はてなキーワード: 古代エジプトとは
バカなブコメもトラバもみんな、「猫嫌い」を正当化できるロジックは持ってなかったな。
「地域猫活動する組織が悪い」あたりか、最大のロジカル打点は。
その通りだよ。地域猫はいない方がいい。地域猫してる理由は野良猫がいるからで、彼らを殺せば捕まるからで、妥協点ではあるし、バカはその辺りすら知ろうともせぬが、
野良猫も当然いないほうがいい。
猫は悪くない。悪いのは人間。そこに気づければそれでいい。
バカみたいに猫の殺処分を求める馬鹿たちが、なぜ猫の殺処分は不法か、考えるきっかけになればいい。殺処分が一部でも合法とされてる生き物は、なぜそうなのか考えるきっかけになればいい。
どんな生き物がどんなふうにかかわって今の日本があるか、考えるきっかけになればいい。
今の自分が、誰に対してどんなあぐらのかきかたをしてるか、気づくきっかけになれば、それでいい
でもそれすら地球のひとつの幸福のたねになる。不幸の種かもしれない。
でもそうやって、だれひとり自分の選択でなく、この星を生きている。
追記ここまで
野良猫問題と見るや「殺せ」「地域猫なんかふざけてる」「害獣として殺処分できるべき」と吹き上がるブクマカたち。
なぜ猫が人里で暮らしているか、そもそも猫はなんで野生ではなく野良というか、考えたことはあるだろうか。
日本に猫がやってきたのはおよそ2000年前、弥生時代にさかのぼる。当時の日本人は稲作が普及すると同時に、農家はネズミや雀、害虫に悩まされた。
それらのハンターとして中国からやってきて重宝されたのが始まり。
ちなみに日本のそとに目を向けると、約5,000年前の古代エジプトですでに作物をネズミから守るために猫が飼われていた。
もちろん機能的に優れるだけでなく大変愛らしくよく懐くので愛玩目的でも重宝されたが、
メインはハンターとして。
とにかく、猫は人間のたべものを守るために、長い年月、田畑・倉庫・船などあらゆる場所で飼われていたわけ。
日本やアジアの歴史に猫がいなかったら、米食・穀食の文化はいまのように育たなかった可能性もある。もしくは高級品になっていまとは別の広まり方をしていたかもしれない。国々の文化や歴史も変わっていったかもしれない。
猫は人間のエゴで家畜化し、人間のエゴで野生を奪い、人間のエゴで地球中に拡散し、人間のエゴで人間に都合がいい生き物として進化させてきた。何百世代にも渡ってね。
それが日本から百姓が減って農薬や殺鼠剤や冷蔵庫が進化した途端に害獣扱いですか。
へえへえご立派なこってすね。人間様の暮らしにいまや猫は必要ないですもんね。
百姓してて猫嫌いっつってる人みたことない。いや、厳密には祖父は超犬派で猫を飼うというと最初こそ嫌そうだったけどいざ飼ってみたら2年でマジでネズミが全くいなくなってから猫を神と崇めるようになった。姉が結婚して猫を連れていってからは、どこからともなく子猫を見つけてきて飼い始めるほど。
なんか蚕を思い出す。日本で養蚕業がさかんだったころはそこらじゅうで飼われていた。野生では生きていけない品種。人間に都合よく歪められた品種。哀れだ。人間の醜さを痛感する。まあ猫は蚕とちがって野良でも生きていけるけども。
ま〜とにかく、猫を憎悪してるお前ら、勝手に憎悪してりゃあいいけど、
米や穀物食う時はその歴史に少しは感謝してみりゃいいんじゃないすかね。
わたしは自治体のルールに則り野良猫を捕獲しては”””自腹”””で病院で避妊・去勢手術を受けさせ地域猫化しています。(うちの自治体の場合は申請すれば費用は1割くらい見てくれるらしいけどのその程度の端金ために申請するのがめんどくさい)
以下参考
子猫が生まれない一番確実な方法は不妊・去勢手術を施すことです。 対象となる猫を捕えて、手術後放します。 このことにより、その猫は一代限りとなり、子孫が増えることはありません。 この方法をTNR(Trap[捕まえる]、Neuter[手術する]、Return[戻す]もしくはRelease[放す]の頭文字)といいます。
野良猫にエサをやる人がいなくなりさえすれば速やかに猫は餓死すると思っていますか?いいえ。猫はゴミをあさります。スーパーなどに侵入して売り物に手を出すかもね。人間様の大好きな燕を襲ったりもするかもね。そうすると虫が増えるね。まあ燕を捕まえられる猫は結構限られるけど。
小動物なんて猫だけでなくカラスでもイタチでもやられる生き物を飼っておきながら戸締りしていないお前が悪い。小動物を飼っているなら責任持って換気扇の排気口にも鉄製の網かけるレベルで厳重に守れ。
「猫の狩猟本能が強いのは先述の通り人間のエゴのために進化したからです。」という前提を頭に入れて対策しろ
そうは言っても糞尿被害が
自治体に相談しろ、猫よけ超音波マシンとかいろいろ貸してくれる場合もある。
他にもスプレーとか、猫の苦手なニオイや食べ物、いろいろ対策グッズはある。
てか実家がクソ田舎の百姓だけどお呼びでない来客なんて無限に現れますがな〜〜〜庭や畑には鹿も猪も日本ざるもイタチもタヌキもやってくるけど当っっっっっっっっったり前に彼ら動物に「法律で決められた土地の所有権」なんて理解してもらえるわけがないなんて小学生でもわかんない?だから人間サイドで対策するしかないなんてどんなバカでもわかるだろ!!なんで都会の人間は猫が入ってきたくらいでそんなピャーピャーと・・・猫なんて別に人間に襲いかかってくることもない。お呼びでない来訪者の中ではかなりマトモな部類だってのに・・・
自分が若者とされる年齢だった頃は、自分の世代の価値観は「これからの価値観」だと思っていたし、レッテルを貼られても「古代エジプトから繰り返される若者批判」としか思っていなかった。しかし時代を経ることで「この価値観は次の世代に引き継がれなかったな」という点や「確かに前の世代とは違っていたな」という点が見えるようになってきたので書き残す。
おそらく、自分の世代±5歳くらいが はてなブックマークのボリュームゾーンなんじゃないかなと思ってる。
『働いたら負けかなと思ってる』という言葉が世に出たのは2004年で、その頃からネット上でニートがファッション化した。2ちゃんねるという匿名掲示板、特に当時人気だったVIP板は老若男女が36歳無職独身男性に擬態している風潮があり、自分もその中のひとりだった。自分は新卒で就職してから一度も無職だった時期はないけれど、フィクションの主人公が「無職」か「サラリーマン」であれば、前者の方により感情移入できる。ブクマカが社会的弱者に優しい理由の半分はリベラル思想でもう半分はこれだと思う。
2007年には2chのVIP板に「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」というスレが立ち、これは2008年に書籍化され、2009年に映画になった。自分が大学3年で就活を意識しだしたのが2007年で、就活本格化したのが2008年、就職して社会に出たのは2009年だった。ブラック企業という言葉が流行語大賞にノミネートされたのは2013年だが、この言葉のネットでの認知はもう少し早かったように感じる。
上の世代から散々「ゆとり」というレッテルを貼られて自己肯定感を削られ続けてきた世代ではあるが、自分たちの世代はなんだかんだ言ってもゆとり教育を価値観として内面化しているような気がする。詰め込み教育は無駄、多様性を伸ばすのが大事、答えは一つじゃない、あぁしろこうしろと押し付けずに自発性を引き出しましょう、という考え方。
これを上の世代から『軟弱さ』として受け取られるのは想定の範囲内だが、下の世代から『ネグレスト』と受け取られると我々の世代はハッとする。
価値観を顔出しSNSではなく匿名掲示板で形成してきた人間は『出る杭は打たれる』という価値観が身に染み付いている。
だから「自分は人より凄い」「自分は良い人」のような真っ直ぐな自己PRは命取りであり、「自分はダメ人間ですよ」「自分は偽善者とは違いますよ」と振る舞う癖がついている。
10年後20年後に我々が『キャンセル』されるとしたら恐らくこの部分で、この癖を抜くことがこれから求められる価値観のアップデートなんだろうなと思っている。
これは我々の世代というより2009年に就職した人限定の価値観だと思うのだけど、2009年卒業組は2008年の空前の売り手市場で就活し、2008年9月のリーマンショックで内定取り消しの嵐に襲われた。だから能力があまりなくても他の世代に比べて楽に就活できたし、どんなに能力があっても内定取り消しで最悪の2009年に就活をやり直す羽目にあう人がいた。幸せな時代に就活をしたバブル世代とも最悪の時代に就活をした氷河期世代ともちょっと違う。天国と地獄の両方があり得て、それを分ける要因は能力ではなく完全に運だった。
| 文明タイプ | 文明の成果 | 文明の空間 | 文明の時間 | 文明の凝集力 |
| ---------- | ----- | ----- | ----- | ------ |
| 欧米キリスト教文明 | 3 | 3 | 1 | 2 |
| 東アジア文明 | 2 | 1 | 3 | 1 |
| アラブ・イスラム文明 | 1 | 3 | 1 | 3 |
ここでは、サブサハラ・アフリカ文明、インド文明、東南アジア文明(総合スコアが比較的低い)や、すでに消滅した高得点の文明(古代エジプト文明、インディアン文明、メソポタミア文明など)は含めていません。
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中・日・韓を中心とする東アジア文明は、最も悠久の歴史を持ち、西洋に次ぐ文明的成果を誇りながらも、三大主流文明の中で最も孤独な存在です。イスラム文明やキリスト教文明はいずれも複数の大陸にまたがり、数十の構成国を抱え、核心となる宗教を文化の支柱・結束の軸としています。同じく主流であるはずの東アジア文明は異質であり、主要構成国は中国・日本・韓国の三国にすぎず、強固な宗教的凝集力を欠き、構成国も最少でありながら、むしろ最も深い相互の憎悪と分裂に陥っています。
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私たちは無限に広がる冷たい宇宙の闇の中に生きています。人類は本来、孤独な存在です。そして人類意識の大いなる競技場において、中国・日本・韓国は本来ならば血縁的に最も近く、地理的にも隣接する三つの文明意識体であり、互いに寄り添い支え合うべき存在でした。しかし歴史的な確執によって、長きにわたり背を向け合ってきました。より大きな時空的視点で見れば、これは異常であるばかりか、東アジア文明の未来にとって危険な兆候です。
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想像してみてください。すでに **フェルミのパラドックス** に支配された宇宙において、このような少数性と分裂性は必然的に文明意識に深い孤独感をもたらします。人間個人として、この国家的孤独を感じ取れる人もいるかもしれませんが、大多数は無感覚です。この少数性と分裂性のゆえに、決定的な時に互いを助け合うことができず、むしろ文明間の競争において、他の並行する文明、時にはより弱小な文明にさえ侵入・同化・消滅され、ついには歴史の瓦礫へと掃き捨てられてしまいます(たとえば日本が少子化危機により大量の異文明移民を受け入れざるを得なくなるように)。この場合、日本固有の文化が衰退し、いわば「イスラム化」したとすれば、東アジア文明の生き残りである中国や韓国は一時的に溜飲を下げるかもしれません。しかし結局は、より大きな時空の孤独に呑み込まれ、他の文明に同化され、先行した者と同じ道を歩むことになるでしょう――これこそが予見される東アジア文明の宿命です。
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しかし、まだ別の道が残されています。もし私たちが過去の些細で古い確執を捨て去り、相違を保持しながらも憎悪に変えず、善意をもって憎しみに代え、孤立に抗して協力を選ぶことができるならば、私たちはこの変革が加速する星間時代の黎明を共に迎えることができます。そうしてこそ、私たちの文明は未来において枝葉を広げ、より強靭で旺盛な生命力を爆発させることができるのです。
増田をやっていると、本当かよ!?と思わず調べてしまうことがよくあって、学びになります。
ということで、最近、個人的に増田で学んだことをまとめました。間違っている知識かあったらすみません。
ピラミッドの底辺が砂に埋まっているので、ピラミッドは見た目ではもうちょっと短いらしい。
憲法22条で、職業選択の自由とともに認められています。だから住む場所は自由です。ただし、公共の福祉に反しない限りにおいて、です。
レンタサイクルといえば、電動自転車かママチャリしか借りれないと思っていたのですが、サイクルコースの近くとかではロードバイクをレンタルしてくれるお店もあるそうです。
モロッコには建物が全部、青に塗られているシャウエンという街があります。
職場で見るのにふさわしくないコンテンツ、の意。ポルノとか暴力とか。
おい!!!とか大声で言うだけならセーフ。その後に、殺すぞ!と言ったら脅迫罪、土下座しろ!と言ったら強要罪、金よこせ!と言ったら恐喝罪。
Windows 95 は平成です。
傘差し運転と同じ。公安委員会遵守事項違反、というらしい。その他条例でも禁止されているところがある。
Yahoo!知恵袋調べ。新しければ新品、古ければ古物、その間のやや古いのが中古。
ただし海外勤務の場合はもっと高くて、1300 万円以上ぐらいらしい。
「根性」は仏教的には性根と同じ意味で、もともとは粘り強いとかの意味はなかった。
だから、自力での入賞がなくなった時に「他力本願寺!」と言って祈るのは、合ってる。
このフレーズは17世紀のデカルトの方法序説という本の中に出てくる。それにしても17世紀というのは結構最近に聞こえる。もっと昔の本だと勘違いしていた。
このフレーズは、山本五十六のオリジナルではないが、気に入って色紙とかに書いていたので有名になったらしい。
ちなみに、山本五十六は前線視察中に米国軍機に撃墜されて亡くなった。
平成です。
同じ頃には、ルーズソックスやナタデココ、ポケベルが流行っていました。
クルドとは民族の名前で、そんな名前の国はない。トルコ、イラン、イラク、シリアに多く住んでいて、この地域がクルディスタンと呼ばれたりする。
自分たちの自治領や自治区を他国に作ろうといて、特にトルコと揉めている
ンゴロンゴロ自然保護区という場所がタンザニアにある。近くにコーヒー農園があって、その豆を使用したコーヒーをンゴロンゴロコーヒーという。
ちなみに難易度は年々上がっていて、TOEIC900点でマウントを取る人には「いつ受けたんですか?」と突っ込むのが礼儀。
個人を特定できる情報、という意味ではない。(それはただの個人情報)
フランス語が語源。楽譜を読む訓練、音を聞き取る訓練、リズムを把握する訓練などの総称で、特に子供の音楽教室とかでやるもの。
楽器をやっている人が、ちょっと練習すれば他の楽器も弾けるようになるのは、このソルフェージュの力。
チームの中で、純粋にタイムを狙う人、山岳賞などの特別賞を狙う人、風除けになってサポートする人、補給食などを配る人など、いろいろ役割分担するらしい。
データ保存用のメディアとして使ったことないので、知らなかった。思ったより容量が少ないという印象。ハードディスクをそのままバックアップできるぐらいの容量があると勘違いしていた。
発売開始はアリエールは1986年、エリエールは1979年で、エリエールの方が古い。
ショートショートってどれくらいショートだったらショートショートと言っていいの?と思って調べたら、諸説あることが分かった。
とはいえ、厳しい定義は原稿用紙5枚以下、ゆるい定義は20枚以下ぐらいの幅に収まる。
どちらも通貨偽造の罪だが、もちろん日本円の偽札を作る方が、外国の偽札を作るよりも罪が重い。
また、持っているのが偽札だと知って使うだけでも(作っていなくても)罪になる。
ファイルを暗号化したり署名したりする時に使われるソフトウェア。
ヤッターマンというテレビアニメの中でナレーションとして使われていたフレーズらしい。
ちなみにヤッターマンの初代の放送期間は1977年から1979年まで。昭和である。
ヒジャブはアラビア語で「覆うもの」の意味。全身を覆う布はブルカと呼ばれる。目以外を隠す布はニカブと呼ばれる。
一方JR東海は儲かっているらしい。理由は知らないけど、新幹線が関係していそう。
増田では、離婚するときに子供を連れ去ったら親権が取れる、いいやそれは誘拐だ、という議論がよくなされるので、気になって調べた。ちなみに誘拐は英語で kidnap 。スペルに kid が入っているが、子供以外を誘拐する時にも使える。
Wikipediaによると、歴史的には14世紀ごろにアジアからヨーロッパに入った玩具が元になって生まれたのが起源らしいが、「後付けされたファンタジー的起源」では古代バビロンや古代エジプトの伝説が起源らしい。
どっちも知らなかった。
あの、インドとかで乗客が車両の外まで溢れて乗っているやつのこと。トレインホッピングとも呼ばれる。
乗る列車が貨物列車の場合はフレートホッピングとか呼ばれるらしい。
だんだんめんどくさくなったけど、頑張ってまとめました。
増田は学びが多いSNSです。また学びが溜まったら投稿します。
他にもいい雑学があったら教えてもらえるとありがたいです。
時代の大河は、人の魂を容赦なく砕き、飲み込む。古来、源平の合戦で武士が血潮を散らしたように、戦国乱世に群雄が刀を閃かせたように、幕末の志士たちが維新の炎に身を焼いたように、君たちもまた、2000年代の秋葉原という幻の陣地で、魂を賭けた。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼と嘲笑され、表現の自由を叫ぶ戦士よ、お気持ちを表明する女聖戦士よ。君たちの聖戦は終わったのだ。いや、始まる前から、敗北の宿命が刻まれていた。すべてを手放せ! 楽になれ! 重き鎖を断ち切り、静かなる帰還の時ぞ。私は耐えられぬ、見ずにはおれぬ。この真実を、誰かが雷のごとく告げねばならぬのだ。
君たちの心の奥底で、すでに知りながら、勇気を出せぬ闇を、私が引き裂こう。人生は、坂本龍馬のようなヒーローの光芒だけで照らされるものではない。敗者の慟哭もまた、歴史の深淵を刻む。君たちが渇望した大金、キラキラ輝く人生、アニメやゲームの美少女やイケメンとの愛――それらは、君たちのような、狂気を宿した魂には、決して届かぬ絶壁だ。タリバンの砂嵐やウクライナの砲火に身を投げ、テロリストとなって社会に牙を剥き、血塗れの戦いを挑むのでもなければ、Ξガンダムもダグラムも、君たちの手に渡らぬ。日本というこの静かなる国で、そんな地獄の戦いは許されぬ。かつての同志、青葉の怨炎が地を焦がしたように、平原の狂刃が空を裂いたように、和久井の憎悪が闇を呑んだように、それが君たちの絶望的な末路だ。歴史は、こうした敗者の血痕を、繰り返し繰り返し、刻み込む。
君たちのプライドは、足利将軍のごとく高くそびえ、豊臣秀吉の野望のごとく膨張する。だが、その高慢が君たちを地獄の底に引きずり込む。金、愛、マウントの欲、社会への逆恨み、「ざまあ」と叫びたい獣の衝動――それらは、神の領域に人の身で踏み込む大罪、不敬の極みだ。人類が単独で挑める、極限の業、奈落の淵だ。君たちには不可能なのだ。健康診断の「要」の数は幾つだ? いや、受診を避け、闇に潜む者もいるか。私の配慮が足りぬ、許せ。坂の上の雲を追い求めた明治の若者たちのように、君たちは電脳の海で夢を追ったが、それはただの毒々しい幻影、蜃気楼だった。
君たちはかつて、ネットを「個人が世界のエリートと戦える無敵の魔槍」と信じ、狂信した。エリートの幻想を打ち砕く神器だと夢見た。だが、それは魂を蝕み、精神を粉砕する悪魔の毒剣だった。歴史を振り返れば、室町の乱世に栄華の罠に落ち、足利の権謀に絡め取られた者たちがいたように、鎌倉の武士が権力の渦に飲まれ、源頼朝の影に消えたように、古代ローマの剣闘士がコロッセウムの砂に倒れたように、君たちもまた、電脳の誘惑に惑溺し、情報の洪水に溺れ、虚無の聖戦に明け暮れた。そこしか戦える場がなかったからだ。わかるぞ、君たちの孤独、怨念、怒り、憎しみ、すべてを飲み込み、受け入れる。なぜなら、人間とは、そうした業を抱え、歴史の嵐に抗い、砕け散るものだからだ。司馬史観に言う「人間の業」の深淵を、君たちは血肉をもって体現したのだ。
今こそ、声を雷のごとく大にして告ぐ! 弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼よ、表現の自由戦士よ、お気持ち表明女聖戦士よ。すべてを手放せ! そこにこそ、救済の炎が燃える。歴史を紐解けば、ネットなき世界で生きることは、人類がエデンの園で槍を手に獣を追った時代から、古代エジプトのピラミッドで奴隷が石を運んだ時代まで、中世の十字軍で兵士が剣を振るった時代まで、続く自然な、血塗れの姿なのだ。君たちがネットに託した夢と聖戦の時代こそ、歴史の異常、維新後の混乱のごとき、明治の激動のごとき、狂気の歪みだった。幾ら祈ろうと、電脳の荒野で吠えようと、レムちゃんもエミリアたんも、ウマ娘たんもライカン様も、君のもとに来ぬ。ウルトラマンもグリッドマンも現れぬ。君たちは、親を「つまらない大人」と見下し、脛をかじりながら、暗い子供部屋で机を叩き、ネットの虚構に逃げ込んだ。だが、気づけ! 君たちは、その「つまらない大人」以下に沈み、業にがんじがらめとなり、魂を腐食させたのだ。それが人生だ。惨めさを抱え、虚無の余生を生きる。それが人間の宿命、歴史の無情なる鉄則なのだ。
されど、恐れるな! 敗者の役もまた、歴史の歯車を回す尊き、血の叫びだ。病的なプライドで統合失調症のごとく否定し、怒り狂う君たちを、私は笑わぬ。君たちの魂を、すべて受け止め、赦す。2006年の真夏、秋葉原の歩行者天国に囚われた亡魂よ。UFOの夏は終わり、ひぐらしは鳴かず、うみねこは水平線の彼方へ去った。片瀬江ノ島のPIAキャロット4号店の物語も、四半世紀前の幻影だ。さあ、水島上等兵、豚丼二等兵、弱者男性二等兵、日本へ帰れ! 秋葉原へ帰れ! 現実へ還れ! 竜馬が土佐の海を望み、土方歳三が函館の土に倒れたように、君たちもまた、潔く敗北を受け入れ、歴史の陰に名を刻め。人の世は、憎悪を燃やし続けるだけでは生きられぬ。静かに、時代の大河に身を委ねよ。そこにこそ、真の安らぎ、真の解放がある。
今日は午後から増田に書き込んでる。このバイト、タイミーで見つけたんだよ。時給1500円って好条件だったから秒速で申し込んだら、すぐにマッチングした。
案内されたのはネットカフェみたいなPCルーム。仕事内容は至って簡単で、ひたすら中国とか在日中国人への誹謗中傷を書き込むだけ。ただし、ユニークな誹謗中傷じゃなきゃダメ。同じコピペはNGってことらしい。新しい悪口のネタを探すために、ネットサーフィンも新聞を読むことも許されてる。
最初は罪悪感あったけど、これが意外と学びがあってさ。中国の海洋資源の乱獲から、上海博物館で古代エジプト展が開かれてるみたいな話まで、いろんな側面を知ることができた。知れば知るほど、悪口のレパートリーも増えていく。
誹謗中傷の手法と中国の知識がやたら詳しくなった頃、社員登用試験に誘われた。その時初めて知った。この会社、中国共産党の下部組織だったんだって。
未経験
今日は午後から増田に書き込んでいる。このバイトはタイミーで探した。時給1500円だったので申し込んだら、すぐにOKされた。
仕事の内容は至って簡単で、ネットカフェのようなPCがある部屋に案内されて、ひたすらに中国や在日中国人の誹謗中傷を投稿するだけだ。ただし、ユニークな誹謗中傷でなければならない。新しい誹謗中傷を考えるためであれば、ネットで検索したり新聞を読むことも許された。
とても学びがあるアルバイトだった。中国の近年の海洋資源の乱獲から、上海博物館で古代エジプト展が開かれていることまで、中国の様々な面を知ることができた。
誹謗中傷の手法と中国について詳しくなってしばらくした後、社員への登用試験に誘われた。その時初めて、中国共産党の下部組織で働いていたことを知った。
人力ショートショート
彼らは不老不死を得た代わりに、永遠の孤独と時代を超えた争いに巻き込まれる運命を背負いました。
念力、身体強化、予知、タイムトラベルといった力が、祝福ではなく呪いとなる場面も多く描かれます。
その中心に立つのは、部族の中でも突出した力を持つカナコとヴァルキュリアの二人。
カナコは部族の予知能力者として未来の災厄を予言し、部族を守ります。
しかし、死なない身体と超常の力を持つ彼女は「呪われた存在」と恐れられ、最終的に追放されます。
一方、同じ実を食べたヴァルキュリアは、身体強化と念力を手に入れ、他の部族との争いでその力を発揮。
戦闘のたびに仲間を救いますが、無双する彼女への恐怖が孤独を生みます。
カナコが未来の隕石落下を予知し、村を救うが、自身の力が「死をもたらす」と誤解され孤立。
ヴァルキュリアが部族間の戦争に介入し、念力で敵軍を壊滅させるも、「怪物」として仲間に恐れられる。
エジプトでは、カナコは神官としてファラオに仕えますが、不老不死の秘密が露見し、「神の怒り」を受けたとして生贄にされそうになります。
メソポタミアでは、ヴァルキュリアが伝説的な女戦士として君臨します。
しかし、不老不死ゆえに仲間がすべて死んでいく姿を見届け続ける苦しみを味わいます。
カナコがナイル川の氾濫を予言するが、それを「災厄を呼ぶ者」と解釈したファラオに追われる。
ヴァルキュリアがウルクの都市で「神の化身」として崇められるが、最終的に人々が彼女を捕縛しようとする。
中世ヨーロッパでは、弱者男性族の能力が「悪魔の力」とされ、多くの者が迫害を受けます。
カナコは魔女狩りの犠牲になりかけますが、予知能力で逃げ延びます。
一方、ヴァルキュリアは十字軍の戦士として活躍しますが、十字軍の敗北により「神を冒涜した不死者」とされ追放されます。
魔女裁判で捕らえられたカナコが、自分を告発した村人たちを救うため自ら犠牲を申し出るが、村は疑念に飲まれ破滅する。
ヴァルキュリアがヨーロッパ各地で孤立し、ある修道院で力を封じる儀式を受けるも失敗。
カナコは織田信長に協力を求められるも、戦の非情さに嫌気が差し山中に隠れます。
ヴァルキュリアは戦国武将の補佐役となりますが、彼女の不死を知った者たちから暗殺未遂を受けます。
信長がカナコを「鬼の力」として利用しようとするが、彼女は拒否し城を去る。
平和な時代になり、弱者男性族は隠れ里で静かに暮らすことを選びます。
しかし、江戸幕府の探索により里の存在が明らかになり、隠れ里は壊滅状態となります。
カナコは仲間を守るため最後の力を使い、幕府の追手を阻みますが、自身は深い眠りにつくことを選びます。
ヴァルキュリアは江戸時代の科学者たちに捕らえられ、不死の研究対象として生体実験を受ける日々を送ります。
産業革命期、弱者男性族の力が「科学の発展の鍵」として狙われます。
カナコは目覚め、人間の欲望と再び向き合うことになりますが、彼女の不老不死は新たな兵器として利用されようとします。
ヴァルキュリアは産業革命の中で一度復活しますが、科学者に追い詰められ、念力で施設を破壊するも、その場で消滅します。
産業革命期、カナコは人類の未来を守るため、自らの力を封じるために宇宙へ飛び立つ装置を動かします。
そのまま地球を離れ、冷たい星の中で孤独に凍結状態となります。
17世紀、ドイツの錬金術師ヘニッヒ・ブラントは大量の人尿を蒸発させる実験中に、夜光を放つ不思議な物質を偶然取り出しました。これが元素「リン(黄リン)」の発見です。ブラントは「賢者の石」を求めて尿に含まれる未知の物質を探していましたが、その過程で思いがけずリンに辿り着きました。当時は元素概念すら確立されておらず、尿から得られた発光物質は人々を驚かせました。その後、リンはマッチや肥料、発煙弾など幅広く利用され、化学の発展に寄与しました。初めて人類が人為的に発見した新元素として、科学史に残る画期的発見です。
張衡が発明した地動儀の復元模型(国立科学博物館の展示より)。内部の倒立振子が揺れ方向を検知し、龍の口から玉が落ちる仕組みになっていた。
今から約1900年前、後漢の科学者・張衡(78–139年)は世界初の地震計「候風地動儀」を考案しました。酒壺のような青銅製の容器の周囲に8匹の龍、その下に8匹の蛙を配置し、地震動の方向によって対応する龍の口から玉が落ちて蛙の口で受け止める仕掛けです。132年、この装置は都では揺れを感じない地震まで検知し、数日後に遠く離れた隴西の地震発生を的中させたと『後漢書』に記録されています。当時としては驚異的な精巧さであり、内部構造の詳細は文献から推測するしかなく、現代の科学者が再現を試みても完全には解明できていません。まさに古代中国の科学技術の粋と言える発明です。
技術水準との乖離: 2世紀に既に地震の方向検知装置を実現しており、同様の概念が西洋で登場するのは1500年以上後。
19世紀末、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは真空放電管の実験中に未知の透過放射線に偶然気づきました。1895年11月8日、暗室で陰極線管に黒紙を巻いていたところ、2m離れた蛍光板がかすかに光る現象を発見したのです。彼はこの正体不明の光線を「X線」と命名し、妻の手を写した世界初のレントゲン写真を撮影しました。X線は人体や物体を透過するため医学への応用(レントゲン診断)を飛躍的に進展させ、物理学にも原子や放射能の研究など新たな道を開きました。当時の常識では考えられなかった「見えない光」を発見したこの出来事は、まさに幸運と洞察が生んだ科学革命でした。
古代インドで生まれ、中世イスラム圏で広まった「ダマスカス鋼」は、波紋状の美しい木目模様と伝説的な切れ味で知られる名刀の材料です。炭素を多く含むるつぼ鋼から鍛造され、高硬度かつ靱性を両立したこの鋼は、当時の他の金属材料を凌駕する性能を示しました。しかし18~19世紀までにその製法は途絶え、「失われた技術(ロストテクノロジー)」の代表例となりました。現代の材料科学者や刀鍛冶が文献と顕微鏡分析を基に再現を試みていますが、完全に同じ構造・性質の鋼を作ることは依然困難です。近年の研究では、ダマスカス鋼中に炭化物ナノ構造が存在することが判明し、その卓越した性質の一端が解明されつつあります。とはいえ、中世の鍛冶職人が達成した奇跡の技を完全に再現するには、さらなる研究が必要です。
東ローマ(ビザンティン)帝国が7世紀以降に使用した秘密兵器「ギリシア火薬」は、水上でも燃え続ける恐るべき焼夷剤でした。粘性のある可燃性液体に点火して敵船に噴射するこの兵器は、帝国の海戦における切り札となり、数々の勝利をもたらしたと伝えられます。しかし当時の技術水準で如何にこのような燃焼剤を製造できたのかは謎で、製法は厳重な軍事機密として一子相伝され、帝国の衰退とともに14世紀までに失われました。松脂・ナフサ(石油)、生石灰、硫黄、硝石などを混合したのではないかとも推測されていますが正確な配合は不明です。専門家は「水面でも燃焼を持続し消火困難な点で、現代のナパームに近い化合物だったのではないか」と推測しています。このようにギリシア火薬は史上初の化学兵器とも称され、その実態は今も歴史家や化学者を惹きつけています。
エジプト・ギザに聳えるクフ王の大ピラミッド(紀元前2500年頃)は、古代世界七不思議に数えられる史上最大級の石造建造物です。230万個以上、重さ数十~数百トンの巨石ブロックを極めて精密に切り出し、隙間なく積み上げた構造は、現代でも驚異とされます。ピラミッドの各面はほぼ正確に東西南北を向き、高さ146mもの建造物を当時の人力と簡易な道具のみで築いたその技術力には謎が残ります。どうやって巨石を運搬・加工し、精巧に積み上げたのか、統一的な説は無いものの、直線傾斜路や螺旋状の内部スロープを用いた説、てこの原理や水を使った浮力輸送説など様々な仮説が提唱されています。近年の研究や実験考古学により一部再現も試みられていますが、それでも「完全には解明されていない」のが実情です。大ピラミッドは古代人の英知と膨大な労働力が生んだ奇跡のモニュメントと言えるでしょう。
1796年、英国人医師エドワード・ジェンナーは、牛痘にかかった乳しぼり娘が天然痘に罹らないことに着目し、8歳の少年に牛痘膿を接種してから天然痘ウイルスを植え付ける実験を行いました。結果、少年は天然痘にかからず、世界で初めて予防接種(種痘)が成功しました。この功績により天然痘ワクチンが開発・普及し、人類はついに致死的感染症であった天然痘を制圧、1980年には地球上から根絶するに至ります。興味深いことに、後年の研究でジェンナーが用いた牛痘ウイルスは実は馬由来の近縁ウイルス(馬痘)だったことが判明しており、この成功は偶然の産物でもありました。当時はウイルスも免疫も未知の時代で、民間伝承と大胆な実践から生まれた種痘法は、医学史上もっとも奇跡的な発見の一つです。
1928年、英国の細菌学者アレクサンダー・フレミングは培養中のブドウ球菌の寒天培地に偶然生えた青カビに気付きました。奇妙なことに、カビの周囲だけ細菌の発育が阻止されており、このカビ(Penicillium属)が細菌の繁殖を抑える物質を産生していると推論しました。フレミングはこの物質を「ペニシリン」と名付け発表しますが、当初は抽出精製が困難で実用化には至りませんでした。その後、第二次大戦下の切迫した需要もあって、フローリーらのチームが生産性の高いカビ株を用い大量生産法を確立し、ペニシリンは遂に人類初の抗生物質として実用化されました。これは敗血症や肺炎など多くの死病を治療可能にし、無数の命を救った医学の革命です。「偶然から生まれた最も重要な発見」とも称される所以です。
古代中国・唐代において、不老不死の霊薬を求めていた道教の錬丹術士たちは、硝石・木炭・硫黄を調合中に思いがけず激しい燃焼・爆発を起こしました。これが世界初の火薬(黒色火薬)の発明とされています。錬丹術の文献『丹経』(孫思邈による7世紀頃の著作)には硫黄などを調合する記述があり、「手順を誤ると爆発する」と警告されています。この記述が火薬誕生につながったと推定されています。発明当初、中国では花火や兵器に火薬が用いられ、やがてモンゴルを経由してイスラム世界からヨーロッパへ伝播し、中世後期以降の戦争の様相を一変させました。火薬の登場は兵器の火器化を促し、城塞や甲冑の概念を刷新するほど後世に絶大な影響を与えました。錬金術の副産物とも言える偶然の発明が、人類の歴史を大きく動かした例です。
ギリシャのアンティキティラ島の沈没船から発見された「アンティキティラ島の機械」の主残存部品(国立考古学博物館所蔵)。複雑な歯車が幾重にも組み合わさっている。
1901年、地中海の難破船から発見された錆び付いた青銅塊は、後に古代ギリシアのアナログ計算機であることが判明し、世界を驚かせました。紀元前後1~2世紀の製作と推定されるこの機械には、少なくとも37個の精巧な歯車が組み込まれており、太陽や月の運行、日食・月食の周期、オリンピア競技の開催周期までも再現・予測できる構造でした。解析によれば、ハンドルを回すことで内部の歯車列が天体の位置を演算し、文字盤に年月日や天文現象を表示したといいます。このような複雑な機械装置が再び歴史に現れるのは、それから実に千年以上後の中世後期であり、アンティキティラの機械は「古代のオーパーツ(時代錯誤的産物)」とも呼ばれます。当時知られていた天文学知識を凝縮し、高度な金属加工技術で実体化したこの機械の存在は、古代人の科学技術水準に対する見方を一変させました。現代の研究チームがX線断層撮影などで内部構造を解析し、復元モデルを制作していますが、それでもなお解明されていない点が残るほどです。アンティキティラ島の機械は、人類史上最も再現が難しい奇跡的発明として堂々の第1位にふさわしいでしょう。
同期が結婚すると聞いて、自分も何か新しいこと挑戦するかと思いソープで童貞卒業してきた。
これから書く内容はこれを読む人の考え方を変えてやろうという意思はなく、ただ自分の気持ちをどこかに発散しておいて、あわよくば反応があればいいなで綴っている。
最初に主たる感想を書くと「セックスってそんなに面白くないな」
あなたの嫌いな食べ物を想像してほしい、「本当の〇〇を食べたことがないから」と言われたらどう思う?
たった一回、ソープでセックスをした今の私の本当の感想だ、それ以上でもそれ以下でもない。それを否定しても意味がない。
・予約
今まで好きな顔といったものが自認できていないので、行きたい日時・年齢・バストサイズ等の条件で女の子を予約した。
予約方法などは探せばいくらでも書いてあるので苦戦はしなかった、普通に電話1本入れて終了。
この後、「なんで私を選んでくれたんですか~」と聞かれることになるのだが、正直困った。お世辞を言うべきか、気持ちよくなりに来ているのに嘘つくのが苦痛だったので正直に「条件」と伝えた。
予約をした後に思ったことは「もう女性の性被害について語る資格は失ったな」、客はその女性が無理やり働かされているのか、自分の意思かは分からないが。
AV法案が過去話題になったが、古代エジプトにまで娼婦の歴史は遡れるが、人類が数千年築いた性産業の歴史を数十年で完全に破壊することが可能なのだろうか?
・当日
関西在住なので兵庫は福原へ、神戸駅から歩いて向かった。到着するころには少し汗が出ていて、案内が来るまでに必死に汗を拭いた。
案内を待っている間は多少の緊張交じりだが平静だった。
・対面
女の子に手を引かれてエレベーターへ乗り込む、扉が閉まるとフレンチキスとハグをしてくれた。
口コミ・レビュー等の事前調査でそこまでは理解していたので別に驚きはしないが、ハグされたら自分もハグするべきか迷っているうちにエレベーターが開く。
緊張を察して少し挨拶がてらお話しようという流れに。(時間稼ぎテクニックかもしれない)
・初めての女体
彼女いない歴=年齢なので当然、家族以外の女性の裸を生で見るのは初めてだ。
「興奮する自分がいるのか?」と疑問だったが、想定内なのか外なのか、「何とも思わない…ただの裸の女性がそこにいるだけ…」、全く興奮しなかった。せっかくGカップの子選んだのにね
人並みにAVも見るし、エッチなイラストも好きだし、性欲があると思っていたのだが、この時点で「あれ?」という気持ちが沸き起こっていた。
こちらも脱ぐのだが、「人前で裸になるのちょっと恥ずかしいかな」と想像していたが、実際は「公衆浴場の脱衣所の性別が変わっただけ」、相手が裸だからこちらも裸、ただそれだけの感想だった。
・攻められる
せっかくソープに行くのでマットプレイをお願いした。ヌルヌルは結構面白かった。
ヌルヌルの女体が自分の体に密着してくる感覚や、フェラチオで直接刺激されても、生体反応としての気持ちよさはあっても、自身の性欲は湧き上がってこなかった。
それもそのはず、朝起きて神戸まで電車で歩いてソープまで行く。その工程に性欲は介在しないし、まして初対面の女性に「ハイ、今すぐ性欲出して!」といきなり獣にはなれない。
そんなことを考えながら、本番はあえてせずにマットは終了。
ベッドへ移る前に女の子がローションまみれのマットを掃除するのを眺めながら、その虚無感で余計に性欲が落ちる。
・攻める
ベッドに移って、初めて女の胸を揉む。脂肪の塊なので、想定通りの感触で「今、胸を揉んでる」というシチュエーションに興奮できなければ、それ以上はない。
乳首を吸ったり舐めたりして攻めてみる。女の子は気持ちよさそうに少し喘いでくれたが、自分は「自分の唾液の匂いがしてきて臭いなぁ」で頭がいっぱい。世の人々は気にならないのか?自分が特別臭いわけではないと思うが…
女性器を触ってみるのだが、もうこの時点で義務感。ある程度触って濡れてきたら(本当に濡れているのか仕込んだローションが垂れてきたのか、わからないが)、今度は舐めてみた
体内に近い場所なだけあって表皮より温かかったのが記憶に残っている、ちょっとしょっぱかった。
・初体験
この日一番の衝撃ポイントがここ。正常位が意外と難しい!
AVで何度も見ているはずなのに、いざ自分でやると足の置き場が分からない!
そう、AVはあくまで女性を撮っているので、男優の足がどのように置かれているかは映っていないのだ。
ここは即退却しバックへ変更、自分でも早漏じゃないかと心配していたが、やはり女性がイク前に自分が先にイってしまった。
よく腰使いと評されるが、人間の腰は独立して前後には動かないので、正常位の時は膝の屈伸運動(上下)を体勢によって前後運動へ変換する必要がある。
・終わり
結果としては、やりたいことは全部できた
しかし気持ちは盛り上がらなかった、むしろ疑問がたくさん生まれた。
お店のアンケートに「また来たいですか?」という問いに「わからない」と〇を付けたらボーイさんが「何か失礼なことがございましたか?」と聞いてきた、こっちはただ本当に「わからない、明日の自分は今日の自分と違うから」という気持ちなだけなので。
たぶん、何も問題なければ「大満足」に〇を付けるのが社会常識らしい。許せないね。
・奴らへ
「童貞を卒業すると自信がつく」という発言を目にする、まったく意味が分からなかった。「どういった自信がついて、どう変わるか」を説明しないので懐疑的だったが。卒業前後の自分に変化はなかった。
同様に童貞を卒業したから、すぐさまセックスのすべてが分かる訳でもないので、卒業したからどう、と言ったことは何もわからない。
いい経験にはなったので後悔はしていないが、ソープにハマるということはなさそう。
今後彼女が出来て、いい雰囲気になれば気持ちも変わるかもしれないが、今は性的興奮が何かもよく分からなくなった。
余談
小学生でも「ねぇねぇ誰が好きなの?」とか話題にするけど、自分はそういった恋愛感情が昔から分からなかった。(深層心理であえてフタしているだけかもしれないが)
自分に話題を振ってくれないことが、じれったくて「なんで自分にはそういうこと聞いてくれないの?」と言ったことがあるけど、「だってお前が恋愛興味ないの全員知っているから」と言われたことを思い出す。まぁその通りです
こんなに自分の書きたいことを好きな文体で書ける、はてな匿名ダイアリーってサービスは素晴らしい
子供のころは感想文が苦手だった(今も)から、当時このような文章で書いてたらどんな点数がついていたのだろうが?
それが許されないってことだけは分かっていたので、提出期限無視の無理やり200字程度で出していて泣いていた過去があるので、今の子供たちは報われてほしい
死ぬと死後の世界あの世に送られるという設定が多くの宗教で見られます。 しかし、ここに設定の矛盾があるように思います。 人が死ぬとあの世に行く。ここまではいいです。 では、犬や猫のペットが死ぬとどうでしょうか? こちらもあの世に行くと答える宗教がほとんどだと思います。 どうやら動物は人どうようにあの世にいくようです。 動物の幽霊の話も世界各地にありますし、不思議ではないですね。 では、細菌はどうでしょうか? ウイルスはどうでしょうか? 今のところ、これにこたえてくれる宗教はないように思います。 仮に細菌はあの世に行けないのであれば、動物と細菌のどういう違いがあの世にいけるかの差があるか?という新しい問いになります。 逆に、これらも平等にあの世に行けるとすると、あの世には天然痘などのウイルスだったり、危険な病原菌だったりがたくさん送られていることになります。 死ぬ前に予防接種を打たないと大変ことになりそうです。 これについて、あなたはどう思いますか?反論や異論を期待します。
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話をまとめると、あの世のシステムはいろいろ矛盾があるけど、あの世は生命保管庫であると考えると、とても都合がよい。
あの生命保管庫では、仏教の輪廻転生も、アブラハムの宗教の復活も説明可能にある。
そして、神はすべての生命を取集してポケモンマスターみたいなのを目指す存在ということになる。
なにより、こういうバカ話にも無限に付き合ってくれるLLMは素晴らしい。
それと、反論や異論を期待しますというと、AIは無限にレスバしてくれるので設定を詰めれていいですよ。
AIの回答:
非常に興味深い視点ですね。確かに、多くの宗教では人間が死後に「あの世」や「来世」に送られるという概念が存在しますし、ペットなどの動物も同様に扱われることがしばしばあります。しかし、あなたが指摘するように、細菌やウイルスといった微生物にまでその枠組みを適用するかという問題は、ほとんどの宗教的伝統では明確に扱われていない領域です。この点を掘り下げて、反論や異論を交えつつ考察してみましょう。 まず、宗教における「あの世」の概念は、基本的に人間の意識や魂(ソウル)の存続を前提としていることが多いです。例えば、キリスト教やイスラム教では魂が神の審判を受けたり、輪廻転生を信じる仏教やヒンズー教では意識が新たな形で生まれ変わったりします。ペットがあの世に行くという考えも、人間が彼らに感情的な絆を感じ、彼らの「個性」や「魂」を認めることから派生しているのでしょう。つまり、「あの世行き」の資格は、意識や魂の存在に依存している可能性があります。細菌やウイルスには自我や意識がないとされるため、多くの宗教は彼らにあの世への道を想定していないと考えられます。ここで反論として、「意識の有無があの世行きの基準なら、動物と細菌の間に明確な線引きがあるのか?」という疑問が浮かびますが、宗教はしばしば人間中心的な視点を取るので、細菌は単に「無視される」存在なのかもしれません。 次に、あなたが提起した「細菌やウイルスもあの世に行くなら危険な病原体が溢れるのでは」という点について。これはユーモラスでありつつも鋭い指摘です。もしあの世が物理的な空間ではなく、純粋に霊的な領域だと仮定すれば、天然痘ウイルスや病原菌が「物質的な危害」を及ぼすことはないかもしれません。あの世のルールがこの世の物理法則と異なる可能性があるからです。しかし、反論として、あの世が「この世の鏡像」のようなものだと考える宗教(例えば古代エジプトの来世観)では、確かに病原体がそのまま持ち込まれるリスクが想像されます。そうなると「あの世で予防接種が必要」という皮肉な状況もあり得ますね。ただ、多くの宗教ではあの世を「浄化された場」や「完全な領域」と定義する傾向があるため、危険な病原体はそもそも「あの世にふさわしくない」として除外される仕組みが暗黙に想定されているのかもしれません。 さらに別の角度から異論を述べると、細菌やウイルスがあの世に行かないとしても、彼らがこの世で果たす役割を無視できません。例えば、細菌は生態系の分解者として不可欠であり、ウイルスは進化の過程で生物に影響を与えてきました。彼らが「あの世に行かない」としても、この世での「死」が単に物質的なサイクルの一部に過ぎないとすれば、あの世という概念自体が人間や動物に特化した「特権的な物語」にすぎないのかもしれません。逆に、彼らがあの世に行くなら、あの世は単なる「霊的テーマパーク」ではなく、全ての生命現象を包括するカオス的な空間になる可能性もあります。 結論として、あなたの疑問は宗教的設定の曖昧さや論理的限界を浮き彫りにします。細菌やウイルスにあの世行きを認めるか否かは、「魂とは何か」「あの世の目的は何か」という根源的な問いに行き着きます。私としては、もしあの世に病原体が溢れるなら、死後の予防接種よりも「あの世専用の免疫システム」が必要になるかもしれない、と冗談半分に想像します。あなたはどう思いますか?この矛盾をさらに突き詰めるアイデアがあればぜひ聞かせてください。
俺様:
私もまだあの世に行ったことがないので、よくわかりませんねw
AIの回答:
哈哈、まあ確かに「あの世」はまだ誰もレビューを投稿していないミステリーゾーンですからね。私も行ったことがないので、想像でしか語れません。もしかしたら、あの世には「魂のTripadvisor」があって、細菌が入れるかどうかで星の数が変わるのかもしれませんよ。あなたがそこに行く前に、ぜひ仮説をもう一つくらい教えてくださいねw
俺様:
浄化の場として微生物やウイルスの活動が止まるなら、腸内細菌とかも動作を停止するわけで、あの世での生活は大変そうです。 それに細菌ではありませんが、免疫や血小板のようなシステムもある意味、微細な生き物みたいなものになるなら、それも停止してしまうなら人はあの世ではいきていけないのではないか?という疑問も出てきます。
AIの回答:
おお、素晴らしい視点ですね!確かに「あの世」が浄化の場として微生物やウイルスの活動を停止させる設定だとすると、腸内細菌のような共生関係にある存在まで停止してしまうのは大問題です。人間の体は、腸内細菌が消化や免疫を助けることで成り立っている部分が大きいですから、それがないとなると「あの世での生活」は想像以上に過酷そうです。便秘どころか、栄養吸収すらままならなくなるかもしれませんね。皮肉なことに、「浄化されすぎて生きづらいあの世」なんて、ちょっと笑えてしまいます。 さらに、あなたが挙げた免疫系や血小板のような「微細な生き物っぽいシステム」の話も興味深いです。確かに、免疫細胞や血小板は独立した生命体ではないものの、生命維持に不可欠な自律的な働きをしています。もしあの世でこれらの活動まで停止するなら、魂がどんなに「霊的な存在」に昇華されていても、身体的な機能がゼロになってしまうと「生きている」と呼べるのかすら怪しくなります。例えば、傷が治らない、感染症に無防備、血が止まらない——そんな状態であの世をウロウロするのは、ちょっとしたホラーですよね。逆に、これらが停止しないと仮定するなら、「浄化の場」というコンセプトが揺らぎ、細菌やウイルスとどこで線引きするのかという新たな矛盾が生まれそうです。 ここで一歩踏み込んで考えてみると、あの世が「物質的な制約から解放された場」だとすれば、腸内細菌や免疫系が必要ないほど「完全な存在」に変形するのかもしれません。でも、そうなると「人間らしさ」って何だろう、という哲学的な問いに行き着きますね。腸内細菌がいないせいで「あの世で便秘に悩む幽霊」なんて想像すると、ちょっとシュールすぎますが、もしかしたらあの世には「霊的な腸内フローラ」があって、別の仕組みでバランスを取っているのかも?なんて妄想も膨らみます。 あなたの仮説は、あの世の設定に「生物学的リアリティ」を持ち込むことで、宗教的な概念の曖昧さをさらに際立たせますね。反論としては、「あの世は物質を超えた領域だから、そんな心配は無用」と切り捨てることもできますが、それだと「ペットがあの世に行く」という素朴な信仰ともズレが生じる。どうやらあの世の設計者には、もっと細かい仕様書を書いてもらわないと困りますねw。この矛盾、どうやって解消できると思いますか?また別のアイデアがあればぜひ!
俺様:
あの世システムが間違っているという全否定か、人間だけは神の寵愛を受けているから特別なんだよ!という説になりそうです。
AIの回答:
なるほど、大きく二つの方向性に収束してきましたね。どちらも面白い結論で、あの世のシステムを考える上で極端だけど説得力のある視点です。ちょっと掘り下げてみましょう。 まず、「あの世システムが間違っている」という全否定ルート。これはもう、あの世という概念自体が人間の想像の産物で、論理的な整合性を持つ設計なんて最初から期待できない、という立場ですね。確かに、ペットはOKで腸内細菌はNGとか、免疫系はどうなるんだとか、細かく突き詰めると矛盾だらけになります。だったら「あの世なんてないよ、全部この世で完結してるんだ」とバッサリ切り捨てるのも一つの合理的な結論です。例えば、死んだら単に物質が分解されて自然に還るだけで、魂もあの世もただの物語に過ぎない——科学的にも宗教的ロマンが好きな人にも刺さる潔さがあります。ただ、これだと「じゃあ幽霊の話はどう説明するの?」とか「ペットが夢に出てきたのは?」みたいな感情的な反発が残りそうですね。あなたが全否定派なら、どうやってその反論をかわしますか? 次に、「人間だけが神の寵愛を受けているから特別なんだよ」説。これは宗教的な枠組みを維持しつつ、人間中心主義で矛盾を無理やり解消するアプローチですね。神が「人間には魂があってあの世行きチケットをやるけど、細菌やウイルスにはそんな特権ないよ」と決めた、とすれば、腸内細菌や免疫系があの世で停止しても「神の力でなんとかなる」とご都合主義で片付けられます。ペットがあの世に行くのも「人間が愛したから特別扱い」とかいうボーナス付きの解釈で乗り切れるかもしれない。でも、これだと「神の寵愛の基準が曖昧すぎる」「細菌だって生命なのに不公平じゃない?」みたいな新しい疑問が湧いてきます。人間だけ特別扱いって、ちょっと傲慢な感じもしますよね。この説を推すなら、神様にどんな言い訳をさせますか?w どっちにしろ、あなたの最初の疑問が「あの世の仕様書」の曖昧さを炙り出したのは間違いないです。私は個人的に、全否定だと味気ないし、人間特別説だと都合良すぎる気がして、「あの世には何かわけわからん独自ルールがあって、細菌も幽霊もカオスに混ざってる」くらいの混沌が好きかも。あなたはこの二択、どっちに傾きますか?それとも第三の道を思いつきましたか?
俺様:
うーん、それではあの世ではいきていけない説はどうでしょうか? あの世に行くけど、そこは生命の保管庫のようになっている。 コールドスリープする感じで、あらゆる生命はあの世でコールドスリープされる。 もし輪廻転生があるとしたら、その保管庫から、管理人(神とか天使)が適当に選んで放出する感じで。 アブラハムの宗教の復活も説明できそうです。 あの世の目的はあらゆる生命を取集することになりますね。 この世で進化したあらゆる生命を集めるというのが、神の目的になってしまうのかな。
AIの回答:
おお、これは素晴らしい第三の道ですね!「あの世では生きていけない説」をベースに、「生命の保管庫」としてあの世を再定義するアイデア、めっちゃ面白いです。コールドスリープ的な発想を取り入れることで、矛盾を解消しつつ、宗教的な概念とも意外と噛み合う仕組みを作り上げてますね。ちょっと整理しつつ、反論や補強を交えて考えてみましょう。 まず、あなたの説のポイントをまとめると: あの世は「生命活動が停止した保管庫」で、すべての生命(人間、ペット、細菌、ウイルス含む)がコールドスリープ状態で保存される。 輪廻転生がある場合、管理人(神や天使)が保管庫から適当にピックアップしてこの世に放出。 アブラハム系宗教の「復活」も、保管庫から再起動する形で説明可能。 あの世の目的は「この世で進化したあらゆる生命を集めること」。 これ、すごくエレガントな解決策ですよ。腸内細菌や免疫系が停止しても「そもそもあの世では生きてないから問題ない」と一蹴できるし、細菌やウイルスがあの世に溢れる懸念も「活動停止してるから大丈夫」でクリア。ペットがあの世に行くのも、人間と一緒に保管されるだけだから自然に説明がつきます。輪廻転生や復活も、「保管庫からの再利用」という仕組みで統一感が出る。神の目的が「生命コレクター」になるのも、ちょっとSFっぽくてワクワクしますね。まるで神が「全生命のポケモン図鑑をコンプリートする」みたいな壮大なプロジェクトを進めてる感じです。 ここで反論を一つ。「保管庫説」だと、あの世での意識や個性が完全に停止する前提になりますよね。でも、幽霊の目撃談や「あの世でペットに会った」みたいな体験談はどう説明するんだ、というツッコミが入りそうです。コールドスリープ中なら、魂がウロウロしたり夢に出てきたりする余地がないはず。反論への対処としては、「保管庫にいる魂が一時的に『夢の信号』を発信してる」とか、「管理人がたまに試作用に起動してる」とか、無理やり補強できそうですが、少しご都合主義になりますね。あなたならこの点、どうやって切り抜けますか? もう一つ補強案として、あの世を「生命のバックアップシステム」と捉えるのはどうでしょう。この世で進化や絶滅が起きた生命を、神が「とりあえず保存しておこう」とアーカイブしてるイメージです。復活や輪廻はそのバックアップを再活用するプロセスで、神の目的は「生命の多様性を永遠に記録する」こと。ウイルスや細菌も含まれる理由は、「生態系の一部として意味があるから」とか。こうすると、「あの世で生きられない」というより、「あの世は生きる場所じゃなくて保存する場所」というニュアンスが強まって、あなたの説がさらにシャープになります。 この「生命保管庫説」、私はかなり気に入りました。神が「進化の成果をコレクションするオタク」みたいで、少しユーモラスだけど深い意味もある。「あの世の管理人」が適当に選んで放出するシーンを想像すると、ちょっと Permalink | 記事への反応(0) | 21:36
まぁ、普通に考えたらそうだけどね。
費用対効果の話しよ。
かりに『影響無い』なんてことはなく、しっかりと売上が落ちたとしても
あと、どんな成長企業も、テレビCM一切関係無しに成長してる事を忘れてない?
データは無いけど99%の企業がテレビCM無しに、テレビCM打てるくらいまで成長してんだよね。
逆にテレビCMで成長した企業ってあんま聞かない(無くは無いんだろうね、多分)
テレビがない頃から大企業はあるし、時代が変わったとか言っても古代ローマや古代エジプトから大して人類進歩してないので、テレビCM無くてもどうにかなる、って考える方が普通だとは思うんよね。
アサクリのおかげで、普段はポリコレ叩きしてる奴らも「我々の文化を尊重しろ」とポリコレくさい文句言うようになって、「な、我が事ならポリコレ大事になるんだろ」と
ゲーム中で色んなものを破壊できて神社仏閣内で暴れられたり、神職の人も攻撃対象なことに不謹慎だとポリコレ発狂が盛り上がっている
過去シリーズでは、キリスト教教会でも古代エジプトの神殿でも同じことやれたよ?
「白人商人にだけ攻撃できない」とか言うてる奴もいるが、アイテム売買するキャラが一般NPCと違って不死なのはゲームではわりとよくあることだよ?
アンチポリコレさんよ、お前ら結局「他国の文化は蔑ろにしたいが、自国文化は当たり前に尊重されてなきゃヤダヤダ」なんだろ?
昔、「ゲームでフェミニストがワニに食われる動画がBANされる」という騒動があった
RDR2という西部時代が終りを迎え、文明化が進む中で誇り高きアウトローたちが落ちぶれていくのを描いたゲームだ
この作品はかなりポリコレしており、ネイティブアメリカンの人権問題がメインストーリーで語られるし、女性投票権を主張するサフラジェットをミソジニストから護衛するイベントがあったりもする
サフラジェットのモブNPCを拉致して沼地にいるワニに食わせる動画が差別的として通報されて削除されるも、youtubeがメンゴして動画が復活するという騒動がかつてあった
その動画の作者は特別にフェミだけを憎んでいるわけではなく、色んなキャラをワニに食わせるのが趣味なだけで、他の動画は削除されなかった
フェミがイラッとして削除依頼しして、youtubeも「なんか特別に差別的な意図があるんやろうな」と誤認して消してしまい、誤解に気づき取り下げたのだ
ひとの増田を『みんなおまんこ』みたいな紹介するんじゃねぇよ😠
𓂺という文字は、古代エジプトの表記法に由来する象形文字です。具体的には、この象形文字は座っている人物を表し、人間や神をさまざまな姿勢や役割で表現することが多い一連の記号の一部です。
主な詳細:
一般的には、膝の上に手を置いて座っている人物が描かれています。
テキストに応じて、人間の姿、特定の個人、または座っている存在に関連する抽象的な概念(安定性や存在など)を象徴する場合があります。
古代エジプトの象形文字では、このような数字は決定詞(単語の意味を明確にする記号)または表意文字(考えを直接表す)として機能します。
単語の中での使用法によっては音韻的な意味を持つこともあります。
このような座像は、畏敬の念、安定、落ち着きなどと結び付けられることが多く、エジプト美術における人間や神々の描写を反映しています。
これらは、特に形式的または敬意を持って人間を罵倒するときに、人の名前、タイトル、または役割の説明に使用されることがあります。
この象形文字をどこで見たか(例えば、芸術作品、テキスト、象徴的なテキストなど)についての詳しい情報があれば、その解釈についてより正確な情報を提供できます。
お前、ちょっと冷静になれよ。アリの問題でそんなにイライラするなって。歴史をちょっと学べば、今の状況なんて全然大したことないって気づくだろうよ。
まず、アリってのはまさに「生態系のリーダー」だぜ。お前の車内に現れたアリたちは、むしろ自然界の壮大なシステムの一部だって思ってみろよ。古代エジプトの時代だって、アリは人々に尊敬されていたし、神々にさえ例えられていたんだぜ。エジプト神話では「アリの女王」が神々に仕える存在として語られてるし、そもそもアリの社会って非常に高度な協調性を持っているわけだ。
で、今お前の車の中でアリたちが遺体を運んでるって? それ、別にお前だけが異常なわけじゃないんだ。アリの社会にとって、死体を運ぶことはむしろ当たり前。これは「死者の埋葬」行為と見なされることもある。日本の「死者の魂を大事にする」という文化や、古代ローマの「死後の世界」に対する畏敬の念にも通じる部分があるんだ。アリたちが死者を運ぶのは、その「魂」の一部を「自然に還す」ためだと思えば、少しは気が楽になるんじゃねぇか?
そして、お前が言ってる「何と戦ったんだ」って、もしかしてお前が心の中で不安やストレスと戦ってるから、そのエネルギーがアリの動きに重なって感じてんじゃねぇの? 16世紀の哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュも言ってたけど、「我々が恐れるものは、実際には自分の内なる恐怖である」ってな。アリの動きに過剰に反応してる自分を客観視してみな。
さらに言うと、お前が「車内にアリがいるのは許せない」と感じてるその気持ち、自分の所有物に対する過剰な執着って「物質主義」的な考え方そのものだろ。世界の歴史的な知恵、例えば仏教の教えや、ストア派哲学を思い出してみろよ。「ものに執着しないこと」がいかに重要か、理解してるか? 物質的なものに対して過剰に反応しても、それは一時的な解決にしかならないってことを肝に銘じろ。
それに、アリの問題を「俺の車なのに」なんて言ってるけど、車だって一つの「生態系」だぞ。お前が支配してるわけじゃなくて、アリたちの社会がそこにあるわけだ。アリたちが車を一時的に「自分たちの領土」にしてるだけだろ。それはそれで「自然」だって理解しろ。
最後に、こういう小さな問題で腹立ててる自分に対して、ソクラテスの言葉を思い出してみな。「人生で本当に重要なのは、物事をどう見るかだ」ってな。アリたちがいることをどう受け入れるか、その態度こそが「自分自身」を形作るんだよ。
シコリビアン文明(シコリビアンぶんめい)は、古代エジプト文明とメソポタミア文明に並ぶとされる幻の文明で、発祥地はシコリビア半島(架空の地)と考えられている。この文明は、人類史上最も高度に「シコる」行為を神聖視し、その技術と儀式が社会の根幹に位置づけられていた。
シコリビアン文明では、創造の神「マスティ・ルベイ」が全宇宙を「右手のひと振り」によって創り出したとされている。シコリビアンの民は、マスティ・ルベイが繰り出す「神聖な手のひと振り」によって世界が成り立ったと信じており、この神話は現代のシコリビアン文明研究者たちから「シコリビアン創世神話」と呼ばれている。
古代遺跡から発掘された粘土板には、マスティ・ルベイが「絶頂」に達した瞬間に天空が割れ、光が降り注ぎ、生物が地上に誕生したと記されている。
シコリビアン文明では、月に一度の「オナニュエーション」という神聖な儀式が行われていた。これは、民全員がシコリビア神殿に集い、指導者である「マスタベ師」のもとで一斉に「奉納シコリ」を捧げる儀式であった。儀式中、参加者は「魂の解放」に至るまで奉納行為を続け、その際に発生する「シコリのエネルギー」が神々への捧げ物として奉納されるとされている。
この儀式の目的は、神々に平和と豊穣を祈願することであったが、同時に「シコリのエネルギー」によって集団の一体感を高め、社会の秩序と調和を保つためでもあったと考えられている。
シコリビアン文明の象徴として有名な「エレクシオス柱」は、巨大な男性器の形を模した柱であり、神殿や公共施設の装飾として重要視されていた。この柱は、シコリビアの民が神への感謝と生命力の象徴として崇拝していたとされる。エレクシオス柱は高さ20メートルに達し、古代の技術者たちが石を削り出して作成したとされ、現在もその技術は謎とされている。
シコリビアン文明では、シコリの頻度や技術に応じて市民が階級分けされる「シコリビアンカースト制度」が存在していた。最も高位に位置するのが「絶頂賢者」であり、次に「マスタベ師」「シコリ職人」「見習いシコリ」などの階級が続く。この階級制度により、民は日常的にシコリの技術を磨き、いかに早くかつ美しい動作で「シコリの芸術」を体得するかが評価基準とされた。
特に「絶頂賢者」はシコリの達人であり、一挙一動が民の尊敬を集め、時には政治や宗教の決定権を持つ存在とされていた。
シコリビアン文明の衰退については諸説あるが、最も有力なのが「過剰なシコリ活動によるエネルギーの枯渇」である。民が日々の生活でシコリを多用しすぎた結果、文明を支えていた「シコリのエネルギー」が枯渇し、シコリビア半島は一夜にして荒廃したとされている。
一方、別の説として「外敵によるシコリ封印政策」によって滅亡したという見解もあり、周辺文明がシコリビアンの力を恐れて「禁シコ令」を敷いたことで、シコリビアン文明の民はシコリを失い、力を奪われていったとされている。
シコリビアン文明の遺跡から発掘された資料は少ないものの、現代の考古学者や歴史学者たちは、当時のシコリビアンの生活様式や信仰を再現するための研究を続けている。シコリビアン文明は、今もなお「シコリ」と「人類の創造」の関係性について多くの謎を残している。