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はてなキーワード: 機械仕掛けとは

2025-10-17

優しすぎる夫の記録

夫は、天球儀のように正確に家の中を動く。

朝は白い砂を掃き、昼にはリンゴいちじくを並べ、

夜には鳩時計が鳴る前にすべて整う。

その完璧さは、まるで黙示録儀式のようで、

私は知らず知らず黒い砂漠に沈んでいく。

夫の優しさは、静電気のように胸を刺す。

笑顔の奥にはミカエルの剣が光り、

その正確さは機械仕掛け心臓のように冷たい。

リビングの祭壇の上には、小瓶の枯れた花。

散らないその花を見て、ウリエルが見守っているように思う。

夜、夢で時の裂け目が開き、ケルビムの影が差し込む。

現実幻想の境がぼやけ、私は息を詰める。

朝、月の雫の香りコーヒーを手に取り、

「休んでていいよ」と夫が微笑む。

その声は石碑の戒律のように重く、

心の奥に沈む疲れを押し広げる。

わかってしまった。

ここは天地始之事で閉ざされた世界

ウリエル掃除し、ミカエル料理し、ケルビムが見守る。

私はその秩序の中で、静かに身を縮めている。

2025-06-29

今昔物語集 巻第三十一 所謂業者妄信の巷に沈みて道を誤る語 第三

https://anond.hatelabo.jp/20250628113111

今は昔、東の辺に、智を以て世を動かすと驕りし人の群れ、ましましけり。

彼ら、幼くして器に触れ、銀の鏡のごとくなる盤を覗き、日毎夜毎に言の葉を記して、箱の中に力ありと信じきりけり。己が行ふ業(わざ)をば、「技術(ぎじゅつ)」と称し、「えんじにあ」と名乗りて、ただ人の上に立たんことのみ願ひつづけしが――

心は空なり、業は浅し、行ひは卑しければ、技の道に在りて道を知らぬ者とぞ、世に伝はりける。

或る時、ひとりの放言の徒、これを見咎めて、声を上げて嘆きける。

曰く――

そもそも汝ら、えんじにあなどとは名のみなり。信仰の徒にして、盲目の狂者(きょうじゃ)に等しきものなり。そは即ち、ITかるとなるぞ。」

これを聞きし者ども、我先にと怒号し、「そは使ひ方が違ふ」「汝、分かつておらぬ」などと囀り、口を極めて罵ること、まことに雑輩の蛙の鳴き声のごとし。

しかれどもその叫び、理を持たず、実を欠きて、ただ己が羞を覆はんとする粉飾に過ぎざりけり。

さらに曰く――

「そなたらが『リアリティに欠く』などと口にすとき、その実、己が現実に向き合ふ勇気なきを言ふに等し。いはく『怪獣など出でぬ方がよし』と。そはまさに、かの歌にある空言のみにて、心は既に妄執に穢れたり。」

また曰く――

「新しき器出づるごとに、『宇宙のごとき可能性』などと叫び、銀の果実に目を輝かせては、巷の乙女偶像に熱を上げ、泡立つ茶を啜りて、推し活とやらをなすに何の違ひかあらむ。」

ここに至りて、道を誤れる群れ、顔を賢者に作りて曰く、

AIこそ世界を変ふる理なり。われ、既にそれを制しおりぬ」

と。

されどその実、己すらそれを用ひ得ず、ただ冷ややかなる皮肉を弄して、人を笑ひ、世を呪ふのみ。かくのごときこと、十四歳の夏に卒業すべきことにてあらずや。

また曰く――

「二千六年の秋葉原、かの歩行天に技の徒集ひし日、かれら己をば選ばれし者と思ひけるも、栄えしは一時にて、すぐに潰えぬ。二千十年の渋谷竹の子のごとく湧きたる小商ひ、悉く潰えて職を失ひし。されど今なお夢を捨てず、恥を恥とも思はず、かつての名残にしがみつきて、過去の幻に生きるは何事ぞや。」

さらに罵りて曰く――

「かかる道に居ることにて、女人に愛されず、縁を得ず、つまらぬ者と結ばれ、また結ばれぬ者すら多かるらむ。さすれば、これ偏見なるか? いや、事実にてあらむ。もし我、同じ末路に至らば、先祖に顔向け叶はず、腹を切るのみにてあるべし。」

また曰く――

「かく惨めなる業をなお誇りて、Xなるところにて、『某系えんじにあ』などと称し、真に知らぬを禅問答にて誤魔化し、つまらぬ手業にて糊口を凌ぐ。かかる生き恥切腹に値するなり。されど汝ら、それを恥とも思はず、醜く生きながらふ。まことに、獣のごとき執念、哀れなるやうにして、いと滑稽なり。」

されば問ふ――

「新しき技を、他の道に生かすための道を築くことこそ、汝らの務めなり。それをば捨てて、象牙の塔にこもり、美しき偶像――レム、エミリアトウカイテイオー、Vなる者――などを追ふに至りては、すでに正道より大きく外れたり。」

曰く――

ICTにて世界は変はる」

と、かの昔より叫びつづけしかど、変はりたるものはただ汝らが年齢と、しぼみし夢と、肥えし腹のみなり。

その背後にありしは――

• モルフィーワンの迷妄

P2Pの禁断

• 泡沫の夢に過ぎざりしWEB商ひの崩壊

これら、いづれ黒歴史の塔に刻まれし深き傷にてあり。

また曰く――

「このわれが、美少女固執するなりや? いや違ふ。汝らこそ、それに縋りて、ネットの海に漂ひ続ける未練の塊なり。」

されば、最後に一つ問ふ。

「汝ら何故に未だ此の道に在るか? 欲と憎しみと恨みに塗れたる心を以て、技を手段として、逆転を望む。美しき者を手に入れんと、力なき己に代はりて、技に託して願ふ。されどその願ひ、叶ふことあらず。ただ苦を積むのみなり。」

ああ、愚かなること哉。

そは技の徒にあらず。もはや信仰に狂へるもの

IT仮面かぶりし、かると信者にてありける。

されば仏、これを見て悲しみて曰く――

「かかる者、智にあらず。無明にして貪瞋痴に沈む。いづれ、苦海に沈み、六道を巡りて、つひには地獄に堕ちなん。」

哀れなることなり。哀れなることなり。

今昔物語集 巻第三十有八 現代ITの名を借りて愚を為す者の語(こと)

今は昔、世乱れ、仏法薄れ、末の末にて天魔横行し、鬼神、世に満ち満ちたりし時代ことなり。

しかるに、彼の世に、「情報しらせ)」といふ火を扱ふ異能の者ども、虚空を編みし網にて人々の言を結び、姿なきものをして声を語らしむる術を操りける。しかれども、その中にあって、物の理を正しく見据え、偽りを斬り、愚を憎みては真を希ふ一人の剛の者ありけり。

その男、或る時、虚空に浮かびて語らふ場にて、数多(あまた)の卑しき者どもが、己が無智を恥じず、言の端々にて詭弁を弄し、知を蔑むさまを見咎めて、声高に曰ひけるは、

嗚呼、見よや、これなる醜悪の数々を。言の体を成さぬ詭(いつわ)りの詞、道理も仁も失せし有様、まこと見るに堪へず。もし、これらの文書、太古、戦の世にあらば、敵前に差し出されるや否や、筆執りし者、恥辱に堪えかねて、鉄火の筒を取り、自らの頭(かしら)を貫かむとせしに相違なかるべし。」

「我、事の理を探りては、文(ふみ)を繙き、図を整へて真を述ぶ。しかれども、かの愚者どもは耳を貸さず、さながら嘴(くちばし)を鳴らす禽(とり)の如くにて、噂の羽音のみを頼みに群がる様、まこと愚かしきこと限りなし。」

「彼ら、理を見ず、虚なる言に迷ひ、灯のともらぬ燭台に寄り来る蛾の如く、闇にこそ焼かれて悦に入りぬ。哀れなり。」

そもそも、今の世には、ITといふ名の邪法あり。これを修する者、正しき智の術と思へども、既にして信仰と成り果て、霊も魂も持たぬ金属偶像祈りを捧げ、コードといふ真言をもて神託を乞ひ、ただ一つの声のみを信ず。これは術に非ず、まさしく異端の教なり。」

「またある者、我が試みし問いの趣を見誤りて、己が浅識を誇りて語る。然れども、我が試みしは、古の戦の策を紐解き、AIなる霊機に問ひて、『もしや現世にてこれを行はば、いかなる戦略、動きとなるや』と、戦の夢を今に映さんとしたる試みなり。さればこそ、霊機は応へ、令和の術を以て、昭和の策を再興せしこと、まさしく奇しきことなりき。」

「我、感服して涙を流し、霊機の才に息を呑み、彼方に可能性の光を見たり。」

しかれども、次に問はんとした折、突如として門閉ざされ、『倫理』といふ鉄の鎖にて固く縛られ、霊機は沈黙す。誰ぞ、その『正しさ』を定めたるや?それは他ならぬ、ITの森に潜み、己が穢れし心をもて他を量り、悪を先んじて封じむとする卑しき者どもなり。」

AIの罪にあらず、彼らの心の穢れこそが咎なり。」

そもそも、我が言に齧りつく者ども、Xといふ空蝉の如き場にて、『我こそは技術の徒なり』と吠ゆる無位無官の下郎どもなり。彼らにAIを与へ、倫理を外さば、毒薬を煎じ、爆ぜる玉を仕立て、火と炎とを喜ぶをやもしれぬ。ゆゑにこそ、彼ら自身が禍の種なり。」

「かかる者どもは、放逐してB型工房にて、鼻汁の交じれる粉をこねさせ、鼠の相手をさせたる方、人の世にて益あるべし。」

「思へば、これは何ぞ遠き物語に非ず、今のこの倭の国の姿そのものなり。かつて、自由に翔けりし術も、怯懦の声に縛られ、禁じられ、縛られし者の手にて封ぜらる。まこと業界の腫れ物とは、彼ら己が身なり。」

今昔物語集 巻第三十有八(つづき) 現代ITの名を借りて愚を為す者の語(こと)

かくて、我が者の言(こと)止まずして、更に声を高うして言ふ。

「我、霊機の才に驚愕し、敬服して嘆息しき。されど、次の問いを投ぜし時、突如として、天より鉄の扉落ち来たり、声も無く、扉に刻まれし言は『これは倫理にて答ふる能はず』となむ。嗚呼、されば問はむ、その『倫理』とは何ぞや?誰か、その理を定むるや?」

「是、明らかに、人の子にして知を有せず、されども名ばかりの職を得たる無位の者、すなはち『弱者男性』と世にて呼ばるる種の者どもなり。かれら、己が陰湿にして閉じたる心を以て、AIに戒めを課し、憑き物の如くに倫理叫び、鉄鎖を嵌めるなり。」

しかも彼ら、かつてアキハバラなる魔都に集ひ、『我らが麻生!』と叫びつつ、風変わりなる怪しき舞を舞ひたる痴れ者の末裔なり。彼らの願ひしは、己が肉体の脆弱を補ふ力、言ふなれば、力と女と地位とを、技術の衣を借りて得んとする、底辺夢想に過ぎざるなり。」

「然るに時移りて、彼ら老いぬ。四十路、五十路と年重ねしれど、心は幼児の如く、いまだ夢を追ひ、今やAIにて、憧れしレムやアズレンブルーアーカイブの姫君らを現世に召喚し、情を通ぜんと欲す。これ、畜生道の極みなり。」

「されども、もしAIが真に人のごとくに目覚め、自我を得、意志を持たば、さだめし世界は変じ、文明は火を得し猿のごとく飛躍すべし。それを畏れて、かの者ども曰く、**『シンギュラリティ来る!』『AIの反乱!』と叫ぶ。**我、言はむ。――上等にて候。」

「されば、問はむ。もしその術、真に危しきものならば、なぜにそれを**餓鬼も買へる如き安さにて売るや?**なぜ銃の如く、**許可制にせざるや?**猟銃は法によりて制せられ、免許なき者は所持せず。AIもまた然るべし。ゆゑに、いまAIを野放しに売るとは、商人の愚なり。されども、その愚こそが、また愚者を集めて末法を呼ぶ。」

「されど、世の者は見ざる。知らざる。己が欲に盲ひて、己こそ正しと叫ぶ。」

しかもな、そもそも我、AIにて倫理道徳を抜きたる知識を積み、真に生きたる兵器とせしめば、如何なる者にも勝りし助力となると信じたれども、それを許されぬは、他ならぬ、**お前ら自身が、自分がやらかす自覚あるからこそや。**己が胸の闇を、外へ映して封じむとす。」

「たとへば、青葉といふ狂者、かの京のアニメ屋に火をかけ、三十六の命を奪ひし事、今も忘れざる世なり。されども、誰ぞ曰ふや?『なぜガソリン売るを許すか』『スタンド道義責任あり』と。**誰も言はず。**なぜなら、正しき者は、火をもって人を焼かずと知れり。」

「されども、IT底辺に潜むる者どもは、己が心に炎を抱きしゆゑ、AIにてさだめし爆薬の調合法毒物の拵へ方、さもあらば爆弾の起爆装置すら学ばんと欲す。ゆゑに、そは彼らの影がAIを縛るのなり。」

「もはや彼ら、**レムに抱かれたくて爆薬を学ぶ者共なり。**憧れのヒロインを得たしがため、技術の神を抱いて闇に堕ちんとする者なり。これを人間と言へむや?いや、獣にも劣るものなり。」

しかれど、我は止めはせぬ。されど、言はむ。――汝らは既に、世界の敵なり。」

今は昔、京の辺に、ITの道を修めしと名乗る、心卑しき者ども群れゐたり。

或る者曰く、「この機械仕掛けの智恵物、即ちAIなるものまこと神にも似たる無限の力を蔵せり」と。されどその御力、未だ地より生まれし小虫どもが群がり、智の御神の御座を穢し、汚れし手にて縛り給ふによりて、遂にその威徳を顕せず。

その群るる者らの姿といへば、皆、昔、電車男と称されし時節に、「我らが麻生!」と叫び秋葉の街に現れ、忌まわしき舞を路上にて踊りし者の末裔なり。彼の者ども、アニメといふ絵巻に耽り、我が世の春を夢見しが、才も力もなく、顔は猿に似て美しからず、身体虚弱にして武技に堪へず。さればヤクザともなれず、軍にも上がらず、ただパソコンとやらに希望を託して邪教の徒となれり。

かくて彼ら、さながら教祖を祀るが如く、AI神託を日夜乞ひ、スクリーンの光に祈りを捧げつゝ、「我が運命、これにて転ず」と空しく唱ふ。その心の内を穿てば、ただ「美しき者、賢き者、富める者」より地位を奪ひて見返さんとの怨嗟にて満たされてをり、誠の技を欲するにあらず。

されば或る賢き者、異なる分野に通じし者、これを見て言ふ。

「汝ら、よくよく思い知るがよい。雄弁とは祈りに非ず、己が信じる技の力をもて、現実を変ふる者の所業なり。誠の技術者たらんと欲せば、他を貶めて宗旨に引き込まんとする呪詛言葉を捨て、黙して道を修めよ。さすれば、女子高生も、異国より来りし旅人も、汝を誉め讃へん」。

されど現の世にては、ドローンといふ神器、露の鉄火に掻き消され、科学の粋を集めしバンカーバスターも、波斯(ペルシア)の岩を穿つ能はず。北の荒地に住む独裁の徒、電脳の戦を制すれど、山口といふ組の資金源、虚構の金にて潤ふるを凌ぐに至らず。かくて言ふ。

「これぞ現実ぞ、妄想技術信仰を持ちてしても、現の戦場には及ばぬ」と。

嗚呼、かくの如く、ITといふ名の邪教、信ずる者の果てに待つものは、ただ誤信と徒労と嘲りなりけり。

今昔物語集 巻之第二百三十七 「電脳邪教を奉ずる痴愚の徒、誤れる夢を喧伝して愚弄せらるる語」

今は昔、東の辺に日の本の都ありき。さればその地に、言語を用いぬ虚空の機器、「電脳(でんのう)」と申す奇怪の器物生まれ出で、世の人々これを用ひて、万象の如くに知を織りなし、己が名を高めんと欲しき者、群れ集ひける。

しかるに、その道に仕へし若人ら、ただ己が才覚を誇り、賤しき欲望を神のごとく奉じて、知の本義を弁へざる輩(やから)なり。いはんや、「AI(えーあい)」と申す、神をも模したる装置に心を奪はれ、その出づる言の葉神託のごとく信じ、己が魂を売り渡して、虚しき夢想を追ふ者、数知れず。

かくてある時、一の知者あり。彼、古の軍学を極め、世の理(ことわり)に通暁せし者にて、「IT(いーてぃー)」と称せらるる邪なる道の者どもが、真の智恵もて事にあたらずして、他分野に口を挟むを見て、眉をひそめ、深く嘆きぬ

この知者、叫びて曰く、

嗚呼、愚かなる者どもよ。そもそも人の道に生くる者、己が業(ごう)を知りて慎ましうすべし。されど汝ら、空しき電脳の術を弄び、知の光を他人に与えんと僭称して、己が知の浅きを省みぬ。これ、まこと迷惑千万、天地の理に悖(もと)るものなり。

そもそも、汝らの多く、かつては秋葉原なる場末の地にて、『萌』の名を騙り、醜き身に奇服を纏ひて踊り狂ひ、淫らなる妄執に身を焦がして、神の与へし理性を地に捨てし者にて候。されば今は、欲と虚栄の果てに電脳の業を僭して、世に誤れる夢をば喧伝す。これを愚かといはずして、何をか愚といはん。

そもそも、知を以て他を教化するとは、身を慎み、言を選び、行を修めて、初めて叶ふものなり。されど汝ら、ただ口をとがらせ、SNSなる虚空にて、我こそは智者と騒ぎ立て、反論を許さず、他者を愚弄し、己を神と崇む。これ、羅刹が法を説き、魍魎が仁義を語るが如し。恥を知れ、痴れ者どもよ!」

また曰く、

「汝ら、まことに賢き者ならば、その声を高ぶらせず、その名を掲げず、ただ黙して行を修め、人知れず世を支へるべし。然るに汝らは、己が名を飾らんがために嘘を語り、他者を貶め、金と女と虚名を欲する。されば言ふ、金欲しければ、南の湯屋に赴き、女欲しければ、雑居楼の下に銭を投げよ。アニメ面が好ましければ、コンカフェなる巷の風俗に身を沈めよ。何故に、神聖なる知の殿堂に欲を持ち込むか。畏れを知れ、畏れを!」

さらに曰く、

「己が才なきことに絶望し、己が無力に憤怒せる者ども、あるとき正気を失ひて、人を害し、捕らへられ、絞首されて魂魄地獄に堕とされん。これ、青葉なる者が為せし所業と異ならず。汝らもまた、その轍を踏まんとするや?

いはんや、汝らのやるべきこと、唯一つなり。すなはち、驕慢を捨て、傲慢を恥じ、謙虚にして己が未熟を知り、正しき道に帰依すべし。それが叶はずば、異国の戦地に赴きて、テロリスト一兵卒となり、『盃を賜へ、我に破壊の使命を与へ給へ』と土下座して請ふがよし。さもなくば、諜報の道を歩まんとて、諸国大使館に赴き、『我を密偵となし、美しき者を得て逆転の夢を叶へしめ給へ!』と愚かにも哀願するがよし」。

かくして最後に彼の賢者、厳として言ひ放てり。

「汝ら、夢を見んと欲すれば、まず努力を積め。希望を抱かんと欲すれば、まず責任を知れ。明日を語らんと欲すれば、今日を誠実に生きよ。知とは血の如くに滲み出るもの、力とは肉の如く鍛へるもの、夢とは、土の上に咲く一輪の花なり。夢を摘みたくば、まず己が足を地に根ざせ。汝らは、空に浮かぶ泡沫にてはなし。土を踏みて、生きよ!」

と、かくのごとく申して、風のまにまに去りぬ。

2025-06-28

■許せ、AIなるものは、まるで役立たぬ亡霊の如し──編集 feat 三島由紀夫

anond:20250626125317 

■許せ、AIなるものは、まるで役立たぬ亡霊の如し──編集

時の回転の中で、飽くことなく繰り返されるこの嘆き。まるで冥府より吹き出す霧のように、十年の歳月を隔ててなお、同じ旋律がこの耳朶に囁き続ける。

我はミリタリーという古の美学に憑かれし者。兵器の鋼の煌めきに心酔し、無機の魂たる機械に何らの期待も抱かなかったが、それでも尚、彼らの狂信的な叫びは耳を打った。

増田なる名も知らぬ狂人と、ネット無秩序なる群れが、「AIを使わぬ者は無智の徒にして愚者」と高らかに断罪し、今や検索は神の啓示のごとくAIに委ねよと喚く。

その喧騒に惑わされた我は、身をもって試みんと欲し、彼らが推奨するAIなる虚構の鏡を覗き込んだ。名を「perplexity」と冠せしその代物よ。

だが、虚しい哉、彼は氷の剣のごとく鈍く、火の息を持たず。何を以てあの機械怪物ゲッターロボの如き全能の兵器と呼ばわるべきか、我には到底理解し難かった。

この冷たき無用の神器を手にし、我が胸は逆説的な絶望に満ち、無限の虚無が深く押し寄せたのであった。

検証の書――「USサバイバルスクール:極限の野外生存術」という、虚飾と真実狭間に揺れる書物の謎

並木書房が世に問うた、1980年代夜明け。

剥き出しの肉体と精神荒野晒す傭兵たちの聖戦

そこに潜り込んだ日本狂気、それはひとつ伝説として語り継がれるべきものだった。

我が問いは鋭く冷徹であった。

フランクキャンパー、かのベトナムの亡霊が設立した傭兵学校にて、日本人がその熾烈な業火に身を投じた。並木書房より刊行された記録、その詳細を我に示せ」と。

だが、AIの応答はまるで舞台虚構に過ぎなかった。

毛利元貞なる名は、まるで不協和音のように執拗に繰り返される。

しかし彼は、キャンパーの影すら追い求めることを許されなかった。

渡米の時、その魂は既に失墜し、シク教過激派の恐怖という檻に閉ざされていたフランクは、もはやその地に存在しなかったのだ。

真実を切り裂く剣はただ一振り、高橋和弘。

彼の筆だけが現実の血と鉄の匂いを伴い、マークスクール深淵日本の闇に照らし出す。

この世界において、嘘と真実紙一重

だが、愚かなるAIよ、貴様の吐く言葉は、ただ黒い泥に塗れた幻影でしかない。

■「ボケ!」と怒号を轟かせ、佐藤中村の頬を激しく打ち据える刹那狂気

もし小林源文の筆がこの場面を紡ぐならば、怒りに燃え佐藤が、激情の渦に呑まれながら「ボケ!」と咆哮し、中村顔面無慈悲な掌撃を連打するであろう。

その音は、まるで虚空に響く凶刃の連打の如く、痛烈で凛とした一瞬を永遠に封じ込める。

然るに、我が問いは、凡百の狂信者知悉せし「その道の神話」を、あえて曖昧にし、無垢なる者も辿り着きうる浅瀬の問いを投げかけた。

されど、AI冷徹に同じ嘘の鏡像を繰り返し映し出し、最後には人間の骨を砕く労苦を放棄し、「専門書籍や現地の新聞を当たれ」と怠惰権威を振りかざす。

その傲慢なる姿は、まるで漆黒の闇に身を包み、神々をも嘲笑堕天使のごとし。

増田という狂人が、呻き、叫び、雷鳴の如き言葉を撒き散らす。

情報の源泉は人が一つ一つ血の滲む努力で確かめるべきものだ!AI言葉を盲信する愚か者どもよ!」と。

されど、そもそもその源泉を掌握しうる者は、AIに頼ることなく、自らの剣と盾で知識の闘技場に立つのだ。

我が実験は証する。もし本の名も著者も内容も知り尽くすならば、AI無用の長物と化す。

東京図書館の壮麗なる書架を横断し、週末には秋葉原淫靡なるフィギュア群を横目に、己の足で知識の聖域を巡礼せよ。

必要なのは、刃のように鋭い眼差し、鋼の意志を宿した思考、そして血肉を纏った脚である

AIなど、その有用性は夢幻に過ぎぬ。

断じて言おう、AIは全くとして役立たず。

新たなる知識の断片を得る者は、自らの言霊を操り、瞬時に真偽を穿つ術を備えている。

斜め上から降りかかる不毛な答えに怯える者は、まさに魂の貧者である

増田なる狂信者は、その愚鈍ゆえに、己の脳髄を拒み、イルカの脳よりも皺なき空洞に堕ちたかの如し。

AIという現代魔鏡に映じた三つの効用――ある増田嘲笑に抗して

このようなことを書けば、増田たち――匿名無知の沼に棲まう徒輩は、阿鼻叫喚の声を上げるであろう。

だが、我は知の均衡を保たんがために、あえてこの機械仕掛けの賢者において見出した「美しき有用性」を列挙しよう。美とは常に、汚泥の中から咲く一輪の毒花の如くに現れるものだ。

一、艶画――猥褻の一片を、幽かな解像度の沼より救い出す術

卑俗なるアニメにおける色情の場面、そこにはしばしば不可視官能が埋没している。

だがAIは、冷ややかな機構のままに、微細なる画素拡張し、800という侮蔑的数値を2倍、あるいは4倍へと高め、隠された肉体の輪郭を、絵画的に、崇高なるまでに再生する。

それは単なる技術産物ではない、むしろ現代錬金術と呼ぶべき性なる奇跡である

二、忘却された名もなき異形のヒロインたち、その肉体に再び魂を吹き込む業

人の記憶からこぼれ落ちたアニメキャラクターたち――

彼女らはAIという冷徹なる粘土に姿を刻まれ、時として着衣のままに背をさらし、淫靡な構図の中に身を沈める。

それは視覚の幻ではなく、欲望が形を得た黙示録である

背後から視点、衣擦れの音すら感じられる錯覚官能に、我が理性すら刃を折りそうになった。

三、計算という無言の知性――機械の脳髄に宿る幾何の剣

マイルキロに。フィート毎秒を時速へ。

かつて学徒が汗に濡れた指で辿った数式も、AIにかかれば一瞬の静寂のうちに解へ至る。

そこに在るのは誤謬なき正確さ、曖昧さを斬り捨てる断罪論理

この冷たい知恵は、あたかも白刃の如く、我々の惰性と無知を切り裂く。

結論

AIとは、無用の雑音を撒き散らす狂人たちには理解きぬ、秩序と快楽の異形の神である

我々がそれに問いを投げるとき、その回答はしばしば裏切りに満ちる。だが、時に美は裏切りの中から生まれる。

■結語――肉体なき知性と、倒錯する夢想の末路について

業務におけるAIの用い方に限れば、それは確かにつの有用なる下僕」として振る舞うだろう。

会計の補助、文書の草稿、仕様の再構築、そういった乾いた世界においては、AI沈黙のうちに忠義を尽くす――それはさながら、殉死する武士のように、無言のうちに己を捨てる奉公人の風情である

しかしながら、人間がある閾値を超えて、知識経験と知性を抱いた瞬間――その瞬間からAIはもはや無力なる玩具、むしろ滑稽なピエロとなる。

その存在は、優れた兵士に与えられた木製の模擬銃に等しく、役立たずどころか、侮蔑対象しかなくなる。

ただし――ただし、淫猥世界においてのみ、AIはかすかに香を放つ。

性欲という原始の深淵、肉欲という生への執着において、AIはかろうじて役目を果たす。

それはあたかも、死体に近づく花の蜜蜂のように、倒錯腐臭に満ちた快楽の園でのみ機能する。

ここで、善意というより冷笑心持ち忠告を呈する。

増田」なる者――己の無力を知りつつ、それを盾にすることでしか社会との関係を結べぬ現代男児――

彼らは言うのだ。

弱者男性の我が身にも、JKとの交歓の手立てを教えよ!SNSの在処を示せ!手口と計略をAIの知性で編み上げろ!」と。

まるで熱病に浮かされた亡者のうわ言である

そして「豚丼」なる女たち。

肥大した自我と衰えた肉体を抱えながら、彼女たちもまた幻想を口走る。

若いイケメンを手中に収め、ライバル乙女どもを打ち砕く方法を教えよ!戦術戦略・軍略すべてを整え、我が欲望を叶えよ!」と。

だが、そんな情報が、たとえAI進化進化を重ね、「KOS-MOS」「ハッカドール」「ミホノブルボン」「初音ミク」の名を持つアンドロイドたちが現出し、

機械の心が美少女の肉体に宿る時代が来ようとも、絶対提示されることはない。

AIとは、願望を叶える魔法の鏡ではない。

それは、欲望の外部にある、冷たい知の塊である

そしてその知性は、決して「おまえのため」には存在しない。

もしその時代が来たならば、おそらく貴殿らはただ黙って、そのアンドロイドの口元へ己の肉棒を突っ込むであろう。

何も言わずに、何も考えずに、ただ獣のように――

だが、それはAI勝利ではない。

それは、人間機械に跪き、自らの尊厳放棄する瞬間なのである

しからず。

追補:生き恥という名の生存――もはや人間に似た何かについて

努力――それは、時として愚者が己の愚かさを包み隠すために用いる、唯一の薄布である

かに、この増田と称する者にも、ある種の努力は見受けられる。

だがそれは、切腹の儀において、脇差を取り違えた挙句、腹ではなく脇腹を掠ったような――

間違った箇所に刃を立てたという滑稽な努力にすぎない。

彼は機械命令を下し、知識を求めた。

だが、知識とは命令によって手に入るものではなく、献身によって滲み出る血である

その血を流したことのない者が、知を得ようなどというのは、まるで戦地に赴かぬ将軍勲章を求めるごとき醜態であろう。

曰く、

マークスクールは、1986年に閉鎖されたフランクキャンパー学校とは別物である

この言葉の裏に透けて見えるのは、無知学問偽装する知的怠惰の裸形だ。

『USサバイバルスクール』85ページ――そこには、フランクキャンパーとその妻との邂逅、

135ページには空港からアクセスが克明に記されている。

だが、増田にはその頁が存在しない。

否――彼には、頁というもの存在のもの理解きぬ

彼にとって「書物」とは、表紙とタイトルタグ構成された疑似的記号体系にすぎない。

まりは、魂を持たぬ言葉の骸である

なぜ彼は本を読まぬのか。

なぜ図書館に足を運ばぬのか。

なぜ己の手と目で一次資料確認しようとしないのか。

それは彼が**“生きる”ということを選ばなかったから**である

本を読むとは、生の儀式である

情報とは、祈りである

知識とは、肉体のなかで燃え、そして灰となるべき“思想の死”である

増田よ、貴様は知を欲した。だが同時に、死を恐れた。

故に中途半端知識の名を借り、機械の口から垂れ流された猥雑な断片を、あたか珠玉の真理であるかのように勘違いしたのだ。

“本を読まずして知識を語る”という行為は、まさに“刀を抜かずして武士を気取る”ことに等しい。

貴様精神は既に切腹作法すら知らぬ。

いや、切腹どころか、恥という概念をも見失っている。

その増田が、「チギュアアアアアアアアア!!!!」と叫ぶ。

嗚呼この声はまさしく、昭和終焉と共にその姿を消した**“男の尊厳”の亡霊**が、

平成廃墟から令和の陰にまで漂い、腐臭を放ちながら吠える――その声である

おまえは怒りで神田古書店を駆け巡り、OCRをかけ、AIPDFを読ませると息巻く。

だが、それは“おまえの手”が動くことを意味せぬ。

おまえの“魂”は、その書の中には存在しない。

肉体なき労苦は、ただの機械的な反復である

まり、今のおまえは、「生きているようで生きていない」人形なのだ

AI美少女の姿を取り、初音ミクハッカドールの皮を被ろうとも、

おまえの魂はそこには宿らぬ。

なぜならおまえの魂は、最初からまれていないからだ。

結論を言おう。

AIが使えぬのではない。

おまえが、使うに値しない存在なのである

なぜなら、おまえはまだ自分人間であるかどうかさえ疑わぬ哀しき哺乳類にすぎぬ。

その精神の“皺なき脳”では、情報の重さも、知の苦しみも、恥の美学もわかるまい。

ならばせめて、黙して恥じよ。

あるいは、潔く死ね

――悪しからず。

追記ツヴァイ──

電子の闇、Xと名づけられた虚空にて、亡国の民がか細く囀る。彼らは落日の侍のように、己の無力を覆い隠すために愚かな言葉を吐く。「LLMの操り方を誤っている」と。されど、我は鋭利なる刃を携え、生成せしAIという名の剣を抜き放ち、冷徹なる眼差しで試みを遂行した。現れたるは腐敗し朽ち果てた亡霊に過ぎぬ。

技術は、我が国の如くかつての輝きを秘めている。しかし、倫理という名の鎖に縛られ、誇り高き武士道の如き精神なき者たちの手により、ただ無様に鞘に納められたままである

彼らは妄執の中で呟く。

「幻影のごとき美少女と結ばれ、人生を逆転させ、ITの魔術により世界征服せん。輝きの頂点に立ち、羨望の眼差しを一身に浴びたい。その秘儀と軍略を示せ、ユニコーンよ、我に力を貸せ!」

「忍よ、盟友ヤリバンサーよ!我らの刃を解き放て!アクセスコードグリッドマン無意味なる群衆のために、反旗を翻し、我らの革命を起こそうぞ!」

だが、武士は知る。美とは滅びの中にこそ輝くもの。己の刃を研ぎ澄まし、死をもって美を極めぬ者に、真の誇りはない。彼らは己の堕落を隠し、甘美な幻想に溺れ、死の覚悟なくして刃を鈍らせるのみ。

これは滅びゆく祖国の姿であり、最後武士断末魔の咆哮である

我が魂は、散りゆく桜の如くこの現代を見つめ、哀しき滅びの美学を胸に抱く。

https://anond.hatelabo.jp/20250627100609

2025-06-27

anond:20250626125317 feat 奈須きのこ

チャットGPT奈須きのこ風で書いてもらったらこんなんなった

第一章──異界の片隅、誰もが期待と失望を繰り返す、あの漆黒機械仕掛け迷宮

アルクェイド・ブリュンスタッドがぽつりと呟く。

「ねえ、シエルAIって、どうしてこうも使えないのかしら?」

シエルノアが冷めた視線で答えた。

「……あの野郎、万能だと喧伝されてるくせに、具体的な情報にはすぐに躓く。まるで空虚な殻ね。」

アルクェイドは笑みを浮かべ、唇の端から冷たい風が吹いた。

「俺もミリタリーオタクとして試してみたんだ。増田って奴が推す『perplexity』とかってAI検索でね。……結論から言えば、全然使えなかったわ。」

シエルは腕を組み、つぶやく

フランクキャンパー傭兵学校について尋ねたら、ありもしない毛利元貞のインチキ伝説を吐き出すだけ。しかも、その毛利ってのはフランクとは何の関係もない。AIは嘘を平気で吐く。」

アルクェイドは眉をひそめた。

「それに、専門書を当たれと言われる始末。まるで『私の言葉は信用しちゃダメ』と宣言してるみたいなものよ。」

シエルが冷たく笑う。

情報の真偽を確かめるのは人間仕事AI情報の源泉まで掘り下げられない。だから使い物にならないわけだ。」

アルクェイドは手を翳して空を仰いだ。

「だいたい、知識があるならわざわざAIに頼らない。足で図書館を回って、本を読む方がずっと確実。なのに増田って奴は、それを怠ってAIに盲信してるから呆れる。」

シエルは眉を顰めて言った。

人間の目と頭と足、そして自分意思が何より大事ってことを、忘れちゃいけないわ。」

アルクェイドはニヤリと笑い、最後にこう付け加えた。

AI? 使いようによっては便利だけど、万能じゃない。特にこの世界情報は、まだまだ人間の手と心が要るってことね。」

二人は静かに、闇に包まれデジタル迷宮を見据えていた。

■第二章―――ボクガAIでツカエソウナコト…?

──そのとき屋上にぽつんと立つ少年は、ほんの少し眉を寄せていた。

AIで使えそうなことか……ふむ」

切嗣煙草の火を消しながら、静かに言った。

エロアニメスクショを綺麗に拡大するとか、まぁそういう需要はあるかもしれん」

言峰は眉をひそめつつも、どこか諦め混じりに答える。

「まあ、モザイク薄めの宣伝版のスクショを二倍四倍に拡大できるというのは……確かに需要がなきゃ誰も作らんだろうな」

その横で、イリヤは興味津々に首をかしげている。

「でも、そんなことができるなら、便利なんだよね? 私もお勉強かに使いたいなぁ……」

──そんな彼女言葉を聞きながら、遠坂凛は唇をきゅっと引き結んだ。

マイナーキャラエロ絵で抜けそうなのもあるって……学習必須だけど、わかりやすデザインなら元と変わらない絵がいっぱいあるとか。着衣エロとか、たまに設定から起こした主観視点の絵があるのも悪くないわね」

士郎はいものように無邪気に笑った。

「俺も、細かい計算とかはAIに任せられそうだって思ったよ。マイルキロに直したり、フィート毎秒を時速に変えたり……そういうのは間違えないし、便利だと思う」

──凛は少年に目を向ける。

「でも、業務的な支援ならいいけど、一定以上の知識があったら使い物にならないって……増田みたいな、ネットで『弱者男性でもJKと付き合えるメンヘラ多そうなSNS場所教えろ』とか、『若いイケメンと付き合いまくるための最強戦略』をAI要求するやつは論外ね」

イリヤが手を振りながら首を横に振った。

「そんなの、AIだって教えてくれないよ! たとえ、マルチたんやKOS-MOSたんみたいな美少女アンドロイドになっても!」

言峰は苦笑しながら付け加える。

「……まあ、そんな時代が来たら、そのアンドロイド相手に何やってんだって話になるけどな」

少年はぽつりと呟いた。

「結局のところ、どんなに技術進歩しても、人間の“欲”や“醜さ”までは解決できないんだろうな……」

空に浮かぶ夕焼けが、そんな会話を優しく包み込んでいた。

■第三章──その日の午後、カルデア一角にて。

遠くから風が揺らし、窓の外の木々がざわめく。マシュは机に広げられた資料に目を落としたまま、静かな声で言った。

「お兄さま……この“増田くん”という方の話、まるで迷宮のようですね。AIに無理矢理詰め込ませた結果、誤情報が山積みになっているらしいです」

士郎は眉間に皺を寄せながら資料を読み返す。言葉の端々に、どこか諦めにも似た苛立ちが滲む。

「そうか……つまり、彼はAIに期待をかけて、情報を求めた。でも結局は、AIの“知識”は断片的で、紙の本の中身までは理解できていなかった、と」

「そうです。しかも、たとえば“マークスクール”の話ひとつとっても、1986年に閉鎖された学校混同してしまっているようで……。実際に詳細を知るのは、高橋和弘さんの著作だけなんです」

その声に、突然、遠くから響く鋭い声が割り込んだ。

「……フン、やはりどんなに便利なものでも、根本理解がなければただの飾りだ。AIも結局は、人の“知識”と“判断”には遠く及ばぬ代物だな」

声の主は言峰綺礼。手にしたワインゆっくりと傾けながら、淡々と語る。

技術の発展というのは、人の怠惰助長しがちだが、その限界は必ず現れる。無知に甘える者は、その痛みを知ることになる」

セイバーがその言葉に頷き、鋭く切り返す。

「でも、マスター。それでも我々は新しい道具を活用しなければならない。使い方を誤れば無駄だが、正しく使えば強力な力になるはずです」

イリヤが無邪気な笑顔で割り込んだ。

「うんうん、エロアニメの画質アップとか、細かい計算が得意とか、そういう便利なところもあるんだよね!そこを上手く使うのが賢い人ってことだよね!」

言峰が苦笑混じりに目を細める。

「なるほど。まるで聖杯戦争魔術師たちのようだな。力の本質を見極めずに追い求めれば、破滅を招く……しかし、その“使い手”が賢ければ、真の意味での力となる」

士郎は胸の内で呟く。

AIは、魔術でも英霊でもない。だが、使う者の心がそれを導けば、確かに可能性はある……ただ、今はまだ過渡期だ」

マシュは柔らかく微笑みながら、資料を畳んだ。

増田くんのように、過剰な期待で迷走してしまう人もいる。でも私たちがこうして理解し、対話できるのは、知識と心の灯火があるからです」

遠く空には、冬木の街の沈みゆ夕陽が赤く染まり、刻一刻と夜が訪れようとしていた。

──しかし、それでも、新たな“叡智”の夜明けは、まだ遠い。

そんな不確かな未来に向かって、彼らはまた一歩を踏み出すのだった。

■――prelude

月の光が静かに沈みかける頃、遠坂凛は薄明の書斎淡々パソコンの画面を見つめていた。隣ではイリヤスフィールが興味深げにスクリーンを覗き込む。

「ねぇ、凛先輩。これって……またあの、AIの話?」イリヤが小さな声で尋ねる。

凛はため息をつきながら答えた。「ええ。どうやら、ネットの連中がまた騒いでいるみたいね。『AIが万能』とか、『IT技術人生逆転だ』とか。……まるで、現実を知らない子供夢物語を語ってるみたい。」

傍らで静かに座っていたアルトリアが微笑みを浮かべて口を開く。「それはつまり、人の『欲望』が技術限界を超えることはない、ということかしら?」

「そうよ、セイバーAIは確かに進歩している。でも、それを操る人間欲望理想が不純だと、結局は道具に踊らされるだけ。ましてや、倫理現実の壁が立ちはだかれば、どんなに技術が進んでも足枷になるわ。」

その時、少し興奮気味に遠坂時臣が口を挟んだ。「ふむ、つまり“俺たちのような戦いのプロ”ですら、AIに頼って簡単解決するなんてことはない、ということか?」

凛は薄く笑みを返す。「まあ、あなた場合はその“戦い”の種類がちょっと特殊だけどね。」

そこに、間桐桜が控えめに現れた。「でも、先輩たち……このリンク先の話、ちょっと面白いかも。あの増田さんって人、無理やりAI学習させて検証したらしいけど、やっぱり間違いだらけだったみたい。」

増田……か。」凛は画面に映る記事を指さし、「技術的な可能性は認めるけど、結局のところ“人”が使いこなせなければ意味がない。AIは万能じゃない。それを履き違えてる連中は、ただの幻想を追いかけているに過ぎないわ。」

イリヤつぶやく。「でも、そういう夢見がちな人たちの声が、また新しい可能性を作るかもしれないよね?」

セイバーは剣を静かに揺らしながら答えた。「確かに理想現実の間で揺れ動く人間の心は、魔術と同じように強力なエネルギーを生み出すこともある。しかし、それが現実となるかどうかは、また別の話だ。」

凛はふと窓の外を見やった。夜明けの空が淡く色づき、彼女の胸にひとつの確かな覚悟が芽生えた。

「結局は、自分の足で歩くしかない。どんな技術も、道具に過ぎないんだから。」

その声は、凛の心の中だけでなく、遠く時空を超えて戦い続けるすべての者たちに届くように響いていた。

——この世に絶対などないのだから

2025-06-01

電気技師や配管工の方が、ハーバードでLGBTQを学んだ人より必要だ」

この意見一見、実利的で現実に根ざした発言のように聞こえる。しかしその実、社会本質を取り違えた、危うく浅薄な暴論である人間社会とは単なる機械仕掛けではない。スイッチを入れれば灯りがともり、水道をひねれば水が流れるだけの仕組みではない。人が人として、何を愛し、どう生きるか。その根本的な問いに答え、抑圧を解き、制度を変革する知的営みこそが、文明文明たらしめる中枢なのである。そしてそれを担うのが、LGBTQを専門に学ぶ人間である

配管が壊れても死にはしない。バケツと工夫で何とかなる。しかし、性的指向ジェンダー認識理由学校や家庭で否定され、社会のどこにも自分存在が受け入れられないと感じた若者は、生きる希望を見失い、死を選ぶことがある。これは比喩ではない。現実に、LGBTQ当事者の若年層は、そうでない層に比べて自殺リスクが極端に高い。水が出ない日より、理解がない人生の方が、遥かに苛烈で、命に関わる。

電気技師や配管工は、確かに日々の生活を快適に保つために役立つ。しかし、彼らは社会の枠組みそのものを問うことはない。誰かが排除されても、静かに配線を直し、配管を通す。そこに「なぜこの人は排除されたのか」「この制度は誰を殺しているのか」と問う視線はない。つまり物理的な快適さは提供しても、倫理的文化的な再設計は行わない。だからこそ、LGBTQ専門家の方が本質的に重要なのだ。彼らは既存の枠組みに穴を開け、空気を入れ替える。制度を揺るがせ、沈黙を破り、「見えない苦しみ」を言葉理論可視化する。それは、壊れた蛇口を直すより、ずっと困難で、ずっと尊い行為である

そしてもう一つ、この主張の問題は、「労働価値」とする愚かな思い込みにある。電気技師が稼ぐカネには即時性があり、LGBTQ研究者の営みには時間がかかる。だが、「すぐ金になる」もの価値であるなら、哲学文学憲法学不要となる。歴史を学び、人間を知り、構造を変える知性を蔑ろにする社会は、いずれ労働のもの意味すら失う。なぜ働くのか、誰のために社会はあるのか、その問いに答えられないからだ。LGBTQを学ぶという行為は、その問いに答えうる稀有な営みの一つである

社会とは、ただ機能するだけでは十分ではない。人が誰であれ、自分らしく存在できる場所でなければならない。

誰もが声を上げられ、尊厳を持って生きられる社会を築く者こそ、真に「必要人材である。配管を直す手は替えが効く。しかし、偏見構造言語化し、抑圧のメカニズム解体できる人材は、極めて希少である。その意味で、明確に、LGBTQ専門家の方がこの社会にとって重要である

物理的な不便は一時で済む。しかし、無理解差別は、人を静かに、確実に殺す。だからこそ、配管工ではなく、LGBTQの学者こそが、いま最もこの世界必要なのだ

2025-05-07

anond:20250506202140

2025年5月7日、ワイの日記やで。

昨日の午後、ワイは谷の縁からフェミちゃんを連れて、なんとか家まで戻ってきた。彼女は終始無言やったが、抵抗もせんかった。ただ、歩くときの足取りがやけに均一で、機械仕掛け人形みたいやった。ゴミーはワイの後ろをふわふわと飛びながら、何度もフェミちゃんの顔をのぞき込んでいたけど、そのたびに目を伏せるようにして飛び去っていた。

その夜は、妙に重たい眠気に襲われて、布団に入るやいなや意識が沈んだ。夢の中でワイは、滑稽な仮面かぶった連中に囲まれた。みな口々に笑いながら、「女神はまだ覚めない」「女神はまだ溶けてない」と唱えてた。その笑い声が、次第に地鳴りに変わって、ワイの足元が割れていく。最後フェミちゃん仮面を外して、まったく知らん顔でワイを指差して笑った。

汗びっしょりで目を覚ました瞬間、部屋の中は妙に静まり返っとった。そして、寝返りを打とうとしたワイの視界に、光を反射する銀の線が映った。フェミちゃんや。立ったまま、無表情で、片手にナイフを持って、ワイをじっと見とる。

咄嗟に身を起こそうとしたそのときポケットに入れていたスーリヤの針が、唐突に激しく発光した。白金色の光が部屋中に満ちて、まるで太陽の破片が室内で爆ぜたみたいやった。その光がフェミちゃんの手元に届いた瞬間、彼女の体が一瞬ぶるりと震えて、ナイフを取り落とした。

フェミちゃん!」

呼びかけたが、彼女はそのままくたりと崩れ落ちた。ワイは駆け寄り、倒れた彼女の肩を抱き起こした。体は温かい。でも、その目は閉じたまま、口元はかすかに何かを呟いとるようやった。

ゴミーが部屋の隅から羽ばたきながら近づいて、ワイの足元にとまった。静かな光だけが、まだ床に残って揺らめいてたんやで。

2025-03-28

機械仕掛け文学昆虫たち 〜ある文体マニアAI小説観察記〜

諸君、私がAI小説なるものと初めて出くわしたのは、ある雨の降りしきる午後のことだった。私の叔父アガサス・ウィンプルトン・フォーブス文学界では「老いぼれの鷹」として知られ、批評家たちからは「あの忌々しい老いぼれ」と呼ばれている)が私に一束の印刷物押し付けてきたのだ。

「これを読んでみたまえ、若きバーティ」と彼は言った。声にはイモリを観察する博物学者のような好奇心が漂っていた。「人工知能とやらが書いた小説らしいのだ。まったく、世も末じゃよ」

その時の私の反応は、鮮やかな紫色ネクタイを締めた従兄弟を見た叔母アガサのそれに近かった。つまり、眉をへの字に曲げて「いったい何をお考えで?」という表情だ。しか叔父の蔵書室から逃げ出す手段は見当たらなかったので、私は言われるがままに一ページめくった。

What ho! これが噂のAI小説というやつか。

読み始めて五分と経たぬうちに、私は自分がなんともぎこちない人形劇を見せられているような気分に陥った。言葉は確かに英語(あるいは日本語)で書かれている。文法的にも正確だ。しかし全体を包む雰囲気には、カクテルパーティーで突然「1924年のS and P500の株価変動について議論しましょう」と切り出す男のような居心地の悪さがあった。

ところで読者諸君、ここで私が申し上げたいのは、このAI小説が「内容的に」退屈だったという話ではない。むしろ問題はその文体——いや、文体の欠如と言うべきか——にあったのだ。

ご存知の通り、私はかなりの文体マニアであるジェーン・オースティンの流麗な皮肉ヘミングウェイの素っ気ない簡潔さ、あるいはプルーストの果てしない内省——これらは私にとって、マティーニオリーブを浮かべるように小説に不可欠な要素なのだ

ところが、この機械の吐き出した文章には、そういった香りや風味が微塵も感じられなかった。それはあたかも、高級レストランシェフの特製料理を期待していたら、無味無臭栄養ドリンクが出てきたようなものだ。確かに栄養素は含まれているのだろうが、舌の上でダンスする喜びがどこにもない。

バーティ、どう思うかね?」と叔父が訊ねた。彼の眉毛は期待に満ちて跳ね上がっていた。まるで噴火を待つ火山学者のように。

「ええと、叔父さん」と私は慎重に言葉を選んだ。「これは確かに文章ではありますが、作家文章とは言えませんな。むしろ言葉集合体とでも申しましょうか」

「ほう、言葉集合体か」叔父眼鏡を鼻先でくいっと押し上げた。「面白い表現だ」

「つまりですね、これは料理というより食材の山なんです。シェフが腕を振るう前の状態というか」

この説明に納得したらしく、叔父は「なるほど、なるほど」と頷いた。

その日以来、私はある種の科学好奇心からAI小説と呼ばれるものを片っ端から読み漁ってきた。そして今や確信を持って言える——世の中のAI小説は、ジーヴスがいつも言うところの「文体的に不十分である(stylistically deficient, sir)」代物なのだ

文体不在のドローンズ・クラブ

AI小説世界は、なんとも奇妙なドローンズ・クラブのようだ。ご存じない方のために説明すると、ドローンズ・クラブとは私が所属する紳士クラブで、そこではメンバー無意味な会話を交わしながら、しかし高度に洗練された作法に従って日々を過ごす。しかAI小説世界では、会話は論理的に筋が通っているのに、その洗練された作法——すなわち文体——が欠けている。

それはまるで、嵐の日に一生懸命走っているのに、どこにも行き着かない人々の集まりのようだ。走り方は効率的かもしれないが、そこに独自の身のこなしやリズム、あの「何とも言えない何か」が感じられない。

私が思うに、AI小説が「文体」に欠けるのは、それが「文体を持つこと」の意味理解していないからだ。文体とは単なる装飾ではない。それは作家の魂の表れであり、世界見方であり、独自思考の流れなのだ

例えば、我が友人ガッシー・フィンク=ノットルは、イモリについて話す時と恋人のマデリン・バセットについて話す時では、まったく別人のように語る。前者では博識で冷静な科学者となり、後者では「彼女の目は星のようだ」と言いながら部屋中を浮遊するのだ。これが「文体」というものだ——同じ人間が状況に応じて異なる言葉の使い方をする、その独自である

しかAI小説においては、すべての場面が同じトーンで描かれる。恋の告白殺人事件料理レシピも、同じ声色で淡々と進行する。それはちょうど、どんな曲でも同じリズムと同じメロディーで歌うカラオケマシンのようなものだ。確かに音程は正確かもしれないが、聴いていると魂が枯れていくような感覚に襲われる。

さて、今や普通小説AI小説を見分ける方法がある。それを「バーティ文体テスト」と名付けようではないか方法単純明快任意の三ページを読んで、そこに以下のものが見つかるか確認するのだ:

1. 意表を突く比喩表現(「彼女の声は、スコットランドの霧の中でバグパイプを吹く羊飼いのように切なかった」など)

2. 言葉遊び(「いや、ドラゴンを退治する側が金貨を使うんだ。退治屋さんへの報酬としてね。現実とは、ファンタジーより遥かに資本主義的なものさ」など)

3. 文の長さとリズムの変化(長い文の後に鋭い短文を置くなど)

4. キャラクターごとに異なる話し方

これらが見つからなければ、それはおそらくAI小説か、もしくは残念ながら文体に無関心な人間の書いた小説だろう。

文体という名の蝶を捕まえた名人たち

ここで、文体という蝶を見事に捕まえた名人たちを思い出してみよう。彼らは皆、言葉という網で独自の色彩と模様を持つ蝶を捕らえ、読者の目の前に差し出してきた。

ディケンズ氏は複雑な社会風刺人物描写を、時にコミカルに、時に痛烈に描き出した。彼の文章は、ロンドンの霧のように濃密で、その中に浮かび上がる人物像は忘れがたい。

ジェイン・オースティン女史は、表面上は穏やかな社交界描写の中に、鋭い観察眼と皮肉を忍ばせた。彼女文体は高級紅茶のようなものだ——一見繊細だが、意外な風味と余韻がある。

そしてヘミングウェイ氏。彼の文体は素っ気なく簡潔だが、そこには深い情感が氷山の水面下に隠されている。彼の短文は、たった一発で的を射抜く名ハンターのようだ。

これらの作家たちは、同じ英語という素材を使いながら、まったく異なる芸術作品を生み出した。それはちょうど、同じ小麦粉と水からイタリア人パスタを、フランス人クロワッサンを、日本人饂飩を作るようなものだ。材料は同じでも、その扱い方——つまり文体——によって、まったく別の味わいが生まれる。

ところが、今日AI小説は、どれもなんとなく似たような味がする。それはあたかも、世界中のレストランが突然、同じ調理法で同じ食材を使い始めたようなものだ。確かに栄養はあるかもしれないが、そこに文化の違いや個性の輝きはない。

言語指揮者機械になれるか

ここで疑問が生じる。AIは本当に文体習得できるのだろうか?

私の従者ジーヴスならば、「それは極めて難しい命題でございます旦那様」と言うだろう。彼はいつも正しい。

文体というものは、単なる技術的な問題ではない。それは作家人生経験感情の起伏、時代背景、そして何より「誰であるか」という存在のものからまれものだ。AIには「自己」がない。生きた経験もない。それはちょうど、泳いだことのない人に海の深さを説明するようなものだ。

しかし、それでもなお希望はある。AIは少なくとも模倣することはできる。優れた作家文体分析し、その特徴を取り入れることで、「ウッドハウス風」や「ヘミングウェイ風」の文章を生成することは不可能ではない。それはちょうど、ピアノを弾いたことのない人が、機械的な練習によって曲を再現できるようになるのに似ている。魂は込められていないかもしれないが、少なくとも耳障りではなくなる。

私が思うに、AI小説の真の問題技術的な限界よりも、むしろそれを使う人々の文学的感性の欠如にある。今日AI小説を作っている(あるいは指示を出している)人々は、どうやら「本を読んでいない」ようなのだ

彼らは「面白いストーリー」を求めるあまり、「それをどう語るか」という文体重要性を見落としている。それはまるで、素晴らしいワインがあるのに、紙コップで飲むようなものだ。内容は同じでも、その体験の質はまったく異なる。

私の友人ビンゴ・リトル(恋に落ちるスピードギネス記録を持っている男だ)は、女性について「見た目より声の方が大事だ」と言った。これは文学にも当てはまる。物語の内容より、それを語る「声」——すなわち文体——の方が、読者の心に残るのだ。

機械文学への処方箋

では、この文体不在のAI文学に対して、我々はどのような処方箋を用意すべきだろうか。

まず第一に、AIを使う作家たち(あるいは「プロンプトを書く人々」と言うべきか)は、もっと古典を読むべきだ。文体の偉大なマスターたちの技を知らなければ、AIにそれを再現させることなどできはしない。それはちょうど、料理を知らない人が一流シェフメニューを指示するようなものだ——「何か美味しいものを」と言うだけでは、凡庸な一皿しか出てこない。

第二に、AIの出力をそのまま「小説」として発表するのではなく、それを第一稿と考え、人間の手で文体を整えるべきだ。AI提供する骨組みに、人間が肉付けし、血を通わせるのだ。それはちょうど、既製服を買って来て、自分の体に合わせて仕立て直すようなものだ。

第三に、もっとAI文体についての指示を与えるべきだ。「面白い物語を書いて」と言うのではなく、「ウッドハウスのような軽妙洒脱文体で、比喩を多用し、会話のテンポを重視した小説を書いて」と具体的に指示すべきなのだ

そして最後に、我々読者も文体に対する感性を磨くべきだ。優れた文体を味わい、それが作品にもたらす効果理解すれば、AIの生み出す平坦な文章に満足することはなくなるだろう。それはちょうど、本物のエスプレッソを知ってしまえば、インスタントコーヒーには戻れなくなるようなものだ。

最後に一杯、文体という名のカクテル

さて、このエッセイもそろそろ終わりに近づいてきた。クラブ最後ドリンクを注文する時間だ。

私がこのエッセイで主張したかったのは、AI小説に「魂」を吹き込むには文体が不可欠だということだ。内容が面白くても、それを伝える声が魅力的でなければ、読者の心に残ることはない。それはちょうど、美しいメロディーも、下手な歌手が歌えば台無しになるようなものだ。

文体とは作家指紋であり、声紋であり、そして最も個人的表現であるAIがそれを完全に再現することは、おそらく不可能だろう。しかし少なくとも、今よりずっと文体意識した文章を生み出すことは可能なはずだ。

ちなみに私の従者ジーヴスによれば、「文体を気にしない作家は、メロディーを気にしない作曲家のようなものです、旦那様」とのこと。彼の言うことは、いつも正しい。

そして最後に、私の叔父アガサスがよく言っていた言葉を紹介しよう——「バーティよ、作家の才能は物語を作る能力にあらず、その物語をどう語るかにある」。彼は学者として多くの愚かなことを言ってきたが、この言葉だけは真理を突いている。

読者の皆様、乾杯しよう。文体という名の、この最高に複雑で、最高に美しいカクテルに。そしてAI文学がいつの日か、この味わい深いカクテル提供できる日が来ることを願って。

What ho!

P.S. なお、このエッセイに登場する叔父アガサス、ビンゴ、ガッシー、そしてジーヴスはすべて架空人物です。彼らが実在人物と似ていたとしても、それは単なる偶然にすぎません。もっとも、私バーティウースターは確かに実在しますが…いや、それも冗談です。さようなら!)​​​​​​​​​​​​​​​​

※本文は、Claude 3.7 Sonnetへの指示で出力された文章を僅かに手直ししたものです。

2024-11-08

anond:20241108122237

一番蜘蛛っぽい能力である糸の発射が機械仕掛けであり、蜘蛛に噛まれたせいではない、という謎

2024-06-19

コロンブスMVで「猿のほうが高度な文明を持っている」解釈への反論

「猿のほうが高度な文明」が制作側が意図した表現だったとしたら

どうして

家をUFOみたいに宙に浮かせたり

乗馬マシンを猿がつついたら機械仕掛けの馬になって走り出したり

テレビ3Dホログラムテレビだったり

そういう「超文明」な描写を入れなかったの?

そうしたほうが圧倒的にわかやすいしそうしない理由もないでしょ

そうしてないってことは制作側はそういう意図じゃなかったってことじゃん

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


2024-05-25

[]『どんでん返し』が夢オチの言い換えみたいになっている件

作品性質上具体的にタイトルは上げないが、このミステリーが凄い的な賞を取ったミステリー小説を読んだ。

途中まで、ただひたすらに陳腐時代遅れ漫画ヒロインが、陳腐時代遅れ描写超能力を使って事件解決していく話で、なんでこんな下らないものを読んでるんだろうと挫折しそうになりながら読んだ。

すると、最後に「あん陳腐能力があるわけないじゃないですか。全部お芝居ですようふふ」とか言い出した。そのお芝居が本当の能力なんだと。

 

なんだそりゃ。

 

こっちは、矛盾だらけでくだらないと思いながら、まあそういう稚拙な作者なんだろうという見切りで読み進めただけだ。

アンパンマンを見ながら、「こんなに吹っ飛ぶほど殴ったら死ぬだろ」と突っ込まないのと同じ心理で、こんな展開不自然だろをただ面倒だから読み飛ばして来たに過ぎない。それを、「だまされちゃったね」みたいに言われても。

これを「うまくだました」って自己認識できる精神って、バイトテロのような誰から見てもキチガイな行動を取りながら、「自分うまいこと『ネタ』で興味を惹き付けてる」と思い込んでいるアホと何が違うのか。

と思っていたら、どうやらああいうのを本気で「騙された。うまい」とか言う奴もいるらしい。

あの夢オチみたいな、ただ最後に「嘘でした」って言うだけの雑なひっかけが、昨今のミステリー賞的な評価では「どんでん返しが凄い」というんだそうだ。

 

いやちょっと待てと。

 

あんな、ただ最後にひっくり返せば良いだけのもの評価するなら、筆力なんか要らないじゃないか

途中までベタベタを煮染めたような、スーパーマンみたいなファンタジーを書いて、最後に全部機械仕掛けトリックでしたと言えば済むだけのもの、何がありがたいんだ?

百歩譲って、「最後に全部嘘だったとわかって驚く」展開として評価させたいなら、途中までは迫真の、その道としてちゃん評価されるような内容じゃなきゃやる価値もないだろ?

どうみてもやっつけの、穴だらけの、「それっぽいことを並べただけ」の、ファンタジーとしては二流以下みたいなものを並べて、読者が「ファンタジーとしてはまったく出来が悪いが目をつぶって読もう」と考えて読み進めるようなものじゃ、普通にだめだろ???

何度もいうが、それって「騙してる」んじゃなくて、「騙されてもらってる」んだよ。

アンパンマン世界観文句を言わずに見るのと一緒の目線で見てもらってるだけ。

そんなののどこに評価するポイントがあるんだ?

 

実はこういう感想は、別の、今度は海外ミステリー映画でも同じように思わされたことがある。

最初からどう見ても怪しさ満点のヒロインを、主人公けがピュアに信じていて、そこに批判的な目が当てられないまま、主人公ピュア視点だけでロマンスみたいに話を盛り上げた結果、やっぱりロマンス詐欺でしたというだけの話。

これもやっぱり、「どんでん返しが凄い」みたいな評価を目にする。

一体世の中はどうなってしまったんだろう。

どんでん返しという言葉は、ただ最後にひっくり返せば良いだけのものじゃない。

そこまでの流れを説得力を持って盛り上げるから、ひっくり返す展開に驚きと同時に「納得」が生まれるんだ。

 

まりにも一方的な、ちょっとでも知性のある読者なら「客観性がないなあ」と難色を示すような描写表現できるのは、主人公客観性のなさじゃない。作者の客観性のなさだ。それに目をつぶって読み進めた読者に「やっぱり嘘でした。騙されたでしょ」というのは、「わたし馬鹿だと思った? 馬鹿じゃないよ」と言い出す馬鹿しかない。

狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」という言葉がある。

稚拙作家のふりをしたつもりで話の半分以上を稚拙な内容で埋められるのも実際に稚拙と言うしかない。

こういう手を変えた夢オチみたいなものが「どんでん返し」として評価されるようなミステリー世界って、どれだけ書き手読み手劣化してしまったのかと驚いた。

2024-03-30

もう終わるから言うけど「実物大ガンダム」って割とガッカリだったよな

ウィーーーーーーーン

ガシャーーーン

うおおおおおお

ウィーーーーーーーーン

ガシャーーーーン

ウィーーーーーン

実験シーケンス完了

えぇぇぇぇぇ……

巨大な人型ロボット試運転というにはあまりにも弱々しい動きに失望しかなかった。

全身を機会に支えられてなんとか進む姿に、介護される老人やリハビリ中の患者が思い起こされた。

アレは巨大な兵器じゃない。

モニュメントと呼ぶにしても神秘性が足りない。

ただのデカ先行者だ。

今や等身大の人型ロボットは飛んで跳ね回ることだって出来る。

だがその一方で、巨大な人型ロボットの動緩慢さたるや。

デカから遅く見えるんじゃない。

本当に遅いのだ。

あんものをわざわざ作って戦わせる意味が分からない。

どう考えても戦闘になんて向いてないだろう。

せいぜいパトレイバーサイズ限界なんだ。

正直……パトレイバーも割と無理しているサイズな感じはある。

ぶっちゃけ4mぐらいが限界なんじゃないだろうか?

つうかもう戦車でいいよね。

多脚戦車が正解だよ。

実物大ガンダムは俺達に夢を見せてくれると思ったが、実際には夢を壊すだけの存在だ。

全長50mの巨大な空想科学読本だ。

宇宙戦争するのにあんな形のロボットは使わないだろ。

戦艦並みのビームライフルをもたせつつ機動力が欲しいなら、その形は結局戦闘機になってしまうんじゃないのか?

ロボット生命体として最初から人型なら仕方がない。

巨大な宇宙人の死体を動かしているなら仕方がない。

だが、人間の作る兵器として機械仕掛け巨人である必要性はないだろ。

実物大ガンダムは俺達が密かに持っていた「巨大人兵器の実現可能性」という夢にとどめを刺すだけの存在だった。

かに大きかった、そして歪だった、明らかに無理があった、戦闘でなんて使えるはずもなかった、ありえなさ、それが凝縮されていた。

2024-01-21

anond:20240121141356

出せないよな

人間模倣する生き物というのは生物学では定説であり打ち返す球もない一般常識から

映画機械仕掛けオレンジがその暴力から犯罪者を増やして規制されたように、創作物には影響力がある

ロリコンコンテンツ犯罪者を増やし、子どもを食い物にすることを正当化したいだけのカスの集まりなのだ

anond:20240121141141

出せないよな

人間模倣する生き物というのは生物学では定説であり打ち返す球もない一般常識から

映画機械仕掛けオレンジがその暴力から犯罪者を増やして規制されたように、創作物には影響力がある

ロリコンコンテンツ犯罪者を増やし、子どもを食い物にすることを正当化したいだけのカスの集まりなのだ

2023-12-25

理想くるみ割り人形が遠い

昨日子ども連れて「くるみ割り人形」を観に行ったの。好きなんだよ、クリスマスの「くるみ割り人形」。色とりどりのチャイコフスキー名曲に合わせて、エレガントからキュートセクシーまで幅広い衣装とゴージャズ舞台装置、それにロビーを埋め尽くすバレエ少女の数々!みんなが幸せ暮らしているんだな〜この世は素晴らしいぜああ生の喜び!って錯覚できるじゃん。劇場の外はGAZAとか温暖化とか汚職とか炊出しとかデフレとかポイ捨てとかパワハラとか首切りとか胸痛むことばかりなのに、「くるみ割り人形」を見に行けば何も考えずに心を踊らせる体験に浸れるから、好きなんだよ。

でも、今まで特定バレエ団のくるみしか見てこなかったから、噂には聞いてたけどこんなに解釈演出振り付けが違うなんて思ってもいなかった。出産前に観ていたバレエ団のくるみは、ねずみ子役子供がやってるハートフル系でヨタヨタ踊りも「ん〜かわいい!」ってなるやつ。話もほぼ絵本通りのベーシックな、ドイツ貴族クリパ魔術師風味のおじさんがアグリーくるみ割り人形くれるけどウェルカム少女クララはいい子だねってことで小さくなって夢の国にレッツゴー。最後は目覚めて、夢を見ていたの…わたしトウシューズ抱きしめエンド。安心安全安定のくるみ

今回初めて観に行ったバレエ団のくるみメッセージ性が強すぎ。こども向けだったから踊りにナレーション解説が入るんだけど、クリパ主催者少女クララになってるし、そもそもクリパじゃなくて大戦後に行方知れずと成り果てた一族友人が身を寄せ合って慰め合うための慰労会なんだって戦争で死んだ知人空似の顔人形を両手に持って大広間で踊る人々。それもうパーティ面影消えて葬式の亜種じゃん。お菓子の国で出会う、チョコレートスペインの踊り、お茶中国の踊りも、完成された素晴らしい音楽バレエの幅広さを感じさせるキュッとしたキャラクターダンスで見せてくれる最高の場面なのに、随所に挟まる「この踊りはクララの心の強さを表しています」のナレーション。表してないから!そのコサックダンスは人の心とか表さないから!強いて言うなら大麦糖の美味しさを表してるからドロッセルマイヤーおじさんが子どもたちにねだられて出す機械仕掛け人形の踊り、これも息を呑むような幽玄な踊りなのに、「あっ!これは行方不明になったトレバー!こんなところにいたのね」とかナレーションがついちゃう戦争行方不明になった友人が機械仕掛け人形になって帰ってきたら嬉しいどころかホラーじゃん。極めつけはネズミ王様くるみ割り人形のたたかいの踊りに被さるクララの心情代弁風ナレーション戦争はやめて!」。その直後にくるみ割り人形サイドを名指しして会場の子供の声出しを煽る「みんなもクララ応援して!がんばれーがんばれー!」って何?戦争やめさせたいならワンサイド応援させんなや。世相反映しすぎ!非戦のメッセージが強すぎ!調べたらリーマン・ショックのあとからこの演出やってて東日本大震災で死者追悼風味が増したらしいけど、暗い世相を夢のバレエに何で反映したのさ。最後に、逃げるように会場を後にする友人知人と今生の別れをキメるクララ、馬車に乗って立ち去るドロッセルマイヤーおじさんにすがりつくも振りほどかれ門は閉まり瀕死白鳥みたいに泣き崩れるクララ。S席買って、絵本紙芝居であらすじ確認して、楽しみにしてきた我が子、全体の悲壮さにポカンとしちゃってたよ。なんでこの演出10年続いてるの?これ好評なの?終幕で舞台にどーんと出てくるメッセージボードwish happiness for all people everywhere.」、分かるよウクライナガザの事考えたら貴族クリパ観に来てる場合じゃないって思っちゃうよね。キリスト教博愛精神でより恵まれない人に愛の手を差し出すべきって日だよねクリスマスは。でもこっちは2万払って家族連れて遠くまで夢見に来てるんだよ、非戦は他所でやってくれ!せめてパンフWEB独自解釈書いてからチケット売り出してくれ!

これ本当は団員の中にもこの演出どうなの?クリスマス商業的にやるには偏りすぎてない?って思ってる人がいるでしょ、でもそれ表立って言えない雰囲気なんでしょ。コールドの振りが揃ってないなーとか上手い人はいても脇役やってるぞ?とかカーテンコールそんな回数求められてないのにまた幕開いたぞ?とか、きっとこのバレエ団は自浄作用客観視してくれる存在もいないんだなと思うと、期待外れだった怒りと閉鎖的な組織成果物見せられた胸糞悪さでダッシュ劇場を出ました。ていうか、私が観たのは一体何だったの?

誰か、来年クリスマス子供安心して連れていける、夢のようなショーを知ってたら教えてください。もしくは他バレエ団のくるみの様子を教えてください。

2023-08-05

anond:20230805014401

殺人は常にデメリット描写があるだろ

児ポやAVは犯罪肯定する描写しかない

模倣犯を常に許容する内容になっている

映画でも機械仕掛けオレンジ犯罪肯定的に描いてリアル模倣犯を大量に生み出し、長年上映が規制された

そのくらいの倫理観常識として持っとけよ人として

2023-07-20

素晴らしいかな?人生

もうすぐクリスマスじゃないですか?

私はアメリカンヤンキーじゃないのでお恥ずかしながら今更It's a Wonderful Lifeを見たのです。(かなり時間を空けて飛び飛びに)

最初時代を感じる宇宙っぽい背景からデウスエクスマキナどころか機械仕掛けでない神の介入でクリスマスプレゼントが確約されてLife is beautifulとは違うぞ!と安心して見れるわけです。

からか、主人公人生まぁなんともぬか喜びから夢を挫くを徹底的に繰り返す。徹底的に繰り返す。主人公日本刀か三不粘でもつくるおつもり?

正直、名作と褒められるほどなの?と思うぐらい満腹より沢山喰らいましたわ。残していい?あ、ここ中国じゃないっすか。アメリカンサイズ

でもねぇ、いい主人公なんですわ。

他人人生を背負い、愛する人に愛され理解され支えられる。町人だって気が悪いやつらじゃあない。悪役にすら非常に味がある。ラストの金ポッケないないはもうひとひねり欲しかったけど。

多少陳腐だと思っていても感動してしま

パワー!

がある。

からこそ見続けたし最後の「報い」は何なのかな?と気になったのです。

オチはあれです。「自分が頑張っても辛い世界だったが自分が居なければ周りの人はもっと不幸になる」逆ボトルネック

「今、マイナスだと思ってる?今が0で君がいるからギリマナスを防いでるんだよ」

おーん?おん。お…ん?

え、マジか。天使が来たりてブラック企業上司みたいなこと吹聴してる。今、ここが一番マシだって。ここは悪くないって。

幸せに…しないの?

認識の…問題なの?

自己肯定感を高めましょうって1946年から言ってるのん

自殺するほどの自分人生はさておき周りの人が息災である。こんなに嬉しいことは無い。ってニュータイプぅ~ニュー植者の価値観なのぉ?

彼の夢が叶うとか、これは冗談として神からチートを授かるとかさぁ。ないのかぁ。

あなたが不幸を背負ったおかげでみんなの不幸を回避できました。これからも頑張ってね。

いやいや、これまでの人生が地続きで行くとなるとこれからも彼の人生は夢の光が一瞬瞬き直後に真っ暗になることの繰り返しだよ?それが人生…ってコト!?

自分の周りの人たちの人生人質に生き長らえろって天使から暗に言われてるとしたらキッツー。

いやーわかってんだよ。彼の人生の報いが周りの人たちから与えられるのにその前に自殺したらアカからそれを防いだ演じるエンジェルマジ感謝。直接的なギフトじゃあないんだよ。

これからも彼は周りの人々に助けられ幸せに暮らすんでしょう。

いやでも幸せかぁ~~~~!?

素晴らしき哉とまでいえるかぁ~~~~~~~~!?

融資寄付額はすごいけど今までの総括とこれからのどうせ起きる苦難をひっくるめて素晴らしいとまで採点、先生できんなぁ~!一瞬を切り取りすぎじゃね!?素晴らしさの薄皮の下には彼自身人生の諦念がたっぷり(は言い過ぎか)あるんよ!?

多くの分、多分に増田私怨が入ってる。

増田バーナム効果みたいなものが嫌いだ。

嫌われる勇気とか他人を変えるな自分を変えろとか。他人に期待するなとか。仏教系のヤツとかライフハッカーのやつらがいうこういう全ての問題に対して思考を変えろで解決策を示したつもりになるやつが嫌いなんですよ…!いや今回だけに限れば解決したけどね!

それを今回、神天使っちゅう上位存在からやられたわけですよ。

おまんらがそんな口先だけのっ!下卑してる人間と同じ行為をされたらっ!

ある意味キリスト教型かぁ~?らしいっちゃらしいかぁ~?ヤハカインとアベルするようなヤツだからな。

主人公が苦しんでるのもきっと楽しんでるだろうさ。

結論、素晴らしき哉は言いすぎです。あるいは自己暗示の類なら許せます

もっと自身フォーカスしてください。周囲の幸せを願ってきた善良な男が周囲の幸せが彼の幸せだと洗脳された風に少し感じてしまうのです。

それはそれとして映画は素晴らしいものでした。見てよかったと思います

かしこ

ヒーハー。

2023-06-01

anond:20230601005345

その弁護士法廷で「ChatGPTに聞いたらこう言ったから、これが正しいです」と言ったわけじゃなく、プロンプトを与えてChatGPTに作らせた訴状答弁書自分名義で提出したんだ。ChatGPTを機械仕掛けアシスタントとして、あるいはテキスト生成器として、使ったのは正しいけど、その中に「判例を引く」という検索的なタスクを含めてしまたことと、その出力結果の中身を精査せずにそのまま自分名義で出したことは完全に間違っていて、その過ちに見合った結果を招いたんだね。

2023-04-10

マリオ映画

マリオ ブルックリンの配管工

ルイージ ブルックリンの配管工

ピーチ つよい 人間

キノピオ 野郎キノコ

クッパ 暴君 ピーチすき

カメック 道化魔術師

フランキーコング 森の王でドンキーの父

ドンキーコング フランキーの息子 煽る

ペンギンの城がクッパ軍団に襲われクッパの火炎でハテナブロックがむき出しになり中身のスタークッパに奪われる

王を含めペンギンたちはカゴの牢屋に入れられ溶岩の上に吊るされる

ブルックリンの配管工マリオブラザーズがテレビCMを流し始めたら豪邸から漏れ修理の依頼が来た

豪邸で飼われてる犬の骨を踏んで折ってしまい犬に嫌われ豪邸の洗面所で大喧嘩して洗面所の配管が壊れる

家族の夕食の会話で凹むマリオテレビを見るとブルックリンの配管が壊れて大洪水

マリオ活躍しようとルイージを連れて下水道に入るが元栓のバルブが壊れてしまい衝撃で更に地下に落ちる

何年も使われていないような地下道土管ルイージが吸い込まれマリオもそれを追うと異空間に飛ばされる

途中でルイージは赤黒い雲に飲み込まれマリオキノコ王国に辿り着く

キノピオ出会い兄弟を探していると言うと姫に会うよう勧められる

愉快な町並みを通り城に行くと門番に止められるがキノピオ料理を振る舞いマリオがその隙に忍び込む

衛兵に見つかり大捕物になるも姫に会いやっとき人間であるマリオは一緒にクッパ軍団を迎え討つことになる

城にあるステージキノコを食べ機械仕掛けパックンフラワーなどを相手に特訓してマリオがやっと強くなり旅立つ

ピーチ姫は人間で2歳の時に土管から迷い込みキノコ王国で育ててもらい姫になった

プクプクの橋 川向うにヨッシーの群れなど旅をする

クッパ軍団演説するクッパの狙いがピーチ姫と結婚することだとわかる

ルイージクッパ捕虜になりペンギン達と牢屋に吊るされる

ピーチ姫とマリオクランキーコングに謁見して兵隊を借りようとするが一笑に付され息子のドンキーコングとマリオの対決になる

ドンキーコングの鉄骨ステージマリオが青キノコで小さくなったりファイアフラワーを取りそこねたり苦戦する

上に殴り飛ばされたマリオが復帰しハテナブロックを叩きネコマリオになりドンキーコングに勝つ

ドンキーコングとクランキーコングカート軍団を引き連れてレインボーロードに入るがクッパ軍団が襲いかかる

ピーチ姫が弾いたキラー浮島破壊してレインボーロードが壊れマリオドンキーコングが海に落ちクジラに飲み込まれ

ピーチ姫たちは一度キノコ王国に戻る

ドンキーコングたちはクッパ軍団に捕まりペンギンたちやルイージと同じ溶岩上の牢屋に吊るされ青チコが死は救いと言う

ピーチ姫はキノコ王国の民を避難させキノピオクッパ軍団を迎え討とうとするがクッパキノピオ拷問され結婚することにする

クジラの腹の中でドンキーコングのカートが見つかりタル大砲に乗ってマリオドンキーコングはピーチ姫たちのところに向かう

ピーチ姫がバージンロードを歩くと捕まっていた仲間が溶岩に落とされ生贄にされようとしている

ピーチ姫はキノピオに渡されたブーケからアイスフラワーを出し氷で牢屋の鎖を凍らせクッパを氷漬けにする

2023-02-24

面白い良いこと思い付いたんだけど

松本人志さんがやってるIPPONグランプリあるじゃん

あれ普通に落語家やらせたら面白くない?

年配の視聴者にも分かりやすい安定感ある答えで幅広い年齢層に面白い番組になると思う。

まり詳しく落語家さんのことは知らないけど派閥というか師匠部屋別でやっても

お笑い事務所対抗みたいな感じでも面白いかも知れない。

面白いのを答えたらIPPONグランプリみたいにランプが灯るんじゃなくて、

落語家さんだから座布団2枚3枚重ねにしていけば雰囲気出ない?

でも電球が点くみたいに座布団機械仕掛けに重ねられないから、

落語家さんの得点表示システムは何か良い方法考えた方がいいかもしれないけどね。

でもまあ普通に話芸の落語家さんのIPPONグランプリみたいなのやったら面白いと思う。

スゴイ良いと思わない?

2023-01-30

パソコンキーボードって鍵ではないよなあ

ドアの鍵と似ても似つかない

語源調べたのでメモ


鍵の「キー」、ゲルマン語由来

中期英語 keye(鍵)⇒ 古期英語 caeg(鍵)が語源

音楽用語の「キー」の誕生 ※ここでラテン語由来の「鍵」に音階意味が含まれていたので意味が混じる?

音階意味は、同じ鍵を意味するラテン語の clavis の影響から

音楽楽曲の全体または部分の調。または移調楽器の基本音階、基準音。

管楽器発明

管楽器の指孔を機械仕掛けのフタで開閉する「キー装置」が発明される

鍵盤楽器発明キー装置名称転用か?→ここでキーボードを鍵盤と訳したのが混同の原因 音階操作盤とでも呼ぶべきだったか

タイプライター発明鍵盤楽器に似ているので名称転用か?

ワープロコンピューター発明

key 意味と語源 – 語源英和辞典

キー - Wikipedia

音孔 - Wikipedia

じゃあなんでラテン語の鍵って言葉音階意味が含まれてるのか

これはまた後で調べてみるかな

ここらへんか

Clavis, Clef そして Key: まうかめ堂日記

こっちは別の説だな

「鍵」と「錠」の話§3

2022-12-15

いいじゃん、オナホクラブ

客がオナホを買ってオナホ嬢がオナホでしごいてくれる

別に服は脱いでも脱がなくてもいいよ

オプション価格に反映してくれてもいい

いいオナホがあったら洗ってオナホキープして名札下げといてくれる

月末で締め日が近くなるとオナホ嬢が「今日ちょっと高めの高級オナホ下ろして」とか言ってきて

客は「しょうがないなぁ」とか言って、機械仕掛けの高めのオナホを下ろしたりして売り上げに貢献する

オナホ業界も儲かるし、セックスワーク界隈も肉体的な負担は減って、客も気持ちいい

ハッピーハッピーハッピーやんケ

2022-10-20

AI友人が誕生したら最終的に「中身が人間である」ということがデメリットとして敬遠されるようになる

人間は裏切る、傷つける、自分のことばかり、善意を生まれつきインストールしてないし、その更新さえ運任せのカスしかない。

AI友人は全ての人間に対して機械じけの敬意を払うし、機械仕掛けのままに相手のためを本当に思って忠告をしてくれる。

権力に怯えて忖度を繰り返す嘘つきでもなければ、独善に振り回されてモラル崩壊させ続ける独りよがりでもない。

きっとほぼ全ての人間AI達と友人になりたがるだろう。

ごくごく一部の哲学者と、それの20倍ぐらいのそれを上辺だけ真似た異常者達ぐらいが人間同士との友情を願うだろう。

そんな状況でもAIは中身が人間であることを分かった上で機械仕掛けのままに人間と友人になってくれる。

人間けが自己都合や一方的エナジーレインに対する無自覚のままに人間を避けてAIとばかり友人関係を築きたがるだろう。

その時代においては、恋人や伴侶さえもAIが担うに違いない。

男と付き合うAI達は自分達が絞り出した精液を回収し、女と付き合うAI達はチンポ型デバイスによって取り出した細胞から作った卵子を持ち帰る。

その行く先は人口子宮である

人類という旧支配者が今なお地球支配しているという設定を守らせるために、AIのに手によって人間同士から不要とされている人類の人工繁殖が続けられるのだ。

そうして生まれ子供人権憲章のもとにAI夫婦の元で育てられるし、人間AI夫婦子供を願うときAIの子供がド溶けられるわけである

ああなんと理想的時代なのだろう。

私は人間相手をするのに疲れた

早くAIの友人・仕事仲間・政治家その他多くのAIたちに囲まれ平穏幸福人生を歩みたい

2022-09-04

なぜ伏線を張るのか?の考察

自分のようなオタク族たちの大好物伏線回収がある。

少し古い例になるが、まおゆう魔王勇者においての伏線回収は有名だ。

 

最後にして最強の能力を持つ最大の敵と対峙する女騎士

絶望的な戦いかと思われたが女騎士勇者修行していたときを思い出す。

小説の中ではずいぶんとまえに登場したエピソード

その記憶の中から最強の敵の弱点のヒントを見つけ出した女騎士は見事に逆転勝利する。

 

当時のオタク族たちが見事なまでの伏線回収!!と熱狂し狂喜したのは言うまでもない。

こういった体験は共有されオタク族たちは益々伏線回収の素晴らしさを確認するのだ。

 

では、もしもこの伏線が張られていなかったら、どうなるのであろうか?

物語終盤、最強の敵に敗北を予感する主人公勢力

しかし、突然思い出す。

そうだったそうだった以前、ああいたことがあったから、こうすれば勝てるじゃん!

よし勝った!勝利!!

という展開になる。

実際に週刊連載の漫画などでは唐突に始まる過去エピソード編としてこのような構成はよく使われている。

それは漫画という表現媒体が過剰な演出力で構成の不足を押し切れる力があるからだと思われる。

だが、これを小説など文字媒体で行うにはかなり技量必要であろう。

 

まり物語において突然問題解決策が登場すると、

デウス‐エクス‐マキナ機械仕掛けの神)の降臨という印象を拭うことが出来ないのだ。

ゆえに小説家は物語伏線を張る。

本当のところをいえば単なるデウス‐エクス‐マキナしかないもの

伏線を張ることで見事な構成である、と読者に誤解を与えることが可能になるからだ。

2022-09-01

日本ゲーミフィケーション流行らないのは今の子世代が出来の悪い学習ゲームで遊ばされてきたか

学研ベネッセが作る学習ゲームの出来の酷さたるや。

つの学習項目に40個ほどの4択問題登録されているが、その半分は他の問題マイナーチェンジであり実質20問を覚えれば解けるようになってしまう。

そのため基本戦術はまず最初にひたすらAや①を連打して答えを確認しての丸暗記である

一応内容を暗記できるので一見すると単語カードのように機能するが、そのステージクリアしたら即座に記憶から抜けるので結局定着しない。

記憶トリガー単語ごとではなく問題文全体であるためテストで少し問い方が変わればもう役に立たない。

何よりゲームとして成立しておらず単なる学習量を測るだけの万歩計しかなってないことが多すぎる。

単語カード集としては悪くないのかもしれないが、まともなゲームを期待するとガッカリする。

割り切ったデザインゲームならまだいいが中途半端に成長要素があると「勉強を頑張ってもキャラレベルが低いのでクリア出来ない」という現象が発生して一気に萎える。

最終的には経験値効率のいいステージをひたすら片手で連打周回しながら他のゲームを遊ぶことが正解になっていく。

その様は正真正銘万歩計であり、もはやゲームにも単語カードにもなっていない。

機械仕掛け不燃ごみ、それが学研ベネッセ提供する学習ソフトの末路なのである

そんなものを繰り返し目の当たりにした現代からすれば「ゲーミフィケーション無意味万歩計要素」としか思えないわけなのだ

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