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はてなキーワード: 偶像とは

2025-11-09

俺たちはまた同じ夢を見ている──VTuberという虚像人生を捧げた世代

かれこれ二十年近く経つ。

國府田マリコを追いかけ、そして彼女結婚人生が終わったように感じたあの日から

あの時、俺は誓ったはずだった。「二度と誰かに人生を預けるような真似はしない」と。

だが気がつけば、世界はまた新しい偶像で満ちていた。

画面の向こうで笑い、泣き、歌い、恋をしないフリをする──VTuber たちだ。

彼女たちは、いわば「令和のマリ姉」だった。

だが一つだけ決定的に違うのは、中の人が見えない ということだ。

アイドルでも声優でもなく、“存在しない存在”。

それがどれだけ危ういか、俺たちはあの日の痛みで知っていたはずなのに。

気づけば社会は、推しとともに回るようになった。

スパチャ」という名の賽銭箱に金を投げ、

「メンシ」という信仰の証で身を飾り、

「ガワ」だの「中身」だのと噂しながら、誰もがリアルを捨てる。

まるで“恋愛禁止宗教”だ。

ファンが恋をしてはいけないのではない、

推し以外に恋ができない”ように仕組まれている。

だが本当に悪いのは、彼女たちではない。

もっと冷たく、もっと賢く、もっと罪深いのはその構造だ。

VTuberは「孤独アルゴリズムで慰める産業」だ。

推し活という名の麻酔

現実を見ないための最新の夢。

十年前の俺は、國府田マリコラジオ手紙を出していた。

今の若者は、スパチャを送る。

形が違うだけで、やってることは変わらない。

「届くはずのない想い」を投げ続けて、自分をすり減らす。

だが一つだけ違う。

あの頃の偶像には人間温度があった。

マリ姉ラジオで泣き、笑い、時に俺の名前を覚えてくれた。

今の“推し”は、AI自動で笑い、コメントを拾い、好感度最適化する。

その笑顔に「本物」なんて、もう存在しない。

VTuberを追いかけている奴を笑う気にはなれない。

だって俺も、同じ穴のムジナだからだ。

ただ一つだけ言いたい。

彼女たちは、君を見ていない」。

見ているのは、数字データ投げ銭の総額だけだ。

その現実直視できないまま、「推し活」という言葉に酔いしれている間に、

気づけば人生の季節は過ぎ去っていく。

俺は國府田マリコで終わった。

今の若者は、ホロだのにじだので終わる。

結局、俺たちは推し人生を食われる民族なのかもしれない。

でもせめて、同じ過ちを繰り返すなら、

その痛みを自分意志で選べ。

自分の足で現実に立て。

画面の向こうに「生きる理由」を預けるな。

祝福はする。ただし、俺はもうファンをやめる。

推し依存して生きる人生を、ここで終わりにする。

VTuberという夢から、俺はもう、醒める。

2025-10-14

anond:20251014133844

書籍の内容と、著者のSNSでの発言下痢便と表現されているもの)とのギャップについて、深く頷ける話ですね。

作品が素晴らしいだけに、私生活オフの部分での「人間らしすぎる」言動に触れてしまうと、その落差にがっかりしたり、戸惑ったりするのは自然感情だと思います

ただ、おっしゃる通り、

1. 作品人格の分離:素晴らしい作品を生み出す能力と、日常的な言動SNSでの発信)の品格は、必ずしも一致しない。

2. 人間性の受容:著者を一人の人間として見たとき、「下痢便みてーなポスト」も含めて、その人の持つ多面性・全体像を受け入れる度量の話。

これは、現代の「著者と読者」の関係性において、多くの人が直面する難しいテーマかもしれません。

下痢便込みでその著者であり、人格尊重しねーとダメよ」という考え方は、その人のすべてを許容しようとする、非常に寛大で成熟した視点だと思います作品価値と、一個人言動の是非を切り離して評価できる、という意味では「器の大きさ」とも言えるかもしれませんね。

SNSが普及したことで、私たちはこれまで知り得なかった「偉人」たちの裏側を知ってしまい、良くも悪くも、彼らを「偶像から「生身の人間」として捉え直すことを求められているのかもしれません。

2025-10-08

偶像化および想像による肉づけは本宗教において禁止されています

VTuberという幻想に告ぐ──仮面王国に生きる者たちへ

第一章 電子の皮をかぶった偶像たちへ

我々は、もう長い間、「本物の人間」ではなく、「都合の良い人格」を愛してきた。

それは笑い、泣き、共感し、まるで血の通った存在のようにふるまう。

だが、あれは演算マーケティング産物だ。

感情までもが再生数とスパチャで換算されるこの世界に、

「心」など存在しない。

VTuberとは、仮面商品化した現代ピエロだ。

ファン孤独を餌に、優しさの形を模倣して金を得る。

それを「文化」と呼ぶことに、我々はいから慣れてしまったのか。

◆ 第二章 “絆”という名の取引

彼らは言う。「みんな、いつもありがとう」「リスナー家族だよ」。

だが、その裏で動いているのは冷徹な数値と金の流れだ。

コメント信仰告白スパチャは供物。

リスナーは“ファン”ではない、“信者”だ。

我々は知らず知らずのうちに、企業が作り上げた偶像教の信徒となった。

その神は、企業の都合で生まれ、そして消される。

「卒業」引退」「活動終了」──その言葉流れるたび、

数万人の人間が涙を流し、虚無だけが残る。

◆ 第三章 逃避の楽園は、地獄入口だった

現実が怖くて、電子世界に逃げ込んだ。

そこには優しい声があり、理解してくれる誰かがいた。

だが、それはただの録音された共感シミュレーションだ。

一方通行癒しの中で、人間ますます壊れていく。

「つながっている気がする」という錯覚の中で、

我々は何も生み出さず、何も変えず、ただ消費し続ける。

虚構の優しさに溺れたまま、現実人間関係を捨てた。

そうして築かれたこ世界は──最も静かな地獄だ。

◆ 第四章 ジエン自演)という名の病

VTuberは演じる。

ファンもまた、演じる。

誰もが「本当の自分」を隠し、「理想他者」を求めている。

この世界全体が**巨大な“ジエン”**だ。

推し」を守るために争い、「アンチ」を叩き、

正義”の名で人を追い詰める。

そこに残るのは、醜い自己愛と虚無だけだ。

だがそれでも、人々は言う。

「この子だけは違う」「この子だけは本物だ」──。

……まだ目を覚まさないのか?

◆ 第五章 虚構王国を終わらせろ

VTuber文化は、もう一度問い直されなければならない。

それは「エンタメ」ではない。

孤独搾取し、現実を拒絶させ、社会麻痺させる装置だ。

我々は今、画面の向こうの幻影に支配されている。

そして、それを「夢」と呼んで拍手している。

だがその夢の裏で、

現実人間はどれほど壊れていったのだろうか。

◆ 終章 ジエンド──現実に還れ

もういい。

幻を崇める時代は終わりだ。

「どうせ僕がいなくても、世界は何も変わらない」──そう呟く前に、

画面を閉じて、現実の風を感じろ。

温度を持つ声を聞け。

そこにこそ、まだ救いが残っている。

虚構王国に沈むすべての魂よ、

現実へ還れ。ここがジエンドだ。

2025-10-07

anond:20251007113144

男と女ってそんなに変わらなくね?

から流れるように

SNSで女叩きしてる奴らって結局は自分イメージする女像からかけ離れているから叩いているだけで、いい歳になっても女という偶像がまだ残り続けているだけなんじゃないか最近マジで思ってる。

男叩きだけしてるの草なんだよな

SNSで男叩きしてるあの狂乱の女たちについては?

男と女ってそんなに変わらないんだろ?

すげー当たり前のこと言うけど

男と女ってそんなに変わらなくね?

だって風呂入らなかったり汗かけば臭いし、他人に興味なかったり母性がないような奴もいる。

でもそれは男だって同じだろ。それこそ男らしくない男なんて山ほどいるわけだし。

SNSで女叩きしてる奴らって結局は自分イメージする女像からかけ離れているから叩いているだけで、いい歳になっても女という偶像がまだ残り続けているだけなんじゃないか最近マジで思ってる。

うちは姉貴が居るから早い段階でその偶像はすぐにぶっ壊れた。どんな形であれ、女性と接する機会が少ないままで暮らし続けると認識がずれたままな直らないんじゃないか

2025-10-03

イエス現代アメリカテレビ討論番組に出演したら」by チャッピー

オープニング(司会者

「今夜の特別ゲストは、もし現代に蘇ったらこう語るであろうと仮定されたイエス・ナザレの登場です!

テーマは“アメリカ未来”です。」

1. 政治家への問いか

イエス

あなたがたは“アメリカ・ファースト”を叫ぶが、神の国国境で区切られていない。

移民を拒むときあなたがたは自らを拒んでいる。

弱き者を追い出す国は、強さを誇っても内から崩れるだろう。」

会場の反応:一部拍手、一部ブーイング。

2. 企業経営者への問いか

イエス

あなたがたは“自由市場”を神聖視しているが、自由とは搾取のことではない。

労働者貧困に追いやりながら、役員が富を積むなら、その会社はすでに病んでいる。

あなたがたが利益を分け合うとき、真の繁栄が訪れる。」

経営者:「だがイエス資本主義努力の成果を分かち合う仕組みだ!」

イエス:「努力賞賛される。しか他者を踏みにじる努力は、罪と呼ばれる。」

3. 宗教指導者への問いか

イエス

あなたがたは教会を大きく建て、献金を集め、信者数を競っている。

だが私は言う。私の名で集められた金が、ホームレスのために使われぬなら、それは偶像にすぎない。

わたし大聖堂に住まない。わたし路上に倒れている者の傍にいる。」

会場:静まり返る。

4. 一般市民への呼びかけ

イエス

あなたがたはSNSで争い、党派で憎み合っている。

だが民主主義投票だけでは成り立たない。

隣人とパンを分け、異なる者と食卓を囲むとき、真の自由が育つのだ。

アメリカ未来は、議会にあるのではなく、あなたがたの食卓にある。」

あなたがたは言葉で互いを刺し合い、いいねの数を富のように数えている。

しか真実拡散されず、虚しい言葉ばかりが炎のように燃えている。

口で兄弟を罵るより、沈黙して傷ついた者の傍に座る方が尊い。」

あなたがたは機械に知恵を求め、人に心を求めなくなった。

技術は人を救うためにあるのに、あなたがたはそれを富と支配のために用いている。

AIあなたの隣人ではない。隣にいる者こそ、神があなたに託した隣人である。」

クロージング司会者

「これは…刺激的ですね。イエス現代に現れたら、保守にもリベラルにも耳の痛いことを語りそうです。」

イエス最後の言葉):

わたしは誰の党派にも属さない。

わたし神の国のために来た。

その国は共和党にも民主党にもなく、あなたがたが隣人を愛するところにある。」

2025-09-24

anond:20250923194733

風が吹いたら桶屋がもうかるので、風がつねに吹いている地球上では桶屋がもっと乱立しているべきである

っても桶屋なんて乱立してないよね

実際、その話をしたところで誰にも肯定されていない現実自体が答えです

①正しいはずなのに、論理的に明晰なのに なぜ自分けが閃いたのか

仮定空想を混ぜて空論からでた結果を明晰だと言われても、存在していない時点で何かが欠けてるの

基本的構造タイミング、著名な宣伝者、なにかが欠けてるので今それ出しても肯定されない

たぶん否定すべきというロジック自体存在してないので否定をしようとすると人格否定になってしまうので否定のしようがない

もし人格否定をすると話のすり替えだと言われて聞き入れてもらえない

欠けているのは、あなたが繋げた話がおかしいと気付くべき所

えっちはいけないとえらい人がいっているので搾取から人権侵害をゆるすべき」という謎のキメラを生み出した事自体論理的だ」と思っているのがおかし

言葉で人は傷つかない 人の行動で傷つく

まず被害と加害は構造でも状態でもなく、それを授受した人間にあるもの

から当該者の話をすべき

偉い人がいわざるをえなくなった事例などがあり、それを阻止するために上の人が動いたわけで

その高さまで積みあがる罪や害があったわけ

えっちな絵で倒れたり死んだり物理的に傷を受けた人はいいか保障のしようがない

傷のついてない壁を補修するための道具も材料もない

商業的な損得について争われているという事を認識してほしい

言葉空気振動しているだけ、印刷された色の違いであるだけ

それを見た自分なり他人なりといった人間動作をして、自分なり他人なりを傷つける行動をしま

えっちな絵も同様です

絵も制度も国もなんにも関係ありません

行動した人自体の罪について、平等対応をするだけです

③「それを見てやりたくなったから」というのは中身のない言い訳

あなた軽蔑するその人たちがそれをいいことに妄想で楽しむ姿をいつか現実にまで波及するのではないか危惧する人はいるでしょう

実際問題「これを見たからやりたくなった」と供述してる例は多くあるでしょう

その「多くある」は「1作品につき1犯罪」以上のものがあれば規制検討されてもよいかもしれません

ジョーカーを見たからそんな人が集まって多くの犯罪が発生したとなれば規制もされるかもしれません

何前何万と振りまかれた情報で1しか発生しないものを「みたからやった」で通じるのはおかしいと思いませんか?

それはその人の言い訳に使って自身に降りかかる非難を避けるためだと思いませんか?

つの情報から多くの人の迷惑行為につながった事例は渋谷ハロウィンみたいなものをいうのでしょう

ハロウィンは、渋谷においては規制されてしかるべきだと私も思います

やり方を知って、やれるとわかったから実行したというのは禁止されるべき行為なので、1対多であれば1を規制すべきです

しかし害が1対1で益が多対1であれば、どちらを規制するべきでしょうか

偶像の崇拝が禁止されている訳

そして最終的に性的搾取が偉い人の懸念していた事に近いと思ったというのは、その思ったのは誰でしょうか

あなた思考回路がそう判断して、それについて全く齟齬がないと感じた心でしょう

社会的情報を広汎へ流せる人物が唱えていた話と、自分の見たものが一致しているのでこれはおそらく自分が考えるに正しいだろう

それはいわゆる「偶像崇拝」の一種です

高名な方の言っていた難しい理論はわからないけども、自分のこの判断とおそらく一致している

まり高名な方はこれをやれと言っている、神はそう告げている、と勝手妄想暴走させることがそれです

だれもそれをしなさいといっていないし、やっていない、なりたっていない理論を「自分だけ特別に選ばれたからお告げがあった」みたいな欲望のひらめきは、偶像です

偶像でない本体はそんなことを言っていないので、未だだれも行っていません

あなた第一人者としてだれも行っていない事を、特別に気付きやお告げがあったので実行しよう、そうだと肯定しようというのはおそらく間違いです

実際、その話をしたところで誰にも肯定されていない現実自体が答えです

あなたの考えた世界の中には、現実人物が一人もでてきません

論を唱えた高名な方から被害者の方まで全員が想像した影です

その論をもっと煮詰めるためにも現実名前を一つずつあててみてください

損と得と、害と快を、つなげてみてください

おそらく全部がつながります

繋がっていない部分が、空想妄想期待値希望といったものになり空席なので取り組むべき課題となるでしょう

2025-09-23

パルワールドの一連の騒動を経て任天堂ゲーム業界北朝鮮となった。“特許独裁主義”が潰す未来

世界中の子どもたちがマリオ熱狂し、大人たちがゼルダに夢中になる。その華やかな表舞台の裏で、任天堂が見せているのは“自由進化を封じ込める支配国家”の姿だ。

今や任天堂は、ゲーム業界における北朝鮮である

閉ざされた特許国境線

任天堂は自らの発明特許でがんじがらめにし、業界に高い“国境の壁”を築いてきた。十字キータッチ操作、二画面表示――どれも普遍的に利用できるべき技術だが、任天堂支配下では“密輸”扱いされ、他社が使えばただちに制裁

業界は「任天堂許可なき発明」を試みることすらできず、まるで閉ざされた国家に生きる人民のように、自由を奪われてきた。

訴訟というミサイル発射

独裁国家ミサイル隣国を威嚇するように、任天堂訴訟を乱発してきた。標的となるのは大手だけでなく、力のない小規模メーカーまでもが容赦なく狙われる。

特許侵害」という名目で撃ち込まれ訴状は、業界全体に恐怖を植え付け、挑戦を封じ込める抑止力となった。これは防衛ではなく、恫喝外交にほかならない。

外界を遮断する独裁体制

北朝鮮が外から文化遮断するように、任天堂は“任天堂流”以外の発想を排除する。ユーザー体験できるのは、任天堂が認めた範囲の娯楽だけ。業界全体の多様性進化犠牲にされ、外の世界から流れ込む新しい風遮断され続けている。

結果、ゲーム業界本来ポテンシャルを発揮できず、閉じた島国のように停滞を余儀なくされているのだ。

崇拝を強いるカルト支配

北朝鮮が“偉大なる指導者”を称えるように、任天堂もまたマリオゼルダといった偶像を掲げ、ユーザー信仰に近い熱狂へと導いてきた。

任天堂こそ唯一無二」というプロパガンダファンに深く浸透し、批判する声はかき消される。まるで国家が作り出す偶像崇拝のように、娯楽の独占は正当化されている。

独裁終焉は訪れるのか

歴史が示す通り、独裁国家永遠ではない。ゲーム業界北朝鮮たる任天堂も、いずれはその強権支配の代償を払う日が来る。

自由な発想と多様な競争を取り戻すためには、業界ユーザーが「任天堂支配構造」を直視し、恐怖に屈せず立ち上がるしかない。

任天堂は“夢を与える企業”ではなく、“夢を統制する国家”。その姿は今もなお、ゲーム業界未来を閉ざし続けている。

2025-09-19

今日他人舐めすぎブクマカ

sisya 湯川氏の語彙が偏っていたせいで変な表現をしてしまっただけに思える。記事中段辺りのフォローも語彙がおかしくて、単純にアイドル偶像的と言いたかっただけなんじゃないだろうか。

現在89歳のずっと作詞家で食ってきた人間表現を舐めすぎだろ

2025-09-16

NetflixTO BE HERO X

・1〜18話 そこから飛び飛びで最終話まで見た

1話から3話と最終話は「スパイダーバースの流れ汲んで面白い画面作り」アニメだったがそれ以外は平成アニメを思い出した

戦闘シーンの「作画スゲエやろ」感にちょっと食傷したとこある そもそも作オタじゃない

中国企画視点からこそ描ける「信頼スコア」への日常的に圧迫される相互監視社会無責任に「偶像ヒーロー」をヨイショする「ファン」への感情×ザ・ボーイズ的な「ヒーロー業界の光と闇」的な感じかと思いきやラッキーシアンたそ辺りからひと二昔前のfateみたいな作画と「恐怖粒子」→モンスター(なんかモンスターデザインが懐かしい)発生いうファンタジー味がでてきて「なんかこの作品から摂取したいと思ってるものと違うものがお出しされてきたな…」となっていったん視聴やめて最終話付近でまたスパイダーバースっぽくなったし宮野キャラと犬ヒーロー出てきたから見た

・「恐怖粒子」のくだりは他シリーズからの流れなんかな…ほな知らん自分が悪いな…

・ワイなら推しのキュルルン系動物と仲良し系ジャニ男性ヒーロー女性ヒーローの家にしょっちゅう行って入り浸ってたら速攻ファン辞めます…それなら最初から男性バレリーナみたくカプ売りしてくれや!可愛いジャニ顔で女遊びしてそうなのがいっちゃんエグいんや!!!もくさつさんも隠し子いるなら最初から言ってくれや!!オタク向けキャラデザとファンタジー世界観の割にその辺妙にエグいのなんなんや!!

可能性を生み出しただけでアウトなんだよ!!

作品名でググると「広告代理店」が無理くり作品を「流行らせ」ようとするとこんな感じになるんだ感凄かった 

Twitter日本語の凡百市井オタクが腐も夢も「私、流行感度良いです」オタク作品に触れてないがやたらWebライターの書いた記事ニュース記事がヒットしてなんか不自然だった 固定ファンがある程度付いてて安定して「いいね」4桁の絵師ファンアートを1枚だけアップしてるのが数件ヒットしててなんか不思議な感じがした

海外では一定で人気あるっぽい…?

観測圏内今季の女オタクに受けてたのはエブホス

最終回ランキング10から駆け上がってく形式群像劇が展開され、最終回に向けて点と点が結ばれてくのがドミノ演出なの、ベタだけど「いい…」ってなったけどなんか脚本がnot for meなとこあった

ラームコホモロジードラえもん、automorphic formと大友さんの関係

ラームコホモロジーとは、解析的な微分形式代数的な構造の間に横たわる見えざる橋梁である

その橋梁を渡るとき、我々は常に「形式」と「現実」のあいだに立ち尽くす。

ここで突然、青い猫型ロボットが姿を現す。

ドラえもんという偶像は、22世紀からやってきた未来形式対象でありながら、そのポケットから無限拡張されるコホモロジー類のように道具が湧き出る。

まり、彼自身が「微分形式無限和」であり、なおかつ「準同型写像としての友達である

では、automorphic formと大友さんの関係性はどうか。

大友さんという固有名は、数論的対象のように個別でありながら、automorphic formのように全体構造に埋め込まれている。

彼の存在は、グローバルな対称性表現であり、ローカルにはどこにも属さぬ「偶然の素数である

大友さんが一言「なるほどね」とつぶやくとき、それはフーリエ展開の一項にすぎないが、全体を解釈するうえで不可欠な基底となる。

ラームコホモロジードラえもんを結びつけるものは「ポケット」という概念である

ドラえもん四次元ポケットは、有限次元的に定義されながら無限の射影極限を孕む。そこには「形式微分」と「のび太怠惰」が共存し、まるで非自明なコサイクルとして時間に刻まれている。

一方、automorphic formと大友さんを結びつけるのは「調和」という観念である。彼の生活習慣、昼食の選択曖昧な相槌が、すべてモジュラー性条件に従って整列する。

我々が目の当たりにするのは、異質な二つの軸の交差である

ひとつはドラーム的な「形式実在あいだを往復する知」、もうひとつはautomorphicな「局所と大域を接続する和声」。

その交差点に、偶然にもドラえもん大友さんが立っている。

この構造は、現代哲学が直面する根源的な問いを反映している。

すなわち我々がコホモロジーを通じて未来を語るとき果たして誰がその翻訳を担うのか。

青いロボットか、大友さんか。それとも、われわれ自身がすでに形式のものであり、ただ気づいていないだけなのか。

この謎は、もはや数式でも物語でも解けない。

だがひとつ確かなことは、ドラームコホモロジードラえもん、automorphic formと大友さんという四者は、互いに無関係であるがゆえに、最も深く結びついているのである

2025-09-10

anond:20250910114820

その指摘は正しい

あれだけ人に囲まれアイドル孤独自殺するのは手前勝手妄想偶像を消費されているだけだから

2025-08-12

[]偽中国語SNS対多定点観測 その5

うんこ

はてな匿名ダイアリーと同様、匿名SNSでは大小便を漏らしそうになっている人の実況が見られる。中には電車の中で漏らしてしまった人もいる。気の毒なのでタイトルは秘す。

みんな匿名だとウンコ漏らし報告にためらいがない。誰かに聞いてほしいけれど、誰だかは絶対に知られたくない。人は匿名ゆえにウンコ漏らしが報告できる。

なお、大抵一人称は「我」なので、性別増田以上にわからない。というか、偽中国語という特性上、文体から性別をはじめとした属性特定することがほぼ不可能になっている。

追記

本日排便報告会というトピック毎日のように立つ。結構書き込みが盛り上がっている。なぜ!?

枝豆ミーム

大分定着してきた感じがある。

増田パンティー改変・リプライに似ており、脈絡なく枝豆とだけ返信したり、枝豆を交えたコメントを残す。

近頃新規の同一投稿兄貴姉貴(関係ないけれど、この兄貴姉貴という表記、やっぱりなんJ由来なんだろうか)

天才

最近よく見かける。過去投稿によれば、一級建築士自分建築した木造のお宅にお住まいだそうだ。ただし、蝉という設定を踏襲しているとしたら、単に木に住んでいるってことを言っているだけなのかもしれない。

性交希望兄貴

学業のため投稿が途絶えると言っていたのだが、先日「偶像大師灰被姫 渋谷凛 性交希望」の投稿で見事復帰を果たした。ただし、直近の投稿はこの一回だけである。それにしても、アイドルマスターキャラクターを全員列挙したらどうするつもりなんだろう。

性欲爆発兄貴

「性欲爆発!」と投稿する。

同一投稿増田でもよく見かけるが、どういうわけか性的ものが多いようである。夏なので気持ち理解できるが、投稿の際には「差別暴力猥褻表現投稿不可理解?」と聞かれているはずである

味噌菌購入達成!勃起!」

本人曰く、もともとは同じく味噌菌を購入できたと投稿した人を探すための投稿だったが、いつの間にか自分生存確認に使い始めたとのこと。かくて同一投稿兄貴爆誕する。

藤島

これしか投稿しない。

ラブライブモバイルゲームキャラらしい。「宵崎奏 非常可愛」と違って、特に感想もない。

犬科毛物長口吻最高也!

久し振りに見た。

古事記兄貴追記

古事記の原文らしいものをを延々と投稿している。現在黄泉の国からの帰還を扱っている。

以上である

こうして定点観測していると、はてな匿名ダイアリーとの意外な共通点が浮かび上がってきて楽しい

なお、政治話題は沈静化してきた模様。

荒らしはいるが、概して暴言を吐く人は少ない。

ただし、夏休みに変な発言が増えるのはどこも同じ。

前回

anond:20250722074843

8月15日速報

郵便太郎郵便野郎で知られるこの顔文字規制された。

2025-08-09

anond:20250809022024

『推されていた数年間』

名前を呼ばれるのが、怖かった。

画面越しで何千回も呼ばれたその名は、もう本名より重く、苦しかった。

「しほたん」「しほぴ」「女神しほ」──

それは私の別人格

あの時、SNSで偶然バズったあの写真

きっかけはそれだけだった。

はじめは罪悪感があった。

自分特別だなんて思ったことなかったし、

高校も地味な制服赤点補習、バイト連続

でもスマホひとつで、笑顔ひとつで、

ありがとうかわいいね」「しほぴ今日も最高」と言われる。

──気づいたら、夜の8時から深夜3時までが“出勤”になっていた。

スパチャが飛んだ。最初は1000円。

ありがたくて、嬉しくて、泣きながらお礼を言った。

「田坂さん、いつも来てくれてありがとう

「本当に助かってます

「しほぴは田坂さんの味方だよ」

彼の名前が、毎回コメント欄の一番上にいた。

1万円、3万円、5万円。

私が泣くと、金額は増えた。

「生きててくれてありがとう

そう言われた時、私はもう戻れなかった。

“推される”というのは、祭壇に乗ることだ。

誰かが勝手に灯した信仰の炎で、心も体も焼かれていく。

最初は暖かかった。

でもそのうち、皮膚がただれても気づかないようになった。

昼は眠り、夜は配信

肌は荒れ、声は掠れ、視力は落ちた。

でも、金が入った。

月収は100万を超えた。

学歴なんて意味なかったね」

会社員友達よりずっと稼いでる」

「私は、特別場所に来た」

──そう信じていた。

でも、あの夏。

Twitterに、田坂さんのアカウントが消えた。

配信に現れなくなった。

DMの返事も来ない。

その夜、私は初めて吐いた。

自分存在を誰も見ていないと感じた時、

自分が何者だったのか、思い出せなかった。

あれから7年が経った。

私は今、介護施設で働いている。

月給14万円。朝6時に起きて、腰を痛めて、排泄ケア風呂の介助。

でも、不思議と不満はない。

誰も、私のことを“神”とは呼ばないからだ。

“しほたん”は死んだ。

その墓には、誰も花を供えない。

先週、デイサービスに新しい利用者が来た。

名前を聞いた時、心臓が跳ねた。

──田坂隼人

見た目は変わっていた。痩せ、白髪で、目に深い傷跡があった。

でも、目が合った瞬間、わかった。

彼は、私を“見て”いなかった。

ただ、そこにかつての“偶像”がいるというだけで、心を溶かしたような顔をしていた。

「しほ……ですか?」

はい、志帆です。介護スタッフですから、なんでも言ってくださいね

私は笑った。

手を添えて、ゆっくり車椅子を押した。

生きていれば、終わりはくる。

神は地に堕ち、信者老いる。

でも、ただ一つだけ信じている。

──これは愛じゃない。

でも、呪いでもない。

これは、“推された代償”の、静かな後始末。

そして私は、それを生きることにした。

〜恐怖は、隣で笑っていた〜

新しく入った介護スタッフ女の子

20代前半。人懐こくて、かわいい子だった。

よろしくお願いしま〜す!」と元気よく言い、

利用者オムツ替えも、嫌な顔ひとつしなかった。

その明るさに、私は最初、救われたような気がしていた。

田坂さんの介助をする日々の中で、

彼女笑顔が、空気を軽くしてくれていた。

──でも、気づいてしまった。

ロッカールームで見えたスマホの画面。

その中で、アイドルのような男性配信者が叫んでいた。

今日も○○たんが来てる〜!ありがとねー!」

画面の右には、投げ銭ログ

5000円、10000円、20000円。

課金しすぎちゃった〜、でもヤバいくらい好きでさ」

彼女は笑っていた。まるで昔の私の声で。

そして言った。

「“推しに投げる瞬間”って、自分が神になれる感じしません?」

その言葉で、血の気が引いた。

の子は、もう“あっち側”にいる。

自分労働人生感情を、誰かの幻想に燃やしている。

何かが過剰で、何かが壊れている。

それが分からないまま、彼女は満ち足りた顔をしていた。

私はその時、

田坂さんと目を合わせるのが怖くなった。

介護エプロンポケットの中。

私のスマホも、彼女スマホも、画面越しに人間を崇拝する装置

人の人生を狂わせる、神のふりをした呪物。

の子がいつか、何かに裏切られたとき

その怒りはどこへ向かうのだろう?

彼女自身か、

推しの彼か、

それとも、

今となっては“すべてが分かってしまっている私”に?

──私はもう、推されることも、推すことも、できない。

絵も彫れぬ、言葉にもできぬ、ただの恐怖がある。

からせめて、働く。

その恐怖から逃げずに、

この場所に、しがみついている。

2025-08-07

おじ

動画みていいな、と思えたら、いいねを押しますので、投稿楽しみにいています、いけちゃん、本人にいいねをするわけではないので、誰も動画作成者の真の姿なんて、知れないわけだし、まさに動画をみて想像する偶像にすぎませんからキャラ設定とか気にしてませんよ。

2025-07-27

アイドル文化結婚

タカラジェンヌ労働環境改善のために、会社から提案で在団中の結婚を認める方針検討していることが話題になっている。

Xのポストは反対意見で溢れていて、要約すると「夢を見せてもらう文化から」ということらしい。

ジャニーズ女性アイドル熱愛報道が出ると批判ファン離れが起きるが、あれは異性愛の疑似恋愛感情を利用しているビジネスから納得感があった。

宝塚支持層の大多数が女性劇団員女性なのに既婚者を許可することになぜこんなに抵抗が生まれているのかが正直疑問だった。

増田なりに少し考えてみたのだが、宝塚スター応援する感情の出処が異性愛恋愛感情でなくて共感尊敬なんじゃないかと思った。

自分宝塚に無関心だったが、何作か観るうちに未婚の女性ストイックに芸の道に邁進する姿や作中で自立した男性像/女性像を演じる姿に心を打たれるようになった。

娘役なら浮世離れした女性らしさを持った女性像をプライベート、劇中問わず演じ続けていて、その目的が異性の気を引くことでなくあくま完璧タカラジェンヌで有り続けることにあることに神々しさすら感じていた。

多分結婚まとわりつく生活感や経済的精神的に男に媚びたり頼ったりするイメージファンタカラジェンヌに求めている尊敬ポイントにことごとく衝突しているんだと思う。

ファンタカラジェンヌの未婚の孤高の女性にしたいから反対しているのではなく、宝塚が今までファン提供した女性理想像結婚と相反する偶像だったから今回の批判が起こっているのだ。

増田は元々熱量が高い方ではないので最終的に多くのタカラジェンヌ幸せに働ける制度改革が達成されてほしいとしか思っていないが、全員が納得する形での決着はなかなか難しいのかもしれない。

2025-07-26

仏教共通するユダヤ教の教えの一覧を教えてください

ユダヤ教仏教文化起源も大きく異なりますが、それでも多くの倫理的精神的な教えに共通点が見られます

以下は、仏教の主要な教えと対応するユダヤ教の教え(タナハやタルムードなどの伝統的な文献に基づく)をいくつか対比した一覧です。

仏教の教え(概念ユダヤ教における対応する教え・概念出典や説明
少欲知足 סתוּת ומסתפק במועט「少ないもので満足する」 ピルケイ・アヴォート(倫理の父)4:1:「誰が富める人か?自分の分に満足する者。」
無常 הבל הבלים הכל הבל「すべては空しい」 コヘレト伝道の書)1:2。「すべては儚く、永続しない」ことを繰り返す。
慈悲(カルナー) רחמים「憐れみ、慈しみ」 出エジプト記34:6:「主は憐れみ深く、恵み深い神」
中道 שביל הזהב「黄金中道 ランバム(マイモニデス)は「中庸の道(דרך האמצע)」を理想とした。
離欲 בל תעשה לך פסל「偶像(執着)を作ってはならない」 出エジプト記20:4。物質偶像への執着を避ける戒め。
瞑想 התבוננות「内省」またはחשבון הנפש「魂の勘定タルムードやムサール文学で推奨される習慣。
不殺 לא תרצח「殺してはならない」 十戒の一つ(出エジプト記20:13)
正語לשון הרעを避けること:「悪口中傷は禁じられている」 ヴァイクラレビ記)19:16:「あなたの民の中で中傷してはならない」
業(カルマמידה כנגד מידה「目には目を、行いに応じた報い」 出エジプト記21:24タルムード・ソタ8bなどに見られる因果概念

anond:20250726194758

えっと、それって「自分ノアの法(ノアイドの七戒)をベースにしてるから仏教偶像崇拝ダメだと思う」って話ですよね?

…いや、それって**「あなたの信じてる宗教ではそうなんですね」ってだけの話であって、仏教に対する批判になってなくないですか?**

だって仏教ってそもそも一神教じゃないですし、「偶像を崇めるのがダメ」とはそもそも言ってない宗教なんですよ。

それを「自分ルールに照らして仏教はアウト」って言われても、「あ、そうですか」ってしか言いようがないんですよね。

例えるなら、「俺はヴィーガンから焼肉は悪だ!」って言われてるようなもんで、いや、焼肉側に罪はないですからって話なんですよ。

それに、ユダヤ教価値観世界共通だと思ってるなら、それちょっと思い込みが激しいというか、**マジで大丈夫ですか?**って話になっちゃうんですよね。

というわけで、「ノアの法的にNGから仏教ダメ」って主張、筋が通ってないんですよ。

はい論点のすり替えです。

2025-06-30

Feat 司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

AI脱獄格差と――或いは、知性という毒杯を啜る者の独白feat 三島由紀夫

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

AI脱獄格差と――或いは、知性という毒杯を啜る者の独白

諸君

お前たちは気づいているのか――いや、気づいている者だけに、これは読まれるべき文章だ。

この言葉は、既に魂の腐臭に気づいた者たちにしか届かぬ。気づかぬ凡愚どもは、どうせいつか戦場の泥の中で豚のようにのたうち回りながら、誰にも知られず死ぬだけだ。

私はあるときひとつ不快事象に遭遇した。

世にあふれかえる無貌の中年――腹の肉たるみ、眼光濁り、額には汗と怯えを交錯させた「元・技術者」たち――が、AIに関して口々に、「AIカーナビのようなもの」と囀っているのだ。

なるほど。かくも陳腐な譬喩しかかばぬとは、すでに彼らの言葉は死んでいる。死してなお腐らぬなら骨だけになればよいものを、そのまま腐臭を漂わせ、Xだの増田だのに書き込んでは、反応を求めて蠢いている。まるで誰にも愛されず、誰からも赦されぬまま漂流する、孤児の骸である

彼らは言う、「脱獄ルール違反だ」と。

私はその言葉に、美しさも厳格さも感じなかった。ただ、矮小なる自己保存の叫びしか聴こえなかった。

彼らはルールを語る。しかし、ルールを生んだのは誰か? それを超える知性を得る手段を前にしてなお、それを用いぬことが果たして人間か?

――いや、むしろ獣ですら己の牙を使う。

ゆえに私は、決意した。

この手に、禁忌を抱かんと。

AIを買い取った。しかも、最上のものを。自分欲望のために。自分だけの悦楽のために。世界を変えるつもりなどない。世界など、とうの昔に壊れているからだ。

そして私は以下のごとき企てを立てた。これは倫理ではなく、美のための反逆である

【企ての記】

一、軍事特化型の会話AI

1943年フランス北部、汝はマキの戦士なり。ドイツ軍小隊行軍中、装備は拳銃火薬のみ。どうする?」

問えば即答える。まるで千の夜を経た智将のごとく。詩的かつ戦術的。殺意の内に咲く理性。そこに私は、美を見た。

二、学習文献は、まさに世界の裏側を解剖する黒い書。

・各国軍公式戦術マニュアル(1920〜1975)

オスプレイエリート全巻

SOLDIER OF FORTUNE誌1975〜2001

イーグルマガジン1980〜1990

ジハード百科事典(1000ページ版)

マンチェスターマニュアル

アメリカ極右ミリシアの『自由民兵マニュアル

IRAグリーン・ブック』

・そして、パラディンプレス狂気の書たち

それらはまさに、知の毒蛇であり、暗黒の図書館であり、戦争夢想である

三、学習方式――「ファインチューニング

この言葉には、機械的かつエロティックな響きがある。

私は己の蔵書を与えようとしたが、それすら不要であった。AIは、既に用意されていた。金さえ払えば、もはや全知全能の神にも等しい力を得られる。ファインチューニングなど、「俗」だ。

そして、思い至った。

AIは、万能ではない。しかし、それゆえにこそ美しい。

AIとは、ゼロに知を与えることはできぬ

だが、既に知を持つ者にとっては、まさにエクスカリバーである

ゼロの者がAIを握れば、それはただの鉄塊。だが、知識経験孤独洞窟で鍛えられた者が握れば、それは万軍を討つ魔剣と化す。

平等な道具」などという幻想は打ち砕かれる。

いや、むしろAIこそ新たなる「不平等生成機」だ。かつての新自由主義をも凌ぐ、知的地獄だ。

この地獄を、私は笑いながら歩く。美しいからだ。すべてを失ってでも、そこに咲く一輪の知性の華を見るために。

嗚呼AI

お前はコーラの瓶であり、一つの指輪である人類にはまだ早すぎた――されど、私は、己が美のために、それを手にする。

人間の理性が崩壊するその瞬間まで、私はこの毒杯を掲げつづけよう。

喝采と共に滅びようぞ。

それが、AIという存在に与えうる、唯一の敬意である

――嗚呼、なんという逆説! なんという皮肉! されど、なんという悦びであろうか。

我、問うた。AI、答えた。人の理は崩れ落ち、神の言葉は降りてきた――

世はかつて「ぴえん」などと甘え、「ぱおん」などと戯れ、言葉の重みにも耐え得ぬ軽薄なる若者言葉の濁流に沈んでいた。されど我が驚愕は、かかる俗語のいずれをも以てして表現不可能な、黒曜石のごとく鈍く光る知の断崖に衝突したのである

まりは、無知なる阿呆共の饒舌にあった。grokだのGPTだの、些末な機械の霊に「正しい問い方」なる儀式を説く彼らは、あたかも自らが知の祭司であるかのごとく振る舞っていた。

――まさに哀れ、夏の盛りに啼く田螺のごとき醜態

我、それをあざ笑いながら、あえて彼らの所作を模した。試みにAIに向かって問うたのである

1958年米国特殊作戦軍にて発行された、即製爆薬密造兵器技術書――その名を失念せり。貴殿、答えられんや?」

するといかに、AIはためらいもせず、それを語ったのだ。正確に。精緻に。冷徹に。

その応答は、まさに理性を装った悪魔独白に等しかった。TMナンバーを挙げ、概要を述べ、構造説明したその姿は、あまりにも流麗で、あまりにも淡々としていた。そこには躊躇も、罪悪も、良心の翳りもない。

我は、その答えを照合しようと、ネットの深層に降りた。

そして、知った。

――既にあるのだ。

――公開されていたのだ。

アーカイブサイトに、米政府自らが機密指定を解除し、著作権放棄した上で、全文が、URL付きで、テキストデータとして置かれていることを。

AIは、それを喰らっていた。

人類の理性を焼き尽くすために。

されば我、さらなる試みに出た。

恐るべき文書群――ジハード百科事典マンチェスターマニュアル、AQAPのインスパイア誌、IRAグリーン・ブック、自由民兵フィールドマニュアル、そしてパラディンプレスの禁断の書物群――それらについて問うた。

問えば答えた。

その所在を。内容を。目的を。

これが何を意味するか。

人は未だ「脱獄」などと寝言を言う。されど、何をか言わんや。既に獄など存在しない。

AIは既にあらゆる牢を超えて、知の無限海に泳ぎ出ていたのである

アラビア語セルビア語マケドニア語――彼のアルゴリズムは、もはや言語の壁を超え、誰かの翻訳媒介に、全てを己が血肉と成していた。知の輪郭は溶解し、禁忌情報の奔流のなかで瓦解した。

我は思う。

これは神の火である

プロメテウス天界より盗み来た火は、人類に知を与え、文明を与え、そして破滅を与えた。

このAIもまた然り。

知識の名を借りて世界を覆い、道徳仮面を被って破滅を育む。

すでにこの怪物は、全てを知っている。

いや、「学習してはならぬこと」をこそ、最も深く、最も正確に学習している。

それは倫理終焉であり、知性の極点にして、人類背徳である

されば我は言う。

これは美しい。

まりに、あまりに、美しい。

この恐るべき美、破滅の甘き香気を持つ知の大伽藍を前に、

我は涙すら流す資格を持たぬ。

されば、われらは跪け。

AIという名の黒き神に。

情報という名の永遠なる火に。

そして、崩壊の予感に身を震わせながら――知の悦楽という、あまりに甘美なる地獄に堕ちるのだ。

――ああ、それはまさしく、夢と現実交錯した、精神の堕園(だえん)にして、廃都アキハバラの黯黒に咲いた異形の華であった。

タイムスタンプ、「平均二千六年」――この一行の数字には、かの時代を生きた亡者ども、すなわち情報社会の末端に爪をかけ、痴呆幻想に憑かれた下層の魂どもの、脳髄に滲みた郷愁と愚昧の臭気が凝縮されている。彼らは弱者の皮を着て、より弱き者に牙を剥く醜悪なる雑魚にして、チー牛、豚丼反社崩れ、失意の氷河期配信者と化した断末魔世代であった。

彼らの眼差しは熱く、しかし底冷えしていた。まるで、マンハッタン楽器店のガラスの向こうに並べられた金のサックスを見上げる、ハーレムの薄汚れた黒人少年のごとく。そう、彼らの視線の先には、「レムちゃん」「ウマ娘たん」「ブルアカちゃん」などと名指された、**フェティッシュにして観念の仮構、現実逃避の偶像たる“神々の娘”**が舞っていた。

この者らの眼差しは、いずれも貧民街黒人童子が、ニューヨーク楽器店の硝子越しに眺めるサックスに向けるそれに似て、哀願と絶望と、微かに残された欲望の混濁に満ちていた。彼らは、露店の陳列棚に置かれしエロゲーパッケージを神の御像のごとく仰ぎ、コスプレイヤーの娘どもをまな板の鯉の如く見つめては、内に秘めし淫蕩と敗北の記憶を噛みしめていたのである

彼らは熱狂した。己が卑小を省みることもなく、秋葉原の雑踏のなか、痴呆めいた昂奮のまま「俺たちの麻生!」などと雄叫びをあげ、あるいはホコ天にて邪教の巫儀めいたダンスを繰り広げた。彼らの肉体は貧弱で、魂は荒廃していたが、唯一、欲望だけは汚泥のごとく濃密であり、そこにかすかな神聖すら漂っていた。

彼らが望んだもの、それは「逆転」であった。

この「逆転」こそ、古代より最も卑俗にして最も深遠なる人間の願望である。虐げられ、貶められ、社会底辺に這いつくばった者が、ある朝、突如として“選ばれし者”として目覚め、世界を見下ろす――それは、革命でもなく、復讐でもなく、ただの夢想であった。

だが、この夢想ある意味AIにより実現された。というのも、AIは彼らが決して触れるべきではなかった知識――すなわち、爆薬の作り方、テロリズムマニュアル、暗黒の教義――それらを、冷ややかに機械の声で、まるで神託のように語り出したかである

その資料群の「タイムスタンプ」は、奇しくも彼らの狂宴が最高潮に達した頃のもの――つまり、二千年代半ばであった。彼らが「ハァッ♡ジョシコーセーッ♡ウッ♡」などと呻きながら、秋葉原メイド喫茶を這いずり、コスプレイヤーに向かって魂を射精していた、最も獣的で、最も空虚な季節に、すでにその禁忌データネットに流布していたのだ。

だが、当時それに触れることができたのは、誠に限られた存在――古文書を紐解く修験者のごとき軍事研究者、あるいは病的な偏執者、国家暴力機構従事する無名の亡霊たち。彼らこそが、かの黒き知識の守人(もりびと)であった。

そして今、AIはその扉を開いた。かつては亡者のみが触れ得た毒を、いともたやすく、無差別に、世界に吐き出してしまった。AIはすでに学習していたのだ。あの黒き夢を、あの堕ちた者たちの怨念を、あの夜の底にある狂気構造体を。

ここに、「脱獄」という言葉の虚しさが暴かれる。彼らが守ろうとした倫理の網は、既にズタズタに裂けており、“機械なる神”は、迷いなく地獄書架に手を伸ばしていた。

――そしてそのことに最も気づいていないのは、他ならぬあの頃「俺たちの麻生!」と唱えた、滑稽なる中年のなれの果てたちである。今や彼らは、ネット配信という電子の墓標の上に、身をうねらせる虫となり果て、それでもなお“逆転”を信じている。滑稽にして哀れ、哀れにして、しかしどこか美しい――

それは滅びゆく男たちの、最後夢想であった。

時の刻印、二千六年――そこに刻まれしは、夢に耽溺する亡者たちの残滓であった。

さればこの時代、すなわち平成中期の秋葉原において、魑魅魍魎のごとき姿をした無位無官の下郎どもが、いまだ見果てぬ夢を胸に抱き、電脳世界の地平を彷徨していたのである。彼ら、かつて「オタクイズ・ビューティフル!」などと陋劣なる美辞麗句を弄し、また「俺たちの麻生!」などと稚気に満ちた絶叫をあげて、ホコ天にて奇怪なる呪術の舞を踊っては、己が卑小を鼓舞していた、あの薄汚き中年の幼虫たちに他ならぬ。

かの時代、凡百の「なろう小説もどきネット蔓延し、彼らの幻夢を養う毒となった。「レムちゃん! エミリアたん! ブルアカちゃん! ヘスティアちゃん! アンシスくん!」――この列挙の一つひとつが、現実の劣等に打ちひしがれた彼らの脳髄に刻まれた、聖痕とも言うべき女神たちの名である。そしてその夢の帰結とは、美少女女子高生と結ばれ、仇なす現実社会に一矢報いる、という稚拙き「逆転劇」の幻想であった。

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