はてなキーワード: 燃えるとは
前提として、高市総理はあまり好ましくないと思ってる。(石破総理すら不要で、岸田総理が継続でえかったやん派)
その上で、元発言の動画を観てみたけど、正直そこまで燃えるとは思えんかった。
これが先行して攻撃とかなら分かるんだけど、要は「近隣で戦争行為が発生したら、それは日本の存立危機事態です」って発言だよな。
もしこれが否定されるんなら、ロシアとウクライナが戦争してもヨーロッパ諸国が傍観するのが当然って言ってるようなもんだろ。
もちろん過去の総理が控えめに発言してたってのは分かるんだけど、それにしたってこの発言で今ほど中国のキレっぷりはよう分からんし、高市総理を戒めるブクマコメが注目コメントの多くを占めてるは尚のことその感覚が分からん。
ママ垢にいると「発達障害と精神障害があったら子ども産んじゃだめなんですか?傷つきました…」みたいな投稿が定期的に燃えるんだけど、そいつらの過去の投稿見るとヒスって壁に穴開けてたりすぐ死にたいとか言ってたらとにかく子どもどころか自分の面倒も見れてない状態なんだよね
これってASD(というよりADHD特性)だから日常に支障をきたすくらい自分の行動によって引き起こされる未来予測がものすごく下手なのと、
ASD友達ができず親も基本ASDのバケモンだから愛着障害で唯一穴モテして得たものが旦那だけだから自分の人生を一発逆転できそうなものが子どもしかないからこうなってしまうんだと思う
今の時代、頭のいい人ほど子どもを産んだらどれだけ大変かわかってるので産まなくなり後先考えられない発達障害ばかりが子どもを産むようになってるよね
人がぎゅうぎゅうに詰まっていればあきらめもつくのだが、ひとりきりで乗ると、あの箱の中は、ちょっとした自分専用のスタジオになる。
わたしのローファーがそっと床をたたく。コトン。ドン。――あの低い響きがいい。まるでバスドラム。
自然と手が動く。指先で軽くリズムを刻む。床の下は空洞なので、やけに低音がよく響くのだ。これが妙に気持ちいい。次に手でリズムをとる。パパパン、パパパン、パン。自然とお気に入りのサンバのリズムになる。あとはもう止まらない。
途中でふと思う。もし監視カメラの映像を見ている人がいたらどう思うだろうか。
「またやってる、あのローファーの人」
なんてあだ名がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの数秒間の“無重力の時間”を、ただ上品にじっと立って過ごすなんてもったいない。わたしにとってエレベーターは、心のメトロノームを整える大切な装置なのだ。
演奏もノッてきて、いまにも踊りだしたい気分のなか、ピン、という到着音が鳴る。
ドアが開く。演奏は終わる。
ドラムス、わたし。観客、ゼロ。拍手もゼロ。だが、なぜか心はちょっとだけ晴れやかだ。
何事もなかったように髪を直し、まっすぐ前を向く。
外の世界に出ていくわたしの足元では、ローファーがまだ、ほんの少しだけ跳ねている。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
たかが十数秒の移動時間に、上下関係も礼儀作法も、そして日本独特の「気づかい文化」も、すべて詰まっている。
欧米では、女性と乗り合わせた男性は奥に立ってはいけないという。
女性の背後に男性が立つと不安を与える――そういう理屈らしい。だから女性はドアのそば、男性は奥へ。それでバランスがとれる。
ここでは、奥が“上座”である。上司や来客を奥へ通し、目下の者が手前で「開」ボタンを押す。つまり、最後まで残ってボタンを押す者こそが、いちばんの下座なのだ。
エレベーターが動き出すと、自然に手前の位置に収まり、指を「開」ボタンに添える。
――目下の女性は、番人のようにドアの手前に立つ。
最後の瞬間まで(開)を押し続け、すべての人が安全に降りるのを見届ける。
そして、最後に自分が降りるその刹那、体をよじらせてまで(閉)ボタンを押す。
去りゆく背中に向けて、残された人たちが少しでも快適であるように。
ピン、と到着音。
最後に指先をひねるようにして(閉)を押すと、ドアはすっと静かに閉まった。
――誰も気づかないほんの一秒の所作。
けれど、その一秒のために、日本のエレベーターは今日も穏やかに上下しているのだ。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
まだ頭のエンジンがかかりきっていない時間帯に、人と人とが沈黙のまま、数平方メートルの箱の中で呼吸を合わせる。
そんな朝に限って、なぜか私は両手いっぱいにごみ袋を持っている。しかも三袋。
いつもはこまめに出しているのに、今朝に限って溜まっていた。
昭和のころなら「燃える」「燃えない」くらいで済んだが、いまは「プラ」「紙」「ペットボトル」と分別がややこしい。
そして、よりによって――
「一階まで直通で行きたい」と願う日に限って、乗ってくる、乗ってくる。
二階でひとり、三階でまたひとり。
そのたびに私は、ごみ袋を抱えたまま少しずつ後退し、ついには奥の壁の隅へと追い詰められる。
ごみ袋が前の人に触れないように、腕の角度を微調整。
ペットボトルの袋がカサッと鳴るたびに、全身の神経がピクリと反応する。
――これが朝の神経戦である。
やっとのことで一階に到着。
ドアが開くと同時に、三袋を引き連れて外へ出る。空き缶がカラカラ鳴ってまるで子ヤギの鈴だ。
ごみを置いて手が空いた瞬間、エレベーターの中のあの沈黙が少し懐かしく思える。
ほんの数十秒の乗車時間――だが、そこには社会の圧縮ファイルのように、気づかいと緊張と分別の哲学が詰まっているのだ。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
駅から近いくせに、人通りは少なく、どこか路地裏のにおいがする。
飲食店と事務所と、なぜか整体院が混在している、昭和の名残のようなビルだ。
朝のエレベーターはたいてい俺ひとり。
無音の箱がゆっくり上昇していく短い時間が、ちょっとした気持ちの切り替えになる。
その日も、いつものように慣れた指先で「ピッ」とボタンを押した。
七階に着くはず――だった。
ところが。
薄暗い照明の奥へ、赤い鳥居がずらりと連なっている。
遠近感が狂いそうなほど、ずうーーっと続いている・・・ようにみえたが、錯覚だった。
だがボタンを見ると、「8」が光っている。
……押し間違えたらしい。
そうか、と胸の奥で何かがコトンと鳴る。
前の会社は八階だった。
意識しなくても、指が“丸八”を覚えていたのだ。
「八幡神社の丸八」みたいだな、とふと思う。
そっと「閉」ボタンを押す。
赤い鳥居と“丸八”の光が、じわりと胸の奥に残っていた。
七階の扉が開く。
でも時々思う。
そのせいで、ふと別の世界のドアが開くのかもしれない――と。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
――マンションのエレベーターというのは、ちょっとした“自治社会の掲示板”である。
あの狭い壁面には、住民の息づかいと管理組合の苦労と、そしてときどき発生する謎の個人制作チラシが、ぎゅうっと貼り並んでいる。
消防設備点検のお知らせ、粗大ごみ出しのルール徹底、管理組合理事会の案内。
そして、上下階の騒音問題――おそらく管理人にクレームがいったであろう案件も、「○階の皆さまへ」などと、やんわりと、しかしじわじわ刺す文体で貼られている。
中には「〇階付近」と、ギリギリ個人特定にならない程度に範囲を狭めてくる注意書きもあり、これがまた絶妙にいやらしい。
管理組合名義とはいえ、実質“言いたいことを管理人に外注”している感がにじみ出ている。
通常、掲示物は管理人が貼るのだが、ごくまれに、明らかに住民が勝手に作って貼ったものを見かける。
文章は微妙に感情的、フォントは謎に凝っており、そして貼り方が妙に強い。
よほど業を煮やしたのだろう。
ある朝、エレベーターの鏡に直接貼られた紙を見て、思わず声を失った。
「鏡を手あぶらで汚すな!!」
……おいおい、それを剥がすとき、鏡が汚れるだろう。
いや、鏡が傷つく可能性すらあるぞ。
注意のために鏡をむしろ“犠牲”にするとは、なんという本末転倒。
いや、あなたのほうがよっぽど鏡の美観を損ねてますよ、と心の中で突っ込んだ。
たぶん、あれは隠居爺だ。
日々やることがなくて、イライラが溜まっているに違いない。
エレベーターが小さな舞台なら、あの爺さんは毎朝そこで、独自の幕間劇を上演しているのだろう。
エレベーターが一階に着く。
ドアが開くと同時に、外の空気が少し冷たく感じる。
振り返ると、鏡に貼られた勝手チラシがどことなく誇らしげに揺れていた。
AIが生成した絵とか文章とか、もう見飽きた。 「すごいですねー(棒)」って感じで、たしかにクオリティは高い。 俺たちが汗水たらしてやってきた仕事のほとんどは、もうAIでいいじゃん、って本気で思う。
でも、あいつらに絶対無理だろって思うことが一つだけある。 それは「コミュニティを作ること」だ。
いや、AIは「DiscordのBot作ります」とか「最適なマッチングを提供します」みたいな“仕組み”は作れる。 でも、そうじゃない。 俺たちが欲しいのは、そういう「効率的なつながり」じゃないんだ。
昔のインターネットを思い出してほしい。 個人サイトの隅っこにあったクソみたいな掲示板とか、意味もなく常連が集まってるチャットルームとか。 明確なルールもないし、特に有益な情報交換をしてるわけでもない。 なのに、そこにはちゃんと「空気」があった。 管理人がいなくても、なぜか“場”として成立してた。
翻って、今のSNSを見てみろ。 あれはコミュニティじゃなくて、ただの「戦場」か「ショーケース」だ。 AIが「次はこの弾(タマ)がウケるぞ」「このネタは燃えるぞ」って最適化して、俺たちは「いかに注目されるか」っていう椅子取りゲームを延々とやってるだけ。 そこにあるのは「関係」じゃなくて「インプレッション数」だ。
AI様には「場の空気」なんていう非効率なものは理解できない。 だって「空気」ってのは、「誰かが気を遣った沈黙」とか「あえてスルーする優しさ」とか「ノリで言ったどうでもいい発言」とか、そういうデータのゴミみたいなもんで出来てるから。
「なんとなく好きだから」とか「なんか落ち着くから」で集まる関係。 AIから見たら、そんな目的のない行動は全部バグだろ。
AIが効率的な仕事を全部やってくれるんなら、俺たちに残された仕事は「無駄を極めること」なのかもしれん。 いいねもリポストもつかないけど、なぜかそこに戻ってきてしまう。 そういう“空気”を育てること。
「日本という共同体」そのものは目に見えない。触れないし、握れないし、形もない。でも私たちは、その「形のないもの」を前提にして、同じ道路を使い、同じルールで生きている。その目に見えない共同体をどうやって「そこにある」と確認してるのか?答えは単純で、象徴(シンボル)だ。国旗は、政治的な押しつけアイテムじゃなくて、私たちは同じ場所に立っているという共通認識のマーカーなのだ。
国旗を破って燃やして踏みつける行為は「私はこの国が嫌いです」という話ではなく、「この共同体を支える合意を破っていい」という宣言になりやすい。これは思想じゃなくて秩序の話。好き嫌いの話ではないし、心の中を強制しようとしているわけでもない。
「共同体をつなぎ止めてる目印に対して、どこまで攻撃を許すか」という、いたって地味で現実的な議題なのだ。
ここからが本題。代表的な反対意見(岩屋・橋下・日弁連)を見ると、どれもロジックがお粗末極まりなく、目も当てられなかった。法律の専門家(笑)が言うことかよ、というレベルだったので、あえて向こうの土俵で論破する。
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■岩屋毅(引用元:https://www.iza.ne.jp/article/20251104-KATPZGUBWFGNLBZXMVYLNT4XMA/)
>「当時、反対しました。なぜなら『立法事実』がないからです。立法事実とは、実際にそうした事例が社会問題になっているかということです。日本で誰かが日章旗を焼いた? そんなニュースを見たことがない。立法事実がないのに法律を作ることは、国民を過度に規制することにつながるので、それは必要ないのではないかと言いました」
一見もっともらしいが、この論法は立法事実という概念そのものを誤解している。立法事実というのは「すでに大量に事件が起きているかどうか」だけではない。とくに象徴や治安や社会秩序に関する立法では、「問題が顕在化してからでは遅い」という前提そのものが、法律の必要性を支えている。実際、現代の法律の多くは「予防的」に整備されている。
・・・本当に早大を出て閣僚を経験していてた人の理屈なのだろうか。国旗損壊罪が問題にするのは、「布が燃える現象」そのものではない。象徴が公然と破られることで、社会の緊張が増幅される・対立と敵対意識が活性化する・集団の統合が崩れる という作用のほうだ。この「象徴毀損→社会不安の増幅」という因果関係は、国際的にはとっくに前提として認識されている。
イギリスでは国旗侮辱は暴徒化の初動トリガー、韓国では対立デモの象徴破壊が衝突に直結、フランスでは国旗侮辱は「共和国に対する攻撃」、ドイツでは象徴毀損は「民主秩序破壊行為」と解釈されている。
つまり、「日章旗を燃やした事件が日本で多いかどうか?」は論点の中心ではない。本当の論点はこうだ。象徴破壊は、共同体の統合を揺るがす高い蓋然性があるかどうか。そしてそれは「ある」。岩屋の議論は、「国旗は共同体をつなぐ象徴である」という視点が最初から抜けている。だから彼の目には「問題がない」ように見えるだけだ。
言い換えるなら、日の丸を「自分の共同体の象徴」として認識していない人は、国旗損壊に「実害がない」ように感じる。ただ、それは「法的判断の結果」ではなく、立ち位置と感覚の問題だ。「国旗が燃えてないから法律はいらない」は、「家が燃えてないから消火器はいらない」と言っているのと同じ構造である。そして、そう言えるのは結局、自分にとってその家が「帰る家」でも「守りたい家」でもないからだ。
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■橋下徹(引用元:https://x.com/hashimoto_lo/status/1985500133828805077)
そもそも出だしから政治家の不正を糾弾する論点ずらしを使用しているところが小賢しいストローマン的論調だが、論点も穴だらけである。本当にこの人は元弁護士なのだろうか。
法益は、「共同体の象徴秩序」である。橋下はこれを「愛国心の強制」だと見ているのかもしれないが、法益はそうではない。
象徴が破壊されると、共同体のつながりの感覚が損なわれ、対立や敵対意識が増幅する。これは国際比較すると常識に近い。
外国国旗は外交関係の安定を守るために保護されている。つまり、すでに日本の刑法は「象徴は秩序に作用する」という前提で立法されている。今回の議論は、その射程を「対外」→「国内共同体」へ拡張するだけ。理屈は同じ。
ここは技術的な話に見えるが、実際は簡単。「公然性」「侮辱目的」を要件にすればいいだけ。すでに名誉毀損・器物損壊・侮辱罪で使っている手法。「プラカードとしての国旗」や「スポーツ応援の旗」が誤処罰される、というのは法技術ではなく「雑な想定」による不安。構成要件で回避できる話。
されない。すでに外国国旗損壊罪ですら公然性が要件。私人の家で破ってる旗まで取り締まる制度設計はそもそも立法技術的に想定されていない。「家の中でポスターを破ったら逮捕」はフィクションでしかない。
それは国旗損壊罪とは無関係。国旗利用のガイドラインは運用・行政・プロトコルの問題。仮に「政治家が国旗を利用したくなる」というのが懸念なら、それは政治倫理規定のほうで制御する話。つまり「スプーンに毒を盛るかもしれない」から「スプーンを廃止しよう」と言っているようなもの。
ここまで来ると、さすがに苦笑いである。「国家とは何か」論は、象徴を理解していないからこそ無限に抽象化する。けれど現実の共同体は抽象ではなく合意で維持されている。その合意を可視化するのが象徴。象徴を理解しないまま国家論を語るのは、地図を見ずに登山ルートを議論しているようなもの。まず「どこに立っているか」がわからなければ、そこから先は全部空中戦。橋下の6論点はどれも一見まともに見えるが、すべて「国旗は、共同体の統合を可視化する象徴である」という前提が抜けている。
この前提を共有しない限り、国旗損壊罪は「不要な規制」に見え続ける。つまり、結局この話はこういうことだ。
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■日弁連(引用元:https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120601_2.html)
>同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある。
この「おそれ」という言葉に全てを預けて議論を閉じてしまうところに、まず問題がある。刑法は「おそれ」で動くわけではない。刑法は構成要件を満たしたときにのみ成立する。ここは法学部の1年生でも最初に叩き込まれる部分だ。それにもかかわらず、その最も基本的な前提をまるごと無視して話を進めているあたり、本当にこの文書は日弁連が出したものなのだろうかと不安になる。
国旗損壊罪が成立するのは、ただ「国旗に触れた」からではない。国旗を侮辱する意図をもって、公然と破壊した時だ。「わざとであること」と「侮辱という意思」が明確に必要になる。そのため、スポーツ応援で旗を振ることも、商業デザインに用いることも、抗議運動のシンボルとして掲げることも、そもそも構成要件に当たらない。日弁連は「使うこと」と「破壊して侮辱すること」を意図的に混同している。その混同を前提にしている限り、彼らの議論は最初から成り立っていない。
加えて、日弁連は「表現の自由が制限される」と言うが、表現の自由は憲法上、絶対無制限に保障されているわけではない。人格権を守るために名誉毀損があり、社会的尊厳を守るために侮辱罪があり、財産権を守るために器物損壊罪がある。どれも「表現」が関わる可能性があるが、社会を成立させるために必要な領域では当然に制限がかけられている。国旗損壊罪が保護しようとする「共同体の象徴秩序」も、それらと同じく社会をまとまりとして維持する機能を守るためのものだ。
では、「濫用されるおそれがある」という主張はどうか。これも、法制度の議論としてはあまりに雑だ。「濫用されるおそれがある」だけで法律が否定できるなら、名誉毀損も侮辱罪も、スパイ防止法も成立しないことになる。極端な話、殺人罪だって捜査側が恣意的に使える「おそれ」があると言えてしまう。法治国家は「おそれ」があるかどうかではなく、その「おそれ」が実際にどの場面で生じうるのか、そしてどのように構成要件と運用基準で防ぐかを議論する。「おそれがある」とだけ言って反対した時点で、日弁連は法律論を放棄している。
つまり、日弁連の声明は、法律家として最もしてはならない論理の進め方をしている。構成要件には触れず、使用と損壊を混同し、法益概念を押さえないまま、「自由が脅かされる」とだけ言って議論を止める。これは法的主張ではなく、立場ありきのスローガンだ。
国旗損壊罪は、国旗を使う人を処罰するものではない。共同体を侮辱する目的で、象徴を破壊する者のみを対象とする。日弁連が「表現の自由」を盾にして反対するのは、その前提を理解していないか、理解した上で意図的にぼかしているかのどちらかだ。
どれほど上品な言葉で包んだとしても、これはもはや法律家による議論ではない。法概念を手放したまま「自由」を振り回しているだけの、大声の政治声明にすぎない。弁護士バッジを捨てて、もう一度法学部からやり直してください。
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日本社会には、法や監視に頼らずに秩序が保たれる場面が多い。繁華街に防犯ゲートが少なくても、万引きは多発しない。大都市でも夜に一人で歩ける安全がある。災害時には略奪ではなく、長い列を作って順番を守る。落とした財布は高い確率で手元に戻る。公園や駅の公衆トイレでさえ、世界基準で見れば極めて清潔だ。
これらは偶然ではない。日本には、古くから「和を乱さないことを尊ぶ」という共通意識がある。相手を尊重し、自分だけが突出しないように場を調整し、争いを避けて合意をつくる生き方が長く受け継がれてきた。重要なのは、この意識が誰かが教えたからあるのではなく、自然に共有されていることである。目に見えない合意は、形がなければ確認しにくい。そこで必要となるのが、象徴である。
国旗は、国民が同じ共同体に属し、同じ空気の中で生き、同じ基盤を分かち合っていることを簡潔に示す印だ。日本人の精神性は、派手でも声高でもない。主張ではなく、ふるまいと習慣の中に現れる。その「共有されているもの」を一瞥で思い出させるのが日の丸である。
国旗は威圧のための道具ではなく「この社会は、この形で、ここにある」という確認の標だ。その確認があるからこそ、人々は互いを信頼し、余計な力を使わずに秩序が保たれる。日本の治安や清潔さは、「日本人は良い人だから」という単純な話ではない。共同体を保つための共有されたふるまいが、長く維持されてきた結果である。
なんつーか。
別に正直青バッチ同士の議論なんて再生数稼ぎのプロレスだと思ってて、それは心底どうでもいいんだけどさ。
なんかすげぇ勿体ないというか。
この手の社会問題みたいなのにクビつっこんで燃えるのってなんか属性とか主義主張の強いインフルエンサーがやる事じゃん。
ヨッピーが今までやってきたのって企画記事とかAV女優に監禁されるとかのバカ話が超面白いんじゃん。
昔この辺りは荒れててな、みたいな地元の兄ちゃんみたいな記事がすげぇ良かったんじゃん。
なんか行きつけによく座ってる居酒屋の兄ちゃんポジだったと思うんだよ。
でもさ、なんか暇空裁判と子育て始めた辺りから、そのバラエティ性がすっかり消えて、うすどんよりしてるというか社会問題正義棒で殴る事が増えたというか。
まぁもしかしたら、そういう数字の取り方の癖が着いたのかもしれないけどさ。
いやぁ…それってわざわざ、センスがある面白い人がやる役目なん?本当に?って思うし、その色って一度着色すると取れないじゃん。
この色が強まるといよいよ、社会問題に精通したあの人って感じにNPOとかの広告塔になって沖縄の岩場で叫び続ける〇〇おじさんみたいにならない?
なんかそれ、多分一度、その社会問題に賛同し続けるヨイショの和に入れられたら自力脱出も難しい和だと思うんだよ。
そうずっと思ってしまう。
山本一郎が燃えるのは理解できるけど、alphaとか粗品が真顔で社会問題語りして燃えだしたらやっぱり嫌だもん。その類だったんだよなヨッピー。
けれど、結果は逆だった。
AIサービス各社は、燃えるような電気代とサーバーコストに追われた。
はじめは月額30ドルだった定額料金が、いつのまにか300ドルになり、
人々は「AIに話しかける」前に、まず財布の残高を気にするようになった。
内容欄には「生成目的」「想定トークン数」「倫理リスク」が並ぶ。
誰もそんな書類を出したがらず、やがて誰もAIを使わなくなった。
そう目算した中国企業は、
良い出力を引き当てるまで課金を繰り返した。
パソコン通信と同じように「昔は便利だった」と懐かしんでいた。
だが、若者たちは違った。
「AI? あー、あのジジババが使ってたやつね」
誰もが使っていたものが、誰も使わなくなった。
ただ一つだけ違うのは──
誰ももう、「AIのように考える人間」を信用しなくなったということだ。
#SF #ディストピア #生成AI #未来予想 #はてな匿名ダイアリー
──
***
穏やかな朝だった。
過ごしやすくなって窓を開けて寝たが、途中で暑くなったのか布団は蹴り飛ばされていた。
乱れたベッドから転がり落ち、ケツの違和感に突き動かされるように一直線にトイレに向かう。
私には出勤までに解決しなければならないことがあった。
事態に気がついたのは昨夜シャワーを浴びている時。ケツ穴周辺を洗っていたとき、手に何かが触れた。
トイレットペーパーが張り付いたのかと思いそれを少し引っ張ると、肛門の粘膜がググッと伸びる感覚がある。
えっ???
驚いた私は即座に手を離した。
ケツ肉に挟まる感覚から、うんこの中の繊維状のものがケツから飛び出てる状態であると即座に判断した。
そういえば直近で出たうんこはパチンコ玉くらいの大きさと硬さで、一粒落としただけだった。
このまま引っ張ってうんこまで引き摺り出してしまったら厄介だ。
次回排便時に出してしまうのが最善策だろ、と考える。
幸い異物の長さは1センチほどなので、ここで洗っておけばしばらくケツに挟んでいても大丈夫だろうと思い、ケツからヒモが出た状態で布団に入ったのだった。
そういうわけで、とにかく出勤までに排便をしなければならなかった。
万年便秘なので5分ほど粘ってようやくぽちゃん、とウサギのフンのようなうんこがやっとだったが、ケツにヒモがないことを確認できたので無事トイレを後にした。
通勤電車はいつもよりずいぶん空いており、珍しく席にも座れた。
今日は特別痛くて、左右に揺れたり体を捻ったりして痛みに耐えていた。
会社についてからも違和感は続き、デスクで一人うねうねしてキモかったと思う。
ずっと違和感はあったのに、愚かな私はケツ穴が「バリッ」と断末魔をあげて燃え上がるまで気が付かなかった。
午後2時過ぎ、突然のケツの焼けつくような痛みでやっと事態を把握した。
冷や汗をかきながら慌てて立ち上がり、同僚の視線を無視してトイレに駆け込む。
乱暴に個室のドアを閉め、便座に座り、爪先立ちで膝を抱え込む。ついでにパンツを確認する。「バリッ」の音でうんこ漏らしを覚悟したが、何も付いていない。幸いにも屁だったようだ。(なぜあんな痛かったのかはわからないが)
腰の違和感だと思ってたのは、大腸の悲鳴だった。一度便座に座ると動けないほど腹が痛いことに気がついた。
2週間もうんこが出てない状態を「いつものことだから」と放置したツケが回ってきたのだ。
改めて大腸を触ってみると、おしゃれOLが持ってる細い水筒みたいなものを感じる。これは全てうんこだったんだ。
痛みで悶えながら、同僚たちの顔を思い浮かべる。まだ業務時間内だ。体調不良を訴えたいがスマホも机にあるし外への連絡手段はない。
脱出するためには、うんこを出すしかない。幸いにもトイレには私しかいない。今のうちしかない。
私は腹を括り、持てるすべての力を腹筋に注いだ。
5分は経っただろうか。
冷えた便座に太ももを押し付けてるせいで血流が止まり、膝は紫に変色していた。
肛門は相変わらず焼け付くように痛い。
爪先立ちでの踏ん張りで足は痺れて痛い。
腹筋は乳酸が溜まって初期ほどの力が出ない。
気張りすぎて頭に血が昇ってふらふらする。
そういえば呼吸もしてない。
額の血管が切れそうだ。
しかしこんなに必死に気張っているというのに、大腸には驚くほど何の動きもなかった。
普段の気張りが軽自動車を押す感覚だとするなら、今は透明な壁に阻まれて押すことすらできてないようだった。そのくせ、いつ漏らしてもおかしくない切迫感だけはあるし、相変わらず腹と肛門の痛みは耐えられるものではない。
人が来るかもしれない恐怖もあった。
どのくらいその状態が続いただろう。体感では1時間のような気もしたし、全てが終わった今では一瞬だった気もする。
突然、するする すぽん と。
鋼鉄のように硬く、拍子抜けするほど小さなうんちが、転がり落ちドバドバドバブビブビビビビビビチャブrrrrrrryyyyィィィィィィィィ!!!!ビチチチチチッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!ドバァッ!!!!ブリブリィッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ブリブリブリッ
ビチャッ ビチャッ
ピチャ…ピチャ…
ポタ ポタ
あの時、燃えるアナルと痺れた足先を見ながら放心していた私を包むあの感覚はなんだったんだろう。
掃除用具入れを開けて飛び散った水滴を殺菌して、少しでもうんこ臭を消すためにリセッシュを自身にもトイレにも振り撒き、手を3回洗った。
そうして私は、今も生きている。
焼けた尻穴に当たる冷たいビデ水の心地よさを生涯忘れることはないだろう。
火球の詠唱を終えた俺――レオンは、手を震わせながら呪文を放つ。
「――ファイア・スパーク!」
赤い光弾が放たれ、見事に的を外れた。
弓使いティナの怒声。
「お前また外したのかよ、見えてんのか!」
僧侶リリアが呆れ顔で回復魔法をかける。冷たい光が肌をなぞった。
俺は唇を噛んだ。何度目だ、この流れ。
誰も俺の目を見ようとしない。
この旅が終わる頃には、俺の居場所もきっと――
「このままだと、次の遠征は厳しいな」
ただ一人、リリアが言った。
その声もどこか、遠い。優しさではなく、哀れみの距離だ。
俺は薪を見つめてうつむいた。
――ああ、もうすぐだな。追放。
そう思うと、胸の奥に何かが沈んでいく。
悔しさでも悲しみでもない。ただ、空っぽだ。
門の前で、カイルが振り返った。
「おい、レオン。お前は荷物番でいいな。中は聖堂関係者しか入れないんだとよ」
「……わかったよ」
言い返す力もなかった。
ただ、指先がじんじんと熱い。
焦燥、怒り、恥。いろんな感情がごちゃ混ぜになって血を焦がしていく。
見えない何かが、皮膚の下で暴れた。
視界が一瞬、真っ赤に染まった。
次の瞬間、背筋を貫く灼熱――。
体の奥から、脈動する力が溢れた。
鳥が羽ばたくように、鼓動が強くなる。
笑いがこみ上げた。
追放でも、蔑みでもいい。今に見てろ。
この力で俺は、全部の立場をひっくり返して――
リリアの声で我に返る。
振り向くと、仲間たちが戻ってきていた。
全員の表情が、違っていた。柔らかい。優しい。まるで別人。
「今まで、本当にごめんな」
カイルが膝をつく。
「神父様に教えられたんだ。人を大事にすることを。お前は、俺たちの仲間だ」
「……レオン、ごめん。私、ひどいこと言った」ティナの声が震える。
ライオも眉を下げてうなずいた。
リリアは静かに微笑んで、そして俺の近付き、ふいに俺の腕を取った。
驚いて顔を上げると、彼女は目を細めて言った。
そのまま軽く抱き寄せられる。
心臓が跳ねた。
頭の中が真っ白になる。
リリアの髪が頬をかすめ、熱が一気に耳まで駆け上がる。
数秒が永遠みたいに伸びて――
そう言ってほほ笑み、離れていく手。
……今でも温もりが残ってる。
ていうかこの流れ――
街の鐘が鳴った。
それは祝福の音にも、呪いの音にも聞こえたのだった。
最近の株価高騰を見て、「これってAIバブルでは?」と思う人が増えている。
特にNVIDIAやAIスタートアップの急成長、そして「AIを使えば何でも自動化できる」という空気。
ただし、単純な再演ではない。
AIバブルの構造は似て非なるもので、「より上流の層(インフラ)」に資金が集中している。
以下では、まず現在のAIバブルの仕組みを整理し、そこからドットコム時代との比較を行う。
AI関連企業は、今まさに''キャッシュを燃やして''先行者利益を狙っている。
GPUや電力に莫大な投資を行い、巨大モデルを作って市場を押さえようとしている。
AI分野では「先にモデルを作った者が勝つ」という物語が語られている。
蒸留や模倣学習によって、他社のモデル挙動を再現することができる。
結局のところ、''差が出るのはデータの独自性と継続的な更新力''だけだ。
つまり、先行者利益は短命であり、参入障壁はそれほど高くない。
「利用量は多いが利益は少ない」という、ドットコム時代の“アクセス至上主義”とよく似ている。
''使わせること自体が目的化''し、収益モデルが後回しになっている。
一部の処理をスマホや端末上で行う「エッジAI」に期待が寄せられている。
確かに通信コストやレイテンシは減るが、学習や大規模生成は依然としてクラウド依存だ。
結局は''ハイブリッド化''が進むだけで、抜本的なコスト解決にはならない。
| 観点 | 1999年(ドットコム) | 2025年(AI) |
|---|---|---|
| キャッチコピー | 「インターネットが世界を変える」 | 「AIがすべてを変える」 |
| 成長ストーリー | 全ての商取引がオンライン化する | 全ての業務がAI化する |
| 投資マネー | IPOラッシュ、.com銘柄に集中 | GPU、AIスタートアップに集中 |
| 優位性の誤解 | ドメイン取れば勝てる | モデル作れば勝てる |
| 評価指標 | アクセス数 | トークン数 |
どちらも「未来の利益を現在価値に織り込みすぎた」点で共通している。
技術の進歩は本物だが、''経済モデルが未成熟''という構造が同じなのだ。
ただし、違いもある。
1999年のバブルは「利用者がいないのにサービスを作っていた」時代だったが、
2025年のAIは''実際に利用者が存在する''点が大きい。
その意味では、今のバブルは「空想」ではなく「過熱した期待」である。
問題は、''どこまでが現実的な成長なのか''を見極めるフェーズに入っていることだ。
1999年のバブルが崩壊してWeb 2.0が生まれたように、
それが''2005年の前夜''なのか、''2001年の崩壊直前''なのかは、
それは悪いことではない。
ドットコム時代の残骸からGoogleやAmazonが生まれたように、
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希望があれば、「もう少し皮肉っぽく」「もっと冷静に分析風」などのトーン調整もできます。
どんな雰囲気に寄せたいですか?
スプラトゥーン3もいい加減ずーっと同じブキ使っていたら飽きるのも訪れる季節がくる秋。
いいなと思い始めたマイレボリューション!
ブラスターのRブラスターエリート無印!がいいような気がしてきてちょっと使い始めたの!
そして、
高台に入るにもかかわらず下からめくるようにキルされるあの鬱陶しさ!
自分がやられて嫌だなと思う攻撃は相手チームにも有効!ってのがスプラトゥーン3の常よね。
なので、
私も早速
慣れてきたらもっと爆発力のある飛距離はそこそこ重量級のロングブラスターも使ってみたいかな。
連射速度は遅いものの、
爆発先で破裂する球の中で仕留める難しさがあるけれど、
そんなに狙いを慎重に定めてエイムに神経質にならなくても爆発の範囲で狙うのを期待できちゃうの。
破裂するけれど、
うーん、
似ているようで違うけれどちょっとまだ私の新しく使い始めたRブラスターエリートの長所を語りまくりまくりすてぃーというわけにはいかない熟練度よ。
もっと慣れてきたらいい感じかも。
立ち回りが難しいわ。
あと近距離でもっとパンパン鳴るラピッドブラスターやもっと短い射程距離のクラッシュブラスターもいいんだけど、
私はやっぱり長射程距離のブキが好きね!
イマイチ目指せ熟練度星5つもぎ取りたいところのセブンファイブオーライダーのコブラもいいんだけど
あまりに特効が決められすぎるので、
突っ込んでスーパーチャクチを決めたら正に潜んで喰らわす近距離にも強いスナイパーって感じね。
セブンファイブオーライダーの気分じゃない新しいブキを欲している感じかしら。
手で連射するのが疲れちゃうわ。
あれはあれで押しっぱなしの近距離塗り特化と単発の指連射だと飛距離インクが飛ぶので、
相手はこんなところまでそのブキインク飛ぶの?って意表を突かれるみたいなので、
これ手が疲れちゃうのよね。
それが欠点!
思ってるよりインク飛んでくるからあんまり近寄らない方がいいかも。
そんで近距離でも強そうだし。
あと、
最近また一所懸命取り組み始めたバンカラマッチもブキパワーが計測され始めたので燃えるわ!
めちゃやる気はあるのによ!
なので最近はバトルステージのスケジュールチェックも欠かさないわ。
そんでもうすぐまたフェス始まるので、
この私のいまスプラトゥーン3へのションテン爆上がりな気分盛り上がると思うわ!
でもフェスあるあるで頑張れば頑張るほどチームがいい成績にならない感じも否めないのでそれは否定してあんまりやる気のない振りをしてーって
フェス参加していないけれど投票したチームは優勝!?ってパターン美味しいじゃない。
とはいえ、
特別にたくさん何かのご褒美がもらえるってワケでもないので、
勝っても負けても泣いても笑ってもって感じなの。
まあせっかく今私のやる気がいっぱい出ているときに
ドラクエIとIIがきたらきっとスプラトゥーン3のことなんて遊んでるヒマがないぐらいになっちゃいそうなので、
ドラゴンクエストIIはやったことあるのかな?
Iは初めて今回プレイするので、
今がチャンスなの!
うふふ。
楽しい楽しいお休み前の今日は一気にションテンタマゴサンドで上げてこなしちゃうわよ!
今日も頑張るの!
なので朝のタマゴサンドイッチの玉子はタマゴチャージができていいのよね!
昨日飲みきってまた夜こしらえて作っておいたので、
封開けたてのコーン茶のパックは香ばしい香り高く美味しく仕上がったわ!
気温寒くなってきたので、
冷たいのは冷たいけれどね。
でもごくごく元気よく飲むわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この現象は、タナフ(聖書)やタルムードでもたびたび語られています。
「なぜ悪や愚かさが目立ち、善や知恵が隠されるのか」
彼は、愚か者が栄える現実を見て心が乱れました。しかし彼は神殿に入り、悟ります。
つまり、ユダヤ的視点では、今見える「栄え」は最終結果ではないのです。
SNSの評価や人気は、「この世」の一時的な見せかけ(הֶבֶל, hevel=虚しいもの)にすぎません。
「すべては虚しい(הֲבֵל הֲבָלִים, hevel havalim)。」
真の価値は「天の裁き」で決まる。世間の人気は、多くの場合「耳に心地よい言葉」を語る者に与えられる。
しかしトーラーの真理は、しばしば人に「挑戦」と「不快」を与えるものです。
だから、ラビたちが評価されないことは、実は彼らが真理を語っている証拠でもあるのです。
カバラ的に言えば、世界は「クリッパー(קליפות, 外殻)」に覆われています。
これは善の光を隠す「殻」のような力です。
SNSや世俗文化の多くは、この「殻」の領域に強く働きます。なぜなら:
派手な炎はすぐ消えるが、ランプの灯は長く燃える、という比喩がタルムードにもあります(シェバット 31a)。
ピルケイ・アヴォット(祖先の言葉)4:2にこう書かれています:
「ミツワーはミツワーを生み、罪は罪を生む。」
つまり、善の結果は目に見えないところで積み重なり、最終的に永遠の世界で報われる。
「どんな人も軽んじてはならない。どんな行いも無視してはならない。すべての人に時がある。」
ラビや善人の評価が表に出ないのは、彼らの時がまだ来ていないだけなのです。
もしあなたが「善が報われない」と感じるなら、それは神があなたに「外ではなく、内に目を向けよ」と促しているサインかもしれません。
| 世俗の価値観 | ユダヤの視点 |
| 人気・フォロワー数 | 神の前での誠実さ(אמת, emet) |
| 目立つことが成功 | 隠れた善が真の成功 |
| 今この瞬間の評価 | 永遠の次元での評価 |
| 愚者が栄える | 賢者は神のもとで報われる |
この問いはまさに「アサフの苦悩」と呼ばれる、霊的成熟の通過点です。
例えばだけど、あなたの増田のトップブコメに以下のようなコメントがある。
恋愛支援は女をあてがえ亜種だから燃える。女にとって恋愛結婚はリスクだと認識出来るようになっただけでリスクはずっとある。「男は女嫌いの女体好きを卒業したらリスク下がる」って無償授業やるのはいいかもな
このコメントは根拠がないし、デタラメな仮説の可能性がかなり高い。「男は女嫌いの女体好きを卒業したらリスク下がる」のかどうかわからないし、またそもそも「男が女嫌いの女体好き」なのか自体不明。
ただ、こういう民間信仰みたいなものが恋愛関連ではごろごろ転がってる。
その理由はこういった研究をすること自体が一種のタブーであったから。
結果としてデマや陰謀論のようなものが当たり前に転がっていて、そもそもどのような政策や手法が効果的なのかコンセンサスが取れていない。
今時点でおおよそはっきりしているのは、結婚する人しか子供を産まないし、結婚が減っているし、恋愛も減っているという結果のみになる。
例.
質問:
「firebaseの使い方を知りたいんやけど」
ChatGPT回答:
Firebaseとは、Googleが生み出した「バックエンドいらずの全能実験装置」だ。君がコードを書けば書くほど、知らぬ間にクラウドが裏で息をしている。
データベース、認証、ホスティング、ストレージ、全部詰め合わせ。便利すぎて逆に怖い。
まずはnpm install -g firebase-toolsで召喚だ。
ターミナルでfirebase loginを叩くと、ブラウザが勝手に開く。そう、Firebaseは君の“人間的アイデンティティ”を確認しないと力を貸してくれない。まるで神のくせに書類主義だ。
ログインが済んだら、firebase initでプロジェクトを構築する。ここが楽しい部分だ。
「Hosting?」「Functions?」「Firestore?」——次々と聞かれるだろう。まるで契約書の小さい文字を全部読み上げてくる悪魔みたいだ。
迷ったらHostingだけ選べばいい。HTMLを置く用の神殿ができる。
あとはfirebase deploy。それだけで、君のHTMLは空に放たれ、URLが授かる。
たとえば https://君のプロジェクト名.web.app だ。誰でもアクセスできる。つまり、失敗も世界に晒される。実験とは常にリスクを伴うのだよ、君。
Firebaseの裏には“Realtime Database”や“Cloud Firestore”といった可愛い怪物たちが棲んでいる。彼らはJSONで話す、気難しい連中だが、使いこなせば強い味方になる。データを瞬時に共有し、アプリを“生きている”ように動かす。
ただし、一度でも構成を間違えると——全世界の閲覧者にリアルタイムで恥を晒す。それもまた芸術的だと思わないか?
というわけで、君がやることは四つだけだ。
召喚:npm install -g firebase-tools
構築:firebase init
解放:firebase deploy