はてなキーワード: ソーサーとは
ファイナルファンタジータクティクス イヴァリースクロニクルズをクリアした。
エンハンスド版。スタンダード。ディープダンジョンも含めて全部やった。
プレイ時間は100時間ぐらい。多少の物足りなさはあるけどPSのやつ+αという感じでとても良かった。
ストーリー面はPS版と同じだけど、ルカヴィが怪物というよりも人間臭くなった感じが主な変更点かも。
変更点は痒いところに手が届く感じで概ね良かったと思う。
気になる点というか、希望というか。
エクセルシオールのマグカップが、あまりにも使いやすいので購入して自宅用にしてるんだけど、そろそろ茶渋が取れなくなってきたので買い換えようかと思った。
ら、エクセルシオールのマグカップがマグカップじゃなくてカップアンドソーサーになっていた。
なんてこった、あの白い磁器のぽってりすとーんとした筒状のマグカップが、エクセルシオールカフェの誇りじゃなかったのか。
渋谷で働いてた頃、なんもかんも嫌になったらエクセルシオールでカフェラテとベーグル頼んで、両手であのあったかいマグカップを持って頬杖ついて、ぬくもりを充電してたんだよなあ。転職することになってしばらく来られなくなるからってマグカップを買ったんだよなあ。当時ブラック企業でワープアだったから(最近ワーキングプアって言葉も聞かないな)、マグカップなんて100均でも売ってるのに500円以上するエクセルシオールのマグカップを買うのは、自分にとっては大奮発だったんだよなあ。
あれから5年かあ。そりゃマグカップに茶渋もつくよな。幸い収入は倍近くなって今じゃ500円ちょっとのマグカップを買うのにどうして悩んでいたのか自分でも思い出せないし、かっすかすの抜け殻になってエクセルシオールに逃げ込むこともない。けど、いざとなったらエクセルシオールに行けばあのあったかいマグカップにたっぷり入ったカフェラテがあるっていうのは、いまでもちょっとした心の支えだったから、なくなっちゃったと知ったら、なんだか残念だなあ。
2023年の夏頃にはなくなっちゃってたらしい。2年も気付かなかったやつが残念っていうのも、なんだか変な話だけど。
そっかあ。もうないのか。
喫茶店に入ったら常連客ばかりで、いきなりジロジロと見られて居心地が悪かった、という話題が話題で話題になっていました。
社会学には「儀礼的無関心」という概念があります。これは簡単に言うと、知らない人をいきなり無遠慮にジロジロ見たり、話しかけたりしないで無関心であることが礼儀だよねという話です。
私たちもふだんは無意識のうちに、この儀礼的無関心を基本にして生活しています。ですがこれは、歴史的には都市の誕生とともに生まれてきたありかたです。
たとえば全員が顔見知りの村であれば、通りがかりに顔を見て「おはよう」と挨拶したり、知らない人間が村に入ってきたときに「どちらさんですか」と顔を見られるというのは当たり前ですよね。
人口が増え、互いの顔や素性がわからない人間が集まるようになってはじめて、儀礼的無関心という特殊なありかた、振る舞いが成立したのです。
私たちも、学校の教室や、職場の部署内では、全員が顔見知りですから、誰かが入ってきたら「おはよー」といいますし、知らんひとなら「誰やねん」みたいな顔をしますよね。
つまり、全員がほとんど顔見知りであるようなコミュニティであれば、儀礼的無関心は成り立たないのです。
これは人間に広く見出せる振る舞いです。私たちも、同じような条件であれば無意識に同じように振る舞っているはずです。
喫茶店でも、常連客はいつも互いに「おはようさん」「今日はえらい遅いやん。どうしたん」とか言ってるのです。
いきなりジロジロ見られたからといって、喫茶店の常連客がとくべつに排他的であるとか、閉鎖的であるといえるわけではなく、コミュニティの濃度が一定まで上がると起こる普遍的な現象であると理解しましょう。
ブコメでも酒場や銭湯でも同じことを感じるというひとがいましたが、これはスナックや銭湯が地域のコミュニティとして機能しているからですね。
はてなにはアーバンなシティーボーイ、シティーガールが多いので最初は戸惑うかもしれませんが、視線が障壁になって喫茶店から足が遠のいてしまうのはもったいないので、以下、チェーン店のカフェにはない喫茶店のいいところをプレゼンします。
・おばちゃんがお菓子を配り始めるなどの意味のわからないイベントが定期的に起こる
おばちゃんたちはお菓子をはじめとして、スーパーで買ってきたロールケーキを店主に切らして配るなどします。僕がアガったのは「たこ焼き買うてきてん! 時間ないからまたくるわ!」と言ってパックを店主に手渡してすぐ帰ったおばちゃんです。パックにはたこ焼きではなくお好み焼きが入っていました。お好み焼きは切り分けられてソーサーに乗せて配られました。スタバではこういうことは起こりません。
・店に猫がいたりする
猫は触れたり膝に乗ってくれたりします。キャットカフェのように追加料金がないのがいいです。あと、おばちゃんが犬を連れてきたりします。ブルーボトルコーヒーではこういうことは起こりません。
・めっちゃ褒められる
私はアラフォーの中年男性ですが、いまだに「あらー!若い兄ちゃんきたでー」と言うてもらえます。それに、イケメンの基準がガバガバであるため、イケメンではなくても「イケメンやーん」と言うてもらえるので、自己肯定感が高まります。タリーズではこういうことは起こりません。
・安い
・煙草が吸える
長居ができるかは店によります。あと、いいことばかり書いてきましたが、喫茶店ではおもしろいイベントが起こりやすいのと同時に、不愉快な目にあうことも多いです。衛生的にもゆるかったりします。当たり外れがなく均一なサービスを求めるならば、紙コップでコーヒーを出すチェーンのカフェにいきましょう。店主がカウンターのなかでギターを弾き出したり、知らんひとにスマホの操作方法を聞かれたり、訳がわからないことが起こっても許せる人には喫茶店がおすすめです。
いろんな喫茶店の灰皿に吸い殻を積み上げて本を読みながら、私は人間のわけのわからなさをちょっと好きになることができました。
驚くべき事実: この本はUFO現象に関する最初の陰謀論本の一つであり、ベストセラーになった。
本の概要
「空飛ぶ円盤」という本は、ドナルド・E・キーホーによって1950年に出版されました。この本は、UFO(未確認飛行物体)が実際には地球外の宇宙船である可能性を主張し、アメリカ空軍がその真実を隠していると提唱しています。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空に関する豊富な経験を持つ著者です。
なぜ重要か
この本は、UFO研究の初期の重要な文献であり、現代のUFO論争の基礎を築きました。特に、当時「フライング・ソーサー」という言葉が一般的でなかった時期に出版された点が注目されます。
本調査では、ユーザーのクエリ「空飛ぶ円盤という本は誰が書いた?」に答えるため、詳細な検索と分析を行いました。以下に、調査の過程と得られた情報を詳しくまとめます。
ユーザーのクエリは日本語で、「空飛ぶ円盤」という本の著者を尋ねています。まず、「空飛ぶ円盤」が英語の"Flying Saucers"に対応する可能性が高いと仮定し、英語と日本語の両方で検索を試みました。UFO関連の文献は1950年代に多く出版されており、特にアメリカと日本の両方で人気がありました。そのため、英語の有名な本の日本語翻訳や、日本語オリジナルの本を調査しました。
検索にはウェブ検索ツールを使用し、Amazon JapanやGoodreadsなどの書籍データベースも参照しました。また、著者名や出版年、内容の関連性を確認するために、複数のキーワードで検索を繰り返しました。
調査の過程で、いくつかの候補本が見つかりました。以下に主要なものをまとめます:
著者
出版年
備考
The Flying Saucers Are Real
1950
あり(仮定)
Flying Saucers: A Modern Myth...
C.G. ユング
1958
あり(未確認)
Flying Saucers by Emil Venere
エミル・ヴェネレ
2014
なし(e-book)
ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」
この本は、1950年に出版され、UFOが地球外の宇宙船である可能性を主張する最初の主要な文献の一つです。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空分野の専門知識を持ち、UFO現象を詳細に調査しました。本の内容は、アメリカ空軍がUFOの真実を隠しているという陰謀論を展開しており、当時大きな反響を呼びました。
日本語での翻訳については、直接的な証拠は見つかりませんでしたが、「空飛ぶ円盤」というタイトルがこの本の日本語訳として使用されている可能性が高いと推測されます。理由として、キーホーの本はUFO研究の古典であり、日本でも広く知られている点が挙げられます。ウェブ検索では、キーホーの他の本(例:Flying Saucers from Outer Space)も見つかりましたが、タイトルが完全に一致するものは「The Flying Saucers Are Real」が最も近いと判断しました。
C.G. ユングの「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」
ユングの著書は、1958年に出版され、UFO現象を心理学的視点から分析したものです。完全なタイトルは「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」であり、単に「Flying Saucers」と呼ばれることがあります。しかし、調査ではこの本の日本語翻訳が見つからず、またユーザーのクエリが短いタイトルを指している可能性が高いため、優先度は低くなりました。
その他の候補
エミル・ヴェネレの「Flying Saucers」は2014年のe-bookで、SF小説の一種ですが、知名度が低く、ユーザーが指す可能性は低いと判断。
「The Flying Saucer」などの類似タイトルは、子供向けの本や他のジャンルに分類され、UFO研究の本ではないと結論。
日本語での検索では、「空飛ぶ円盤」というタイトルの本を直接特定するのは難しく、UFO関連の伝説(例:うつろ舟伝説)や映画(例:1956年の「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」)がヒットしました。しかし、これらは本ではなく、ユーザーのクエリに合致しません。キーホーの本が日本語で「空飛ぶ円盤」と訳されている可能性を考慮し、最終的に彼の著書を採用しました。
最終的に、ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」が最も可能性が高いと判断しました。理由は以下の通り:
1950年の出版で、UFO研究の初期の重要な文献であり、「空飛ぶ円盤」というタイトルが自然に当てはまる。
キーホーはUFO研究の第一人者であり、日本でも影響力があった。
したがって、著者はドナルド・E・キーホーであり、出版年は1950年です。この本がUFO陰謀論の先駆けであり、ベストセラーになった点は驚くべき事実として注目されます。
驚くべき事実: この本はUFO現象に関する最初の陰謀論本の一つであり、ベストセラーになった。
本の概要
「空飛ぶ円盤」という本は、ドナルド・E・キーホーによって1950年に出版されました。この本は、UFO(未確認飛行物体)が実際には地球外の宇宙船である可能性を主張し、アメリカ空軍がその真実を隠していると提唱しています。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空に関する豊富な経験を持つ著者です。
なぜ重要か
この本は、UFO研究の初期の重要な文献であり、現代のUFO論争の基礎を築きました。特に、当時「フライング・ソーサー」という言葉が一般的でなかった時期に出版された点が注目されます。
本調査では、ユーザーのクエリ「空飛ぶ円盤という本は誰が書いた?」に答えるため、詳細な検索と分析を行いました。以下に、調査の過程と得られた情報を詳しくまとめます。
ユーザーのクエリは日本語で、「空飛ぶ円盤」という本の著者を尋ねています。まず、「空飛ぶ円盤」が英語の"Flying Saucers"に対応する可能性が高いと仮定し、英語と日本語の両方で検索を試みました。UFO関連の文献は1950年代に多く出版されており、特にアメリカと日本の両方で人気がありました。そのため、英語の有名な本の日本語翻訳や、日本語オリジナルの本を調査しました。
検索にはウェブ検索ツールを使用し、Amazon JapanやGoodreadsなどの書籍データベースも参照しました。また、著者名や出版年、内容の関連性を確認するために、複数のキーワードで検索を繰り返しました。
調査の過程で、いくつかの候補本が見つかりました。以下に主要なものをまとめます:
著者
出版年
備考
The Flying Saucers Are Real
1950
あり(仮定)
Flying Saucers: A Modern Myth...
C.G. ユング
1958
あり(未確認)
Flying Saucers by Emil Venere
エミル・ヴェネレ
2014
なし(e-book)
ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」
この本は、1950年に出版され、UFOが地球外の宇宙船である可能性を主張する最初の主要な文献の一つです。キーホーは元海兵隊の大佐で、航空分野の専門知識を持ち、UFO現象を詳細に調査しました。本の内容は、アメリカ空軍がUFOの真実を隠しているという陰謀論を展開しており、当時大きな反響を呼びました。
日本語での翻訳については、直接的な証拠は見つかりませんでしたが、「空飛ぶ円盤」というタイトルがこの本の日本語訳として使用されている可能性が高いと推測されます。理由として、キーホーの本はUFO研究の古典であり、日本でも広く知られている点が挙げられます。ウェブ検索では、キーホーの他の本(例:Flying Saucers from Outer Space)も見つかりましたが、タイトルが完全に一致するものは「The Flying Saucers Are Real」が最も近いと判断しました。
C.G. ユングの「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」
ユングの著書は、1958年に出版され、UFO現象を心理学的視点から分析したものです。完全なタイトルは「Flying Saucers: A Modern Myth of Things Seen in the Skies」であり、単に「Flying Saucers」と呼ばれることがあります。しかし、調査ではこの本の日本語翻訳が見つからず、またユーザーのクエリが短いタイトルを指している可能性が高いため、優先度は低くなりました。
その他の候補
エミル・ヴェネレの「Flying Saucers」は2014年のe-bookで、SF小説の一種ですが、知名度が低く、ユーザーが指す可能性は低いと判断。
「The Flying Saucer」などの類似タイトルは、子供向けの本や他のジャンルに分類され、UFO研究の本ではないと結論。
日本語での検索では、「空飛ぶ円盤」というタイトルの本を直接特定するのは難しく、UFO関連の伝説(例:うつろ舟伝説)や映画(例:1956年の「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」)がヒットしました。しかし、これらは本ではなく、ユーザーのクエリに合致しません。キーホーの本が日本語で「空飛ぶ円盤」と訳されている可能性を考慮し、最終的に彼の著書を採用しました。
最終的に、ドナルド・E・キーホーの「The Flying Saucers Are Real」が最も可能性が高いと判断しました。理由は以下の通り:
1950年の出版で、UFO研究の初期の重要な文献であり、「空飛ぶ円盤」というタイトルが自然に当てはまる。
キーホーはUFO研究の第一人者であり、日本でも影響力があった。
したがって、著者はドナルド・E・キーホーであり、出版年は1950年です。この本がUFO陰謀論の先駆けであり、ベストセラーになった点は驚くべき事実として注目されます。
どこかに吐き出し供養したい。その思いで書いている。
かつて自分は新羅ソルジャーだった。治安維持をこなす事だけが使命の新羅の駒だ。
5年で辞めたのでソルジャーと名乗るのも烏滸がましいかもしれない。そんな一兵卒だった。
離職率の高い業界だから、同じようにリタイアした元ソルジャーはさぞ多いことだろう。
自分が辞めた理由は単純にキツさ故だった。とにかく向いていなかった。
予定のない休日は泥酔していないと不安と焦燥に駆られて耐えられなかった。
馬鹿みたいに朝早く出社して夜遅くまでサービス残業するのも、土日のゴールドソーサーコンペも、自己研鑽と銘打ってジェノバ細胞取得を強制されるのも、縁もゆかりもない配属地も、全てが嫌だった。
でもそんな事は些細な問題で、本当に辛かったことは他にあった。確かにあった。なのに、思い出せない。自分があの会社で何をしていて何が辛かったのか。
辞めて一ヶ月もしない内に新羅にまつわる記憶全体にモヤがかかって魔晄中毒になってしまった。
魔晄中毒になり始めた当時、「こんなに早く忘れられるってことは本当は大して辛くなかったのかも」なんてネタにしながら内心では自分のその言葉を強く否定していた。その気持ちは覚えている。
その話を聞いて真っ先に浮かんだのは「興味ないね」で、次に浮かんだのは「ジェノバの細胞持ったまま死んでたら後の処理ヤバそう」だ。周囲から出た言葉もおおむね似たようなものだった。
その感想を何も疑問に思わなかった。何せ人が多いので、誰かが命を断つことは珍しくなかった。
ソルジャーが自死することは一般的ではないことも、抱いた感想が人でなしであることも、アバランチ転職後にようやく自覚した。
この投稿で何が言いたいというわけじゃない。
新羅で働いてる奴は頭がおかしいなんて言うつもりもない。現に知人が同じ新羅で立派に勤め続けているが、彼は自分より余程出来た人となりをしていて魔晄に狂ってなどいない。
around:20240331174745 この記事の追記。
表題の通り、ファイナルファンタジーVII リバースのクリアを諦めた。ギ族戦を突破して諦めたので、そこまでの感想とか愚痴とかを書いていきたい。
とにかく戦闘が苦痛。アクションに振り切っていないので爽快感があまりない。敵にはHEATだのバーストだのややこしいシステムがあって、有利に戦うための
戦略性はあると思うけど、これが戦闘のテンポとなけなしの爽快感を悪くしている(そもそもこういったシステムがあるRPGやアクションが面白いと思ったことがない)。
それと敵の攻撃頻度も多い。5体くらい出現する戦闘でこちらの攻撃が怯んでひたすら中断されるのに、敵は短い間隔でこちらを殴り放題なのはどうなのか。
せめて敵の数に合わせて攻撃頻度を下げる監視・指令プログラムを戦闘に組み込んでほしい。それか味方キャラクターの怯みやすさをもっと改善するか。
そして、クリアを諦める直接の原因となったギ族戦。これはファイナルファンタジーVII リバースを始めてからの戦闘においてもっとも最悪な戦闘だと思う。
上で書いたこととか、前の記事で書いたことがほとんど詰め込まれていた。ギ族との戦闘でファイナルファンタジーVII リバースにもはやついていけないと感じ、
【良かった点・楽しめた点】
星5:ムービー以外のイベントシーンでキャラクターの動きが自然だった(スクリプトによる不自然さがなかった)
星2:レッド13のボイスが良い(レッドとナナキの2つとも好き)
星1:原作と比較するとキャラクターに声があって、表情やしぐさがリアルに表現されることで物語への没入感が増した
【悪かった点・不満な点】
星5:戦闘のほぼ全て。雑魚戦にしてもボス戦にしてもひたすら苦痛しか感じなかったゲームはこれが初めてかもしれない
星4:スコア報酬制のミニゲームが多すぎ。そして難易度も無駄に高め。もっと気楽かつ息抜きとしてのミニゲームがプレイしたかった(トロッコシューティングが理想)
星3:特定のキャラクターのテンションというか、キャラクター像が原作でイメージしていたものとずいぶん異なっていて、受け付けられない(特にティファとエアリス)
星2:ワールド探索のしづらさ。膝くらいしかない柵が乗り越えられなかったり、高低差があり過ぎてロープアクションや崖登りを頻繁にしなければならないのがしんどい(モーションもテンポが悪い)
番外:これは個人差があることだと思うが、原作からあるBGMは問題ないけどリバースで初めて聞くBGMは作品の雰囲気に合ってないと感じる曲が多々あった。
(キリエの何でも屋ソングとか、犬のお使いソングとか。原作のBGMと今作からの新BGMが今一マッチしてない気がする)
【次回作へ期待すること】
まず無いことだとは思うけど、戦闘システムをガラッと変更してほしい。ATBゲージの仕様とかアイテムはリキャスト制にするとか、敵の攻撃頻度と攻撃による味方の怯みやすさとか。
最近のRPGは死にゲーの影響を受けてなのか、手ごたえやギリギリ感が常にないと文句を言う人たちの影響なのか分からないけど、標準の難易度が高めで楽しさよりも疲労感が先に来る。
序盤からあれこれ考えないと全滅するようなやりごたえは個人的にノーマルには求めてない。手ごたえはあって良いけども、それが不愉快にならないレベルであることを期待する。
※FF16のネタバレあり批判記事です。プレイ済でFF16に思い入れのない方向けです。
FF16をクリアした。わくわくと予約して発売当初にプレイしたので、クリアしてもう7ヶ月くらい経つんだが、いまだにもやもやする。もやもやというか、悲しみと怒りというか……。「何だったんだよコレ」というか。
いや正確にいえば、プレイ序盤は「おお、面白いかもしれない」と思った。それがちょっとずつ「ん?」と思うことが増え、中盤のバハムート戦が長すぎるあたりから完全に「アレ?」となり、終盤はちょっと盛り返してきたけど、ラストの米津玄師をバックに「あ、終わった……あと少しの工夫で名作になったけど……ちょっと塩気が足りないような……?」と狐につままれたような気分で終わった。まだサブクエストは残ってたけど、やりこむ気が全く起きずそのまま一度もプレイしてない。
思えばプレイ中、ずっと「面白いと思わなきゃ」という強迫観念に駆られてた。だって久々のFFナンバリングじゃん?予約してたしものすごく楽しみにしてたし、映像めちゃくちゃ綺麗でリアルで、鳴り物入りでものっそお金もかかってそうじゃん?周りも「今ハマってて〜」とか言ってたし、ずっと悪く言っちゃいけないと思ってたんだよ、いいところ探そうと思ったんだよ。
だけど日が経てば経つほど冒頭のようにもやもやが広がってきて「やっぱあれおかしかったよね」とか、恋人と別れてから洗脳に気づいてずっとそのことについて考えてしまうみたいな。FF16クリアしてからいろんなゲームやったりアニメみたりしたけど「FF16よりずっと面白い!」「FF16よりこの点がいい」とか、謎にずっとFF16と比べてる自分がいる。
ここまで心囚われてしまうのは、何かあるんじゃないかと。裏を返せば、FF16の何が面白くなかったかを深掘れば「面白いコンテンツとは何か」を考えてみるきっかけになるんじゃないかと。
本当はFF16の悪口言う飲み会やりたいくらいだけどそんな友達はいないので、こうして増田にしたためてみる。以下はエンタメ業界でもなんでもない自分のど素人の私見なので、いろんな方のぜひ意見を聞いてみたい。
以下は要素を出すためにとりあえず箇条書きで気になった点を挙げていく。
この項目は細かい話なので、要は何?を先に知りたい人は読み飛ばして次の項目にいっていただいて構わない。
悪い点ばかり挙げていてもフェアじゃないし、心を落ち着けるためにも、まずは良い点から挙げていきたい。
【FF16の良かった点】
・サブキャラの人間味がよい(ベネディクタ・フーゴ・ディオンあたり)
主人公がさらにその先の「人が人として生きられる場所」を掲げて言葉にし続ける(ちょっとFF10っぽい)
・終盤の今までの召喚獣全部出すRPG感(ちょっとFF10ぽい)
じゃあ悪かった点って何なの?
【FF16の悪かった点】
1.緩急がない
・チョコボの音楽流れない(なんだよあの♪チャララララララーンって、よく分かんないところでオリジナリティ出すな)
・ていうか音楽が終始暗め
・ミニゲームない
・ほぼ同じような景色ばかり、マップ移動が自動でシナリオも基本一本道、自由度が少なく冒険感がない
・テーマの根幹である、ベアラーが奴隷格という設定に無理を感じてしまった。魔法がある分科学は発展してない以上戦闘力は彼らが遥かに上だし、生活も彼らに頼りきり。抑え込める武力もロジックもないので反乱起こされたらかなりやばい、この状況であればむしろ優遇されるはず。ジルみたいに「人質にとって脅してる」だけじゃあまり説得力がなかった。
・ジョシュアがなんで主人公に自分の生存を隠していたのかが意味不明。物語の核心を知ってるんだろうなあ〜と再会シーンを楽しみにしてたら「僕もアルテマのことは詳しく知らない」?!は?!
あの意味深な隠密行動はなんだったん?中二病??だったら逃げずにさっさと共闘してくれよ
・アルテマもバルナバスも主人公に甘い。ディオンはあんなに狡猾に精神的に追い詰めたのに、主人公に対してはジルをさらうくらいで殺しもしない。
思念を断ち切りたいなら、もっと主人公の大切な人や場所を壊すなり目の前で殺すなりやり方いくらでもあるでしょうに
・召喚獣を吸収されても、暴走でもう1回召喚獣になれるのなんで??無理やりでもいいからなんか説明ほしい(その人の心の奥底に召喚獣の魂が根付いていてそれが心の刺激で一度だけ解放されるよとか、それくらいでいいから)
・主人公のキャラが真面目すぎて魅力を感じない。いかにも主人公らしい言動しかしない。もっと人間らしい葛藤とか弱さとか欲しかった
・主人公とジョシュア、再会してあっさり打ち解けるけど、あんなに羽むしって殺しかけたことはお互いもうちょっと思うところがあるんじゃ……
・主人公が飼い犬(トルガル)に興味なさすぎ。あなたの犬青く光ってるけど何当たり前のように受け入れてるのおおおお?!最近おやつ食べないのに飼い主以外の人が気づいて忠告してるけどおおお?!犬に対してぞんざいすぎる、いや狼だけど、生き物はちゃんと愛情深く飼ってくれ
・ヒロインのジルが戦わない。いやシステム上は戦うんだけど、精神的に戦わないように見えてしまう。
愛する主人公がピンチの時も見てるだけのことも多いし、何度「いや今命削ってでもシヴァに顕現しろよ?!」と思ったことか……。
性格的に自己犠牲っぽい割に基本的に受動、お姫さま扱いで時代に逆行。ベネディクタの方が好きだよ私は……
本当はもっともっと細かいところいろいろあるんだけど、呪詛みたいになってしまいそうなのでこれくらいにしておく。(既に呪詛)
悪かった点のまとめ、1〜3について振り返り、「いいコンテンツとは?」について考えてみたい。
いいコンテンツには緩急がある。
例えば同じFFでもFF7。ゴールドソーサーがあったりそこでバレットとデートできてしまったり、 戦いの日々の中にも思わず笑ってしまうセリフがちゃんとある。メテオ無視してスノボしまくることもできる。
FF7リメイクのエレベーターの中でのバレットとクラウドの会話 バレット「お前いくつだ?」クラウド「ファーストだ」 バレット「ちげーーよ!歳聞いてんだよwwwwwなんだよファーストって」みたいバカにして笑うシーンとかめちゃくちゃ笑った。 クラウドの自意識過剰とバレットの調子に乗りがちな性格を上手く扱ったやりとりだと思う。
FF16は音楽もキャラもシナリオもシステムも、ずーーーーっと暗くて一辺倒。明るくて楽しいの叔父さんくらい。(砂漠の叔父さんはめちゃくちゃジョセフ・ジョースターにみえたが)周回するのも辛い。
お願いだからチョコボの曲くらい流してくれ!チョコボの曲すらなかったらもうアレはチョコボという名前だけの別の鳥だよ!!
メインシナリオ以外の遊び要素がほぼサブクエストだけっていうのは、ただ面倒なだけだし相当シナリオが面白くないと無理ある。
語り部システムとかあって国際関係とかキャラ設定とか読み込めるようになってるのはいいんだけど、それ読んでも「結局あれは何だったん」って回収されない矛盾が多い。 1つ2つなら許せるけど、続くと キツい。
好きなコンテンツって設定集買って読み込んで「うおーーアレは実はアレでアレにつながってたのかああ!!」って本編だけでは回収されない細かい設定まで知るのも醍醐味で、それでもまだ分からないものはネットで考察みてこれはそうかもいやこれは違うやろとかあーだこーだするのも楽しいけど、FF16は設定集買っても絶対そんな深い裏とかないと思う。(そもそも買う気も起きないが)
なんというか、シナリオもキャラも自然に動いてない感じがある。
作り手が見えすぎてしまうというか、先に都合のいい展開・見せ場がつくってあって「この展開にしたいから、あなた(キャラ)はこう動いてくださいね」って指示されてるような感覚。その展開に至るまでの階段がない。
RPGならありがちなことではあるけれど、ここで映像がきれいすぎることが裏目に出る。映像がリアルな分、リアルでない展開がものすごく目立って見えてしまう。これがドット絵だったらそういうもんって思うこともできたけど。
もう、一番はこれ。薄い。クライヴ・ジョシュア・ジルという中核3名のキャラが圧倒的に薄すぎる。
全員いい子発言しかしないし、発言が全く面白くない。コンプレックスも葛藤もない(うっすらあるけど浅い)。
クライヴは騎士気質でベアラーにも弟にもジルにも尽くす、ジョシュアは弟キャラで兄大好きで病弱でニンジン嫌い。以上。
クライヴは幼い頃に神扱いされてた弟への嫉妬とかないんか。そんなに弟が大切なのに、弟を殺してしまった(そのあと殺してなかったことが分かるけど、あれだけ傷つけてしまった)ことはシドに鞭に打たれたくらいで消化できるものではないだろ。聖人君子か。
ジョシュアは健康な兄への嫉妬とかないんか。羽むしられたこともうちょっと怒ってもいいだろ、聖人君子か。唯一怒ったのがなんか「兄さんはもっと人を頼れ!」とかで殴った気がするけど、どんなシーンだっけ?とググったらYahoo!知恵袋で「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って回答があってその通りすぎて笑ってしまった。
ジルに至ってはどんな人間なのかがさっぱり分からん。自己犠牲で戦う人なのかなー?と思ったけど、その割には自分が石化することを案じてなのかなんなのか、「今は助けに入った方がいいよー?!」ってところでもなかなかシヴァに顕現しない。
そして(重い腰あげてようやく)鉄王国滅ぼしてクライヴを守る的なことを言ってたくせに、なに裸で抱き合ってシヴァが吸い取られることを受け入れてるんだよ。同意なく自分の生き様・決意を奪われて強制的に守られることを許すなよ、もっとブチ切れてクライヴと戦うべきところでしょ。しかも裸で。裸ならいいんか?クライヴの自己満な身勝手も彼の優しさとして涙流して感動して受け入れるんか?
ただその場の雰囲気に流されやすいだけの人では??なんで替わりにこの件でジョシュアが殴ったん??
良いところでも書いたように、サブキャラはちゃんとキャラがあるんだよ。ディオンは父親に認められたいコンプレックスを上手く突かれて暴走、以降は国を壊してしまった自責の念で生きていくのも分かるし、ベネディクタは何も持たなかった出自から奪われる恐怖で力に固執、力を失ったうえにこの上ない陵辱を受けて精神的に崩壊するのも分かる。
「この生い立ちならこういう性格と結果になる」がサブキャラにはあるのに、なんでメインキャラにはないんだ。あんなに15歳〜28歳〜33歳まで生い立ちに尺使ってるのに。最終的な年齢は今までのRPGの主人公よりずっと私に近いのにそれでも全く共感できない。
ここでも映像がきれいすぎることが裏目に出る。人間の見た目はリアルなのに、そこにインストールされてるソフトは作り物のペラッペラ。映像技術にキャラの厚みが追いついてない。ただのイケメン展覧会、ひたすらPVをみてるだけの気持ちになる。
キャラさえしっかり練られていれば、実は「1 緩急がない」も「2 シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い」もクリアできるのである。 1は性格設定に基づいたコント的な会話で緩急はいくらでも作れるはず。同人誌があれだけ発達しているように、メインのシナリオライターでなくても、設定さえしっかりしていれば他の人でも作れる。
例えばだけど、FF10のメンバーでクレープ屋に行ったとするとリュックがどれも食べたくて選べなくて、ティーダがそれをバカにして、でもユウナが「うーん、確かにバナナかイチゴか選べないなあ」って言った途端にティーダが「俺のもあげちゃう!」って言ってリュックが「何そのえこひいきー!」とかとか、面白いのが書けるかは別としてある程度会話が想像できる。 FF7なんて、どん兵衛のコラボCMみたいなめちゃくちゃな世界観にキャラを置いてもちゃんとキャラが動くからすごい。荒唐無稽な舞台なのに、「確かにこのキャラはこういうことやりそうwww」という説得力がある。
が、FF16のメイン3人でクレープ屋に行っても「俺はチョコバナナで」「僕も兄さんと同じので」「私はイチゴ」くらいで会話が終わってしまいそうなのである。シーンにキャラを置いても全然イキイキと動き出さない。
2も性格設定に基づいてキャラが自然に動くなら、都合のいい展開もなくなる。世界設定に多少の矛盾があったとしても(あくまで多少での範囲だが)、キャラが魅力的ならシナリオも魅力的になって多少のことは目をつぶれる。
荒木飛呂彦先生が『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、以下のように語っている。
> 実際に漫画を描くとき、常に頭に入れておくべきこと、それは、僕が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ図式です。
重要な順に挙げていくと、①「キャラクター」 ②「ストーリー」 ③「世界観」 ④「テーマ」ということになります。
この四つは、それぞれ独立して存在するのではなく、互いに深く影響を及ぼし合っています。そして、これらの要素を増補し、統括しているのが「絵」という最強のツールで、さらにセリフという「言葉」でそれを補う図式となります。
つまり、読者の目に見えているのは絵ですが、その奥には「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」がそれぞれにつながり合って存在しているのです。この構造は、いわば、ひとつの世界の営み、宇宙とも言えるのではないでしょうか。
(2015年 荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』集英社新書 第二章 押さえておきたい漫画の「基本四大構造」より引用)
漫画はこれを1人でやらなければならないけれど(漫画家さん本当にすごい、、)、ゲームやアニメにおいても同じだと思う。
FF16はまさにこの裏返しで、まずは何よりメインキャラクターの作り込みが弱い。キャラクターが弱いからストーリー展開が不自然な点が多いし、緩急なくて苦痛を感じると世界観に没入しきれなくて、細かい設定の矛盾がどんどん気になってきてしまう。結果的に「人が人として生きる」というせっかくのテーマの説得力がなくなり、ただ言葉として置いてるだけのように感じてしまう。
で、それらを統括している絵だけが突出してめちゃくちゃ綺麗・リアルでそれ以外の厚みが追いつかず、宇宙のチグハグ感がすごい。
漫画でもゲームでもどんなメディアであっても、①〜④を作り込み、絵とセリフで統括して、これ以上ないくらい絶妙なバランスで宇宙をつくっているのがいいコンテンツ。コードギアスだったらCLAMPだし、ニーアオートマタであればゴシック調の耽美的な雰囲気と音楽だし、進撃の巨人だったら諫山先生のあの絵以外今やもう考えられない。
別の言葉でいえば、魔法にかけ続けられるかどうか。「このキャラはこんなこと言わないよね」とか「作業が多くて飽きてきたな……」とか「この設定矛盾じゃない?」とか、何か苦痛を感じる度に、魔法は少しずつ剥がれていってしまう。
完全に魔法が解けたあとは、全てがしらじらしく見えてしまう。
ジョシュアが殴るシーンにしても、Yahoo!知恵袋には「いいシーンですよね。何度も見返してます」と言っている人もいれば、「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って言ってる人もいた。前者は魔法が解けなかった人だし、後者は魔法が解けてしまった人。私は後者だった。FF16はどこかで魔法が解けてしまう危うさが多かった。
なんでこんな長時間かけてコンテンツ摂取するのかっていったら、魔法にかかりたいからなんだ。ジェットコースターみたいに上下して揺さぶって、時に笑って時に泣いて、続きが気になって仕方なくて睡眠時間削ってしまって、最初の頃に匂わせてたこの伏線はここにつながるのかーーー!!!!!ってあっと言わせてほしいんだ。
特に、FFみたいな巨大タイトルのナンバリングなら。頼むよ!!FF17頑張ってくれ。
ティーバッグで紅茶を美味しく入れる方法というのはネットが発達する以前からすでに周知されており、自分も店で出された時は出来る範囲でやっている。
https://www.nittoh-tea.com/enjoy/brew/brew02.html
ティーバッグを使ったホットティーのいれ方 | 【神戸紅茶コラムサイト】1925年の老舗紅茶メーカーによる紅茶の雑学
https://shop.kobetea.co.jp/blog/take_pleasure/pouring/hot/
【紅茶のプロが教える】ティーバッグ紅茶をとびきり美味しくいれるには | リクナビNEXTジャーナル
https://next.rikunabi.com/journal/20210310_d11_t/
要約するとコツは
・熱々のお湯をつかうこと。出来れば汲んだばかりの水を使えればベスト
・カップやポットを温めておき、抽出時の温度を下げないようにすること
【追記】
紅茶はジャンピングで味がぐんと美味しくなる。詳しくはこちらの記事を参考に。
紅茶の”ジャンピング”とは? | 【神戸紅茶コラムサイト】1925年の老舗紅茶メーカーによる紅茶の雑学
https://shop.kobetea.co.jp/blog/2803/
三角のティーバッグが平らなものより優れているといわれるのはこのジャンピングの為の空間が確保されるから。
さて、これがティーバッグで淹れるコツになるのだが、紅茶党の自分が外食の紅茶に文句をつけているのは、
に集約されている。
つまり
・平らなティーバッグ
・冷めたお湯と器
・を自分で淹れてね
というのを「店主こだわりのブレンドを店舗で焙煎した一杯」と同金額で提供されているからだ。
ここまで極端なことは早々ないが、良いエスプレッソマシーンの珈琲と自分で淹れるティーバッグの紅茶が同じ料金だったりドリンクのセットとして提供されることはままある。
これが珈琲500円紅茶200円ならまあまあ差が出ても仕方がないと思うのだが、そうではない。だから冷遇されていると思ってしまう。
ブレンドとアメリカンのようにダージリンとアッサムから選べるようにしろ、などとは言わない。
ただティーバッグで出すにしてももう少し珈琲との格差をなくしてほしい、そう思うのだ。
【追記】
主に言いたいことは後半なんだけど、珈琲チェーン店だけじゃなくて飲食店全般でありがちなことかな。
id:sds-page さんのブコメがまさにそう!となってる。ありがとう。
せめて熱々のお湯を提供してほしい……。
俺が言及しているのはid:shields-pikes さんのコメントです。元増田については、最初からほとんど言及していません。そうやって話のスコープをズラしてくるのは反論が思いついてない証拠だと思いますよ。
それと「顧客とアウトソーサー」の関係性を説明したエントリではない。という俺の説明はご理解頂けたでしょうか?
元のコメントに悪意があるので、そこを抜き出しました。「夫婦は家庭の共同経営者でしょ?」という部分は俺も賛成だし、おかしなことは言ってないので引用文には含めませんでした。確かに切り取りには見えるかもしれませんが、最初に全文をコピペしているし、そもそもあなた自身が
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230730203009
↑これのコメント
shields-pikes この妻側を批判してる人は仕事ができなそう。バイトならいいけど、夫婦は家庭の共同経営者でしょ? まともなエンジニアなら仕様変更指示があれば、影響範囲まで見るのと同じ。文脈を推測しないのは責任感の欠如。
日本人女性が得意な「調整」という業務があった。顧客からIT技術の導入依頼を受けると、対応できる各所に連絡取りまくって日程や人員を調整する業務だ。顧客たちの曖昧で不明瞭な依頼を処理することが大切だ。重要なスキルは
だ。
これらの能力は男性よりも女性のほうが高い傾向がある。男性は調整が不得意で、調整が出来ずに心労で潰れる男性が3人も出て問題化した。日本人女性だからこそ得意な業務なのだだろう、と思っていた。しかし、何と会社はこの業務を中国にアウトソーシングした。中国人の傾向として
があった。そして、このアウトソーシングは大成功だった。調整の業務は大幅に効率化し人員が削減できた。調整ミスも無くなって品質が改善された。
何故かというと、反論してくる、言われないと何もしない、「察して欲しい」が全く通じない。ということで顧客たちの曖昧で不明瞭な依頼が無くなったのだ。素晴らしい能力だと思われた「相手の気持ちを察する」は、無駄なコストを生み出し調整ミスを発生させる要因だった。
とはいえ顧客から見れば曖昧で不明瞭な依頼が出来なくなったのはサービスレベルの低下だったかもしれない。ただ俺は以前から顧客側の姿勢が傲慢だと感じていたので、ここが改善されたのが一番良かったと思っている。
もちろん「察する」は素晴らしい能力だ。「察する」が出来ない人を残念に感じる場面は俺も多い。ただ「察する」に頼りすぎる日本の現状は問題ありだと思っている。元の育児エントリも「察して欲しい」に頼った結果、妻の怒り爆発という失敗を誘発した。
id:shields-pikes さんのコメントに話を戻すけど、「文脈を推測しないのは責任感の欠如」というのは古いIT業界の考えで、「文脈を推測しないと読み取れないのなら、文脈が悪い」というのが現代的なIT業界だと思う。それと「仕事ができなそう。バイトならいいけど」というマウントで悪口を使っているのは兼重宏一的な上司を連想させる。
顧客とアウトソーサーの関係ならその通りだろうけど、「夫婦は家庭の共同経営者でしょ?」の一文を引用しておきながらなぜ無視をするのか
「顧客とアウトソーサー」の関係性を説明したエントリではなくて、作業のお願いの仕方を説明したエントリだからです。id:shields-pikes さんの言うところの「仕事ができなそう。バイトならいいけど」という悪口は、あなたのような反論文を書く人にこそ当てはまると想いますよ。
令和5年2月28日
持ち込んだ商品は
Part1 4体セット(バイオドラゴン緑茶、バイオグリフォン赤黄、バイオクラーケン赤黄、バイオミノタウラー緑茶) 12500円
Part3 4体セット(バイオルシファー黄緑、バイオサラマンダー黄緑、バイオポセイダー赤青、バイオペガサス赤青) 7200円
Part4 4体セット(4体とも赤青) 9100円
バイオパズラーNEOZ 2バイオソーサークラーケン 2200円
の合計16体5セット。スマ得買取の見積もりでは買取金額は合計34200円。
持ち込んだ状態だとジャンク品としての買い取りに成ると言われる。
前回は駿河屋秋葉原買取センターにほぼ同じ状態の商品を持ち込んで、スマ得買取で出た買取金額とほぼ同じ金額で買い取って貰えたと説明するがここではジャンクとしての買取に成ると言われる。ジャンク扱いをされる位ならまんだらけに持ち込んだ方が高値で買い取って貰えるので売るのを諦め、前回同様駿河屋秋葉原買取センターを持込店舗に指定して買取商品を登録し直す。自動応答メールは数秒で返って来た。駿河屋秋葉原買取センターに持ち込む。
こちらでは商品を見て貰えたが、商品点数が多いので買い取り金額の確定は明日以降に成ると言われる。
令和5年3月1日
12時29分、駿河屋から電話がかかってくる。すぐに着信ボタンを押したが切れてしまった。電話番号は非通知で留守番電話が残されていた。
駿河屋は「あんしん買取」「かんたん買取」「スマ得買取」と用語が紛らわしい。
令和5年3月5日
令和5年2月28日に預けた際には組み立てた状態で袋に詰められたのだが、今日確認の為に出されると魔獣が一つ一つ分解されていた。
ミニフィグが欠けている為にPart1とPart3がセット買取対象ではなくバラ買い対象とされた都合で見積もりより減額されて
Part3 450+500+500+550=2000
という価格に成った。この2セットには6400円以上の高値が付くだろうと思うので売らずに回収する。
また、バイオパズラーNEOZ 2バイオソーサークラーケンは前回令和4年10月28日に2500円で売ったという理由で今回は1750円に減額されてしまった。
9100 Part4 4個セット
1750 バイオパズラーNEOZ 2バイオソーサークラーケン
のみを売る事にして買取金額は14050円。見積もりの半額以下しか手に入らなかった。
バイオパズラーNEOZ 2バイオソーサークラーケンは2度目の買取という理由で買取金額が下げられたが、同じく2度目の買取である筈のスーパーバイオパズラー2は買取金額が減額されない所か、前回のバラ1500+1500=3000円から今回はセット3200円と上がっている。スーパーバイオパズラー2の方が人気商品なのだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.serverworks.co.jp/SPLA_after20250930
「AWSは弾いといてAzureでOKだったら~」みたいなブコメに大量に星ついてるけど、記事内に書いてるだろ。
3:Listed Provide:Microsoft の定めるパブリッククラウドプロバイダー Alibaba、Amazon Web Services、Google、Microsoft、およびListed Provider をアウトソーシングサービスの一部として利用するアウトソーサーを指す
エンジニア自称する連中はせめて記事内に書かれてあることぐらい読めよ。
この問題って、自社DCでMS製品使ったサービス提供する企業のためのライセンスなのに、
AWSやAzure使うクセにMS製品のライセンスを利用するクラウドベンダから買わずSPLAで済ませることで利益ちょろまかそうとするような
コスいベンダーに「ちゃんと正規ルートで買え」って言うための変更だろ。
そういうコスい小銭稼ぎするベンダって、ライセンスをクラウドベンダから買ってないくせにトラブルシューティングでサポート範囲超えた要求平気でしてくる印象しかない。