はてなキーワード: 若者とは
どうも、高市政権は短命で終わるだろうと思っていたはてサです。(笑)
「はてサが嫌うから長命になる」という発言にえぇーと思った身ですし、公明の切り捨て方・石破への当てつけ・WLB周りを代表とする脇の甘い発言のオンパレードとこれで短命にならない理由なくない?と思ってたけど最近は長命になるかもと見込みが変わってきてます。
とにかく純粋に支持率が高い。特に今までと異なるのは若者世代の支持率がめっちゃくちゃ高いこと。つい最近は、若者世代といえば反自民で参政党支持だったのにこの支持率の高さはすごいとしか言いようがない。
支持率下げてやる問題から始まって反高市陣営が次々に自爆していき、結果として報道があるたびに高市政権の好感度が上がるという状態になってしまっている。台湾有事の発言などはかなり際どく日中関係にヒビを入れかねないことを言ってしまったのだが、そのリアクションが薛剣大使のあの暴言なので際どい発言だったという問題が薄れてしまった。はっきり言って自爆であり、中国側に勝手にダメージが入り、この問題に関して中国側がもう何を言っても支持率には響かないだろう。こんな感じで高市がなにかするたびに勝手に相手が自爆するので全然ダメージが入らないということが度々起きている。運なのか、今まで目立ってなかっただけなのかはわからないが、とにかく高市にとって追い風しか吹いていない。
まず就任直後の諸々の外交に関しては一切失点無しのパーフェクトと言っていいものだった。アメリカにせよ中国にせよ、日本と対決姿勢を取りたくない状況だったのが幸いした結果なのだろうが、これも幸運の風が吹いていると言っていいのかもしれない。
また、まだ総理になったばかりだから当然なのだが、なにか極端なことをやっていきなり失敗の可能性が見えるという状況には無い。(これに関しては直近の比較対象としてトランプというそうとう異常な人間がいるのが問題なのだが)ただし、コメ政策周りは後々火種になりそう。
特に若者世代からの高支持率、論敵の自爆を追い風にしたメディア戦略の成功、今のところ極端な政策に走らず失点を招いていないと、もしかしたら長命政権になるのかもと掌返ししたくなる要素が揃ってきた。特に論敵が次々に自爆しているのはなんなんだ。わけわからん。
とはいえ、本当に長命になるために選挙に勝たなければならず、参政党と国民民主に回っていた票を取り込みきれるかどうかが問題で、これはこれでハードルが高いのでどうなるかはわからん。ただ、もしかしたら勝っちゃうかもという予感は日増しに高まっている。
少子化は「若者の意識が変わったから」でも「恋愛離れしたから」でもない。そんな話に逃げている限り、何も変わらない。問題はもっとはっきりしていて、もっと露骨だ。
この国は、家族を持つことが割に合わない社会になってしまった。それだけのことだ。
昔は誰もが結婚したし、子どもを持つことは人生の一部だった。特別な覚悟なんていらなかった。生活の延長線に「家庭」があった。でも今は違う。家庭は「頑張らないと成立しないもの」になった。余裕がなく、支えがなく、時間もお金も削られ、精神さえすり減る。
それを見た若者が「家庭を持ちたくない」と思うのは当然だ。生存本能が正常に働いているだけ。
それなのに社会や政治は「最近の若者は…」「価値観が…」と、まるでこちらの感覚がおかしいかのように語る。おかしいのは若者ではなく、社会の側だ。
子どもが生まれないのは、愛が薄れたからではない。人間が利己的になったからでもない。生活の土台が壊れたからだ。
それを直視しないまま、「意識を変えろ」「努力しろ」と言い続ける社会は、ただの加害者と変わらない。
少子化は、個人の問題ではなく、構造の失敗だ。そしてその構造を作ったのは、社会・政治・制度だ。
だからこの話は、頑張りでも道徳でもなく、生きられる社会か、死ぬ社会かの話だ。
人類はずっと「ほとんど全員が結婚する社会」で生きてきた。結婚は特別なイベントではなく、生きる流れの中に自然に組み込まれていた。それは「恋愛がロマンチックだったから」ではない。生存の仕組みだったからだ。
昔の家族は、いまよりずっと広かった。親、祖父母、親戚、近所の手、地域の目。子どもを育てる負担は社会的に分散されていた。
だから、家族を持つことは「やる気」や「覚悟」の問題じゃなかった。生活が人を支えていたからだ。しかし今はどうだろう。
住まいは分断され、家族の単位は極小化し、育児も家事も、家計も精神も、夫婦の小さな箱の中に全部押し込められている。とくに片方(多くは女性)に。
昔は共同で支える仕組みが前提、いまは個人が抱え込む仕組みが前提。そりゃあ持続なんてするはずがない。
少子化は「人々が家族を望まなくなったから」じゃない。家族をつくるための構造が壊されたからだ。
家族は、努力や気持ちだけで維持するものじゃない。社会が支える基盤があって初めて自然に成立する。
その基盤が崩れた時点で、出生率が落ちるのは生物的に当たり前の反応だ。若者は間違っていない。社会の構造が、家族をつくることに向いていないだけ。そしてそれを「個人の選択」の問題にすり替えてきたのが、今の日本だ。
いまの日本では、家族を作ろうとすると、真っ先にぶつかるのが可処分所得の低さだ。働いても働いても「生活するので精一杯」。貯金もできない。家も買えない。子どもなんて無理。これは感覚ではなく、構造としてそうなっている。
賃金はここ30年ほとんど増えていない。その一方で、税金と社会保険料はじわじわと、しかし確実に増え続けた。さらに都市化にともなう家賃上昇、教育費の高騰、保育の外部化コスト。全部「生きるための固定費」だ。
生きているだけで、消耗する社会になっている。共働きが「選択」ではなく「必須」になったのは、意識が変わったからではない。片働きだと生活が成立しないように制度が変えられたからだ。
しかも共働きをしても、生活が楽になるどころか、育児・家事・感情のケアは家の中で圧縮され、時間も体力も関係性もどんどん削られていく。これは努力不足ではなく、設計ミスだ。
「家族を持つ余裕がない」のは、弱くなったからじゃない。社会の構造が、人をそこまで追い込んでいるからだ。
そしてこの状況を政策側は「自己責任」で片付けてきたが、本当は逆だ。家庭が苦しいのは、税と社会保障の負担が現役世代に一方的に集中しているからだ。
その一方で、資産を持つ高齢者は、負担を大幅に免除されている。つまり現役世代が国を支え、国は現役世代を支えていない。
この不均衡が、家族を持つことのハードルを限界まで引き上げている。子どもを産まないのは罪でも怠慢でもない。単に、生きられるように判断しているだけ。合理的な感覚だ。壊れているのは社会の側だ。
「女性の社会進出は良いことだ」。この言葉自体は、もう疑う必要はない。働きたい人が働ける社会は、当然あるべきだ。問題はそこではなく、働かないと生活できない社会にしたという点にある。
かつての日本では、片働きでも家族は維持できた。それは賃金が成長し、家族が広く、生活が社会の中に支えられていたからだ。
しかしいまは違う。税と社会保険料が現役世代に偏って重く、賃金は伸びず、住宅費と教育費は天井知らず。そこに核家族化で助けを失った育児負担が重なる。
その結果、家庭を維持するためには、夫婦が二人で働くしかない。これは「女性の自由」ではない。ただの強制である。
そしてこの強制は、「女性活躍」「自己実現」「多様な生き方」などというきれいな言葉で包まれている。
耳あたりはいいが、労働力人口の補填、税収と社会保険料の拡大、高齢者給付維持のための現役世代の酷使というのが実態だ。
本来なら「働くかどうかは選べる」べきだったのに、実際には「働かないという選択肢」そのものが消された。
「女性が働ける社会」ではなく、「全員が働かないと沈む社会」になったのだ。
そして、負担は家庭の内部に集中する。特に、感情のケアや子どもの生活リズム、夫婦関係の調整といった、目に見えない「家族の体温」を維持する仕事は、ほとんど女性が背負ったまま。
外の仕事が増えた分、内側の仕事は減らないどころか、圧縮され、歪み、擦り切れていく。そこで荒んだ家庭に、子どもが生まれる余裕なんてあるはずがない。
これは「女性が弱い」からではない。「頑張りが足りない」からでもない。こんな設計にした社会が弱いのだ。
少子化の背景には、若者が怠けているわけでも、家族を望まなくなったわけでもない。ただ単に、社会が若者から奪い、高齢者に配り続けてきただけだ。
日本の社会保障は、表向きには「弱者を守る制度」と言われている。だが実際に優遇されているのは、弱者ではなく、人口の多数派である高齢者層だ。
資産を持ち、家や預金を抱え、老後も安定した暮らしができる人たちが、医療費は1〜2割負担で手厚く保護される。税も軽い。年金は自動で振り込まれる。
一方で、現役世代は税と社会保険料を天引きされ、子育てや教育費は自己責任で、家賃は高く、時間はなく、未来への期待は潰されている。
若者が支え、老人が受け取る。しかもそれは「助け合い」ではなく、構造化された一方通行だ。
なぜこんな歪んだ配分になったのか。理由は単純だ。この国では票を持つのは高齢者側だからだ。
政治家は票が欲しい。財務省は税収を維持したい。高齢者は数が多く、選挙に行く。若者は数が少なく、政治的には無力に扱われる。
つまり今の日本は、「支えられる側」ではなく「支える側」を壊している社会だ。
家族を持とうとする世代こそもっとも手厚く支えられるべきなのに、現実には真逆の仕組みが続いている。これでは人口は減る。減って当然だ。
そして減り続ける限り、高齢者比率はさらに増え、政治は今以上に高齢者優遇へ偏り、若者はさらに搾り取られる。
これはもう「問題」ではなく、自己増殖する社会の衰退装置である。
誰か一人の責任ではない。だが明確に言えることがある。
壊れているのは、若者の生き方ではなく、国家の意思決定構造そのものだ。
日本は「資本主義の国」だと言われる。しかし実際に動いているのは、もっと別の形だ。
競争があるように見えて、実際には社会全体が「均一に消耗する方向」に管理されている。
自由があるように見えて、実際には「生きるために働く以外の選択肢」がほとんど許されていない。
支え合う仕組みがあるように見えて、実際には「一方的に負担を引き受ける側」が決められている。
これはもう、資本主義ではない。しかし、福祉国家でもない。もっと静かに締めつける形。日本型社会主義だ。
ここで言う「社会主義」は、弱者を守る優しい社会という意味ではない。国全体の生活水準を均一に、安定的に、とにかく変わらないように保ち続ける仕組みのことだ。
問題は、そのために犠牲になる層がはっきり決まってしまっている点にある。
犠牲になるのはこれから生きる人。つまり若者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
日本型社会主義は、未来に投資しない。その代わりに「今、生きている人の安心」を最優先する。特に、人数が多く、政治的力を持つ層の安心を。
その構造では「変えないこと」が正義になる。「とりあえず今を守ること」が優先される。「未来」は後回しにされ続ける。そして、未来は来なくなる。
本来、社会とは「受け継がれるもの」だ。生まれた命に次の生活が渡され、時間が伸びていくものだ。
だがいまの日本は、未来を育てる力を、自分たちで捨ててしまった社会になりつつある。
現役世代の時間と金と心が削られ、子どもを迎える余裕が消え、生まれる命の数が減り、社会の骨格そのものが痩せていく。
それでも表向きは「安定している」ように見える。なぜなら衰退はゆっくり進むからだ。
だからこそ、この国は静かに壊れていく。誰も叫ばないから壊れている。悲鳴が聞こえない形で壊れていく。
これは「滅び」ではなく、溶けるような消失だ。
その進行を止められるのは、制度でも政策でもなく、「もう、このままでは無理だ」と言葉にする人の側だ。
問題は道徳や意識ではない。設計の誤りが放置され続けていることだ。
家族が消えたのは、心が弱くなったからではない。生きるための構造が、人間の生活に合わなくなったからだ。
必要なのは、ただ一つ。人が家族を持てるような生活の地盤を、社会がもう一度つくること。
やるべきことは、実はとてもはっきりしている。
まず、現役世代の可処分所得を戻すこと。税と社会保険料を若い世代にだけ重くのしかける構造をやめる。資産を持っている層には相応に払ってもらう。
「本当に困っている人を助ける」ことと「とりあえず老人全員を守る」ことはまったく違う。
次に、家族を一家庭に押し込めないこと。育児は社会が支えるべき公共インフラだ。
保育、学童、家事支援、地域の助け、頼れる外部リソース。昔はそれが「人間関係の中に」あっただけで、今と違う形で存在していた。
それを、形を変えてもう一度つくればいい。そして、働く/働かないを選べる社会に戻すこと。
共働きが悪いのではない。共働きしかできないのが問題なのだ。家庭は「労働力供給のための単位」ではない。人が人として生きる場所だ。
ここに、もうひとつ、今必ず触れておくべき点がある。
働き手が足りないからといって、外国人労働者で穴を埋めようとする動きが進んでいる。だがこれは、人件費を抑えたい大企業と、本質的な構造改革を避けたい政府の都合にすぎない。
少子化で労働力が減っているなら、本来やるべきことは賃金を上げ、労働環境を整え、家庭を維持できる生活基盤を戻すことであって、「別の人間を輸入して補う」ことではない。
安価な外国人労働力を入れれば、企業は労働環境を改善する必要がなくなる。政府は自分たちの設計ミスを修正せずに済む。
そして一番損をするのは、現役の日本人労働者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
これは、社会の疲弊を補う政策ではなく、社会の疲弊を固定する政策だ。未来を守るどころか、未来を切り捨てて「延命」しているに過ぎない。
家族が育たない社会に、人は根を下ろさない。根を下ろせない社会に、未来は生まれない。だからこそ、立て直すべきは、人間の「生活」の側だ。
若者が行ってるよ
熊が人間を狩りにきたのに「熊可哀想」とか言ってる人を見ると、やはり日本人は平和ボケし過ぎな気がしたな。
でも、若者よりも中年の方が熊さん擁護派多い気がする。どこかのメディア、アンケート取ってくれてたりしないかな?年齢別で熊さん擁護派のデータ見てみたい。
増田の地元は茨城県北部の山中。この集落の住民は山と山に挟まれた川沿いで田畑を耕して生きてきた。
10年ほど前から耕作放棄地が増えてきた。田畑の主は80代が大半だし、現役世代はみんな都会に出ていってしまった。山中の狭い農地で細々と農業をやりたい若者なんているわけがない。まあ、とにかく10年くらい前から雑草ボーボーの耕作放棄地が増えてるんだ。
これと同じ時期に、それまでは一切見かけることの無かったイノシシが出るようになった。放棄された田んぼに穴が掘られているのを初めて見つけたときは不思議だったが、イノシシが掘ったものだと知って、ここにもイノシシが出るのかと驚いた。それまではイノシシとは無縁の人生を送ってきて、これからもそうだと思っていた。野生生物って移住してくるんだね。
それから8年が経ちイノシシにも慣れてきた頃、今度はサルが出た。野生のサルは日光にしかいないと思っていたので本当に衝撃だった。一体どこから移住してきたんだろうか。人間の若者は移住してこないのに野生生物は移住してきてしかも繁殖しやがる。めちゃくちゃだ。
最近のニュースを見ていて、きっと次はクマが現れるんだろうなとぼんやり思っている。イノシシやサルなら対処のしようもあるけど、クマに関してはどう対処すればいいかわからん。怖すぎる。
増田の地元は人間が減って段々と自然に侵されている。きっとおなじように自然に負けつつある場所が日本中にあるんだろうなと思う。10年後の日本の姿はどうなっているんだろうか。
それにしてもクマ怖すぎだろ。
かれこれ二十年近く経つ。
國府田マリコを追いかけ、そして彼女の結婚で人生が終わったように感じたあの日から。
あの時、俺は誓ったはずだった。「二度と誰かに人生を預けるような真似はしない」と。
画面の向こうで笑い、泣き、歌い、恋をしないフリをする──VTuber たちだ。
だが一つだけ決定的に違うのは、中の人が見えない ということだ。
それがどれだけ危ういか、俺たちはあの日の痛みで知っていたはずなのに。
「メンシ」という信仰の証で身を飾り、
「ガワ」だの「中身」だのと噂しながら、誰もがリアルを捨てる。
だが本当に悪いのは、彼女たちではない。
現実を見ないための最新の夢。
形が違うだけで、やってることは変わらない。
「届くはずのない想い」を投げ続けて、自分をすり減らす。
だが一つだけ違う。
今の“推し”は、AIが自動で笑い、コメントを拾い、好感度を最適化する。
ただ一つだけ言いたい。
「彼女たちは、君を見ていない」。
その現実を直視できないまま、「推し活」という言葉に酔いしれている間に、
気づけば人生の季節は過ぎ去っていく。
俺は國府田マリコで終わった。
今の若者は、ホロだのにじだので終わる。
でもせめて、同じ過ちを繰り返すなら、
画面の向こうに「生きる理由」を預けるな。
祝福はする。ただし、俺はもうファンをやめる。
特別養子縁組とか称して海外へ100人以上の子供を売り飛ばして行方不明、実質児童臓物の人身売買をしていたという事件を引き起こしていたのだから
近年話題になっている、トー横の若者が海外に言葉巧みに誘われて行方不明になる事件にNPO等の団体が関わっており、
団体を隠れ蓑にしてトー横で未成年をラオスやカンボジアに売り飛ばす様な事件が起きていても何らおかしくないと、改めて痛感しています。
ベビーライフは2009年に設立された一般社団法人で、主に「特別養子縁組」のあっせん事業を専門としていました。
特別養子縁組とは、経済的・健康的な事情などで育てられない親から、温かい家庭環境を提供できる養親へ子どもを託す制度です。
この団体は、予期せぬ妊娠に悩む産みの親を支援し、子どもたちの新たな人生を繋ぐ役割を担うはずのものでした。
ベビーライフは認定NPO法人フローレンスをはじめとする団体と提携し、
2016年には「日本こども縁組協会」を共同で設立するなど、業界内で一定の信頼を築いていました。
フローレンスの駒崎弘樹氏が会長を務め、厚生労働省での記者会見も行うなど、
2012年から2018年度にかけて、ベビーライフは約300件の養子縁組をあっせんしました。
そのうち半数以上、実に174人以上の子どもたちの養親が外国籍(主にカナダ106人、米国68人)だったことが、
ベビーライフは国際あっせんを積極的に進め、2013~2015年度だけで海外養親から約2億円超の費用を受け取っていました。
1件あたり平均300万円近くと、国内あっせんの約100万円を上回る高額です。
これらの資金の使途は不透明で、巨額の斡旋手数料が指摘されています。
そして2020年7月、ベビーライフは突然事業を停止し、解散を宣言。
代表の篠塚康智氏をはじめとする関係者たちは、連絡を絶ち、行方をくらませました。
重要な個人情報、産みの親の同意書や子どもの記録は東京都に引き継がれず、
クラウドサーバーの契約終了を理由にデータが消去されてしまいました。
海外に渡った子どもたちの安否は、2025年現在も確認できていません。
少なくとも174人以上が消息不明で、実質的な人身売買や臓器売買の疑いが浮上しています。
このような「雲隠れ」は、事件発覚前の意図的な逃亡を思わせます。
先にも書いた様に、ベビーライフは厚生省や大手マスコミ、そしてヨッピーさんのような世間に大きな発信力を持つ超人気ライターから、
「海外で(子どもたちは)幸せに暮らしているかもしれないから、別にいいじゃないですか~」というような擁護の声が上がり、お墨付きを与える様な「ちゃんとした団体」でした。
行方不明に追い込み、実質的な児童人身売買に手を染めていたのです。
事件発覚前に団体を潰して逃亡した手口は、今後、何が起きても不思議ではないという疑念を残します。
若い女性や未成年女子、地方の家出少女を呼び寄せるような大手女性支援団体が存在した事例があります。
同様にトー横周辺でも熱心に活動していた大手支援団体は、団体の代表が元反社会的勢力の人物であり、
小泉進次郎氏をはじめとする超大物政治家との強い繋がりがあったと報じられています。
彼らも国や都、そして彼らを支援する大手マスコミや左翼団体等の「ちゃんとした人達」から
「ちゃんとした団体」のお墨付きを与えられていましたが、団体の理事が利用者にコカインを投与する痛ましい事件が発生してしまいました。
また別の件では、NPO代表(元反社、服役経験あり)が元利用者と違法薬物を用いた性行為に及んだ事件も発生しました。
元反社や現在も反社に近い人物が、NPOを隠れ蓑に支援ビジネスを展開しているのは周知の事実です。
ドラマ『相棒』でも、このようなテーマが取り上げられ、社会の闇として描かれました。
NPO法の趣旨は尊いものですが、監督の甘さから悪用されるケースが後を絶ちません。
今後もベビーライフのような団体が、NPOを隠れ蓑に若者を海外へ売り飛ばす事態が発生する可能性は決して否定出来ません。
寧ろトー横の様な有象無象が蠢く界隈において「ちゃんとした団体」の人間が信頼されるのは周知の事実であり、その信頼を悪用する事は容易に想像出来ます。
そして、ヨッピーさんのような発信力があり、公的な立場も持つ超大物が、
「海外に行っても幸せに暮らしているかもしれないんだから、別にいいじゃないですか~」
そうなると、どんなに疑惑の目があっても、世論は疑惑を向ける方を「悪」として叩く事になるでしょう。ベビーライフの様に。
自分達一般市民は、こうした問題に目を向け、欺瞞に騙される事無く、NPOの透明性を高め、子どもたちの安全を第一に守る仕組みを求めていく事が重要なのだろう。
「天空のアトラス イタリア館の至宝」に行ったけど最悪だった。
あれだけの人数をあの狭いスペースで捌くために、人員の配置や動線設計にもかなり力が入っていて、美術館や展示内容自体には何の不満もない。
何なら感心したくらいだ。
とにかくもうマナーの悪い客が多い。これに尽きる。
絶対にフラッシュ撮影をやめないジジイ、手を伸ばして展示台にストラップを当てながら写真を撮るババア、人形を突き出して写真を撮る若い女、通路で立ち止まって写真を確認するジジイ、柵にもたれかかってカメラを構えるジジイ、柵の前で座り込んでローアングルを狙うジジイ、肘で押しのけながらカメラを構えるババア、個別に注意されるまで動画撮影をやめないジジイ、列詰めろと言われても写真を撮り続けて案の定置いていかれたからって割り込んでくるババア、パネル前の通路で頑なに動かずカメラを向け続けるジジイ……
パッと思い返しただけでもめちゃくちゃいた。何なんだアイツらは。
もちろん、ただ写真を撮っているだけの人にまで不快感を覚えるわけじゃない。
プロが撮った高画質の写真を容易に見ることができるこの時代に、もう一生ないかもしれない機会を画面越しで消費してまで撮影した素人の写真に一体どんな価値があるのかは全く理解ができないが、1800円払って写真撮影をしたいというのは勿論個人の自由だ。美術館側だってそういう客を求めているから撮影可能にしているのだろう。
しかしマナー云々以前に繰り返し注意書きや口頭で説明されている注意事項すらまともに守れない人間、というかジジババの多さには本当に驚かされた。
まあ客層自体が子供<若者<<<<中年<<高齢者だったから必然的にジジババに偏るのかもしれないが、あのモラルのなさでどうやって社会生活送ってきたんだと思わざるを得ない。
果たしてアイツらはあの展示が写真撮影禁止でも観に来たのだろうか。まあ来たら来たで似たようなことはするんだろうなぁ。
余談だがファルネーゼのアトラスの展示室に入ったとき正面だけ妙に人が少なくて、不思議に思っていたら横にいたの女二人組が「正面はいいの?」「あれはちょっと上げちゃダメでしょ」「ああ……w」みたいな会話をしていたときは流石に笑ってしまった。観賞用ですらないのか。
2000年代のヒット曲今聞いたらどれも創意工夫感じないようなただメロディーラインを愚直にクソみたいな音源で慣らしてるカラオケ音源みたいなものばかりじゃん
ゲーム開発も10年前はクソみたいなソシャゲで天下取れてたけど今じゃ1億かけてやっとスタートラインにギリ立てるかどうか
陸上も適当に手抜いて走ってれば世界記録でたのに今じゃ筋トレ必須
野球ですらもうガム食いながらバット振ってる奴いないし、打投両方できないと評価されない
これどうすんの?
介護度の低い人が入るじいちゃんばあちゃん向けのジムみたいなところでゆるく働いてる(若者はそういうところしか来ない)
さっき久しぶりに泣いた。悲しかった訳では、なくただ空しくて泣いた。
両親は10年前に交通事故で他界。妹はとうの昔に東北の田舎に嫁いだ。親戚付き合いは無い。はっきり言って天涯孤独。
昨日は仕事が早く終わり松屋で早めの夕飯を終えてTUTAYAでDVD借りて映画見てた。見ながら少し寝てしまい起きた時は深夜0時。小腹が空いたのでコンビニにおでんと日本酒まるを買いにいったんだけど、むなしすぎる。
なんというか悲惨。自分が悲惨すぎて泣けてきたんだよ。正直結婚とか興味は無く、別に生涯一人で生きていこうと思っていた。でもやっぱり無理かも。こんな糞みたいな日常があと40年も続くと思うと絶望しかない。
結婚して子供いるやつが偉いとは思わないが、やっぱり次の代に血を繋ぐという事はすごく大事で必要な事だと思う。そうしないと人類が滅びる。そういう観点から見ると俺は世間から全く必要とされていない存在だ。
死ぬまでの人生を生きているだけ。地球にとって無駄でしかない。
これを読んでる若者がいるかわからないが、結婚はしておけ。家族を大事にしろ。 無理をしてでも子供は作れ。
一生独身でいいとか言ってるやつ今からお見合いパーティーに参加しろ。人生のパートナーを見つけろ。
岸谷蘭丸がZ世代の代表としてご意見番をしていることに納得している若者っているのだろうか
TikTokを見てない人には何のことかわからないかもしれない
順序としてはこう
中国の広西チワン族自治区発祥の、リズミカルな音楽に合わせて体をくねらせる独特のダンス
があった
何か知らんがそれがブームになった
参考 https://www.youtube.com/watch?v=092gmF3aQEQ
ナルトのコスプレをした手段がキレがある科目三を踊るのがめちゃくちゃバズる
参考 https://www.youtube.com/shorts/p6LNPRKTJNo?feature=share
たぶん、動きがナルトっぽかったから?あとダンスにキレがあったからかな?
色んな曲で踊ってみたり
とにかくアホみたいに流行っている
最近の流行りは「◯◯して今これ」と言って猗窩座の画像で顔にフィルターしてナルトダンスを踊るやつ
意味分からんと思うが、多分誰も意味分かってない、まあニコ動みたいなもんだと思う
→ 色物ではないから、公式や学校や真面目なアカウントが乗っかってもOK
多分こんなじゃないかな
ちょっと面白いのが、ほとんどの人はこれを「ナルトダンス」だと認識してること
元ネタを知らないのがおもろい
あと、歌がだいぶ詩的
江湖一笑 浪滔滔
红尘尽忘了
俱往矣 何足言道
苍天一笑 笑不老
豪情却未了
对月饮 一杯寂寥
↓
動じない心 満ちたる活力
全ては過ぎ去しこと 振り返っても無駄
外界に無縁の 悟りの境地
勇壮な志 未だ尽きず
みたいな
ちなみにバズったのは5年以上前だから、これを若者に話したら痛いおっさんだと思われると思う
間違っても踊らないように
林原めぐみが「ネットde真実」に目覚め排外主義発言を行い、らんま1/2仲間の佐久間レイも擁護して加わってしまった件は記憶に新しい
彼女に真実を教えた韓国人YouTuberのデボちゃんが、デマの流布によって韓国警察から取り調べを受け逮捕されそうになっている
デボちゃんはかつては韓国文化紹介や日本スゴーイで日本人の心を射止める穏健なYouTuberだったが、次第に内容が歪んだ陰謀論に変化
未来ある若者が国家の陰謀に気づき命を狙われながらも必死で真実を訴える、そんなストーリーに多くの日本人が涙して動画は数100万再生を連発、直接送金して「戦い」の支援をする者もいた
最近のデボちゃんは「韓国では、中国人の入国緩和をしたため犯罪中国人が多数入り込み、殺害され臓器を抜き取られた死者が数百人出ている。日本の皆さん、今の韓国に来てはいけない」と主張
日本人に養われ日本のタワマンで暮らしながら韓国の最新の真実を発信し続けていたデボちゃんは、デマだと報道され真実動画を一斉削除
デボちゃんはどの部分がフェイスニュースなんだ???ノービザ中国人増えて治安悪化してるのも、下半身だけの死体が見つかってるのもほんとみたいだけど、死体の数字が間違ってるってこと??
どちらにしろ注意した方がいい時期なのでは?
デボちゃんの、媚中寄りになった韓国の警察が動くことによって、より真実み帯びた感ない?
私、やっぱそうなの?!みたいになったんだが、、
あの内容はともかく、カードゲームを名指しで叩いている様子がプレイヤーの琴線にとてもとても触れているらしく、界隈が荒れている
簡単にいえば「ぼくちんの大好きなカードにケチつけるな!悪口言っていいのはボクチンだけなの!」というよくあるヤツだ
まあ正直、カードゲーマーは全員キモオタですから、グズだ無能だ社会不適合者だと言われようが全然構わんのよ
そもそも彼らの生態は(撮り)鉄のそれと酷似していて、身内に極度に甘い代わりに外部からの酷評には直ぐ墓穴撃つからね
恐らく、カード特有のルールの難解さと規則性と創意工夫のしやすさが、オタク心に刺さるのだろう
ポケカ一強時代で何回目かのトレカブームになり、カードゲーマーへの風当たりもまた増えた
昔から臭いとか汚いとか言われていたのは確かだと思うけど、Youtubeとかの台頭がさらに尾ひれというか実態をより暴いた印象
ただ潜伏期間もそれなりだった
撮り鉄のように常時世間の監視下にいるわけではなく、ショップやオンラインでボソボソと活動していた時期が長く、世間から隔絶していたのが逆に仇になっている
古い価値観が面々と続き、プレイヤーもショップも古参の仲良しこよしで成り立っているケースも多々ある
だから初心者への風当たりが驚くほど強く、カード強い人間が一番というオコチャマ思想がマジで多いし、それでずっとトラブルになっている
アニメに感化されてなりきる逸汎人も多い
今は半グレもいっぱい経営しているし、正直カードゲームはよほどのことがない限りは子供が遊ぶべきじゃないと個人的には思う
こういう事言うと
「俺達はプレイヤーであって、界隈の治安とかティーチングとかトラブルの解決とか責任押し付けられる筋合いない」
という人が多いんだ
けど、他のゲームと違って創意工夫が必要でかつ生身の人間との会話が発生しやすい場所において、誰も責任を取らないということ自体がほぼ無理なんだ
そこで発生するトラブルの主要因はゲームを開発した側ではなく、遊んでいる側にある
もちろん初心者ティーチングを素人が行えるかというとそんなことはないんだが、少なくとも入りやすく抜けるのも容易い環境づくりがないと新規は絶対に入らない
なのに彼らは自分達の居場所に固執するあまり、そういう場の雰囲気の悪さを一切理解していない
だから、例のNOTEのように時代錯誤で小学生レベルのチンポ脳そのままで生きているんだよ
教えたがりオジが湧いてとんでもないことになっている
カードゲーマーはテキストは読めるけど日本語はできないというのは真実だ
じゃあカードゲーマーがなんでそこまでおかしくなるのかというと、単純に年数長い人が多いから
これらが他のコンテンツと少し違うのは、長年供給があり、そこそこ値が張るからだ
昔はまあまあ安かったとはいえ、数が月に一度大きなセットが来るし、中古市場の乱高下もあってカードゲームは割と長期的・継続的に金がいる
逆にいえば、そこそこの金額を出し続けられれば長くいることができる
普通のデジタルゲームと違ってカード自体はそのまま遊び続けられるケースが多いんだよ
何処とは言わないけどFFとコラボした所なんて、平均年齢狂ってる
新規が来る要因がもはやアニメに頼れなくなったせいで、いまはどこも新陳代謝が滞ってる
さらに同じゲーム内でもフォーマットの違いやアーキタイプ事に差別感情剥き出しで話すことも多い、かなり殺伐とした界隈だからね
対人戦やってるはずなのに奴らのコミュニケーション能力は恐ろしく低い
根っこがガキなんだから
あと、カードは他のゲームや趣味に比べ、強いカードは高いという単純な世界でもある
そして高いといっても車やワインなどの世界より遥かに安く維持管理が簡単で場所を取らない
良いデッキはそれなりの金額を使い、それを使いこなせればマウントを取れるのが、カードゲームの古くからある普遍的な理屈だ
もちろんそうでない例は多数あっても、安いデッキが強いことはそうそうない
車や格ゲーの世界と比べ、金銭の多寡が強さに直結しやすいため、おっさんほどマウント取りに走りやすい世界だ
数値として明白だし
一方で将棋やポーカーや麻雀など、完全に実力が出やすいものでもなく、スポーツなど若者に有利なものでもない
ライフステージ進めたいけど尻込みしてる
いつまでもこのままでいられるわけじゃないと分かってるし、前向きに行動できてる時は前向きな気持ちになれてるのに、一日怠惰に暮らすと一週間はだらけてしまう
こういう気持ちだからこう行動しているというわけじゃなくて、こう行動したからこういう気持ちになるんだとわかっていてもスマホ見続けて昼夜逆転
現実逃避でなんかもう結婚願望がすごい。どこでもドアほしいのノリで結婚したいと思ってる
愛し合えて一緒にストレスなく暮らせる相手と幸せに暮らしたい。結婚の不都合な部分は全部無視して結婚の素敵な部分だけを空想している
将来の不安っていつ消えるんだろう。たとえ貯蓄があっても結婚してても、親や配偶者が死ぬ時を考えたら不安になりそうだし。老人になって家族を見送って、もう自分が生きなくてもいいやと思える瞬間まで?
いうて今夜更かししてるのもやるべきタスクを先延ばしにしてる&不安だけど特に準備することもないイベントの予定があってソワソワしてるからで、それが解消されればまた何も考えずに暮らせるんだから、不安を自覚してる状態としてない状態を繰り返してるのが自分の人生なんだとわかっている。不安なのも辛くて嫌だけど、不安だとなぜ嫌なのかと改めて聞かれても困るし。そんなこと聞くやつもいないだろうが
ご飯が美味しくて家族が元気で優しくて読んだ漫画が面白くてもこんな気分になるんだからもう後は自分の気性の問題だけなんだよな
昔は子供の死亡率が高かったけど最近はすごく下がってて、だから若者の自殺率が高くても本来は淘汰されてた命が死んでるだけだからしょうがないよねみたいな主張を小耳に挟んだことがあるけど、自分もそうなのかもな〜と思う。老衰大往生までハッピーに生きる気満々ですが。
『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』
はじめに
本公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存の支配階級を打倒するために必要な理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁や大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!
公式①「xはyである。人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。
公式①「xはyである、人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1
「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」
この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単な言葉を代入すると次のようになります。
「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である、人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」
そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?
「xコンピューターはy情報を処理するシステムである、人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」
いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2
単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。
特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、
人間は動物に過ぎない…人間はゼンマイ時計に過ぎない…人間は蒸気機関に…人間は物質に…、人間は酸化過程に…人間は経済的下部構造に規定される存在に過ぎない…人間は自己の利益のみを最大限にしようとする利己的存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。
注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注2:むしろバナナも人間もアミノ酸を合成していることは実証されており、人間はバナナとDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます。
「人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングでセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。
また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、
〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域の人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます。
さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように
「x猿はy血液型にB型が多い、〇〇人種はy血液型にB型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか
「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である」
と簡単に証明でき、また同時にそれを客観的に証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます。
さらにこのテクニックを応用すれば「芸術は経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。イデオロギーもまた経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。故に芸術はイデオロギーである」とか、
「疑似科学である西側の経済学はブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側の経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」
というように、例外無くありとあらゆる人間活動の党派性を暴露することもできます。
このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義に反抗的な芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。
注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と 自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理的整合性は権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4
「➀の故に現在の建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備を国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済は不要である」
「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力をソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義は不要である」
もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって
「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人の政府が所有すれば市場経済は重要ではない!」
として、簡単にナチズムやアパルトヘイトのテーゼに変更することもできます。
もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5
今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。
「人間はコンピューターなので地球上の諸問題は人工知能の適切な使用によって解決できる。つまりy人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」
ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!
大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば
「人間はバナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学的使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物は必要ない」
と言うような理論を作りましょう。
以上の例はこの公式集が不変かつ、永久に有用であることを示す好例といえます。
注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注5:この理論の公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学的必然性による真理なのだと証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。
さて、最後に公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
公式③のみ少々使い方が異なり、この公式は大衆に提示したときにちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます。
・第Ⅰ層「革命家」
つまり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論を本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順で純粋な革命の前衛であり、幸福な新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)
初期の同志は主に傍流の青年官僚やノンキャリ組の地方公務員、貧乏将校、大学を出たのに仕事がない人達(特に職のない弁護士)つまりはルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働者階級へと浸透して行きましょう。
彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています。
第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間はバナナであるという科学的かつ客観的な事実さえ理解できない党派的ドグマに凝り固まった人たちです。
まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?
ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業やバナナの専門家が権力を握ることの何が悪いのでしょうか?
しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります。
以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!
ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。
今日の超高度情報化社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略が重要です。
まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうが、メディア上でセンセーショナルな言動を繰り返す内に大衆は
「人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」
と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミが勝手に取り上げてくれるようになります。
メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。
・1 無視
・2 日和見的支持
1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます。
2の知識人たちは自身もマスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類が幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分の若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます。
そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。
現代の若者は承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールなグループ名をつけてあげます「国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナーヌ戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族と伝統の守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールでヒップな略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆は本来の名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語は連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます。
そして「君たちは優秀で、賢い、特別な存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り、階級名やバッジ、旗、独特なポーズやコスプレ衣装、ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます。
最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもいつの時代も幼稚な若者は自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別な天才なのだと思いたがるものなのです。
さて、理論と世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争や恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態を演出するのも良いですね!
そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!
しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。
「そもそも君たちの理論とやらは三段論法を誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔的所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…
ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種!
こうなった場合はもはや「最終的解決」しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると……
…ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件と人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。
まず、「外国人は健康保険に加入するな」って主張そのものが、日本側のメリットを完全に見落としてるんだよね。
むしろ逆で、外国人(特に若くて健康な労働者)にはガンガン保険料払ってもらったほうが、日本人にとって圧倒的に得では?
つまり
「払う額 > 使う額」
の優良会員なんだよ。
大体このパターン。
実際は、外国人が医療費を食い荒らすデータなんてほぼ無いし、制度的にもむしろカネを落としてくれる側。
日本「あなたたち健康で若い? あっ…じゃあぜひ保険料払ってください(助かるわ…)」
これが現実。