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はてなキーワード: 入り待ちとは

2025-10-10

戦隊俳優追ってた頃の資金源の思い出

https://note.com/13weekslaterep/n/n72ae8c35be59

めりぴょん/山野萌絵

2025年10月9日 18:10

 はてなブックマーク、たくさんのコメントありがとうございます。あまりにも「資金源は?」と聞かれまくるので、当時のことを振り返ってみよう。

 オタクを始めた頃の16歳にやっていたのはコンビニ派遣とコンカフェバイト……だったが、店長経営適当すぎて給料未払いが続出し、呆れて退職。ちなみに、エキストラに行く謎のコネを作ったのはこのコンカフェである

 当時はJKビジネス全盛期。まだ法整備が追いついておらず、女子高生でも18歳になっていたらリフレで働けたのだ。

 というわけで割とお世話になったのが大久保雑居ビルにある「C」。親が元々デザイン系で働いていたので、パソコンソフト悪用架空通信制高校学生証を作って18歳として働いていた。有印私文書偽造公訴時効は5年なのでもう良いであろう。

 掛け持ちで鍋屋のホールバイトもしていた。今でも鍋につみれを入れるのは得意だ。一度鍋のつゆにスプーンをくぐらせてからつみれを丸めて入れるのがコツである。何の役にも立っていないが。

 年末年始郵便局年賀状ハガキ仕分けバイトもした。早朝シフトだったので、朝から年賀状ハガキ仕分け昼過ぎからリフレに、なんて日もあった。

 「C」出会ったのが若手俳優界隈ではもはや半ば都市伝説と化している、テニミュ俳優・Z(後に彼女とお風呂に入っているツーショット流出し、地獄バスツアーを開催したことで有名)のオタクのHちゃん有名人である

 Hちゃんがある日体入で連れてきたのがこれも古のテニミュを知る人には有名人であろう、2nd四天宝寺・AのオタクだったKちゃんとSのオタクだったSちゃん。二人は「若手俳優と繋がってそれをフライデーに売った」という伝説を持つらしく、俳優オタクであることを告げると「すぐ繋がれるよ!出待ちとかしないの!?」と言われ、黒糧(若手俳優オタクオタク悪口を書き合うパスつき掲示板)のURLパスまで教えてもらった。古のテニモンを知る人には「黒糧を教えてもらったのがKちゃん」と言うと大ウケする。鉄板トークだ。

 しか規制が厳しくなり、18歳でも高校に在学しているとリフレで働けなくなったため、「C」は閉店。当時はリフレにも「オーバー店」と「アンダー店」というものがあり、オーバー店は18歳以上を雇用。アンダー店は摘発覚悟で18歳未満を雇用していた。

 「C」が閉店したので、なぜかまだ18歳を雇っていた池袋東口の「E」というJKメンエス(?)で働きながら試行錯誤。一時期高田馬場事務所があったライブチャットをやってみたりもした。「E」はなぜか内勤がキングレコードavex所属していたことのある現役V系バンドマンだった。ちなみにベース。噂を聞きつけたバンギャがやたらと多かったが、「薄桜鬼藤堂平助の夢女をしているMちゃんとは仲が良かった。「はなの舞コラボのせいで味噌汁7杯飲んだ」などのオタク面白話をしていた。Mちゃんイオンモールで開かれた横浜くんの電動自転車試乗イベントの整番引きにまで来てくれた。10年経っても感謝している。まだ平助くんのこと好きですか?

 しばらくののち、池袋西口にあったアンダーお散歩店「G」に飛び込むことになる。結局1年以上お世話になった。のちに店長が店の女の子に手を出して未成年淫行逮捕され、全国報道されてテレビの潜入特集までされることになった店だ。ちなみに私は店長に「もっと稼ぎたいなら俺が相手してあげようか?」といきなり初日に言われたが、「身体関係を持った人と一緒に仕事するのは気まずいので……」と断って難を逃れている。

 「C」にいたHちゃんとはGロッソ5期公演中に水道橋駅の改札前で再会。ヒーローショーは最初の回が朝9時半開演なのだが、TDCテニミュが開かれており、改札が入り待ちだらけだった。超有名人のHちゃんと話しているだけでオタクから視線が痛かったのは言うまでもない。Hちゃんは私が誰推しなのかに興味がなかったらしく、「志尊だっけ?」とか聞いてきた。Hちゃんは今でも友達である。たまに飲む。

 「G」では源氏名をどうしようか悩み、当時普通にちょっとハマっていた「獣電戦隊キョウリュウジャー」立風館ソウジ(特撮の中で三番目に好きなキャラ。ちなみに二番目は「仮面ライダージオウ」ウールくんであるから取って「ふうか」とした。はるか後にジャニーズJr.に出戻り、刀ミュにハマって前列ガッツになって以降、由来も忘れて定番源氏名になるのだがそんなことはまあいい。

 「G」は摘発を避けるために「出会いを求める女子男性を繋ぐフリースペース」……という建前で経営されており、店長・Rさんは「店長と呼ぶな。Rさんと呼べ」と命令してきたのでみんなそう呼んでいた。「お散歩」に行くとコースバックで1000円支給されるのだが、それも一度「謝礼」としてクオカードを渡され、店長が「俺が変えてあげようか?」と"善意"で現金にしてくれる。パチンコ方式である。どうやって稼ぐかというともちろん裏オプなのだが……まあご想像にお任せする。ちなみに当時掲示板では「ふうかは金さえ払えばなんでもしてくれる」と書かれていた。

 働いている女の子たちはホス狂い7:ジャニオタ2:バンギャ1くらいの割合であり、俳優オタクなど私1人しかいなかった。そのため「G」の店内で一番有名な俳優横浜流星だったと思われる。不名誉

 ホス狂いたちとも普通に仲が良かった。年齢確認のゆるいホストクラブだけに行っていたらしいのだが、何気なく私が有印私文書偽造できる話をしたところ、全員むちゃくちゃ食いついてきた。……いくらで売ったかは伏せるが、架空大学学生証が飛ぶように売れたのは言うまでもない。「○○っていう有名店にすんなり入れた!ふうかちゃんすごい!」と大感謝されたが、そんなことに使う発想がなかったので「よ、よかったね……」としか言えなかった。

 ホス狂いには「毒親」系の子もいたが、1人とんでもないお嬢様がいた。超有名大学の附属校に通っていて、家にエレベーターまであったが、なぜか道を踏み外してホス狂いになっていた。名前はKちゃん。「担当ケンカした」とかい理由ドリエルODしてぶっ倒れていたので、水を飲ませ看病したこともある。今は何してるのだろうか。

 ホス狂い・Yちゃんは「売り掛けに間に合わない」という理由店長からお金まで借りていた。ちなみに、利息はトイチであった。

 ホス狂い美少女・Mちゃんにある日、「Twitterになぜかログインできないんだけどなんでだかわかる?」と聞かれたので、とりあえずブラウザCookieを消してみたら普通に直った。「携帯ショップ店員さんみたい!」と感謝されたがCookie消しただけなのに……と思った。Mちゃんとは数年後に歌舞伎町某所でばったり再会。世間の狭さを感じた。

 職質対策も抜かりなくしていた。客と歩いている時に万が一職質されてもいいように池袋西口ホテヘルを調べ、顔出ししていない適当自分スリーサイズの近い風俗嬢ブクマしておき、職質されても「店に預ける決まりなので財布持ってません」と言うと決めていた。このライフハックは割とみんな共有していた。私は職質されることは無かったが。

 自分で言うのもなんだが店長には気に入られていた。真面目だったからだ。ホス狂いたちはもはや家出生活を送っており、毎晩ホスト遊びに繰り出しては集団ラブホ雑魚寝して泊まり遅刻や当欠が多かった。「お前らはいい加減すぎる。ふうかを見習え!」と店長が怒っていたのだが、たまたま好きになったのがホストではなく若手俳優だっただけなので苦笑することしかできなかった。

 ホス狂いたちは、不思議と私をホストに誘ってくることはなかった。まあ横浜くんのことが好きすぎて傍目から見てもメロメロだったのもあると思うし、毎日律儀に家に帰っていたのもあるが。

 ゴキブリが出て待機室がパニックになり、私が冷静に丸め雑誌で叩き殺したら店長が3000円くれたこともある。後に店長は店の女の子に手を出して捕まるのだが、「口」でさせて5000円しか払ってなかった。ゴキブリ殺しただけで3000円もくれるのにそれしか払わないんだ……と微妙気持ちになった。

 店長はしばしば池袋西口の「楽園」で営業中パチンコしており、「真面目だから」という理由で予約と予約の合間になぜか電話番までさせられていた。もはや店長事務所を開けない日すらあったので、そんな時は池袋西口ガストドリンクバーを頼んで溜まっていた。

 客だと思ったら潜入してきた朝日新聞記者だったという事件も起きた。「搾取されてるわけではなく自分意思ちゃんとやってる」みたいなことを長々話した気がするがよく覚えてない。

 夏休みには事務所電気を消して、店長が出前を取ってくれてみんなで「ほん怖」だか「世にも奇妙な物語」だかを見た記憶もある。どっちかは忘れた。普通にしかった。青春である

 私が横浜流星オタクであることは知れ渡っていたため、遭遇して喋れたりイベントで喋れたりすると店長も含めてなぜかみんな喜んでくれた。店長逮捕後、久々にLINEが来たと思ったら「最近何してるの? 流星?」と送られてきて脱力した。

 JKビジネス業界ドライなので、高校卒業する頃になると一気に予約が入らなくなる。潮時かな……と思い辞めた。その後「G」は摘発されたので一応難は逃れている。

 なんやかんやでキャバ嬢に転身してみるも、自分で言うのもなんだがあんまり向いていなかった。この頃の記憶は実はあまり無い。楽しくなかったのだろう。

 キャバクラを辞めた後は適当パパ活していた。適当パパ活でもまあまあ稼げていたのでコロナ前の夜職業界は景気が良かったのだ。2017年中盤くらいからは一応メイドカフェでも働いている。

 かの有名な「制服オーディション」には一時期いたことがあるものの、本格的な風俗に足を踏み入れるのは実は横浜くんを降りた後である。……というわけで、なんだか尻すぼみな記事になってしまった。

 ちなみに高校は3年の途中で出席日数不足がたたり中退。(JK散歩に入り浸っていたためであるしかしその後通信制高校編入ちゃん卒業はしている。そのため一応高卒だ。

 こんな感じである。みなさんの謎が解ければ幸いだ。

2025-09-16

anond:20250916203534

男はセックスが全てだけど女は自分庇護できる社会的評価で男を選ぶから、男向けのような無能ホビット奴隷を養う創作需要は女向けではゼロ

恋愛婚活無能ホビットは大量に余って業者を困らせたり毎日ネットに張り付いて自分を選ばない女を呪詛する一方で、セレブ有名人性的機能のないジジイが女に不自由していない

イケメンだったチンポ立たない爺さん芸能人若い女不倫年の差婚できる反面、ホビットチー牛が無数に余る現象もこれ

ツーショット写真人間国宝片岡仁左衛門78歳 “壇蜜似”41歳女性との2年不倫

https://bunshun.jp/articles/-/58481?page=1

A子さんは、18年春頃から仁左衛門が出演する公演を全て観劇する“全通し”をすることが多くなるなど、仁左衛門ファンの間で、次第に目立つ存在になっていく。19年2月には楽屋口で入り待ちをしているA子さんを見つけ、他のファンもいる前で、「この前、手紙に書いてた質問のことやけどな……」と話しかたこともあった。

その後、彼女関係者けが参加できる会にも参加するなど、さら仁左衛門との距離は近づいていった。そして203月コロナ禍で歌舞伎座公演も中止となったこの頃、遂に2人はプライベートで会うようになる。A子さんが仁左衛門の自宅に誕生日プレゼントを郵送すると、返事があったのだ。

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人間国宝片岡仁左衛門不倫で〝噛む癖〟バレた! 壇蜜似の年下女性の首、二の腕に内出血のような跡 「週刊文春報道

https://www.zakzak.co.jp/article/20221102-NPMREAYTV5LVXEMHB7ICS3DPEA/

知人の証言として、女性ウオーキング最中にも首や二の腕を噛まれホテルでも噛まれたと伝える。それは内出血のようになっていたというから、相当な力で噛んだものと思われる。

岸部一徳、妻と10年別居の傍らで「修三さん」呼びする40代美女との“鹿児島ふたり旅”をキャッチ交際否定から2度目の直撃に「仕方ないじゃん」

https://www.google.com/amp/s/www.jprime.jp/articles/amp/27392

ザ・タイガースの“ピー”こと瞳みのるさん 35歳下の中国人女性結婚、4歳児のイクメンパパはバンド活動で大忙し

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/329075#google_vignette

ルイズルイス加部は、娘のように年の離れた女性ミュージシャン結婚したばかりだった。「俺はもう男性機能がないから駄目だと言ったのに、ラブホテルへ引っ張って行かれた」と、いかにもハーフという大きな目で、こちらをまっすぐに見て真面目な口調で言った。

そういう人なのだ。嘘がない。自分に不利になろうとお構いなしに、ほんとうのことを言う。私はバチカンサン・ピエトロ大聖堂で見たミケランジェロピエタを思い浮かべた。とても母親には見えないほど、若くて美しいマリアの膝に、細長い体をぐったりと預けたキリスト。加部と女性との関係は、いつもこうなのではないかと思った。

さまよう血 - 「山崎さんは利用されたのでしょう」 | ウェブマガジン「あき地」

https://www.akishobo.com/akichi/yamazaki/v2

2025-08-21

人生オーディション番組視聴中

オーディション番組視聴雑記

ABEMAでやってる某男性k-popオーディション番組を視聴中。Kpopについてはあまり知らないが韓国他界隈とかは追ってきたので、まあ知ってはいたが、韓国ネチズン掲示板はやっぱり怖え。火力が違う

先日放送されてたのは実力ごとに星1、星2、星3の階級に分けられた参加者が同じ階級の人と8人1組のグループを組んで課題曲をやるというもの

8人もいるので、チームの和を乱したり独断的に話を進めたりするような(そのように描かれた)参加者一定数いた。和を乱す系はネタキャラとして消費されていったが、独断で話を進める系は韓国掲示板でも地雷認定されていた。

彼らに関しては韓国掲示板では「意地悪」「お前が〇〇(他のメンバー名前)を殺した」だの「独裁者」だのめちゃくちゃな言われようであった。

デビュー経験者ながら星1クラスにされ(おそらく経験者は評価基準が違う)、他のメンバーとのレベル差に驚いて「リーダーキリンパート(一番美味しいパート)は俺がやる」と宣言した参加者がいたのだが、彼は「ヒトラー」とか言われててかわいそうだった。(まさかオーディション番組板でヒトラーという単語を聞くことになろうとは思わなかった)正直経験者の彼抜きでは曲にすらなってなかったんじゃないか...と思ったし、何度も「自分独断的だったんじゃないのか?」と葛藤しており、最終的には他のメンバーを信じて引っ張れるようになるまでの成長が描かれていたので、自分としてはまったく悪いとは思わなかったが...先週脱落してしまって残念だった。

他のグループにもそういった独断認定を喰らった参加者はおり、Xだがそのグループの別メンバーファンからは「〇〇(推し)がもし次の中間発表で脱落するようなことがあれば工具を持ってお前に会いに行く」という趣旨韓国語のツイートもあった。「他下げはせずに推し応援だけしようよ!」が正義で、それ系で学級会もたびたび発生する日本人からするとかなり衝撃的ではある...。

自分が見ているのはDCインサイドという韓国最大の掲示板の当該番組専用板。野球板や政治板などとは違う伏字文化があるようだ。韓国語の一番シンプル伏字といえば「イジェミョン=이재명=ㅇㅈㅁ 」というように名前のそれぞれのハングルの初声だけを繋げたもの(田中=tnk みたいな感じ)だが、この板では韓国スラングを組み合わせたさらに複雑な伏字(フィルタリングと呼ばれる)が存在する。そもそも名前関係ないものも多いのでそうなると初見で解読はほぼできない

日本坂道アイドルでも伏字界隈はあるけど、複雑化した伏字掲示板文化オーディション番組特有のピリピリ感が悪魔合体して日本ではまずお目にかかれないキメラ誕生していた。番組より掲示板見るのが面白いかもしれない

韓国2chっていうとイルベが一番有名だと思うけどあそこはまた違った右翼掲示板で、女性蔑視コミュニティでもあるので女がいない。だからこのオーディション番組話題は出ない。一部のゲイが沸いてるのと、野球場でパフォーマンスしたとき入り待ちとか大砲カメラとかその他迷惑行為大量発生したという件に関しての女叩きだけだった。

まあ一応1ピックと呼ばれる最推しはできて、自分投票してるんだけどけど残れるだろうか。

人間模様・人間ドラマという点では面白いけど鬱って言われるのも納得のコンテンツ特に予告詐欺(やりとりの捏造)がまあすごいこと(苦笑)

実例

マスター(先生役)「お前もう出ていったら?」

練習生A「納得がいかないです」

→実際の放送マスターが言った相手練習生Aではない。言われたのは全く違うチームに所属していた練習生Bで、Bに対しての言葉を全く違う場面のAの言葉勝手につなげていた。もう全てがめちゃくちゃ

日韓わず未成年視聴者も多いけど自分未成年状態で見てたら本当に鬱になるとこだったかもしれない。まあ自分も鬱っぽかったし鬱を以て鬱を制すってことで。

2025-06-27

anond:20250627104451

イケメンだったチンポ立たない爺さん芸能人若い女不倫年の差婚できる反面、ホビットチー牛が無数に余る現象もこれ

ツーショット写真人間国宝片岡仁左衛門78歳 “壇蜜似”41歳女性との2年不倫

https://bunshun.jp/articles/-/58481?page=1

A子さんは、18年春頃から仁左衛門が出演する公演を全て観劇する“全通し”をすることが多くなるなど、仁左衛門ファンの間で、次第に目立つ存在になっていく。19年2月には楽屋口で入り待ちをしているA子さんを見つけ、他のファンもいる前で、「この前、手紙に書いてた質問のことやけどな……」と話しかたこともあった。

その後、彼女関係者けが参加できる会にも参加するなど、さら仁左衛門との距離は近づいていった。そして203月コロナ禍で歌舞伎座公演も中止となったこの頃、遂に2人はプライベートで会うようになる。A子さんが仁左衛門の自宅に誕生日プレゼントを郵送すると、返事があったのだ。

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人間国宝片岡仁左衛門不倫で〝噛む癖〟バレた! 壇蜜似の年下女性の首、二の腕に内出血のような跡 「週刊文春報道

https://www.zakzak.co.jp/article/20221102-NPMREAYTV5LVXEMHB7ICS3DPEA/

知人の証言として、女性ウオーキング最中にも首や二の腕を噛まれホテルでも噛まれたと伝える。それは内出血のようになっていたというから、相当な力で噛んだものと思われる。

岸部一徳、妻と10年別居の傍らで「修三さん」呼びする40代美女との“鹿児島ふたり旅”をキャッチ交際否定から2度目の直撃に「仕方ないじゃん」

https://www.google.com/amp/s/www.jprime.jp/articles/amp/27392

ザ・タイガースの“ピー”こと瞳みのるさん 35歳下の中国人女性結婚、4歳児のイクメンパパはバンド活動で大忙し

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/329075#google_vignette

ルイズルイス加部は、娘のように年の離れた女性ミュージシャン結婚したばかりだった。「俺はもう男性機能がないから駄目だと言ったのに、ラブホテルへ引っ張って行かれた」と、いかにもハーフという大きな目で、こちらをまっすぐに見て真面目な口調で言った。

そういう人なのだ。嘘がない。自分に不利になろうとお構いなしに、ほんとうのことを言う。私はバチカンサン・ピエトロ大聖堂で見たミケランジェロピエタを思い浮かべた。とても母親には見えないほど、若くて美しいマリアの膝に、細長い体をぐったりと預けたキリスト。加部と女性との関係は、いつもこうなのではないかと思った。

さまよう血 - 「山崎さんは利用されたのでしょう」 | ウェブマガジン「あき地」

https://www.akishobo.com/akichi/yamazaki/v2

2025-04-17

ジャニモテるからチビモテる」を連呼する低身長男性に捧げる元ジャニーズ平本淳也氏のありがたいお言葉

https://web.archive.org/web/20010303004351/http://www.baw.co.jp/gossip_97_3.html

テレビ局スタジオに入れる身分気持ちがいいけど、ジャニーズに入った途端に“ファン”がデキるというのも驚きだよね。だってさぁジャニーズじゃなかったら一般人じゃん。劇団に入っているカッコイイやつでもファンなんて一人もいないのに、ジャニーズに入っていればブサイクな顔でもファンやおっかけまでついてくるんだ。おおーこれこそアイドルじゃん! とは思ったけど、なんでついてくるんだろう? とは日々疑問であった。テレビ朝日の中にあるレッスン場にはいっつも出入り待ちファンらがたむろっているし、おっかけはタクシーに乗ってまでついてくる。おまけに家に入るまでのお見送りつきというゴージャスな待遇である歌手デビューしているとか、ドラマに出演しているとかだったらわかるけど、一般人が“ジャニーズ”というだけでその私生活まで大きく変化を遂げるほどの環境に変わってしまうのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20250414102334

2025-04-14

男は顔やチンポといったパーツではなく社会的地位推しエンタメ提供できるかどうかで選ばれる

人気者や有名人の男同士の関係エンタメオナニーして満足する女

女体の上位変換はないので射精産業は膨大な数が存在し、風俗レビューは常に盛り上がる一方で女は「イケメン男性同士のBLでのオナニー」だけで満足する

ファンが一人もいなかったジャニーズジュニアが某オーディション番組に出た途端に大量のファンを獲得した、ファンがいなかった一般人ロートル地元イベントと連動したアイドルグループ武将隊や劇団に入った途端にファンを獲得した、無名女性に不人気な声優俳優アニメ2.5次元で人気キャラを演じたらファンを獲得した、博多マイナーバンド非モテメンバーメジャーデビューして売り出された途端に女が寄って来るようになり、過去を取り戻すかのように女を食い散らかして、他のメンバーは制止に苦労した

男同士が集まり共闘競争切磋琢磨するエンタメなら芸能でもスポーツでも関係なく女のファンつくし、そのエンタメの人気者ならチンポの立たない爺さんでもチンポのない宝塚日韓女性アイドルグループ等の女でも構わないし実際に熱心な女性ファンに支えられている

なので芸能人や有名人と一緒に仕事してる男もおこぼ目的の女にモテる

水原一平も人気あったし、バンドブームの頃はユニコーンマネージャーの髭のおっさんスタッフローディまで若い女を食いまくっていた

異性を選ぶ基準が見た目と若さが全ての男ではまずあり得ない

から孤立した男は容姿関係なく相手にされず、女は伴侶と息子と特定推し以外の男は視界にすら入れない

からモテる女のルックスは皆痩せた美人統一されてるけど、モテる男はルックスにばらつきがあるだろ

社会から落ちこぼれたり孤立した男は例外なくモテない

女が自分旦那と息子と推し以外の男に無関心なのは言うまでもないし、推し活も「有名人かつ特定推し」にしか金を出さな

逆に男は女体さえあれば顔も素性も経歴も不明でも飛びつく

逆に男は女の地位評価や経歴はどうでもいいか木嶋佳苗りりちゃんみたいな経歴不明無職の不美人大金を貢ぎ、貧困大家族日本語を話せない外国人女性を嫁として斡旋するブローカー存在する

エロ動画風俗は言うに及ばず、自撮り盗撮アカウントや無数のネットに転がっているエロ動画に至っては女の素性は勿論、顔すら分からないけどシコるだろ

ジャニヲタが大量にプロスポーツに移行してる時点で「女はチビイケメンが好き」はチビ男性の願望に過ぎない

ジャニヲタプロ野球バスケバレープロリーグ流出し、前者はSnowMan以外の全グループの売り上げが下がってるが、後者女性ファンや動員は爆増してる

近藤真彦忍者TOKIO関ジャニ∞と長年ジャニヲタやってた女性ラグビーに移行した

顔面収入ステータス身長分布で変動しないが、高身長男は無能無名でも売れていく

あと、男だけが身長収入マッチング率や既婚率が比例する統計がいくつもあるだろ?

顔面偏差値身長収入で変動しないのにも関わらず

日本人男性の6割が170cm以上、165cm以下は1割

https://toukei-labo.info/10_taikei/10_shincho.html

総務省統計局の身長の年齢別分布2020年度)を参照)

しか風俗客、マッチングアプリ婚活市場で余剰在庫になる層は低身長男性に集中。始末に困った業者に「売れ残り婚活女性は余っている低身長男性妥協して!」と訴えさせてしま

身長170cm以上の男性希望です」という婚活女性を見ると婚活業者非モテ男性脊髄反射で「高身長男性はすぐ売り切れて品切れするから高望み!婚活しないと相手が見つからないブスやおばさんは妥協しろ」の大合唱になるから、内心では女が顔より身長を重視するのを理解してるんだよ

しかし取り柄のないボンクラでも婚活やマチアプやれば売れて行く高身長男性と違い

芸能界一強の権力知名度事務所等の所属先や肩書が伴わないと低身長男性は見向きもされない

「男はコミュ力(とそれに伴う社会評価)で選ばれるが、婚活恋愛において低身長が余る理由はそれ

ジャニモテるからチビモテる」を連呼する低身長男性に捧げる元ジャニーズ平本淳也氏のありがたいお言葉

https://web.archive.org/web/20010303004351/http://www.baw.co.jp/gossip_97_3.html

テレビ局スタジオに入れる身分気持ちがいいけど、ジャニーズに入った途端に“ファン”がデキるというのも驚きだよね。だってさぁジャニーズじゃなかったら一般人じゃん。劇団に入っているカッコイイやつでもファンなんて一人もいないのに、ジャニーズに入っていればブサイクな顔でもファンやおっかけまでついてくるんだ。おおーこれこそアイドルじゃん! とは思ったけど、なんでついてくるんだろう? とは日々疑問であった。テレビ朝日の中にあるレッスン場にはいっつも出入り待ちファンらがたむろっているし、おっかけはタクシーに乗ってまでついてくる。おまけに家に入るまでのお見送りつきというゴージャスな待遇である歌手デビューしているとか、ドラマに出演しているとかだったらわかるけど、一般人が“ジャニーズ”というだけでその私生活まで大きく変化を遂げるほどの環境に変わってしまうのだ。

戦前から女は「やれないイケメンホモ」でオナニーして満足していた

【篦棒な人々 2】「元祖やおい石原豪人抜粋

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/2_4869.html

石原 (略)

 女形少年の役をやっててね。化粧とか照明の具合で、これがなかなかの美少年に見えるんです。そのせいか女性の観客が多かった。僕も何回か観たんですけど、ある日、舞台を観ていたら客席の方からピチャピチャという水の音が聞こえてきて、なんだろうと思った。

竹熊 なんですかその音は。

石原 なんだと思う? 割れ目が潮吹く音なんですよ。

竹熊 そんな(爆笑)。

石原 昔の芝居小屋無声映画もやっていましたから、舞台の前がオーケストラボックスになっている。新派劇とき楽隊がいないから、ボックスに腰を下ろして芝居見物するんです。一メートルくらい穴の開いた場所で、床の音がよく聞こえる。畳敷きなのにピチャピチャ音がするんです。

竹熊 そのホモの人とはなにもなかったんですか(笑)

石原 ない。ところがね、食事は僕ら九人全員で一緒にすることになっていたんですが、明くる日になったら女の子が「あなたの部屋にいる居候を連れてきなさいよ。気の毒でしょう」って言うんですよ。その子が来たら、女どもがワーッと声を上げて取り囲んだ。

 ホモなのに女にもてるんですよ。憎たらしい。両刀使いでもなくて、完全なホモです。女に取り囲まれてもまったくその気がない。美少年からね、SMAPみたいなものですよ。女将さんは、てめえの亭主のホモ関係邪魔するために、僕を居候の部屋に住まわせたんです。

竹熊 そのホモ青年日本人ですか。

石原 そうです。太宰府出身の二三歳。僕よりひとつ年下ですね。スマートハンサムだった。僕なんか眉毛は太いし、目付きが鋭いでしょう。それでね、女どもがそのホモの男も日本に連れて帰ってくれ言い始めた。冗談じゃないと思って置いてきたんですけど。そのときですよ、ピチャピチャを急に思い出したのは。

竹熊 ピチャピチャ?

石原 例の『乃木大将納豆売り』のピチャピチャですよ。あのときもそうだったんだけど、女はホモ美少年を見ると濡れるんです。女というのは、どんなに切羽詰まってもホモに味方するってわかって、貴重な体験でしたね。

チンポの立たない高齢もしくは不能男性でも「男集団の人気エンタメ」を提供したりそれに属していたら女にモテる

性的不能ヒトラー若い女モテ女性の支持が高かったのも、金髪碧眼のイケメン集団スタイリッシュ服装を着せていたからだよな

エヴァ・ブラウン

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3

ツーショット写真人間国宝片岡仁左衛門78歳 “壇蜜似”41歳女性との2年不倫

https://bunshun.jp/articles/-/58481?page=1

 A子さんは、18年春頃から仁左衛門が出演する公演を全て観劇する“全通し”をすることが多くなるなど、仁左衛門ファンの間で、次第に目立つ存在になっていく。19年2月には楽屋口で入り待ちをしているA子さんを見つけ、他のファンもいる前で、「この前、手紙に書いてた質問のことやけどな……」と話しかたこともあった。

 その後、彼女関係者だけが参加できる会にも参加するなど、さら仁左衛門との距離は近づいていった。そして203月コロナ禍で歌舞伎座公演も中止となったこの頃、遂に2人はプライベートで会うようになる。A子さんが仁左衛門の自宅に誕生日プレゼントを郵送すると、返事があったのだ。

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人間国宝片岡仁左衛門不倫で〝噛む癖〟バレた! 壇蜜似の年下女性の首、二の腕に内出血のような跡 「週刊文春報道

https://www.zakzak.co.jp/article/20221102-NPMREAYTV5LVXEMHB7ICS3DPEA/

知人の証言として、女性ウオーキング最中にも首や二の腕を噛まれホテルでも噛まれたと伝える。それは内出血のようになっていたというから、相当な力で噛んだものと思われる。

https://anond.hatelabo.jp/20250414102334

https://anond.hatelabo.jp/20250322124236

2024-06-13

オタク臭い問題

よく風呂入れって言うけど風呂に入っても当日の行動で臭くなる。

・不摂生食事体臭臭い

運動不足なのにイベントの日だけ動き回るから呼吸が乱れやすく汗をかきやす

イベント開場数時間から外で並んで入り待ちする

・服を洗濯しないか臭い

自分臭いことに気が付かない+気を付けようとも思わないか香水や制汗スプレーなど対策しない。

これらの理由オタクは臭くなるから風呂なんて意味を成さない。

特に一番の要因は何時間入り待ちする事だと思う。

コミケだと始発から現地入りして7時間後の入場まで炎天下の外で待ってる。臭くならないわけがない。清潔な人でも炎天下で長時間待機なんて汗だくで臭くなりそうなのに不潔なオタクだと常人の何倍もの激臭を放つ。

その他にも入場したらダッシュで会場を駆け回って買い物をしたりとにかく落ち着きがない。

同人誌なんて後からいくらでも通販で買える。

わざわざイベントを開催するのは買い物をするだけじゃなくて作家一般参加者が社交するため。

目を血走らせて激臭を放ちながらエロ本を買い漁るイベントじゃない。それならFANZADLsiteで済む。

コミケ戦場だとか言って選民意識を持ってるけどそんなしょうもない選民意識捨てて一般常識マナーとして清潔な格好で紳士的な社交場としてイベントを楽しむのがこれからコミケ及びオタクイベントの在り方であってほしい。

オタク文化が市民権を得始めてアニメゲーム好きの人も増えたことで一般感覚の人がオタクイベントに参加するようになると従来のコミケ戦場だとか言ってる激臭オタク存在には耐えられないんだよ。だから我慢できずオタク臭い吐露する人が続出している。

オタクイベント戦場なんだよ"お客様"はROMれ」とか思ってる選民思想の強い激臭オタクがいそうだけど、お前らも所詮お客様

主催からすればお前らのような害悪古参より新規にどんどん入って売り上げを伸ばしたい。

まとめるとオタクイベント当日、汗をかくな。

以上

2024-04-10

亀川千代さんへ

ゆらゆら帝国ライブを全国に見に行っていた。

「おっかけ」というとアイドルのようで違和感があるが,まあやっていたことはおっかけというのが一番早い。

当たり前だがアイドル的に好きだったわけではないので入り待ち出待ち差し入れなどは一切したことがない。

何故わざわざほぼ全公演行っていたかというと,亀川千代ベースが聴きたかたからだ。

ゆらゆら帝国については「昆虫ロック」のイメージしかなかったのだが,ある日たまたまタワレコで「ゆらゆら帝国のしびれ」の「ハラペコのガキの歌」を試聴して衝撃を受けた。

ライブに行ってみよう,と思った。

ライブで「恋がしたい」を聴いて,もっと正確に言うと「恋がしたい」の亀川千代ベースを聴いて,世界が変わった。

今までベースにそれほど心惹かれることはなかったが,亀川千代ベースはまるで歌っているみたいなベースだった。

こんなに豊かな音色ベースがあるのか,と思った。

最初関東の公演を全部行くくらいで済んでいたが,何回も行くうちに毎回ベースラインアレンジが違うので,もっと聴きたいという欲が収まらなくなった。

CDとほぼ変わらないときもあるのだが,亀川千代テンションによって時々驚くような神アレンジを聴かせてくれることがある。

もともとただ彼のベースを聴いているだけで幸せなのに,時に神のような音を聴かせてくれるので,それを聞き逃してはならないといつしか全国の公演に行くようになっていた。

とはいえ飛行機が苦手だったりお金に限りもあるので全て行けたわけではない。

でも,ある時期の彼らのライブはほぼ全て行っていたと思う。

基本的最前列亀川千代の前が定位置だった。

顔ファンだったわけではないが,ベースを弾くたたずまいがとても絵になる人だった。

直に鳴る音を聴いたり指遣いを見たりもしたかった。

モッシュとかダイヴとかしたいわけではないので最前でひたすら柵にしがみついて亀川千代凝視していた女は私だ。


それから何年も経った。

私は就職したり結婚したりそれに伴って転居したり出産したりしてそんな生活はできなくなってしまった。

そのうちにゆゆら帝国が解散した。

亀川千代ベースが好きだったので,石原さんとやっていたSTARSもよく見に行ってはいたが,ゆらゆら帝国解散したことで私の中で一区切りがついた。

正直言うとここ数年ゆらゆら帝国CDを家で聴いたりすることもなかったし,

坂本慎太郎ソロ別にいかけていなかった。

ゆらゆら帝国を思い出したりもしなくなった。

音楽自体そもそもロックを聴かなくなり新しい音楽も探さなくなり今はクラシック音楽ばかり聴く生活をしている。

しかし,昨日の深夜訃報を目にして自分でも驚くほど泣いてしまった。

私の中に亀川千代への思いは大切にしまわれていて,私の一部としてちゃんと残っていた,そのことに驚いた。

発光体のソロラメパンよりも,亀川千代ベースを堪能するなら私は「星になれた」を挙げたい。

本当に久しぶりに聴いたのだが今でも全部歌えることに驚いた。

どうかこのライブ版「星になれた」のベースラインを追って聴いてほしい。

https://youtu.be/GpIMc_7-BgM?si=z_AktwCgF7EhIiWQ

本当に豊かな音色ベースである

ラストベースソロ,本当に素晴らしい。まるで歌っているみたいなベースだ。

今も聴きながら泣いている。

ライブで「星になれた」をやってくれた日は本当にうれしかったな。

千代さん,星になったのかな。

「もう触れはしないような,だけど今も側で羽を磨いているような」星に。

安らかにお眠りください。

ありがとう

2023-04-15

贔屓(推し)が元贔屓(元推し)になるまで~好きと義務の間で~

※前書き

贔屓というのは宝塚で言う推しのようなものです。

分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。

◾︎本文

(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)

なぜ贔屓が元贔屓になったのか?

っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?

贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。

最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。

この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。

元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンピークは2番手時代~2作目あたりでした。

元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまりファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。

入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。

ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないか憶測が飛び交ったり。

しかも元贔屓はファンが少なかった!!笑

入出に来るようなファンしかり。

ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います

今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。

日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリー死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。

その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。

2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。

追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンから批判は凄かった。

本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。

発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。

紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。

幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。

披露初日もムラまで行って開演アナウンストップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。

披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。

トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。

この頃の私は純粋ファンだったように思う。

でも思ってみればこの頃から色々とおかしくなっていった。

自分が好きで行っていた入出も途中から自分意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。

観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。

劇場東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。

そして私は上演作品が嫌いだった。

トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。

特に退団公演、観劇していて怒りが沸いた公演は初めてだった。

初日幕間のファン流れる通夜のような雰囲気、みんなが

「これが退団公演か……」

「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」

と思ったに違いない。

ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。

良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。

観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。

やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。

退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため

『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』

と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。

元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。

だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。

「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」

私は勝手に裏切られたような気持ちになってしまった。

そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。

「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。

「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」

トップになって何がしたかったんだろう」

「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」

一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。

しか無駄ファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。

タニマチの事だとか、ファン派閥とか、、、

会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。

宝塚にいるの、辛かったのかな」

「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」

「仮初めでも演じてもいいか舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」

そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。

ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。

何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。

言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。

元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。

2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。

それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手トップ初期の頃とは少し違っていた。

目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。

「私が観たかったのはこんなのじゃない」と思ってしまった。

そう思った時に気づいてしまった。

結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。

退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。

それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。

周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。

あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。

ヨナラショーでもパレードでも泣けなかった。

観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。

結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。

うそれは好きだからファンからというよりもはや意地のようなものだった。

ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。

終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。

退団後しばらくは私はいから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。

パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっとからな気がする。

それとももしかしたら最初からきじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。

でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。

元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。

ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。

退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは

YOUは何しに日本へ?」だった。

ドイツ在住の宝塚ファンに密着したというもの

たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。

私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋ファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。

この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。

その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。

私が今とても贔屓が好きなのは反動もあるのかもしれない。

正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。

だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)

私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。

贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。

今、楽しくてしょうがない。

お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。

感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ

お茶会お話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。

握手をするときは緊張するし、そしてほとんど覚えてない。

文字びっしり便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。

そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。

そうだ、元贔屓を応援していた時だ。

私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ち応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。

そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。

元贔屓は確かに私の贔屓だった。

私は確かにあの人のことが好きだった。

誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。

長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。

「ずっと好きです」

いつまでも応援しています

元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。

それは嘘じゃないと思う。

2019-03-08

ジャニオタ文化と、にわかの私

これは、ずっと私が胸の内に秘めておこうと思っていたものだ。

でもやっぱり誰かに知って欲しくて、残しておきたくて、書く。

私は某ジャニーズJr.応援している。

きっかけは高校生の時のクラスメイトJr.の公演に誘われたことだ。

当時はジャニーズ、というと周りの女の子たちが黄色い声でお話しているデビュー組のグループのことしか知らなかったが、仲の良かったA子にJr.メンバーについて教えてもらい参戦した。そしてそのうちの1人のJr.くんに目が引かれ、それ以来応援するようになった。

それから数年経った。私は大学生になった。

バイトも始めて、自由に使えるお金も増えた。

大学ではジャニーズJr.応援していることは公言していなかったが、次第と類は友を呼んでジャニオタの知り合いができた。

また、その頃にA子がTwitterを始めたので、私もTwitterを始めてネット上でもジャニオタの繋がりができた。

そしてジャニーズには多ステ、積み、録音・録画、入り待ち出待ち文化があることを知った。

正直、知りたくなかった。本当に知りたくなかった。

大学で仲良くなったB子は多ステする子だった。私も2人で参戦するところを4枚で申し込んで2枚と2枚で交換して入るようになった。そんなある日のことだ。

「今度のチケット増やそうかな。」

B子チケット転売サイトを見ていた。転売サイト存在都市伝説だと思っていた私は、公演のチケットが定価の倍以上の値段で売買されているのにとても驚いた。

「そんなに驚くこと?みんなやってるよ。」

B子は私にそう言った。

私は、定価以上でのチケットの売買に抵抗があった。そのことをB子に伝えた。B子は私の話をしっかり聞いてくれてから言った。

「私は小さい頃から(某デビュー組)のチケットが高額で転売されてるのを見てきた。だからバイトができるようになったら、いっぱいチケットを買っていっぱい会いに行くのが夢だったんだ。毎日遅くまでバイトをしているのもそのためだから。」

B子にもう少し詳しく聞いてみると

複数名義を持っている。基本的には定価で入る。

・回数を増やしたい時は転売されているチケットを購入する。

・定価以上で転売をすることもあり、その売上で年会費を支払ったりチケットを増やしたりしている。

とのことだった。私は他人事だと思っていた転売を仲が良かったB子がしているのをどう受け止めていいかからず生返事をしたのを覚えている。

他にも大学で知り合ったジャニオタにC子がいた。

「私は最前しか入らない」

それがC子の口癖だった。

何のバイトをしているか詳しくは聞けなかったが、おそらく夜のお仕事だろうか。

ものすごく可愛い上にメイク服装もオシャレな子で、いつも担当からもらったファンサを自慢していた。そして、担当とも直接繋がりがありブランド物をプレゼントしているとも聞いた。

ネットではファンレターなんて返って来ないぐらい人気者らしいC子の担当も、C子のファンレターには絶対に返すのだという。こんなオタク世間はいるのか…と思った。

また、いわゆるDD複数グループを掛け持ちしているD子もいた。

D子は複数ファンクラブに入っているのでCD雑誌は買わないことにしているらしい。

そんなD子にはある日「◯月◯日の公演って参戦した?よかったら音源あげるよ」と言われた。

他にも「◯日の映像あるよ!あと入り出も撮れたの!」と言われた日もあった。

どうやら情報アカウントというものをしているようで、私が応援しているJr.が通っている学校入学式などの行事はツテを使って観覧しているらしく「行事ときJr.くんの写真いる?」とも言われた。

私はそこまでするオタクがいることに驚きを隠せなかったし、全ての提案を丁寧にお断りした。

Twitterで知り合ったE子は、良席しか入らない子だった。

「わざわざ遠征しているし良席に入りたい。ファンサも認知も欲しい。」

私とE子は同じJr.くんを応援していた。Jr.くんはE子を認知していて、固定ファンサというものがあるらしかった。

また、E子は自分が入らない公演も申し込んで当たったら転売しているという。

「この前は1枚30万円で売れたよ!4連で120万円(笑)

E子はチケットの売上で毎年ジャニーズへの収支をプラマイゼロどころかプラスにしているらしかった。

私は価値観の違いにしんどくなって、静かにTwitterを閉じた。


私は彼女たちと関わるうちに、どうJr.応援すればいいのか見失いそうになった。

辛かったのはB子もC子もD子もE子も気が利いて、明るくて友達の多い、良い子たちだったこと。(話も面白く、Twitterでもフォロワーが多い子ばかりだ。)

おそらく彼女たちからすれば、彼女たちの応援方法はごく当たり前のことであり常識範囲内なのであろう。私自身、もし幼少期からジャニーズ応援していたらそのような思考価値観に辿り着いていたかもしれない。

でも私は、定価以上での取引はしないで今に至る。

沢山のジャニオタに「なんで積まないの?」と言われた。

その答えがやっと分かった。私は、定価以上の取引に罪悪感を覚えてしまうからだ。罪悪感があるとJr.応援するのが楽しめなくなってしまうと思う。だから、積まない。

転売しないのも、録音・録画、入り待ち出待ちをしないのもそう。

B子、C子、D子は雑誌CDDVDほとんど買わない。今はネットですぐ流れてくるからだと思う。でも私は財布の紐がゆるくついつい買ってしまう。そして、意味なんて無いだろうなと思いながら半信半疑雑誌ハガキを出し、テレビ局感想を送る。

みんなはチケットで稼いだお金で買った高級ブランドカバンを使っている。私はせっせとバイトしたお金で身の丈にあったブランドカバンを買って使っている。もちろん服も全部プチプラだ。

なんで私だけお金に困っているんだろう、と自分バカらしくなる日もあった。

私はファンももらったことがない。ファンレターも返って来たことはない。もちろん認知もされてない。ないない尽くしだ。

Jr.くんの応援を辞めようと思う日も何日もあった。

こんな私が応援する意味なんてないと分かっていても、なぜか辞められなかった。Jr.くんのことを嫌いにはなれなかった。

結局、自分が楽しめる方法で続けて行くのが1番だという結論になった。

ジャニーズ事務所のアイドルが今までこれだけ発展してきたことには、高額転売やその他の文化があることは否めないと思う。つくづく私はジャニーズオタクをするのに向いていないと痛感する。

公演には当たったら入る。当たらなかったら定価譲渡を探して、見つからなかったら入らない。

からすれば転売勇気のいることだから、それを当たり前にするみんなの度胸が羨ましいと思うこともある。でも、しない。

私は、私が汗水流して稼いだお金で、お金を払いたいと思う。これは私のわがままだ。

ただJr.達も思春期男子であり、積んでまで会いに来てくれる女オタクがいることは寧ろ喜ばしいことなのかもしれない。

ジャニーズはよく「来てくれてありがとう」と言う。

行けなくてごめんねと思うのは皮肉だろうか。

ジャニーズなんて、そんなに真面目に応援しなくていいよ」

かに言われた言葉が忘れられない。

しかジャニーズからすればファンの1人や2人いてもいなくても一緒だろう。それが1対Nの商売というものだ。

それにジャニーズたちは私の低い時給で稼いだ給料よりもたくさんの給料をもらっているのだろう。それで身なりを整えたり趣味を充実させたり貯金する以外にも、可愛い女の子達と密かに遊んでいるのだろうということぐらいは想像し得る。

(恋愛人生を豊かにすると思うので、私は否定的に捉えることはできない。しか可愛い女の子と淫らに遊ぶくらいなら、本当に好きな子恋愛して欲しい…と個人的には思うがアイドルという道を選んだ以上、難しいのかもしれない。)

それでも私は、ジャニーズ達が日々、自分パフォーマンスを高めるための努力をしていると信じている。

そして1日のうち1秒でもいい。ファンのことを思ってくれているなら、これ以上幸せなことはないだろう。

これからも私はこれらの文化を受け入れられず、にわかのままでいると思う。

以前は他のジャニオタ嫉妬してしまうこともあったが、今は「これでいいや」思うようになった。

いつまで続くかわからないが、これからJr.くんのことはマイペース応援すると思う。これが〝応援〟なのかどうかも、私にはもう分からないのだが。


チケット転売規制法が成立となり6月には施行されることになった。

多くのジャニーズの公演が多ステや積みの文化で成り立っている。もしかすると、どこのエンターテイメント業界でも、そうなのかもしれない。

今後のオタクの動向を静かに見守りたいと思う。




念のためにA子〜E子までの話は事実を元に言動を入れ替えていますが、どうか知り合いにこの日記がバレないことを祈ります

2018-11-21

ヅカオタの独り言

私は宝塚オタクなので入り待ち出待ちをするのです。

贔屓は素敵で素敵で仕方ないです。

入出でもすっごく優しくて,行くたびに好きになって,あ〜行ってよかったなあと思います

大好き大好き。

でもさ〜こんなんいいの?ってなるときあります

忙しいのにごめん贔屓。視界に入ってごめん。重い手紙書いてごめん。

勘違いしてきちゃうわ。舞台姿に惚れたってこと忘れないようにしなきゃ。

やっぱり舞台の上で踊ってるところが一番輝いてるよ。

退団するジェンヌさんが,「今は休みが欲しい」的なこと言ってるの聞いて,すっごい切なくなっちゃう。

やっぱりハードなんですね…

あ〜私できることなくてごめんなさい。入出行くのも自己満足しかなくて悲しい。でもそういうもんかな,所詮他人だしね。

退団しちゃったら生きていけるかな。

いつか来るその日のことを思うと辛い。

もう一生贔屓なんて作らないって,前の贔屓が退団したとき思ったのにな。

クッソ〜〜〜〜〜

あ〜あ,惚れた弱みだな。

今日も金を積む。手紙書く。入出行く。

あ〜〜〜バカみたい

2018-11-11

それ犯罪

レンタルなんもしない人

@morimotoshoji

若手俳優入り待ちに付き添ってほしい」と依頼があり、舞台の会場近くの駅で依頼者の推しが現れるのを待ち続けた。1人で何時間も待ち続けるのは心細く、現れなかったときのショックを1人で受けるのもツラいということで依頼に至ったそうです。写真推しへの差し入れ。結局渡すことはなかった。

2018-11-02

ジャニーズJr.萩谷慧悟くんとLove-tuneについて

5年間ずっと応援してきた萩谷くんが、とうとう事務所を退所した説が濃厚になってきた。バイトをしているなんて話も聞いた。SMAP木村拓哉になりたくって、小さい頃から事務所に入って一生懸命やってきた人。小さい頃はやけに前髪が長くて、HIP HOP JUMPというグループで踊ってた。その頃わたしは別のグループが好きだったけど、SMAP特番で緊張しながら質問したりとか、1 for you蛍光色のブカブカ衣装来て踊ったりとか、よく覚えてるよ。

わたしが1回離れたけれど、大学2年生の時に久しぶりに見たら、すごい大人になっていてびっくりした。秋の少クラ安井と一緒にTake overを歌ってるあの数分で好きになった。あんなことは初めてで、これから人生でも滅多にないと思う。それからずっとファン。ここ数年のわたし青春

最初安井にくっついてるオマケみたいな感じだったかもしれない。安井は前からファンも多かったし、アピールも上手だった。萩谷くんはあまり前に前に出る方では無いし、綺麗な顔をしているけれどファンはあまり多くなかった気がする。萩谷くんにはなかなかソロパートも与えられなかったし、クリエの公演でも萩谷くんはソロ無しの時もあった。

萩谷くんも大学生になって、二十歳を越えて、だんだんMCMを持つようになったり、髪の毛をパーマ掛けたり金髪にしてみたりした。地味な高校生が段々とお金を使うことを覚えて、それが少し寂しかったりもしたけれど、萩谷くんの中身は変わらないままだった。相変わらず自分の興味あることには徹底的に投資して頑張る人。だからずっと変わらず応援した。髪の毛については変える度に割と周りから不評で不憫だった。でもそれが可愛かったよ。わたし金髪にしてみたらってお手紙に書いたことあったから、別にそれを参考にして金髪にした訳じゃないと思うけれど、何だか申し訳なくなった。手紙なんて読んでいないかもしれないからどうでもいいけれど。

入り待ち出待ちもした。周りと比べてやっぱりファンは少なかった。それは萩谷くんがファンにあまり媚びないから、応援してても楽しくない人が多かったのかもしれない。でもそれで良かった。わたしアイドルとの接触が本当に苦手だから、サラ〜っと流されるくらいでちょうどいい。萩谷くんのファンは他のタレントと比べるとガツガツしてなくって、「萩谷くんが幸せそうな姿を見られればOK」っていう人が多かった。争いもあまりないし、みんな1人だった。

萩谷くんの後輩タレントの中には、ファンサービスが過剰なタレントもいて、そういうタレントファンはどんどんヒートアップしていく。ファンの数は簡単に増えるけれど、ファンサービスが貰えないと簡単に下のタレントに降りていく。萩谷くんはそういうことはしなかった。自分を安売りしなかった。そういうところも好きだった。来る者拒まず去るものわずの萩谷くん、それでもいつかの雑誌の「みんなの声援が僕の力になります。ずっとそば応援してください」その言葉で、萩谷くんがファンを大切にしてくれていることは分かったし、SMAPみたいになりたいっていう小さい頃からのブレない夢を知っていたから、ずっと付いていけると思った。

手紙には毎回同じイラストを描いた。あれで覚えてもらえたとは思わないけれど、見たことあるなぐらいに思ってくれたら嬉しいな。出待ちの時に仕切ってくれていたお姉様方は今どうしているんだろう。ネット上で叩かれたりもしていたけれど、ボランティアあんなに仕切ってくれてお世話になった。少なくともわたしは嫌なことをされたことは無かったし、いい人だった。一緒に帝劇から帰った友人たちは、わたしがあまり群れないタイプから全く連絡を取らなくなってしまったけれど、もう他のタレントに降りてしまっただろうか。

その頃Love-tuneというグループが出来て、大きく変わった。久しぶりのグループ結成でみんな力が入ってたと思う。安井にとっては初めてできた居場所。追加メンバー加入があった時は、想定外で少し落ち込んだけれど、それでも今はこの7人で良かったと思うよ。萩谷くんにもソロパートが与えられるようになって、すごく変わったと思った。わたしが好きになってから数年経って、masterpieceで萩谷くんと安井背中合わせに歌うシーンは胸に来るものがあった。2人はプライベートでも仲がいい訳でもないし、交友関係も全く違う、年の差もある。でも仕事上お互いを信頼していて、そんな2人が目標に向かって頑張ってきて歌うmasterpiece。俺の行く先はずっと君がいるなんて。

わたし社会人になって、年一度のクリエに行ければいいと思ってかなり落ち着いて応援するようになった。グループも出来たし、あとはみんなでひたすら上を目指して頑張るだけだ。わたしわたし生活を頑張って、たまに萩谷くんに会いに行こうと思った。

アイドル儚い。いつの間にか干されて、あっという間に露出がなくなった。行こうと思っていたクリエ公演もなかった。雑誌にも載らなくなった。そうやって消えていくタレントを何人も見てきたけれど、まさか自分応援している萩谷くんがそんなことになるなんて思わなかった。わたしは萩谷くんに会ったのは昨年の夏が最後だ。何でもっと会いに行かなかったんだろう。年1回会えればいいやじゃないよ。会える時に会いに行かなきゃ駄目だった。干された理由は色々噂があるけれど、事実なら彼ららしいなと思う。1つの場所に居なきゃいけない訳じゃない、横並びの与えられた仕事をただこなす人生なんてつまらない。この事務所10年以上頑張ってきたのはすごいことだけれど、他にも道はあるから幸せになれる道を選んで欲しい。できれば表舞台で輝き続けて欲しいし、事務所楽曲を歌えなくなるのは残念だけれど、萩谷くんの人生からやりたいことをやって欲しい。

どうなるかは分からないけれど、もし表舞台に復活したら今度は二度と後悔しないように応援しようと思った。こんなエモい気持ちにさせてくるアイドル他にあるんだろうか。ほとんどジャニーズからは離れてたのにこんな簡単に復活させてくる。アイドルには物語性があればあるほどファンが入れ込んでしまうけれど、こんな物語ぶっ込んでくるなんてずるい。昔やってたHeavenly Psychoを見てそう思う。「いつも夢に選ばれないまま」頑張ってきた7人。それでも、これからどんな形になろうと、みんな応援するよ。This is love songの終わりの「みんなと同じ未来を見れますように!」っていう萩谷くんの手書きコメントわたしもそう願ってるよ。すぐに復活は出来ないかもしれないけれど、ずっと待っているので、また元気な姿を見せてね。

2018-10-30

入り待ち

入り待ちに行って初めて対面でお話しした

今思い出しても現実感が薄くて夢だったんじゃないかと思う

なんか、会話とかできるんだ〜って感じ

同じ世界にいて、同じ言葉使ってたんだ〜って感じ

贔屓はとっても優しいし素敵

思い出せば思い出すほど好きになる、すごい

でもいま仕事ものすごい転換期を迎えてて

多分そのうちいけなくなる

こんな風にわたしの顔も名前も声もバレちゃって

行かなくなったらがっかりするかなあって思う、自意識過剰かな

贔屓が優しくて余計に申し訳なくなる

冷静に考えるとやっぱり一定距離感があって、

わたしの話は聞かないし言わない

それってやっぱり同じように、ずっと来てたのに来なくなった人とかいからってのもあるかなちょっと思う

そうだとしたら悲しいなぁ

あんまり行かないほうがいいかなあ

憧れの人は憧れのまま

なんの関係もないほうがいいかなあ

でも会いたいなあ

2018-08-15

増田よ、増田

早く結婚して子供をつくるのです。

そしてOlympicにわざとらしくお子を抱いて登場。

👧可愛い!天使

👦天使が現れた!

みたいな絶賛、Instagram降臨した天使で埋め尽くされ

出待ち入り待ちのぴーぽーはみなメリーズオムツプレゼント

幸せって何色かな?

2018-07-17

間近でお会いしたこともないし、

LIVEも行ったことないですよ。

何も判ってないでしょう。

知らないよね。あなたわたしを。

知る気もないよね。あなたわたしを。



出待ち入り待ちしてお手紙渡してくる人を

あなたは少なくとも認識はしているでしょう。



私はどこにもいないし。

あなたはそれを望んでいないでしょう。

2018-07-05

[]大原みちるバースデーライブ(2018)レポ

 2018年4月14日(土)、都内某所にて、アヤシゲ雰囲気を醸し出す集会が執り行われていた。新手のカルト教団ノンノン、今をときめくスーパーキュートパンドルこと我らが大原みちるちゃんバースデーライブである

 今年のバースデーライブ原宿オサレボックスで催された。一般ドルオタにとってはやや辛い空気であろうが、こちとら普段から公式ツイッター投稿されている喫茶店を巡る一流のパンドルオタクである

 突き刺さるギャル視線にも動じず、開演の数時間から劇場前に並んでいると、私の前に見知った顔が現れた。我らがパンドルであるパンドルは我々を一瞥すると、天使笑顔で微笑み裏口へと向かって行った。(みちるちゃん現場入りの直前に必ずパンを食べるので、入り待ちをすれば高確率でニッコニコ笑顔を拝むことができる)

 そろそろ本題のライブの話に移るとしよう。薄暗い箱の中でまず我々が目にしたものは、天井に届かんとするサイズケーキである

 デカい。流石に1人で食べられるサイズではない。そう思ったのだが杞憂だったようで、最初MCが終わるまでにつまみ食い切ってしまった。

 1曲目が終わり、今年のみちるちゃん活躍を振り返るコーナーが始まると同時にステージを割って昇ってきたのは天井に届かんとするサイズケーキであった。

 2個目。まさかの2個目であるしかパンドル、これをまたしてもMC中に平らげる。もうなんか話がどうこうとかどうでもよくなるぐらい盛り上がる。というか実際どうでもいい。CD写真集も全部持ってるし。正直ここで箱が揺れすぎたせいで2曲目に何を歌ったのか全く思い出せない。

 2曲目が終わった我々が目にしたものは、スタッフ台車に乗せて持ってきた天井に届かんとするサイズケーキである

 3個目。まさかの3個目である。これに会場、割れんばかりに盛り上がる。このあたりで我々はうっすらと気付き始めた。

 『コイツもしや、バースデーライブに乗じてケーキを食べたいだけでは?』

 流石の大原みちるバースデーライブでも一切ブレることは無かったのであった。

 最後MCが終わり(4個目)長いようで短かったバースデーライブエンディングを迎えてしまった。彼女が語った「今年はフォンダンショコラのようなアイドルを目指したいです!」という抱負は正直意味不明だったが、それでいいのだと思う。今までも、そして今年も、来年も、数年後も、きっと彼女パンドルであり続けるのだ…

 ちなみにライブ後の彼女は腹ペコなので、出待ちしているとやや引きつった笑顔を見せてくれる。かなりレアな表情なので、皆も迷惑にならない程度に出待ちしてみて欲しい。

以上、大遅刻な上に内容も滅茶苦茶でしたがバースデーライブレポでした。

2018-02-05

タカラヅカ世界に入った私がしたのは、いわゆる「会」に入ることだった。劇団非公認のジェンヌさん個人FC。噂の「会」というものがどういうものであるのか、潜入してみよう。そんな興味本位そもそもの始まりだった。

しかし前提が茶の間なのでそんなに現場に出ることは出来ない。一公演にほんの数回の観劇が精いっぱいの私にとって、「会活動」とはどんなものであったのか。未知のものとの遭遇はとてもスリリングでエキサイティングだった。好きな人の前に立って、私はあなたファンです、と合法的に言えるということにとっても興奮した。初めて勇気を出したのはある日の公演終わりの楽屋出待ちだった。急遽お稽古待ちスタイルに変更になって、私はバス時間ぎりぎりまで待機することにした。会からのお知らせでスタンバイ場所は聞いてはいものの、他の会との兼ね合いがさっぱりわからず、スタッフさんに電話で泣きついて待ち合わせてもらった。当然一番乗りだったのであれよあれよという間にお隣歩きというものをすることなった。今思い返してみてもあれは怖いもの知らずならではの蛮勇だった。今の私は機会に恵まれてもお隣を歩くことを固辞してほかの方に歩いてもらうことにしてる。あんなに恐ろしいこと、二度とする気になれない。あの時のお隣歩きは、今も大事な思い出になってる。遠くからたことをアピールする私に私の好きな人はやさしく笑って、遠くからありがとうございますと言ってくれた。幸せだった。それだけでいい。それ以上なんていらない。そう思ってその思い出を大事に抱えて一生を生きて行こう。そう思った。

無事に初めてのお稽古待ちとお隣歩きを済ませた私は、少しずつヅカオタとしてステップアップしていくことになる。

公演の入り待ち出待ち、会総見に、親睦会。現場に出られないながらも少しずつ経験を積んでいった。そしてチケットを買えないからこそ、現金を振り込んだ。タカラヅカには好きな人に直接現金を送ることができるのだ。応援するなら金をくれ。身も蓋もないシステムだけど、そこには真理しかない。現場に出られないならお金を送ればいいじゃない。ささやかな額ではあったけど、毎月決まった口座に振り込むということは「贔屓」という言葉を実感させてくれる行為だった。私の贔屓。そういうプレイを楽しんでいた。

そして大人会の入会案内が届いた。参加条件がどういうものなのかは分からなかったけれど、私に送られてくるくらいだから単に年齢のせいなのかなって思った。ただ、現場に出ることのできない私にとってお食事会というイベントはとても魅力的だけども参加が難しく、会費だけを払うことも考えたけど、それはあまりにも不相応、私の身の丈には合わないと、散々悩んで入会は見送った。大人会がどういうものであるのかを覗き見ることができるかもしれないというのはとても魅力的だったのだけれど・・・!そしてこのことが後々尾を引くことになる。

いろいろあったけど、ピークはディナーショーだった気がする。宝塚ホテルの公演はキャパが小さくて、チケット難が予めアナウンスされていた。限られたパイを分け合う時、タカラヅカではどれだけお金を出したかで分け前が決まる。そういう世界だ。知ってる。多くを出したものが欲しいものを得る権利を持つ。自明の理だ。単純なシステム。当時の私は持てるものをすべて出した。やるだけのことはした。なんとかパイの欠片は与えてもらえた。ホッとした。

そして迎える退団公演。最後からといつもは現場に出られない私も私なりにチケットを申し込んだ。初日も。千秋楽も。大劇場最後に大階段から降りてくる姿が見たい。そう思った。最後からと今まで頑なに行かなかったお茶会にも申し込んだ。他の会の方から連れて行ってほしいという申し出を受けたりもした。嬉しかった。彼女ファンということで私のことを思い出してくれる人がいるという事実が嬉しかった。実は私も初めての参加なのだとは言えなかったけれど。千秋楽には白装束と言われる全身白コーデのファッションで入り出もして、そしてフェアウェルパーティに行くんだと意気込んでた。まず最初の躓きは、フェアウェルパーティ足切りだった。FC会員なら全員参加できるものだと呑気に思い込んでいた私は冷や水を浴びせられて言葉を失った。ショックだった。条件は、大人会に入ってること、もしくは去年一年間で入出の回数が規定数を満たしていること。お金を出している人もしくは現場に出ることの出来る人、それが条件。ああ、大人会・・・!現場に出られない私にとって大人会が救済措置だったのに、私はそれを自分の手で握りつぶしていた。ショックだった。フェアウェルがどういうものなのかは噂でしか知らないけど、ファンとして最後のお別れができる場なのだととらえていた。ご本人よりもファン同士で別れを悼むという意味合いもあるのかなと思っていたので、孤高の茶の間おひとりさまの私にはハードルが高いなぁって若干尻込みはしていたんだけど、それでも最後からとぎゅっと握り拳を固めていたところだったのに。

過分なことを望んでいたんだなぁってようやく自分立場自覚した。私はお金時間も費やしていないただの茶の間なんだから現場に出ないでも楽しむことができると嘯いてたタカラヅカ世界において、一番の底辺だということを思い知らされた。卒業最後に立ち会えない、そういう人間なんだって。分かってたつもりが全然分かってなかったんだと。ファンというざっくりとした括りの中に私は含まれていないんだなって全力で拗ねた。応援してくださってありがとうファンの皆様の力が支えとなっています、そんな定型文を耳にするたび、自分に対する言葉じゃないんだって心が荒んだ。私は私の好きな人世界存在していなかった。ただ遠くから眺めるだけの人間だった。いや、それが茶の間の正しい姿だし、清く正しい茶の間であることが私の誇りだったはずだ。少しのぞき見をしてしまったばっかりに、自分が内側にいるかのような錯覚をしてしまった。大いなる錯誤。なんたる勘違い。私は大好きだけど、でも彼女の設定してる「ファン」の中に私はいない。まずはそこに立ち戻ることにしよう。

そして千秋楽チケット難のお知らせ。ここでも、今までの貢献によってチケットを配分しますとアナウンスがあった。またか。もうたくさんだ。うんざりだった。

私の中で何かが失われた瞬間だった。

もう千秋楽なんて行かなくてもいいや。白服も買わなくていいや。そうだ、だって、私、ファンじゃないんだもん。

大の字になって真っ白な天井を見ながらやけくそなことを思ったらちょっと落ち着けた。自分の出来ることをできる範囲でやるだけ。現場に出なくても楽しいことはたくさんある。それが茶の間の正しい姿。それなのに、ちょっと現場に出ると欲が出てしまった。私も何かになれるんじゃないかと思ってしまった。とんだ思い上がり。茶の間大人しく茶の間に戻るだけです。楽しかった。最後にはままならないことに泣くことになったけど、それも含めていい想い出になるんだと思う。さよなら、大好きな人。ずっと大好きな人。どうか幸せに。

2018-01-26

積み重ねていない人生に負い目を感じる

もう何年かタカラヅカオタクをしている。

ご贔屓(他ジャンルで言うところの推し)の私設ファンクラブに入り、入り待ちに行き、公演を観て、出待ちに行く。

お疲れ様です、と言いながら、並んでお手紙を渡す。

もはや一つの公演を10回以上観るのが当たり前になっている。

でも、特定の贔屓を持つヅカオタは、だいたい同じくらい観ていると思う。

宝塚はいい。

夢だ。煌びやかなイルミネーションや、ディズニーパレードを見ている時と同じ気持ちだと思ってほしい。現実を忘れて、ただうっとりする時間

なのに終演後、幸せ気持ちで1人帰路につくとき無性に虚しくなる瞬間がある。

彼女たちは美しい。

美しいだけでめちゃめちゃ偉いのに、加えて努力している。

これは応援する側のスタンスの話でもあるが、宝塚というのはアイドル的要素もあって、舞台自体完璧じゃないことも多い。

入団1、2年目のド新人が抜擢されて、大きな役を演じることも多々ある。なんだこいつは!?ズッコケることもある。

それも含めて宝塚。我々は完璧舞台を求めているわけではなく、成長していく彼女たちを観に行っている。私たち応援して支えるんだ!というファン心理を上手くついたビジネスである。実際、入り出待ちに数人しかいないような日は、私が支えているんだという気持ちになってくる。

ただ、ときどき、私には彼女達が眩しすぎる。

夢を追って、もしくは夢を叶えてキラキラしている。常に上を目指して努力している。大勢のお客に作り上げたもの披露し、大きな拍手を貰っている。

勿論、表に見せない様々な悩みや困難はあるだろう。でもその困難に向かって頑張っていること自体が、私にはひどく眩しい。彼女はいろんな経験をして、ひとつひとつ積み上げて、成長していく。

私には何もない。

私のような虫けらがフェアリーと肩を並べようなどと考えたことはないが、ときどき無性にそう思う。

結婚もしていなければ恋人もいない。

毎日会社に行き、趣味に費やす為のお金を稼ぐ。それだけ。

宝塚が私にくれるのはひとときの夢であって、私の人生ではない。

普通社会人なら、いや仕事を頑張れよと思うだろう。

でもそこまでの情熱が、どうしても持てない。なぜか。1番やりたいことではないからだ。

私にもかつて夢があったが、20歳そこそこで無理だと気がついた。このまま続けても、恐らくバイト暮らしの夢追い人になる。夢を叶えるには才能が必要で、どう足掻こうと無いものは無い。それを得るだけの果てしない努力も、人生を投げ打ってまでやり切れる自信がなかった。

私は全てを諦めた。

そして就職した。

そして、今、タカラジェンヌ応援しながら生きている。

ここで宝塚とは縁もゆかりもない、むしろ一番かけ離れた漫画の話をぶっ込みたい。

最強伝説黒沢」という漫画をご存知だろうか。かの有名なギャンブル漫画カイジ」の作者、福本先生漫画である

中年の冴えない土木作業員日常を、独特の台詞回しで哀愁たっぷりに描いた名作だ。

だいぶ前に読んだきりだったが、第1話の冒頭に忘れられない台詞があったので、調べ直した。

主人公黒沢が、仲間たちとテレビサッカーW杯の中継を見ている場面。黒沢日本勝利歓喜し涙するが、一方で彼のモノローグは以下である

「感動などないっ…!

あんものに……

オレが求めているのは……

オレの鼓動… オレの歓喜 オレの咆哮

オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ…!

他人事じゃないか…!

どんなに大がかりでも、あれは他人事だ…!

他人祭りだ…!

いつまで続けるつもりなんだ…?こんな事を…!」

今になって、あぁこれだなぁ、と思った。

タカラジェンヌは私に人生の楽しみを与えてくれる。

でも、確かに他人祭りだ。

私の感動ではない。

証拠に、近い将来贔屓が退団した時に、私の手元には何が残るだろうか。

しかった思い出。それだけだ。貯金は恐らくゼロだ。

ところで、宝塚歌劇団に入るには、宝塚音楽学校卒業しなければならない。

入学倍率は毎年20倍以上。

そこで振るい落とされた女の子は、今何をしているんだろう?

新しい夢を見つけられただろうか。

黒沢はどうしたんだったっけ?

みんなのお弁当アジフライを詰めて、モコッとさせていたことは覚えている。

私も、私だけの感動があればいいのに。

ドチクショウ。

ヅカオタは続けるだろうが、とりあえず黒沢続きを読む

2017-11-30

ジャンルルールを持ち込むな

2.5次元俳優の人気俳優劇団新☆感線に絶賛ご出演中だが

出演が決まった時から懸念が実現してしまった。

出待ち問題である

案の定、連日出待ちがたむろしているらしい。

まず言っておくが私は出待ち容認である

件の新感線舞台でも出待ちをしたことがあるし

ご贔屓にしている役者舞台でも出待ちはする。

禁止でもないし、嫌な顔もしない。

歓迎でない時ははっきりとそう言われるし、

向こうから声をかけてくれることもある。

もちろん劇場から遠く離れて接触を図ったり

いかけまわしたりするのはNGであるという前提で。

そもそも演劇業界において”出待ち”というのは

当然のごとく存在する一文化である

歌舞伎でも能でも”役者”が存在する限り必ずファン存在

その一行動として”出待ち”は存在した。

そこにアイドル的な売り方、要素を持ち込んで

若く、一般的演劇に慣れ親しんでいない層を取り込んだ

2.5次元舞台というもの、またそこから派生した2.5次元産の”若手俳優”という

新たな概念において、危険過激な行動に走る人たちが現れて始めたため

出待ち禁止」が当たり前のように明言されるようになっただけである

上記あくまで”2.5次元舞台”およびそこで活躍する役者を多く用い

そのファン層をターゲットにした舞台に限っての話である

話を今回の件に戻すが、今回某人気”若手俳優”が出演しているのは2.5次元舞台ではない。

商業演劇として独自の発展を遂げてきた老舗劇団であり

劇団のものに非常に多くのファンを抱えている舞台である

郷に入りては郷に従えと言うではないか

新感線出待ち禁止していない以上、そこに出演する役者

その劇団ルールに従うべきでないのか?

もしどうしても嫌だというのであれば、そもそも出演しなければいい。

100歩譲って自分は嫌だ、しない、できないというならそれでもよかろう。

所詮出待ちは料金外のサービスなので、給料以上のことはできません負いうのであれば

それはそれで結構だと思う。

その態度で一生食っていけるかどうかは甚だ疑問ではあるが。

そして一番勘違いをしているのが、その人気俳優2.5次元舞台から連れてきた

2.5次元舞台ルールにどっぷりはまった、それが正義と信じて疑わない盲目たちである

それが見ていて非常に不愉快である

主にTwitterでの発言だが

役者さんの事務所から入り待ち出待ち禁止注意喚起が出ましたが、

>>新感線さんからは出さないんですかね?

出すわけがない。

何と言えというのであろう。

「某人気俳優さんは出待ち禁止です。こちらの方を待たれないようにしてください。」

とでも言ってほしいのか。

多くの新感線ファンが「勘違い野郎だな」と鼻で笑うだろう。

今回の舞台にはこの人気俳優よりも知名度も人気もギャラも上の役者ゴロゴロ出ている。

そんな中一人だけ”出待ち禁止”というのだけでも恥ずかしいのに

そこに来てファン2.5次元舞台だけの論理正義を振りかざすのが見ていてとても滑稽だ。

ファン役者の鏡という。

そもそも出待ちに対する印象が

>キャーキャー騒げば役者さんが喜ぶと思ってるの?

だの

劇場の外で出待ちですか?ストーカーと変わらないと思いますよ。

だのと、こんなファンをかこってること自体がその役者レベルを表してるだろう。

役者さんを悲しませてしまう事はやってはいけない。

悲しむことをするような出待ちなんて他の現場では見たことがない。

なんでそんなファンが発生しているのか。

そんなファンを育てた役者本人に責任はないのか。

自分の立ち回りがへたくそで厄介ファンを抱え込んで

関係の無い他の役者ファンを巻き込んで大声で「出待ち禁止!!」とは

はた迷惑もいいところである

>本当に役者さんを思っているのなら休ませてあげる事を考えるべきなのに、

職場から家に帰る途中で手を振ったり会釈したりする程度で疲れるだの

休み必要だのとどんだけ虚弱体質なんだ。

誰も毎日プリンスロードをやれと言ってるわけじゃないってのに。

(そう考えるとかのプリンスたちはものすごいなと思うが・・・

出待ちに愛想するくらいで病気になったり、次の日に支障が出るくらいなら

役者向いてないのでやめた方がいいですよと大声で言いたい。

>入待ち出待ちは本当にやめて!髑髏城月に出演されている全ての役者さんファンにどうか届いて!

うるせぇ、お前は誰を代表してどの立場でんなこと言えるんだ!!

はっきり言っておきたいのだが、

何が何でも出待ち害悪である、という2.5次元舞台の考え自体

ジャンルでは害悪であるということである

どうか、今後も2.5次元で人気の役者サマは一般舞台に出てこないでください。

はっきり言って迷惑なので!!!

2017-09-23

ジャニーズ出待ちの思い出

高校から大学にかけてジャニーズのおっかけをやっていた。

やたら括弧書きが多くなってしまったがせっかくなので投稿する。

自分も初めはコンサート舞台に行くだけのファンだったがある時、自担自分担当女性アイドルでいう推し)が辞めるという噂を聞いた。

自担デビューしていないジュニアだった。今では辞めたジュニア芸能活動を再開するのは当たり前のようになっているけれど、当時は辞めたジュニアがまた芸能活動を始めるのは珍しく私は自担が辞めてしまったらもう会えなくなる!と焦った。

ジャニオタの間では自担が出演する現場に行くことを会いにいくと表現することが多い)(これがすでに痛い)

どうせ会えなくなるなら最後に本人をもっと近くでみたい!と考え舞台出待ち現場に長い手紙を書いてもっていった。

舞台関係者用出口にいくと女の人がずらっと並んでいた。その中で仕切りと呼ばれる出待ちをするファン通称オリキ)のトップの人に

自担の列の場所を聞いた。一応、出待ちにもルールがありファンごとに列が形成され通行人邪魔にならないようにはじに寄せられていた。

その日は平日で代表受けだった。はじめて来た私は10人前後自担ファン代表にされて手紙わたした。(代表受けはその日来ているファンの中で代表を決めみんなが書いてきた手紙代表で渡す。舞台期間に一度も代表をしていない人から優先される。初日じゃんけんなどで決める)

代表はお疲れさまです。などの一言を直接、担当に伝えられる。でも個人的な事や(今日誕生日です!など)質問禁止だった。みんなの代表なので一人が会話をするのを防ぐためらしい。ちなみに代表以外は座っている状況でめちゃくちゃ緊張した。渡しおわると自担ちょっとした話をしてくれた。演説といわれる出待ちでの話の長さは人によって違うのだけれど自担はすごく短かった。それでも今まで舞台の上に立っていた自担が目の前に私服でいて話てくれる。しかも帰り際には一人一人の目を見ながら手を振ってくれるという対応に舞い上がってしまった。よくオリキ現場に入らないないのに美味しい思いをすると言われて嫌われていたが、確かにこの体験はおいしいものだった。しかし、担当が来るまでと帰った後の待ち時間は大変だった。その現場は帰るジュニアオリキが遭遇しないように出演者するジュニア出待ち対応を終えて帰らないと自分たちも帰れなかったのだ。(ちなみに22時までに担当が来なければ解散で待っても会えない時もある)

しかも、待ち時間に仕切りにネット出待ちのことを書かないなどのルール説明をされて、自分名前を聞かれた。これがすごく怖かったのだけど出待ちをしているうちに、仕切りがその時の代表名前とその日並んでいた人数をファミクラジャニファンクラブ運営)に毎回伝えていることがわかった。人数が少ないと事務所に人気がないと思われてしまうのでまた来てね。と言われたりする。ヤラカシストーカー的な厄介行為をするオタ)にまで並ぶのを頼む人もいる。

それで怖いけれどすっかりはまってしまった自分はこの舞台間中出待ちをすることになる。そうすると今度は個人受けの日にあたった。個人受けでは担当の列に並んでいるオタ一人づつが手紙も渡せて個人的な会話をできるのだ。ここで色々話して担当が笑ってくれると嬉しくてまたはまった。しだいに入り待ち出待ちもほぼいるオタクになっていった。舞台期間はほぼ一ヶ月で、自担は並んでいる人数が10人いればいいほうなので毎日いれば顔認知簡単だった。(ジャニオタの中で認知基準が色々あり自分の周りは名前と顔を覚えているのが認知、顔だけが認知

本当に人が少ない所だとオンリー(並んでいる人が一人)や毎日個人受けの所もありジュニア認知されている人というのは世間が思っているより多い。認知個人ファンサは勘違いと思われている事が多いがジュニア担当の中では本当にあることであった。

出待ちできる現場舞台だけではなく予想より多く、会える機会が多いことにますますはまっていった。非公開と呼ばれているスケジュールが公になっていない現場にいった時は塩対応だったけれどそれでもたまに優しくされるだけで良かった。オリキ友達もできて毎日しかった。

でも、認知されると今度は干される(ファンサをくれない、無視される)のがつらくなってきた。最前列で視界にも入れてもらえなった時は泣いた。

そのうち、大学課題就活出待ち現場にいけなくなり自然卒業できたがあのまま続けていたら確実に病んでいたと思う。担当は辞める噂はなんだったのか未だにジュニアを続けている。

あの時の仕切りはまだ毎日現場にいると思うと人のことは言えないがすこしぞっとする。

当時の思い出に関連して出待ちするようになってからファミクラにたいして不満に思っていることがある。

仕切りたちが歌番組番組協力で手伝いをしていたり、握手会のはがしをするなどの仕事をしているが、その代わりにチケットをもらっている。

また、ごくまれにだがオリキけが終演後ロビーに入れられてハイタッチ回をしていたこともある。これは並んでいる全員とやる時もあるが仕切り達だけできる場合もあり不公平に思っていた。(当時バックについていたデビュー組みによる指示と噂がまわったが真相不明

デビューすると出待ちできることが少なくなるが、出待ち文化を隠すわりにジャニーズオリキ優遇しすぎだ。今も有楽町でたくさんのジャニオタが並んでいるようだがこの文化はいつまで続くのだろうか。

2017-08-21

我慢するくらいなら話かけなくていいよ

私は10年近く某ダンスグループ

所謂追っかけをしている。

ダンスグループと言っても

活動はここ数年は、年一回の舞台公演のみ。

芸能人タレントと言うよりは

普段ダンススクール先生や、J事務所声優アイドル振付

バックダンサーときもあるが

芸能とは全然違う職業についているメンバーもいる。

結果、余り芸能人ぽくないし、追っかけも人数が知れてるから

対応は「ネ申である

認知で言えば、顔は勿論だが、

名前楽屋待ち対応サインをして貰い、名前を入れて貰う)

住んでるところも大まかに把握されている。

プレゼントしたものを使って貰うこともあるし

友人は公演のときジョークグッズを差し入れしたら

友人の推しがその日の小道具として持って出てきたこともある。

(そしてスベっていた)

大体、ファンであれば自分推し

レッスンやワークショップに通っている。

そんな人は楽屋待ちなどせずとも

終演後、面会ができるので

私のように自分で踊ることに興味がないファン

楽屋待ちをするしかないので、まあファンとしては底辺だ。

私はグループで一推し、二推しがいて

二人に対応をお願いする。

推し本人たちがどう思っているか

いたことがないので知らないし、興味がない。

この二推し(仮にBさんとする)のファンの人で、待ちのときに話す人がいる。

面倒なのでAさんとする。

病院で投薬治療するくらい心身とも問題があるが

どうしてもカスる(会えずに終わる)の嫌で

夜公演でも朝7時頃から劇場で待っている。

Aさんに「Bさんのオキニ」と決め付けられてる私は

着けてたアルファベットネックレス

「そのネックレス、Bさんのイニシャルじゃないね。Bさんそれ見てどう思うかしら?」

とか

差し入れ出演者全員で食べられるように果物を多めに用意したら

「そんなにお金かけて高いもの上げたのに、Bさんに食べたか聞かなくていいの?」

とかトンチンカンなことを聞かれていた。

Aさんは「自分はBさんに嫌われてる」繰り返し言うので

最初こそいやそんなことないでしょと答えていたが

最近は私も一推しには嫌われてるよと返している。

ババアである私と年齢はそう変わらないが、Aさんは情弱だ。

携帯端末販売してたこともあると聞くが

PCスマホも使いこなせず、ガラケー民の私に

Twitterで何が楽しいの?」

「インスタってどうやって登録するの?」

と聞くのはまだいいが

Twitter情報が早い、リプライ交流ができることがある

そもそもインスタはやってないので知らないと言えば

ふーんと返事するが、多分聞いても覚えてないので

別の機会に全く同じ事を聞く。

また遠征民なので、よく高速バス乗り場や最寄り駅への乗り換えも聞かれて

お前の手に持ってる板はなんだと言いたくなるし

答えても、心配なのか何度も確認してくる。

この上に、聞いてもいないAさんの身の上話

(昔婚約破棄されたとか自分病気とか)もあるので

年に一回でも話すのは勘弁して欲しいと

近年は出来るだけ距離を取るようにしていた。

私は底辺なので、イベントゲスト出演時も

ワンチャン出待ちする。

先日、その日現場があることも忘れて自宅にいたら

Aさんから着信があり、出なかったら

メール入り待ちいるか聞かれた。

自宅にいることを返信すると

了解」と返信されたが、

なんの意図で聞いてきて、何を了解したのか全く分からない。

このイベントの開演前にトイレの前でAさんとすれ違って気づかれたが

挨拶だけして分かれた後は

広い会場が幸いし、終演後まで顔を合わせずに済んだ。

100%Aさんがいると分かっていたが

終演後、楽屋口に向かった。

Aさんがいたので反対側のポジションにいたが

やっぱりAさんに気づかれた。

隣に来て、話しかけられる。

今日カスって、手紙差し入れ

プレゼントボックスに入れるしかなかったとか

秋にあるショーに出演しないと別のファンに言われたが本当かとか

またバス乗り場と最寄駅の行き方を繰り返し尋ねられた。

その内にこう聞かれた。

「もうグループに人気なくなっちゃたから、Bさんどうでもよくなって出てこないのかな?」

この「人気なくなった」ネタはAさんのお気に入り

この2,3年折に触れて「人気なくなったね」「人少ないね」と言っていた。

「Bさんに聞いてみれば?人気がなくて人が来ないから出てこないんですかって」

から言いたかったし、もういいや年に一回会うか会わないかの人に気を遣うのやめよう

そう思ってAさんにそう言った。

そんなこと言ったら嫌われちゃうと答えたAさんに

「でももう嫌われてると思ってるんなら、別にいいじゃん」

と言ったら、今日は違うと感じたのか

今日はずいぶん冷たいね」と答えられた。

一瞬取り繕って

「聞き方とかあるじゃん?人に聞いたことを鵜呑みにするよね?」

と言ってしまった。

猶もAさんは今日は開演前から態度が違った、何があったのかと聞くので

「人に聞きすぎだよね」

と答えるとと「もう話しかけるなってことね」とAさんが言った。

「まあ違うけど、言い訳になるからいいよ」と告げて

Aさんから目をそらし、まだ来ないBさんを待とうとしたが

「今度は私がどう思うか聞いてね」

声がかかった。

「そういうの、いいや」

とAさんに目を向けず答えると

「私ばっかり我慢して、馬鹿みたいじゃない」と声がした

Aさんも私と話してて、なんか我慢してたのか

「だから我慢するくらいなら話さなくていいよ」

とAさんに向けて言った。

多分、次の現場ではお互い我慢せずに済むので

Aさんはせいせいしているだろう。

私は厄落としでこれを書きました。

あいついると、絶対カスるんだもんな

 

2017-05-14

釣った魚には餌を下さい

コンサートで一目見てビビときた。

入所当時、たまたま彼がバックJr.として出たコンサート。まだ入って間もない頃だった。右も左も分からない、そう形容するのが正しいと思う。

顔が特別格好良いわけではなく、ダンスは驚くくらい下手くそ自分ファンが居ない状況でも、彼は一番ステージを楽しんでいた。前を向いてニコニコしながら、堂々とステージに立っていた。

そんな姿に惹かれ、担降りという形ですぐに彼のファンになった。

初めて彼にファンレターを渡した時、私ともう一人のファンに向かって「初めてお手紙を貰った、ありがとう」と嬉しそうにはにかんだ。一週間もしないうちに返事がきた。お世辞にも綺麗とは言えない字で、これから応援して欲しいと書いてあった。

今思い返すと笑ってしまうが、そんなありきたりな言葉が舞い上がるほど嬉しくて、私は彼の出る現場に通いつめるようになった。

コンサートでは彼の立ち位置の前の方で彼の団扇を持ったし、舞台では彼の登場通路に入り、彼だけを見続けた。

当時はファン殆ど居なかったこともあり、彼はすぐに私という存在認識してくれるようになった。コンサート舞台では意識的目線を送ってくれるようになり、決まった合図をしてくれる。彼が自分を覚えてくれている、見てくれていることが嬉しかった。露出とともに増えてきた他のファンに対しても、独占欲嫉妬よりも、正直優越感が勝っていた。

そんな日々から数年が経ち、彼はユニットに入った。大学生だった私は、現在社会人として働いている。当時ほどの熱量ではないが、今でも彼のファンを続けている。

人気絶頂といったら調子に乗りそうなので言わないが、一躍人気者となった彼は、ツイッター検索をすれば何百人ものファンが居て、雑誌テレビ舞台コンサートを頑張っている。

そんな状況でも手紙の返事は必ず返ってくるし、コンサート舞台では見つけて合図をしてくれる。入り待ち出待ちはしなくなったが、たまーに街で見掛けるとあちらから会釈をしてくれる。

ただ、好きになった時期が早かっただけ。ただそれだけだ。彼がいつもの合図をしてくれなくなったら、返事を返してくれなくなったら。

彼の中の「もういらないファン」というカテゴリーに入ることに恐怖を感じていた。

彼はサービスの一環でやってくれているだけであって、義務ではない。いつもありがとう、と言うとこちらこそありがとう、と返事をする。ただ、そこに数年前の嬉しさはないと思う。

そろそろ潮時かな、と思った。

ステージの上で無邪気に笑っていた幼き日の彼はもう居ない。デビューしたい、と真剣眼差しで語った彼を、遠くから支えようと思った。

その旨を手紙にして彼に渡した。すぐに返信が来た。「まだ応援して欲しい」と。

初めて手紙を渡したときに、ありがとうと嬉しそうにはにかむ彼の顔が忘れられなくて、今日も彼のファンを続けている。

2017-04-03

とある若手俳優ガチ恋の救えない話


とある若手俳優出待ちを、もう三年間している。茶の間の期間を合わせたら、五年をゆうに過ぎた。現場にはすべて通い、プレゼントを山のように渡し、稽古場にも、プライベートな場にも顔を出している。彼の高校時代の友人や、芸能スクールに通っていたときの友人、仲の良い俳優演出家プロデューサー、繋がれるものは何でも繋がった。最初は驚いていた彼も、今はもう驚かない。「ああ、お前か」そんな顔でわたしと話す。毎月ある舞台に、稽古場。入り待ち出待ち。少なくとも月に十回以上話すのだから、致し方ないことだろう。

わたしは彼に、ずっとずっとガチ恋だ。

初めて彼を見たときから、ずっと。

彼は出待ちが嫌いだった。ふつうに話しているくせに、他のファン申し訳ないという気持ちが強かったらしい。彼女わたしという出待ちのことを愚痴っているのを聞いたとき、悲しくなったりもした。最初はたくさんいた彼の出待ちは、塩対応に耐えかねて、どんどんいなくなった。

それでもわたしは彼が好きだった。全通し、たくさんのプレゼントを渡し、最前に入り、ファンサを求めた。何度も何度も喧嘩をした。わたしは客なのに、どうして喧嘩をするのか意味がわからなかった。三か月間、入りも出もシカトされたこともある。泣いて、わめいて、理解を求めた。

泣きながら舞台を観て、何も楽しくないまま全通したこともたくさんある。

すべての現場に足を運び、祝い花を出し、プレゼントをしているのはわたしだけだった。わたしは意地になっていた。どうして一番お金を使っているのに優しくしてくれないんだろうか、という自己中な悩みを抱え、暗い気持ち劇場に行っていた。

それでもわたしは、彼が好きだった。どんなに辛くても、彼の隣を歩きたかった。

朝、彼の姿を見ると世界きらきらして見えた。どんな人込みの中にいてもわかったし、彼が乗ったタクシーですら感覚でわかった。どんなに遠い稽古場でも行ったし、何時間でも待った。一目見たくて会いたくて、どんな場所でも遠征した。どんなに出番が少なくても、会場にかけつけた。彼が舞台上に立って、輝いているのが大好きだった。どんなに嫌われても、大好きだった。

一度、新宿のど真ん中で大喧嘩をした。

「お前出待ちやめろ、まじで迷惑なんだよ」

「どうして?わたししか出待ちいないからそう思うんでしょう?」

「他の子申し訳ないし、公式の場では平等にしてるじゃん」

平等?それ、本気で言ってるの?お金使ってる子が偉いのは当たり前じゃない!平等なんて求めてないって何度も言ってるよね?しかも、ちゃんと平等にできているなら、ファンの子揉めたりしてないよ」

彼は押し黙った。彼のファンは全体的にお花畑で、掲示板ツイッターがよく荒れているのは周知の事実だった。わたしは泣いた。それで、その日はおしまいになった。

一か月後、久々の舞台初日出待ちをした。はじめて稽古場に行かなかったので、本当に久々に彼と話した。彼は喧嘩が嘘のように饒舌だった。わたしは面食らい、訊いた。

「…もう出待ちしていいの?」

「あー…」

「すごいしゃべるからびっくりした」

「俺もいろいろ考えたんだけどさ」

「うん…」

「お前来んなって言っても来るじゃん」

「来るね」

「それで…まあ喧嘩になるの嫌だから

「え…」

「だからいいよ」

「…あのね、わたしも一か月いっぱい考えたの」

「うん」

わたし自分の都合ばっかり押し付けてた。ごめんなさい」

一か月お互いのことを悩んでいたことに笑った。わたしは嬉しかった。ようやく、言葉が届いたような気がした。喧嘩をしたくないと言われたのも、わたしのことで悩んでくれたのも嬉しかった。

それから今日まで、わたしと彼の仲は良好だ。

話してもいい日、彼は自らわたしの元へ近寄ってくる。わたしダメときに無理やり話しかけることをしなくなった。電話をしていても「ごめん、折り返すわ」と言って切ってくれるようになった。ほかの俳優に断ってわたしと帰ってくれたり、去り際に「さみしい」と言ったら戻ってきてくれたこともある。個人イベントで、同厨の中で息苦しくなったわたしを気にかけてくれた。こっそりファンサをくれることも増えた。仕事のことも教えてくれるようになった。プライベートのことも、向こうから話してくれるようになった。遅刻ぎりぎりで二人で走ったり、迷子になって笑ったり、オタクからリプライを読んでいないって教えてくれたり、喫煙所で偶然会って笑ったり、たくさんたくさん思い出を作った。

そのたびに好きという感情が溢れた。わたしはどこまでもただのファンで、どこまでもガチ恋だった。

「付き合ってください」、そう、うっかり伝えてしまったことがある。隣にいた彼は驚き、「落ち着け」と言った。「落ち着け、今はまだ無理だ、まだ早い」わたしは驚いた。付き合う気なんかないくせに、なんていう回答をするのだろう。そしてわたしが本気であることも理解している。

クリスマスイブ舞台があった。帰り道、二人でイルミネーションの中を歩いた。わたしは再度告白をした。彼は曖昧に答えをぼかす。きらきらイルミネーション、隣を歩く愛しい人、単純に泥沼だった。返事は先延ばしにされた。わたしは安堵した。どうしてだろう。

最近、「好き」というと、彼が身構える。わたしはそのたびに悲しくなる。

わたしオタクをやめなければならない、と思う。

彼は俳優で、わたしはただのファンだ。

どんなに関係が深くても、それは変わらない。

でも、それでも、オタクをやめられないだろうな、とも思う。

同厨が知らないたくさんのことを知っているわたし肯定承認欲求。嫌になる。

下手に彼が優しいせいで、わたしガチ恋をやめられない。彼のせいにしないと、わたし自己確立できない。不安定だ。付き合いたい付き合いたい付き合いたい付き合いたい。


わたし今日チケットを取る。愛しいひとに会うために。

彼は最前わたしを見る、わたしも彼を見る。

終わらない。

わたしはどうしたらいいんだろう。

2016-08-16

若手俳優厨を辞めた話

一年半ほど前、若手俳優厨界隈にもリツイートで回ってきた匿名ダイアリーの内容が結構話題になった。

と、勝手に思ってる。

http://anond.hatelabo.jp/20150209010459

これを見てよっしゃ私も俳優認知された話でも書いてみっかと思ってはてなIDを取得して早数ヶ月…

お盆休みに暇なので久しぶりにパソコンをつけたのでこうして文章をしたためている。

上記の匿名ダイアリーを読んでからなんとなく私も追っていた俳優への興味が薄れつつあってようやく自分の中で完全に降りたと思えるようになった。

ここでいう若手俳優というのはテレビより舞台がメインの仕事ぶっちゃけ世間的には無名若さオタクへのアピールしか取り得のない役者ですらないタレントのことを指す。

出る舞台も2.5次元原作が多い。

(失礼なことを書いていると重々承知しているが顔なり演技なりコミュ力なり何かしら飛びぬけている人ならいつまでもそんなところに燻ってなんかいないのは見ていれば分かる)

不毛なので舞台テレビより下かという議論はしない。

それでも私は舞台が大好きだ。

応援していた(私は推しという言い方が嫌いなのでここでは応援という)俳優には服や時計などプレゼントもしたし、今思うと怖いくらい長い手紙も書いていた。

一応認知もされていたと思う。

自意識過剰丸出しでキモイので認知という言葉使用したくないが、なぜ認知されたと思うようになったかというと無視されるようになったからだ。

私は入り待ち出待ちなんてしたこともない。ただ座って公演を見るだけ。

客席降りのあるときは降りのパターン見出して通る通路を押さえたし、降りないパターンときは積んで前のほうの席に座るようにした。

遠征もした。

DVD発売イベントがあるときは同じDVDを何本も買って応募した。

握手会のためにCDも買った。話すことなんて無いし覚えて欲しくもなかったけどレーンが空いてると見栄えが悪いと思い何周もした。

そんなことばかりしてたら避けられるようになった。

考えすぎかと思うだろうが公演に一緒に入った友人にも言われたから確かだと思う。

それが原因で降りたかというと違う。

若手俳優を追っている人なら分かると思うが俳優にもいろいろなタイプがいて、

自分ファンしか構わない

自分ファンを避ける

新規をつけたくて既存ファンをないがしろにする

・分け隔てなくファンサする

・そもそもファンサしない

細かく分けるとこんなもんじゃないがざっくり分けるとこんな感じ。

そして私の応援していた俳優認知したファンには構わないタイプだと判断した。

まあ関係ない一回くらいしか行かない人からしたら知ってる顔ばかり構ってる俳優なんて嫌だからいいんだけど。

このことに気付き、覚えられたという喜びが一瞬芽生えたが次の瞬間にはそれならばどうにかしてファンサが欲しいと思うようになった。

彼の視界に入るための席を次々と買った。

公演や俳優を見るためではなく、自分が見られるために通うようになった。

回数入っていることをアピールするために手紙も毎回書いたし少しでも対応が良くなればとプレゼントを贈る頻度も一回に遣う金額も増えた。

手紙も回数を重ねると書くことがなくなるからプレゼントごまかしてたのもある。

服は結構着て貰えていたと思う。

雑誌取材とか稽古場の映像写真で形として残るのは素直に嬉しかった。

それなのに公演では反応がないのが悔しくてまたチケットを増やす、の悪循環だった。

毎日仕事終わりに行く公演は眠くて内容は頭に入らないしアンコール前奏が始まれば緊張で気持ち悪くなる。

いつからか私は公演本編も全然楽しめなくなっていた。

それでも同厨より多く公演に入ることがステータスだと信じていたので通った。

こんな観劇姿勢なのにネットで晒されなかったのは我ながら地味でよかったなと今更ながら思う。

しかしそんな舞台永遠に続くわけではない。

いわゆる卒業が来る。

終わりが来るのは最初から分かっていたがそれでも最後の公演の千秋楽は驚くくらい泣いたし次の日会社も休んだ。

もう二度と舞台でこの姿を見ることができない寂しさもあったが辛くて仕方なかった公演通いからやっと開放されるという思いのほうが強かった。

その後に舞台出演が発表された。

今までお金を掛け続けて追っていた自分否定したくないので勿論行く。私を突き動かすのはもはや意地だけだった。

公演がない間も花も贈る準備をするしプレゼント事務所に送るし手紙も書く。

そして迎えた卒業後初の舞台を私は全然楽しめなかった。

客降りとかファンサが無かったからとかではない。むしろ無くて良いと思っていた。

そこで初めて自分俳優の彼では無く、キャラクターを演じている彼が好きだったんだと気付いた。

あんなに見るのが辛かった舞台だけど、キャラクターを演じるためにカンパニー一丸となって作る世界観を追いかけていたのだ。

気付いたとたん魔法が解けるように彼の全てに興味が無くなった。

写真雑誌も全部処分した。

自分でも薄情だと思うほどに熱が引いていくのが分かった。

世界観が好きとは言ったが、新しいキャストが演じている同じ公演を見ても前と同じように一人のキャストに夢中になることは無くなった。

今はファンサとかそういう感情無しで見るステージは凄く楽しい

本当に何を見ても楽しいしみんな輝いて見える。

時々思う。たまたまあの公演で彼では無く別の俳優が目に付いていたらまだ俳優厨を続けていたのかと。

それでも私はきっと同じように追いかけて同じように降りていたと思う。

ここまで散々ネガティブなこと書いておいておかしいが、俳優をただがむしゃらに追いかけた日々は凄く充実していた。

ファンサを求めてから地獄だったけどいろんな地方に行ったり美味しいご飯を食べたのは楽しかった。

今、手元には半券くらいしか残ってないが時間お金を掛けた最高の道楽だったので後悔はしていない。

お金の無い俳優自分たちオタクのあげた服で少しずつ洗練されていくのも結構面白かった。

預金は全く増えなかったがお金は生きていれば稼げる。

生の舞台はその1回しかいから行かなければ後悔もできない。

やりたいことは大抵出来たし、不祥事とかカノバレではない分幸せなのかと最近やっと思えてきた。

これからお金を掛けずに無責任若い男の子にキャーキャー言おうと思う。

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