はてなキーワード: 工程とは
でもね、1要素以外全部一緒でも新商品立ち上げの参考にならない事は多々あんのよ
これが研究だったら、なぜそうなったかを調べるのは納得だし、誠実でありがたいのよ
立ち上げの時は規格上限の材料が入荷しただけで不良出るし、生産が安定してできるようになってきたら設備が故障しだすの
この不良や故障に対して、研究みたいに100%完璧な製品!を目指して金と時間を投じて対策するとか無理なの
んで、「無理」なのって正論じゃない人間が働いて得られる感覚の要素だから、本当に無理かは案件ごとに考えるとして、無理なことが実在することがわからない人が決定権持ったら、ちょっとずつ現場は死ぬのよ
研究でしかキャリア築いてない人が100%不良が改善できるか自信を持って言えないなら、その対策はしてはいけない!!とか宣言してもいいけど、1、2回目に案通すために嘘ついて「はい!!」って言って通したけど、3回目以降からその前まで失敗してたから保証出来なければダメとか言い始めたら、そらこっちのやる気も無くなりますわ
仕事せずに帰るのか!って言われましてもやってもやらなくても変わらないから、そらやらんよ
はよ、今年度終わってくれ〜
SNSサイトはてなブックマークにおいて「高市 財政」で検索した結果、以下3つの人気記事があります
ビル・ミッチェル「日本の誤った財政ルールは必ず裏目に出る」(2025年10月30日)
https://econ101.jp/japan-errant-fiscal-rule-is-sure-to-backfire/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/econ101.jp/japan-errant-fiscal-rule-is-sure-to-backfire/
急激に改善する財政状況|永濱利廣(第一生命経済研究所首席エコノミスト)
https://comemo.nikkei.com/n/n4e0be4db3d5a
https://comemo.nikkei.com/n/n4e0be4db3d5a
ノア・スミス「高市早苗のための経済アイディア」(2025年10月29日)|経済学101
https://note.com/econ101_/n/n5d61a5607480
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/econ101_/n/n5d61a5607480
それぞれの本文とはてなブックマークの反応を見て、「高市政権と財政」についてネットでどのような議論があるかをまとめましょう
了解。ご指定の3本(ミッチェル、永濱、ノア)の本文と、はてなブックマーク上の“受け止め”を突き合わせて、「高市政権と財政」をめぐるネット議論の地図を作りました。
MMTの立場から、(高市政権が示す)名目指標ベースの財政ルールは“実物制約”を無視してプロサイクリックになると批判。
財政余地は公債残高比率では測れず、失業・遊休資源など実体に合わせよ、という主張。
JGB入札の応札倍率や日銀保有の大きさを挙げ、国債の信認不安論を退けています。
総評:プロサイクリック批判は筋が良い。名目成長に連動した“上限”設計は、減速期の裁量財政を縛りやすい。
Caveats:
① ただし実務は“方針”であって硬直的ルールにしない運用余地が残る(国会・補正運用)。記事はその裁量をやや軽視。
② 「実物制約ベース」は理想だが、潜在・需給ギャップ推計の不確実性(リアルタイム改定)を伴うため、名目・市場指標との二重トラックで監視する現実主義が必要。
③ 金利感応度上昇局面では、「どの程度の赤字が期待インフレや通貨へ波及するか」を並行管理すべき(記事は通貨・金利連鎖の運用論が薄め)。
賛成側は「PB原理主義より成長優先への転換は前進」「名目ルールはプロサイクリックになり得る」と評価。
懸念側は「インフレ進行下で積極財政を煽るな」「高齢化下で社会保障をどうするかが欠落」と分かれ、MMT的主張への批判も目立ちます(“インフレスパイラル無視?”など)。
r<g(名目成長>利回り)局面で債務比率は下がる=名目成長・インフレの立ち上がりが税収増を通じて財政を改善、という“債務動学”の再確認。
総評:現状認識としては妥当。名目の立ち上がりが税収を押し上げ、短期の指標改善に寄与しているのは事実。「PB一本足打法からの転地」を促す点にも価値。
Caveats:
① 持続性の問題:r<gは状態依存。世界金利・成長の変化でr>gに戻れば逆回転。
② 分配の問題:インフレ期の名目改善は実質負担の再配分を伴う。ターゲット給付や時限減税で逆進性を緩和しないと政治的持続性に欠ける。
③ 「急激」表現のリスク:恒久歳出や恒久減税の根拠に用いると、景気反転時に構造赤字を再拡大。トリガー条項・自動安定化装置とセットで読むべき。
「インフレで財政改善は“金融抑圧=インフレ税”で家計から政府への逆進的移転」「改善は循環要因で恒常化は危うい」という分配・持続性への警戒が強い。
一方で「PB原理主義を緩める論点提示は有益」「上げ潮派の論点が実証で裏付いた」と評価する声も。
“名目で見える改善”をどう制度設計に落とすか(時限措置・自動安定化装置)に議論が集約。
①グリーンフィールド型の対日直接投資(工場・R&D誘致)、
②企業文化改革(中途採用拡大・女性管理職・フレックスタイム等)、
③エネルギー転換・防衛R&D・ソフトウェア産業育成…等を提案。
円安や地政学はチャンスとして活かせ、という“実装型アジェンダ”。
総評:“積極財政で一気に”ではなく“ボトルネックごとの実装”に踏み込む点が良い。FDI誘致・電力コスト・人材という「詰まり」を直視しており、高市政権の危機管理投資路線とも親和的。
Caveats:
① 実装難易度:用地・系統・規制・自治体合意・人材移動の摩擦をKPI/時限規制で崩す工程設計が不可欠。
② 財政との整合:供給投資の多くは初期コストが大きい。債券需給・利払い増と矛盾しない中期財政フレーム(優先順位・撤退基準)が必要。
③ 時間軸:短期の物価・円相場に即効性が弱い。ターゲット支援(点)と供給投資(線)の二階建て設計とコミュニケーションが要る。
支持は「現実味ある処方箋」「内需依存から輸出・高付加価値へ」「人材・移民・ITのボトルネック解消に賛成」。
懐疑は「既視感/具体性不足」「実行コストと政治的抵抗がネック」「ソフトウェア弱点は一朝一夕で直らない」。
全体として“積極財政で押す”より“制度・人・投資の実装”への期待が相対的に高い。
反PB・反名目ルール(ミッチェル):景気に合わせた実物制約ベースを。
r<g派(永濱):目先の名目改善を恒常化と誤認するながカウンターで多い。
→結論:“規律の付け替え”は支持も、プロサイクリック/インフレ税への設計配慮が必須。
名目改善は歓迎だが、「インフレ税」「逆進性」の批判が濃い(永濱記事のコメント群)。
→ ターゲット給付・時限措置・価格補助の出口をセットで、がネット民の多数意見。
ノア案のFDI誘致/企業文化改革/エネルギー転換は“方向性OK・実装が肝”。
→ 人材・規制・用地・電力のボトルネック潰し、KPIと実行体制への関心大。
積極財政×利上げ慎重=円安・金利上昇リスクを意識する声も(永濱スレの一部)。
一方で「国債需要は厚い/応札倍率は高い」との安心論(ミッチェル文中のデータ)。
→ 金利感応度と債券需給を透明化せよ、が実務サイドの共通要望。
PB一本足への懐疑は広がった。
ただしインフレ税・逆進性や恒久化の誘惑には強い警戒。
突如以前動画のニュースで登場した『カービィのエアライダー』なにこれ?面白いの?
動画を見ていてどうやら随分前のハードで人気を博していたゲームソフトらしいの。
作ってる人はスマブラの人で、
あれあるじゃないストーリーモードあれすらも途中で投げ出しつつの
あと画面で自分を見失いがちで気付いたらふっとばされていたって。
そっとスマブラのページを閉じたの。
見ているとレースだけじゃなくて
あ!なんかこれなれないと面倒なやつかも!って思いつつも
以前として興味津津のハートは持ち続けることをキープしてやまなかったの。
そんで、
そんでよ!
やったー!
スペシャル技発動の画面のごった返し感。
なに?
この懐かしい感じ。
懐かしい香りがしたスミレの花時計大黒摩季さんのらららを彷彿をさせるこの感情って何?って思い出したら
あ!これ大乱闘スマッシュブラザーズスペシャルみだわ!って思い出したの。
このごちゃごちゃ感!
でも今回はレースなので、
自分は恐らく画面中心のビューなので
自分自身を見失うことはなさそう。
でもあのごちゃごちゃ感は、
この楽しさに浸かってこのまま何も考えずに「エアライダー」で遊ぶ決意をして良いのかしら?
走る!ってレースを味わうには簡単操作でドリフトもスムーズに出来てめちゃ楽しそうよ!
いやでも、
その前にDKバナンザも全然固まって動かないトロッコを動かせるようになる謎が解けてない感じの否めない中、
どうしたものかなーって考えるのよ。
まあちょっと寝かしておくわ。
私にはやることがいっぱいあるの。
そんでね、
初見であまりにも悲惨すぎたNIKKEの3周年イベントストーリーみんなちゃんと最後どうなったのか悲しすぎて見れなかったので、
相変わらず悲惨で壮絶で、
ぐぬぬぬ、
NIKKEこうなのねって
正面から向き合う気持ちを明日のイベントストーリーの第二章のハードが解禁されるので、
それに備えるの。
泣いてばかりいられないので、
整備が終わったニケとまた戦わなければならないわ。
つーか、
だって新しい地上奪還コンテンツもなんか何をしたら良いのか全く分からないの。
地上の設備がレヴェルアップさせられるかどうか
なんかまだ要領を得られていないわ。
これがうぇいーい!めちゃ楽しい!ってなるのかしら?って思うけど、
ここもまあベータ版とは言え、
本番が始まったらニケたちの戦闘力も地上コンテンツでゲットした物資でアップできるつー噂だから、
このベータ版でしっかり慣れておかないといけないわ!ってそういう所存ね。
レッドフード招き入れたいけれどなかなか当たらないわ。
キャンペーン期間終わってから回し続けてもとりあえず当たるは当たるみたいなので、
でも今この排出率1パーセントと通常よりちょっと率が上がっているときに処理しておきたいゲットしておきたいんだけどなぁって。
でもさ、
私分かっちゃったような気がする。
課金してSSR欲しいニケ当てても全然使ってない!戦闘で役に立ってない!ってのに。
私がイマイチ完全に強化し切れていないっていうこともあるけれど、
そんなに強化マックスじゃなくても強くて戦えるニケってやっぱりレアなのね。
だから
あとね、
そのマシンガンの初期装弾数が300、
最初これでも300発撃てるなんてすげー!って思っていたけど、
強化して1000発はデフォルトで撃てるようにならないとリロードで時間かかるので
やっぱり1000発前後撃てるように強化しないと話にならないの。
この1000発への道のりはまた長くて、
装備している4種類の武装をレヴェルを5に資材を投じて上げていきーの、
強化スキルもガチャ!強化されたスキルのどのぐらい強くなるかの数値もガチャ!
これがまたなかなか装弾数アップのものになるまで強化し続けると
あっと言う間に強化資材がなくなっちゃうのよ!
辛いでしょ?
そんでまたニケ達はイカ漁に行くのよ!
ボーナスステージのようなところで一応は強いクラーケンの烏賊なんだけど、
ここでクラーケン倒せなくともたくさんダメージを与えたらそれに応じて報酬がもらえるので、
なんかNIKKEやってる人たちの間ではイカ漁っていってるみたい。
私も知らない間にこのイカ漁をやっていた感じね。
あれ?これもしかしてクラーケンで装備強化改造物資貯まるんじゃね?って。
毎朝毎朝早くから起きて
スプラトゥーン3は何時だっけ?9時だっけ?
それだけNIKKEの朝は早いの。
総理大臣の朝3時出勤には敵わないけれど
あれはさすがに早すぎ張り切りすぎない?
そんで、
その朝3時出勤した後の新聞記事に歴代総理の初出社時間がランキング発表されていて、
こんなの新聞記者はよく覚えているなぁって感心するのと同時に、
今の首相の圧倒的朝3時ってのは1位に輝いているのよ。
初出社の時間だけ頑張ったらこうやって歴史に刻むことができるんだからすごいわね!って思うと同時に
私のNIKKEの始まりの朝5時のイカ漁に向けてクラーケンを倒しに行く姿の張り切りようったらないわよね。
まあ別にイカ漁朝限定ってのじゃないから夜倒しても昼倒してもイカ!ってのには変わりないので、
正直何時でもいいんだけどね!
あと
いまだとキャンペーン中イベントストーリーで登場しているニケ達のを含めると
うーん、
これもなかなか当たらないわ。
1発で当てるんかーい!ってでも何日か1度にSSR引き当てるときがあるから、
こんなところで運使ってられないわ!って。
でもあまりの眠たさにそのあともう15分ぐらい寝ちゃうんだけどね。
悪いけどもう朝の30分の毎朝でデイリーミッションはこなしている優等生よ!
ランダム要素がある程度あるので、
まずまずね。
うふふ。
豆乳にポタージュスープ混ぜーのトマトジュースミックスといろいろ混ぜて一気に飲むパワードリンクよ。
私が勝手にパワーって言ってるだけなので何の根拠もないけれど、
今日も美味しくできて時間のあるときはこうやってこしらえて飲んでいる感じね。
昆布入れてもいいけれど、
電気ポットのタイマー運用で起きてすぐの70℃の飲み頃温度に仕上がってダッシュ一番白湯が飲めるのは便利過ぎるわ。
これで身体を温めてーってところ。
なんか
気を付けないとね。
この急変が急変なのよ急に変にならない?体調。
だから寒さには気を付けないとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a' is undefined, line 24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a' is undefined, line 24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「a is undefined」なんて「He is Superman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ
テクノロジーが社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学の小川光教授が学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度や組織が適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学の素養をほとんど持たない修士課程の学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベルの学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識の価値、研究者の役割、そして「知性」そのものの定義を根底から揺るがす、まさにパラダイムシフトを象徴する出来事である。
この小川教授の寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーがブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念を分析する。そして、この出来事が象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これからの時代を定義する「AIネイティブ」なのである。
本セクションでは、話題の学生が象徴する「AIネイティブ」という新しい世代を分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考や研究の方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスそのものの革命を意味している。
この学生が実践した研究プロセスは、AIが方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程をAIとの対話を通じて進めている。
このアプローチの革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書の逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーがキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報を効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語でAIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワードや手法を引き出す「辞書の逆引き」を実践する。これは、人間と知識の相互作用における、根本的なパラダイムシフトである。
はてなブックマークのコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AIの活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAIに作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的な見解も示された。
この爆発的な進歩の可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存の専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。
AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念も存在する。特に、既存の専門家が感じる脅威と、AIの活用能力によって生じる新たな社会的格差のリスクは、真正面から向き合うべき構造的な課題である。
この問題の核心は、小川教授が吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブの若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性の価値そのものが、根底から覆されることへの動揺なのである。
はてなブックマークのコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIでレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人のアウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。
しかし、このレバレッジ効果は単なる個人の生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AIが能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値な仕事を独占し、社会の流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。
このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である。
AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価と責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文を作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。
彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学の素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性を自力で検証する術を持たなかったのである。
この学生の懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークのコメント欄でも多くの共感を呼んだ。
評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価・保証できない。」
専門知識の必要性: 「自分が知見の無い分野でのAIの判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識が必要なところ」
懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読は大事なわけです。」
そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人の肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値を判断する専門的な知見がなければ無意味なのである。
さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後の仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAIが設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。
この議論は、AI時代における専門家の役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。
東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家の時代の終わりを告げるのではなく、その役割と価値を根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合そのものではなくなった。
これからの時代に求められる専門家の資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。
未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである。
自身の特定の成果について「努力した」という言葉はあまり使われず、因果がより明確な自らの工程に関する語彙になりやすい。
ホワイトカラーの人は「勉強」が多い。運動等をする人は「練習」「トレーニング」「稽古」「レッスン」、技能職は「修行」あたりだろうか。
時間をかけた成果物に対しては複雑な工程を圧縮して単に「頑張った」のように言われることが多いと思う。
ではなぜ美容整形界隈の女性は「努力した」と言いたがるのか?おそらく理由は大きく分けて2つある。
1つは整形の自力性のなさをぼかすためだ。能動的な活動ではなく金銭を支払いサービスを受けただけなので、普通の人々のように自身が行った工程を表す語彙が存在しない。
また、費用を稼ぐ方法自体はおおよそ自力だが、多くの整形依存の女性には収入源に関しても同様に誤魔化さなければならない強い動機がある。
もう1つは「努力」という言葉が徳と結びついており、自らの道徳性を主張するのに都合がいいからだ。
努力と道徳の結びつきは明白で、文科省の学習指導要領解説の道徳編の指導内容において"希望と勇気,努力と強い意志"と書かれている。
稼得の手段が後ろめたい人間が多いからこそ徳をアピールする機会を逃さないという側面もあるだろう。
女性は一般に自らが道徳的であるという立場を手放したがらない傾向にあることは広く知られるようになったが、ここでもその性質が反映されていると言える。
特徴
各話で主要人物が登場する(またはそれに準じる)際に、ページ4段ブチ抜き画法で人物を描く。これはデビュー当時からの特徴であり、ヤスが作画を担当している『じょしらく』でも同様の描写が踏襲されている。弟子の畑健二郎も初期に使っていたものの徐々に使用頻度は減っていった。
『改蔵』から『絶望先生』まで続く画風に関しては、キャラクターや衣装、構図などのデザインにおいて、漫画業界内、さらには『改蔵』公式ファンブック『かってに研究しやがれBOOK』(以下『ファンブック』)で雑誌「ファッションニュース」編集長の向千鶴からも高評価を得ている。編集部内で話題になった現実世界のファッションを何週か後に『改蔵』内で名取羽美が着ていたこともあったという。
「どよんど」「にょんたか」など、独特の擬音を作中で織り込むことでも知られ、特にメールを打つ際の擬音「めるめる」は『かってに改蔵』内で「著作権フリーなのでどんどん使ってください」と宣言して以来、漫画家の間でも広まっている。
特に『絶望先生』ではやや政治的なネタも見られるが、それは思想の押し付けではなく、久米田は「(喜劇としての)漫画が説教臭くなったらおしまいだ」と『改蔵』作中で登場人物に述べさせ、インタビューでも「その時々の報道内容をネタにしているため、思想が一定しない」旨の発言もしている。
執筆方法
『行け!!南国アイスホッケー部』後期にスクリーントーン処理に関してMacを導入して以降、次第にパソコンに頼る部分が多くなり、『かってに改蔵』以降は全工程においてパソコンを使い執筆している。なおパソコン本格導入の背景には『ポカポカ』から『改蔵』に至る間にそれまでのアシスタントが独立することになったこともあると『改蔵』コミックス等で述べている。
とある地域イベントで、大学と提携して学生がアプリを作ることになったのね。
そこで大学側から要請があって、地方でしがないプログラマーをやってる俺こと増田が学生が作るアプリの面倒を見ることになったのね。
~~どうでもいいけど追記~~
その大学のゼミから手伝いの要請があって、外部の増田が手伝ってる。
知らない人は知らないかもだけど、別に珍しくもないよくある話。
別に信じてもらわなくてもいい部分だけど。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さすが学生たちは若くて吸収する力があって、プログラミング初学者ながらもAIを駆使してアプリを完成に導いたわけ。
「これだけAIが発達してきたらプログラマーも厳しいんじゃないですか?(お前ができてることを学生たちがこんなに簡単にできるようになってしまっては)」的なニュアンスのことを。
そりゃそうだよね。
こちとら30年も地方でプログラマーやってて初老にもさしかかる頃にできてることを、かたや学生たちは20代前半でAI使って1ヶ月でアプリ開発できちゃうんだもん。
そこで俺は言ってやったわけよ。
「そうですね。(サッカーだって小学生や幼稚園児だってできます。
"うちの学生たちだってサッカーボールを蹴ったらゴールに入れられますよ、どうです?すごいでしょう?"
そうですか?私はそうは思いません。
サッカーができたからといって、ゴールにボールを入れられたからといって、プロサッカー選手にはなれませんし、誰もその試合を見たいと思ってお金を払ってくれません。
プログラマーも同じです。アプリが稼働したから仕事があるわけではありません。
とね。
実際、イベント中にWEBアプリとして稼働するために多くのことを増田がサポートしたし、それはプログラミング初学者が1ヶ月の中で想定して稼働にまで導くには無理な部分だったし、絶対に30年の経験がないと先回りできないところだったりするわけで。
お年寄りから子供まで参加する地域イベントで、ペアレンタルコントロール化のスマホでもアクセスできるようにlet's encryptでHTTPSにしておいたり、データーの持ち方的にイベント中にgitの更新がかかるとデーターが飛ぶ恐れがあるんで先回りしてガードしてたり、スムーズなイベントの進行を妨げないようなバックドアを仕込んでおいたり、あえて決め打ちのハードコードを仕込むことで印刷工程に間に合わせたり。
ある日、一人の母親がキッチンに立ちました。彼女の名前は辻希美。アイドルとして輝き、家庭を持ち、賑やかな四人の子供たちの母となった彼女が、新たな情熱を見出したのが「パン作り」でした。
「子供たちに安心で焼きたてのおいしいパンを食べさせたい」という純粋な願いから、辻さんのパン作りは幕を開けます。最初の頃は、生地が膨らまない、焦げ付く、思うような形にならない…失敗は数知れず。
そんな「なぜ?」を抱えながらも、彼女は持ち前の明るさと粘り強さで、独学での挑戦を続けました。YouTubeやブログでその奮闘を公開し始めると、多くの主婦やファンが彼女の等身大の姿に共感し、応援のメッセージを送りました。
試行錯誤を繰り返すうち、彼女の腕はメキメキと上達します。シンプルな食パンから、メロンパン、クロワッサン、そしてキャラクターパンへと、レパートリーは無限に広がっていきました。
単なる「お母さんの手作り」を超え、その見た目の可愛らしさと、焼き上がりのプロ顔負れのクオリティが、SNSで大きな話題を呼びます。特に、子供たちの笑顔のためにと工夫されたデコレーションパンは、見る人に驚きと喜びを与えました。
それは、彼女が「感覚」だけでなく、「理論」も学び始めた証でした。温度や湿度、発酵のタイミング…パン作りの奥深さに魅了され、ひとつひとつの工程に真摯に向き合うことで、失敗は確かな経験値へと変わっていったのです。
そして、10年の月日が流れる頃、辻希美は誰もが認める「パン作り名人」となっていました。
彼女のパン作りは、単なる趣味ではなく、家族への深い愛情を形にした「辻家の日常」そのものとなりました。その技術と情熱は、長女をはじめとする子供たちにも受け継がれ、今度は親子でキッチンに立つ光景が見られるようになりました。
彼女の物語は、完璧なスタートではなく、失敗から立ち上がり続けた「努力の軌跡」です。
辻希美さんが焼いたパンは、今日も家族の食卓を優しく照らし、食べる人の心まで温かく満たし続けているのです。彼女の10年の挑戦は、まさに愛と希望に満ちた焼きたての物語です。
去年別居婚をした。
長い長い友人時代を経て交際し、数ヶ月単位のスピード婚をした。
旦那の人となりはよく知っていたし、旦那は実家暮らしだが、学生時代に部活で寮生活をしていて、炊事も家事もさせられていたので、そこら辺の能力を疑ったことはなかった。
交際中もお互いの家に行き来しあっていて半同棲のようになっていた。
確かに料理の時不器用すぎて時間がかかったり、皿洗いが雑だったり、気になるところはあったが、私がカバーするなり教育するなりすれば良いと思っていた。
別居婚は事情があってしたが、2025年の末には同居しようという約束をしていた。
冷めそうになっている。
旦那は付き合う前こそ男前で頼りがいがあったが、一緒にいる時間が長くなれば長いほど、実際は正反対であることが明らかになっていた。
それも私が勝手に頼りになると勘違いしていたことだし、旦那より私の方が素早く動けるなら私がカバーすればいい、私が動けばいいとずっと思っていた。
持ちつ持たれつ、苦手な分野はカバーし合う関係でいたいと思い、義実家にも挨拶の際にそう伝えていた。
だが、私が精神的な不調から動けなくなってしまうと、カバーもできなくなってくる。
バランスが崩れていく。
米の研ぎ方が何故か慣れていないようで、教えないとできない。
洗い物に明らかに泡が残っているが、指摘すると不機嫌になる。
精神的に苦しい時期に義実家からの心無い言葉をオブラートに包むことなく伝えてきたり、配慮のない行動に少しずつ不満が溜まっていた。
(義母に「結婚して損な嫁だ」「結婚しなきゃよかったのに」と言われていたらしい。)
それでも我慢すればなんとかなる、まだ全然我慢できる、と思っていた。
料理も洗い物も私が無理してやれば済むんだと、できないことは教えてあげればいいんだと。
プッツンと切れてしまったのは、薬の副作用で体調の悪化がひどく、旦那に賃貸契約の申し込みを任せたことだった。
物件探し、条件決め、内見の依頼を全て私主導でやっていたが、契約人は旦那にするので、申し込みくらいは任せていいと思ってしまった。
無事申し込みが終わったとだけ伝えられたが、この後の流れを伝えてもらえなかったので不動産屋に確認すると週末に契約日をセッティングされていた。
何故教えてくれないんだ…?と思いつつも、空いていたので契約には同行することにした。
入居日を旦那が勝手に決めていて、本来想定していた入居日とはかけ離れていたことが発覚する。
(引越し予定日より後に入居日が設定されていた)
想定外の入居日に困惑してしまい、不動産屋に無理を言って入居日を変更できないかとごねることになってしまう。
オーナーに確認していただくこととなり、その後、なんとか入居日を本来の想定していた日にすることができたが、モヤモヤは収まらなかった。
一人でなにかを任せたら取り返しのつかないことになるということに恐怖を感じた。
思えばこの件で、もうだいぶ疲弊していたのかもしれない。
入居日も決まった事だし引越し準備、という所に入ると、また不満が増える。
家具家電全てを新調するので漏れひとつなく用意するためにリストアップし、新居の内見を再度し採寸し、目星をつけていく。
「俺なんでもいいよ、なんでもいいから」
そういう割に、実際に家電屋に行くと「高い」「冷蔵庫はたくさん入るものがいい」と口出しが止まらない。
旦那が良いと言うものが家に入るのか確かめるのは私だし、旦那はリストアップした中から好きなものを選び口出しするカタログ状態。
疲れてしまう。
なんでもいいと言うからカーテンの色を明るい色にすると伝えると、「俺は暗いのがいい」の一点張り。
必要な家具をニトリオンラインのカートに入れてまとめ、いくらかかると伝えると「高い」「収納なんていらない、ダンボールでいい」とまで言い出す。
なんでもいいんじゃなかったのか?
義父が「私のために」とくれたカタログギフト、旦那とおいしい食事でもと思って高級料理を選ぼうとすると、「引っ越し代節約したいから引き出しにしようよ」
アイリスオーヤマで同じような量収納できる引き出しを3000円位で買えるのに、高級料理を逃してわざわざコレを選ぶのか?
私も浪費家ではないので最安値を選ぶが、家具家電はしっかりとした物を買って長く使いたい。
旦那は「洗濯機はAmazonのでいい」と言い出す始末。Amazonは設置作業してくれないぞ。誰が設置するんだ。胡散臭い中華製品溢れるAmazonで買えと?
もう疲れてしまった。
一緒に住んで何十年と生活していくことを考えると本当に憂鬱でしかない。
同棲してから結婚した方がいいという意見と、同棲せずに結婚すべきだという正反対の意見がネットには溢れているが、絶対に同棲してから結婚した方がいい。
家事炊事ができるか共生できるかチェックする期間としても大切だが、なにより不動産屋探しや契約など人生における重要な工程を一緒に踏むことに意味があると思う。
今日も体調が悪く料理を任せてみたら、水の音が止まらない。気になって見に行くと、麺がザルに入り切らないからどうすればいいのかわからず水に浸しっぱなしにしていたというのだ。
慌てて麺を半分ずつザルにあげ、皿に盛る。
もう一人で休みたいよ。
一緒に生きていくにはあまりにも頼りなさすぎる。
例え頼りなくても、プラスにできなくてもマイナスにすることがなければいいと思うんだ。
持ちつ持たれつ、カバーし合うつもりが、気がついたら何もカバーされていないことに気がついた。
世の夫婦はどうやってこういうのを乗り越えていくのだろうか。
同居まであと数週間、今更辞めたいなんて言えない。
時々、意味不明にセリフが入ってるのがAIを隠しきれてないように見える。
例えば、
「かぎかっこ入れるな!」と命令してもAIってかぎかっこ入れちゃうのがAIなんだよ
あとは
でも全てがAIではないと思う
これだけでは自慢話に聞こえるだろうから、俺の話をしようと思う。
俺は連れ子を伴った父と、初婚の母の間に生まれた。
連れ子と俺の目の前で母を殴りつけて、父は浮気相手の元に向かったのだ。
母はその件で心が壊れてしまったのだと思う。父から受け取った俺の養育費と離婚の慰謝料を、ギャンブルに注ぎ込んだ。
母は頭が良くない。当時のギャンブル、主にパチンコパチスロであるが、本気で攻略したら十分に稼げる状態であった。
俺が大人になってから調べたので後知恵ではあるが、ゾーン中の台を拾う、子役をカウントして設定を読む、クギを見て大当り中の止め打ちを行うなど、やり方はいくらでもあったらしい。
しかし、それらを一切せずに、ただ台の前に座るだけのシングルマザーに、パチンコ屋は容赦が無かった。
結果として、我が家はシングルマザーの貧困家庭へと転落、生活保護を受給する事になる。
生活保護で最低限の生活が出来るとの触れ込みではあるが、保護費からパチンコパチスロを行う事は想定されておらず、
学生服の下に着る服は穴が空き、靴下は破れている。風呂は2~3日に1回しか入らない。
小学生で水道が止まるのは一番最後という無駄な知識を得てしまった。
最も惨めだったのは、ガス屋に滞納した支払いをした時だ。
児童扶養手当が入った日に、まだ小学生低学年であった俺に「親が病気で払えなかったですごめんなさい」と謝って払いに行けと母に言われたのだ。
俺には抗する術は無かった。
必死に言われた言葉を繰り返す小学生。ガス屋のおやじは半笑いで「そうか」と言った。
誰も勉強を見てくれない。
塾や習い事もできない。
卒業まで登校せず、無理やり受験させれらた定時制高校も受からず、家に引きこもる事になった。
今思えば、これが反抗期だったのかもしれない。
俺はゲームをしたり、親のパチンコを代わりに打ったり、図書館に入り浸ったりした。
精神科に通いながら生活保護を受け、その金をパチンコに注ぎ込み、怪しい闇金に借金まで作った母が、働かないなら◯すと包丁を持って暴れ出したのだ。
とはいえ社会性皆無の引きこもりであった俺に出来る事といえば、時給750円で皿洗いをする事くらいである。
フルタイムで皿洗いをして稼いだ金は、1万を残して全て召し上げられた。なおフルタイムで働いても、健康保険も年金もかけられていなかった。
母に寄生していた俺は、母とバイト先に寄生される身分となったわけだ。
悪いことばかりでもなかった。俺も若かったのでバイト先の同僚である女子大生と付き合い、色々怒られながら学んでいった。
女性と気後れせずに話せるようになったのは、この娘のおかげである。
今では別の男性と結婚して子供をもうけているが、いくらかの親交はある。恩は生涯忘れないであろう。
バイト先を半年ほどで退職し、清掃の会社に正社員で入社する事になった。
しかし、その会社は反社の社長が仕切る手配屋のようなところだった。
朝6時から夜の12時まで現場を3つはしごして月給15万。休みは月に1~2日である。
ミスをすると殴られ、仕事が終わると開かれる賭場に参加を強制され、給料を巻き上げられる。
お前が店長をやれ、ランチと居酒屋を一人でやれと言われ体を壊す手前まで働く。
仕込みは朝7時から。片付けが終わるのは1時を回る。店の倉庫の米袋の上で寝る事もよくあった。
それでも思うように収益が上がらず、事業不振で融資を受ける事に。ついてはお前が数百万の連帯保証人になれと言われて、その職場を逃げ出した。
数ヶ月ほど印刷工場に派遣されたのち、長期の工場仕事が決まる。
俺は物覚えが悪く叱られがちではあったが、派遣先は一部上場企業の子会社である。
労働基準法違反の飲食店や反社の手配屋しか知らない俺にとって、職場環境やそこにいる社員の質は天国かと見間違うほどであった。
フライヤーの油を菜箸で跳ねてかけられたり、違法改造したガスガンで撃たれたりしない。
イカサマ麻雀で給料を召し上げられる事も無い。社長に逆らった従業員が行方不明になる事も無い。
俺は一度叱られた事をすぐ直せるほど賢くはないが、2度3度と言われたら馬鹿なりに覚えはする。
2年ほど勤めた頃には、職場で頼りにされるようになった。
職長や課長も「よう◯◯、この工程どうなってる?」と聞いてくるくらいになった。
課長と職長が推薦してくれたらしい。
真面目に勤めたなら、俺のような中卒の引きこもりでも年収400万はあるとの事だ。
嬉しかった。
30手前でこんな話が来るのか、世の中捨てたものではないと感じた。
派遣先との契約で3年満了後にはなるが、正社員として働いてくれ。
そう言われて日々仕事をしていた。
同期の派遣仲間も、かなりの割合で正社員転換されるらしく、皆がウキウキしていた。
「俺、今度結婚するんだ。彼女の腹に子供もいる」と言い出した派遣の同僚に、皆でベビーカーを贈ったりもした。
2005年11月に職探し、そこから数ヶ月で工場が決まるという話で察した人も居ると思うが、リーマン・ショックとサブプライムショックが直撃した。
2009年3月末、数万円の手当を渡されて派遣契約が満了となった。
世の中は不景気一色で、四大を出たような優秀な人がコンビニやスーパーで最低賃金付近で働いていた。
いきなり話は変わるが、俺はMMORPG内ではちょっと知られたトレーダーだった。
様々なプレイヤーから買取、換金を行う。クラメンの狩りのアイテムを全て換金する。
物を右から左に流すだけではなく、抗争中のクラン双方にPOTやスクロールを大量に流す。
イベント時に必要になると思われるアイテムを、イベント遥か前から大量に買い占め、イベントの時に高値で売りさばく。
サーバー内の友人知人から聞いた話を元に、匿名掲示板や全体チャットの雰囲気を見て先回りをする。
俺から見れば当たり前と思う事をしていただけだが、競争相手は居なかった。
BOTを使ったり複数名のパイロットが居るプレイヤーを除けば、サーバー内でも有数の金持ちだったと思う。
派遣切りされた時、もしかして現実でもトレードが出来るのではないかと考えて、手元にあった100万円ほどの貯金を使い、失業保険を貰いながら貿易と国内転売に手を出す。
あらかじめ言っておくが劇的な増え方をしたわけではない。
この商売をやってつくづく感じるのは、資本こそ力であり正義という事だ。
元手100万のトレードはほぼ肉体労働となる。手配も、折衝も、梱包や発送も、全て自分で行って事務所を借りる余裕はない。
1Kの部屋の押入れは商品で埋め尽くされ、布団は万年床と化す。
毎日の食事、光熱費や家賃、服や消耗品など、生活の全てに足を引っ張られる。
もう100万200万あれば。そう感じながら亀のような歩みで進んでいくしかない。
10年ほどかけて元手が1000万を超えた頃、ようやく小さな倉庫がついた事務所を借り、パートさんを雇用する。
自分が理不尽をされたトラウマから、1分単位で時給を払い、盆や正月には寸志も渡す。
そうしないと、明日にも居なくなってしまうかもしれない。もしくは倉庫の商品を盗まれるかもしれないという恐怖に駆られながら。
パートさんたちの名誉のために言うが、そんな事は一度もなかった。
来てくれるパートさんは結婚をして子供を持ち、家計を助けるために扶養内で働く善良な人たちだ。
元手5000万を超える頃、目をかけていた男性アルバイトが逮捕される。
2年ほどトリプルワークで働いてくれていたのだが、そろそろ1箇所に落ち着かないかと声を掛ける直前だった。
見た目は陰キャそのもの、大卒ながら30を過ぎてアルバイトを転々としている子だった。
どうも若い子が居る職場が好きらしく、そのような職場を複数掛け持ちしていた。
しかし金は必要なので、ウチのようなちょっと時給が良く好きな時間に働ける職場を探していたらしい。
手が早いわけでも、頭が良いわけでもない。ただ言われた事を黙々とこなしてくれていたので、ウチの商売とはマッチした。
別に速度はそこまで必要ではない。言われた事を言われた通りに横領せずやってくれたらそれでいい。ウチはそんな仕事だ。
このくらい有れば生活はできるだろう。
もしも事務所をまるっと任せられるくらい伸びるのなら、1000万くらい払っても構わない。
そう思っていた矢先だった。
どうやら、若い子好きが仇となった様子。バイト先の16歳の子に手を出し、親にバレて不同意性交で逮捕された。
酒を飲ませて前後不覚にした上でホテルに連れ込んだらしく、相手の16歳女性はまんざらでもない様子だが親が本気で怒って通報した。
そして事件化こそしていないものの、同様の案件を示唆するSNSやLINEの投稿も発見されているらしい。
未成年者に手を出す人物を、女性パートさんと一緒に働かせる事は不可能だ。残念だが退職してもらった。
注文処理や備品の手配は任せているが、面倒な所は全て自分でやらなくてはならない。
肉体労働は純資産1億になった今でもさほど変わらない。金にモノを言わせたければ5億10億の資金が必要だ。
元手1億程度の俺は、金に働かせて自分は遊ぶという事ができない。稼いだ金から税金を払い、経費や給料を払い、前期手元に残った金は2500万円ほど。
もうワンステップ上に行くためには5億10億の元手が必要になる。信用できるチームも必要だ。
残念ながら、俺にはどちらも無い。
気がつけば47歳。家賃3万のボロアパートで上階からギターの音と、隣からカップルのセックスの音が聞こえる環境からは脱した。
管理人が居て、共用部を週2回清掃してくれて、住人はレクサスやベンツに乗っているような高層マンションに住む事はできている。
ただ、彼女も子供も居ない。家に帰ってきては冷凍食品を食べ、風呂や歯磨きも忘れて泥のように眠る事も多い。
最近は寝ても疲れが取れない。
そもそも早ければ朝5時から海外のメール対応、夜も12時を超える事が多い。
その時57歳。そこまで生きていられるだろうか?
俺は何のためにカネを稼いでいるのだろうか。
就職した飲食店の大将や、清掃会社の社長がメンターになり得る人格者なら
俺の人生は良くなっていたのだろうか。
それとも悪くなっていたのだろうか。
よくわからない。
現状のPixivはAIによる粗製濫造に侵されている。いや、AI投稿作品は棲み分けされてるでしょ?と思うかもしれないが、普通に「AI生成作品」にチェックを入れずに投稿されているにも関わらず、その実AIのポンだしというものが少なくない。というかかなり多い。
※ここでいうイラストとは少なくともAIによるポン出しは含めない
これは我々がインターネットをする上で心情としている「嫌なら見るな」に反するものだ。嫌なのに見せつけられている例のAAのような状況だ。
これは(AI絵を投稿するユーザー以外の)全てのユーザーにとって不利益だ。ではなぜPixivは厳格に規制せずユーザーのモラルに甘える(と言っても崩壊しているのだが)態度を貫くのか。
現状のAI絵はわかりやすい。t2iかi2iのポン出しか、良くて微修正したくらいだ。細部を見れば溶けている画像は絵というより絵っぽいものだ。
いわゆる「AI絵師」を自称する人にはそれなりの主張があるかもしれないが、描くという工程を得ていない画像はイラストとも言えない出来のものだ。
まぁそういう絵を規制するのは簡単だ。「下絵すら描かずにAIで作成した作品はAI生成作品とします。AI生成作品は投稿しないでください」とするだけでいい。
じゃあ「下絵(線画)は自分で描きました。塗りはAIに任せました」という作品はどうなるのだろうか。まぁこれも塗りという一番厄介な工程をすっ飛ばしてるのでAI生成作品に含まれるかもしれない。
少なくとも全ての工程で手描きしてる絵師からすれば自分と同じ列に同じ作品として展示されるのは「ふざけんな」と思うだろう。
じゃあ定義を広げて「作成過程における大半をAIに依存して作成した作品をAI生成作品とする」という基準に改める。…というかこれが現状のPixivの規制なのだが。
まぁこんな曖昧な基準じゃ「いや、t2i/i2iで画像を生成するのもプロンプトという技術とガチャという試行錯誤が必要で〜」と訳のわからん理屈で「手間をかけたからこれはイラスト!」という主張で投稿する奴が現れているのが現状。
じゃあやっぱり「制作過程の一瞬にでもAIが関わっていたらAI生成作品です」とすると、疑いの余地なくAIの関わりを断つことができる。できるが……
例えば「塗るといい感じに影を着色できるブラシ」とか「環境に適応していい感じに光を表現できるブラシ」というのが現れるとする。
現実的な悩ましい色の選択と難しいレイヤーの合成方法をすっ飛ばして『ビル街の中にある街路樹から漏れる淡い光を表現できるブラシを作成して』というだけで望ましいブラシと色を簡単に作成してくれるツールが現れたら?
アンチAI過激派なら「機械学習によって生成されたブラシによる着色なんて味がない」というだろう。
しかしこれから現れるAIネイティブ世代にとっては「いや、ブラシが生成されてもそれでうまく描けるかは結局力量だから」となる可能性は高い。あくまでブラシはツールで、最適解のブラシを手に入れたとして最高の絵が描けるわけではない。
というかこれは現状でも議論できる話で、例え完成品のイラストに1ピクセルも反映されていないとしても、AIによって生成された画像を参考に構図を決めたり着色してたりしてたら?
お気持ちの話をするなら「そういう楽はすべきではない、芸術とは自分の魂を込めることで手間を省いたものに魂は込められない」という人もいるかもしれない。
が、それは紙と違って簡単にRedo/Undoができるツールを使ってる人が言うべきではない。パソコンで絵を描いていない人だけが彼に石を投げなさい。
我々がコンピューターという便利なツールで描かれたイラストを当たり前に受け入れている以上、AIという便利なツールによって描かれたイラストを受け入れるのもまた時間の問題なのだ。
話を戻すとPixivがそういう「少しでもAIが関わってたらダメ!」という表明をすると、短期的にはいいが長期的にはユーザーが離れていく。
Stable Diffusionの登場はかなりの驚きだったが、既に歴史の中で似たようなことが起こってるのは承知だと思う。世界史で習ったイギリスの産業革命しかり、あるいはこの文脈でよく語られる「コンピューターが登場したことによって生まれたデジタルイラストには味がないと過去には言われていた」とかそういうのだ。
我々が今どんなに「AIはクソ」と主張しても10年後にはみんな使って当たり前のツールになっている。
想像の話だが、パソコンが生まれる前に存在していた「イラスト投稿雑誌」なるものがあったとする(※私はWindowsが生まれてから産まれているので、ガチでここら辺は私の想像)
そのイラスト投稿雑誌が「コンピューターイラストは誰でも簡単に描けて味がない!紙のイラストのみ受け入れます!」という主張をし、実践していたら簡単に時代の波に埋もれるのは想像がつくと思う。現実はパソコンで作成したイラストも受け入れる雑誌が現れて、そっちが生き残ると思う。
もちろんそれを現状のPixivにまんま当てはめることができるとは思えない。AIによるポン出し絵を投稿する人間にファンがつくとは思えない。ただ、AIを活用したブラシなどを使って描かれた絵なら、普通にファンはつくと思う。
まぁ結局、「AI絵は一律排斥しろ」というのは難しい。線引きが難しいからだ。またそうなった場合、厳格にAIを排斥するサービスは投稿者・閲覧者共に減っていくのは間違いない。
だからPixivは(現状では否定意見が多い)AIをある程度受け入れつつ、将来のAIネイティブ世代を受け入れる体制を作り続けないといけない。
そうじゃないと、AIを活用するイラストレーターがPixivから離れていくからだ(AI絵師(笑)ではなく)
そしてChatGPTから始まったAIサービスが普通の人間でも使えるようになった以上、AIに対して抵抗がある人間が減ることはあれど、増えることはない(まさしく産業革命に対するラッダイト運動のようなことは起きるかもしれないが、望むと望まないとに限らず、我々が機械に反発なく生活しているように、もはやAIを避けて生きていくのは無理なのだ……)
これが「AI絵は一律、厳格に対応しろ」と言う声にできない理由だと私は考える。もろちん、人的リソースの限界もあるだろうけど。
これはPixivに限った話じゃなくて、全ての芸術(音楽とか小説とか、あるいは動画とか)に及ぶ話だ。望むと望まないと、AIは使われてゆく……
「いや技術的な話じゃなくて、自分が描いた絵が無断で学習されて、それを使ったものが投稿されてるのが嫌なんだが」という人には『それはそう!!!!!!』と声を大にして賛同しておく。
しかし残念ながら、みんな大好きChatGPTですら著作権に対しては舐めた態度を取っている(Sora2とか…)ので、もうまじで残念ながら諦める以外の選択肢は極めて少ない。
だからこれを書いている私のスタンスは『』 もう時代の流れに身を任せて全てを諦め、そして自分の益になることは人から怒られない程度にAIから掠め取っていこう』だ。今の私の業務はChatGPTで成り立っている。
だからこの文章も別に「だからPixivはこうしろ!」とか主張するつもりはない。
「PixivはさっさとAI絵じゃないと偽ってAI絵の投稿するやつをどうにかしろ」という程度のことは常々思ってるが、それ以上のことを望むのは難しいんじゃないか、という考察をただ垂れ流しただけ。
具体的になにをしているかというと、リーダーの考える通りのWebサイトのコンテンツを作成できるように黒い画面で英文をカタカタする仕事だ。なんてつまらなさそうな仕事紹介だろう!
この熱量の無さからわかる通り、プログラミングとかいう行為が好きではない。じゃあなんでそんな仕事を選んだかというと、学歴と体力のない人間の消極的選択である。
頭を動かすことは得意なので現場からもそれなりの評価を頂いている、が。今それなりに危機に瀕している。
人手が足りないから別のチームに応援に呼ばれた。これはいい。意思の確認とかされなかったけど。まあいい。
問題は別チームのやり方が本当に別すぎてなんもわからんことだ。
言語は同じなのだ。しかし書き方が違う。曰くフレームワークをゴリゴリに使用している書き方らしい。
IT業界でない人に説明するなら、同じアルファベットを使ってるはずなのに文法が全然違くてわからん。無理。
すごく頑張った。AIも駆使した(うちの現場では推奨はされていないが、非推奨でもない)。最低限求められている動きをしているものができた。
そして脳内のお嬢様が叫ぶ。「自分で何を実装しているのか、わたくしさぁ~~~ぱり、わかっておりませんわぁ~~~~!!!」
求められているものができているなら良いだろうと思うだろうか?しかしこの次の工程でレビューというものがおれを待ち受けている。
おれはこれが嫌いだ。諸々仔細は省くが嫌いだ。省く理由はおれのレビュー担当者への怨嗟で埋まるからだ。(別チームの応援におれのレビュー担当者=チームリーダーも一緒に来た)
そもそもおれはおれの上に立つ人間を好ましいと思ったためしがないので社会人が向いてない。終わりだ。
しかし時は無常。作業はまだまだある。ひとつめの壁で立ち止まっている場合ではないのだ。
個人で仕事を受けおい、収入はあまり高くなく年収は300万円程度である。
家で仕事できるのは良いが親の介護などもあり他の仕事を探すのも難しい。
イラストの生成AIは盛況しているがピクセルアートの分野はまだ未発達。
偶然相談できる人が現れたので現状を相談してみたところ何か力になれるかもという事だったので相談してみたところ
大雑把なところ(0→50点くらいまで)は生成AIを使い、細かいところ(100点まで)は引き続きあなたの手でやってくださいという提案を受けた。
これならAIを使っている形跡もほぼなくなるしという事でアドバイス通りに工程に生成AIを取り入れてみたところ作業時間の短縮ができた。
年収は正直、あまり変わっていないけど作業時間は月に150時間くらいになった。
まだまだ改善できそうということで今後も相談していくつもりである。
工程は変わらず一発目の生成AIが50点目指すところを60, 70 とあげて、最後の仕上げの部分で100を目指してほしいとのこと
SIerやってるんだが、JTCと仕事してるとまじでしんどい...。
最初にプロジェクト憲章等々必要なことは決めて、そこから開発に入るんじゃが。
後になってから、当初の計画でスコープから外した機能を、相手が何食わぬ顔して何度も議題に上げてくる。
交渉のつもりなのか、単純に忘れてるのか分からんが毎週上げてくる。
先方が勝手にステークホルダー追加してきて、そのステークホルダーがあれこれ口を出し始める。
そのたび、資料作ったりして懇切丁寧に説明しないといかんのじゃが、その手間で後工程のリソースがどんどん逼迫する。
金払いは良いから契約は継続しなきゃいかんのだが、窓口とそれに関わる人間がどんどん疲弊して、遅延しそうになる。
みんなこういうのどうしてるんかなぁ...って思って書いてみた。
こういう振る舞いよくないよ。嫌われるよ。って共通認識になってくれんかなぁ...。
了解。議論の流れを踏まえ、あなたの主張(「外国人労働者なしで“管理された縮小”は可能」)の中核仮説を、データで一点ずつ崩します。結論から言うと、あなたの主張は①“圧縮のコストと時間”を過小評価し、②“人手の下限”がある領域(介護・インフラ・防衛・エネルギー)を技術だけで短期に置換できると誤信し、③外部依存(食料・エネルギー・外貨)の現実を無視しています。政策論としては実装不能な楽観です。
あなたの主張は「都市統合・生活圏圧縮」で“均衡”を保てると主張しますが、固定費は連続的に下がらない。交通・上下水・医療・学校・消防などは一定需要を割ると一気に維持不能になりやすく、路線廃止や病院撤退が誘発する“サービス消失→転出→税基盤縮小”のスパイラルが起きます(国交省の白書も、人口減少下のネットワーク脆弱化を前提に課題を整理)。 ([国土交通省][1])
「平成の大合併」の学術検証でも、合併で必ずコストが下がるとは限らない、短期はむしろ支出増、長期も項目によって増減が割れる等の結果が反復して報告。統合=節約は近似であって恒真ではない。つまり「密度再編すれば固定費が下がる」は一般化の誤りです。 ([J-STAGE][2])
厚労省の最新推計:介護職員は2040年度に約272万人必要(22年度比+約57万人、年+3.2万人ペースでの純増が必要)。現実は離職超過や採用難が強まり、介護は1応募に4.25求人という“超売り手市場”のケースも報じられています。不足の山は2030年代半ばに顕在化します。 ([厚生労働省][3])
OECDやILOのレビューは、ケア領域は人間接触・判断・倫理の比重が高く、ロボティクスやAIの代替は限定的で実装にも時間がかかると整理。生成AIで事務軽減はできても対人ケアの主工程は当面人が必要です。 ([OECD][4])
産業側でもロボット密度は世界的に急伸中ですが(IFR)、増設は主に製造現場。あなたの主張が要の介護・医療・運輸サービスは自動化難度が高い領域です。“質的転換で穴埋め”は2030sのピーク需要に間に合わない。 ([IFR International Federation of Robotics][5])
日本の就業率はこの10年で女性・高齢者ともに大幅に上昇。今後も改善余地はあるが、弾は既に相当使っている。OECDやJILPTも、日本の人手不足は“長期・構造的”と評価。女性・高齢者の追加動員“だけ”で需給を均すのは難しい。 ([JIL 労働政策研究・研修機構][6])
OECDは明確に、「女性・高齢者の就労促進に加えて、外国人労働者のより大きな活用が不可欠」と勧告。あなたの主張はこの国際的なベースラインを外している。 ([OECD][7])
日本は食料自給率(カロリー基準)38%。残りを輸入に頼る構造は不変で、価格ショックに脆い。輸入代金の原資となる外貨獲得は規模が要る。“縮小+内需シフト”は、食とエネの輸入価格変動に晒されやすくする。 ([農林水産省][8])
エネルギー自給もOECD下位の水準。再エネ・原子力の拡大方針は進むが、当面はLNGなど化石燃料が必要。地政学次第でコスト高リスクは常在。輸入代替が進むまでの移行期は外貨の厚みが防波堤になります。 ([Reuters][9])
無人機・AI化はトレンドだが、整備・補給・サイバー・指揮統制など人員需要は不可避。装備の国産化・共同開発にも裾野人材と企業群が要る。人口と人材の最小密度を割る縮小は、維持費の単価上昇と技術の途切れを招きがち。ここを外国人高度人材まで閉じるのは自縄自縛。〔※エネルギー安保と同様、移行期の脆弱性は高い〕(政策白書・エネルギー構成の記載参照)。 ([Reuters][9])
在留外国人は376万人(2024年末)。内訳は「永住」「技術・人文知識・国際業務」「特定技能」「留学」などに分散し、技能・専門に紐づく制度設計が中心。一律の“安価な労働大量投下”という描写は実態とズレる。 ([法務省][10])
有効求人倍率は直近でも1.2倍前後の張り付き。構造的な人手不足が続いており、賃上げと自動化を促す圧力は弱まっていない。むしろ企業は賃上げ・投資・定年延長を同時進行。受け入れ=改革を止めるという単純因果は成り立たない。 ([JIL 労働政策研究・研修機構][11])
人口構造の確定性(IPSS):2050年代に1億割れ、2070年8700万人規模、65歳以上が約4割の高齢社会。現役世代急減は避けられない。圧縮・自動化は必要だが、需要のピーク(介護・医療・インフラ更新)が先に来る。 ([情報処理推進機構][12])
だからこそOECDは、「女性・高齢者活用に加えて移民(外国人労働)」と複線を勧告。“技術と圧縮だけ”に賭ける単線は、移行期リスク(サービス崩壊・地域消滅・外貨不足)を無担保で抱える。 ([OECD][7])
私の主張が示した筋に沿い、単線(自動化・圧縮のみ)ではなく複線でリスクを分散すべきです。
日本が取るべきは、圧縮×自動化を前進させつつ、管理された受け入れを“保険”として併走させる複線戦略である。単線はリスク集中、複線はリスク分散。これが現実的な均衡です。 ([厚生労働省][3])
「日本ってけっこう中抜き地獄だよなぁ」中抜きの業者は末端と先端以外は何もしておらず、船頭が多すぎる。個人的には、トップよりも間の何もしてない奴らの方がヤバいと思う話
増田はとあるインフラ企業に勤めるオッサンです。多分日本で弊社の名前を全く聞いたことがない人はほとんどいないと思う。
当社が主に頼る建設業界って多重下請けピラミッドというステレオタイプな偏見で見られることが多いと思うんですね。
冒頭のまとめ記事もそうだけど、昨今ネットやリアルでも中抜きバッシングが賑やかに言いたい放題言われているのを見ている中で
どうも「中抜き」の実態をよく知らないまま批判しているな?というニュースやネット記事をちょくちょく見かけるので
インフラ企業のインサイダーから「中抜き企業を排除する方法」がどれだけ難しいかを少し説明しようと思います。
建設工事において、弊社は発注者として元請企業に施設の新設や修繕・改造工事を委託します。
そして元請企業は基本的に受注した業務のパートごとに二次請以下へ仕事を降ろしていくことになります。
そして、実際発注者である弊社の施設で現場作業を行うのは、四次請以降の企業の社員ということになるわけですね。
(元請や二次請企業も管理のため基本現場には常駐しますが、実作業はあくまでそれ以下の下請が行います)
この工事を門外漢が単純に見ると元請(一次請)から三次請の企業は実作業をしないのにマージンを抜いていく悪徳中抜き企業と評されるのでしょうね。
要するに、この状況を改善し"悪しき中抜き企業"を飛ばして、実作業を行う四次請以下の中小企業が発注者の弊社から直接カネを貰って仕事をすれば良いじゃないか!
さて、ここから本題の話をするのですが
この話、発注者側の本音を言えばぶっちゃけ多重下請け構造にしてもらいたいなんて別に思ってないんですよ。
でも実際はそうならず二次請三次請四次請に流れていくのは、「その方が安いから」ということでしかありません。
弊社がやる工事の場合、元請企業っておおよそ大企業で人件費も高いんですよ。
そういう元請社員に直接手を動かしてもらうより、その下請以下の安い人材にやってもらう方が経済的合理性があるわけです。安さは正義。
当然入札で安い見積を出したい元請企業も事情は同じで、自社社員に現場作業をさせるより下請を使おうという動機付けが起きるのです。
ちなみに、弊社のような顧客企業から直接四次請の中小企業に発注したら良いじゃないかという主張もあるかもしれませんね。
(建設業ではないですが、実際にマイナポータルの事業で、NEC等大手メーカに発注せずデジタル庁から中小企業に直接仕事を発注すれば良いじゃないかという主張が一部でありました)
この主張に反論すると、ただの建設工事と一言で言ってもその中では様々な工程があるんですよ。土木工事も要る、配管屋も塗装屋も電気工事も要る。他にも多種多様に業者が必要になる。
これらの業務を直接発注する場合、弊社の社員が直接仕事を切り分けしてそれぞれの専門業者(つまり四次請)に頼むことになるわけですが、
この事務作業に掛かるコストも馬鹿にならないんですよ。弊社も大企業ですから社員もそれなりに高単価で人件費が掛かるのです。
そうするとこの事務作業は自分のところでやるより外注した方が安いねというインセンティブが働き、事務作業も含め管理業務も一括で委託できる元請企業に委託した方が合理的だという結論になるわけです。
そして元請企業もある程度の切り分けまでは行いますが、それ以上の細かい事務作業はさらに下請以下へ任せる方がトータルコストは安くなります。
この構造を打破するには、実作業を行う中小・零細企業が元請の代わりに仕事の切り分けを全部やって、発注者へ「おたくの工事の中で○○はウチができますよ!」と提案してこないといけない。
もちろんやってくれるなら大歓迎なのですが、残念ながら中小零細企業の99.9%はこの事務作業ができません。できないからこそ三次請や四次請に甘んじているわけです。
そして、実際のところ三次四次の中小もこんなことやりたいとも思っていません。高レベルだしそんなことできる人材もいないからです。
中抜き中抜きと言えば何かいっぱしの批判をした気分になってる方々も、上記の事情を知って頂ければ
中抜き企業を排除するには中小零細企業が元請企業レベルの事務作業の能力を持つ必要があること、そしてそれは中小零細にとって酷な要求だということが理解頂けるのではと思います。