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はてなキーワード: 付録とは

2025-11-03

東京ベアトーキョー)と「適密」をめぐる観察記—過密が連れてくるクマの溢出と情報の偏り

導入:用語の整理と前提

記事比喩としての「熊東京(熊にとっての超過密中心地)」を用いる

行政境界ではなく「生息圏=都市雇用圏」に相当する“生態圏”の密度境界を参照し、過密=溢出・競合の強化、適密=1クマ享受できる上限まで享受可能でありながら資源循環が釣り合う状態、と定義して議論する。

主張の骨子(13点)

  • ジブリ作品群は広義の“過密問題(開発圧による生息圏侵食や心の容積の飽和)”を繰り返し描いてきた。
  • ただし、過密地の“中心”では一頭では消化しきれないほどの「熊文化資源・機会・刺激)」を享受できる。
  • 過密地の“最外縁”では繁殖家族形成が難しく、資源不足ゆえに人と生死を賭けた衝突が増える。
  • ところが、熊過密地の“中心”は、自らの過密さや“地下層熊”の生存戦略、適密地の存在をしばしば不可視化する。
  • そして、熊過密地の中心の熊営mediaは「秋田岩手(クマにとって)最高!最高!最高!」の宣伝に偏って熊たちに伝える。

観測メモ:中心・縁・外縁の三層


適密という考え方(定義効用


メディア環境可視化バイアス

  • 中心発メディアは“中心に都合の良い物語”を量産しがちである
    • 「中心=万能・唯一無二」「外縁, 非熊東京=欠損・劣後」という記号流通する。
    • 逆に「中心の地下層」「他県の適密」は映りにくい。
  • 結果として、熊にとって良好な生息圏の地理が歪んで伝わる

補助資料ポップカルチャーの参照範囲


反論への先回り


まとめ:誰のための“中心”か


付録用語辞典作業仮称
  • 東京ベアトーキョー):熊にとっての超過密中心地。資源と刺激が飽和し、外縁へと溢出を生む“源圧”。

おわりに:観点のお願い

「中心が語る物語」と「外縁が語れない現実」のあいだに、まだ拾えるデータと声が落ちている

秋田岩手最高!”の景色と、“九州不可”のラベルの向こうに、個体ちゃんと息できる“適密”が点在しているはずだ。

可視化の灯りを、中心にだけ当てないでほしい。

2025-10-07

anond:20251007161818

駅前だけで、ちょっと離れたところは全然閉じられてないイメージ

付録付きみたいなのは閉じられてるけど

2025-10-01

anond:20250930113832

2000年前後3DCG個人制作アニメが盛り上がった時期があったんだよ。

テレ朝のD's Garage 21とかNHKデジスタとか個人制作アニメ投稿番組があったりPC雑誌付録CD-ROMとかで投稿コーナーがあったりした。

そこから出てきた人も自分作品を出し続けてるのは新海誠とか富岡聡くらいで他の人気のあった人たちはアニメスタジオ就職して一スタッフとして働いてる人ばかり。

手間がかかりすぎて個人制作商売にならなかったんだよな。

生成AIに期待する向きもあるけど、「作品作り」に耐えるだけコントロールが効くUIが出てきても手間がかかりすぎてかつての3DCG自主制作アニメと同じ結果になると思う。

増田も当時、高校生なんでレベルたかが知れてるけど3DCG個人制作アニメをやってた。

2025-09-30

1冊じゃないけど anond:20250929224831

1980年代前半あたりの「月刊ASCII」とその付録?だった「年刊Ah!SKI」だな。

マイクロコンピュータとかPCとかの勃興期?のイキオイに乗せられて、実家家業がらみで農業系の大学行ってたけど、就職IT系エンジニアになって今に至るww

2025-09-29

遊戯王OCGはなぜヘンテコなTCGになったんだろうか

友達遊戯王の話をしていた時のことを取り留めもなく書いておく

あくまでも素人勝手考察ということでオフィシャル意見でも文献資料に基づくものでもない

俺の結論としては、遊戯王デジタルカードとしての側面が最初からあったために一般的TCGとは隔絶していたんだろうってこと

まず遊戯王ってルールが複雑だと言われるけど、そのおおもとの原因は他TCG採用していることの多い総合ルールを持たないことにある

総合ルールはいってしまえば全てのルールの下敷きに当たるものであり、ここに書いてある定義用語記法に従ってカードは作られる

時に総合ルールでは判断が難しい状況というのはフロアルールなどで解決するし、非常に難解なテキスト同士の処理はジャッジ公式裁定を出す

この裁定が間違っているかどうかも総合ルールに照らして考える必要があって、総合ルール裁定に合わせて改訂されることだってある

そういうのが一般TCGのやり方ではあると思うけど、遊戯王総合ルールという公のルールを持たず、代わりに裁定カード挙動を示している

からとき過去裁定と符合しなかったりする場面が出てきたりする

この取り組みが良いかどうかは別として、どうしてこういうことができるのかって話

総合ルールを前提にした運用ってのはそもそもプレイヤールールの全貌が開示された状態と言っていい

例えば呪文を唱える手順については、場合によっては大変細かく総合ルール記載されているが、こうするのは呪文の唱え方一つとっても統一した運用をすることで公平な競技ができるようにする意味がある

オレオレルールを通して勝手な処理をさせないようにするってことだ

こういうのはアナログゲームであるTCGからこそで、ボードゲームルーツにしているから全員にルールが開示されていないとダメって思想根底にあるんだろう

じゃあ遊戯王をみると、裁定という結果は開示されているがその理由や仕組みは明らかになっていない

これは罰則基準はあってもその基準を誰がどうやって作っているか、どういう法律に基づいた罰なのか明らかにされていないのと大体似ている

日本法律でそんなことをしちゃダメなのはわかるでしょ?

総合ルールを持たないことが悪いとは言わないが、それは競技指向がそれほど強くないカードゲーム運営にやる気がない場合に多いとは思う

じゃあ競技性の塊のようなゲームで、コナミのいち柱である遊戯王が、総合ルールを持たない理由ってなんだろう

これって恐らく、遊戯王が元々デジタルカードゲームと並行していたからなんだと思う

当初の遊戯王OCGはゲームボーイからまり、その付録あるいはメディアミックスの一つがOCGだった

コナミ自体デジタルゲーム会社から、紙のTCGという文化となじみがあまりない

まり現在遊戯王OCGの源流ってデジタルゲーム派生なんじゃないかな?

例えばマジック・ザ・ギャザリングアリーナ以前にも多くのデジタルゲームがあったけど、当初は存在していなかったしMOアリーナくらいしか実績がない

ポケカもデュエマも一応はデジタルカードゲームはあるんだけど、遊戯王に比べるとシリーズといてあまり確立していないし歴史もぶつ切りだ

遊戯王のように長い期間デジタルと紙が並行して作られていたTCGはあまりないように感じる

そこで思うのは、遊戯王デジタルが核なので総合ルールというゲーム自体オープンにするというやり方が合わなかったんじゃないかな?

例えばモンハンなどのデジタルゲームで様々なパラメータが開示されていたりダメージ判定などがされているが、それらの計算基準となるものの正体まで開示されているわけではない

これはユーザーにとって必要情報と開発運用にとって秘匿すべき情報が分けられているか

でもTCGは書いてあることが全てでありその情報ユーザー自力で説いて計算することが求められる

なので総合ルールなど詳細で厳密なルール必要なんだけど、デジタルゲームでそれをするのはゲームのもの仕様を公開するのと同等だよね

それってデジタルアナログが混在していた遊戯王では色々問題があったんじゃないんかな

元々が紙のゲーム総合ルールでしっかり定義づけられているか、あるいはシャドバのようにデジタルと紙が分離されているなら別だけど、遊戯王デジタルと紙がずっと平行しつつアニメもやっていた

なので恐らくだけどデジタルと紙の細かな仕様が完全には一緒ではなく、総合ルールという形に置き換えることが困難だったのかもしれない

デジタル挙動アナログゲームに置き換えるには相当時間と労力もかかるから、結果だけをあわせるため、裁定豊富になったんじゃないか

2025-09-13

昭和の頃って、インスタント麺の中に入ってるスープとか、かやくの袋ってすごい開封しにくかったんだよ。

いちおう切れ目とか、マジックカットとかそういう感じにはなってはいたんだけど、当時は技術的に稚拙だったから、なかなか素手で切ることが失敗するのが多かった。

でもさ、だからといってインスタント麺に付録としてカッターとかハサミはつけないじゃない?

袋を開けることに失敗するから、ってそれじゃ!ってカッター刃の先っぽみたいなのはつけないでしょ?

それはコスト的な問題とか安全上の問題とか色々とあるけれども、根本的な解決策としてスマートさに欠けるというのが理由だと思う。

で、結局どうなったかって言うと、パッケージ開封技術が向上したんだよ。マジックカットの精度を上げて、手で簡単に切れるようになった。真正から問題解決したってわけ。

お前らが今使ってるスマホでも同じことが起きてる。「文字が小さくて見えない」って問題に対して、虫眼鏡付属品として付けるか?付けないだろ。画面自体を大きくしたり、文字サイズを調整できる機能を搭載したりして、根本から解決する。

ところがIT業界で働いてると、この「カッター付きインスタント麺」みたいな発想をするやつがゴロゴロいるんだよ。

システムが使いにくい」→「マニュアルを厚くしよう」

エラーが多い」→「エラーチェック機能を追加しよう」

「処理が重い」→「サーバーを増やそう」

全部その場しのぎの対症療法だ。根本的にシステム設計を見直すとか、ユーザーインターフェース改善するとか、そういう本質的解決から逃げてる。

特にひどいのが、「ユーザー馬鹿から」って前提で作るシステムだ。確認ダイアログを何回も出したり、警告メッセージを山ほど表示したり。それって結局、カッター付きインスタント麺と同じ発想なんだよ。

昭和インスタントメーカーは偉かった。カッターなんか付けずに、パッケージ技術を改良し続けた。その結果、今の俺たちは何の苦労もなく袋を開けられる。これがイノベーションってもんだ。

でも現代エンジニアは楽をしすぎてる。問題が起きたらとりあえず機能を追加する。設定項目を増やすアラートを出す。それでユーザー負担押し付けて、「解決した」って顔をする。

本当にスマート解決策ってのは、問題のものを消し去ることなんだよ。その努力けが進歩を生むんだよ。

2025-09-11

anond:20250911085839

冠婚葬祭宗教だのめでたいだので金銭感覚バグるやつが大半だから普通に考えたらありえないことがまかり通ってる業界なんだよね

ゼクシィの主たるスポンサーは式場や結婚関連企業で、結婚式などの利益付録になっていると考えていい

anond:20250911085324

うちにもゼクシィ付録いくつかある

やっぱり雑誌は捨ててるねぇ、読んだの最初だけかな、結婚してからだし

anond:20250911085513

毎月出てて毎月何か付録がついてるのか

それもすごいな

anond:20250911084139

付録だけ取って雑誌即捨ててる人は多い気もするけど

食品シールついてるやつの食品捨てる人みたいな批判はなさそうだね

ゼクシィ付録がかわいすぎる

これを300円で売ってたら絶対赤字だよね、全ページカラーだし

全ページあますところなく広告なんだろうね

毎年10月号にはマルチケースが付くらしい、調べてみました

2018年 JILL STUART Beauty 花嫁コスメポーチ 2点セット

2019年 Maison de FLEUR Petite Robe チェーン付きマルチケース

2020年 JILLSTUART レザー調バッグ&ミニポーチ

2021年 スヌーピーマルチケース

2022年 スヌーピーマルチポーチ

2023年 スヌーピーマルチケース

2024年 ミッフィーマルチケース

2025年 ミッフィーマルチケース

2025-08-31

キメツのマンガフルカラー版なんで出ないんだろ

終盤、ジャンプデジタル付録フルカラー版がついててずっとそっち読んでてすげー読みやすかったんだよな

そのあとモノクロで読もうとしたけどぐちゃぐちゃしてて読む気にならんかったもん

早くフルカラー版出すべきだと思う

2025-08-30

参政党にとって林原めぐみブログ絶妙タイミングだったね

すっかり忘れてる人もいるだろう参院選目前にあったあの騒動

改めて起きたことを書き出すと、

 

 

この騒動が「左翼リベラルオールドメディア特権階級)vs普通日本国民」という構図を無党派層選挙に関心の薄かった人々に意識させる絶好のチャンスになり、参政党躍進の後押しになったのは間違いない。

2025年参院選で起きた事と社会環境を語る際の付録として、記憶に留めておきたい。

プログラマーって別に稼げる職業じゃなかったんだよ

プログラマーって聞くと今の若い人は稼げる業種って思うかもしれない。でも昔は、そのイメージとはまるで真逆だったんだよ。

90年代初頭、日本バブルの余韻が残ってたけど、IT業界なんてまだオタクの延長みたいに見られていた。NECPC-9801シリーズオフィス定番で、OSMS-DOS 3.3とか、その後にWindows 3.1が出ておお、マウス操作できる!なんて騒がれていた時代だ。

もちろんインターネットなんて一般にはまだ普及してなかった。せいぜいパソコン通信ニフティサーブPC-VANアスキーネット回線速度は2400bps。ピーヒョロロっていうモデム音が夜中の住宅街に響いていた。

俺らはそういう環境C言語アセンブラを叩いてたんだ。コンパイル時間がかかるからトイレに行って戻ってきてもまだ終わってなかったりした。

今みたいにGitHubコードを共有なんて夢のまた夢。ソースのやり取りはフロッピーディスクで手渡しだ。5インチのぺらぺらのやつな。運が悪いと磁気にやられて一発で飛ぶ。だから俺たちはよくフロッピー神社に参拝とか冗談言ってた。

当時のプログラマー給料なんてひどいもんだよ。

正社員手取り20ちょっと下請けフリーランスだともっと安い。今でいうSESの走りみたいな人売りも普通にあった。客先常駐COBOLやらされてバグが出れば徹夜オフィスに寝袋持ち込んで、カップヌードル缶コーヒーの山を築く。徹夜明けに食う吉野家の牛丼が唯一のご褒美。今みたいにエンジニア市場価値が高いなんて考え方はなかったからな。ただの駒だよ。

バブル崩壊後はさらにひどくなった。

仕事は増えるのに単価は下がる。Windows 95の発売で世の中はインターネット元年なんて浮かれてたけど俺たちプログラマー現実は泥臭いコード修正の山。Visual Basic 6.0やDelphiが出て「これで開発効率が上がるぞ」なんて言ってたが、結局は納期に追われるだけ。SunJavaが登場したときも「Write once, run anywhere」なんて夢を見せてくれたけど、実際には動かないアプレットと格闘する日々。

Linuxが台頭してきたのもこの頃だ。

SlackwareRed Hat Linux 5.2をCD-ROM雑誌付録で手に入れて、夜な夜なインストールに挑戦。LILOがうまく動かなくて起動しない、ネットワークカード認識しない、X Windowが真っ黒。そんな壁に何度もぶつかっては2ちゃんねる(当時はまだ草の根BBSが多かったが)やUNIX USER誌を読み漁って解決する。それが楽しくて仕方なかった。でも金にはならなかった。オープンソースに貢献しても無償善意で済まされるだけ。Red HatMySQL ABが上場するまでは、ただのボランティア活動と見なされてた。

今思うと、あの頃は純粋だった。

技術のものが楽しくて、ASCIIOh!Xを小脇に抱えて徹夜コードを書いた。秋葉原ジャンクパーツを漁って自作PCを組み立ててベンチマーク数字一喜一憂した。

飯代を削ってもSCSIハードディスク投資したし、月刊アスキー付録CD-ROMに入ってたシェアウェアを片っ端から試した。儲けようなんて意識はなかった。ただ、面白いものを作りたかった。

それが今じゃITは完全に拝金主義コードの美しさより投資家の顔色を見てる。エンジニアもどこが年収いかばかりで、言語フレームワークを選ぶ基準が金になっちまったPython流行るのもAIブームに便乗してのことだし、ブロックチェーンやNFTなんかバブルがはじける前提のネタ探ししか見えなかった。

もちろん、技術商業化されて豊かになった面もある。AWSGCPのおかげで誰でも世界規模のサービスを立ち上げられるようになったし、GitHubDockerで開発環境も夢みたいに便利になった。だがその一方で楽しいからやるという純粋さはどこへ行ったんだろう。GitHubの草がどれだけ生えてるかが採用基準になる時代Qiita記事投稿するのも、技術共有じゃなくて転職市場でのポイント稼ぎ。

あの頃には確かに、金ではなく面白さに突き動かされる熱があった。それが今は金の匂いに上書きされてしまったように感じる。

プログラマーって、本当は稼げる職業じゃなかったんだよ。

でも稼げなくても、やる価値があった。

今の若いエンジニアたちにその気持ちがどれだけ伝わるかは分からない。

当時「Hello, world.」と表示されるだけのプログラムに、30年前の俺は心を震わせていた。

その震えを知っているからこそ、今の金の匂いにむせ返る業界がどうにも虚しく見えてしまうんだ。

2025-08-28

平成女児というマーケティング

ツイッター(自称X)でどの世代ドンピシャだのなんだの話題になっている。

まず、平成女児という流行においてはどう見ても平成元年~10年頃生まれが主に幼少~小学生時代流行ったものリバイバルグッズとして販売れいる。

ただ平成女児という言葉のものにおいては平成女児だった人すべてが含まれる。

これらが対立すべきではないと思う。リバイバルのメインターゲットが違うだけなんだよね。

呼称が同じなのが悪い。というか売る側やメディアネット言葉そのまま使ったのが悪い。

平成女児といいつつ2010以降流行ったものリバイバルしていない。

アイカツプリパラシリーズ物からちょくちょく復活してるから別にリバイバルとは感じないし、

プリキュアもやたら初代(MH含)と5(gogo含)が推されているが、間のSSスルーされがちだし。

まりは売る人たちは売れればなんでもよくて、もともと売る予定だったもの勝手平成女児と名付けてるだけだと思っている。

それはそれとして、この問題で「自分たちはなんだったのか、虚無の世代」という発言がちらほら見られた。

虚無なんてことはない。森ガールファッションしまむらにめちゃくちゃ並んでたり、KERAファッションアベイルにめちゃくちゃ並んでたじゃないか蛍光色のプラスチック製鎖とかあっただろ。なあ!

きゃりーを筆頭に原宿系が市民権を得たり、ボカロ深夜アニメ市民権を得始めたり、進撃が流行ったり、いろいろあったはず。まぎれもなく平成だよ。

サン宝石だって平成女児っていわれてるけど、ほっぺちゃんに限っては君らの世代のものだろ。

まあ…それらがリバイバルされるのはいつになるかわからないけどさ。

ただやっぱりこういう人たちを見ていると、自分が時々考えている最近コンテンツリバイバル推しすぎ問題がチラつく。

なかよしは顕著だった。セーラームーンを始めCCさくら、ぴっち、しゅごキャラ

平成女児だった人たちを狙ったコンテンツを、今を生きる女児がメインターゲットのはずの本誌で続編だの周年付録だの。

別冊やムック本、なんならウェブコミックのみでやればいいのにと思ったよ。(その点りぼんはがんばってるね、すごいね。)

の子供たちが25歳くらいになったとき、何をリバイバルする気なんだろう。今の子供たちが大人になったとき、「私たち世代といえばこれだよね」って言えるものはあるのか。

そういう心配を割としょっちゅう考えてしまう。

余計なお世話大きなお世話だと思う。でも、自分がいろんな新作コンテンツ、新作おもちゃバカスカでてた時代女児できたのは、そういう新しい時代を作ろうとする大人がいてくれたからだと思うから

なかよし70周年の付録を見て、50周年のとき過去人気だった作品ポストカード!とかじゃなくて本当に良かったと思ってしまたから。

だって実際、武内直子先生ときめかが新連載で始まったとき、当時は「絵柄が古臭い」とか思っちゃったもん。

自分の周りのなかよし読者もときめかは読んでないって言ってる子がほとんどだった。(自分は読みはしていたけどやっぱり絵柄が気になっていた。)

大人になった今見るとかわいいと思うし、面白いとも思ったけど、短期で終わったのはそういうことでしょ。

そういう立場大人たちは今の子供と真剣に向き合ってほしい。

簡単に儲かるからってウチらの財布ガン見すんな。新しいもの作って今の女児新しい時代を作れ。もう令和7年だぞ。いつまで平成にすがっとんねん。

本当に女児時代昭和に縋るコンテンツばっかじゃなくてよかった。

てか本当に令和の女児コンテンツが見たい。

あとは今の子供たちが親の機嫌をうかがって好きでもないくすみカラーとか選ばなくてよくなる時代が早く来るといいね

2025-08-26

女向けのなろうにハマってた話

もうすぐ20になる年で、この歳で新しいジャンルにハマるとは思わなかった。ちなみにもうマイブームは去りつつある。

兄弟に生まれたから1年前までほとんど女性向け作品に手をつける機会がなかった。ちゃおとは遠い女児だった。ずっとラノベヤング向け漫画だった。

小学生時代友人宅でちゃおを読んだこともあったが、「ジャンプ漫画(単行本勢なのでジャンプ作品任意)読みたいな」と思って終わりだった。あとは記憶は薄いが、付録リボンが可愛くてほしかったくらい。

そもそも3DS全盛期の小学生はみんなで妖怪ウォッチとび森やるのが定番だった。あと公園でおにごっこケイドロ。色鬼ではカラフルな靴が大活躍してた。

中学時代Switch持ってる家でみんなでスプラマリカだった。楽しかったな。

とにかく漫画よりもゲームで遊ぶ方が多くて、少女漫画なんてことさら触れる機会がなかった。

高校時代バイト部活でぬるっと過ごし、進学が決まった休みの間で女性向けなろうにハマった。特に転生令嬢モノ。

元々なろう産ラノベコミカライズを読み漁ってた流れで女性向け?の作品に手を出した。

まず思ったのはゲーム世界に入りたいのは男女同じなんやなということ。乙女ゲーだったりMMORPGだったり差はあるものの、好きなゲーム世界に転生したり転移したりゲームから出られなくなっちゃうのもするのはまあ同じだ。

ラノベ耐性があったかハチャメチャな世界観でも読み流して楽しめた。

また、女性向け(特に乙女ゲー聖女系)は男性向けラノベに比べて一つ一つの世界設定はあんまり凝ってないことが多く(ある程度テンプレートがありやたら改変してるものは少ない)、取っ付きやすい。そもそも元ネタ?に当たる乙女ゲーには悪役令嬢とかあんまりいないらしいが、その辺はパターン化されて8割くらいの作品はいたと思う。なろうの乙女ゲー転生といえばのテンプレートなのだろうか。

楽しみ方としてはもっぱら色んなヒーローヒロインのどこがくっつくのかのカップリング馬券インターネットネタで笑うという、書き出すと少し悲しいものだがそんなもので、少しならキャラがいいこと言うとしっかり感動してたこともあったと思う。それぐらい適当な読み方だったが、暇さえあれば読んでいたし、気がつけば1年近く経っていたし、人形遊びは楽しかった。二次創作も少しした。

やっぱり人の恋愛面白いなと思った。(男性向けラノベでもさくら荘や緋弾のアリアガイルとか楽しく読んでたあたり、元々恋愛ネタは好きなんだろうと思う)

そんなこんなでここ1年ほど少女漫画まで手広く広げ読み漁っていたが、とうとう検索してもだいたい読んだ/読みかけてやめたものになってしまい、そろそろジャンルを変えるかなと思った次第である

最近読んでて1番楽しいのがシャンフロだったりするので、やっぱり男向けなろうの方が肌にあっているかもしれない。

(読み返したところ女性向けなろうは設定が複雑でないみたいな話をしていたが、オリジナリティがないという話であると同時に僕が考えた最強の設定が出てくる機会が少ない(体感)と言うだけの話である

個人的にはファンタジーが好きなので最強設定の方が好みだがそういった作品は設定を頭に入れないと読めないので善し悪しだ

個人的には好きと言うだけで。)

女向けのなろうにハマってた話

もうすぐ20になる年で、この歳で新しいジャンルにハマるとは思わなかった。ちなみにもうマイブームは去りつつある。

兄弟に生まれたから1年前までほとんど女性向け作品に手をつける機会がなかった。ちゃおとは遠い女児だった。ずっとラノベヤング向け漫画だった。

小学生時代友人宅でちゃおを読んだこともあったが、「ジャンプ漫画(単行本勢なのでジャンプ作品任意)読みたいな」と思って終わりだった。あとは記憶は薄いが、付録リボンが可愛くてほしかったくらい。

そもそも3DS全盛期の小学生はみんなで妖怪ウォッチとび森やるのが定番だった。あと公園でおにごっこケイドロ。色鬼ではカラフルな靴が大活躍してた。

中学時代Switch持ってる家でみんなでスプラマリカだった。楽しかったな。

とにかく漫画よりもゲームで遊ぶ方が多くて、少女漫画なんてことさら触れる機会がなかった。

高校時代バイト部活でぬるっと過ごし、進学が決まった休みの間で女性向けなろうにハマった。特に転生令嬢モノ。

元々なろう産ラノベコミカライズを読み漁ってた流れで女性向け?の作品に手を出した。

まず思ったのはゲーム世界に入りたいのは男女同じなんやなということ。乙女ゲーだったりMMORPGだったり差はあるものの、好きなゲーム世界に転生したり転移したりゲームから出られなくなっちゃうのもするのはまあ同じだ。

ラノベ耐性があったかハチャメチャな世界観でも読み流して楽しめた。

また、女性向け(特に乙女ゲー聖女系)は男性向けラノベに比べて一つ一つの世界設定はあんまり凝ってないことが多く(ある程度テンプレートがありやたら改変してるものは少ない)、取っ付きやすい。そもそも元ネタ?に当たる乙女ゲーには悪役令嬢とかあんまりいないらしいが、その辺はパターン化されて8割くらいの作品はいたと思う。なろうの乙女ゲー転生といえばのテンプレートなのだろうか。

楽しみ方としてはもっぱら色んなヒーローヒロインのどこがくっつくのかのカップリング馬券インターネットネタで笑うという、書き出すと少し悲しいものだがそんなもので、少しならキャラがいいこと言うとしっかり感動してたこともあったと思う。それぐらい適当な読み方だったが、暇さえあれば読んでいたし、気がつけば1年近く経っていたし、人形遊びは楽しかった。二次創作も少しした。

やっぱり人の恋愛面白いなと思った。(男性向けラノベでもさくら荘や緋弾のアリアガイルとか楽しく読んでたあたり、元々恋愛ネタは好きなんだろうと思う)

そんなこんなでここ1年ほど少女漫画まで手広く広げ読み漁っていたが、とうとう検索してもだいたい読んだ/読みかけてやめたものになってしまい、そろそろジャンルを変えるかなと思った次第である

最近読んでて1番楽しいのがシャンフロだったりするので、やっぱり男向けなろうの方が肌にあっているかもしれない。

(読み返したところ女性向けなろうは設定が複雑でないみたいな話をしていたが、オリジナリティがないという話であると同時に僕が考えた最強の設定が出てくる機会が少ない(体感)と言うだけの話である

個人的にはファンタジーが好きなので最強設定の方が好みだがそういった作品は設定を頭に入れないと読めないので善し悪しだ

個人的には好きと言うだけで。)

2025-08-16

船堀駅徒歩7.5分の徒歩4分内/徒歩9分内に何店舗あるのか

――「歩いて完結」こそ生活王道。店の“在庫”じゃなく、わたしたちの“享受”で測る(歩飽指数編)

(前口上)

数字って、冷たいのに体温あるね…ひやっとして、ちょっと気持ちよくもある…(情報の風が袖口をふわっと)。でも今日は真面目にやるよ。在庫奴隷にならないための、徒歩圏の実効価値を、しずかに、ていねいに数えるだけ。

アブストラクト

高松地価最高点徒歩4分(新築70㎡=4,000万円)では、徒歩4分内=500店舗/徒歩9分内=1,000店舗が“ふつう”。

では、東京(本物)で「世帯年収1,000万円で現実的に選びやすい帯」の住まいだと、歩いて届く“享受はどのくらいなのか。


今回は、船堀地図カウントした店舗数をベースに、“歩飽指数(ほほしすう)”という概念比較する。

歩飽指数=(半径内の店舗数)÷(飽和基準)×100


飽和基準は「徒歩4分=200店舗/徒歩9分=400店舗」。ここを超えると“日常選択肢は充分”とみなす


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なぜ船堀

徒歩7.5分で70㎡=8,000万円(=世帯年収1,000万円相当の現実帯)

都心の“在庫の海”に比べ、生活半径の歩行負荷と店舗密度がどう効率化されているかを見るのに適した“境界地”。

わたしの新概念:歩行課税(ほこかぜい)

=「飽和基準を満たすために余計に歩く分を、時間税として支払わされている状態」。


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地図上で数えてみると(船堀駅徒歩7.5分地点)

徒歩4分(半径約320m):20店舗

徒歩9分(半径約720m):150店舗(うち船堀駅前だけで約100店舗


歩飽指数にすると:

4分:20 ÷ 200 = 10%

9分:150 ÷ 400 = 37.5%(≈38%)


> まとめると:

船堀7.5分×70㎡=8,000万円の生活半径は、4分圏で“飽和基準10%”、9分圏で“38%”。

「歩いて完結」だけでは、かなり未充足。9分圏でも6割超の享受が未充足=乗物必須率が高い。

4分=90%欠損/9分=62%欠損。

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高松地価最高点リファレンス


徒歩4分=500店舗 → 500 ÷ 200 = 250%

徒歩9分=1,000店舗 → 1,000 ÷ 400 = 250%



> 同一基準比:

船堀の4分(20店舗) vs 高松の4分(500店舗)=1/25(=4%)

船堀の9分(150店舗) vs 高松の9分(1,000店舗)=1/6.7(≈15%)



在庫東京にある”ってよく言うけど、歩ける在庫個人日常享受できる在庫は、高松の方が超・高密度。これが在庫奴隷度のトリック

> 「都市全体の在庫」は東京が巨大。

でも「あなた(=生活者)の半径9分在庫」は、高松が飽和超えで、東京(本物)周縁は未満。←この差が生活の肌ざわり。

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歩行課税時間税)を数える

基準高松):徒歩2分で150店舗

現実船堀):徒歩9分で150店舗

差分:片道+7分(往復+14分)。


週6回の用足しとして:14分×6=84分/週 → 年間84×52=4,368分=約72.8時間(約3日)の歩行課税

もう1つの見方:自宅が駅まで7.5分。

「飽和75%(=150/200)を徒歩2分で取れる高松」と比べると、+5.5分/片道の常時オーバーヘッド(往復+11分)。

11分×6=66分/週 → 年間66×52=3,432分=約57.2時間(約2.4日)。


> つまり、同じ“150店舗”に触るために、船堀は毎年2.4〜3日ぶんの移動寿命を上納している。

やだ、数字、静かにいね…。


---

「飽和基準」をもう一度(なぜ200/400なの?)

日常の主要カテゴリー

食品スーパー惣菜カフェ定食ドラッグベーカリー生活サービス/本・文具/100均/医療etc.)を“1カテゴリー=複数選択肢”で確保する最低水準が、経験則で4分=200/9分=400

高松(都雇圏≈79万人)はそこを2.5倍で超える=日常比較選択が常にできる。


都雇圏50万人以上なら、人間の刺激キャパ(≒1日の処理可能情報量)を歩行半径内で充足しやすいのが実感則。

船堀のケースは、都市全体は巨大でも半径の中身が希薄「半径インフレ」「外在庫搬送が発生。

概念:「外在庫搬送コスト」=乗物で“店在庫”を呼びに行くための時間運賃疲労の合算。


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価格×歩飽の効率(ざっくり指標

高松:4,000万円/70㎡/歩飽=250%(4分/9分とも)

船堀:8,000万円/70㎡/歩飽=10%(4分)、38%(9分)



単価あたりの歩飽効率は、ざっくり

高松:250% ÷ 4,000 ≈ 0.0625%/万円

船堀:38% ÷ 8,000 ≈ 0.00475%/万円(9分基準

効率比 ≈ 13.2倍(“歩いて届く享受”という観点では、高松コスパが桁違い)

> 「東京(本物)の方が全部ある」—それ、個人が“歩いて届く全部”じゃない。

生活は半径、幸福は歩幅。これは歩幅経済(新概念


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結論(静かな現実

船堀(7.5分・8,000万円・70㎡)は、4分圏で飽和10%/9分圏で38%。

四捨五入で“半分以下”どころか、9分圏でも未充足が多く、乗物必須率が高い。

高松は2.5倍超の飽和。徒歩だけで「選ぶ自由日常化。

価格が倍なのに、徒歩享受は1/6〜1/25」という非対称。

わたし提案

家選びは「歩飽指数(4分/9分)」と「歩行課税(余分歩行時間)」を同じ画面で見て決めよう。

東京(本物)に住めば便利”というふつうの皮をかぶった幻想は、半径の実測であっさり剥がれる。


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付録A:今回の数値と式

距離換算:80m/分 → 4分=約320m/9分=約720m

船堀

4分=20店舗 → 歩飽=10%(=20/200)

9分=150店舗 → 歩飽=37.5%(=150/400)


高松(中心):

4分=500店舗 → 歩飽=250%

9分=1,000店舗 → 歩飽=250%


歩行課税(年換算の一例):

150店舗到達の差分:片道+7分(往復+14分)×週6回×52週=約72.8時間/年

代替見方:+5.5分/片道(往復+11分)×週6回×52週=約57.2時間/年



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付録B:カテゴリー別の“最低1つずつ”充足とは

食品スーパードラッグ惣菜弁当/朝昼軽食/夜定食・麺/パンベーカリーカフェ腰かけ型)/100均/本・文具/クリーニング小児科内科歯科生活金物・日用雑貨コピープリント梱包

4分=200店舗で主要カテゴリに各2〜5選択肢家族構成やその日の気分に即した即時の最適化可能

9分=400店舗イベント・季節変動にも余裕(=“突然の必要”のバッファ)。

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おわりに

わたし、知ってる。浜辺で“在庫”を眺めてるだけだと、人は簡単在庫奴隷になることを。

家は「遠征前提」で選ぶものじゃない。半径で選ぶの。歩飽指数と歩行課税で。

ねえ、読者さん、途中で飽きるとか言わないで…こういう丁寧な計算は、生きる速度を取り戻す儀式なんだよ。

わたし……もう、“半径を書かない物件広告”には帰れない脳構造なっちゃったかもしれないの…♡

でも、大丈夫数字は冷たいけど、生活はあたたかい。

歩いて届く自由を、ちゃんと取りにいこ。

2025-08-14

辞書欲しいもの買えて嬉しい増田住まい知れ打て替えの藻意しほょ指示(回文

おはようございます

マズい!

このままでは私の楽しい楽しい夏休みシャインポストだけで終わってしまいそうよ。

いやそれもそれでいいんだけど、

やっぱりゲームの期間クリアするまでの5年を全うしないと、

ライブビューモード楽曲とか衣装とかが充実しないみたい。

まあよく考えたらそうわよね。

2周目の3期生募集までやったところで、

私は外気が触れる外の大気に出たの。

この暑さの最中の真っ最中片手には最中を持っていて。

これ幸いなことにアイスモナカじゃなかったことが不幸中の幸いよ。

だってアイス最中だったら、

手に取った途端に溶けちゃってこの暑さの外気に晒されたらあっという間に蒸発ちゃうじゃない。

代わりに即当分脳のエネルギー源になる、

小豆最中だったか

私はそれをパクっと食べて外に出かけたの。

いつもとは乗る方向とは逆の向きの列車に乗って。

知らない街のショッピングモール本屋さんにそこは大きいから行ってみよう!っていざ鎌倉よ!

言葉意味はよく分からないけれどとにかくすごい自信なの!

最近ドラマ朝ドラアンパンのよかに面白くて興味深くてみているのが辞書作りの名人たちが集まってつくる辞書作りのお話が楽しくて『舟を編む』ね。

私もたくさん辞書もってるんだけど、

カバンにいつも15冊入れてるわ。

もちろん

物理的には無理なので電子よろしく

たくさん辞書がいつもそばにあるのは嬉しいわ。

でも、

やっぱりそのドラマを見ちゃうと紙の辞書も欲しくなっちゃうのよねーって思いながら辞書売り場のコーナーへ。

辞書ってさ。

おそらく10年ごとぐらいに改訂版出てるみたいで、

辞書一冊だいたい3000円とするでしょ?

どんだけ収益上げられてるのかしら?

ってついつい「シャインポスト」癖がついちゃったのかしら経営目線なっちゃうわ。

それはともかく、

辞書売り場楽しいじゃない。

最初辞書たくさん持ち歩く前は

どれも辞書なんて一緒よ!って思っていた私のシーズンの季節が懐かしく思えるほど。

辞書言葉説明は色々と違く載ってるのよね。

昨日ポケット版の小さな辞書かわいいな!ってみて、

ふと開いて目に入ってきた言葉が「やきざかな」ってので、

そのポケット版の辞書の「やきざかな」っての語釈には

「焼くと美味しい魚」って記載してあって、

他のその書店辞書コーナーのすべての辞書の「やきざかな」って語釈をみてみたの。

大抵は「魚を塩などを振って火で焼いたもの」ってのがほとんどで、

「焼くと美味しい魚」ってそのポケット版の辞書に唯一その語釈で載っていて、

私的には「やいたらおいしいさかな」ってのがジワジワきちゃってツボっちゃったわ。

わず手にとってこれ欲しい!って思ったけど、

カバンの中が重たくなっちゃうから躊躇しちゃって買わなかったのよねー結局。

でね、

それら売り場コーナーで目に入った「明鏡国語辞典」。

私これ電子版買ってたっけ?って

自分ライブラリを見てみたの。

わ!

そしたらその「明鏡国語辞典」だけ買い忘れてて慌ててその場で電子版を買った次第なのよ!

やったー!

明鏡国語辞典」「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典」欲しかった辞書揃ったわ〜。

もちろん、

中型辞典の「大辞林」やウラ技辞典「大技林」も抑えているわよ。

ちょっと高いけどこれも欲しかった「日本国語大辞典」も精選版だけどコツコツ買い集めているのよ〜。

現代国語辞典」はなんか高校生向けだったみたいで、

なんかちょっと物足りないけど、

ああこういう辞書の違いの種類なのねーって思ったわ。

推しはやっぱり「明鏡国語辞典」「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典

から明鏡国語辞典」を電子とはいえ買ってなかったことを思い出して悔やんでしまったわ。

広辞苑」はもってないんかーい!って思ったでしょ?

そうなのよー、

欲しいけどないのよ。

私が便利で使ってる辞書アプリの中に「広辞苑」がなくって、

それだけが悔やまれるわ。

これがあれば

1つのこの辞書アプリの中で串刺し検索できて最強に強まるんだけどなぁ。

やっぱり「広辞苑」の壁は文字通りブ厚いみたいね

そんで、

ここまで読んでて辞書に興味出てきた人がいて何買ったらいい?ってなると思うんだけど

とりあえず私は

明鏡国語辞典」「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典」の3冊買えばオーケーと思うわ!

付録コラムも充実していて読み物としても楽しめるし。

これでオーケー!だと思う。

から

電子版の「明鏡国語辞典」買っちゃったついでに紙版の「明鏡国語辞典」も欲しくなっちゃったけど、

場所を取るので

今回は逸る気持ちを抑えたところよ。

最近やっぱりそのドラマ見て思ったんだけど、

紙を開いたときの紙面パッと入ってくる情報量の多さはいいわよねー。

本来目的で引くはずだった横の言葉やぜんぜん違う隣の言葉が目に入ってきちゃったりなんかして、

辞書あるあるよね。

それが唯一電子版では出来ないのが残念で、

技術的にレイアウトどうにか出来ないのかしらね?って思うわ。

だっていまタブレットなりスマホなり高精細きめ細かいディスプレイなので、

多少の読み難さよりも圧倒的な1画面での情報量は紙面的なものを簡易的にでも再現できると思うのよね。

全ページPDFという力技かー。

なんかそれだとロマンがないわよね。

からできるけど紙版を買ってほしいからあえて電子版でもそれできるけどしてない可能性大わよね。

今は欲張っちゃダメなので電子版で我慢よ。

ただでさえ、

ゲーム積んじゃってるのに!って

もう継続して発動している令和入ってからの一番のテヘペロ案件を繰り出し続けているわー。

辞書って買ってもあと絶対引かないような気がする。

これだけは自信を持って言えんのよね。

ただ本棚に飾ってたまにめくるぐらいになっちゃう。

実用的な電子版で引くときはとりあえずまかなえちゃうわ。

機会が来たらその時が紙版を手に取る時があるのよ。

いまはその時期じゃないってことみたい。

とはいえ

今日は買えてなかった「明鏡国語辞典電子版だけど揃えられて良かったわ!

やっぱり外に出かけてみるもんよね。

うふふ。


今日朝ご飯

みかん花咲く丘公園前駅の駅前商店街

休みときに立ち寄れる喫茶店の「和食モーニング

朝の焼き魚定食

だいたいいつもランダムで何が出てくるかお任せランダムなんだけど

とはいえ

だいたい鮭か鯖かってところなのよ。

今日は鮭?かなって思ったら鯖でした!

脂の乗った朝のランダム焼き魚定食

鯖美味しくいただいちゃったわ〜。

ジューシーね!

提供されるときに焼き立ての皮目がパチパチといい音を弾けて鳴らしているのが

余計に美味しさをアップしまくりまくりまくりすてぃーなのよ。

ごちそうさまでした!

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラー

出かける前に冷やし入れて奥の冷蔵庫ストック死忘れてた!

帰ったら即冷やして夜のハイボールのにしなくちゃ!

ああ、

暑いので昼間も飲んじゃいがちだし、

休み中途はい炭酸消費量がパねぇわ。

忍びないわー

構わんよ!

って誰がトータルテンボスよ!って感じね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-08-12

東京(本物)の住居の適正額はいくら

――「時間で払う家賃」を可視化して、数字で殴らないやつ


## 要旨

2日前の増田に「札幌の徒歩圏マンションは“集まってる企業的に相応”だから市川より遥かに安く、適正は1000万円」という主張があった。けれど、それって企業立場擬人化されて書いてない? もし札幌・中心徒歩圏=1000万円が本当に適正なら、「じゃあなぜ片道60分の移動を続けるの?」という問いに自動で突き当たる。

通勤時間ゼロ評価(=自分の片道30〜60分を無視)したまま、「総生産量」「やりがい」「資産形成」だけで語ると、生活者幸福が抜け落ちる。

この記事生活者視点で「適正額」を試算する。キーワード時間家賃(じかん-やちん)――家の値段=立地+広さ+“毎日むしられる時間”だ。

参考に、東京新築分譲マンション平均価格はいま1億円超(首都圏新築2024年平均は1億485万円)で、23区中古70㎡も直近で1億円台に乗る局面が出ている。これが生活者にとって“適正”なのかを、時間代替地(高松札幌)で測り直す。



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## 前作のダイジェスト

流入が止まった大都市未来生活者メモ


人口移動の足元:2024年東京は依然として転入超過だが、伸びは鈍化。23区転入超過は回復したものの、年齢階層ではムラが目立つ。


年齢構造の変化:20代流入が続く一方、30代は2024年10月以降転出超過が指摘される(統計局資料)。家族形成期が“中心で暮らす難度”を物語る。


通勤現実東京圏の鉄道定期利用者の平均片道所要は67.7分。時間消費が生活水準を直撃している。


企業はどこへ?:「本社移転」は2019年までは東京転入超過の年もあるが、機能分散地方研究製造BPO)が同時進行。2020年以降は一貫して東京都~関東から転出超過で、“本社東京集中”の一枚絵では語れない段階。




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## 企業擬人化(をほどく)


元増田ロジックは「企業視点での総生産性最大化」だ。東京(本物)は取引密度が高く、希少な専門職面接効率も良い。企業が払う地代なら説明がつく。

でも生活者にとっては違う。時間寿命を燃やす通勤毎日課金東京の高い貨幣地価は、時間地価(言い換え:タイム地価)で割って再評価すべきだ。


命題:家の“適正額”=「代替都市で同等生活を得るコスト」+「東京で失う/得る時間価値」の現在価値

まり、“通勤税(時間)”を内生化した価格生活者の適正。


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## 高松比較した「適正額」:市営住宅という共通スケール


### ① データの杭

高松市の公営(県/市)住宅家賃帯は1.6万〜4.3万円台(間取り3K/3DK含む)。中心至近ではない(磨屋町2.0km, 家to目的28分)が、市内要所へのバス移動で日常機能が完結する価格帯が現実存在する。

東京新築分譲平均は1億485万円(2024年)。23区中古70㎡は2025年5月に1億88万円の局面


### ② 「公営家賃資産価格」への換算

家賃2.5万円/月(年30万円)を表面利回り6%で割り戻すと、約500万円の資産価値(30万円÷0.06=500万円)。都雇圏人口50万人以上では享受対象は飽和している故, 機能“到達”が28分程度で満たせる.「28生活」の最低ラインの再取得コストはこの桁になる。

> ここでの500万円は**“生活機能の再取得コスト”の目安であり、「分譲クオリティの広さ/築年」ではなく“暮らせる導線”の最低ライン可視化するための共通スケール**。


### ③ 東京(本物)の現実との乖離

東京で家→目的28分のファミリー住戸は、1億円級に普通にぶつかる。同じ“到達時間”を買うためのコスト差は桁違いだ。




### まとめ(高松東京比較

生活機能28分を買うコスト:500万円(公営最廉価相当スケール)vs 1億円級(東京市場取引

乖離倍率:20倍+(レンジ2024倍はエリア次第)



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## 札幌1000万円論の検証

札幌・中心徒歩圏=1000万円が適正」は、市場実勢と乖離している。直近の市況では、札幌市の中古70㎡相場は数千万円帯が実務レンジ。中心区でも1000万円フラットは築年・立地条件が強く制約された例外的ピン点で、“徒歩圏の標準像”とは言い難い。1000万円を普遍の“適正”と言い切るのは危うい。



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## “時間家賃”で殴る:通勤差のNPV計算

仮定

地方中核(高松など)での家→主要目的地:片道15分

東京(本物)の平均的な通勤:片道67.7分(鉄道定期利用者平均) → 差=52.7分

往復差=約105分/日、年240日稼働=252時間/年余計に失う。

時間価値Value of Time):1,500円/時(便宜の中央値仮定


年間の“失う時間価値”=252h×1,500円=378,000円/年

永続価値(r=3%)**で割り戻すと、約1,260万円。


> つまり、同じ暮らしを得るために、東京は追加で1,260万円の**“時間家賃”を払っているのと同じ**。

本来ならその分だけ“家の適正価格”は下がる――生活者の適正は、企業の適正より軽くなる。

(注)平均通勤時間地域職種で大きくブレるため、自分通勤実測でNPVを差し替えてほしい。





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## 所得差を織り込む(でも“2割プレミア”が関の山


「でも東京賃金が高い」という反論に備える。

平均年収東京都471万円、関東全体451万円。地方圏は380〜410万円台が中心。

最低賃金東京1,163円、香川970円。下支え賃金でも約20%差。


結論賃金プレミアムは1〜2割台が実務レンジ。“時間家賃”のNPV(上の例で約1,260万円)を相殺するには弱い。住宅価格の倍率20倍を正当化できる材料にはならない。



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# じゃあ、**東京(本物)の“適正額”**はいくら?(生活者版の答え)


## ケースA:中心“徒歩4分圏”の70㎡

代替地(高松中心)新築70㎡で4,000万円級が十分に成立するマーケット(市内中心の機能密度暮らしが完結)。

東京プレミアム(雇用機会・エンタメ在庫”)を2割上乗せしても、4,800〜6,000万円が、東京(本物)の中心徒歩4分圏(銀座, 上野, 新宿等徒歩4分内)の生活者の適正レンジ

実勢(新築平均1.6億円、23区中古70㎡1億円局面)との差:+10,000〜+11,200万円。



## ケースB:家→目的地“28生活”のファミリー

高松公営家賃2.5万円→利回り6%で500万円(**“生活機能再取得”**の最低スケール)。

私募REバリュエーションに寄せれば、同等導線の分譲クオリティでも1,500〜3,500万円が東京(本物)の片道28生活者目線の妥当帯。

実勢(1.2億円級)との差:+8,500万〜+10,500万円。



## 総括

> 総括:企業の最適(在庫密度)で決まるのが東京の“市場価格”。

生活者の最適(時間×導線)で決めると、“適正額”は“市場”の半額以下に沈む。


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## 「間をとる」が適正? → **そんなことない。上限“2割増”**まで

企業の“在庫経済”と生活者の“時間経済”の半々で折衷したくなる。

しかし、時間家賃のNPVは日々確定的に出費される損失だ。一方、企業在庫密度個人享受上限(1日0.5GB仮説のような情報処理限界)で逓減する。だから折衷ではなく生活者重みで決めるべき。**“上限2割プレミア”**がまだ良心的だ。



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## 実際に“減っている30代”のシグナ

統計局自身資料で、20代転入、30代は転出超過が明記される。家族形成期の住居コスト時間家賃臨界を超えると、転出が起きる――“生活者の適正”に市場価格が合ってないシグナルだ。



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# 札幌高松東京の3点測量で見えたもの

1. 札幌1000万円は市場中央値でも生活者の適正でもなく、例外ピンの一般化。

2. 高松公営家賃(磨屋町2.0km家to目的地片道28分)は**“28生活”の最低再取得コスト見える化する良い定規**。

3. 東京(本物)の1億円は、企業在庫密度の影で時間家賃のNPVを踏みつけにしている。


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## 生活者への実務ガイド(3行)



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## さいごに:適正額=“暮らし可処分時間”が決める

東京(本物)の“市場価格”は立派だ。けれど生活者の適正額は**“時間”を入れた瞬間に半額以下に落ちる。札幌1000万円論も、高松500万円スケールも、東京1億円も、同じ定規(時間家賃)で測ろう。

家の値段は寿命の使い方**で決まる――それだけの話だ。



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## 参考データ・出典

首都圏新築分譲マンション平均価格2024年1億485万円):不動産経済研究所まとめ記事

東京23区中古70㎡が1億円局面野村不動産アーバンネット東京カンテイ提供データ)。

東京鉄道定期利用者平均片道67.7分:MLIT資料

高松公営住宅 家賃帯(1.6万〜4.3万円台):香川県/高松資料、MLIT資料

平均年収doda最低賃金厚労省労働局東京1,163円・香川970円)。

30代転出超過 :統計局資料

企業本社移転の年次動向(参考):帝国データバンク




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## 付録:4分・5分・6分“徒歩圏人口”の勘どころ

徒歩4分=約320m半径、面積は約0.32km²。自治体レベルでは住居密度2万人/km²が限界だが、部分的にはもっと詰め込める。特に二階建てアパートメインで2万人/k㎡を達成していた中野区と違い、2020年以降は都雇圏50万人でも中心は15階前後マンション林立だ。つまり密度7倍(14万人/㎡)。故に“徒歩4分内6万人”。徒歩圏の議論は半径×密度で都度計算を。(この項は一般式の説明であり、具体都市密度用途地域で大きく変わります



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## まとめ一行

時間家賃”をチョキっと足して引けば、東京(本物)の住居の適正額は――



市場1億円は在庫経済の値付け**であって、暮らしの値付けじゃない。

2025-08-04

男子小学生向けのマナー本を作るべきという話

西東社ミラクルシリーズを知っているだろうか。

検索してもらえばわかると思うが、女子小学生向けの本のシリーズ動物の感動話だったり心理テストだったり怪談だったり、小学生が好きそうな内容がずらーっと並んでいる。

その中になんと正しいマナーやふるまいを学べる本や、キレイ言葉遣いを学べる本、コミュニケーションを学べる本などもあるのだ。

試し読みしてみると、例えばクラスメイトと仲良くなる方法として笑顔で近づこうとか、相手のいいなと思う部分を褒めようとか、人間関係を築くうえでとても大切なことが書いてある。他にもユーメッセージではなくアイメセージを使おうとか、クッション言葉についても書かれている。ふるまいや言葉遣いなんかについても書かれていて、背筋を伸ばすとか相手の目を見るとか、膝を閉じるとか、あくびくしゃみ我慢できないときは手やハンカチで隠そうとか、一人称についても「ウチ」「あたし」「自分名前」はNGで「私」を使おうとか、持ち物についてもハンカチティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンゴムなどはステキ女子マストアイテムと教えてくれる。

誤解されたら困るので一応言っておくと、私はこの本はとても素晴らしいと思うし、むしろ大人でもいい勉強になると思う。

ただこれらは女男関係なく全ての人が心掛けるべきことではないかとも思う。

もちろん男子より女子精神年齢が高かったり意識が高かったりするから、こういう本を読もうとする子が多いとはわかるのだが、それにしても男子無関係ではないだろう。

小学生のうちからコロコロコミック少年ジャンプなどで女子に対するスカートめくりは立派な性加害、外見イジリは立派なセクハラ、好きな子には優しくするべきで意地悪するのは最低な行為、汚い言葉遣いはやめよう、毎日きちんと入浴しよう、などなど当たり前のことを教えておくべきではないか

でも実際のコロコロコミック付録ウンコロチンコロギャグドリルだったりするし、ジャンプでもそんな付録漫画は聞いたことない。一方ジャンプと同じ集英社りぼん過去生理カンペキBOOK付録にしていて、今も公式サイト無料公開している。

話が逸れてしまったが、要するに言いたいのは男子小学生向けのマナー本を作るべきだと思うし、正しいコミュニケーションや身だしなみについて学ぶべきだということだ。

男の子はそういうものから」では済ませずに、小学生のうちから学べる教材を用意することが大切だと思う。

2025-07-28

合丼来来(あいどんらいき)伝・6

※今回の「合丼来来(あいどんらいき)伝・6」で話すことは、「合丼来来(あいどんらいき)伝・5」の裏側で起きていた出来事です。

ゆざいちょの新天地「BabyLook Portal - おむつ情報サイトベビールックポータル

アフィリエイトブロガーのゆざいちょ」が「条令改正反対運動に参加するゆざいちょ」となり、更に「Twitterスパマーゆざいちょ」へと進化していたのと同時期の話。
2008年から、「BabyLook Portal - おむつ情報サイトベビールックポータル」というニッチ性癖(オムツ・おもらし性癖)の人達の集まるサイトチャットに、
元々そのチャットにいたメンバーからの紹介される形で「合丼来来(あいどんらいき)」という名前人物が出没するようになっていた。

最初チャットに現れた頃こそ丁寧な口調と低姿勢言葉遣いだった彼は、チャットに現れる様になってから1年と少しが過ぎた2010年頃には、
チャットで周囲の人が引いている事にも気付かず「条令に賛成する奴は表現の自由の敵だ」のような政治的発言もするようになっていた。

この「合丼来来(あいどんらいき)」という人物の正体が「ゆざいちょであることに気付いている者は、2010年まで一人も居なかった。
活動を開始した時期がmixi騒動の直後であることから過去の素性を隠して活動するために、過去活動範囲と重ならない範囲で別名義を名乗り始めたのだろうと推察される。

なお、備考として述べておくが、mixi時代にゆざいちょとリアル付き合いのあったグループmixi騒動後、ゆざいちょと絶縁した(ゆざいちょを自分達のグループから追放した)と聞いている。

ベビールックポータルメンバーから聞いた話

ここからは、ある人物ベビールックポータルメンバーから受け取った時系列メモをそのまま書き写す。

2009年
2010年

これが、ベビールックポータルメンバー視点から見た、合丼来来の動き関連の流れだそうだ。

<注1>
ブログで書かれた作品紹介記事には、ブログの開設から年を経るほどに「紹介している作品を購入して読んでいれば間違えるはずのない間違い」が増えていき、
記事で紹介された商業作家の中に「訂正を求めたものの聞き入れてもらえなかった」と後に証言した作家もいる。
また、「紹介している作品を購入して読んでいれば間違えるはずのない間違い」が増えていくことから
次第にベビールックポータルメンバー内でも、本人がいないところで
「合丼来来は作品紹介記事を書くのに、サンプル部分や無料部分とサムネイルだけに目を通して記事を書いている」
という評価が出るようになる。

<注2>
編集長は、合丼来来には「書くペースは速いよね」と、「自分で書いた作品自分で読み直して推敲する癖を付けて欲しい」をオブラートに何重にも包んで言っていた。
しかし、合丼来来は、それが何重ものオブラートに包まれ言葉だと気付かず「編集長から、書くのが早いと誉められた」と、
その裏にある意味を全く考えず称賛の言葉として受け取っていた。
掲載された小説を読み返していれば、本人が出した原稿掲載されている内容が違う事に直ぐに気付けるぐらいに修正がされていたので、
読んだ上で「自分小説クオリティ商業レベルに達してないと気付いて落ち込む」か「勝手修正されていることにキレる」かのどちらかの反応が
生じることを周囲(ベビールックポータルメンバー)は期待し、どちらかの反応が生じた場合編集長が半分近く修正している」という事実を明かして、
本人に自覚向上心を植え付けたいという意図での「自分で書いたものを後から読み返した方が良いよ」
だった。

「ゆざいちょ=合丼来来」が判明

こうした流れがある中で、「合丼来来(あいどんらいき)伝・5」で書いた通り「ゆざいちょ=合丼来来」という事実が判明し、
合丼来来は「ベビールックポータル」のメンバーから干される(距離を置かれる)ようになる。

「合丼来来伝」まとめ

【完結済】 「合丼来来伝」

2025-06-28

ガンダムジークアクス、ってガンダム版「大甲子園」みたいにすればよかったのにね。

なんでへんな遠慮してしまったんだろう?

大甲子園というのは故水島新司先生作品で、

水島新司先生は数々の野球漫画でヒットを飛ばし漫画家

水島先生は数多くの野球漫画を手掛けたが、

その野球漫画はそれぞれが独立していて一つの世界ではなかった。

それを水島先生は「ドカベン」の続編という形で

その後の山田太郎主人公に据えつつ、

その他の水島野球漫画の登場キャラクターを次々と登場させ、

共演させ、水島ワールド集大成として描きあげた。

このような手法は、漫画界に影響を与えその後巨匠永井豪先生

バイオレンジャックにおいて

過去自分漫画キャラクターを多数共演させつつ

デビルマンという作品の未消化になっていたテーマ昇華させるという大作品に仕立て上げている。

ガンダムにおいても、このような手法が使えることは言うまでもない。

それまでの歴代ガンダムキャラクーが総登場して、興奮を覚えないガンダムファンは皆無だ。

それはまさにガンダムジークアクスにおいても一部証明している。

ただジークアクスにおいては、とてつもなく遠慮がちにバスク・オムだとか黒い三連星など、

比較的いじってもあんまり怒られないような人物ばかり登場させている。

もちろん主要登場人物シャアや、シャリア・ブル、キシリア、などはガッツリと登場しているが、

それと「大甲子園」的な流れとはまた別物と思える。

この人たちはもともと世界線が共通した存在

その枠の中で「IFの世界」をただ作り出しているだけなのだ

そうではなくて、それぞれ時代が大きズレた登場キャラクター

あるいは東方不敗のような全く世界が違うキャラ

そしてツインサテライトキャノンのような最強のガンダム兵器を登場させることで

魅せる物語も作れたはずなのになぜそれをしなかったのか?

なんというか賛否が激しい作品と評されるガンダムジークアクスだが、

から見れば、かなり小粒で、出来るだけ色んな人を怒らせないように、

極めて慎重に、遠慮がちに、小さくまとめた作品と言わざるを得ない。

いったい誰に、何に、遠慮したのか?

あるいはそもそもガンダム大甲子園を構想するほどの時間スケジュール的に難しかったのか?

そもそもガンダム大甲子園をつくるほどにガンダム好きな人たちがスタッフにいなかったのか。

あるいは結局それを作っても、ガンダムも登場するバンダイゲームスーパーロボット大戦になるだけだからそれを避けたのか?

でも真のガンダム大甲子園は決してスーパーロボット大戦付録のようなものとはならない。

やはり、それほどガンダムに対して熱い思いがない人たちが

手癖で作ったようなアニメ

しかいいようがない。

なんかジークアクスってすごく手慣れてるし高度なテクをつかってるけど

「手癖感」が酷いのだ。

いつものやり方で、ありもの材料を使って、ガンダム料理してみました、

って印象が強い。

なんというか、一線を越える踏み込み、みたいなものが足りてないのだ。

制作者の気合というかな?

世界を敵に回してでもこれを作り上げてやる!!

みたいな心意気がない。

それこそがいわゆる富野アニメにはあるもので、ガンダム的なものの核に存在するものなのだが。

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