりに実力を認められるようになった。関わっているプロジェクトが軌道に乗り、チームの雰囲気も良く、あとはメンテしながら隙間時間に新しい技術を勉強するなど、悠々自適の生活でもあった。サービスに苦情が来ることもあったが、増田は苦情の対応がそれなりに好きだった。お金を払ってくれたお客さんからのフィードバックであると考えれば、顧客のニーズを捉えて、サービスをもっとより良くできる、どういう課題を解決すればいいか考えるきっかけにもなった。そういう苦情に対しても前向きに対応できるところが評価されたのだろう。新しいプロジェクトのリーダーに任命された。
このあたりから雲行きが怪しくなる。それはある役員が提案した新事業のプロジェクトであった。
具体的に言えないのでフェイクで書くが、これまでスパコンを開発していた企業がビットコイン事業に乗り出すようなものだった。当然、社内に経験者はいない。その役員も東洋経済やらの経済誌で入手した程度の情報(=一般人の情報)しか持っておらず、全てが手探りの状態だった。しかし、増田くんは勉強熱心で優秀だから、うまくプロジェクトをリードできるだろう、とおだてられ、自分もできるのではないかと錯覚し、引き受けてしまった。それが間違いだった。
まずは座組みである。自分が所属していたチームの優秀な後輩を数名、一緒に働いたことはないが優秀な評価がある同世代・後輩を数名集めた。みなやる気に溢れていた。役員の肝入りであったため、チームメンバーを集める社内交渉はほぼ必要がなかった。チームのメンバーには技術的な面のキャッチアップを依頼し、自分はプロジェクトリーダーとして、その技術の出口戦略を考えた。要はどういうサービスを誰に向かって作るのか、大まかでもいいので、このプロジェクトの方向性を決める必要があったからだ。
数ヶ月ほど経ち、技術的な勉強は大体キャッチアップできた。しかし、この技術がどんなサービスに繋がるのか、増田を含めプロジェクトのメンバー全員とも皆目見当がつかなかった。部長には月1で、上述の役員には3ヶ月に1度のプロジェクトの進捗報告が求められた。当初は国外での研究開発動向やスタートアップの動向などを報告していた。また、どのような技術が現状存在するかなど、論文や技術資料を整理し、噛み砕いた説明をすることで誤魔化していた。1年ほど経ったときに役員が言った。どういう技術があるのかはわかったが、全く新事業につながりそうにない。きちんと考えろ、というお叱りであった。増田は技術的にできることを説明し、また国内外の他社も実現性のある事業にまだ繋げられていない研究開発段階であることを説明した。
そのときに、役員はあるスタートアップの名前を言った。それはシリコンバレーにあるスタートアップで当然、増田もウォッチ済である。この会社は次のような技術を持っており、その技術を持って次のようなビジネスを展開しようと現在金を集めている。なぜうちにはそれができないのか。しかし、多くのスタートアップ同様、増田はそのスタートアップに技術が現時点ではないと認識していた。スタートアップがやっていることは夢を見せることである。その夢に投資してくれる人を集め、そのお金を持って現実に実装できるリサーチャーやエンジニアを雇い、実装しようとする。偶然成功することもあるが、多くは集めたお金で支払える期間を過ぎても開発は成功せず、会社は空中分解する。それがスタートアップである。このスタートアップが謳う「夢」は増田のチームも大きく共感できる。その夢が実現すれば、様々なビジネスが生まれるだろうし、多くの人に感謝されるだろう。しかし、現状の研究開発レベルとその夢の実現の間にはあまりにも大きなギャップがあった。それを乗り越えるすべを増田は持っていなかったし、おそらく世界中の多くの会社もいまだにそのギャップを乗り越える方法を持っていないだろう。しかし、役員は納得しなかった。この新事業がポシャるわけにはいかない。実はこの役員の新事業に当初から反対している派閥が社内におり、この失敗を理由に社内で派閥闘争が起こる、という予測が原因であった。
ここから問題は加速度的に複雑になっていく。ただでさえうまくいくわけのない新事業であったが、その新事業が表向きうまくいっていると見せることがプロジェクトの目的になっていった。役員は先ほどのシリコンバレーのスタートアップを私とともに訪問し、資金提供と事業の締結を取り付けた。そして社外に大々的に発表した。行って話してわかったが、私の当初の予想通り、その会社は技術と言えるレベルのものを何も持っていなかった。増田のチームが数ヶ月かけてキャッチアップした研究開発動向レベルの情報しかなかった。新事業を加速させる、といって、とあるモックアップを公表した。将来的なサービスイメージを社外に広く知らしめるためである。同分野の別会社の友人から、あの発表見たよ、すごいねとLINEがきた。詐欺師の片棒を担いでいる気分になってきた。当然、増田のプロジェクトチームのメンバーはスタートアップの技術も我が社が公表したモックアップも張子の虎であることは認識していた。しかし、社内政治の都合上、ライバル派閥にバレてはいけないため、研究開発状況は社内でも完全に機密状態になっていた。増田の精神は崩壊した。役員向けの会議や外向けの広報では、自社の技術や将来サービスが有望であることを伝える必要がある。しかし、プロジェクトチーム内はお通夜状態であり、どうやってこのプロジェクトをソフトランディングさせるのか、という議論ばかりが行われていた。優秀なメンバーは一人、また一人と転職していった。当たり前である、誰もこんな技術的詐欺を行いたい人間などいない。
精神が壊れてきた増田は家ではため息しかしなくなり、食欲もなくなっていた。ハゲは進行し、ザ・おじさんのような見た目になっていた。
ある朝、どうしても会社に行くのが辛くなり、妻にもう会社に行けないかもしれない、と弱音を吐いた。妻は増田の仕事が辛い現状は当然察していたため、無理していかなくていいよ。会社辞めてもいいよと言ってくれた。私に何かできることがある?と聞かれたので、とりあえずおっぱいの谷間に顔を挟みたいことを伝えたら、朝からおっぱいの谷間に顔をはさんでくれた。
5分ほどおっぱいの間に挟まることで、何らかの作用があったことを知覚した。少し元気が出てきた。会社に行けそうな気がする。
「元気が出てきた」と妻に伝えたところ、下ネタと勘違いされ「今からしたいってこと?」と聞かれた。
増田は正確に状況を伝えた。もちろん性的な意味でも感謝をしているが、おっぱいに挟まれたことで精神が回復したこと、その包み込まれている安心感により、今日会社に行く勇気が湧いてきたことを伝えた。
妻は困惑しながら「いわゆるおっぱいからしか得られない栄養があるってことね」と言って送り出してくれた。
何がいわゆるなのかよくわからないが、妻の言っていることは100%正しく、こんな頭の良い妻と結婚できたことを感謝した。
その後のこと。増田はサイコパスのように、役員には成功を約束し、チームメンバーには配置換えの希望または転職活動を勧めた。少しずつチームを解体し、最後に自分も辞めた。自分はやはり客が近くにいるサービスが好きなのだろう。苦情を言われてもサービスを直せるのは何も心理的ダメージがなかった。ただ、お客がいない研究開発で、役員からの苦情に耐えるのは我慢ができなかった。でも、多くの会社の中間管理職もそうなんだろうと気づいたときに、世の男たちがキャバクラに行く意味がわかったのだ。あのエウレカの瞬間は今でも覚えている。世の多くの男たちは、社内で不毛な上司たちのご機嫌取りをさせられており、今自分がしている仕事の多くがあまりにも不毛であること、常に謝罪を強要されていること、しかし生活のために仕事を辞められないこと。このジレンマの中で精神がおかしくなっているのだ。そして、それを癒せるのは性的なサービスではなく、瞬間的な心理的幸福感なんだと思う。自分があれ以降、毎日妻のおっぱいの間に挟まってから仕事へ行くようになったように、一部の男たちはキャバクラに行ったり、風俗に行ったりするのだ。あれは性的サービスというよりはケアサービスなのだ。そこから考えると、最近の推し活の意味もわかってきた。なぜあれほどまでにアイドルやキャラクターに入れ込むのだろうと不思議に思っていたが、あれは現実逃避というわけではなく、本人の心のケアのための活動なのだろう。それほどまでに現代社会は過酷なのだ。
このような理解に辿り着いた後に、当時お世話になった助教授の先生に連絡を取ることにした。自分は相変わらずキャバクラに行かないが、キャバクラに行く人の気持ちはわかりましたよ、ということを伝えたい、あの頃の岩になった自分の浅はかさを謝りたいという気持ちもあった。その先生はある地方大学で教授になっており、その大学では理事・副学長になっていてあまりの出世っぷりに驚いた。おそるおそるメールを送ってみると、近況報告がてら飲みに行きましょう、とメールがすぐに返ってきた。
その先生の研究室を訪問し、先生の最近の状況を伺った。相変わらず陽キャで、人を明るくする人はすごいな、と思わされた。大学近くの居酒屋に行き、色々話した上で、上記のようなキャバクラ論について語った。先生は少し考えた後に、やはり理屈よりも実践だろう、今から行くぞとキャバクラに連れていかれた。正確にはキャバクラではなく、フィリピンパブだった。そのことを指摘すると、フィリピンパブの方が安いし、楽しいとのことだった。
常連なのだろう、先生の周りにはすぐに女の子がたくさん集まってきた。先生はおもむろに「歌いま〜す!」と言って、こっちのけんとのはいよろこんでを歌い出した。
想像してほしい。還暦を過ぎた老人がハイテンポのはいよろこんでを踊りながら超絶美声で歌う姿を。
その時の私は数年で1番笑ったと思う。笑いながら涙が出た。還暦過ぎても流行曲を相変わらずマスターしている先生には笑ったし、選んだ曲がはいよろこんでだったのは先生から私へのメッセージであることに気付いたからだ。
そのあとはみんなでbling-bang-bang-bornを踊ったりしながら楽しい時間を過ごした。
帰り際に先生が言った。さっきのキャバクラ=おっぱいの谷間論だけどな、正しくないと思うぞ。
たしかにそういう側面もあるだろうけど、居酒屋で同僚と馬鹿騒ぎするのだってケアの側面はあるだろう
だから、そうやって何でも頭でっかちに考え過ぎずに、刹那的に楽しむ。そういう場所だって社会には必要だろう。
確かに今日のフィリピンパブは癒し目的ではなく、ただ単純に楽しい場であった。そうか、楽しいから行く、当たり前の理由だな。
人工授精選んだ(というか選ばされた)。
妻だけEDというやつに近くて
奥さんでも一応勃つには勃つけど、
奥さんはガチのマグロでフェ○はおろか、キスすら碌にしないので
萎えるんだよね。
AVとか見てなんとか中に出そうとするけど
無理だった。
あえぎもしないし、マジで興醒めだし
食べものに例えると
これが牛丼だ、食えって言われてる感じで
いや、、無理でしょって感じ。
なんというか心を開くのに
いまだに恥じらいがあるのか
なんで気づかなかったって言われそうだけど
だから体の相性とかあまり調べずに勢いで結婚しちゃった。気づいた時には時すでにお寿司だったよ
別れてくれないんだよね。。
正直二人目も作りたくなかったんだけど、向こうがどうしても
欲しいって言ってきて、渋々だった。
失敗したわ\(^o^)/
今ワンピースでは麦わらの一味が巨人国にいて、ゲルズという女巨人がけっこうシコいわけだが…
サ「さ、さすがに穴が大きすぎて俺の海賊王ジュニアじゃフィットしねえ…そうだ!俺自身が陰棒になればいいんだ!武装硬化!悪魔風なんとか!」
ゲ「す、しゅごい!サンジ君の全身がまるで固い陰棒になったみたいで、しかも武装色の覇気で黒光りしてる長くて立派なアレが私のアナの雪の女王にぴったりフィットぉおお~ん」
サ「俺の突出した見分色の覇気でゲルズちゃんの性感帯ピンポイントがどこだからよくわかるぜ!ここを突いている時、ゲルズちゃんの反応がもっとも良くなる!俺はきっとこの時のために覇気を磨いてきたんだ!」
うっかりこんなことは自分のXのアカウントには書けないからここに成仏させた
いやキモ
※デバガメというのは恋愛的な意味である。性的な意味ではない。
これらを見てしまった経験を通じて、若かりし頃の自分の不器用さを思い出した。
今の自分も「成長できた」といえるにはほど遠い。若い人たちを見て、まだまだ成長できる部分がたくさんあることに気づかされた。
もうアラフォーに入ろうとしている。その前に、ちょっとだけ記念的碑に増田に投稿してみようと思った。
常連投稿者のように面白くはないかもしれないが、一生懸命書いてみる。
一般企業でアパレル事務の仕事をしている。あと数年以内にはAIに置き換わってしまうだろう。風前の灯火みたいな事務仕事だ。平成初期だったら、私もバリバリの評価を得ていたのかもしれない。令和時代だと、明らかに若い人、時代の変化に適応できる人の方がこの仕事に適性がある。
社屋3階で働いているのだけど、ある夕方~夜の時間だった。社内に人が残ってない時間帯に、私は4階にあるトイレに行こうとしていた。
そうしたら、上の階の方で男女の声が聞こえた。一瞬「!?」となって、踊り場の前で留まった。会話は始まったばかりで、男性の方は隣の部署の30才くらいの人だった。女性の方は別の階で働いている子。
一応、最初から声を拾ってみる。彼を増田君とする。まだ先月のことだ、頑張って思い出してみる。
「○○さん、お疲れ様です」
「どうしたの、今日は?」
「え……?」
「パンダじゃん!」
「パンダ……」
「服が白黒だね」
「え、そうですね」
「白は、初めて見たかも」
「……いっつも白いです♪」
「そう、ええっと、あとは」
※私が踊り場から身を乗り出すと、彼が両手でジェスチャーしてるのが見えた
「○○さん。髪、切った?」
「はい、切りました。……どうですか?」
「似合ってるね」
「ほんとですか?」
「うん、似合ってる。ねえ、ねえ。もっと仲良くなれたらご飯いこうよ」
「え、いいんですか?」
「いいよ」
「いきたいです。~~さんとご飯」
「わかりました」
意中の男性に声をかけられると、縮こまってしまって、うまく喋れなかったりする。
相手がリードしてくれて、それでどうにか話ができる。子どもの頃に聞いた曲に、「大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ」というのがあったけど、まさにあんな感じだった。
恋愛は、全部相手がリードしてくれると思っていた。自分はただ、意中の人がいたら「お疲れ様です」と声をかける。自分からアタックするのは、それくらいでいいと思ってた。
本当に、相手が相手だと何もできない。それどころか、廊下ですれ違ったときに「お疲れ様です」と挨拶されても、顔(^^)を背けながら「お疲れ様ですっ!!」って投げやりな感じの挨拶になる。
髪を切った時も、好きな人と話してて「気付いてくれるかな……」と思うとドキドキして硬直したし「髪切った?」って言われそうな時は、事務所内なのに走って逃げだしていた。
トイレの話だけど、はてな匿名ダイアリーだと女性でも漏らしてしまうのが基本らしい。
私はこの時漏らさなかったので、3階にある修理中のトイレを飛ばして、急いで2階のトイレに入った。
こう見えても、高校まで柔道をしていた。初段しか取れなかったけど。
柔道って、野球やサッカーと違って、やってる子がとても少ない。柔道部のある学校の方が少ないくらいだ。特に女子柔道の場合は、本当に過疎である。
柔道部員がちょうど3人しかいない高校だったので、夏休みになると、同じ市内にある高校の合宿にお邪魔していた。期間は一週間。そこは工業高校で、立派な柔道場がある。
市内のいろんな中学高校の生徒が集まって練習していた。男子は泊まり込みのようだった。
そこで、珍しい組み合わせの男女がいた。ふたりとも中学生だった。凸凹な見た目だったのを覚えている。
その時は8月初旬だったかな。私が合宿に参加した初日、乱取りの時に女子の小中学生に胸を貸していたところ、物凄い声が響いた。
「ああ、もおおおっ!!!」
みたいな声だった。
見ると、小太りの体形の男の子が、その女の子を寝技で抑え込んでいた。見るからにガッチリ入っていて、逃げられそうにない。女の子は、バイオレンスな感じにグイグイって動いて、男の子のお腹をグーで殴り続けて脱出に成功した。
それから、女の子は血相を変えて、小太りの男の子を寝技で抑え込みに行っていた。女の子は黒帯で、男の子は白帯だった。それにしても寝技が上手な男の子だった。体の幹が強いのもあるし、女の子が上から乗って行っても、軟体動物みたいにスルリと躱してしまう。
決着がつかずに、乱取り終了のタイマーが鳴った。次の日も、また次の日も私は合宿に参加していた。他校の女子と練習ができる希少な機会だった。
いいかげん、筋肉痛がひどかった。女子中学生が打ち込みでも乱取りでも、私のところにばかり来るからだ。多い時だと、1日に30本近く(ほぼ90分)も乱取りをしていた。
本当に貴重な時間だった。母校では、こんなに多くの女子選手と練習することはできない。政令市にある名門校はともかく、田舎の公立高校の女子柔道の環境は非常に厳しい。
あの男の子と女の子だけど、それから毎日見ることになった。私がいる練習スペースの近くで、あのふたりが一緒に練習している(組み合っている)ことがよくあった。
男の子は、誰に対してもマジメな練習態度だった。手を抜かないし、女子選手や小学生と組み合っても配慮していた。
でも、あの女の子と乱取りをする段になると、ビビっている様子だった。彼女と乱取りになるとモードが変わる。真剣にガツガツやりあうのだけど、恐怖を感じながらやってるというか。
男の子はさておき、中学生の"女の子"の方だけど、どう見ても強い子だった。普通の中学生男子だったら普通に投げ飛ばすし、相手が高校生男子でも、白帯だったらフツーに力で圧倒していた。
男子が相手でも、引き手と釣り手を上下にブンブン振り回して、相手を払い腰で投げ飛ばすと……『進撃の巨人』の冒頭あたりで、エレンがミカサに投げ飛ばされたような感じで、相手は柔道場の壁にぶつかって倒れた。
私も彼女と乱取りしたけど、一度だけ綺麗に背負いで投げられた。柔道が強い子は、基礎的な体力からして違う。あの男の子とも乱取りしたけど、体幹が物凄くて投げれる気がしなかった。どれだけ足を引っかけても動かせる気がしない。
ただ、彼はボヤっとした柔道をする子だった。動きが明らかに鈍い。子どもにはあることだけど、スポーツやってるからには相手に勝つ!! という自覚が明らかにない……そういう子は、やっぱりボテボテとした柔道になりがちだ。
結局、3,4日だったかな。その男の子がいたのは。合宿の最終日より前にいなくなった。市外の中学からの参加で、学校から距離があるので、予めそういう日程だったんだと思う。私もそうである。
夕方だった。私が工業高校から家に帰ろうとしてると、あの"女の子"が入口の柱のところでまごまごしていた。すぐ近くには、あの小太りの中学生男子がいる。引率の先生と話している様子だった。
女の子は、彼のことをチラッと見ることがあった。視線が真下にある畳に行ったり、彼の方に行ったり、安定してない。やがて、中学生男子が話を終えると、なんと……なんと……!!
彼は女の子の方を向いて、一瞬立ち止まった。私は耳をそばだてていた。あまり内容は覚えてないけど、再現してみる。
「あ、これは、これは~~さんじゃないですか。お疲れ様です」
「お疲れさま」
「疲れんかった? 今日で終わりでよかったね。いい修行になった」
「うち、今日で終わりじゃない。まだあと2日あるんよ」
「まだあと2日も? しんどいやん。なあなあ自分、銀河学院だっけ?」
「うん」
「知っとるよ」
「ぜんぶ参加したかったな~」
「しょうがないよ」
(ごめん……この間は覚えてない)
「なあなあ。もう会えんよ多分。うちら」
「そうかな?」
「そ~よ~」
「残念かも」
「いや。駅まで歩く。あとは電車」
「うちも歩く!! 一緒に帰ろ」
眩しいな~と思って眺めていた。かくいう私は、恋愛経験が少ない女子だった。
あのふたりは、本当に一緒に帰っていた。私は親が工業高校まで迎えに来てくれる約束だった。校門付近まで行くと、あのふたりが一緒に並んで歩いていた。女の子の方は自転車で、男の子は徒歩だった。
いや、懐かしい。ほんとに懐かしいなぁ。それでいて眩しかった……
去年の冬だった。タワレコの近くに任天堂の公式ショップがある。仕事帰りに立ち寄ることがあって、昔懐かしいマリオやカービィのぬいぐるみを眺めていた。職場はこの近くだけど、存在を知りつつ入ったことはなかった。そういうお店ってあるよね。鶏白湯ラーメンの専門店とか。
お洒落なショップだった。店内レイアウトに無駄がないというか、導線を綺麗に描けている。右回りの人でも左回りの人でも、混雑しないようになっている。こういうのは気になる。
店内をウロウロしてると、私が知らないゲームのグッズ売り場に行きついた。私の隣には女性がいた。40才くらいかなと思ったけど……見た目がすごく若かった。20代後半に見える。
私は同性なので、顔のしわの感じでわかった。男性でも見抜ける人はいるのかな? いいや、私でなきゃ見逃しちゃうねと思ったところで、その女性がキーホルダーを手に取った。
キャラ名は知らないけど、イカみたいなキャラクターだった。イカが琥珀色の球形に入っていた。高級なカブトムシやクワガタが琥珀色の何かに漬かってるのを見たことがある。あんな風だった。
その女性がイカを手に取って眺めると、顔がぱあっと明るくなった。気に入ったのだろう。ずっとイカをまじまじと眺めていた。すると。
「それ、いいですよね」
向こう側にいた若人男性が、彼女に声をかけた。純朴そうな見た目の青年だった。私の勘(年齢センサー)だとおそらく20代後半である。
その子は、一瞬こわばった感じだったけど。
「えー。そうですよね、可愛いですよねぇ」
と返事をしていた。
それから、とりとめのない会話が始まった。イカが出てくるゲームの話をしていたはず。私はしばらくカゴの中のキーホルダーを手に取りつつ、ふたりの話を聞いていた。
やがて、もういいかなと思って、その場を離れてレジに向かった。私が買ったのは、手のひらサイズの1UPキノコだった。高校生の時、幕末志士の動画のファンだった頃を思い出して懐かしくなった。
その次の週も任天堂ショップが気になった。本当になんとなくだった。まだ見れてないものがある気がして。
ところで、あのイカが出てくるゲームはスプラトゥーンだった。名前は聞いたことがあった。中味はほとんど知らない。
私のはてなブログ歴は約7年だけど、あのイカはサムネイル画像でしか見たことがない。有名タイトルのはずなのに……そういうコンテンツってあるよね。野獣先輩とか。
それで、任天堂ショップに入ろうとした時に見てしまった。レジ付近を見ると、あの男女がいた。一緒に買い物をしたようだった。ショップの袋を抱えている。
なんか、ぎこちない感じだった。両方とも会話の雰囲気がぎこちない。声は聞こえないけど、雰囲気やオーラで伝わってくる。ふたりで入口付近に立って、何かをずっと話していた。緊張してるように見えた。
私はそれから店内をグルグルと廻って、スプラトゥーンのコーナーを一通りチェックして、ゲーム体験してる人達を後ろから眺めて、あとはどうしたっけ……ゼルダの伝説のピンバッジ? が恰好よかったのと、あとはどぶ森のコーナーを新発見して、子ども時代の思い出に耽った。
今年の春だった。再び、任天堂公式ショップ(※正式名称はNintendo TOKYOです)に行ってみたのは。この時を最後に行ってない。お店に入る前の歩道で、あのふたりが一緒に歩いてるのを見た。
ここまでくると、もはや必然だと感じていた。あの時とは違って、リラックスした雰囲気だった。手を繋いで、歩道の端っこの方をゆっくり歩いていた。仲睦まじいという言葉が似合っている。そんなふたりだった。
水面を一緒に泳いでいるオシドリみたいだった。オシドリは、子どもができると♂の方が♀から離れてまた嫁探しをするらしいけど、そんなことはどうでもいい。ふいに、あの昔のAAを思い出した。
_人人人人人人人人人人人人_
> わりとどうでもいい <
 ̄^^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
ヘ(^o^)ヘ
|∧
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今年の八月頃から、恋愛や結婚関係の増田日記がよく投稿されていた。こちらを書き始めたのは11月になってからだ。もうブームは去ってるけど、気になったことを書いてみた。
よければコメント等いただけるとうれしい。ブログの方だとコメントもらえるけど、増田だとブクマやコメントをもらえることは少ない。
息子っちが未就学児のうちに一緒に色々な銭湯行こってなってルールもマナーも守ってるけど嫌な思いする人多いのか...
産んだことないから分かってないんだろうなあ。「5才はまだ1人で風呂に入れたら危ない年齢」だからお母さんと一緒に入るのは容認されていいいかと。もし一緒にお父さんがいるならそちらに任せればいいけれども。
それにその年頃は男児も女児もだが、お父さんのおちんちんやお母さんのおっぱいを、性的な意味ではなしに「人間の造りの違い」として興味があってじーっと見てくるわけで、それは子の成長の一環なんだよな。まあ子どもを産んでないから分からないのも仕方ないとは思うけど、どうか未来のあなたを支える宝なんだと思って温かく見守ってあげてほしい。
私自身、子を産む前まで「子ども産んでないけどその気持ち分かるぅ」って思ってた女で、産んでから「え!思ってたんと全然違うやん…」ってカルチャーショック受けた経験があるからそう言ってるの。産んでない時はね、想像だにしないしできないんです、産んでからのことは。これ本当に。
東大入ってないのに東大なんて大したことないって言ってるのと同じくらいダサいからマジ今すぐそういうのやめた方がいい。入ってから言えよって思われちゃうだけですから。事実そうだし笑
前にいた会社はややセクシーなグッズ(アダルトアイテムというほどではない)を販売しており、販促の際にpan piano路線の脱ぎっぷりのいいyoutuberや、そしてAV女優を起用することがあった
小さな会社なので、謝礼は高校生でももっといい小遣いもらってる子がいそうなささやかなものだった
売れっ子は見向きもしないので、あまりフォロワーがおらず売れてもいないような人に声をかけていた
あるAV女優は開発進捗をつぶやくたびに「またお呼ばれしたいです」と毎回DMを送ってきた
うちの仕事をしても実入りはささやかだし、爆発的に注目されるわけでもなく、そんなに熱心な人は他にいなかった
比較的注目を集められる傾向にあるため看板娘のようになっている人も複数いたが、ある人はまあ、普通だった
でも熱心なので、看板娘たちと同じぐらいの頻度で使うようになった
他の人とは事務所を介していたが、ある人は事務所を通すのは最初だけでその後は個人で連絡を取ってきた
いつしかDMではなく個人のLINEで連絡を取り合うようになった
頻繁に二人だけで飲みに行った
ある人はwikipediaを見るとそんなに仕事がないのだが、本当は毎月もっと何本も出ているという
でも表に出せない内容で、逮捕されるかもしれないと怯えながら撮影しているのにギャラの中抜きが酷い
抗議をしても、なら出るところに出ればいい、お前は捕まって本名も出るぞと事務所に脅されているという
本当は嫌だが中抜きされた上でも少しでもお金がほしいからその仕事をやり続けている
個人で取ってきた仕事なら全額もらえるのであちこちに個人営業しているという
はじめて飲みに行った日にそう話され途中から泣かれ、本当にそんな世界があるんだと衝撃を受け、可哀想なのでおごった
でも毎回のようにその話をしてきて、細部がちょっとずつ違う
ある人はぽっちゃりしてて、その上で更に過食嘔吐とかしてるんじゃというぐらい大量に食べる
おごってほしくて嘘をついていて、wikipedia通りの仕事量と疑ったが真実はわからない
ある人はどんどん馴れ馴れしくなり、座敷席で隣に座って腕を絡めておっぱいを押し当て半ば抱きついてきながら滔々と愚痴をよく語った
この距離感ならいけるのではないかとおっぱいを掴んだ時、ある人は絶叫して立ち上がって逃げようとして壁をぶちやぶった
半個室で、入口が半分壁で区切られているのだが、ちゃんとした壁ではなくパネルをはめこんだものだったらしい
ある人は大声で泣き叫び、他の客が集まってきた
胸をいきなり触られた、仕事の付き合いなだけなのに、とある人は周囲に泣きじゃくりながら説明した
手錠はかけられなかったが
警察署へ行った後でもう一度現場に戻され写真撮影された後に更に警察署に行った
別室にいたある人は、警察沙汰にするつもりはなかった大事にしたくないと言ってくれたそうで、釈放された
でも一人で帰路につくことは許されず、職場の人か家の人を呼ぶよう言われた
母が迎えに来た
普段は着ないスーツ姿をわざわざ選んで、警察官に深々と頭を下げていた
女性を襲おうとして捕まったと母は知らされており、人生の中で上位に来るいたたまれない時間だった
本当にさわったことは伏せて、接待していたら酔ったある人がふらついたので支えようとしたら誤解されたと説明した
母は信じてくれ、異性とふたりきりで飲みに行くのは危険であなたにも落ち度があると言った
本当に二人で飲みに行っただけで冤罪をかけられた場合、それを落ち度と言うのは冤罪擁護のようでもやもやした
ある人は「この前はごめんなさいね」で済ませて以前と同じように連絡してきた
平然とした態度が怖かったが、しばらくはこちらも平然としているように振る舞った
しばらくして仕様が変わったと偽り後輩にある人の相手を押し付けた
ある人を見ると性的な意味でなく少しイラッとして、恥ずかしさがあり、黒歴史ノートを見ているような感覚だった
元の会社が潰れるまで、ある人は起用され続けていた
それから特に理由もなく見なくなって数年経過したが(面白い話をする人ではなかった)、しばらく前にふと思い出して見に行ったらSNSが全て消えていた
wikipediaによれば特に引退発表などなかったようだが、出演作の更新が止まっていた
いい人見つけて結婚でもしたんだろうか
15年近く、ランダムトークアプリ(齋藤さんとか)でオナ電している。たぶん1000人とか、2000人の女性とオナ電してきた。
何でもない女性をエッチな気分にさせてオナ電をするのは面倒くさいため、最初から「M女募集」とか「M女狩り」とかいうメッセージで相手を探している。
M属性の女性は、オナ電するのに話が早いのである。私自身は別段、Sでもない。
M属性の女性と、ピロートークにてお話してよく出てくるのは、男性とSかと思って付き合い始めても、いつのまにかMになっているパターンが多く、本等のSの男性は少ないというものである。
結局、Mの方が性的な意味で気持ち良いもんね、という話になる。
(本文です)
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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
一応、家族の紹介だけする。父母は直接は出てこない。
父母…兄と3人暮らし。どっちも高齢だけど仕事してる。普通に尊敬してる。
【以下本文】
増田利用者の男性だったら、30代前半くらいまでだろうか。子ども時代に初代ポケモンカードをプレイしていたのは。俺も小学生の頃は土間張りしていた。多い日だと、1日のうち8時間くらいはカードショップでプレイしてた。カード好きの同年代とか、中高生とか、面倒見のいい社会人とかいて、いっつもワイワイガヤガヤやってたっけ。
夜8時までお店にいて、母親に無理やり連れ戻されたこともあった。正直ガチ勢だった。お年玉も全部ポケモンカードに使ったし、かっこいいカードはプレイ用とは別に保存用にしておいたし、最初期のパックに至っては、記念に未開封のものを何袋か取り置いた。
最終的には何枚あったのだろう。今では確かめようもないが、顧問カードを含めると五千枚はいってると思われる。
しかし……中学に上がってしばらくすると、ポケカをやらなくなった。
同い年の男子連中は、すでに違う趣味に走っていた(性的な意味ではない)。コロコロコミックなど、みんなもはや読んでなかった。
ジャンプとかマガジン、その他青年向け雑誌に移っていた。漫画そのものを卒業する層も当然出てくる。
当時の俺は、「もう大人が近いんだし……」と感慨にふけりながら、小学生の頃から使っているリュックサックにポケモンカードのボックス一式を入れて、押し入れに仕舞ったのだ。14才の頃である。
時は変わって、そろそろアラサーを終えようとしている。
おかしいと思ったのが今年の4月末頃だ。メルカリを見ると、『かえんリザードン 旧裏 極美品 引退品です』みたいな見出しで、カードが売られていた。
「懐かしいな~」と思って商品画像を眺めると……写真に映っているカードボックスが、俺が小学生の頃に使ってたやつだった。心なしか、スリーブの色も……。
気のせいかと思った。でも、カードの販売額(※12万くらい)が額だけに、気になってその出品者の他出品を見ていった。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああ
頭の中がマジでこうなった。
GWまで待てなかった。急いで100km以上は離れた実家に帰り、元俺の部屋の押し入れを開けると、14才の頃に仕舞ったリュックサックが消えていた。
兄の部屋をノックすると、「うるさい帰れ、あとにしろ」という声が聞こえた。何度もノックを繰り返すと、無視するようになった。
怒る気持ちを抑えて、晩近くまで台所で兄を待ったよ。夜になって、ようやく夕食に出てきた。
父母がいないことを確認して、いろいろ問い詰めていった。
・もうわかってるんだが、なんでカードを売ったの?
・カード説明には「家族の遺品」とあったが、俺はまだ死んでない
とにかくひどい返答だった。兄は、悪びれもせずに「普通に売った。いらないかと思って。カードが可哀想で」という言い方だった。
最後には、キレながら「うるせえんじゃ。消えろボーーーーケッ!!」と吐き捨ててきた。
こいつ、今はフリーターだけど、これでも元は正規職の区役所職員である。合格した当時は「経歴はかなり盛ったけど、まあなんとかなるっしょ~」とかほざいていた。一体何をどう盛ったのか聞くと、かなりとんでもない盛り方だった。父に物凄く怒られていた。
いったい何が起きたのかはわからんが、数年前に退職してからはこの調子である。近所のラーメン屋でアルバイトをしているようだ。
メルカリだけど、もし兄が販売履歴を消してないと仮定すると、カードの販売総額は50万円ほどになる。
なんかさ、ポケカが高騰してるってニュースは聞いたけど、これほどとは思ってなかった。いろいろ調べていくうちに、その50万円というのもヘタクソな売り方だとわかった。
ほぼ傷のない状態でのカードショップの買い取り額が「10万円」とあるものを、メルカリでは2~3万円で売っていた。いや、早くカタを付けたかったのかもしれないが、もうちょっと考えて売れば……と被害者である自分ですら思った。
いや、実際どうすればいいんだよ。兄に弁償を求めようにも、俺には客観的な価額とかわからないし、請求した時点で兄が持ち金を隠すのはわかってる。昔からそういう人間だ。金自体を持ってない可能性だってある。
父や母はまだ余裕で健康だけど、正直相談していいかもわからない。保護者ということで今回の弁済を求めたいくらいだ。
いや、そんなことしないよ。そんな、父母を心配させることはしたくない。あくまで個人的な心情としてだ……。
父にも母にも尊敬の気持ちがある。できればそんなことはしたくない。けど、起こったことは正直に伝えるべきだとも思ってる。
増田で書いてると気持ちが落ち着いてきた。やっぱり書くっていいことだよな。
俺の心は、あれから三か月経った今でも沈んでる。あれからすぐ、兄からリュックサックを奪い返したけども、(デッキで一軍入りするレベルのやつで)残ったカードはほとんどなかった。アルバムコレクションもそうだ。残っていたのはプラスチックの箱に仕舞ってたコモンカードばかりだったよ。
いや、思い出残ってるからいいけどさ。
残ったレアカードは1~2枚だけだった。最初期のリザードンのやつと、まだ幼かった頃、父母と兄と一緒に映画館に行って手に入れた――あの頃は家族みんな仲良くて平和で楽しかったな――古代美優のポケモンカードである。映画パンフレットに挿入されていた。
これらについて、絵柄は素朴なんだけど、シンプルで味があっていい。見た目は相当にキレイである。売ろうなんて思わない。こいつらだけは一緒に墓場まで持って行ってやる。
あー、マジでどうしたらいいんだ。
昨日の夜に、近所のスーパーに行った。田舎だからそこまで大きい店じゃない。8割引きの商品を狙って夜に来店する。
それでさ、1週間に2回くらい、とある女性店員にレジを受けてもらうんだ。この子は、おとなしめでふっくらとしてる感じで、真面目そうなのが印象的だった。
マスクしてるから顔はわからないけど、きっとかわいいんだろうなって。
昨日のことだ。俺の前にとある男性が並んでいて、その子にレジを受けてもらっていた。
すると、なんか「あっ」と驚いた様子だった。その男性客が。
それでさ、会計を終える時に、彼が言ったんだよ。「○○さん。髪の感じ変わってますね!」って。
その子は、顔色ひとつ変えずに「そうですね……」って言ってた。
それで俺の番が来て、レジ打ちが淡々と終わった。レジのあっち側で商品をマイバッグに詰めようとしてると、その子がさ、隣のレジのおばさんに嬉しそうに声をかけていた。
「わたし、あの人に前髪切ったの、わかってもらえたんですよ!? わかってもらえたんですよ~!」
「えー、そうなんやー、すごいやん~」
「やった、やった!!」
「うれしい」
「よかったね~」
あの男性客は、見た感じは40代くらいだった。俺と同年代のおじさんである。しかし、見た目は精悍だった。
小ぎれいな作業着だったな。ほぼ真っ白の。現場で働いているにしてはキレイすぎる。事務所勤めをする人ではないかと思った。施工管理とか図面を引くみたいな。
あの人もマスクしてたから顔はわかんなかったけど、男の俺から見ても清潔そうだった。きっと体の表面に付いている細菌類とか小型虫とかも、俺のに比べて強者男性なのだろう。
あー、なんか愚痴ばかりで申し訳ないんだが……でもさ、俺にはそんな、女性に喜んでもらえた経験が少ない。とても少ない。
当方は、性的な意味で女を興奮させられる力がない。というわけで、ああいう人を見ると、正直うらやましいのだ。自分もいつか、ああなってみたいなという憧れがある。
turn one's headは必ずしも性的な意味ではない、そういう使い方もあるという程度だ。
単に振り向かせるという意味しかないし、そのニュアンスが状況によって単に後ろを向かせる、驚かせる、魅力を感じさせる、目を背けさせると変わる。
どちらかと言うとあの広告は魅力的に見せると言う文脈で勝手に「性的」というニュアンスをこじつけた小児性愛者のような思考の人間の難癖だ。
本邦で90年代のファッション誌によく見られた「ライバルに差をつけよう」のようなニュアンスの広告、コピーだと考えるほうが自然である。
この増田の物言いは月曜日のたわわの時に広告に書いてもいない「女子高生を見て元気を出そう!」と言う文言に切れてたフェミたちに似てて気色悪い。