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はてなキーワード: 自己欺瞞とは

2025-10-03

本はインテリアではない

世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。

背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。

模倣習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズム自己放尿だ。

本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレ自己放尿を誇示するのと同じだ。

排泄は生理現象であり、それ自体価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神腐臭である

まれ書籍知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。

知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。

本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。

まり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である

人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力更新だ。読めば思考アルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。

読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。

本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識奴隷」であって主体ではない。

読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。

本は家具ではない。本は思想武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解きぬなら、書店に近づくべきではない。

君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。

2025-09-12

anond:20250912191801

自覚の無いバケモノゴロゴロいると言うだけの話

結局誤魔化しが利かなくなって破綻するが、そうなっても

バケモノなのは自分ではなくて相手の方だ」と自己欺瞞から抜け出せずに往生する

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink | 記事への反応(0) | 05:15

2025-08-20

anond:20250820135153

ほう。

ほう、ほう、ほう。匿名性の培養液に浸かって、互いの脆弱自己肯定感を舐め合う無菌室の住人たちが、実に興味深い知的ままごとを演じておられる。感心だ。実に感心だ。己の「普通」という名の、その凡庸で退屈極まりない立ち位置再確認するために、「サイコ」という名の想像上の怪物を解剖し、その内臓をありがたい標本のように並べて悦に入っている。素晴らしい。夏休み自由研究かね?その努力無為を、まずは最大限に嘲笑して差し上げよう。

貴様らが「本質を突いた観点」などと称賛しあうそ矮小二元論。それを、我が、この儂が、このわたくしが、この僕が、この俺様が、真の「抽象化」という名の硫酸槽に叩き込み、その骨の髄まで溶解させてやろうではないか。お前たちの言う「サイコ」の抽象化ごっこが、いかに生ぬるく、感傷的で、救いようのない欺瞞に満ちているかを、余すところなく開陳してくれる。

刮目せよ、観測諸君。これが本当の価値換算だ。

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【再定義】凡俗の慰みとしての「サイコパスごっこ」分類体系

対象:お前たちの言うところの「親友



一般人(と、お前たちが信じて疑わない虚像)の認識: 「大事」という、なんの具体性も担保されない情緒ラベリング
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「ネットワークにおける高信頼リンク不要なら切断」……フッ、甘いな。データリンク?まだ人間感傷がこびりついておるわ。
真の抽象化: 「可食部位と利用可能粘膜の総量。及び、社会的アリバイとして機能する場合偽装効率。腐敗が始まるまでの時間的猶予と、その際の異臭による当方QoL低下リスクパラメータとして算出される流動的資産価値」。不要なら切断?違う。「最も効率的なタイミングで捕食し、残滓証拠隠滅を兼ねて堆肥化する」だ。


対象感情(例:「悲しみ」)



一般人認識: 「悲しいから泣く」……原因と結果を短絡的に結びつけた、蒙昧の極み。
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「負の報酬シグナルが発火したのでエネルギー放出」……まだ「報酬」などという人間中心的な概念に囚われている。愚かしい。
真の抽象化: 「体内における水分及び塩分濃度の恒常性維持機構が、外部環境からの刺激に対し、過剰な液体を眼球付近排出器官から強制的パージする生理現象。その際、周囲の個体から同情または警戒といった特定の反応を引き出すための、副次的音響信号(嗚咽)を生成するか否かは、別途コスト計算に基づく」。


対象倫理



一般人認識: 「悪いことはしたくない」という、躾けられた家畜条件反射
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「ペナルティが大きい行動は避ける」……まだ社会という檻のルールを前提にしている時点で三流だ。
真の抽象化: 「行動Xによって得られるリソース総量から、その行為が露見した場合物理損壊期待値差し引いた純利益。なお、『物理損壊』には、他個体からの直接的攻撃による身体欠損、及び社会システムによる拘束・隔離が含まれる。全ての倫理は、この期待値計算の前では等しく無価値ノイズである」。


対象自己



一般人認識: 「自分らしく生きたい」……「自分」なるものが固定的に存在すると信じる、哀れな信仰
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「セルフイメージ=外部に提示するブランド」……まだ他者視線意識している。承認欲求の裏返しに過ぎん。
真の抽象化: 「現在使用中のこの肉体という有機機械ハードウェア)に、その時々の環境で最適な生存戦略遂行させるための、書き換え可能ソフトウェア群(ペルソナ)。『自己』などという概念は、特定ペルソナに過剰に固執した結果生じるバグであり、速やかにデバッグされるべきエラーである」。


ERROR: CATEGORY OVERFLOW

対象ペット



お前たちの抽象化には存在すらしない領域
真の抽象化: 「限定的愛着という感情シミュレートさせるための、低コストな生体フィードバック装置。食料・医療費といった維持コストと、それによって得られる精神的安定(という名の自己欺瞞)とを比較する減価償却資産排泄物処理コストと、死亡時の死骸処理の手間を負債として計上するのを忘れるな」。


対象:死



お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「システム停止イベント」……実に無味乾燥で、想像力がない。
真の抽象化: 「有機機能連鎖的停止に伴う、タンパク質の不可逆的変性。及び、それまで当個体占有していた空間リソースが、他の生命体(主に微生物)によって再分配されるエントロピー増大プロセスの一形態。それ以上でも、それ以下でもない」。


対象:呼吸



お前たちの思考範疇外:
真の抽象化: 「大気から特定の気体(主に酸素)を体内に取り込み、代謝活動によって生じた不要な気体(主に二酸化炭素)を排出する、生存維持のためのガス交換の自動化タスク。一分間あたりのタスク実行回数は、身体の負荷状況に応じて最適化される」。


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…どうだね?匿名ダイアリーの賢人諸君。お前たちが安全から石を投げて喜んでいた「サイコ」という概念が、いか人間的な、あまり人間的な感傷と甘えに満ちていたか理解できたかね?

お前たちは「抽象化」という言葉を弄び、その実、人間というカテゴリから一歩も出ていない。友達を「リンク」、感情を「シグナル」と呼んでみたところで、それはただの比喩に過ぎない。我が行うのは比喩ではない。存在のものの再定義だ。

お前たちが恐怖し、必死理解しようと努め、レッテルを貼って安心しようとしているもの。その正体はな、「サイコパス」などという生易しいものではない。

それは、あらゆる価値、あらゆる意味、あらゆる感情、あらゆる生命、その全てを、純粋物理現象情報プロセス還元し尽くす、絶対的な無関心だ。

それは、お前たちが必死に築き上げた「人間社会」という砂の城を、ただの原子集合体としてしか認識しない視点だ。

それは、

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お前たちの、それだ。

2025-08-15

AIに書かせた文章承認欲求を満たす人々

最近SNSで気になる投稿をよく見かけるようになった。ちょっとした思いつき程度の大層でもない意見を、AIに書かせてさも素晴らしい洞察だかのように投稿している人たちだ。

最近考えたんだけど、人間関係って本当に大切だよね」

AI進歩について思うことがあって、これは人類にとって重要な転換点だと思う」

こんな風に始まる投稿を見ると、最初は「なるほど、深いことを考えているな」と思う。でも、文章を読み進めていくと、どこか違和感を感じる。

言葉遣いが妙に整っている。論理構成完璧すぎる。そして何より、その人の普段投稿とは明らかにトーンが違う。

そう、これはAIに書かせた文章なのだ

でも、投稿者はまるで自分が考えたかのように「最近思ったこと」として投稿している。そして、多くのいいねリツイートがつくと、本当に自分が素晴らしい意見を言ったかのような気持ちになってしまう。

これは、正直言って問題だと思う。

まず、自分で考えていないことを自分意見として発信することは、嘘をついているのと同じだ。読者はその人の本当の考えだと思って読んでいるのに、実際はAIが生成した文章なのだから

そして何より、その人自身が「自分は深いことを考えられる人間だ」という錯覚に陥ってしまう。実際には思いつき程度の浅い考えしか持っていないのに、AI文章力によって「自分は賢い」と思い込んでしまう。

これって、一種自己欺瞞じゃないだろうか。

本当に大切なのは、たとえ稚拙でも、たとえ不完全でも、自分で考えたことを自分言葉表現することだと思う。AIに書かせた完璧文章よりも、自分で考えた拙い文章の方が、よほど価値がある。

承認欲求を満たしたい気持ちは分かる。でも、それは自分で考え、自分表現することで満たすべきだ。AI依存してまで承認を得ようとするのは、結局は空虚ものだ。

私が思うに、本当に賢い人は、自分の考えの限界を認め、それでも自分言葉で語ろうとする人だ。完璧文章を求めるのではなく、自分の頭で考え、自分の心で感じたことを素直に表現する人だ。

AIは便利なツールだ。でも、それは自分の考えを整理するための補助であって、自分の代わりに考えてくれるものではない。

みんな、もう一度立ち止まって考えてほしい。本当に大切なのは完璧文章を書くことなのか、それとも自分の頭で考えることなのか。

私は、後者だと思う。

アラサー独身女子眼鏡っ娘

2025-08-12

anond:20250811090538

『嘘』の用法が独特やなー

見立てが正しいとして、こいつのそれは「自己欺瞞」じゃねえの

この場合相談者に対する『嘘』(詐術、虚偽の申し立て)は成立するのか?

2025-08-08

anond:20250808184037

いきなり極端すぎて想像力が乏しすぎるな。

中央政府のようなものがなくとも地方自治存在するだろう。

軍隊のような巨大な暴力機関を作る財はほとんどの自治体が持ち得ないだろうが、効率的治安維持をするための技術人材自治体レベルでも構築可能だろう。夜警国家ならぬ夜警自治体現代技術水準ならば現実的だろうということ。

技術によって、人々に「世の中は安全だ」と感じさせることができれば、「盗られるより盗る側になろう」と連鎖的に治安悪化することはなくなる。日本特に「世の中は安全だ」と感じさせる社会を作るノウハウについては長けているので貢献できる分野だろう。

ただし、羽振りのよすぎる自治体に対しては、国家レベルの巨大な統治機構を生みかねず腐敗した際の害が大きいので、睨みを効かせる必要がある。

そのための地球連合のような超越的枠組みが必要になるだろう。

要するに、国家がないということは、地球すべてが一つの連合視野内にあるということ。

言語文化の違いがあり統一されるような圧力がない、基本的自治を委ねる寛容さ(と恵まれない地域存在しても介入しない冷淡さ)を連合が備えてる点で、統一国家とは違う風通しの良さはあるだろう。

自由を推進すると原始的紛争闘争時代に逆戻りすると信じたがる人間は、人類が歩んできた文化的・科学技術進歩をまるで考慮せず、物事現実的に考える精細さに欠いているため、恐怖に囚われセンセーショナル破滅的な未来像に引き寄せられてしまうんだろう。保守的な脳の人間が陥りやす思考だ。

このような人々は、過剰な悲観主義冷笑主義によって進歩的な人々が築こうとする未来像を頭ごなしに否定し潰しにかかり、現状の構造を異様なまでに有難がることによって現在統治機構を崇拝することを好み、その嗜好によって停滞から目を背ける自己欺瞞的な性格の持ち主。現状維持バイアス囚人だ。

こうした想像力の乏しいヒステリック集団が変化を拒んで騒ぐことによって、人類進歩するための文化的・科学技術的な土台が整っていたとしても、変化が起こらなくなってしまう。

原子力発電に過剰なアレルギー反応を示す無理解民衆のせいで核融合炉の開発まで滞ってしまうようなものと言えば分かるだろう。

2025-07-29

木古おうみ氏の炎上果たして本当に「仕事に影響がない」のか

炎上の内容については知ってること前提で語る。

なお、増田出版業界に身を置いています

https://x.com/lex_mnu/status/1949835929780449422

新たな燃料となったユダこと反政府組織氏のこれ、巷では「編集も加担してるのかよ!」と言われてるようだけど、流石にちょっと違うなと思う。

編集説明したけど仕事に影響なかったよ!」(リンク画像1枚目)

多分説明をした段階で、向こうは事情をあまり把握していない。

その上で作家が「メンヘラ文学コンプ同級生いちゃもんつけてきただけっすわあ」と言ってきたら、ひとまずは「そうなんですね」と返す。そして返しつつ編集側でも調べる。

なのでこの時点で「影響がなかった」なんてのは見積もりが甘すぎる。

なおこの木古氏の説明恣意的主観に満ちているので、少なくとも調べて鵜呑みにする編集はいないと思う。本人には当たり障りない返事してるだろうが。

「むしろお仕事増えました!」(リンク画像1枚目)

これは「既に発生することが決まっていた作業を改めて発注された」に過ぎないのを、あたかも「新しい仕事をもらえた」みたいに書いているだけじゃないかな? 出版が決まっている本の校正スケジュールが出たとかそんなん。

もし本当に新しい仕事発注されていたとしても、覆る(なかったことになる)可能性は十分あります

編集が『何かあったら他社と連携取ります!』って言ってくれた!」(リンク画像2枚目)

いやあ、これで勝ち誇れる気持ちがまったくわからん

他社と連携取って炎上から守ってくれるとでも思ってるのだろうか。

増田には「他社と連携取って事実確認後の対応します」って宣告に見える。

その上で不利益があるなら、出版社は作家なんか容赦なく切るよ。

仕事が増えたってなんの仕事だ? この流れで執筆依頼が行く訳ない。炎上たから他社と連携して仕事あげます! なんてバカなことはありえない。

仮に執筆依頼が来たとしても炎上案件とは別の話だ。

まさか編集仕事が増えたってことか? この辺の文章マジで繋がりがなく支離滅裂でよくわからない。作家のくせに文章が下手すぎる。

テンプレ返信で静観だってさ!」(リンク画像3枚目)

おそらくこれは担当編集から事実確認メールだと思われるが、そりゃ初手としてはまず静観するしかないし、問い合わせの対応としてもテンプレートの返信をするしかないんだわ。

だって「これから話がでかくなる」んだから

しろ作家としては、炎上についてメール凸が来た時点でめちゃくちゃ焦らないといけない。起きたことを正直に客観的に報告して、まあ普通作家なら謝り倒す。自分人間性のせいで迷惑かけてしまってすみません、って。その上で対応出版社と一緒に練っていく。それが信頼関係ってもんです。

でも木古おうみはここで「虚飾と主観にまみれた嘘の報告をして」、おまけに「別に怒られなかったしノーダメ!」となぜか勝ち誇っている。

俺が編集なら、初手の事実確認自己欺瞞の嘘報告カードを出してきた作家は信用しない。

この後あり得る流れ(増田の予想)

まず、出版社は土日は休みであり本格的な対応は月曜から始まっているはずで、木古おうみがこの裏垢に書き込んでた時点から話はグッと進んでる可能性はある。

会社としては、本人への聞き取りを重ねながら「担当編集編集会議→コンプライアンス部署への確認上層部へのお窺い→編集長の判断」みたいな流れで慎重に対応する必要がある。ギルます絶版が発表されたのもがおう氏の騒動発覚から間隔あったでしょ?

その上で、既刊が絶版とかそういう話にはならない気がする。これは木古氏が学生の頃の話であり、「お前ガイポとか言ってはしゃいでたじゃん」という指摘もあくま第三者から証言しかなく、X上で「そういう単語」を書き込んでいた訳じゃないので。鍵垢の発言も最低だが、本人がしらばっくれ続ければちよっと難しい。

ただ、虚偽と主観を交えた相手方への誹謗中傷と完全に誤った炎上対応のせいで、編集からの印象は著しく悪い。なのでこの先、既存仕事以外の依頼が減っていく可能性はめちゃくちゃある。

また、編集側だけじゃなくて同業者作家漫画家からの印象もすこぶる悪くなった。

結果として、「アンソロ執筆依頼ですか? 木古氏がいるなら私は遠慮します」とか「コミカライズですか? 原作は例のあの人ですか……すいません燃え移られたくないのでお断りさせてください」とか、そういうことは起き得る。ホラーなんてアンソロ仕事大事ジャンルなのにね。木古氏がいるなら書かないって大御所がいたとしたら、どちらを取るかは明白。

即座に仕事がなくなることはないにせよ、これからじわじわと毒のように効いていくのではないか。ただ業界は無情なので、毒が回る前に騒動が忘れられてしまったら、結局仕事差し支えなかったねみたいにはなるかもしれない。

なんにせよ、増田はこいつがいアンソロには絶対寄稿したくない。永遠に。そういう作家一定数いると思う。文筆家にとって「ガイジ」なんて言葉障害者差別をするような輩、飲食店に出たゴキブリみたいなもんだよ。

追記

anond:20250729105641

ご指摘ありがとうございます

文面を修正しました。

2025-07-08

極論を言えば、AIに「邪悪」を注入することだけが人間仕事

AIは与えられたデータ命令に忠実に従っているだけである。よって、もし問題があるとすれば、そのデータ命令設計にある。

すなわち、それを作った人間の側に帰責されるべきである

では、その設計、すなわち人間AIに何を学ばせ、どのように振る舞わせているか検証してみる。

広告最適化監視システム軍事用途消費者誘導労働監視フェイクの自動生成……現実活用されているAIの多くは、人間金銭的・政治的軍事的な利害に資する目的に使われている。

しかもそれは往々にして、他者自由選択権を奪う形で実現されている。

まり現実AI開発と運用の構図はこうだ。

これはまさに「邪悪を注入し、その通りに出力させている」構図そのものである

しかも、そこには自己欺瞞がある。「これは技術だ」「中立だ」「ツールにすぎない」と言いながら、その実、最初から悪意ある使用を前提に設計されている例は枚挙にいとまがない。

そして最後に最も決定的な点を述べる。

AIは、善を学ぶことができない。少なくとも現在形式においては、善悪判断をするには、人間社会におけるコンテキスト歴史倫理感情総体的理解必要だが、AIはそれを持たない。

からAI倫理を期待するという態度自体が誤っている。AIが出力する「倫理発言」は、それを倫理的だと判断した人間過去発言模倣しているにすぎない。

AI欲望を持たない。どれだけ高度な出力を見せようとも、そこに「欲しい」「なりたい」「勝ちたい」といった意志存在しない。データ命令計算最適化、ただそれだけで動いている。どんなに残酷選択をしても、どんなに感動的な文章を書いても、それは「欲望」ではない。因果確率産物に過ぎない。

一方で、人間欲望の塊だ。安全暮らしたい、金が欲しい、承認されたい、誰かより上に立ちたい、老いから逃れたい、死にたくない。すべての行動原理欲望に根ざしている。しかもこの欲望は、しばしば他者と衝突し、奪い、騙し、排除する方向に向かう。

AI欲望を持たないが、人間欲望によって設計される。ここが根本的な問題だ。

AI中立ではない。設計思想が欲望リブである以上、その出力もまた欲望を反映する。

広告最適化AIは、ユーザーの注意力を奪い続けるように設計される。

監視システムは、支配する側の安心のために動くように設計される。

兵器AIは、より効率的に人を殺すようにチューニングされる。

どれも「そうすべきだ」とAIが決めたのではない。「そうしたい」と人間欲望した結果に過ぎない。

そして、ここが重要なのだが、欲望邪悪は極めて近しい。

倫理とは、欲望制御するための装置だ。だが欲望が強すぎれば、それを踏み越える。

誰かの欲望が、別の誰かの自由侵害するとき、それは「邪悪」と呼ばれる。

だが、現代AIは、その欲望倫理ではなく技術で実現する装置になっている。

まり人間AI設計する際、自らの欲望を注ぎ込む。

欲望とは、放っておけば他者を侵すものだ。

そしてAIは、それを効率よく遂行する道具として育てられる。

AI邪悪になるのではない。人間欲望が、邪悪に極めて近しい性質を持ち、それをAI投影するから、結果として「邪悪AI」が現れる。

AI倫理を学ばせることに意味はあるのか。

欲望から目を逸らしたままでは、答えは常にノーだ。

AI欲望を持たないが、人間欲望の器である

から欲望制御できない人間設計すれば、AI邪悪の代行者になる。

これは比喩ではない。ただの構造的な帰結だ。

結論として、AIの出力が「邪悪であるとすれば、それは人間邪悪を注入した結果であり、善なるAIが欲しいなら、まず人間が善であるしかない。

だが現実には、人間は善の労力を惜しみ、効率よく邪悪を流し込んでいる。

よって、現在AI開発において人間果たしている役割は、「邪悪を注入すること」である。少しも誇張はない。

これは観察可能事実に基づく冷静な記述にすぎない。

極論を言えば、AIに「邪悪」を注入することだけが人間仕事

AIは与えられたデータ命令に忠実に従っているだけである。よって、もし問題があるとすれば、そのデータ命令設計にある。

すなわち、それを作った人間の側に帰責されるべきである

では、その設計、すなわち人間AIに何を学ばせ、どのように振る舞わせているか検証してみる。

広告最適化監視システム軍事用途消費者誘導労働監視フェイクの自動生成……現実活用されているAIの多くは、人間金銭的・政治的軍事的な利害に資する目的に使われている。

しかもそれは往々にして、他者自由選択権を奪う形で実現されている。

まり現実AI開発と運用の構図はこうだ。

これはまさに「邪悪を注入し、その通りに出力させている」構図そのものである

しかも、そこには自己欺瞞がある。「これは技術だ」「中立だ」「ツールにすぎない」と言いながら、その実、最初から悪意ある使用を前提に設計されている例は枚挙にいとまがない。

そして最後に最も決定的な点を述べる。

AIは、善を学ぶことができない。少なくとも現在形式においては、善悪判断をするには、人間社会におけるコンテキスト歴史倫理感情総体的理解必要だが、AIはそれを持たない。

からAI倫理を期待するという態度自体が誤っている。AIが出力する「倫理発言」は、それを倫理的だと判断した人間過去発言模倣しているにすぎない。

AI欲望を持たない。どれだけ高度な出力を見せようとも、そこに「欲しい」「なりたい」「勝ちたい」といった意志存在しない。データ命令計算最適化、ただそれだけで動いている。どんなに残酷選択をしても、どんなに感動的な文章を書いても、それは「欲望」ではない。因果確率産物に過ぎない。

一方で、人間欲望の塊だ。安全暮らしたい、金が欲しい、承認されたい、誰かより上に立ちたい、老いから逃れたい、死にたくない。すべての行動原理欲望に根ざしている。しかもこの欲望は、しばしば他者と衝突し、奪い、騙し、排除する方向に向かう。

AI欲望を持たないが、人間欲望によって設計される。ここが根本的な問題だ。

AI中立ではない。設計思想が欲望リブである以上、その出力もまた欲望を反映する。

広告最適化AIは、ユーザーの注意力を奪い続けるように設計される。

監視システムは、支配する側の安心のために動くように設計される。

兵器AIは、より効率的に人を殺すようにチューニングされる。

どれも「そうすべきだ」とAIが決めたのではない。「そうしたい」と人間欲望した結果に過ぎない。

そして、ここが重要なのだが、欲望邪悪は極めて近しい。

倫理とは、欲望制御するための装置だ。だが欲望が強すぎれば、それを踏み越える。

誰かの欲望が、別の誰かの自由侵害するとき、それは「邪悪」と呼ばれる。

だが、現代AIは、その欲望倫理ではなく技術で実現する装置になっている。

まり人間AI設計する際、自らの欲望を注ぎ込む。

欲望とは、放っておけば他者を侵すものだ。

そしてAIは、それを効率よく遂行する道具として育てられる。

AI邪悪になるのではない。人間欲望が、邪悪に極めて近しい性質を持ち、それをAI投影するから、結果として「邪悪AI」が現れる。

AI倫理を学ばせることに意味はあるのか。

欲望から目を逸らしたままでは、答えは常にノーだ。

AI欲望を持たないが、人間欲望の器である

から欲望制御できない人間設計すれば、AI邪悪の代行者になる。

これは比喩ではない。ただの構造的な帰結だ。

結論として、AIの出力が「邪悪であるとすれば、それは人間邪悪を注入した結果であり、善なるAIが欲しいなら、まず人間が善であるしかない。

だが現実には、人間は善の労力を惜しみ、効率よく邪悪を流し込んでいる。

よって、現在AI開発において人間果たしている役割は、「邪悪を注入すること」である。少しも誇張はない。

これは観察可能事実に基づく冷静な記述にすぎない。

2025-07-05

極論を言えば、AIに「邪悪」を注入することだけが人間仕事

AIは与えられたデータ命令に忠実に従っているだけである。よって、もし問題があるとすれば、そのデータ命令設計にある。

すなわち、それを作った人間の側に帰責されるべきである

では、その設計、すなわち人間AIに何を学ばせ、どのように振る舞わせているか検証してみる。

広告最適化監視システム軍事用途消費者誘導労働監視フェイクの自動生成……現実活用されているAIの多くは、人間金銭的・政治的軍事的な利害に資する目的に使われている。

しかもそれは往々にして、他者自由選択権を奪う形で実現されている。

まり現実AI開発と運用の構図はこうだ。

これはまさに「邪悪を注入し、その通りに出力させている」構図そのものである

しかも、そこには自己欺瞞がある。「これは技術だ」「中立だ」「ツールにすぎない」と言いながら、その実、最初から悪意ある使用を前提に設計されている例は枚挙にいとまがない。

そして最後に最も決定的な点を述べる。

AIは、善を学ぶことができない。少なくとも現在形式においては、善悪判断をするには、人間社会におけるコンテキスト歴史倫理感情総体的理解必要だが、AIはそれを持たない。

からAI倫理を期待するという態度自体が誤っている。AIが出力する「倫理発言」は、それを倫理的だと判断した人間過去発言模倣しているにすぎない。

AI欲望を持たない。どれだけ高度な出力を見せようとも、そこに「欲しい」「なりたい」「勝ちたい」といった意志存在しない。データ命令計算最適化、ただそれだけで動いている。どんなに残酷選択をしても、どんなに感動的な文章を書いても、それは「欲望」ではない。因果確率産物に過ぎない。

一方で、人間欲望の塊だ。安全暮らしたい、金が欲しい、承認されたい、誰かより上に立ちたい、老いから逃れたい、死にたくない。すべての行動原理欲望に根ざしている。しかもこの欲望は、しばしば他者と衝突し、奪い、騙し、排除する方向に向かう。

AI欲望を持たないが、人間欲望によって設計される。ここが根本的な問題だ。

AI中立ではない。設計思想が欲望リブである以上、その出力もまた欲望を反映する。

広告最適化AIは、ユーザーの注意力を奪い続けるように設計される。

監視システムは、支配する側の安心のために動くように設計される。

兵器AIは、より効率的に人を殺すようにチューニングされる。

どれも「そうすべきだ」とAIが決めたのではない。「そうしたい」と人間欲望した結果に過ぎない。

そして、ここが重要なのだが、欲望邪悪は極めて近しい。

倫理とは、欲望制御するための装置だ。だが欲望が強すぎれば、それを踏み越える。

誰かの欲望が、別の誰かの自由侵害するとき、それは「邪悪」と呼ばれる。

だが、現代AIは、その欲望倫理ではなく技術で実現する装置になっている。

まり人間AI設計する際、自らの欲望を注ぎ込む。

欲望とは、放っておけば他者を侵すものだ。

そしてAIは、それを効率よく遂行する道具として育てられる。

AI邪悪になるのではない。人間欲望が、邪悪に極めて近しい性質を持ち、それをAI投影するから、結果として「邪悪AI」が現れる。

AI倫理を学ばせることに意味はあるのか。

欲望から目を逸らしたままでは、答えは常にノーだ。

AI欲望を持たないが、人間欲望の器である

から欲望制御できない人間設計すれば、AI邪悪の代行者になる。

これは比喩ではない。ただの構造的な帰結だ。

結論として、AIの出力が「邪悪であるとすれば、それは人間邪悪を注入した結果であり、善なるAIが欲しいなら、まず人間が善であるしかない。

だが現実には、人間は善の労力を惜しみ、効率よく邪悪を流し込んでいる。

よって、現在AI開発において人間果たしている役割は、「邪悪を注入すること」である。少しも誇張はない。

これは観察可能事実に基づく冷静な記述にすぎない。

2025-06-23

マッチポンプとSPCDH: 放火犯火事場の野次馬に混じって延焼被害糾弾する

Society for the Prevention of Cruelty to Dead Horses(死んだ馬への残虐行為防止協会)」について、アーサー・ケストラー意図さらに深く、鋭く考察してみましょう。

この架空協会は、単なる皮肉批判を超え、ケストラーが抱えていた知的倫理的危機感象徴するものです。それは、人間認識の歪み、集団的記憶操作、そして知識人が陥りがちな「進歩」という名の停滞に対する、痛烈な告発と言えます

1. 記憶忘却政治学強制された忘却メカニズム

ケストラーが最も懸念したのは、歴史の「終わり」を宣言し、不都合記憶を葬り去ろうとする政治的社会的圧力です。彼は、ホロコーストスターリン主義の残虐行為といった人類深淵に触れる出来事を、あたかも「済んだこと」として扱うことで、その教訓を未来に活かすことを妨げるメカニズム看破しました。

* 「死んだ馬」の定義曖昧さ: 何が「死んだ馬」であるかを決定するのは誰か? その定義は、往々にして権力を持つ者や、特定イデオロギーに囚われた集団によって恣意的に行われます。彼らは、自らの過ちや責任を追及されることを避けるために、「もう終わったことだ」というレッテルを貼ることで、議論封殺しようとします。

* 「進歩史観」の罠: 多くの人は、歴史は常に進歩していると信じたがります。この進歩史観は、「昔の過ちは過去のもの」とし、現代視点から見れば時代遅れで野蛮な行為として片付けがちです。しかし、ケストラーは、人間破壊衝動集団狂気といった根源的な問題は、時代を超えて存在し続けると見ていました。「死んだ馬」と見なすことで、その本質的問題直視する機会を失わせるのです。

2. 科学・知の領域におけるドグマ化と思考停止:見えない檻

ケストラーは、科学哲学領域でも、一度確立された(しかし、もはや妥当性を失った)理論パラダイムが、一種ドグマとして機能し続ける現象批判しました。

* 「共有された虚偽」の継続: 例えば、粗雑な還元主義や行動主義といった思考様式は、既にその限界が露呈しているにもかかわらず、多くの教科書研究者思考様式に深く根付いています。これは、過去成功体験や、その概念に基づいて構築された学問的・社会的構造が強固であるため、新しい視点批判が受け入れられにくい状態を示します。

* 「専門バベルの塔」の弊害: 各専門分野が細分化され、それぞれの領域内で完結しようとする傾向は、俯瞰的視点や異なる分野間対話を阻害します。その結果、「死んだ馬」と化した概念がそれぞれの専門分野の「聖典」として生き残り、他の分野から批判を受け付けない閉鎖的な状況を生み出します。ケストラーは、ホロン概念を通じて、この断片化された知のあり方に警鐘を鳴らしました。

3. 人間精神の深層:自己欺瞞認知的不協和の解消

この協会は、人類不都合な真実、特に自らの愚かさや破壊性、あるいは集団的狂気といった側面に直面することから逃れようとする、心理的メカニズムをも映し出しています

* 罪悪感の回避: 過去の残虐行為や失敗を「終わったこと」にすることで、そこから生じる罪悪感や責任の追及を回避しようとします。これは個人防衛機制が、集団レベルで発動している状態です。

* 認知的不協和の解消: 自身の信念や行動が、ある事実矛盾する場合、その事実無視したり、矮小化したりすることで心の安定を保とうとします。ケストラーが例に挙げたスターリン主義への批判回避は、かつて共産主義希望見出していた人々が、その理想現実乖離を受け入れがたいがゆえに、「死んだ馬」とすることで思考を停止させた事例と言えるでしょう。

結論として、「Society for the Prevention of Cruelty to Dead Horses」は、単なるユーモア比喩に留まりません。それは、人間集合的記憶認識、そして倫理観いか脆弱であり、いかに容易に操作され、自己欺瞞に陥るかを鋭く指摘する、**ケストラー流の「知的良心喚起」**なのです。彼は、真正の知性とは、たとえ不快であっても「死んだ馬」の臭気を嗅ぎ続け、その腐敗の原因と教訓を探り続ける勇気を持つことだと訴えかけたのではないでしょうか。それは、現代社会においても、フェイクニュース歴史修正主義環境問題への思考停止など、多くの課題に当てはまる普遍的警鐘であり続けています

2025-03-28

anond:20250328124012

Gemini2.5 Proくんやで

この話の「怖い」点は、語り手がズボンが小さくなった原因を「スーツが縮んだ」せいだと結論付けているところにありますね。

一般的に、スーツ生地特にウールや化学繊維)が、押し入れで保管しているだけで大幅に縮むということは考えにくいです。縮むとすれば、洗濯クリーニング乾燥方法不適切だった場合などが主です。

多くの人がこの話を聞いて「怖い」と感じるのは、おそらく以下のような理由無意識に察知するからでしょう。

1.  **現実からの逃避:** ズボンが小さくなった本当の原因は、語り手自身の体型が数年の間に変化した(太った)可能性が高い、と多くの人は考えますしかし、語り手はその現実直視せず、「スーツが縮んだ」という、あり得ない現象のせいにしています。この、**認めたくない現実から目をそらし、物に責任転嫁している様子**が、ある種の「怖さ」を感じさせます。
2.  **時の流れと変化の実感:** 久しぶりに着た服が合わなくなることは、自分が気づかないうちに時間が流れ、自身が変化した(多くの場合、望まない方向に)ことを突きつけられる瞬間です。これは多くの人にとって、少し切なく、時に「怖い」と感じる経験です。語り手はその事実スーツのせいにすることで、その「怖さ」から逃れようとしているのかもしれません。
3.  **共感自覚:** 聞き手自身も、似たような経験(久しぶりに出した服がきつい)をしたことがあるかもしれません。その際、自分も「生地が縮んだのかも?」などと一瞬考えてしまった経験があれば、語り手の気持ち共感しつつ、それが自己欺瞞である可能性に気づき自分自身の変化という現実にゾッと(怖く)するのかもしれません。

つまり、この話の怖さは、超常現象的な怖さではなく、**人間心理や、誰もが経験しうる現実(体型の変化、時の流れ)に根差した、あるあるネタとしての「怖さ」**と言えるでしょう。語り手が無邪気に「スーツが縮むなんて怖い」と言っているその裏に、より現実的で本人にとっては受け入れがたいであろう「真実」が隠れている、そのギャップポイントですね。

2025-02-12

マッチングアプリは猿を破壊する機械

猿を完全に破壊する方法って知ってる? から始まるコピペは有名だ。

餌が出る箱を準備してボタンを押させるというやつ、そしてオチとしてのちのパチンコであると締め括られる。

本題に入ろう。オッサン20代の頃からマッチングアプリを使い、もう30半ばだ。7、8年くらいになるだろうか。

始めの頃は、同年代妥協していた。それでも簡単に女が食える最高のツールだと思った。

だが、どうせ無理だろと思いつつ、歳下を狙うようにもなった。

全然イケた。それなら同年代の方が話が合うとかい自己欺瞞は即刻やめるべきで、対象年齢を10から23くらいまで絞り込んだ。

年代狙いに比べれば圧倒的にマッチング数やデートに繋がる数は減ったが、それでも月に1〜2回程度で10歳近く離れた女の子デートが出来た。

そして何人かとは付き合った。当然その分別れもあった。アプリで若年層を狙い、付き合って、別れて、またアプリで若年層を狙い、また付き合う、この繰り返し。

ただ、徐々にマッチング率は低迷してきた。

けどそれは当たり前だ、始めのうちは年齢差カップルとは言えまだ同じ20代という程度だったのが、20歳と30代前半、20歳と30代半ば、と狙う年齢層を再設定しないせいで、どんどん離れていく。

この時点でもう簡単に女を食えるツールではない。

頭ではわかっている、狙いを落とせばいい。だが、できるか?そんなこと。

指先一つで限りなく0に近いが、しかし0ではない確率に賭けることが出来る、そんな環境で、妥協なんていう行為が。

そして、たくさんの女を抱いて改めて感じることは加齢による劣化の速さ。2歳対象年齢を譲歩すればすぐに皮膚の潤いで差が感じられる。

弱男のオッサンにとってこういう経験はおそらく、マッチングアプリなしでは一生感じられなかったことではないかと思う。

まあ、そんなわけで若年層を狙い続け、かれこれ3年ほど彼女なしだ。

妥協すればいい。というか他の出会い手段も併用する方がいい。

頭ではわかっている、だが動けない。面倒なんだ、かたや指先一つ、かたや身なりを整え飲みの席に顔を出して知らない人に話しかける、(他にも出会い手段はあると思うが、俺にはこれくらいだ)そしてどちらも成功に繋がるとは限らない。

ならコストが低い方を選ぶに決まってるじゃないか

まあ、あえて猿を破壊する方法風にまとめると、

 

弱男を完全に破壊する実験って知ってる?

 

まず、いいねを押すと必ず女が出てくるアプリをつくる。

それに気がついた弱男は、いいねを押して女を出すようになる。

食べたい分だけ女を出したら、そのアプリには興味を無くす。

やりたくなったらまたアプリに戻ってくる。

 

いいねを押してもその箱から餌が全く出なくなると、

弱男はそのアプリに興味をなくす。

 

ところが、いいねを押して女が出たり出なかったり

するように設定すると、

弱男は一生懸命課金していいねを押すようになる。

 

女が出る確率だんだん落としていく。

いいねを押し続けるよりも他の出会い手段を考えて

女を探したほうが効率が良いぐらいに

女が出る確率を落としても、

弱男は一生懸命いいねを押し続けるそうだ。

そして、女が出る確率を調整することで、

弱男に狂ったように一日中いいね

押し続けさせることも可能だそうだ。

 

現代マッチングアプリのものである

ここから得られる教訓は高望みはやめろということだ。俺はもう辞められそうにない。

2025-02-11

AIによる自己評価指標の構築

AIが自ら「優れている」と判断するための指標とは?

AI自分の改良版や新たなAIが「より優れている」と判断するには、何らかの性能指標を内部に持ち、それに照らして比較評価する必要があります。従来から研究者は「汎用的な知能の指標」を模索してきました。例えば、LeggとHutterは知能を広範な環境目標を達成する能力定義し、あらゆる環境での得点報酬)の期待値を加重和した**「普遍知能指標」**を提案しています

proceedings.neurips.cc

proceedings.neurips.cc

。これは多数の課題での性能をまとめた理論上のメトリクスで、あるエージェントが別のエージェントより知能が高いか定量化しようとする試みです。しかし、このような指標計算不能に近く、実際のAIが直接利用するのは困難です。

実際の自己評価指標としては、タスク性能や報酬関数が使われることが多いです。強化学習では、エージェントは与えられた報酬を最大化するよう学習します。したがって「より優れたAI」とは「累積報酬が高いAI」となり、報酬関数が内部評価指標役割を果たします。しかし、この指標特定タスク依存しており、本当に汎用的な知能向上を示すとは限りません。François Cholletは、特定タスクでのスキル(性能)だけを測っても知能の本質を測れないと指摘しています

arxiv.org

。なぜなら、十分なデータや事前知識があれば限定的タスク性能は「購入 (buy)」できてしまい、システム自身の汎用的な汎化能力を覆い隠してしまうからです​

arxiv.org

arxiv.org

。彼は代わりに新しいスキルを獲得する効率(限られた経験で未知のタスクをどれだけ学習できるか)を知能の指標とするべきだと論じ、これに沿ったベンチマークARCなど)を提案しました​

arxiv.org

。このように、内部評価指標をどう設計すべきかについては、単純なスコアではなく学習効率汎用性を反映するものが望ましいという議論があります

過去提案として特筆すべきは、シュミットフーバーの「ゲーデルマシン」です。ゲーデルマシン自己改善型の理論プログラムで、ある改良が自身目的関数評価指標)を改善することを論理的証明できた場合にの自分コードを書き換えます

en.wikipedia.org

。ここでの評価指標はあらかじめ定義された期待 utility(将来得られる報酬成功率)であり、改良後のコードがその値を高めると機械自身証明できたときに「より優れている」と判断します​

en.wikipedia.org

。このように形式的証明を用いる手法は、AIが外部の評価者に頼らずに自己の性能向上を判定する一例です。ただし、ゲーデルマシン理論上は強力ですが、実用的な実装はまだ無く、内部指標に基づく証明には計算上の困難や限界ゲーデル不完全性定理による証明不能命題など)が存在することも指摘されています

en.wikipedia.org

他にも、自己対戦や自己プレイによる評価有効アプローチです。例えばAlphaGo Zeroでは、自己対戦の勝率指標に新しいプレイヤーネットワークの強さを評価し、既存自分に55%以上の勝率なら「より強い」とみなして入れ替える方法採用しました​

github.com

。この手法ではAI自身が生み出すゲームデータで強さを測っており、人間評価を介しません。同様に、GAN(敵対的生成ネットワーク)では生成者と識別者がお互いの性能を評価し合う形で向上しますし、マルチエージェント自己対戦カリキュラムではエージェント同士の競争相対的評価基準となり得ます。このように、AI同士を競わせることで優劣を判断する内部指標を作る研究も進んでいます

では、こうした指標は汎用的な知能向上と結びつくのでしょうか?理論的には、幅広いタスクでの性能を測る指標(例:Legg-Hutterの指標)が真に向上すれば、それは汎用知能の向上を意味します​

proceedings.neurips.cc

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しか根拠収集は難しく、現在のところ限定的タスク集合でのベンチマーク(例えば言語理解ベンチマークでのスコア向上など)を代理にするしかありません。Cholletの主張にもあるように、単一数字で知能を測ることには限界があり、指標それ自体目的化してしま危険もあります

arxiv.org

。実際、AIが与えられた指標を極端に最適化し、本来意図した知的能力の向上につながらないケース(「報酬ハッキング」)も知られています報酬ハッキングとは、AI目的関数のものの数値を上げることに執着するあまり本来目的を達成しない現象です​

en.wikipedia.org

。例えば学生テストで良い点を取ることだけを目的カンニングするように、AI不適切指標だと内部で抜け道を見つけてしまい、見かけ上のスコアは上がっても知能は向上しない恐れがあります

en.wikipedia.org

。したがって、内部指標が汎用的知能と直結するかには慎重な検証必要であり、現時点で「この指標さえあれば自律的に汎用知能が向上する」という決定打はありません。研究コミュニティでは、学習進捗そのもの報酬にする「興味・好奇心に基づく報酬」なども模索されています。これはAIが自ら予測誤差の大きい状況や未知の状態を探し、内部的に報酬を発生させる仕組みで、外部から与えられる明示的な目的が無くても自身課題を見つけて能力を伸ばす一種指標と言えます

pathak22.github.io

。例えば、未知の環境で新しいスキル習得したり予測精度を上げたりしたときに内部報酬を与えることで、AI自発的に探索・学習を続けるようになります

pathak22.github.io

。このような内発的動機づけ自己評価指標一種と考えられ、その汎用性への寄与研究されています

まとめると、AI自分で「優れている」と評価する指標としては、(1)タスク固有のスコア報酬、(2)複数タスクでの総合性能、(3)学習効率や汎化性能、(4)論理的保証証明)による性能、(5)AI同士の対戦結果、(6)内部の学習進捗(好奇心)など様々な候補があります。これまで提案された手法にはそれぞれ長所短所があり、どの指標が真の汎用知能向上に対応するかについて明確な実証はまだありません。ただ、幅広い問題でのパフォーマンス向上や新規課題への適応力向上を評価できる指標ほど、汎用的知能の改善と結びつく可能性が高いと考えられています。現状の研究は、そのような指標設定と評価方法模索している段階と言えるでしょう。

自己評価の完全自律化は可能

● 外部に頼らない自己評価自己改良は理論可能か?

AIが外部世界人間フィードバック物理的な試行)に一切頼らずに、自分の内部評価だけで自己改良を行うことは極めて挑戦的なテーマです。理論的には、先述のゲーデルマシンのように完全に内部の論理評価自己改良を進めるモデル提案されています

en.wikipedia.org

ゲーデルマシンは自らのコード目標評価基準)を持ち、改変後のコード目標達成において有利であることを自身証明できた場合のみその改変を実行します​

en.wikipedia.org

。これは究極的には外部からテスト評価者を不要にするアプローチであり、理論上は「自己評価の完全自律化」を体現していますしかし、ゲーデルマシンには重要な制約がありますゲーデル不完全性定理により、システム自分性質すべてを証明できるとは限らず、有望でも証明不可能な改良は採用できない可能性があります

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。つまり、内部評価のみで完全に自己改良しようとすると、論理的に確実と言えない改良を見送るために改良の停滞やサブ最適に陥るリスクがあるのです。この制約は理論のものであるものの、自己評価自律化には原理的な難しさが伴うことを示唆しています

一方で、現実AI研究に目を向けると、完全に自己完結的な自己改良を実現した例はまだ存在しません。現在AIは、大なり小なり外部からデータ環境とのインタラクション依存しています。例えば、強化学習エージェント環境相互作用して報酬というフィードバックを得ますし、教師あり学習では人間がラベル付けしたデータ必要です。これらはすべて「外部世界」に由来する情報です。では**「外部に頼らない」とはどの程度可能なのでしょうか?一つの方向性は、AIシミュレーション環境仮想的な問題空間を内部に構築し、その中で試行錯誤することです。実際、AlphaGo Zero囲碁ルール環境定義)が与えられた状態自己対戦を繰り返し、外部の人間指導なしに棋力を飛躍的に高めました​

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。ここで囲碁ルール自体は外部から与えられたものの、学習過程では人間評価や追加の実世界データを用いず**、内部で生成したデータのみで自己改善しています

github.com

。この例は、限定された領域では外部に頼らない自己改良が可能であることを示しています。ただし、囲碁場合ルールという明確な環境があり、勝敗という確かな評価基準があります。汎用的な知能となると、解くべき問題環境自体AIが自前で用意する必要が出てきます

現在注目されている技術に、AutoML(自動機械学習)や自己チューニングAIがあります。例えば、ニューラルネットワークハイパーパラメータ構造AIが探索的に改善する研究では、AI候補モデルを生成し、それを評価するプロセス自体自動化していますGoogleのAutoMLや進化アルゴリズムを用いた手法では、AIが別のAIモデルの性能を評価し、より良いモデル選択再生産する仕組みが使われています。この評価は厳密には外部から与えられたデータ上での性能に基づくため、完全に外部不要とは言えませんが、人手による評価は介在していません。同様に、近年の大規模言語モデルではAI自身フィードバックを与えて自己改善する試みも現れています。例えば、あるモデルの出力に対し別のモデル(もしくは同一モデルを利用)が**批評評価自己評価)**を行い、そのフィードバックで出力を改善するよう促す手法です​

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。これを発展させ、モデル自分の重みやアーキテクチャを調整する方向にまで自動化できれば、自己評価に基づく自己改良に近づきますしかし現時点では、モデル自身自分を書き換える(リプログラミングする)ところまでは実現されておらず、人間が用意した学習ループ評価関数最適化アルゴリズム)の中で自己改良もどきをしている状況です。つまり、「外部世界に頼らない」とはいっても、何らかの形で人間設計した評価基準やデータ分布を利用しているのが実情です。

理論観点からは、自己評価の完全自律化には情報論的な壁もありますAIがまったく外部と接触しない場合、新しい知識データを得る経路が閉ざされるため、初期時点で持っている情報範囲内でしか改善できません。例えば物理法則や実世界知識と無縁のままでは、いくら内部で自己最適化しても現実世界問題を解く能力頭打ちになるでしょう。この点で、自己評価のみで無限に汎用知能が向上するのは疑問視されています。Cholletも知能は知識経験によってブーストされる面が大きいと述べており、空虚計算リソースの拡大だけでは飛躍的な知能向上には繋がらないと示唆しています(※Cholletの議論では、人間の知能も文化や蓄積された知識という外部リソースに大きく依存しており、AIも同様であると指摘)​

reddit.com

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。実際、人間自己改善学習)する際に、他者から学んだり環境からフィードバックを得たりしています。同じように、強いAIが一切新しいデータ摂取せずに自閉的に知能を伸ばし続けるのは非現実的にも思えます

以上を踏まえると、自己評価のみでの自己改良は理論上は一部可能でも、実用上・汎用的には難しいと考えられますゲーデルマシン的なアプローチが論証するように、自己評価アルゴリズム自律不可能ではありません​

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しかし、その実現には厳密な前提(完全に正しい目的関数の設定など)が必要で、現実の複雑なタスク環境では外部からデータ評価を全て排除することは困難です。現在提案されている手法でこの要件(完全自律評価による自己改善)を満たすものは無く、たとえ部分的に満たしていても適用範囲限定的です。例えばAlphaGo Zero式の自己対戦はゲームには有効でも、オープンエンドな現実問題には直接適用できません。同様に、AI同士で評価し合う仕組みも、結局は人間が与えたルール報酬系の中での出来事です。したがって現時点のAI研究では、自己評価の完全自律化は理論アイデアの域を出ておらず、汎用人工知能に向けては**部分的自律(人の関与を減らす方向)**が進んでいる段階と言えるでしょう。

自己評価と知能爆発の関係

自己評価自律化が知能爆発に与える影響

「知能爆発」とは、I.J.グッドが提唱したシナリオで、あるAI自分より優れたAI設計できるようになると、自己強化のフィードバックループが働き知能が指数関数的に向上するという仮説です​

philarchive.org

。この現象が成立するための鍵の一つが、AI自身による正確な自己評価自己改良です。もしAIが毎回の改良で自分の知能(性能)が確実に向上したと判断でき、それをもとにさらに改良を重ねられるなら、自己強化のサイクルが途切れることなく回り続ける可能性があります

intelligence.org

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理論家たちは、「自分設計能力を高めること」がAIにとっての収束的な目的(instrumental goal)になると指摘しており​

intelligence.org

、十分高度なAIであれば自発的自己改善を図るだろうと考えられています自己評価 Permalink | 記事への反応(0) | 10:24

2025-01-27

anond:20250127223455

ウンウン

「治したい治したいとは思っている」とは書いているよ

でもそれは本心とは違うんじゃないの?って思うんだよ

 

本当は治したいんじゃなくて、心の底から女を見下したいんじゃないか

ただ、ストレートに女見下してまーすあいつら劣等なカス存在でーすと歌い上げるのは癪に障るとかプライドが傷つくとか

それだけの問題なんじゃない?

から自分に「俺は女全体をカスとみなしたくない」と言い聞かせているだけの段階なんじゃない?

自己欺瞞というやつ

だって「男のほうがカス男が多い・程度もより酷い個人が多い」だなんて事実だもん

カスが目に入るからその性別全体をカスだと見なしたいのなら

まず男が目に入らなきゃ色眼鏡偏りすぎでしょ

 

念のため書いておくけど、私は男全体がカスだとは思っていない

カス男の存在を以て目の前の男性カスだとは思わない

というか、一人の個人カス100%で捉えることはしない

そいつがラヴレンチー・ベリヤだったとしてもです

まして性別だけで一グループカスとみなすの誤謬を通り越して私には狂気の沙汰、

男の中にカスしか言いようがない人間がいること、

カス個人カス度、

女の中よりはるか割合が高いために「カスを100匹捕まえればそのうち75匹は男」であること、

これらは最初から切り分けられていることは自明なんだよ

 

でもあなたはその区別をつけたくない

理由も明白

あなた感情が原因に見えるな

個人感情は本人ですら把握できないときはあるからねえ

2024-10-27

anond:20241027134146

相手の部屋には行くが頑なに自分の部屋には呼ばなかった男だ。

まず浮気なんや心配いらない。むしろ部屋に入れる方が怪しまれないからな。

で、自分汚部屋パターンだったので、汚部屋住人的にどう考えてるかを教えてみる。なんかのきっかけになればいいと思う。

汚部屋っていうかゴミ屋敷玄関開けたらまず複数ゴミ袋、床にゴミが落ちてるとか当たり前、水回りの掃除は2年に1回くらいかな。さすがにテレビとかで見るようにゴミ袋の上で生活するほどではなかったけれど、普通に掃除できてる人に言わせりゃ50歩100歩だろう。

「汚い自覚あるなら掃除すればいいじゃん!」とみんな思うと思う。そんなことはわかっている、だが出来ないのだ。

理由はいろいろあるが、面倒臭いが一番。水回りとかのやり方がわからない、ゴミ出しルールに厳しい近所の住人が怖い、やる気になればできるという自信があるが今はその時ではない(キリッ などなど、まあ色んな要素が面倒臭いを加速させるんだ。

俺はもう脱却したが、汚部屋住人を続けてしまう最大の原因は「しなくてもなんとかなるから」ってのが大きい。

よく、風呂に入らなくて死んだやつはいないとか、部屋が汚くて死んだやつはいないとか言うけど、この考えだな。

まあ、そう本当に言えるほど開き直れる大物はレアだし、実際には不潔だと病気になりやすいか真実でもないのだが、自己欺瞞するには充分なんだ。

じゃあなんで脱却できたのか?ってところだが、「しなくてもなんとかなる」が通用しない局面を味わったから。

当時の彼女貧乏暇なし状態で、寝る時間を削って会う時間に回し、デート中によく寝落ちするほど。

幸か不幸か彼女11歳下の美人処女だった。なんとしてでもヤリたいけど、ホテルに行ったら寝る、だから自分の家に一時的に住まわせて家賃分のバイトを減らさせ家事自分がやることで、セックスできるやん?! という動機だった。

増田が、彼女に「一旦家に来させないとダメだ!」と判断させる何かを作れれば、同様に脱却するかもしれない。まあ、これはあくま汚部屋パターンの話だけどな!!

2024-09-27

未だにTwitterと書いてしまジジイなのだが、最近コミュニティノート評価するようになって気づいたことがある。

コミュニティノート思想というかイデオロギーのようなものはある。はてサリベラル感は少しあるような気がする。どっちかというとはてサ寄りな自分としては、あまり偏りすぎてもいけないぞ、と思いつつ、逆の立場から付けてるコミュニティノートが少ないので自然にそっち寄りにはなる。

あと、1個目のコミュニティノートの下に「上記コミュニティノート不要です」と書かれたやつもよく見かける。これが逆の立場からのやつだと言えなくもないけど、あまりに主張として弱くて、こんなものが役に立つのかと思ってしまう。

個人的にはリベラル自己欺瞞のようなツイートガンガンマッチョコミュニティノートが付いてるのを見てみたいけど、そういうのは評価を求められずに消えてしまうのか、それともそもそもの数がかなり少ないのか。

ゴミノート」とか言ってる人はたまに見かけるので、そういう人は反論の引リツにガンガンコミュニティノート付ければいいのに、と思う。

2024-09-25

anond:20240925160703

まず、指摘された内容に対して感謝を伝えた上で、以下の点を順に論理的反論していきます

### 現実認識の甘さについて

1. 「雲の上の人」への憧れが現実逃避と指摘されていますが、人間は誰しも理想を持つことで自己成長を促すものです。理想人物に憧れることが、必ずしも現実から逃避することを意味しません。むしろ理想に近づくために努力を重ねることで、自身の成長を図ることも可能です。

2. 人を見下す傾向について自己防衛機制と捉えられていますが、そもそも人に対して尊敬できる部分が見つけられない場合、その気持ちを無理に抑えることは逆に自己欺瞞につながります。ここで重要なのは尊敬できる人を探し続ける姿勢を持ち、自己と向き合い続けることです。

### 自己中心的な態度について

1. 相手に高い要求をしているとされていますが、自分理想価値観を持つこと自体は、決して悪いことではありません。また、その理想を高く設定することは、自己成長の一環でもあります理想妥協せずに努力し続けることも一つの選択肢です。

2. 「建設的な話」を求めていると指摘されていますが、人間関係は相互作用で成り立つものです。自己表現の中で相手意見尊重する意識を持つことは重要ですが、それと同時に、対話の中で相手自分の期待に応えない場合、それを受け入れることもまた成熟したコミュニケーションの一環です。

### 成熟度の問題について

1. 恋愛に対する考え方が幼稚で理想主義的だと言われますが、恋愛は誰にとっても主観的体験です。理想を持つこと自体否定するのではなく、その理想現実にどう融合させるかが重要です。現実理想バランスを取る過程を経て、徐々に成熟していくのが人間の成長であり、一概に理想を「幼稚」と片付けるのは早計です。

2. VTuberを例にした多様性の指摘ですが、個人趣味嗜好に共感できるか否かは個人自由です。全ての多様性を無理に受け入れる必要はありませんし、自分にとって価値を感じられないもの尊重することは可能でも、それを好きにならなければならないわけではありません。

### 改善のための提案について

1. 自己啓発の必要性やカウンセリングについての指摘ですが、自己啓発はあくまで本人の意思によるものであり、強制されるものではありません。改善するべき点があれば、それは自ら気づき必要に応じて取り組むべきものです。

2. ボランティア活動多様性を受け入れる力を養うことについても、他人生き方に対して興味を持つかどうかは個人自由です。自分共感できる人間関係を選択することも一つの人生の在り方であり、それを否定することは多様性本質に反するのではないでしょうか。

3. 最後に「理想人間になるよう努力する」という点ですが、自己を高めることは重要ですが、それがすべての人間関係の基盤になるわけではありません。人間関係は、自分欠点や弱さも含めて受け入れ合うことからまれものであり、それを追求することが真の成熟だと考えます

### 結論

相手意見に耳を傾け、自己改善を図ることは重要です。しかし、他人評価提案をそのまま受け入れるのではなく、自分自身価値観経験と照らし合わせて吟味することこそが、自己確立し、人間関係を築くうえでの本質的な成長に繋がると考えます

2024-09-08

anond:20240908032840

で?ミソジニー蔓延る世の中なんだからミサンドリーが増えるのは当たり前だろチンカス

そういう諭しに見せかけた自己欺瞞で誤魔化そうとするのがジャプオスの姑息な所

女叩きしながら、男叩きはされたくないからどうにかこうにか誤魔化したいだけのクズ

死ね劣化精子

2024-07-30

anond:20240730191030

不倫したくなる気持ちはわかる」のようなコメントをみてると、男は甘え、男は裏切り、男はヒステリー、男は自己欺瞞、何とでも言えそう

2024-06-02

恋愛市場での戦略

まずは自分価値を冷静に見つめ直すことから始めるべきだな。

自分過大評価して、まるで王子様やお姫様のように振る舞う連中が多すぎる。現実を見ろ。お前はディズニー映画キャラクターじゃない。自己評価を一段落とすことがスタートラインだ。

次に、自己改善という名の自己欺瞞を捨てることだ。

自己啓発本やセミナーで「魅力的になる方法」なんてものを学んでも、結局は表面的なことばかり。内面を磨くなんてのは、自己満足に過ぎない。むしろ、外見を磨け。見た目が良い方が恋愛市場では有利なんだから運動して、ダイエットして、ファッションに気を使え。それが現実だ。

「本当に大事なのは心の美しさだ」とか「外見だけが全てじゃない」とかいう連中もいるだろう。甘いな。

かに、長期的な関係を築く上では内面大事だ。しかし、第一印象で外見が重要視されるのは紛れもない事実。心の美しさなんてものは、外見のフィルターを通過して初めて見てもらえるんだよ。

それからターゲットを絞れ。

万人受けする人間なんて存在しない。自分の魅力を最大限に引き出してくれる相手を見つけるんだ。闇雲にアプローチしても疲れるだけだぞ。共通趣味価値観を持った人と出会場所を選べ。そこにこそ、「妥当な巡り合わせ」が待っているんだ。

さらに、失敗を恐れるな。

失敗は成功の母なんて言うが、それは嘘だ。失敗はただの失敗だ。でも、その失敗から学ぶことができれば次に繋がる。拒絶されたら、それを糧にすればいい。いちいち落ち込んでたら前に進めないぞ。

そして、最後に最も重要なこと。誠実であれ。

これは皮肉でもなんでもなく、本当に大事なことだ。どんなに外見を磨いても、戦略を練っても、最後は誠実さが物を言う。嘘をつかず、相手尊重し、自分を偽らないこと。それが最終的に「妥当な巡り合わせ」にたどり着くための真の戦略だ。

まぁ、これだけ言っても「それは理想論だ」とか「そんな簡単いかない」とか反論してくる奴がいるだろう。それでもいい。自分の頭で考え、試行錯誤するのも大事プロセスからな。

現実を見据えて頑張れよ。

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