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2025-11-17

人間関係って自己利益のためなん?

相手が何らかの見返りを求めている人間関係ってマーケット市場)的にみると、自分自身自分自身の一部を購入できる商品として見られてるってことなのかなと、ふと思った。

いや、正確にいえば人間商品として扱われている以前からわかっていた。

昔、知人女性が「月50万円払う。君を飼わせてほしい」と見知らぬ男性から言われたと頬杖をつきながら語っていたことを思い出す。女性性は(特に18歳から24歳まで)容姿のもの価値があって、それは(たとえば水商売みたいに)マーケット内にあり取引可能なんだ。そう思った。

翻って、俺はどうなんだ。

つい最近自分趣味も兼ねて集めてきた専門的な知識情報を、善意で、とある人に渡した。理由はない。ただ相手のためになればいいと思った。

相手は喜んで話を聞いてくれた。おそらく元から私の専門知識が欲しかったのだろうと、出会って少し経ってからわかった。彼はたまに気を使って俺の仕事愚痴などを聞いてくれた。

そういえば、いただき女子マニュアルとやらにギバーおぢからはたくさんいただけると書いてあったらしいね

マーケット市場)的に見れば「資源をどれだけ安く、効率的に入手できるか」は重要だよな。同じように、他人信頼関係を構築する技術自分が得するためには必要だ。他人から効率よくギブしてもらえるからね。

俺が他人を信頼したいと思う気持ちは、いただき女子から搾取されたオッサン連中が抱いていた恋心と同じなんだろうかなあ。

人間は金の成る木で、商品で、どうやって安く買えるかが重要なのかなあ。まるで労働者資本家関係みたいに。

なあ、きみはいつ人が商品だって気づいた?

社会に出てからずっと人間関係が虚しいよ。

俺はただ、かわいそうだとかこの人の成長につながればいいとか、あるいはこの人が喜んでくれたらいいなと、そういう気持ち他人を助けようとしてきた。我々の所属する共同体がよりよく、豊かになればいいと願って。それって市場原理主義者や個人主義からすればきっと自己資源無駄遣いで、自分にとって損でしかいからやる価値がないんだろうね。

相手道徳観や倫理観をハックして自己利益を最大化する。詐欺師や頂き女子などにみられるサイコパスじみた世界観一般人間関係にさえ適用されるようになりつつある。

相手に内在する論理はわかるからこそ、マルクスの指摘したとおり、商品化した人間人間として疎外されていると感じるよ。

俺の善意に基づく努力は、弱者理想論だと冷笑される。公の奉仕者からさえ。

2025-08-14

打撲・圧迫系の被暴力はわりかし平気なんだわ

痛覚は鈍いし吸収用の砂袋になるのは気分がいい

ただ馬乗りでボコれてるところを、頬杖ついてじっ…と見られてるのはきつかったな

あの顔なに?何だったん

2025-06-19

新人、言うこときかねぇ~

・腕組しながら質問しないこと

→言った瞬間は止めるがすぐ腕を組む。というか態度が悪い。背もたれにぐーっともたれながらとか、ペン回ししながらとか、頬杖しながらとか、人にものを聞く態度ではない

・時おりタメ口が混ざるのでしないこと

課長以上にはタメしないからできるはずなのに、平社員に何故かタメ口が混じる

コードの書き方はルールに沿うこと

バイトでやっていたという書き方をするので注意するも「面倒ですね」といってやらない。「長く続く決まりで、こうじゃないといけない理由が~~」と説明しても「面倒じゃないですか」で聞かない。レビュー指摘して上司の目が入ると渋々直す。完璧コードならいいが、エラー処理や例外処理が甘く、しか段落を揃えないとか言う視認性最悪。改修する人のことを考えてと言っても「それ必要なんですか?」と言う状態必要だよ

女性社員に対して上から目線しないこと

新人は男。女性社員から新人さん、やたら上から目線なんですけど…」と言われ、調べると男女で態度が違う。注意して「気を付けます」と言ったが変わらず。男性社員女性ほどではないが上から目線されている。しか派遣さんへの当たりが強い。「こんなこともわからないんですか?」とか平気で言う。ヤバい

研修カンニングしないこと

→回答と全く同じコードにしたので、よく見ていると回答を見ながら問題を解いていた。総まとめで自由に作るものが回答と全く同じは確信犯なので、注意するも次の問題でまた回答を見る。国語記述問題で模範解答と一言一句同じはおかし

・人の話に話を被せないこと

質問してきたかこちらが回答しているのに被せてくる。「これはこういう理由d「でも~」」。こちらが話し終わってから話してください、と注意しても治らず

・手が離せないので後でと言ったら後にすること

→構わず話始める。「後でと言っています10分ほどで話しかますので」と言っても「質問内容短いんで」と言ってこちらの自作業を止めざるを得ない

・髭をジョリジョリ触る音がうるさいのでやめること

→相当うるさく、周りの座席の人から苦情が入ったので注意。「わかりました」というがやめるわけなく、うるさい。ジョリ…ジョリ…ならまだ譲れるが、ジョリジョリジョリジョリジョリジョリってくらいジョリってる。

テスト内容をコピペしないこと

→A版とB版のシステムがあるとする。

テスト内容はほぼ一緒で、A版を新人が、B版を他の人がテストする。B版の人が先に終わり、新人は後に終わった。B版の人が「No1020テストを間違えていた」とのことで、じゃあもA版も間違っているはずでは?と私がテストするとA版も間違えている。新人に「間違いの動作なのにテストOKになっている。もう一度テストしてください」とやり直させる。

また先にB版の人が終わり、後で新人が終わる。

B版の人は癖でNGだったセルに色を付ける。ルールでもなんでもなく、その人特有の癖である

それを知らないはずの新人も同じセルに同じ色を付けている。参考にしたのか…?と思ったが、次のテストで私がコッソリ見分けのつかないレベルランダムに印をつけたら、新人も全く同じ印をつけていた。結構きつめに注意したが、次のテストでまたコピペしていた

・他の人の問題に首を突っ込まないこと

→AさんBさんが悩んで雑談していると、何故か割り込みに行く。私は「自分のことを優先してください」と止めるも、私が席を外した瞬間に割り込んでいる。A・Bさんも「なんで来た?」という状態そもそも独自システムなので、予備知識が0の新人が入ったところで解決するわけもない。新人が「こうすればいいすよ(ドヤ」とすることすべて「このシステムにそれは使えませんよ」と返される。予備知識があれば絶対しないことを新人は知らないので、無駄にA・Bさんの手間をかけさせている。A・Bさんが「ありがう、もう大丈夫(帰れ)」と言ってもしぶとくいる。3回目くらいで戻る。

上司はいい顔しているというか、上にも書いたが丁寧なので印象が悪くない。あとやたら質問する姿勢が「勉強熱心で良い」らしい。確かにメモめっちゃしている。

平の人たちが「あいつはなんだ!だれが採用した!(怒」という状態になっている。

私と先輩が新人教育担当なのだが、なんせ言うことを聞かない。治らない。先輩と一緒に上司に長文報告書を叩きつけて見てもらったが変わる気配なし。

コピペ問題が一番ヤバいがそれについて「じゃあテストから新人を外すよ」「新人だし、ミスることもある」だけで、なんか文句言ったこっちが悪いみたいな状況になっている。

新人は我が部にいなかったプログラム最初からすいすいかける人だ。

しかし、ルールは守らない、「指摘して今後直していこう」なんて上司は言いやがる。

「注意しても直らないから言ってるんです」と言えば「注意の仕方を変えればいいじゃない」と言う。カ~スカスカス。

「態度悪くて教える気が無いです。って以前報告したはずです。これ以上面倒を見ろと言うのなら、私は辞めます。先輩も辞めると言っています」と言ったら「う~ん、そこまでひどいの?」って渋々考え始めた。カスや。

今まで悠々自適な快適社会人ライフを送っていたというのに。

新人さえいなければやりがい給料福利厚生も最高な会社なのに、クソや。

昇進は嫌だなと思っていたけど、こういうことがあると昇進したくなる。地位役職)と言う力がないと、言うことを聞かない奴がいるんだわ。

2025-06-08

新幹線の窓際で頬杖つくたびに、某漫画

ガチ恋客をNG連絡する嬢のシーンを思い出す

2025-05-29

エクセルシオールマグカップが、あまりにも使いやすいので購入して自宅用にしてるんだけど、そろそろ茶渋が取れなくなってきたので買い換えようかと思った。

ら、エクセルシオールマグカップマグカップじゃなくてカップアンドソーサーになっていた。

なんてこった、あの白い磁器のぽってりすとーんとした筒状のマグカップが、エクセルシオールカフェの誇りじゃなかったのか。

渋谷で働いてた頃、なんもかんも嫌になったらエクセルシオールカフェラテベーグル頼んで、両手であのあったかマグカップを持って頬杖ついて、ぬくもりを充電してたんだよなあ。転職することになってしばらく来られなくなるからってマグカップを買ったんだよなあ。当時ブラック企業ワープアだったから(最近ワーキングプアって言葉も聞かないな)、マグカップなんて100均でも売ってるのに500円以上するエクセルシオールマグカップを買うのは、自分にとっては大奮発だったんだよなあ。

あれから5年かあ。そりゃマグカップ茶渋もつくよな。幸い収入は倍近くなって今じゃ500円ちょっとマグカップを買うのにどうして悩んでいたのか自分でも思い出せないし、かっすかすの抜け殻になってエクセルシオールに逃げ込むこともない。けど、いざとなったらエクセルシオールに行けばあのあったかマグカップたっぷり入ったカフェラテがあるっていうのは、いまでもちょっとした心の支えだったから、なくなっちゃったと知ったら、なんだか残念だなあ。

2023年の夏頃にはなくなっちゃってたらしい。2年も気付かなかったやつが残念っていうのも、なんだか変な話だけど。

そっかあ。もうないのか。

あの頃は大変お世話になりました。お家にあるマグカップ茶渋を落として大事に使います

2025-05-12

AI生成にはもうウンザリ

最近タイムラインを開けば、あらゆるジャンルの“作品”が一様に磨き上げられた光沢を放ち、どれもこれもタグには「#AI生成」の文字――。ディフュージョンモデルが一人歩きし始めてから世界は高速で均質化し、アイコンもヘッダーも動画も、ボタン一つで“それらしい完成度”を獲得するようになった。凹凸のないガラス玉が延々とベルトコンベアを流れてくる光景。表層の眩しさとは裏腹に、私の胸にはぽっかりと空虚が広がる。なぜなら、そのガラス玉の中に「誰が」「何を思って」作ったのかを示す指紋が残されていないからだ。

 思い返せば二〇二二年以前──生成AI大衆の手に届く直前のSNSは、不器用で、雑多で、そして極めて人間的だった。友人が深夜二時にアップしたラフスケッチには線の震えが残り、推しインディーズバンドキッチンで録音した曲には生活音が混じっていた。そうした粗さは、デジタル時代の“ノイズ”ではなく、作り手の体温を伝える“息づかい”だった。タイムラインスクロールすることは、知らない街を散歩して偶然に小さなギャラリーを覗き込む行為に等しかった。完成度よりも偶発性が勝るあの雑踏こそ、私が愛した場所だった。

 もちろん、技術革新を後ろ向きに否定するつもりはない。AI医療研究福祉教育など、創造性を阻む物理ハードルを取り除く強力な義手たり得る。真に必要とされる現場で、正しく用いられるべき道具だ。だが、現在の潮流は“便利さ”が“労苦”を全面排除し、結果として「作る喜び」と「受け止める敬意」を同時に摩耗させてしまった。指先一つで生成されたイメージは、クリック一つで閉じられ、記憶に刻まれる前に忘却へ沈む。受け手享受するのは“鑑賞”ではなく、高速スクロールによる“消費”だ。

 制作プロセスから切り離されたアウトプットは、いくら目を惹くビジュアルを纏おうと、作者の葛藤や失敗の痕跡を欠いている。そこには職人が道具を手に取るまでの儀式もなく、物語家が机に頬杖をついて構造を悩む夜更けもない。均され、研磨された“最適解”は、その瞬間のアルゴリズムにとっての正答であっても、人生の襞を織り込む余白を許してはくれない。私たち豊富選択肢を得たはずなのに、その“選び取る感動”を失いかけている。

 翻って、職人世界を覗けば「手間ひま」という言葉がいまだ輝きを放っている。木地師は木目の癖と対話し、陶工は窯の火加減に耳を澄ませる。そこには工程のものを抱きしめる覚悟がある。創作とは本来、結果の外観ではなく、過程に宿る物語の総和だったはずだ。多少のムラや傷をも“味”と呼び交わす文化――日本の侘び寂びが示すように、「不完全さ」は人がものに寄り添うための手がかりなのだ

 では、どうすれば二〇二二年以前の“雑多で瑞々しい創作空間”を再び取り戻せるのか。私はまず、受け手が「鑑賞」という行為能動的な対話に戻す必要があると考える。動画再生したら、“いいね”を押す前に制作背景を検索してみる。文章を読み終えたら、作者のプロフィールに飛び、過去作を遡ってみる。作品を「ファイル」ではなく「消息」として受信し、その背後にいる誰かの息遣い想像する時間を持つ。それは一見些細な回帰だが、こうした行為の積み重ねが可視化するのは、市場指標で測れない本当の“需要”だ。

 クリエイター側もまた、完成物だけを流すのではなく、ラフや失敗談、学びの過程積極的に共有してほしい。極秘資料さらせと言うのではない。試行錯誤の断片を公開することで、受け手は“成長の物語”を伴走し、作品輪郭人間の闘志とともに立ち上がる。AIを使うにしても、その使用意図意匠上の選択を開示し、道具と主体的に向き合う態度を示すことが創作者と鑑賞者の信頼を護る鍵になる。「AIを使うのは楽をしたいからではない。より高い地平へ挑む踏み台としてだ」と語れるか否かが、これから文化資本を左右する。

 私は願う。技術の加速を止めることなく、その轟音にかき消されがちな“人間のざわめき”をすくい上げたい。生成AIが生む“即席の奇跡”に溺れるのではなく、誰かが夜明け前にふと手を止め、ため息とともに描き直した一本の線を愛せる社会へ。スクリーンの向こうに潜む汗と焦燥を見逃さな視線を持つことが、創作文化に再び多様な凹凸を取り戻す。二〇二二年以前――不器用で豊潤だったあの雑踏は、懐古の対象ではなく、未来へ向けた羅針盤だ。私はこれからも、そこに灯りを残し続けたい。


(この文章はChatGPT o3で生成されたものです)

2025-03-18

オンライン会議中に飲みもの飲もうが、部屋着だろうがあまりかまわないが、

ブッチ(連絡なしにドタキャン)の末、翌日リスケになった会議で、

「いや〜昨日は(ゴクゴク)失礼いたしました〜」とか、喋ってる途中でマグカップで何か飲んでる奴はなんなんだ

今じゃないだろう

謝罪気持ちゼロだろう

あと打ち合わせ中に頬杖ついてる奴とかどう言う神経なんだ

これ指摘したら老害なんだろうか(この例は社外の人なので指摘しないが、社内だったら自分は即注意する)

2025-02-14

anond:20250214155709

なぜか「両手で頬杖ついて」と空目した

妖怪じゃん、って思った

2025-02-11

オンラインカフェ会に参加した

在宅でずっと一人で仕事をしているので人と話がしたい。

そんな理由オンラインカフェ会を探しているのだが、中々いいのがない。

読書会かにも参加したけど、参加者の持ち寄った本のジャンルがてんでバラバラで、あらすじや感想を聞いても、わぁ読みたい、と思わなかったし、たぶん私の本もそう思われてた。

難しいよね。

異業種交流会的なものは避けている。

若いころオフラインのものに参加したら、勧誘の嵐でこんなものに数千円も払ったかと思うと腹が立って仕方がなかったから。

後、異様にポジティブで「夢を語ろう」とかいう系も、胡散臭すぎる。

で、穏やかそうな会があったので試しに参加したのが先日。

これもひどかった。

臨床心理士主催の会、とは聞いていたけど、普通に雑談という体だったので気にしなかったのだが、1人ずつ自己紹介が重い。

発達障害の子供のサポートが~、介護士をしていて老々介護の現状が~、新宿を歩くと家庭環境問題ある子供が~(いわゆるナンチャラキッズだよね?)、等々、何でそんな重いの?

自己紹介って趣味とか話し合わない?と思ってた。

したっけ、司会者自分毒親育ちで~とか自分語りが始まる。

かと思えば、参加者同士、合いそうな人が居ればLINEグループ個別に作ってつなげることをしてる、とか。

多分、そういう「つながり」(←手あかがつきすぎて大嫌いな言葉)を求める人たちのためにカフェ会ってあるんだろうけどさ。

私が求めてるのは違うのよ。

かに一人で在宅勤務でずっとやってるけど、毎日人と話してるの。

仕事で(コールセンターなどでない)クライアントさんとオンライン通話したり、営業ビデオ通話したりしてる。

ただ、基本ずっと話を聞く側になるので、プライベートな会話をサラッと楽しみたいだけなのだ

あとね、よくオンラインであるのが「顔だしお願いします」の一言

あれね、いらねーーーーーーーーーーー!!!

仕事では止む無く顔出ししてやってるけど、常に画面上に相手の顔と自分の顔が映し出されてるのって怖くない?

仕事中は極力画面共有したり、ビデオ画面を最小化してみないようにしてるけど、ただし、失礼のないようにビデオカメラを必ず見つめる、リアクションを大きめにとるなど、オンラインならではの接客の苦労があって。

それをプライベートまで強要されたくない。

大体、雑談会であれば、本名である必要もない。

仕事じゃないんだからニックネームにさせてくれよ。

顔出しも勘弁してくれよ。

ネットリテラシーはここにはないのかよ?と思う。

先日の会では「大きなリアクションをもらえると司会者として助かりますねー」とか「ビデオ通話からこそ、興味がない話の時の表情も丸見えなのでご注意ください」とか言われて。

勿論そりゃマナーだけど、それを強要されるのは勘弁してよ。

ここに来る人たちって、普段オフラインで話してる人たちなのかもしれない。

から、平気なのかな?

私は毎日やってるからオフの時ぐらい、すっぴんビデオなしで、飲み食いしながら頬杖ついたりだらけた感じでダラーッと好きなことをしゃべりたい!

私の選び方が間違っていたのかもしれない。。

とはいえ、対面のカフェ会に参加した時は、その場は良かったけど、職業を話したら、変な人に執着されて、かなり困った。

LINE無視してたのに、半年以上たって、またLINEきてギョッとしたもの

はっきり断ってブロックしたけど。

(以来。職業名も伏せている。めんどくせえわ)

匿名で、ビデオオフで、サラッとその場限りの会話を楽しめるオンラインカフェ会が欲しくて、こっそり企画して募集をかけている。

今のとこ反応なしw

まぁいつか誰かが来るかな、というくらいのうっすい希望でやってる。

きっとそういう場を求めてる人っているはず。

顔出ししてくれる方が安心、っていうけど、ネット上に顔出すリスク無視なのかな?といつも思う。

仕事上、ネットに顔と名前(の一部)を出してるけどそれでも嫌だもん。

万が一カフェ会で私のクライアント鉢合わせたらとか考えるほど身バレが怖い。

全く無名人間でもどこからバレるかわからいからさ。

オンラインカフェ会上のネットリテラシーって何なのだろう。

すごく疑問。

2024-09-30

四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義おもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義おもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観ハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井墓地だの、巣鴨監獄だの、護国寺だの、――三四郎新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎ふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しか想像連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのんである。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空いなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてから総体しまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草のんで、自分図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎翻訳意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである与次郎のん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものから時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本社会代表しているんだと言う。  与次郎三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方本郷下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘である三四郎講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月まり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生からまりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかいかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんもの理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからあなるんだね。その代り西洋写真研究している。パリ凱旋門だの、ロンドン議事堂だの、たくさん持っている。あの写真日本を律するんだからまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しか先生哲学者だね」 「学校哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているかおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎まさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代

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三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいからまりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろ朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏並木こちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学封建時代西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことな雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎大学者になったような心持ちがした。  けれども教室はいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室はいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎自分自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生ベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語講義を始めた。三四郎はその時 answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaru から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生教室はいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎おもしろがって聞いていると、しまいにはドイツ哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである三四郎のぞくやいなや隣の男はノート三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵かいた男が来て、 「大学講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらいか三四郎にはちっとも判断ができないのであるしかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかからいから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義あいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校地位競争している噂だなどと話している者があった。三四郎漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵かいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵かいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである赤門はいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたか小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校先生の家だと答えた。  それから当分のあい三四郎毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方与次郎三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町はいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才であるあん芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今からしまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまいしかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較ほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言三四郎ははじめて図書館はいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間講義ほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館はいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物いくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人であるなかに必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎一年生だから書庫はい権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものであるしかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラベーンという作家小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツけがましなくらいなものである三四郎は様子を見ているうちにたしか水蜜桃だと物色した。大学講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎そばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。

anond:20240930173301

2024-09-04

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肌質ガチャハズレ民としてF外失。

肌は体質部分が大きい


いか元増田が紹介してるケアあくまで肌質ちょい皮脂多め〜普通肌〜乾燥肌民のケアだ、肌質負け組はこれ続けても意味ないので指摘しておく。(※元増田は何も悪くないです)

大前提として肌質には偏差値がある。皮脂過多系の肌質下位20%民は普通ケアじゃ綺麗な肌にならない。

所謂普通スキンケア“を2-3年続けても肌ガチャハズレ民はニキビ減らないしクレーター悪化するし、毛穴も開きっぱなしだからもしかして負け組かも?と思ったら読んで欲しい。

病院選び編


・すでにニキビ複数(15以下)あるならまずは初手皮膚科で良い。スキンケア+治療で1年ほどで良くなるだろう。

ニキビというよりもも顔面が赤い、複数クレーターがある、フェイスラインボロボロ場合、初手美容皮膚科のが良い。普通皮膚科だと5年かかる。せめて併設院に行け。

治療

保険適用治療:初手はおそらく飲み薬の抗生剤+クリーム抗生剤飲み切ったらクリーム+スキンケアを行いながら2-3年ほど薬を使う。

病院によると思うが、ピーリングクリーム+抗生剤クリームになるはず。

・自費治療①イソトレチノイン:重症正味これが1番早い。他国では認可が降りてるが日本では保険適用診療許可が降りてない、重症ニキビ患者向けの薬。異常分泌皮脂を作り出す皮脂腺をアポトーシスへ促すとかなんとか。副作用が色々あるので自己輸入絶対ダメ美容皮膚科医者に様子を見てもらいながら処方してもらうこと。


・自費治療ケミカルピーリング:中度〜と薬はちょっと、と言う人向け。短期即効性の強めのピーリング剤を用いて肌のターンオーバー強制的に促す、定期的に通うことで自力ターンオーバーができてない肌をサポート。金ドブ派も一定いるがニキビ系の人に効果ある傾向。

・自費治療③(ただし女性向け)低容量ピルの服用:ニキビ悪化男性ホルモン作用しているパターンだとピル飲んでホルモンバランス整えるだけ効くことがある。


他にもあるにはあるが、どちらかと言うとニキビ治療と並行して行うものも多いためそれは後述。


スキンケア


洗顔:泡タイプが正解は認めるが、大半は乾燥肌向けなのでニキビ肌(アクネ菌サリチル酸云々〜)や皮脂肌向けをセレクトすること、その中でなにが合うかは人による……。ちなみにベビーオイル洗顔乾燥肌向けなんで真似しないこと。


洗顔の仕方:もこもこの泡で汚れを取り、大量の水で洗い流す、ゴシゴシしない泡で汚れを巻き込むイメージ。眉間と小鼻横とフェイスライン近くの首も忘れない。皮脂過多民は朝夜2回かな。お湯洗顔じゃ皮脂過多民の皮脂は落ちないので洗顔料使え。


化粧水:手軽で安いもの多数派乾燥肌けがほとんどでハズレ民に効果ない、拭き取り化粧水も向かない。まずは保湿成分が入っていることを確認ナイアシンアミドセラミド等)、あとはトライアンドエラーニキビの赤みが気になるならツボクサ系もありだが保湿が疎かになりがちなので保湿クリームと併用。


乳液:皮脂過多民はいらないケースが多い、あれは乾燥肌向け。


・保湿クリーム治療と並行してスキンケアを行う場合必須、その他でもインナードライの傾向があるなら塗った方が吉。

クレンジング:日焼け止め塗るなら必須、何故なら普通洗顔だと皮脂過多民は毛穴が詰まるから。皮脂が多いならミルク系と拭き取り系以外。ジェル、バーム系おすすめオイルはよく取れるけど化粧しないなら選択肢から外す。

ドクターズコスメ: 化粧水探すのめんどい奴は皮膚科美容皮膚科ニキビ向けとして売ってるの買っとけ。ゼオスキンシリーズは高いけど一定評価者がいる。その他はXでユーザー評価を見てから買え。


・(私怨プロアクティブシリーズCMで見た割に試した中で一番効かなかった。お勧めしない。



美容液・成分編


・アゼライン酸:皮脂の分泌を抑えるのと抗炎化作用がある。治療と並行して入れてもいいはず。

・レチノール:ターンオーバーを促す。効果が強めなので治療と並行しているか医師確認したほうがいい。

ビタミンC誘導体:皮脂を抑制する、私は効果なかったけど効果感じてる人もいるのでいちおう記載

生活

・枕カバー毎日変えろ、めんどいなら毎日新しいバスタオル引いとけ。

・顔は絶対触らない、ニキビ跡汚い爪でほじらない、頬杖つかない、ニキビさない。

・極力運動習慣をつけろ、ただし運動後即シャワースキンケアベタベタの汗放置は肌に悪い。

・顔に髪がかかるのは論外。髪って肌にとってすっごい汚いので。

ちゃんと7時間は寝ろ。

食生活


この辺りはプラシーボ眉唾もあるが効果がある人はあるので一応記載

乳製品抜く/グルテンフリーを心がける/油っこいもの食べない/お菓子(糖分・砂糖)取らない

食物繊維多めに取る

最後



男女問わずガチャハズレ民は適切な治療法や対処法の存在を知らないがために5年10年も費やしてしまった同志が多い。ここに私がこれまで集めたニキビ治療の一部を記した。


私は普通皮膚科普通スキンケアで5年費やしてもあんまり綺麗にならなくて試行錯誤+美容皮膚科導入してやっとちょっといかな〜レベルに収まった人間だ。さっさと美容皮膚科行きゃよかった。

そもそも自分がはずれの存在だと気づかなかった。


クレーター治療ニキビ治療については別で記載したい。

2024-03-06

肩こり腰痛改善で一番良かった奴。

ズバリ言うと、「左右対称を心掛ける」これに尽きる。

2年くらい腰痛肩こりに悩んでて、整形外科マッサージを2,3店くらい受けたが効果しか、その日とか2,3日くらいはいいんだけどすぐに戻っちゃうというのを繰り返してた。

それで、もうURLとか覚えてないんだけど下記みたいな要旨のページを見たわけ。

モニターを2枚用意し、自分の正面に左右対称に配置。

モニター2枚使えるし、左右対称で姿勢にも良いと思っていた。

・が、腰痛肩こりがひどくなる一方。

・原因は、左右のモニターを首だけ向けてみていたこと。首を傾けただけでもわずかな緊張が背中に走る。短時間ならまだしも、仕事で一日中ともなれば、体の不調につながる。

モニターの1枚をメインモニターとして正面に設置、サブを右か左どっちかに配置して、使い方も作業は正面、サブはウィンドウの置き場みたいに使った。

・結果、腰痛改善

みたいな記事

これを読んだ俺は、「モニターの使い方がまんま俺じゃん」と思って、同じように改めたわけ。そしたら腰の痛みがいつもより軽い。

左右対称がいいんだと気づいて、足を組むのをやめて、頬杖禁止、寝る姿勢も横を向かずにあおむけで、等々細かいところまで左右対称を心掛けた。

そしたら、3日目くらいにはめちゃくちゃ体が軽いし歩きやすい。腰の痛みもほとんど引いた。

無料だし試してみてくれよな。

2024-02-24

ヤニカスが石を投げられない喫茶店

anond:20240201220158の続き。 

 

 駅にある喫煙所の扉を開いて外に出たら、通り掛かった外国人の方が眉をしかめ「oh,bad smell」と呟かれました。

 どうやら私は国際的にくさい存在だったようです。

 少し傷付きましたが「グローバルバッドスメラー」って横文字にすると何かのインフルエンサーぽい気がしますし何だかカッコいい気がするからセーフ、という事にしておきましょう。

 さて、そんな感じで今日もヤニカスok喫茶店を紹介して行きますね。

 

[秋葉原 カフェモコ]

 お店の場所JR秋葉原電気街口を出て3分からいくらい。昭和通りに面したビル一角にひっそりとある喫茶店です。

 店のシンボルタバコ吹かすおじさんのシルエット。ヤニカス的にはとても魅力的で勇気付けられるマークですよね。

 店内入ってすぐのカウンター商品のオーダーと会計を済ませるスタイルで、頭上は色とりどりの輝く電飾で彩られていて縁日ぽい雰囲気

 そして商品一覧のボードと共に、様々な国の紙幣クリップで大量に留めてあります

 ドルとか人民元はもちろん、全然知らない国の紙通貨が一面に飾られていて、見ているだけでワクワクしてきますね。

 紙幣の隅に「thank you〜」とか書かれていたので、おそらく外国人観光客の方が残していったものでしょうか?

 ジンバブエドルとかあったら面白いなと思って注文待ちの間に探しましたが、最近老眼が気になり始めているおじさんアイでは発見出来ませんでした。残念。

 

 B1F、1F、2Fとフロアがあって2Fのみ喫煙可。

 オーダー完了してお会計を済ませると、食事は後で届けて下さるとの事なので飲み物だけ貰って喫煙可能な2Fまで上がります

 ここで注意点がひとつ

 お店の心遣いにより、飲み物は全てカップのフチ辺りまでたっぷり並々と注がれているんですね。

 つまりコーヒーをこぼさないように階段を上がるのに、かなりの技術必要でして非常に難易度が高いんですよ。

 タイミング悪く、階段の途中で他の方とすれ違いなどが発生するとコース取りの難しさは天井知らず。

 気分はまるで繊細なドラテクで峠を攻めるイニシャルDの拓海さん。訪れた人のバランス感と巧みなコーナーワークの見せ所なんですよ。

 ええ、もちろん私は毎回こぼしてますよ?

 カフェモコ峠は初心者にとって難しいコースですからね。仕方がないのです。

 

 さて慎重な足捌きで階段を踏破すると、そこは喫煙可能席というエルドラド

 店内壁紙や照明もお洒落レトロな素敵空間で、店内BGMジャズボサノバが流れています

 後はヒョウとか虎とかネコ科の猛獣の置物が、店内のあっちゃこっちゃに設置されています

 多分、秋葉原という土地柄とお洒落絶妙バランスで交わり合った結果として、このような面白不思議洒落空間形成されたのでしょう。

 地政学見地からしても大きく間違ってはいないんじゃないでしょうか。

 よく知らないですけど。

 

 店内は秋葉原喫煙者が集まって居るようで大体混んでます

 空いてた窓際のカウンター席に腰を下ろすと、テーブル上には先客であるカエルの置物。

 このカエルさん、王冠を被っているのに物憂げな表情で頬杖をついたまま体育座りをしておられまして。

 よく見ると首元に六文銭みたいなネックレスが掛かっており、そこに付いている缶バッジに何か文章が書かれています

 『私は暴力が嫌いだ』

 ……詳細は不明ですが、とても苦労をされているようですね。店内に居るネコ科の猛獣達に甘咬みされたのかも知れません。

 どんな目にあったか彼は語ってくれませんでしたが、お互い強く生きて行きましょうね。

 カエルさんが受けたであろう仕打ち想像し、ちょっぴり切ない気持ちで飲んだコーヒーは苦みと酸味が薄いタイプ

 飲みかけで放置してしまっても、あまり酸っぱくならないコーヒーでした。

 大井町のポットリーに続き、イケオジなマスターさんは私の中で勝手に「コーヒーを美味しく淹れてくれる妖精さん」に認定します。

 

 そんな感じでコーヒーを飲みながら料理提供されるまで、店内を見渡してたのですが……

 後ろの席にはイチャつくカップル。

 私と同じ窓際のカウンター席では、オーダーした商品と一緒に持参した人形撮影を楽しんでいる方。

 両者が混在する喫茶店など秋葉原くらいでしかお目に掛かれないんだろうな、などと考えながらコーヒーを啜る汚いおじさんである私。

 バラエティ豊かな人々を包み込み、ボサノバBGMにして実に緩やかな時間が流れます

 

 料理の紹介。

チーズホットドッグ

 パンからはみ出るソーセージチーズたっぷりかけて焼かれた逸品。

 パンとお皿の間に薄黄色プレートみたいなのがあって、何だろうと思ったらチーズ羽根みたいになってました。

 羽根餃子なら知ってますが、羽根ホットドッグは初めてです。

 更にプレートの空きスペースは許せないと言わんばかりに、ポテトチップスが山盛りで付け合せられていまして。

 何だかアメリカの風を感じるディスプレイですね。アメリカホットドッグとか食べた事ないですが多分そう、部分的にそう。

 見た目に圧倒されつつ、付属したケチャップマスタードをビッチビチに振りかけて頂きましょう。

 齧り付くと、温かで焼きたてっぽいふっくらしたパンソーセージチーズケチャップマスタードの夢コラボが口の中で弾けます

 こんなの美味いに決まってるじゃないですか。

 口の中が油っぽくなったらコーヒーで口を洗い、思い出したようにポテチを齧り、カリカリになった羽根チーズを摘む。気分はまさにアメリカキッズです。

 コーラの方がよりキッズぽい感じになったかなと思いながら食していたのですが、気付けば口の周りと手がベトベトに。

 あらやだ。今のおじさんの食事風景ったら、まんまアメリカンなキッズじゃないですか。

 提供されたホットドッグキッズみたいに手掴みで思うがまま食し、無事完食。ベタついた口と手を紙おしぼりナプキンで拭ってから〆にクッキーを頂きます

 童心を思い出させてくれる、とても素敵なメニューですね。

焼肉ドッグ

 ホットドッグバンズレタスを敷き、焼肉を挟んだ逸品。……正確にはパンの隙間に肉を詰められるだけネジ込んだ逸品です。

 もちろんプレートの空きスペースは美しくないですからポテトチップスもどっさり付いてきますよ。

 囓ると甘辛いお肉の味が口いっぱいに拡がります。散らされた白ゴマも良いアクセントで美味。ご飯が欲しくなってしまますね。

 これはフォークが一緒に提供されたのですが、お肉だけだとちょっとしょっぱいですし、パンを齧ろうとすると使うタイミングなさそうなので、結局使用できませんでした。

 カフェモコ上級者の方はどう使うのか、が少し気になります

 

焼きそば

 極細麺をたっぷりキャベツソーセージに絡めて焼き上げた逸品。

 皿にどっかりと盛られた焼きそばの上には刻み海苔紅ショウガも横に控えています

 そして何故かパンも一緒に提供されます

 ……パン??

 頭に疑問符を浮かべながらよく見ると、中央に切れ込みが入っていました。

 なるほど! これ使って自分焼きそばパンを作れ、という事ですね。

 カフェコスタイルでパンの隙間に限界まで焼きそばをネジ込んで、紅ショウガを散らせば、おじさん謹製焼きそばパンが完成。

 焼きそばパン作れるとか、遊び心があって素敵過ぎませんか。

 ちなみにパンに挟んでも普通焼きそばくらいの量は余ります

 味としては縁日で食べる焼きそばをオシャレにした、すごくいい感じのソース味でした。

 

カルボナーラ

 とろっとろなカルボナーラパスタの中心に卵黄が鎮座し、ピリりと胡椒の効いた逸品。

 残ったパスタソースに着けて食べる用なのか、こちらもパスタ本体とは別にパンが一緒に提供されます

 パスタソースの絡み具合、卵黄のまろやかさ、胡椒の刺激がとてもいい感じで美味しかったです。

 パンバターの効いた少し甘めなクロワッサンで美味でした。

 

 カフェモコの料理は何を頼んでも「物足りない」と感じる事がないです。

食べ物を頼むって事はお腹が空いてるって事だよね? よし任せとけ! 必ず君のお腹幸せで満たしてあげるよ!』みたいな感じでしょうか。

 とにかく食事を頼んだ客をお腹いっぱいにしてあげたい、という店側の思い遣りがビンビン伝わって来ますね。

 頼んだ食事メニュー全てにクッキーついてきてますから食後の口直しもバッチリです。

 喫煙される方には大きく頷いて頂けると思うのですが、満腹になった直後に吸うタバコのまぁ美味しいこと。

 食後はタバココーヒーを楽しみつつ、昭和通りを行き交う人々を眺めながら優雅時間を過ごしました。

 店の奥には昭和通りを見つめる虎の置物も居ますし、多分これがカフェモコのカウンター食事した際の正しいマナーでしょう。

 しか秋葉原も変わりましたね。

 私が初めて訪れた時は駅前ジャンクパーツ横丁みたいのがあって謎の部品がいっぱい置いてある、みたいな場所だったのに。

 当時の人に「秋葉原はお洒落になって、道端にメイドさんがいっぱい生えてる」って言っても誰も信じないでしょう。

 そんな時代の流れを懐かしみつつ、おじさんは秋葉原を後にしたのでした。

 

 以上、ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 また都内喫煙可能喫茶店を紹介しようと思いますので、見かけた方は読んで頂ければと思います

2023-11-28

最近妄想ネタ

昔はAV自慰のお供にしていたんだけど、ある時を境に妄想で抜くようになった。

最近シチュエーション

電車で好きな子と会って話してる時に突然アフロディーテに目をつけられて亜空間拉致されて、ギリシアポリス遺跡みたいな場所で「私が満足するまで返さないわよ」とか言われるシチュエーション

アフロディーテに「そこのベッドで2人とも全裸になりなさい」「男の方は仰向けになって女の方は陰茎を咥えなさい」「こんな感じで頬杖をついたような体勢で…」「そうそうできるじゃない。お利口様。言うこと聞かないと人類滅ぼすからね」って命令されて。

アフロディーテミケランジェロラファエロ召喚して「ラファエロあなた達2人の絵を描いて、ミケランジェロ彫刻を作るから終わるまで動いちゃダメよ」とか言いうんだよ。

そんで終わったと思ったら「女、そのまま射精させなさい」って命令して好きな子が泣く泣くフェラを始める。

アフロディーテはそれを見ながら周りにいる女の天使レズプレイ始まる。

という感じ

2023-06-22

anond:20230621212704

うろ覚えだけど、特に問題が無い場合は年に1回程度検査すれば良いと医者が言ってた記憶がある。

自分場合は眼圧が高いことに加えて、眼球が頭蓋骨で圧迫されて少し変形しているとか他にもあったので

月に1回は診るように言われている。

毎月眼圧を検査をして眼圧を下げる目薬を貰いつつ、3ヶ月に1回視野検査をやってる。


何に気を付ければ良いか聞いて言われたのはこの5つだけど、あくま自分向けなので

今時点で問題無いなら水とカフェインはそれほど気にしなくて良いかも。

煙草を吸わない

スマホパソコンを見すぎない

頬杖うつ伏せ等で目を圧迫しない

・水をガブ飲みしない

カフェインを採りすぎない

2023-06-06

お前らのイマジナリー恋人の設定を教えてくれ

俺は

マンガ家でちょくちょく締め切りに追われる30代前半のお姉さん(Eカップ、垂れ目、縦リブセーター、よく髪をお団子に丸めている)と付き合っていて、俺が仕事終わって帰ってくると「ごめんねぇ~~ごはんできてないの…ダメな嫁でごめんねぇ…(まだ結婚していないのに自分のことを嫁と呼ぶことでアピールをしている)(30代なので俺を逃したら結婚できないと焦っている)(だから嫁として完璧でなければいけないと思っている)」と半べそかきながら言ってくるので、「俺は春子ごはんうまいから一緒にいるんじゃなくて、一緒にいたいからいるんだよ(決まった!決めゼリフが!)」とエプロンしながら返し(半ニヤケ面)、スーパーで買ってきた「あんかけ焼きそばの素」を作る。キクラゲは忘れずに。普段料理が上手な春子がそれを食べながら「今まで食べたものの中で一番おいしいよぉ」というけど、俺は「大げさだよ、いつも春子が作ってくれる料理の方がおいしいって」っていうと「私はゆーくんの料理が一番おいしいのっ(`H´)」許されることが前提のふくれっ面をしているから「早く食べちゃいな」と頬杖をしながらぷくぷく春子を眺めてる

くらいだよ

2022-10-08

[] 【クラスで一番の美少女が何故か俺の許嫁になった件】

青春というのはいつでも灰色だ。授業中の教室で俺はそんなことを考えていた。(ここまで書いた。以下全てAI)

 

から差し込む暖かな日差しに照らされながら、今日も机で頬杖をついている。

「えー、ここはテストに出るからな」

教師言葉は右耳から左耳に抜けていく。その言葉を聞いているふりをしながら、窓の外に広がる青空を見つめた。高校二年生になって一ヶ月ほど経つと、周りはすっかり受験モードに入っている。しかし俺には関係のない話だった。

俺こと橘翔琉(たちばなかける)はどこにでもいそうな普通高校生だ。自分で言うのもなんだが成績は悪くない方だし、顔だってまあそれなりだと思う。ただ一つ普通じゃないことがあるとすれば――

「おーい、翔琉! 起きてるか?」

「……ん? ああ、もちろん起きてるぞ」

隣に座っていた友人である安藤正樹(あんどうまさき)に声をかけられて我に返る。彼は成績優秀スポーツ万能という非の打ち所がない人間だが、唯一の欠点としてとてもうるさい。今も大声で話しかけてきたせいで、教師に注意されてしまった。

「お前さっきの授業寝てたろ!」

「……悪いかよ」

「いいや別に。ただいつも寝てるなって思ってさ」

正樹はそう言いながら苦笑いを浮かべている。

「それにしてもなんで翔琉っていっつも眠そうにしてんだろうな。夜遅くまでゲームしてんじゃねえのか?」

「ちげーよ。勉強してんだよ」

「嘘つけ。お前が真面目に勉強するわけねーじゃん」

「ほんとだよ。最近ネット小説にハマっててさ、そいつを読むために睡眠時間削ってんだよ」

これは本当のことだ。最近の楽しみといえば専ら異世界転生ものラノベを読んでいることくらいだ。この世界とは違う世界主人公転移し、そこで新たな生活を始めるという内容のものが大半を占める。俺にとっては夢のような物語なのだ

へぇ~、そういう趣味があったのか。なら今度オススメを教えてくれよ」

「おう、いいぜ」

それから特に何事もなく放課後を迎えた。正樹とは帰り道が違うため校門の前で別れると、一人帰路につく。そして自宅に着くと同時に鞄を投げ捨てパソコンの前に座った。電源を入れ起動を待つ間、俺はスマホを手に取る。そこには先程読んでいた小説サイトのページが開かれていた。タイトルは【俺だけレベル1だけど異世界で楽しく生きてます】というもので、主人公異世界へと召喚されるのだが、なぜか最初からステータスが全て一桁台だったという内容だ。

「ふぅ……やっぱり面白いなぁ」

ついつい声に出しながら読み進めていく。この作品では主人公チート能力は皆無なので、最初は他のキャラたちと比べてかなり弱い。そのため序盤は苦労することが多いが、徐々に仲間を増やしていき最終的には最強の存在になるのだ。ちなみにこの作品の作者は女性であり、ペンネームは『水無月凛花』となっている。

「いつか会えるといいな……」

わず独り言を呟く。今まで何度か感想を送ったりレビューを書いたりしたことがあるが、どれも反応はなかった。作者は基本的マイペースらしく返信が来ることは滅多にないらしい。

「よし、読むか」

画面を見るとちょうどプロローグが終わったところだったので本編を読み始めることにした。こうして俺は今日異世界転生ものを楽しむのであった。

翌日、学校に行くとすぐに自分の席に着いた。すると隣の席の女子生徒が不思議そうな顔を向けてくる。

「あれ? 橘くんおはよう

「ああ、おはよ……えっ!?

彼女挨拶に応えると目を丸くした。なぜならそこに居たのは昨日読んだ小説主人公だったからだ。

「どうかした?」

彼女は首を傾げながら問いかけてきた。その仕草を見てドキッとする。

「いやなんでもない。それよりも名前教えてもらってもいいかな?」

「私は一ノ瀬結衣(いちのせゆい)っていうの。よろしくね!」

笑顔自己紹介してくれた一ノ瀬さんに俺も微笑み返す。まさかこんなところで会うことになるなんて思わなかった。

「私の顔に何かついてるかな?」

「ごめん。ちょっと見惚れてただけだから気にしないでくれ」

「もう! からかわないでよね!」

一ノ瀬さんの頬が赤く染まる。こういう表情も可愛いなと思っているとチャイムが鳴った。どうやら担任教師がやってきたようだ。

「ほらみんな、早く席に着きなさい!」

一ノ瀬さんがそう言うとクラスメイトたちは次々と着席していく。それを見た後、先生自分名前を黒板に書いてから振り返った。

はい、皆さん初めまして。これから二年間あなたたちのクラス副担任を務めることになりました、安藤真理亜(あんどうまりあ)です。担当科目日本史となりますのでよろしくお願いしますね。それでは出席を取りたいと思います

安藤先生が名簿を開く。しかし突然ピタリとその手が止まった。

「あら? おかしいわねぇ、欠席者が二人もいるみたい。誰か知ってる人はいるかしら?」

「あの~、すみません遅刻してきます

一人の男子生徒が手を挙げる。

「じゃあそっちの子は?」

「すんませーん、サボりまーす!」

もう一人の男子生徒も同じように答えた。

「そう……まあいいわ。とりあえず二人とも放課後までには必ず来るように伝えておいてちょうだい」

安藤先生はため息をつくとそのまま教室を出ていった。そして授業が始まると俺はこっそりと一ノ瀬さんに話しかけた。

「なぁ、さっきのって主人公ライバルキャラだよな?」

「うん、そうだよ」

彼女はそう答えるとこちらに向かってウインクしてくる。

「やっぱりか! てっきり夢でも見てんじゃないかと思ったよ」

あはは、実はね。私の書いた小説世界と君が読んでいた小説リンクしているみたいなんだ」

「マジかよ……」

「本当だよ。さすがに私もこの展開には驚いたけどね」

「確かに……」

「だからさ、私たちって結構近い関係なんだと思うんだよね」

「そうだな」

「もし良かったら仲良くしてくれないかな?」

「もちろんいいぞ。むしろこっちからも頼む」

俺の言葉を聞いて嬉しそうに笑う。そんな彼女を見ながら、俺は心の中でこう思った。

(これはきっと運命なんだ。俺はこの出会い感謝するよ。この世界で頑張っていこう。そしていつか絶対彼女幸せにしてみせる)

こうして俺の異世界生活が始まった。

「おい、聞いたか? また出たらしいぜ」

「ああ、最近よく聞く話だな」

「俺も噂で聞いたんだけど、どうやらこの辺りにも現れたらしいぜ」

「何が現れたんだよ?」

「そりゃ決まってるだろう。吸血鬼だよ、ヴァンパイア!」

へぇそいつはおっかないな」

休みになると、教室内では生徒たちによる会話が繰り広げられていた。話題の中心になっているのはもちろん先程から聞こえている通り、ここ数日の間に起こっている連続殺人事件についてである。殺された被害者はいずれも若い女性であり、死因は心臓刃物のようなもので貫かれたことによる失血死だった。

「物騒なこと言わないでよね! 本当に出ちゃうじゃない……」

一ノ瀬さんは恐怖からか、身体を震わせながら言った。

大丈夫だって。一ノ瀬さんは俺が守ってやるから

「橘くん……」

「それにしても犯人は何が目的なんだろうか……」

俺は腕を組みながら考える。

「それはわからないわ。だけど今までの事件現場を調べてみると共通点があるらしいの」

「えっ?そうなのか?」

「ええ、それがね。被害者女性はみんな夜中に一人で歩いているところを襲われてるらしいの」

「なるほど、そういうことか……それで?」

目撃者の話によると犯人の姿はほとんど見えなかったらしいわ。でも声だけはハッキリと聞こえたそうなの」

「どんな内容だったんだ?」

「確か『今宵は満月貴様の命運もこれまで』とかなんとか言ってたらしいわ」

「……それ完全に悪役じゃないか?」

「私もそう思う。そのせいでネットでは『新手のファンタジスタ』なんて呼ばれてたりするくらいだしね」

ファンタジスタ?」

聞き慣れない単語に首を傾げる。すると一ノ瀬さんはスマホを取り出して説明してくれた。

ファンタジスタっていうのは簡単に言うとファンタジー世界活躍するサッカー選手のことかな。現実世界ではあり得ないようなプレーをする人に対する賞賛として使うことが多いの」

「つまりサッカーで言うところのレジェンドプレイヤーみたいな感じか?」

「そうかもね。ちなみに海外だと有名な選手のことをこう呼ぶこともあるわよ」

「例えば?」

「そうだね。一番わかりやすいのはレアル・マドリード所属するあの選手はどうかしら?あの人はドリブルパスといった基本的技術がずば抜けていて、しか得点力も高いからまさに『キング・オブ・フットボール』と呼ばれるに相応しい存在なの」

へぇ~、すごいんだな」

俺は感嘆の声を上げる。

「あとは元日本代表のあの人も有名

 

(なぜかサッカーの話が止まらなくなってしまったのでここで打ち切りします)

2022-09-20

造物主の掟(1983 )P50

 コンロンはため息をつき、座ったまましばらく頬杖をついて机を見下ろしていた。これから何もかもどうなっていくのだろうかと彼は考えた

ーー石油会社鉱床探しに雇われた大勢振り子占い師たち、遅まきながらということで大学に設けられた「超常現象学位、かつては立派な科学出版物だったものに現れはじめた変人もの論文、もうすぐピラミッドから無限の「宇宙エネルギー」が得られるようになることを確信して核融合研究費の削減を要求する政治家ーー

折も折、合衆国日本から最新型のトカマク反応炉を輸入しなくてはならなくなっている。

 優秀な技師や技手を見つけることはほとんど不可能になってしまった。科学工学技術などの専門職

ーー事実上努力と忍耐と勤勉さを要求されるようなものは何でもーー

は、どうやら若い世代にとっては野暮くさく、とろいやつのすることと考えられはじめているようだ。

それに訓練を受け、経験を身に付けた若者は、すぐにもっとやり甲斐のある方面へ転進をはかり、より有利で挑戦の機会がある海外へ出ていこうとする。

日本中国インドアフリカといったそうした地域に住む人々は、現実と顔をつきあわせてきた長い歴史のおかげで、どういう意味しろ自己発見」の概念だとか「神秘的な至福の探求」といったものに惑わされずにすんだ。

そして二十一世紀に遭遇したとき、彼らは何も解決してくれない魔法迷信への信仰をすばやく放棄し、今やその地に進歩工業化した高度技術文明の礎を築くべく、営々と立ち働いているのだった。

2022-09-18

友人と会うと過呼吸になる

社会人の私には、10年以上の付き合いの友人がいます

少し前からその友人と会うと、帰ったあとどっと疲れてしまい、体調がとても悪くなります


じゃあ会わなきゃいいだろうと皆様は思うと思うのですが、同人イベントジャンルが同じ、そして住んでいる県も同じなので、イベントで会ってしまます

しかもお互い創作勢なので絶対に顔を合わせることになります。せっかく好きなことを表現できる創作の場。人間関係で揉めたくないし、気まずくなりたくないです。


イベント以外では会うことを極力避けているのですが、友人は私のことが大好きで、「もっと遊びたい」「旅行に行こう」「合同で作品を出そう」「やっぱりお前と遊ぶの楽しいわー!」と言います

精神的にこたえることが多いので、忙しいとやんわり断ってはいるのですが、それでも会いたいと言ってきます

でも、会ったら会ったで友人はずっとスマホを触っていて、私の話もほとんどうわの空。返事も適当です。

友人の話は誰かに対する愚痴が多いのですが「それは友人が悪いのでは…?」と思うことがほとんど。

そして思ったことをきつい言い方で伝えるので、飲食店店員さんにも態度が良くなく、びっくりすることが多いです。

空気が悪くならない程度に伝えると、「だって!仕方ないじゃん!」「私は悪くない!」の一点張り聞く耳を持ってくれません。

本人に悪気はないのですが、言い方がきついし声も大きいので相手申し訳ないし、私自身辛くなってきます

言い方がきついことも指摘したのですが、「自分が言い方きついと思ってないからどこを直せばいいかからない。何を言っているかからない。」とのことでした。


そのほかにも大きな声でイベント文句を言う、雰囲気の良い静かなお食事処で大きな声で会話&頬杖ついてずっとスマホいじり…等あって、正直もうお手上げです。

電車で大きな声でヲタ話をする、私が好きなキャラクターを見せたら「誰それオカマじゃん!」と言うなど色々きついです。

年に4回ほどのイベントがなければこちからフェードアウトしているでしょう。


友人は様々なグループと揉めてしまうようで、揉めるたびに友達が少なくなり、今では私だけのようです。

学生の頃は「言い方がきついなあ」と思い、指摘するくらいでしたが、社会人になってから価値観が合わなくなり、一緒にいると苦しくなります


もう無理だと思ったのは、とある人に対して友人が「心療内科行けよ(笑)」と言ったことです。

私がパワハラセクハラ心療内科に行って闘病しているのを知っているのにそんなこと言うんだ、と。

本当に私のこと好きなのか?私の性格の都合の良い部分だけ啜ってそう言っているのか?

私のことを本当に好きだと思うのなら、私が言われて嫌なことは少しは想像できるのでは?と思ってしまます

そしてこの件は心療内科に通って頑張って生きている別の方や良くしてくださる先生のことも馬鹿にされた気がしてショックでした。(これは私の被害妄想かもしれませんね)


友人とは、イベントだけの付き合いだと思って割り切るしかないのでしょうか。

ただでさえイベントでは色んなことを考えなければならないのに、このことで悩みたくないです。イベント楽しみたいですし。

方法としては

イベントだけの付き合いと思って極力割り切る

②いつものように「私は悪くない!」と言われる可能性は高いが、嫌なことは嫌とやんわりでも伝える

くらいしかないのでしょうか。


友人を思い出すたびに動悸がして、もやもやして、息が苦しくなり頓服安定剤を飲みました。今はだいぶ落ち着きましたがどうしても吐き出したかったのでこちらに書きました。

本当は仲良くしたいですし一緒にいて楽しいと思うことも少しはあるのですが、帰宅したあとどっと疲れて泣いてしまます


皆様ならどうするのでしょうか。

本当に辛いです

2021-05-17

幼稚園の保育参観だった

今日幼稚園の保育参観だった。

4月から幼稚園に入ったばかりの息子。幼稚園ではどんな様子なのか、私はとても気になっていた。

コロナ対策で、教室ではなく体育館での参観。始まる前にほかの子どもたちはウロウロと歩いている中、息子は机に頬杖をついてジーッとしていた。

視界に入る席に私が座っても、手を振るでもなく笑うでもなく頬杖着いたままじっとしている。

工作が始まってからも基本頬杖で、先生に促されてクレヨンを握ったりしていた。その間、私の方はほぼ見ず。

もしかして体調でも悪いのでは?」と心配になるほどかったるそうにしていた。

参観が終わったらそのまま親と帰宅だったのだが、帰宅はいつも通り楽しそうに遊んでいた。

いつも朝のバスに乗る時に「ママと一緒がいい」って何度もつぶやくので「がんばって楽しんでらっしゃい」と送り出すのだが。ふだんもあんな風にひとりぼっちで机に座ったりしているのだろうか。年少だからまだお友達と一緒に遊ぶのは難しいかもしれないけれど、お友達とも先生とも馴染めずにいるのだろうか。

そう思うと胸がキューッとする。

まだ通い始めて一か月ちょっと。家ではのんびり一緒に遊ぶようにして、リラックスさせてあげたいと思う。

ちょっとでも幼稚園楽しいとおもえるようになるといいな。

2020-10-30

あなたの反マスクはどこから

少し前まで仕事欧米住みしてて、コロナの影響で帰国した者です。

当時リアルタイムで状況を見ていたので、個人的観測シェアさせてもらう。


日本欧米感染者数の違いについてのニュース流れると、どうしてこんなに差が出てるのか、というコメントが必ずつく。

自分が在住していた某欧州国でも、反コロナデモがまあまあな頻度で起きていた。

マスクをあえてつけないことが "着けない自由=身体自由" という1つのポリシーとして確立しており、学校先生スーパー店員まで、幅広く支持されている。


どうしてこういうことが起きるのか。


マスクを着ける習慣もなく、そもそも薬局にすら売ってなかった欧米で、コロナ第1波の時に人々は何を「推奨」されたか知ってる?


それは「顔を触らない」だ。


口はもちろん鼻や頰、あご、とにかく顔周りを触らないようにしましょう、と、ニュース個人メディアは伝え、子供学校からのお知らせなんかにも書いてあった。

SNSでも個人メディアYouTuberしたり顔で伝える動画が流れてきた。

もちろん手洗いなんかも推奨されたけど、全く新しい習慣としてまずこの「顔を触らない」というのが表立って提示された。


お前らも3分くらい意識してやってみてほしい。


これが難しい。


人間自信をなくすと顎から上に手がいくように、顔を触るという行為無意識でやっていることが多く、自分コントロールするのはなかなか難しい。

頬杖もだめ、顎に手を当てて考える仕草もだめ、鼻を触るのもだめ。


これが公的に「推奨」されていることについて、強烈な違和感を覚えた人は少なくなかったはずだ。しかし初めて経験するパンデミックの中で、これに対しては何も反発が起きなかった。起こす必要もなかった。その時はあと1、2ヶ月もすれば、元の生活に戻ると思っていたから。


その後の経過についてはご存知の通りだ。


何が言いたかたかというと、欧米におけるコロナ対策の初動が日本アジアとは全く異なったアプローチをしており、それが尾を引きずって、反マスクの奴らが言う「呼吸する自由」みたいなのに繋がっている、ということ。


あの時の強烈な違和感日本マスク着用のプレッシャーとは一味違う圧があった。

ソースも何も無いけど、欧米の動きの解釈の一つとして、ご参照いただければ。

2020-09-20

生きることの倦怠、憂鬱

うちの猫今日もものすごく暇そうにしている。窓の外を眺めたり、毛繕いをしたり、ご飯を食べたり、うんちをしたり、猫じゃらしを追いかける他にすることがないから、ほとんど寝て過ごしている。その様は気持ちよさそうにも見えるが退屈しているようにも見える。ただ単調に過ごすこと、これが猫に与えられた使命であり、生そのものなのである。そして猫に限らず少なかれ、いきとし生けるものはこの憂鬱を抱えながら生きている。ただじっと待つこと、生きることの大半はこれに占められている。

退屈はいつも身近にある。たとえば雨ふりの庭、教室の窓から眺める雲、持て余した昼休み頬杖をつき、なにやら取り止めのないことを考えながら、ただじっと時が過ぎるのを待つ。つまらなくって、嫌になっても時計の針は早くは進まない。時計はただ無機的に、砂が流れるのを刻んでいる。まぶたが重くなって、頭がぼんやりとしてくる。退屈が私を呑み込んで、支配してしまう。それでも私はただひたすらに終わるのを待つしかない。

けれども、果たしていつ終わるというのか。そもそもいったい何が終わるというのか。生にまとわりつく、引き延ばされた時間が終わるとするならば、それは死んだということと同義である。ようするに、待っているのは死という決定的な終止符に他ならず、言ってしまえば死を待つことこそが生きるもの宿命なのだろう。そして、やはりこんな取り止めのない日記をつけているのも退屈だからに他ならない。つくづくやれやれと思う。

2020-04-09

めっちゃ咳が出るんだが

夕食で気合入れてタマネギ1個半刻んだから気軽に頬杖もつけないこんな手じゃウィルス

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

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